会誌-「ザラスMCPG 諸英伝」

アプシーズ=エルフ扉

■ 二星降臨 [リアクションNO.6−0]


 晴れた夜の空を見上げると、まるで宝石箱をぶちまけたような美しい光の群れが目に入る。赤や青や、色とりどりの大きな光は神々の居城。その合間合間にひそやかに光るのは妖人の家だ。
 神は人の目にふれることはないが、太陽の光を送り、太陰の闇を送り、熱を、風を、大地の恵みを、水の潤いを……過去を、現在をそして未来へと続く時を、人界へと送ってくれる。しかるべき者が祈れば、力を分け与えてくれる。
 神々も妖人も、人界よりも高次元の別空間に住んでいるという。だからこそ、同一の場所にあるはずもないものが、人界からは重なって見えるわけなのだが……
 妖人とは、一体何者なのだろう。
 天上でまどろみながら、彼らは何を考えているのだろうか?


(神王……神王アシュラ)
 その声は突然聞こえてきた。
「……何だ?」
 少女の姿をした神はのっそりと起きあがった。どうやら連絡用の宝珠から聞こえているのではないらしい。直接、頭の中に響いてくる声だ。聞いたことがあるような気はするが、思い出せない。神王、という呼びかけからして、他の神王でないことは確かだ。
(だとすると、誰だ? 神将か、神人か、言霊人か、それとも…)
 どうあれ、この状態では相手のいる位置や姿までは分からないし、相手にこちらの声を届けることもできない。
「祭祀長ナッシュ、参りました。何事でしょうか?」
 腹心がようやく姿を現す。アシュラは命じた。
「ファンチン・オーブWの回路を開け」
「Wと申しますと、万能二方向通信用プロテクト無し、のソフトですね。正体不明の通信ですか?」
「ああ、安眠を妨害されたよ」
「とすると、人界の者ではありえませんね」
 ナッシュに言われて気がついた。確かにそうだ。火炎城では、人界の時間はすべてこちらの「昼」に合わせてある。それなのに、「夜」の時間に割り込めるというのは……。
「回線がつながりました」
 ナッシュの声とともに、七色の光をたたえた宝珠の上に幻影が浮かびあがる。黄金の髪、長く尖った耳、若草色の瞳をした……
(妖人か!)
 道理で忘れていた筈だ。声だけでは思い出せるわけがない。
「神王アシュラ、ご記憶でしょうか。妖人メルリーラです」
 今の今まで忘れていた、とは言わない。
「久しいな。およそ千年ぶりというところか」
「貴神がご存知かどうかは知りませんけれど、私は貴神の双果なんですわ」
 メルリーラは言う。世界樹の光の側にみのった果実が神王であり、闇の側にみのった根茎が妖人である。神王と妖人はそれぞれ、一日に一つずつ熟し、樹から離れた。同じ日に熟した神王と妖人とを双果というが、あまり頻繁に使われる言葉ではない。第一、妖人たちの個人名が知られることは、これまでほとんどなかった。個体差があることすら知られていなかった。
「それがどーしたの?」
「私、他の妖人たちと一緒にもう千百五十年も、星界にこもっていましたでしょう? それで、もういい加減飽きたんですわ」
「はあ」
 飽きた、だと? 星界での暮らしに?
 妖人といえば保守的で頑固でつまんない奴らだとばっかり思ってたが……仲々面白そうな奴じゃないか。
 さすが、私の双果、と名乗るだけのことはある。
「それで、人界に降ろうかと……」
「人界に降ってどうする気だ? 妖人のまんまじゃ無理だってことは分かってるか?」
 二百五十年余前の条約で、神王やそれに準じる力を持つ神族が人界に降ることが禁止された。妖人も神王と同等の力を持つ以上、条約の範疇に入るだろう。メール族の宗神マハーカーラが降ったときには火山にその身を変えた。しかしメルリーラは、
「もっと有用な手を考えました」
 と言う。
「大地に力を注ぎ込んで、身体には神人並みの力を残すんですわ。すると私たちは人界に降りられる、しかもその力は有効に使える、と一石二鳥」
「なーるほど。そいでその地方に薬草でも生やすわけか。じゃあ、いい土地を紹介してあげよう。セルフィアーは知ってるか?」
「南海の孤島ですね」
「そこの南東地方がね、今不毛の砂漠で誰も住んでないんだよ」
「そこって、神王マハーカーラのお隣さんですか?」
「そうとも言う」
「では、そこにさせていただきますわね」
 ……という経緯で、メルリーラ姉妹の人界降臨は決定したわけである。
 そんないい加減な、と言ってはいけない。神々の意思など、人間の歴史の流れに比べればずいぶんといい加減なものである。ことに、このアシュラ神が関わっているときては。
 メルリーラの姉であるティターニアは、自分の双果である農耕神パールヴァティに接触を図ったのだがあっさりと無視され、結局メルリーラと共に、アシュラの融通してくれたシャリヤーティの亜空間を使って人界へと降臨した。神王暦にして二五五七年、セルフィアー独立暦では二五七年の地の月一五日のことである。その日、セルフィアーでは、東の地平が虹色にかがやき、二筋の光が天から降りてくるのが見えたという。
 ティターニア・メルリーラ姉妹の降臨から二十年後、一時は大地そのものに溜められていた「気」も草や樹の形をなし、あるいは水となって湖や川を形成し、環境も整ってきた。そこで姉妹も自ら封印していた意識を呼び覚まし、新たなる大地へと一歩を踏み出した。
「……まずは、大成功ね」
 ティターニアは木の幹に手を触れて言った。その若木には、瑞々しい青い実がたわわに実っている。
「アシュラ神王に感謝しなくてはならないわ。この複雑な地形がなかったら、こんなに豊富な樹木は育ちませんもの」
 今、自分たちのいる場所は、セルフィアー島の最東端である。しばらくはずっと、岩の大地が続くが、所々に岩を割って根を張った、今目の前にあるような木が生えている。岬のつけねあたりから先は草地。そしてその更に先は湿地になっている。地形を案ずるに、湿地の割合がだいぶ多いようである。人が住むのに適さない分、薬草の宝庫となるにふさわしいであろう。
「万事順調──」
 言いかけたメルリーラの目のはしに、一筋の金の光が映った。ティターニアを促して見上げる。光は二人の前に降り立った。
 光に寄り添って立つのは神王シャリヤーティ。三面六臂、深い緋色の瞳、足よりも長く伸びた銀の髪をもつ白面の青年神。
「お久しぶりだ、ティターニア殿、メルリーラ殿。……いい土地になったな」
 シャリヤーティは光を前に押し出した。それは若い妖人だった。若い、といっても外貌がという意味ではない。ティターニア姉妹などは生まれたときから老いていないのである。その妖人は、世界樹から生まれた者ではない。星界で生まれた妖人だった。
「お初にお目にかかります」
 少年の姿をした妖人は緊張の面差しで言った。シャリヤーティはかるく会釈をして亜空間へと消えた。神王が人界に降りることは本来は禁止されている。
「僕は、ヴィレールトと申します。お二人の噂をお聞きし、僕もお力になりたいと思って来ました。お手伝いさせてください」
 ティターニアとメルリーラは顔を見合わせた。自分たちは何の考えもなしに、ただ退屈だから飛び出しただけなのだが、何か勘違いしたこういった連中があとから続々とやってくる。に違いない。そしてこういう連中を養ってやらなければならないわけか。
「シャリヤーティ神にお伺いしたところでは、薬草を育てていらっしゃるとか」
 二人の困惑をよそに、少年は言う。
「その薬草づくりのお手伝いとか……あと薬のつくりかたの研究とか……」
 少年の目は無邪気な好奇心に溢れている。がその台詞に、二人は同時に膝を打った。……成程、そういう手があったのか。そしておそらく、人界の事情に精通しているアシュラは、初めからそのつもりで、何気なさそうに「薬草」という言葉を口にしたのに違いない。メルリーラはあらためてアシュラに感謝した。
「分かったわ、ヴィレールト」
 と、ティターニアは少年の肩を叩いた。
「ヴィル、と呼んでください。ティターニア様、メルリーラ様」
「ティト、でいいわ」
「私も、メリル、で充分よ」
「では、ティト……様。よろしくお願いします」


 こうして、三人で創始した「星薬会」であるが、星界から降りてくる妖人たちの数は年々増え続け、現在ではセルフィアーの一部族と数えられるまでになっている。初めは名のなかったこの湿原にも、「アプサラス湿原」と名がついた。「天女の湿原」の意である。初めはシャリヤーティが自ら開いていた亜空間の通路も、利用のあまりの多さに、ついに固定の通路空間を設置した。
 また、居住用の土地は元から少ないので、その対応策として、各地の城邑へ薬を売りに出し、また逆に薬の原料となるものを買い入れさせている。
「しかし、よくここまで頑張りましたよね」
 百二十年もたてば、さすがに妖人のヴィレールトも青年になっている。堂々たる幹部の一員だ。元々その方面には才能があったらしく、薬づくりの方法論の骨子はすべて彼の打ち出したものである。
「キーサに続いて、今度はウォウルで、セルフィアー全土を揺るがすような動きがあったそうですね。これからの時代、医薬品の需要はますます増えますわ」
「そうね。……命を失う危険を少しでも減らして、安心して戦に出られるような薬をつくっていかなければなりませんね」
 ティターニアは大真面目に言った。

■ 独立暦四〇〇年風の月 [リアクションNO.6−2]


 今日はカノール、明日はウォウル。セルフィアーならどこへでもひとっとび、薬売りのダナス。決して薬師としての腕は悪くない。人界に降ってきたのはヴィレールトよりも後だが歳はダナスの方が上だ。その彼がいつまでも下っ端に甘んじてうろうろと放浪しているのは、持ち前のおっとりした性格、悪く言いかえれば押しの弱さのせいであった。
「僕より年上の妖人なんて、セルフィアーにはティト様とメリル様と君ぐらいしかいないのにねえ。ダナス、君はどうしてそう売り上げが少ないんだ? 僕は君を高く買ってるんだけど」
 ヴィレールトはダナスが帰るたびにため息をつく。
「えっ、そうなの〜?」
 初めて聞いたかのようにいつも言う台詞は同じである。
 そしてまたすぐ飛び出していく。
 旅は楽なものだ。彼には「大地のサンダル」がある。これは彼特製の施術宝器で、脚に溜まった疲労を解消することができる。だから彼の足どりは翼が生えたように速い。これで売り上げが他の妖人の半分程度なのだから、ヴィレールトがため息をつくのも無理はない。上の地位につけてやりたくても無理だ。向いていないのなら別の部に回してやろうと言っても遠回しに断られる。要するに彼は遊びに行きたいのだなと、最近はヴィレールトも納得し始めていた。
 妖人の寿命は長い。ティターニアやメルリーラのように永遠の命を持たぬ者でも、六百年とも千年ともいわれる。変わりばえのしない星界での暮らしに飽きて人界に降りてみて、初めの内は季節の移り変わりに感動してそれだけで生きていけても、百回も繰り返された頃にはもう飽きている。湿原での暮らしはつまらない。ヴィレールトのように研究に専念していれば別だが。
 変化を求める。退屈を嫌う。何か変わったものが見てみたい。
 ──それが、旅に出る理由。


 一方、星薬会本部アプシーズに住んでそれで満足している者もいる。
 まだ若いヴィルザートなどがそうである。人界生まれということもあって、彼はティターニアやメルリーラ、ヴィレールトを尊敬し、少しでも彼らに近づきたいと願っていた。
 アプシーズには通常の医者でも診られるような軽傷の患者はあまりいない。アプシーズの者の食物はほとんど湿原の産で、病を防ぐようはたらく。妖人が長寿なのはアプシーズの食べ物のせいだという説も唱えられているが、まるきり間違いというわけでもない。五種の民でもナルスでも、会に入り相応の食を摂れば寿命は延びるという。まあ、まだ確実なデータは取れていないので俗説の域を出てはいないのだが。
 アプシーズに運ばれてくるのは、きわめて重体あるいは難病奇病の類の患者であり、ゆえにヴィルザートのような未熟者には触れさせてももらえない。先輩の医師が診ているのを脇から眺め、道具や薬などを渡すのが関の山だ。
「ヴィラ、水取ってくれ」
「はーい」
 元気よく声を上げて、柄杓で水をすくう。兄弟子のツィルートは、柄杓の水を患者の目に注ぎかけた。患者が嫌そうにまばたきをする、その上に手をかざし、神語を唱える。が、ヴィルザートには何を言っているのかは聞き取れない。
 その語は確かに効果を発揮したらしく、琥珀のような深い黄色の光がツィルートの手を覆い包む。かと思うと一気に収斂し、患者の目の中にしみこんだ。差し出された柄杓にまた水を汲む。水が目に注がれる──すると、灰色に濁っていた筈のその目は、綺麗な青紫色に戻っていた。
「見えますか?」
 ツィルートは尋ねる。トゥー族の少女は嬉しそうに頷いた。
「それは良かった。しばらくは安静に寝ていることです。じきに元通りになりますよ」
「本当に、ありがとうございました」
 その女の子の父親は、深々と頭を下げた。
「お礼は結構ですよ。私はこれが仕事ですから」
 ツィルートはヴィルザートを促して自室へと戻った。
「ひとつ、質問があるんですけど」
 ヴィルザートは首をかしげた。
「あの水、ふつうの水なんですか?」
 柄杓に取って、患者の目にかけた。術法をかけた後も、水をかけるまでは、目は変化をみせなかった。
「よく見ていたね、ヴィラ。あれは、ただの水だよ。ただの純水」
「純水……きれいな水、ってことですか?」
「ちがう。それもあるけどね、アプサラスの住む水のことを言うんだ。純粋な水の気だけで構成された水。水と水の気は、ものを清めるはたらきがある。よく覚えておけよ」

■ 独立暦四〇〇年空の月 [リアクションNO.6−3]


 レポート名「水と生命」
 タイトルは最初から決まっていた。兄弟子ツィルートがあの少女の目にかけた水、そしてあの水があの子の目の濁りを洗い流したのだ。一体どういう術法だったのか、その後、ツィルートも他の先輩達も、何も教えてはくれなかった。それは、自分で学びとっていかねばならぬことなのだ。
 澄んだ水、澄んだ空、澄んだ少女の瞳。ヴィルザートの脳裏にはそれがずっと焼き付いて、一節経った今もそのことしか頭に浮かばない。ツィルートやその他の人の手伝いの合間をぬって、資料室や書庫に走る。資料室に並んだたくさんの瓶やパネル、薬草の匂いにもすっかり馴染み、書簡の重たさにも慣れた。
 書庫には沢山の本があるが、それ以上に大きな空きスペースがある。ティターニア・メルリーラ姉妹が人界に降って百五十年ばかり、それだけかかっても埋まるにはまだまだ足りない。だが、ヴィルザート程度の知りたいことなら研究され尽くしているといっていい。書庫の大半を占める医学書は、病・薬関係と器具関係に大別され、さらに関連の強い七要素別に並べてある。
 物質としての水というのは、水の要素を物質のかたちに結晶化させたものである。比率としても水を大変多く含んでいる。液体は一般に水といわれるが、正しく水と呼べるのは、水の要素が限りなく百%に近いものである。
 水には四種類ある。アンディーナの住んでいる水、ナーイアドの住んでいる水、アプサラスの住んでいる水、エルフーラの住んでいる水、という分類がなされるが、それぞれ、どう異なっているのだろうか。
 実際には、これらの精霊が直接住んでいるわけではない。これらの精霊の力は水の形をしていれば多少の差はあれども含んでいるものである。そのうちでも、どの精霊の力が最も多いかによって分類する。
 アンディーナの住んでいる水というのは、我々が飲んで一番おいしいと感じる水であろう。淡水としてのもっとも標準的なものである。他の水の力の影響を受けて変化しやすい。
 ナーイアドの住んでいる水というのは、概して海水であり、波の周期を呼び起こし、または生物の固有の波、つまり生命力を活性化させる力をもつ。微量の火の要素をふくむ。セルファニア湖の水は淡水であるがこの種類に分類される。
 アプサラスの住んでいる水は必ず淡水であり、エルフーラの住んでいる水と反応し、その力を打ち消しあう。ものを清める働きをもつ。微量の空の要素と光の構成をもつ。この類の水が地下空洞などに閉じこめられ、地の力を強く受けると水晶に変ずる。
 エルフーラの住んでいる水というのは、我々が飲んだりすると腹をこわすような水である。ものを汚し、腐らせる働きをもつ。生命力を減退させ、あるいは生命力を異常に活性化させるなど、生物の固有の波を狂わせる。微量の地の要素と闇の構成をもつ。流水には一般にはふくまれないが、それを汲みおいたりすると大気中からエルフーラが入り込んでこの類の水に変化する。ただしアプサラスの住んでいる水であれば例外である。
 これを踏まえ、水と生命について論じる。水……波……生命の周期。そういう関係ととらえてよいのだろうか。


 ここはカノール、マンジュスーリー広場。今日も家族づれ、カップルの多い午後燦々。かれら目当てに屋台がならび、にぎやかな、いろんな声が聴こえてくるなかで耳にはいってきた……
「まんじゅう〜、いかがぁäスかぁ〜?」
「カノール名物、ヌーグ様まんじゅうだよーっ! これを食べれば、ひとくちで頭がよくなり、ふたくちで美容に抜群、全部食べれば、あらふしぎ、もう一コほしくなるのがこまっちゃうよ〜 !?」
 本業そっちのけで新製品、マンジュスーリー広場でまんじゅう(ゴメン。くどいねー)を売っているのは、何を隠そうダナスくん。
 ……ものは試しだ、買ってちょうだい、三コで一ラダ、
 サービス中! おもち帰りもございますねの、一ダースで三ラダ
                   お買い得っ!

■ 独立暦四〇〇年地の月 [リアクションNO.6−4]


 妖人の寿命は長い。無限というわけではなく、せいぜい千年くらいであるが、長くて百年そこそこである人間や神人からみれば、やはり無限であるかのように感じられるだろう。その永い生を充実したものにするためにはどうすればいいのか。
 その問いへの解答として、時と自分たちとを切り離すという方法があるが、他種族と同じ時の上で生きているセルフィアーの妖人たちには、それは適用できない。なぜなら、時との交わりを断つことは、他種族の人々との交わりを断つことに他ならず、星界から出て人界へ来たこと自体の意味が無くなるからである。
 では、セルフィアーの妖人たちは、一体どのような道を選んだのであろうか。
 ヴィルザートに対する周囲の接し方が、アプシーズ=エルフの生き方の典型を示している。直接ものを言わない。何を伝えるにも、何を教えるにも、できるだけ遠回しな言い方をするようにし、相手が自然に気づくのを待つ。直接言葉に言って答えを言ってしまうと、相手の理解も早いだろうかそれっきりだ。間をおくことによって、理解されるまでの時間を引き延ばし、同時により奥深いところまで理解されるようしむける。
 そしてまた、教育者は好奇心を引き出すことに努める。より細かいところ、些細なことにまでこだわりを持ち探求していこうとする心が、永い生をより有用なものにしてゆくからである。


 しかし、ダナスの生き方は、そのような、ヴィレールトなどを中心としたアプシーズ=エルフ──特に教育者達の方針とは、全く相容れぬと言ってよい。彼の一挙一動を見ていると、やっていることがまるで人間や神人そのものであるのに驚かされる。邑間を移動するのに高速移動サンダルを用いるなどという発想自体、妖人の考えとは思えぬ。
 そしてそんなダナスが、星界からセルフィアーへと降ってきたのは、至極当然のことであるといえる。


「うわあ……すごいですね」
 シュエルの町並みを眺め、ヴィルザートは嘆声をあげた。それほど高くはないが存在感のある城壁に守られた邑。懐に抱かれたような、そんな感じだ。黒っぽい緑色の石は苔むし、間隙に雑草が芽吹いてはいるが、その威容は変わらない。城壁のない、どこまでも地平線の続いていくようなアプシーズの街もヴィルザートは好きだったが、シュエルの、包み込まれるような温かい雰囲気も同じくらい好きになれそうだった。
 シュエルは染め物の街だ。主道に沿って歩くと、そこかしこに巻いた布が積まれ、染料の入っているらしき樽や染料となる植物の干された籠などが置かれている。
 きょろきょろ周囲を見回しながら歩いていると、ヴィルザートの視界が青いものに閉ざされた。
「うわっ」
 思わず驚きの声をあげたが、すぐにそれは目から離れる。そのかわりに、細い、でもとても朗らかな声が耳を打った。
「人違いじゃありませんよね、お医者のお助手さん。また会えて嬉しいわ」
 青い服を着た少女。スート・カリン。二節前、ツィルートが治療を担当したあの娘であった。


「ヴィレールト医師からの手紙は受け取りました」
 スート・キリー……カリンの父親は、そう言って笑った。
 彼は真紅の瞳に栗色の髪……シャル族の容貌をしている。それなのにスートというトゥー族の姓を名乗っているということは、父がトゥー族(しかもシュエル邑宰家の者)、母親がシャル族であったということになるだろう。彼の奥さんはトゥー族だった。カリンもトゥー族だが、眼病になってしまった原因の一つに、異種族(部族)交配という問題があることは間違いなさそうだ。髪と瞳は霊力のもっとも強く宿るところであるのだから。


 イシャーナ神の像のある本殿は、木造の大きな建物であった。建物の約半分が像の安置されている大会堂、残りが大司祭室と司祭たちの控え室になっているはずである。セルフィアーにある神殿としては典型的なつくりであるといえる。
 ヴィルザートとダナスの二人は、入口で記帳し、受付に座っている神官に会釈してから、本殿に足を踏み入れた。人数は少ない。祭日の前日であるから、この町の人や信者などは憚ってあえて来ないのだろう。
 正面に気高く屹立しているのが千里眼神イシャーナの像だ。まるで生きているように精巧にできているのは、いざというときに神の魂を受けとめる依代となれるように、との思考のためで、これはチェリア朝以前、神々の大戦の時代からの伝統である。どの神の神殿であっても──光でも闇でも、あるいはどちらでもなくとも、神が肉体を失ったとき、その代わりとなれるほどの霊力を蓄えた神の移身を製作した。大神殿では特に、神の姿を脳裏に直接投影できるような霊力の高い司祭がいるわけだが、それと寸分たがわぬ姿になされているという。
 美しい、落ちついた雰囲気の二二歳くらいの女性の姿をしている。銀の髪をわけて、頭の上には狼の耳がついている。そもそも狼はイシャーナ神の眷族であり、トゥー族の祖神の銀狼トゥルクは、護神ネリティにイシャーナが力を分与してつくりだした神将シャミノンの部下であった。結界神シャリヤーティも銀狼を連れているが、彼は精霊王フェンリル──イシャーナ神が貸し与えた神将ナジャトの化身した姿である。
 額には目を図案化した紋。肩からは色鮮やかな服をまとい、憂いを含んだ瞳は深い青紫色──トゥー族の典型と同じ色だ。
「優しい、でも、悲しそうな目をした神ですね」
 ヴィルザートがぽつりと言った。ダナスは頷いた。
「イシャーナ神は、このザラスのすべてを知ってる神だといわれてるからね。三界、三期のすべてを」
「三期?」
「現在、過去、未来。全ての時間にわたって、ということですわ」
「カリンさん!」
「どうしたのー? そんな格好して」
 イシャーナの神官衣を身に纏っている。首からはイシャーナの護符。
「見ての通り、イシャーナ神殿に入信することにしました」
「どーして?」
「私、もう一四歳ですから。いつまでも親にぶらさがってる訳にはいかないもの。……だから、イシャーナ神殿に入って、神官になることにしたの。私、勉強もそんなにしてないし、武芸もからっきしだけど、信心深いのだけは自信あるわ。目が良くなったのだって、ツィルート様のおかげもあるけど、何より私が諦めなかったから、イシャーナ神王が私の望みを聞き届けてくださったのよ。私はそう信じてるわ」
 ヴィレールトは少し首をかしげた。彼にとって神王とは実在するものだが信仰の対象とはなりえない。彼の神は、ティターニアとメルリーラ以外にはありえないのだから。
「あら、アプシーズの方がご参拝なんて、珍しいこともあるものですわね」
 神像の安置された台の右側の扉が開いて、二〇歳ほどのトゥー族の若い女性が姿を見せた。イシャーナの司祭衣を着ている。
「ファルナ様、この方が……」
 カリンが声をかけると、女司祭は得心したようだった。
「あなた方にお話があります。こちらへいらしてくださいな」
 ヴィルザートとダナスは顔を見合わせた。


 入った部屋は司祭達の控え室のようであった。今は、女司祭とカリン、それにヴィルザートとダナスしかいない。
 女司祭はおもむろに喋り始めた。
「私は、このイシャーナ大神殿の次期大司祭、高司祭のアーガ・ファルナです。本来ならば、今頃はファルナ=イシャーナと名乗っているはずでした。ちなみにカリンとは従姉妹にあたります」
 と言って、女司祭はヴィルザートとダナスの面をじっと見た。
「私はこのイシャーナ神殿に五歳の頃から入り、修行を続けてまいりました。私の一族は代々霊力の強い者が多く、私もそうであったので術師をこころざしたのです。十数年にもわたる修行の結果、私は先大司祭に並ぶほどの神性術法を身につけ、そのことは先大司祭様も認められておりました。昨年、大司祭様が一四五歳で亡くなられたときも、遺言で私をご指名くださり、一度は私もファルナ=イシャーナを名乗りました」
 そこで女司祭はぐっと拳を握りしめた。
「ところが! 我こそは、と思っていた輩は、私が大司祭に即くのをこころよく思わず、私のことを若すぎるだの何だのと言うのです。それだけならまだしも、このカリンの目が悪いのを弾劾の理由として挙げてきました。一族に目の濁った者のいるような輩をイシャーナの大司祭にするわけにはいかない、というのです」
「もう治りましたわ」
 カリンの冷静なツッコミも耳に入れず、女司祭は机を叩いた。
「イシャーナの大司祭になるための条件は、神性術法の腕、それに長寿であること、それのみです。私がよい天運にめぐまれていることは先の大司祭様もお認めくださいました。で、あるのに!」
 女司祭はとうとう立ち上がった。
「奴等は、そのことを染色師会に告げ、丸め込んだのです! この神殿の収入は、信者からの喜捨、とくに染色師会の寄付がその半ばを占めています。私はやむなく、大司祭位を一時降り、高司祭に戻りました。しかし他の者に大司祭に相応しいほどの力の持ち主はおりません。ですから、もう一年というもの、大司祭位は空位の状態が続いているのです」
 ふむふむと、ヴィルザートとダナスは頷いた。……頷く以外に、何ができるというのだろう。女司祭は、拳を振り上げて叫んだ。
「しかし! 私はまだ諦めたわけではございません! カリンの目も、アプシーズの方々のおかげで良くなりました。これで、私こそが大司祭にふさわしいという証を示せば、私は復位することができましょう!」
「で、何をするつもりなのー?」
 ダナスは呑気そうにツッコんだ。女司祭ははっと気づいて椅子に座りなおした。
「す、すみません。つい、熱くなってしまいまして。とにかく、そういう事情なのです。で、私の考えたのは……」
 と前置きして女司祭が語ったのは、こういうことであった。
 そもそもイシャーナの神性術法には、治癒という分野はない。「見る」ことがその全てであり、視覚を変化させる術はあっても、眼病を治すなどということはできない。
 しかし、イシャーナが目と視覚を司る神である以上、神殿としては何らかの手段を講じるべきではないのだろうか?
「眼病治癒の施術宝器を作ることができるなら一番よいのですが、一口に眼病と申しましても様々な種類がありますから、難しいのでしょうね。または、この神殿の神官を星薬会に派遣し、医薬術法を学ばせる。星薬会の方で眼病に詳しい方を雇うというのでもかまいません。どの方法を採るにせよ、星薬会のほうには施術許可料をお支払いいたします。金に糸目はつけません。私が大司祭に復位すれば、いくらでも金は動かせますから。それに、これはこの神殿にとっても有意義なことであると私は信じます。いかがでしょう、星薬会に打診していただけないでしょうか?」
 期待の眼差しを向けられたヴィルザートは困ってダナスの方を見やった。ダナスは軽い口調で言った。
「まーかせて。ヴィルによく言っとくよ」
「そうですか!」
 ファルナの瞳が輝いた。
「宜しく頼みますわ」

●「ファルナ=イシャーナ」の巻につづく
 第五回会誌掲載、砂の山氏の寄稿

●ヴィルザートとダナスについては、トゥー族の頁(NO.3−5)へ続く

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