会誌-「サークル水月会誌 第9回」
|
|
■ 追憶の情景 【作者:浅葱 翔】 その夜の闇は深く、月の明かりも雲に隠れて地上には届かなかった。 静かな夜の街、時に鳴く音がこだまする。それが一層、不気味な静けさを増幅させる。木々が騒ぐのに、気付く人間もいない。敏感な鳥が羽音をたて飛び立った。 屋根を伝う黒い影の集団は闇に紛れ、溶け込んではその姿は消える。 黒い塊が去った跡を辿るように、黒装束に身を包んだ彼は走った。別行動を取っていたために一人遅れたのだ。息も乱さず、口元だけ笑みを浮かべる余格。屋根が途切れたため、広く整備された街道に降り立った。その時、ぼんやりとした白い影が、再び走りだそうとした後の眼の端に映った。微妙にその表情が鋭く変化する。 流れる雲の切れ目から月が覗く。僅かな隙間から這い出た月光が、彼の行く手を阻んだ。白く浮かび上がるシルエット。 ……女? 空間を支配するような銀色の長く波打つ髪。白い肌。掘らめく純白のドレスから、僅かに覗く裸足。月の光を反射し、好戦的な銀紫に輝く瞳。目を奪われた一瞬の隙に、女は動いた。白く伸びた腕が、彼の腕を捕え、捩じりあげる。肩に激痛が走った。 視線が交わされる。月明かりが一瞬の会合を許した。 反射的に彼はその白い腕を掴み返し、肢体ごと投げ飛ばす。 闇に散る鮮やかなまでの銀の光。 振り返ることは出来なかった。 【一番最初の偶然もしくは予兆】 何を想って泣いていたかは、今となってはもう思い出せない。ただ、とても晴れた日で、頭が朦朧とするくらい暑かったことははっきりと覚えている。ただ、このユディトでそんなに暑いなどということはありえないから、きっと錯覚だったのだとは思う。 ティン・トレストはその時、4才だった。 ユディトの邑北の端、海に近い丘の上にその廃虚は在った。いつの時代のものかはわからない。幾年月、潮風にさらされていたのだろう、風化した瓦礫の山と化していた。原形をとどめているものなど一つとして見当らない。西には海、南には森林が、うまく日常の喧騒からこの廃虚を隠してくれていた。 滅多に人の来ない場所だった。 トレストは一人、太陽に向かって瓦礫の上に座っていた。後ろの柱だったらしき物に背を預けて、朝からずっと、こうして太陽を挑めている。 風はなく、一つにたばねられた銀の髪は、重力に逆らうことなくその背に流れていた。 ここに釆ると太陽を近く感じるのだ。 トレストはこの場所が好きだった。 邑の中に在るとはいえ、子供の足でここまで来るのはかなり苦労する。ましてや、トレストの家は、どちらかというと南東寄りに位置する。大人の足でも30分はかかる距離だった。だからこそ、見つかって連れ戻される心配も無い。 そのアメジストの瞳に溢れる涙は太陽の光を反射し、頬を伝う。拭おうともせず、流れるままに任せていた。 時間が緩やかに動く。 そうして半刻ばかり過ぎた。 太陽はほぼ真上、近づいてきたその人の影はトレストを覆うことは無く、それでなくともトレストの眼は涙で視界がはっきりしない。気づくのに多少の時間が必要だった。 幻覚だと思った。声を掛けられてさえ、幻聴ではないかと疑った。それほどトレストの感覚は麻痺していた。 「おい。おいっつてんだろ、お前の耳は飾りもんか。人が御丁寧に口きいてやってんだから、返事ぐれーしろ。」 人が居ると、認識した途端に乱暴な言葉と足蹴りがトレストを見舞った。無茶苦茶である。 黒髪に、黒い目。ナルスだ。 着ている服の所為で全体的に黒い印象だった。青年の意志の強い光を放つ眼と、ぼやけていた焦点が合う。険のある瞳。今まで出会ったことのない眼だった。 「なーに泣いてんだ。辛気くせーガキだな。どーせママにでも叱れていじけてるんだろ。さっさとお家に帰りな。ガキはガキらしくお庭でおままごとでもしてろ。」 ようやく涙を止めたトレストは、あまりの言われように頬を膨らます。 「私はガキではないし、叱られて泣いているのでもない。」 「ふーん。」 口答えされたことが気に入らないのか、その青年は不機嫌な顔でトレストを見下ろした。負けるかとばかりに、トレストは青年を見上げる。 「一人前にしゃべれるんじゃないか。お前、名前は?」 「人に名を尋ねるときは、まず自分から名乗るものだ。」 この瞬間、もしこの場に誰か他の良識ある人が居たならば、即座にトレストを抱えて逃げ出したくなるような、緊張感が漂った。 この空気の原因を作り出したその青年は、満面の笑みを浮かべると、無言でトレストの座っていた石を蹴りつけた。 「ぅわっ!」 瓦礫が崩れる。と、安定を失ったトレストは不格好に横転した。 起き上がって見ると、青年は屈んでトレストの目線に高さを合わせて、にっこり笑っていた。しかし眼は険悪な光を放っている。 「で、お名前は?」 再度質問されても、トレストは固く口を閉ざし青年を睨んだ。かなり腹が立っている。絶対に答えないぞという意志表示だった。 「………………お前、いい度胸だな。」 しばらく睨み合った後、青年はやってられないとばかりに立ち上がった。 「こんなとこでガキのお守してる暇じゃなかった。おい、ガキ。今度会うときや名前ぐれえ言えるようにしとくんだな。」 「ガキじゃないと言っている。」 「分かったよ、ガキ。じゃな。」 絶対に、わざとガキを連発している。嫌がらせ以外のなにものでもない。トレストはますますむくれながら、去っていく青年の後ろ姿を見送った。 涙は何処かに消えていた。 【原因と始まりと】 ああ……また、だ。 トレストはその夜も、陶器の割れる音と両親の怒鳴り声を子守歌にして、眠りにつかねばならなかった。 頻繁に繰り返される夫婦喧嘩。たいした原因はなく、すぐ治まる。無意味なことと二人とも判っていて、繰り返すのだから。 トレストにはそんな両親のことが理解出来なかった。トレストにとってはどちらも大事だし、両親に愛されているという自覚もあったから、二人が争う理由が判らなかった。 耳を塞ぎ、なるべく何も考えないように身体を丸める。そうして、いつものように、トレストは眠りの渦に飲み込まれていった。 【ティン・ミーシェ、運命の夜】 その夜の闇は深く、月の明かりも雲に隠れて地上には届かなかった。 静かな夜の街、時に鳴く音がこだまする。それが一層、不気味な静けさを増幅させる。木々が騒ぐのに、気付く人間もいない。敏感な鳥が羽音をたて飛び立った。 家を飛び出して来てしまったミーシェは、裸足のまま行くあても無く街を彷担っていた。今まで、夫婦喧嘩をしてもそれなりに収まっていた。家を出てしまったのは初めてだ。 このまま消えてしまおうか。 考えた途端、自分の息子、トレストの表情が脳裏に浮かぶ。愛しい我が子。 ふと、空を見上げた。 流れる雲の切れ目から月が覗く。僅かな隙間から這い出た月光が、ミーシェを導いた。 一刻ほど後にティン・ベイツァに連れ戻されたミーシェには、擦傷が所々にみられた。その表情は青ざめてはいたが、その傷以外では別段変わった様子も無く、ただ、何があったのかは誰にも言うことは無かった。その為、この夜、ミーシェの身に起こったことをトレストは知らない。翌朝には、母はいつもと同じ笑顔で、トレストを起こしに来たのだから。 【補足として】 トレストにとっても、ミーシェにとっても、長い一夜が明けた。 その朝、ユディトでも指折りの大富豪商人ウィダ家から、約100万粒が盗まれていたことが発覚したため、邑中が騒然となった。 「ちょっと、奥様聞きましたあ?」 「聞いたわよお、お気の毒にあそこの奥様寝込んじゃってえ。」 「大変だわよねえ。うちも気をつけなくっちゃ。安心して寝られないわよねえ。」 「うちもちょっと旦那と相談して警備増やそうかしらあ。でもそっちの警備員の方がお金かかったら意味ないわよねえ。」 「いやだわ。そんな厳重にしてたら怖くって私遊びに行けないじゃないの。やーね、奥様ったら。」 「あらやだ、私ったら。」 高らかな奥様方の笑い声が響く。 穏やかな昼下がり、トゥー族の特性か、盗賊が入ろうとユディト邑は平和だった。 邑ではとりあえず、戸締まりを呼かけ、各家に警戒を怠らないように注意すると共に、軍の者に邑内外の見回りを命じた。 そんなことをしなくとも、しっかり者の奥様方は自分の家だけは守ろうとするだろう。それ以降、番犬を飼う家が増えたことは確かだ。 【なんの因果か】 「名前、言えるようにしてきたか?ガキ。」 まさか、また会うとは思わなかった。会いたくもなかったのだし。なぜ居るのだ。此処に。 ユディト邑最北の廃虚。 トレストがそこに辿り着いたときには先客がいて、しかもそれは先日会ったナルスの青年であった。トレストが何時も此処に来ると座っていた瓦礫の上に、彼は座っていた。 「………そちらから名乗るべきだと、言ったはずだ。」 これではまた堂々巡りであるが、他に言葉を探そうにも友好的らしきものは見つからなかった。 「ほんっとにむかつくガキだな。」 青年は、お手あげとばかりに笑った。 「俺は、ガセラだ。覚えておけ。」 名乗って、笑い続けた。妙に機嫌が良いらしい。 トレストは、青年が何を笑っているのかがわからず、仏頂面のまま突っ立っていた。それでも自分だけ意地を張るのも妙に気恥ずかしくなったので、仕方なく名前を教えた。 「それじゃあ、トレスト。ここに座れ。」 命令口調の青年の言葉に反感を抱かないでもなかったが、トレストは言われた通り青年の右隣に座った。 何か話があるのかとも思ったのだが、青年は口を開かなかった。居心地が悪い。トレストは、遠くにやっていた視線を青年の方に向ける。何を見ているのか、青年は雲が流れる空の一点を注視していた。切り出すのには勇気が要ったが、好奇心が意地に勝った。 「……怪我…しているのか?」 実は先程から気になっていたことをトレストはやっと口にする。黒い粗雑な衣服から伸びた、やや日に焼けた青年の右腕。そのつけ根が変色して腫れ上がっているのだ。その言葉で、青年は思い出したかのように自分の右肩を見遣った。 「お?ああ、たいしたことねえ!……って、っにすんだこのガキ!」 トレストがその変色した部分を何げなく叩くと、青年は言葉と同時に容赦なく頭に蹴りを見舞った。トレストは後ろに吹っ飛ばされた。素早く起き上がったトレストはもう喧嘩腰だった。 「何する!」 「ふざけんな。それはこっちのセリフだ。」 それから乱闘となった。と言っても、トレストが一方的に向かって行って蹴られ殴られただけなのだが、青年の方も大人げ無くかなり容赦無い。力の差は両者の年齢と体格を考えれば当たり前で、その当たり前の事をトレストは初めて痛感した。しかし、そうやって本気で相手をしてくれることで、トレストは少しばかり気が晴れた。 何故か、無性に笑いたくなって困った。 【あらゆる変化の前触】 トレストが泥だらけ痣だらけ傷だらけで家に帰ると、出迎えたのは、何時もの明るい弾むような歌声ではなかった。 ミーシェの透き通るような歌声は空気を震わせ、響く。聴き惚れてしまうとその真意を見失う。心ここに在らずといった風情で、紡ぎ出されるその意味。 母上は、一体誰のことを思って歌っているのだろう。 少なくともトレストはこのような母の歌を聴いたことは無かった。何もせずにぼんやりと歌っている姿というのも、目にしたことは無かった。記憶にある限り、これまで一度も。 歌が途切れたとこるで、トレストは口を開く。 「母上………。」 「あら、トレスト。お帰りなさい。」 普段と何も変わらない笑顔で、母は息子を抱き締めた。 何も…変わらない。 「母上、痛いんですけど……。」 トレストは満身創痍だったので、母の包容はちょっときつかった。 「……あら、何したの?」 「いや、ちょっと……。ころんで。」 「言い訳するならバレない嘘をつきなさいって、いつも言っているでしょう。後で聞いてあげるから、着替えてらっしゃい。おやつ用意してるわ。」 楽しそうな様子の母の言葉に、反論も出来ない。後で、何をどう説明すれば良いのか。 喧嘩した程度の話で、ミーシェが怒ることは無い。それどころかミーシェは、このおとなしい息子をわざわざけしかけるような母親だった。だから、服を汚しただの、怪我しただの、悪い友達が出来ただので、トレストが怒られる心配は全く無い。あの青年のことを話せば、むしろ、面白がって喜ぶに違いなかった。 けれど、本当のことを話して良いものか、迷っていた。嘘をつけばすぐ見破られてしまうのは、判りきったことではあったのだが。 困惑しながらも、トレストは素直に、着替えに自分の部屋に向かうしかなかった。 部屋に入り扉を閉めて、そのまま扉により掛かり溜め息をつく。意識は数時間前の出来事に向いていた。結びつくはずもないことが、不思議にもトレストの中で不安を誘発させている。最後に聞いた、ガセラという青年の独り言のような言葉が引っ掛かっていた。母には言うつもりはない。話してはいけないような気がした。 ────なんっか、やっぱりどっか似てんだよな───── 終了。 【悪あがき】 勢いのみで書いちゃいました。見苦しいところは見逃してください。趣味に突っ走っていても(笑)。トレスト、性格から言葉遣いも何もかも違う。ウソって言わないで(笑)。そういう設定なんだから。 おてうちにして様、正真正銘シエルとトレストはミーシェの子供で血はつながってますので。じゃないと、トレストの出生がかなり不幸になってしまう。これ以上泥沼化したくないです。いや、つながってるからこそ泥沼なのか(笑)。 今更だけど、私的に、トレストのシエルに対する感情は、愛ではあるけど、恋ではないつもり。もしくは見せかけのLoveとか。特別であることには変わり無いんだけど、肉親だから。禁忌犯す気はないです。トレストは、誤解を受けやすいばかりか、その誤解を解こうともしないために、誤解のみが独り歩きして、更なる誤解を引き起こす、って性格。というのは、私大好きな設定なんだけ ど、こういう性格は膨大なお話を作らないとただのアホで終わっちやうんだよな(涙々)。 ガセラの最期は、妻(ミーシェ)と子供(シエル)を庇い、元夫(ベイツァ)が送った刺客に殺される。そう、シエルにしてみれば、トレストの父親は父の敵ということになるな。こんな美しくもどろどろで暗い話は書く気力ないんで、結果だけ。 |
| ■ 前のページに戻る |