会誌-「第9回会誌別冊 ナーラダ戦記」

■ カリフ・マラーイカのアピールシーン  【高砂キカ】


 暁の光が、砂の一粒一粒を照らしていた。
 砂上に立つ円形の木屋達にも、その恵みは注がれて、黒い屋根の上に茜の色を滲ませている。 木屋の入り口に渡された布を挙げて、人々が出ていく。三々五々、彼らは歩を進め自宅への帰路に着いた。帰路、といっても彼らの家は近い。大道を挟んだ集落と集落の間程度だ。手に手に籠や樽を抱え、時に語らいながら道を渡っている。身につける黒衣の裾が緩やかに揺れていた。砂地に落ちる影が全てを模していた。道の向こうから、羊たちの鳴き交わす声が聞こえてくる。
 そんな中、より一際大きな木屋の入り口が上がった。頭を出したのは13、4程の少女だった。目を上げ、西の地に消える闇の半月を捕らえる。時間を計るかのように目を伏せた後、布を上げて、するりと抜け出した。小さい影がまた一つ生まれた。
 途端に、砂の上を歩く微かな音が耳に入る。少女の顔に微笑が浮かぶ。人間以外の生き物の吐息が、そこに生まれた。
「ナジ。」
 近づいてきたのは灰銀色をした子供の駱馬だった。長い睫の下から少女を見上げ、後ろ足の蹄で砂を蹴っている。笑みを残したまま、少女はその背中を撫でる。申し訳程度に毛の生える立った耳に唇を近づけた。
「おとなしくしていた?退屈だったの?」
 返って来たのは、ぶし、という鼻息だった。友達が安楽な状態でいる証拠だ。「行こうか。」
 手綱を引くと、小さいながらもどしりとした前足を踏ん張り彼女をまた見上げる。脇に置いた荷物の方へと頭を向けた。
 荒縄で丁寧に荷造りされたそれは反物だった。黒の布に、紫紅色で華の乱舞が織り込まれている。赤の糸で織り入れた上に、重ねて外線を同色の糸で補強していた。匂いたつような甘やかさが漂う作品だった。
「有り難う、ナジ。いいよ。マラーイカは持てるから。」
 駱馬の背中を撫で、紐を取る。荷物は無造作に頭の上に上げ、中央の巨石の方向へと歩きだした。
 道歩く人々の中では、一回り小さな外見だった。頭布で飾られた黒髪は、暁の光に僅かに熱を持っている。薄い琥珀の眼は淡い光で染まっていた。
 集落の中央には巨大な岩がある。脇に有る黒布に覆われた建物たちはその半分程度の大きさだ。雨に叩かれ、風の手に撫でられ、緩やかな曲線と厳しい石突の融合した一枚岩だった。暁の光の元、皆一色に溶け合っているように見えるが、それだけは琥珀色に見えた。ちょうど中央部、手で裂かれたような痕がある。
 マラーイカは息を呑んだ。黒布に覆われた神殿の下に、明かに邑のものとは別物の隊商が留められている。背に布荷を置かれたしなやかな馬たちが、しずやかに息を吐き出していた。運ばれる空気は異邑のものだ。異邑ではない、もっと遠くの。
 ナジの背が逆立つ。鬣の中の砂塵が零れ落ちた。旅の末に研がれた精悍な体躯を持つ馬たちは、微塵に反応を見せなかった。
 そこは神殿だった。小さな聖域だ。
 ナジを陰へ連れて行った後、布を上げる。さら、と垂布が鳴った。
 遠くの場所に、インダラ神殿守護役のリヤド・アッシャーヴと司祭のシーラーズ・ナチーがそこにいる。闇色と黄金で色分けされた神官衣と戦士衣を着けている。共に、神殿を支える二柱だった。本殿へ続く巨大な扉に凭れるようにし声を交わしている。 微かに空気の小さな塊を吸い込む。マラーイカは下履きを脱ぎ、石床を踏んだ。ひたり、と小さな音が生まれた。
 琥珀の視線が少女に集まった。共に、インダラの子供の名の元に勇猛な戦士である。共に、冷たい泉のような穏やかさを秘めた視線だ。
「マラーイカ嬢。」
「リヤド様、シーラーズ様。」
 外界よりも数刻早く夜が訪れる神殿の中、声さえどこかへ吸われている。
「兄君たちに続き、ティアレ師を探す隊の選抜をされているのですね。」
「そうですが。」
 神経質そうな大きな瞳がきらめいた。
「私も行きとうございます。」
 サイダバード邑が『呪われた砂漠』バウ砂漠への移住を決定して一年。一つの方向性を示していた。砂漠の民が砂漠の中に戻るのは、種子が土の中に戻る如き正しきものなのかもしれない。しかし、空気を飛び回る時期が長すぎた。
 バウ砂漠の手のひらに包まれるようにして、バーミヤの遺跡がある。砂漠が先に生まれたのか、遺跡が先に生まれたのか真相は黄金の砂の煙の中で。新たな住かとして、遺跡の一画を分与されないか。
 バーミヤ遺跡の管理者は、ナーラダ人のティアレ・ラコルル師だった。
「マアリ嬢。」
 返って来た返事は溜め息に似ていた。シーラーズは組んだ腕を解く。サイダバード邑の民として、敬意を示される術を全て兼ね備えた人間の一人だった。
「そなたはまだ成人には満たない。…幼い身であすこに行くのは危険だ。例え隊列の一人でも。分かっているだろう?」
「分かっております。幾つものいくさ、ディヤウス大神殿の建設…。いくさだけを求める者も生まれていること。」
「シーラーズ」
 分かっていた。ナーラダの土地は、ディヤウスや天界の神王の意志が、地下水のように大きく働く地域だ。そして、伝え聞く地を散らす覇者たち。ナグモの言っていることは半分位は理解できなかった。別の倫理を持ちこもうとしているようだが、その倫理自体何を求めようとしているか読めない。…壊すだけ壊して、人は生き続けるものだということを知らないようだ。 マラーイカは唇を噛んだ。琥珀の瞳は光を失わない。そこに孕まれたのは、苛立ちか真摯な情か。子供が大人に対抗するのは想いしかない。
 布で覆われた神殿の中には、既に夜が産まれていた。内から芽生える闇がある。強く焚火の匂いが漂ってきた。護摩檀の炎だ。
 シーラーズは息を吐き出した。脇に置かれていた木箱の蓋を開く。その中には袋が丁寧に並べられていた。
「見よ、お前の作った織物、衣装。蜘蛛会の幹部役にも高う売れている」
 小さな袋を握らせる。粒の堅く密度の高い感覚がマラーイカの手のひらに落ちる。彼女は眉を寄せた。
「おまえの勤めがこうして形となっているのだ。…嫌な顔をするのではない。その幼さで、おまえはこうして恵みを得た。自分の力でだ。どうしてそれを認めない?」
 静やかな声が石の空間に響いた。それは空間と同化しているように揺るぎはしかった。例え彼女が、現インダラ司祭の直系の妹でも。
 そこは血筋や職業よりも、己の手の内に包んだ経験、創り出した結果がものを言う世界だった。
 少女は目を伏せなかった。褐色の唇から言葉が紡がれる。
「それは拘わりのないこと。私は、行きとうございます。」

「困ったものである。」
 シーラーズの言葉はため息に塗れている。腕の中の子供にそれは感染しなかったようだ。
 購入したばかりの茶に乳を交ぜた飲み物は濃い匂いを発していた。
 インダラ神殿守護役のリヤド・アッシャーヴは微笑した。
「マラーイカ嬢にとって、布を織ることは自分の一分なのですよ。息をしていることと同じこと。−呼吸を夢見る人間がどこにいる?」
「…まぁな。しかし、誇っても良いものを。」
「シーラーズは幸運な方です。己の手の内のものと己の求めるものが一緒です。それ故強くいられるのですよ。」
「…そうなのか。」
 子供を抱えたまま淡い応答をする。
「しかし、マアリ姫は幼い。」
「その通り。」
「例えば、ウォウル国王に両伏する『剣牙の金狐、鬼呼の緋禽』は共に15か16かの童子だが。」
「…彼らは特別な存在です。」
 黒木を組み、花を散らした模様の織り機を見、ナチーは小さな嘆息を漏らした。あと僅かで、それは大人用のものに作り替えられ。より見事な織物を創造させる道具となっただろう。
「…お邪魔してよろしいですかね?」
 掠れ目の低い声が、二人の間に飛び込んだ。
視線を合わせ、扉へ向ける。そこには、微笑を浮かべた男が立っていた。
 干潟の海草のような髪に簪を突っ込みどうに纏めている。零れた髪が幾筋か、インダラの頚血の灯りに揺れていた。サイダバードとは明かに違う容貌の上、顎には不精髭がちらほらしていた。
「拝謁は終わりましたよ。」
「いつもながら、そちの敬拝は早いな。」
「しょうがないでしょう。元々ディヤウスとは違うんです。」
 口を広げた笑いを見せつつ、彼は呟いた。声は甘やかささえ漂わせる低音で。猫が笑うとこんな感じだろうか。黒豹と呼ばれるあのひととも違う。リヤドの思念に不思議な感傷が飛び込んだ。
 確か、笑い猫という伝説が、ツァンの辺りにあったか。
 濃緑の下衣と、上着は漆黒。腰の垂れた布の辺りに、龍の指が宝珠を掴む紋が描かれていた。細鎖が帯の変わりをしている。
「話は聞きましたよ。姫は、ああ、着替えに行かれましたか。」
 マラーイカは娘の礼服を来て、腰を下ろしている。膝の上に手を重ね、人々を人々が作る三角の中心部に据えていた。菫色の下衣の上に、黒の羽織りを重ねていた。
 夕食の刻の後。セレネは既に軌道を描いて、集落の上を見下ろしている。
「わたしとて。皆様の役に立ちたいのです。邑に籠もり、蜘蛛のように糸をより続けるだけなど…お願い致します。ラコルル師を探す手伝いをさせてください。」
「マアリ、既にラコルル師はナザフが探しに行っている。」
「兄君の、どんなお手伝いでも…。」
 豊かな声はインダラ司祭の長姉だ。
「兄君は帰っておらぬ。手紙もない。」
 唇が僅かに開かれた。指が堅く綴じられる。
「変革の時代は、そのようなものだ。我らはその車輪の中心に行ってしもうたのだよ。」
 柔らかい声が伝わる。強いシーラーズのものに比べて、それはあくまで穏やかだった。年若さか、血筋の親しみか。でも、押されてはならない。
「ちょっと待ってくださいよ」
 また、低い声が場を破った。隅で茶をすすっていた男。名はルイセルク・エリシュという。彼は微妙な笑みを浮かべながら、一つ呟いた。
「マラーイカ姫の味方をしてもいいですかね?」

完…ごめんなさい。時間とページ数が強烈に足りなかったです。本当はこの倍ありました。その上、時間も無かったです。小説を短期間に書けるとふんだ私がバカでした。本当に申し訳ありません。何が言いたいのか分からないですね。

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