会誌-「サークル水月会誌 第7回」

■ まつりの前に─レスフィーナの人々─  【作者:とむ】


「お別れね、シリル」
 人々が集まるその中に、シルキーヌとシリルはいた。ウォウルの港には、ナーガ神殿の船が係留されている。
「ああ。ウォウルでの私たちの役割は終わった」
「これから、どうするの?」
「まだリューンと戦う意志を持つスィスニア難民がいる。彼らを率いて、東へ向かう」
「そう」
 シルキーヌは戦いの後、荒れて止まぬ湖へ。シリルは同盟の名の下に、結ばれつつある東の邑へ。道も違っていれば、目的も異なっていた。
 シルキーヌは、湖賊で乱れるセルファニア湖を憂いた。スィスニア難民に限らず、戦争を嫌うナーラダ人の思いを汲んだ。新天地を目指し、そこにナーガ神殿を建てよう。安息を求める人々のために。
 シリルは、いまだリューン憎しと、打倒を望むスィスニア人をまとめねばならなかった。先のスィスニアの代弁者として。だが、それはシルキーヌと道を違えることを意味する。彼らを、シルキーヌの下に置いておくわけにはいかなかった。
「元気でね。……そうだ、これを」
 シルキーヌは御守りを取り出すと、シリルの首に掛けた。
「ありがとう。シルキーヌも、身体に気をつけて」
 それが、二人の別れだった。

 セルファニア湖の戦いの爪痕は大きかった。貿易の広場であったセルファニア湖には、軍から離脱した無法者たちが湖賊と化して商船を襲うようになった。湖に近隣する諸邑は「これでは商売にならない」とばかりに取り締まりにかかった。ところが、凛とした統制のとれないままのそれは、混乱という火に油を注ぐようなものであった。特に、ナーラダにおいてきわめて関係の悪化したウォウルとスィスニア、イレーヌによるものは、湖賊を排除するどころか、敵の船あらば無用な小競り合いをしてしまい、成果を上げることができなかった。
 この惨状に心を痛めたルシャナ・シルキーヌは、諸邑の水上管理能力の欠如と、湖賊の被害に悩まされている昇竜会の協力を得て、中立の立場で湖上の秩序回復に乗り出した。北セルファニア湖中心の半島にナーガ神殿を築き、そこを拠点とした。これが、レスフィーナの起こりである。その名は、かの地に残されている伝説をもとに付けられた。
 まずは、港と灯台が建設された。港は、大きな船でも座礁することなく、かつ効率よく接岸できるように工夫された。灯台は、後の世に名建築物の一つといわれる、レスフィーナ灯台が建設された。名建築物たるゆえんは、その実用性と芸術性もさることながら、短い工期にも関わらず耐久性に富み、この時代としては驚くべきほどの高さを備えていたからである。これは、シルキーヌが邑宰だった当時から学問を奨励し、保護した成果であった。なぜなら、この設計者と施工者はスィスニアで学び戦災を逃れてきた、ある若者だったからである。
 港が作られると、治安回復を目的としたナーガ神殿船と昇竜会の武装商船が来港するようになった。神殿と港、灯台を造った人々は、そのまま補給基地として役割を整えるため、そのための建物の建設に取りかかった。補給物資が、昇竜会の商船で運ばれるようになった。ナーガ神殿船と昇竜会の武装商船は、シルキーヌの指揮により統制のとれたすばらしい働きを見せ、湖賊を駆逐し諸邑の狼藉船を戒め、商船を保護した。事実上、湖の制域権はレスフィーナのものとなり、諸邑はその管理の下で領域を主張せざるを得なかった。それというのも、湖上を管理する余力もなく、諸邑の利益をレスフィーナが侵すこともなかったからである。
 ほぼ役割を果たし、湖上の治安保持のためだけにレスフィーナが存続するように思われたが、そのうち昇竜会のほかにアヴィーナからスィスニアへ向かうナルスの商船も、補給のため寄港するようになった。商人が下船すると、商売がはじまった。商人のほか、スィスニア難民やスウィズ難民が集まり、住むようになった。そのための建物が造られた。こうして、都市としてのレスフィーナが形成された。
 レスフィーナが大きくなると、商人たちの交易の中心的な中継点となった。辺境であったレスフィーナの地が、世界の中心になっていくという感覚を、住民が等しく共有した。人々が訪れ、去っていく地。しだいに、品物や情報を求めて、旅人や冒険者が集うようになった。戦乱の渦中にある諸邑にいたたまれなくなった学識者や技術者も亡命してきた。レスフィーナは、商人と難民、冒険者の集う都市として、その名を広めることになる。

 レスフィーナのナーガ神殿、その中のとある一室では、シルキーヌが一人書簡に目を通していた。レスフィーナは、都市として機能しはじめた。セルファニア湖を管理する人物も決めてある。もう、この都は彼女の手を必要としないだろう。それに、彼女にはまだすべきことが、レスフィーナの外にも残されている。そろそろ旅立ちの時であった。
 そこに、扉がコンコン、という音を奏でた。シルキーヌは書簡を置き、居住まいを正す。どのような相手であっても、失礼のないように。
「どうぞ」
 現れたのは、初老のナーラダ人であった。厳めしい顔立ちに、黒を基調とした服に包まれた巨躯は、迫力がある。彼の名は、ケトゥ・タスタントという。ルシャナ家に仕える執事で、シルキーヌが幼少のみぎりより世話をしている。家族も同然の人物であった。
「お嬢様。件の影武者が、着任の挨拶に参っております」
 豊かな低音で響くその声は、聞く者にとっても心地よい。これが、一喝となると鼓膜が悲鳴をあげるほどになる。
「こちらに案内してください」
 とシルキーヌは語りつつ、頬に指を当てて小首を傾げた。少女らしい仕草ではある。
「タスタント」
「何でしょう、お嬢様」
「これから、彼女のことを影武者と呼ぶことを禁じます。皆にもそう伝えてください。わたくしはそういうものを必要としませんし、第一彼女の人格を軽んじているようで失礼です」
「しかし、お嬢様……」
 タスタントは困った顔をした。この乱世を迎えようというときに、貴人として影を用意するのは当然ではないか。まして影など使い捨ての道具に過ぎぬ。お嬢様は時折、人の上に立つ者らしからぬ言動をなさる。彼は機会あるごとにそれをたしなめているのだが、微笑むばかりでなかなか容れてはもらえなかった。
「彼女を選んだ方にも、そう伝えてください。優秀な人物を紹介してくれたことにも感謝する、ともね」
「……かしこまりました。では、彼女をお呼びいたします」
 納得ゆきかねる表情でそう答えると、タスタントはシルキーヌの前を辞した。
 わずかな時をおいて入室してきたのは、シルキーヌよりも4、5歳は若く見える女の子だった。印象的なのは、腰まであるさらさらとした漆黒の髪と、耳元で揺れる黒水晶の耳飾りだ。付け加えていえば、幼い顔立ちと華奢な身体には不釣り合いな豊満な胸が、ナーラダの厚くない衣装越しでは自然と目を惹いてしまう。顔立ちは若々しい美しさがあるものの、どことなく影のある物静かな雰囲気がその良さを殺しているように思える。それが、完璧な芸術品を思わせるシルキーヌと比べると今一歩劣る印象を与えるが、かわいらしさで勝っていた。その表情は、緊張のためなのだろうか、硬かった。
 彼女が入室してくると、シルキーヌは立ち上がって彼女を出迎える。
「シルキーヌ様の身の回りの世話と、身辺の警護を新たに仰せつかりました、キュアティ・テスと申します。直に高貴な方へお仕えするのは初めてのことですので、何かと至らぬ点はあると思いますが、よろしくお願いいたします」
 ぺこりと頭を下げて、すくっと戻る。人形のようなコケティッシュな動きだった。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。わたくしの暮らしは普通の人とそんなに変わらないから、気負わずに仲良くしましょ」
 シルキーヌはテスの両手をとり、優しく包み込む。その動作にも、テスの表情は動かなかったが、瞳には当惑の色が浮かんだ。
「あ……はい、ありがとうございます」
「ま、おかけになってください」
 勧められるまま応接用の椅子に落ち着くと、シルキーヌもテスに向かい合うように腰を下ろす。シルキーヌはさっそく、彼女に期待するものを語りはじめた。
「あなたには、身の回りの世話とか護衛とかよりも、わたくしの話し相手、相談相手になって欲しいのよ。ヴァシュナ・シリルはご存知かしら」
 ヴァシュナ・シリルはシルキーヌがスィスニア邑宰であった当時、邑宰丞として彼女を補佐していた人物だ。現在、スィスニア難民をまとめて東邑同盟にいる。テスとは、浅からぬ縁の持ち主だった。彼女は、シルキーヌが彼の話を持ち出した意図は分からないけれど、そのことを語っておくべきだと思った。
「はい。シリル様は私と気功術法の師を同じくしていて、兄弟子にあたります。修行中は、何かとよくしていただきましたし、特務部隊においても、いろいろと気にかけてくださいました。……それが、何か」
「いえね、彼が忙しくなって、わたくしの周りも淋しくなったからあなたを呼んだ、というのが本音なの。だから、あなたにはいろいろと話したり聞いたりするけど、辟易せずに付き合ってくださいね」
「そんな、辟易だなんて……逆に私でよろしいのでしょうか」
「そんな気負っちゃだめ。ね、友達として、仲良くしましょ」
「あ、はい。そのようなことをおっしゃっていただけで、光栄です」
「う〜ん、まだ硬いけど、最初だからこんなところかな。わたくしは、まだ仕事が残っているから、今後のことは明日お話します。お疲れさま、今日は帰宅していいですよ」
 その言葉に、テスはすくっと立ち上がった。シルキーヌは、彼女のそんな動作を眺めていたのだが、思い出したように問いかけた。
「ところで、お兄様は元気にしていらっしゃるかしら」
 その言葉に、はじめてテスの表情が動いた。少し驚いて、すぐに羞恥で頬が赤く染まった。彼女の兄キュアティ・イクシオは、ウォウルのナーガ神殿において間違ってシルキーヌに抱きついてしまった、という大事件を起こしている。
「その節は、愚兄が大変失礼なことをいたしました。代わってお詫び申し上げます」
 ぺこっと、今度は深々と頭を下げる彼女に、シルキーヌは微笑んだ。
「ごめんなさい、別に責めているわけではないのよ。怒ってもいませんし。ただ、あの勉強熱心なお兄様が今どうなさっているのか、懐かしさもあって気になったものだから」
「兄は……兄は、ここで働いております」
「え、レスフィーナに来てるの?」
「はい、こちらへの転属を希望したそうです」
「このさほど広くない神殿の中で、今まで会ったことがないというのも、変な話ね」
「おそらく兄は、シルキーヌ様に合わせる顔がないと思い、避けているのではないでしょうか」
 シルキーヌはポン、と手を叩いて、得心のいった表情をした。
「なるほど、確かに彼の考えそうなことね。そういう人には、仕事を与えていじわるしなくっちゃ」
 ふふふ、と今度はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「シルキーヌ様?……」
「え、やっぱり、そういうことしちゃ問題あるかな?」
「いえ、失礼ながら、シルキーヌ様は私が思っていたよりも……その、親しみやすい方で、意外だったものですから」
「それはよかった。わたくしだって普通の女の子……女の子というには、ちょっと老けちゃったかな……女性なのよ。ね?」
「えと、私も嬉しいです、シルキーヌ様に仕えることができて。それに、兄には仕事を増やして怠け癖を直していただけると、さらに嬉しいです」
 テスはこのときはじめて笑顔を見せた。年相応の女の子らしい笑顔だった。
「ふふ、じゃ、そう手配しましょ。長いこと引き止めてごめんなさい」
「いえ、私こそ長居をしてしまって……失礼いたします」
 彼女が退出すると、シルキーヌは大きく息をついた。時間を置かず、タスタントが姿を現す。
「お嬢様、今のあの言動は、お人柄が変わってしまわれたようですな」
「立ち聞きしていたの?」
 シルキーヌは苦笑するも、タスタントの厳しい顔つきが崩れることはなかった。
「仮にも部下の前で、あのような所作をなされては困ります。もっと威厳をもって接していただかないと。それに、普段のお嬢様の振る舞いとどこか異なっていて、わたくしめはそれが驚きを禁じ得ないのですが」
「いいのよ、あれで」
「は?」
「わたくしは、あれでいいの」
 二言目は、誰に言うことはない小さなつぶやきにも似て、彼女自身に言い聞かせているかのようであった。

 ウォウルのナーガ神殿にいた頃、シルキーヌとシリルは珍しく声を荒げたことがある。
「あんな年端もいかない女の子を特務部隊に配属させるなんて、どういうつもりなの?」
 シルキーヌの声と表情は普段のままだが、瞳には険しい雰囲気を漂わせていた。
「彼女は、私の師匠が見いだして驚いたほど、類い希なる仙骨を持った優秀な道士だ。若いに似ずしっかりした考え方をする賢い娘だし、第一彼女が志願したんだ」
「シリル、そうじゃない、そうじゃないのよ」
 シルキーヌはかぶりを振った。
「若い娘さんが、時には人殺しをするなんて間違ってるでしょ?」
「君は、性別や年齢で人を差別するというのか? ましてこの非常時に」
「差別とか、そういうことではないの。彼女はまだ大人でなくて、特務部隊の仕事がいかに人格の形成に悪影響を与えるか、計り知れないわ。自己の経験に基づいて、確固とした考え方や信念がある大人とは、根本的に違うのよ。いくら大人びていても、子供には経験と自己を確立する時間が必要なの。その大切な時期に、そんなことをさせてはいけないことくらい、分かるでしょ? 非常時ならなおさら、平和になったときのことを考えるべきだと思うの」
「でも、彼女のような優秀な人材は、組織を守るために必要だし、組織が守られてこそ彼女も安心して暮らせるんじゃないか。それを他人の手にゆだねるようなことを、彼女が許すだろうか」
「実際、組織なんでどうでも良いのよ。所詮、人間が生きるための方便じゃない。潰れようが興ろうが、よほどまずくなければ誰がどう治めようがたいした違いはないわ。それに不満なら、良くしようと努力したり、それに従わない違う生き方もできる。だいだい、わたくし達が戦っている舞台なんて、せいぜい誰がどう治めた程度の次元でしかないんだもの。そう思ったから、わたくしはスィスニアをリューンに渡したの。もっとも、第一の理由は祖母の遺言を守っただけだけど」
「そうだとしても、彼女は特務部隊に選ばれたことをとても喜び、誇りとしているんだ。それを特に落ち度があるわけでもなし、除隊させる理由が私には思いつかない。それに、彼女の属している第二大隊は種族融和のための試験的な意味合いもある。彼女みたいな人材が属していてこそ、意味があると信じている」
 結局、その日の会話は平行線のまま、後も語り合われることがなかった。もちろんどの歴史家も、このような考え方をするシルキーヌやシリルを知らないから、これが歴史の一片として記されなかった。もし知ったとしても、後の世の出来の悪い創作として一笑に付されるのが落ちであろう。それほど、後世に伝えられた印象と異なる喧嘩であった。

 思ったよりも早く面談が済んでしまったテスは、時間を持て余してしまったので、ナーガ神殿の中庭を見せてもらうことにした。
 彼女は、司祭でもなければ神官でもなく、ただの特務部隊員にすぎなかった。その部隊が組みするところは、スィスニアという呪縛を解かれ、財団が解体した今となっては不明瞭だった。あえていうならばシルキーヌの、といったところであろうか。
 特務部隊は、本来の任務に戻りつつあった。ルシャナ家を守り、各地の情報を集め、昇竜会を助ける。もともと、ルシャナ家の私兵集団がスィスニアにおいて合法的に振る舞っていたに過ぎないのだから、彼女がスィスニア難民と離別すればそれは当然の結果であった。
 テスは、気功術法の腕を見込まれて、その中にあった。
「あの石は、何かしら?」
 中庭は、半分できかけであった。一面に芝生が敷き詰められ、北側には人の丈ほどもある細長い石が立っていた。南側では、水路の工事が完成して水の安定供給がなされた祝いに、噴水の建設が進んでいる。
 彼女はその石に歩み寄って、しげしげと眺めた。立派な石だ。
「おねえちゃん、どうしたの?」
 そこに、下の方から声が掛かる。視線をそちらに移すと、六歳くらいの男の子と、それより二、三歳年下の女の子が手をつないでいた。話しかけてきたのは男の子の方だ。
「この石は何かな? と思って」
「これはね、ここをひらいたときにでてきたいしだって」
「開いたときに?……ああ、なるほど」
 テスにはその説明で何となく分かった。おそらく、この地にナーガ神殿を建てるために土地を整えていたときに出てきた石で、立派なのでオブジェとして置いたのだろう。
「君たちは兄妹?」
「うん」
「仲いいんだね」
「うん。ふたりだけだから」
 その言い方が、ちょっと引っかかったテスは、何気なく聞き返してみた。
「ふたりだけ?……ご両親は、お仕事?」
「せんそうでしんじゃった」
 戦災孤児だった。ナーガ神殿で引き取られたのだろう。テスは聞き返した自分の迂闊さを後悔した。
「ご、ごめんなさい」
「みんなそういうけど、べつにきにしてないよ。もうなかないって、きめたから」
「……強いんだね」
「うん。つよくなって、こいつのことまもってあげなきゃ」
 といって、男の子は女の子の頭をこつん、と軽く叩いた。女の子は、先ほどから泣きそうな顔をしているが、声は出さなかった。
 テスは、そんな二人に、自分の幼い頃を思い起こしていた。
「こいつ、なきむしだから」
「そう。がんばって、強くなってね」
「うん!……ねえ、おねえちゃん、もうちょっとかお、ちかづけてくれないかな」
 男の子は、不思議そうな瞳で、テスを見上げて両手を広げた。
「顔? いいよ」
 テスが片膝をついて、男の子の手が耳の下、髪の内へ潜り込むのを許す。彼が手に取ったのは、黒水晶の耳飾りだった。それは彼女の両耳に対で身につけられ、整った六角柱状の結晶だった。柱の両端は、揃えたように鋭く尖っていて、その上端と彼女の耳を白金製の金具が繋ぐ単純な飾りだった。よく見れば、その金具に巧みな意匠が施されていることに気づくかもしれない。
「きれいだね」
「ありがとう。これは大切な人から貰った、とても、とても大切なものなの」
「たいせつなひとって……こいびと?」
「残念、正解は兄さんよ。君も妹さんに贈り物をする位の甲斐性を持った、いいお兄さんになってね」
 テスがそう言うと、風の刻の訪れを知らせる鐘の音が鳴り響いた。
「あ、ごはんだ……いかなきゃ」
「うん、またね」
 男の子が女の子の手を引いて走り出すのを、テスは見送った。

 テスは、ナーガ神殿の回廊を歩いていた。ナーガ神殿に来た、もう一つの目的を果たすために。
「あ、かわいい女の子、見〜っけ……って、無視されると、お兄さん悲しいなぁ」
 考え事をしながら歩いていたテスが、その言葉が自分にかけられたものだと知り、無表情に振り返った。
「え、カフレイ様?」
「そう、そのカフレイ様。君は?」
 彼の名はミスキワ・カフレイという。れっきとしたナーラダ人である。外見はお兄さんとおじさんの中間といった、微妙なところであった。現在は水軍を率いて湖賊と戦う提督であり、その戦歴は誉れ高く、スィスニアやレスフィーナでは有名人であった。顔は貴公子然とした二枚目なのに、口を開くととたんに三枚目であることが露見してしまう。毅然と軍を指揮する彼に惹かれる女性は、会話をするとことごとく去っていき、「顔がよくても女にもてない珍しい男」として、一部では別な意味で広く知られていた。
 そんな彼に、テスは困惑気味に返事をする。
「キュアティ・テスと申します、閣下」
「閣下はよしてくれ、どうせ大した兵数を率いているわけでもなし。カフレイでいいよ。ふ〜ん、君がテスちゃんか。何歳?」
 カフレイは品定めでもするかのように、彼女の全身をじろじろ見やった。この視線といい、初対面でいきなり年齢を聞く馴れ馴れしさといい、失礼極まりない奴である。
「今年で数えて十八になります。……あの、カフレイ様?」
 視線に耐えられずテスが疑問の声をあげる。ほどなくして、カフレイの感想が彼の口から漏れた。
「なるほど、顔が十六歳で、身体が二十四歳とくれば、平均して二十歳となるか」
 わずかな時をおいて、彼女はカフレイの言葉の意味を全て了解し、赤面して胸元をさりげなく隠した。童顔と豊かな胸を指摘し、なおかつシルキーヌの影であることを知っているのだ。
「女の子をいじめるの、その辺にしときなさいよ、カフレイ君」
 不意に女性の声がかかった。
「おや、これは麗しのサリアさんじゃありませんか。こんなところであえるとは、奇遇ですな」
 彼女は、ラージャ・サリアといった。現在はレスフィーナ旅人組合長をしている。かつてはルシャナ家直属の護衛としてヴィヴェイス(シルキーヌの父)の傍らに常に控えていた。今の仕事は、表向きには観光振興のための客引きや各種施設の整備、旅行客の案内などをしていて、ある意味閑職のようにも見える。裏では、特務部隊の実質的な指揮、冒険者の斡旋、盗賊たちの組織化と管理を一手に引き受けていた。彼女自身、盗賊としての腕はかなりのものであり、実地と専門的な訓練により芸術の域にすら達していた。
 サリアの胸には、一枚の石板が大切そうに抱えられていた。
「そのおやじっぽいところ、何とかならないの?」
「ま、年を取ると若ぶるのも飽きてね、自然とこうなるのさ……ところでテスちゃん、こんどお茶しない?」
「あの、私は……」
「いいのよ、こんな奴まともに相手にしなくて。提督だかなんだか、お偉いさんかもしれないけど、たいした権力もってないんだから気を使わないで。用事、残ってるんでしょ?」
「あ、はい。では、お言葉に甘えて、失礼します」
 ぺこっと頭を下げて、やや足早に彼女は歩み去った。
「ああ、テスちゃん、ちょっと待って……」
「あんた、いい年して、女の子に声をかけるのやめなさいよ」
 サリアはややあきれた口調でカフレイを責め立てた。
「彼女は十八と言っていた。ぎりぎり範囲内だ」
「さっき外見は十六って言ってたじゃない……ま、いつもの調子だから、本気じゃないんでしょうけど」
「それ、どういう意味?」
「別に」
 いつも言われていることなので、これ以上議論する気のないカフレイは、話題を転じた。
「ところで、その重そうな石板は何?」
「ひ・み・つ……じゃ、私も急ぐから」
 そう告げて去るサリアの表情は、軽い口調とは反対に神妙を極めていた。

「遅くなってごめん」
 サリアは開口一番、シルキーヌに謝った。
「いいのよ、こっちの都合で急いでもらったんだから」
「飢えた狼にとらわれた、可哀想な子羊を助けだしたら、つい狼に絡んでしまってね」
「まあ」
 中庭の北側。先ほどテスと子供たちが会話していた大きな石の前に、シルキーヌは佇んでいた。胸には、陶器の壺が抱えられている。
「はい、まずはこれを納めましょ」
 といって、シルキーヌはサリアから石板を奪い取ると、陶器の壺を渡した。
 それは、シルキーヌの父であり、先代のスィスニア邑宰であったヴィヴェイスの遺骨が納められていた。
「でも、それは肉親がやるべきでは……」
「なに遠慮しているのよ、今日は貴女が主役。わたくしは司祭として、ここにいるの」
 シルキーヌが、石碑の下に埋まっている四角い石を持ち上げた。すると、整った石で囲まれた狭い空間が覗く。そこにサリアがそっと骨壺を納め、二人で蓋になっていた石を元に戻した。サリアが持参した石板も、地面に埋め込まれ固定される。それには、生没年と共にこう記されていた。

「レスフィーナの建父 ルシャナ・ヴィヴェイス ここに眠る」

 十万人を誇る大邑の邑宰としては、あまりにも質素な墓であった。とはいえ、後々まで墓が荒らされなかっただけ幸福といえよう。スィスニアにある歴代邑宰の墓は、リューンの手によって完膚無きまでに破壊されているのだから。
 シルキーヌは石碑に向かって祈りを捧げ、サリアも並んで黙祷した。ごく短いその儀式が終わると、サリアは石碑に向かって語りかけた。
「吾主、あなたの願いをまた一つ、シルキーヌが成し遂げました」
「でも、レスフィーナ建設が父の腹案だったなんて、誰も思わないでしょうね」
 実際、一つの都市を短期間で形成するには、周到な準備が必要であろう。それを可能としたのは、ヴィヴェイスの代からこの土地に目を付け、準備されていたからであった。ただ、彼の代にそれが成されることはなかった。ナーラダの諸邑の反感を買ってまで、領土拡大という危険は犯せないからだ。乱世でかつ、シルキーヌであるから許されることだった。
 後世の歴史家は、この碑文を見て、レスフィーナを建設したのはシルキーヌではなかったのか、と首を傾げることになる。実際に納められている骨が、ヴィヴェイスのものであるのかも疑問視された。あのクーデターのさなかに、シルキーヌが父の骨を持ち出す余裕などない、と。
 ところが、事実はこうであった。ヴィヴェイスの死後、葬儀はおこなわれたものの埋葬はされず、遺骨がシルキーヌからサリアへと渡されていた。クーデター後、サリアの手によって一時ウォウルのナーガ神殿の納骨堂に保管され、今こうしてレスフィーナのナーガ神殿の中央にその身を落ち着けることになる。もちろん、記録として残っているわけでもなく、語り継がれてもいないので、歴史家がそれを知る由もなかった。そもそも知ったところで、何故そのようなことをする必要があるのか、理解に苦しむことであろう。
「今夜、私の店に飲みに来ない?」
 サリアは、レスフィーナで最大の宿屋兼、大衆食堂である「かえで亭」の経営者だった。夜にはそのまま酒場となる。
「いいわね、おじゃまするわ……もう少しゆっくり話をしたいけど、今が仕事があるしね」
「お互い、忙しい身の上になってしまったものだ。過去を振り返っている暇などありはしない」
「じゃ、わたくしは戻るね」
 シルキーヌは足早にその場を立ち去った。気を利かせたのだった。
 その後には一人、声を押し殺して泣く女性の姿があった。先ほどの自らの言葉に反して。
 しかし、それも長くはなく、ほどなくして立ち去った。

 テスは食堂に寄ってから、ナーガ神殿の書庫に入った。食堂に寄ったのは、お茶を分けてもらうためで、その茶を乗せた盆を、手近な机に落ち着かせた。そして、軽く息を吸い込む。
「兄さん、いる?」
 大きくもなく、小さくもない声で呼びかけた。レスフィーナの書庫は日ごとに蔵書量を増しているものの、まだ空きが目立ち利用者はごく限られていた。声を立てる彼女を、とがめる者はいなかった。その声に反応して駆けつける者が一人。
「テスぅ〜来てくれたのか〜」
 それは、彼女の兄キュアティ・イクシオであった。彼はナーガ神官で、以前はウォウルのナーガ神殿で記録係をしていた。あまり仕事熱心とはいえず、暇さえあれば職権を乱用して書庫で書物を読み漁る日々であった。そんなある日、新たにナーガ神殿が建てられ、その地に学者や書物など学術知識の粋が集まることを聞き、レスフィーナの転属を願い出たのである。不真面目な彼は、にべもなく許可され、ウォウルからていよく追い出された。レスフィーナでの彼の職責は書庫係という、まさに願ったり叶ったりのものであり、その職務に励んだ。しかし、妹が彼のことをシルキーヌに話したことで、明日から書記として激務が待っていようとは、今の彼に知る由もない。
 妹といえば、彼がレスフィーナに転属を希望した最たる理由は、テスが先にレスフィーナへ赴くことが決まっていたことかもしれなかった。というのも、彼には、妹を溺愛している節があるのだ。その現れとして、今この場面でもイクシオはテスに抱きしめ、頬を寄せている。彼女は、誤解されかねないので人前ではその行為を制止するものの、人がいないときは半ばあきらめてするに任せていた。ちなみに、ウォウルの書庫でも日ごと繰り返された光景であり、これがかの有名な「シルキーヌ抱きつかれ事件」を引き起こす引き金となった。
 その事件の内容はこうであった。スィスニアのクーデターにより、ウォウルのナーガ神殿に身を寄せたルシャナ・シルキーヌは、多忙の中空いた時間を利用して、神殿内の施設を見学していた。書庫を訪れた彼女は、不意に背後から抱きつかれた。その抱きついた人物こそが、イクシオである。彼はその事件で、動機をこう述べている。
「いや、シルキーヌ様の後ろ姿があまりにも妹に似ていたものだから、間違えてしまった」
 この発言により、テスはシルキーヌの影として選ばれ、彼の家の奇妙な習慣も公になってしまった。その後、シルキーヌに抱きついたことについてお咎めはなかったものの、一週間は彼の最愛の妹に口をきいてもらえず、たいそう堪えたらしいということが余談ではある。
「兄さん、苦しいよ」
「あ、ごめんごめん」
 彼はさして力を加えているわけではないのだが、こうでも言わないと解放してもらえなかった。彼女は、布の包みを取り出した。
「はい、お弁当。お茶も頂いてきたよ」
「ありがとう……いつも悪いね」
 こうやって、神殿の書庫へ昼食を届けに来ることが、ウォウルから変わらぬ彼女の日課となっていた。
「ねぇ、兄さん……もしかして、お弁当わざと忘れていってない?」
 ぎくぅ、という擬音が聞こえてきそうなほど、彼はうろたえていた。
「そ、そ、そんなことはないさぁ」
 でも彼女は昼食を届けに来ることをやめるわけにはいかなかった。彼は、書庫にこもったら寝食を忘れて書物に読みふけってしまうからである。さすがに、夜には帰宅するようになったが、以前は迎えに行かないと帰ってこなかった。
「ま……いいけどね」
 うららかな午後。このような時が持てることが、彼女は嬉しかった。なにげに窓から外を見やると、先ほど訪れた中庭を臨むことができた。石のことを教えてくれた幼い兄妹が、昼食を食べ終わってか、中庭に戻って遊んでいた。芝生の上を駆け回っている。
 微笑ましく眺めるテスは、兄妹の背後に奇妙な影を見た。
「兄さん、あれ、何かしら?」
 問われたイクシオは、妹のそばに来ると彼女の指さす方向に目を凝らした。影は、紫色の煙のようでいて、人形に凝集されていく。
「あれは、人属性の精霊かな。女性の形をしているから、グリーフィかヴァルキュリア配下の精霊だ。ん、グリーフィの方だな。誰かが精霊術法の練習をしているのかもしれない」
 彼は記憶の中からその正体を言い当てた。こういうときは、普段情けない兄が頼もしく見えるテスであった。
「危険じゃないの?」
「大丈夫だよ。グリーフィの仕えるハーリーティは子供の神だから、子供たちに悪いことはしないさ……」
 そう言いつつ眺めるイクシオの表情は、見る間に険しくなった。
 なぜなら、精霊が幼い兄妹に襲いかかったからである。
「まずい、あれは縛られていない!」
 イクシオが窓を飛び越えて中庭に飛び出すと、テスも軽い身のこなしでそれに続く。
 幼い兄妹は、恐怖で凍り付いた女の子を男の子がかばうように立っている。
 その男の子に、精霊の手が伸びて。
 男の子の身体は宙を舞い、鮮血が飛び散った。
「!」
 走る二人は、その光景に声も出ない。
 男の子はまるで蹴鞠のように転がる。それは音もなく。
 血が、芝生を鮮紅色に染め上げる。
 だが、最も彩りが鮮やかなのは、彼の身体だった。
(なんてことを……許さない、許さないんだから!)
 テスは、腰に帯びた剣を鞘から抜きはなった。
 細身の刀身は透き通るように白く、陽光を浴びて眩いばかりのきらめきを見せる。
 だが、まだ距離のあるテスにはなす術がなかった。
 今度は、精霊の手が無情にも女の子へと伸びる。
「くうっ……」
 しかし、女の子は傷つかなかった。
 間一髪でイクシオが飛び込み、女の子を抱え込んだまま芝生の上を転がったのだ。
 彼のその肩口には、かばった際に受けた切り傷が見える。
 震える女の子を抱えて、イクシオは体勢を立て直し、精霊に対峙する。
 と、その精霊の背後に。
「はぁぁぁ……」
 気を練るテスの姿があった。
 気が彼女の身体に集まり、髪が逆立つような感覚を覚える。
「裂昂掌!」
 テスは、右手に剣の柄を握ったまま、両手を精霊に向けて突き出す。
 彼女から放たれた目に見えない何か――気の力が、精霊の具現体を波打つように揺らす。
 紫色の人形をしていたのが保てなくなり、動きを止めた。
(やったのか!?)
 その期待は裏切られた。
 体形が崩れたのは一瞬のことで、ぐにゃりとまた元の人形へ戻る。
 精霊は手を刃の形に変えると、背後のテスの方へ向き直る。
 静かで、不気味な動作だった。
 精霊の二本の腕は思いのほか素早く、しゅる、しゅるりとテスの胸元目掛けて突き出した。
「テス!」
 たまらずイクシオが叫ぶ。
 ところが、その心配は無用だった。
 攻撃を、両手に構えた剣で弾き返したのだ。
 その激突から一瞬、火花のようなきらめきが漏れ、無数の珠となって地面を跳ねては消える。
 テスが剣に込めた気の、輝いて弾け飛ぶ残滓だった。
 その後も、テスは次々と繰り出される精霊の連続攻撃を、軽やかな体捌きで躱し続けたのである。
 さも、カモシカが崖を下るが如く飛び跳ねて避けるテスに、精霊は着地点を狙う。
 しかし、それより一瞬早く、彼女は剣を地面に突き立ててそれを支えに宙を舞い、精霊と距離を取った。
 精霊に向けて、剣を構え直すテス。
 その一連の動作は、彼女に体重がないのではないか、と錯覚させるほどであった。
 ――とそこに、騒ぎを感じた人々が集まってくる。
「シルキーヌ、そっちの少年の応急手当を頼む。そこの神官は、負傷者を保護せよ。衛兵、その精霊を取り囲んで援護しろ!」
 駆けつけながら次々と指示を出してその場を仕切ったのは、水軍提督のカフレイであった。
 彼自身も剣を抜き放つ。
「だめ、それには剣が効かない!」
 そう叫んだのは、先ほどカフレイにからんだ冒険者組合長のサリアだ。
 彼女は、手練の使鬼でもある。
 カフレイは、自分の剣が役に立たないことを知り、思案を巡らした。
「サリア、何か手だてはないか?」
「あの精霊は狂っている。送還する以外の方法は、手間が掛かる」
 二人が言葉を交わしている間に、精霊は一時動きを止め、増えた人々を値踏みするかのように眺め回す。
 衛兵たちも、剣が効かないとあっては手の出しようがない。
 カフレイの決断は一瞬だった。
「では、そうしてくれ」
「了解」
 短く答えたサリアは、テスの方に向かって声を上げた。
「精霊の動きを止められる?」
 テスは、無言で頷いた。
 先ほどの裂昂掌には、確かな手応えがあった。
 それに彼女は、既に練気を終え、先ほどよりさらに気を高めている。
「裂昂播!」
 それは、テスの左手から放たれた。
 気の余波が、風となってこの場にいる全ての人の頬を打ち、髪をなびかせる。
 気が精霊に当たる――はずだった。
 躱されたのだ。
 精霊の動きは思いのほか素早く、逸れてわずかに掠めたに過ぎなかった。
 悠然と構え、獲物を定める狂った精霊。
 その姿に誰もが肝を冷やした――その時。
 ――太陽を背に受け、天空から白刃を閃かせ精霊へと舞い降りる少女の姿があった。
 テスだった。
 気を纏った剣が、深々と精霊に突き刺さる。
 一瞬遅れて、テスの長い漆黒の髪の、空気を孕んで舞っていたのが、上から下へゆっくりと流れ、はらはらと彼女の肩に落ち着いた。
「ぁぁぁぁ……」
 テスは剣を突き立てたまま一心に気を送り続け、精霊をそこに繋ぎ止める。
 彼女の額には玉のような汗がきらめき、それが全身全霊を込めた発気であることの証だった。
 精霊は完全に形を崩して、苦しそうに紫の煙をまき散らしていた。
 そこへ、サリアが近づいて手をかざす。
「狂えるグリーフィの僕よ、汝の在るべき所へ還れ!」
 精霊は、霧散するように消え去った。
 テスは、そのまま杖となった剣にもたれかかりながら、片膝をついた。
「はぁっ、はぁ、はぁ……」
 呼吸を荒げながら周りを見渡し、イクシオの姿を探す。
 傷の手当を受ける彼を見いだすと、安堵したように微笑み、緊張の糸が途切れたのか身体が崩れ落ちた。
 そこを、サリアが優しく受け止めて抱える。
 ――狂った精霊は去った。
 皆がそう安堵する中に、シルキーヌの声が響いた。
「カフレイ、こっちに来て。この子、思ったより傷が深いの」

「……ふふ、残念。子供が一人だけか。もうちょっと殺せると思ったのに」
 彼女は楽しげに微笑んでいた。
「誰も敵わないと思って放ったのに、道士が居たとは盲点だったわね」
 彼女は、誰と語っているのだろう。
「復讐してやる。殺してやる。その身の罪を、あらゆる手段で刻み込んでみせる」

 道。ちょっと前までは、荒野だった。今では、舗装されている。
 思えば、私たち兄妹は、スィスニアに生まれていなければこんな事にはならなかっただろう。学問することはおろか、食べる物にも困っていたかもしれない。日々の暮らしに追われ、考えることもなかったかもしれない。その身を売られ、見知らぬ地で日の当たらない生活を送っていたかもしれない。私たちの唯一の幸運は、スィスニアに生まれたことだ。それ以外は、あまり幸運とは言えなかった。
「なかないで。しんぱいしないで。ふあんがらないで。だいじょうぶ、ぼくがなんとかするから」
 路頭に迷ったその日、兄は頼もしかった。私を守ってくれた。嬉しかった。いつかは、恩返しをしようと思った。スィスニアは、いえ、ルシャナ家とナーガ神殿は、私たちに優しかった。食べる物に困らなかった。子供だから、働かずに学ぶことができた。病気がちだった私は、いつでもお医者様に診てもらえた。その時は、それが当たり前で、世界は素晴らしいと思った。でも、それは違っていた。
「え、こどもは、ちいさいおとななの?」
 学んで、こんな幸運に恵まれないことのほうが多いことを知った。だから、非才の身でも、必死になって学んだ。そうすることのできない方の子が、圧倒的に多いのだから。いつかは支えてくれた人に、恩返しがしたかったから。そして、特務部隊にはいると、世界を見る機会を得た。本当に、世界は素晴らしくも、なんともなかった。スィスニアは特殊例だった。あるものは疑い、あるものはうそだといった。人はどこでもいがみ合っていた。スィスニアが優しくしてくれたほど、外の世界は優しくなかった。その身の理想のために他人の血を求める人がいた。その身の欲望のために他人の血を求める人がいた。この人たちは何が違うのだろう?
「なんでしんだの、なんでころすの?」
 私はちょっぴり、大人になった。少しだけ物事が、分かるようになった……気がする。人々が幸せになるために、血を流さねばならない、と言われた。子供の私は、否定しただろう。大人の私は、理解できるような気がする。それとも、理解しているふりをして、大人ぶっているだけなの?
「よくわからない」
 答えは、誰が知っているのだろう。誰も知らないのかもしれない。自分で、見つけるほかないのかもしれない。それとも、この戦乱の時代にこう考えること自体、間違っているのかもしれない。

 テスは、寝台の上で上半身を起こして、窓の外の景色を眺めていた。先ほどまではあんなに晴れ渡っていたのに、一転して雨が石畳の道路を濡らしていた。それを感じながら、雨でけむる町並みと、遠くに霞むレスフィーナ灯台を視界に入れる。雲は厚く、景色を暗くしていたが、それだけではないようだった。日の入りが近いのだ。
 身体は熱っぽかった。
「起きていたのか」
 イクシオが右手に水を湛えた桶を抱えていた。たくし上げた袖の左腕からは、包帯が覗いている。
「兄さん、怪我は大丈夫?」
「ああ、ただのかすり傷さ。大げさに包帯が巻かれているけど、本当はたいしたことないんだ」
 兄がいつもの調子とちょっと違うときは、私を安心させようとしている。テスにはそれが分かっているから、余計に心配になる。
(けど、十を一とは言っても、嘘は言わない人だから)
 とりあえず命に別状がないのは確かなので、安心することにした。
「テスの方こそ、大丈夫?」
「ええ、何ともない。普段の私のままで気の力を使い過ぎたから、熱を出しちゃったのね。ごめんね、兄さん。怪我しているのに、つきっきりで冷やしてくれてたんでしょ?」
 と、テスは鏡台にある濡れた布を手に取り、額を指さした。
「私が寝込んだときは、いつもそうしてくれてたもんね」
「そうだったな。仕方がないさ、強すぎる……」
「強すぎる気は、我が身をも焦がすから」
 イクシオの言にテスは重ねる。その言葉は、テスにはひとかたならぬ重みを持つのだった。
「……そういえば、男の子は、どうなったの!?」
 テスは思い出して、唐突に兄へ問いかけた。イクシオは無言で首を振る。
「そ、そんな……」
「……女の子の方は無事だった。でも、あまりにも不憫だ……」

「何かあったの?」
「彼女は、声が出せないんだ。先天的なものではなく、スィスニアで両親を亡くしたあたりかららしい。よほど怖い目にあったのだろう。それが今回のことで、さらに悪化した。何に対しても反応を示さず、食べ物すら口にしない。あれでは衰弱して死ぬのが目に見えている。兄のこと以外にも、おそらく狂ったグリーフィの僕が、彼女に何かを見せたんだ」
(……なんてことなの)
 そういえば、テスがあったときも、女の子は一言も喋らなかった。テスは両手で自身の身体を抱きしめた。その肩はわずかに震えている。
「私って、いつもそう……。戦っているときは、無我夢中なんだけど、戦い終わると、恐怖で震えが来るの。そしていろいろ嫌なことを考える」
 自分では精一杯やったつもりなのに、結局人を幸せにできない。
 自分は無力なんだ、って。
 剣を振るい、振るった後でいつも思う。
 ねぇ、血にまみれた私の手は、きれい?
 この手で人を殺し、瀕死の仲間を抱きかかえ、見殺しにしてきたこの手は。
 ……、……。
 テスの中には様々な言葉が渦巻いている。だが、それをたとえ肉親である兄の前でも吐露する訳にはいかなかった。沸々と浮かんでくる自分に対する嫌悪の言葉の数々。分かっている、これも含めて私なのは。でも、知られるのは怖い。
 テスは沸き上がる言葉を口に出して言わないように、両手で口を覆った。同時に目元を押さえて涙がこぼれるのを防ぐ。兄の前では極力泣かないって、決めていたから。
 それら全てのテスの気持ちが、手に取るように分かるイクシオは、掛ける言葉を探して、狂った精霊との戦いで見たテスの姿を素直に口にした。
「さっきの君は、天使みたいだった」
「え?」
 意外な発言に驚くテスだったか、緊張感もなく「くぅ〜」と鳴り響く音があった。彼女のお腹の虫だ。思えば、彼女は昼食を一口も食していない。赤面する彼女に、兄は優しく微笑みかけた。彼女は沈黙に耐えられなくなって呟く。
「おなかすいたな」
「ごめん、作ってくれた弁当はテスの分も食べちゃった。痛んだらもったいないと思って」
 一瞬の緊張とその弛緩が、兄妹を救った。まず、イクシオが普段の調子に戻った。
「じゃ、夕食は昇旭飯店にしましょ。もちろん、兄さんのおごりで」
 テスも明るさを取り戻す。昇旭飯店とは、レスフィーナでほぼ唯一といえる高級料亭で、「豪華で高い食事」の代名詞だ。
「とほほ。ま、いいか。久しぶりにしゃれ込もう」
 二人とも、予感はあった。また、離ればなれになると。

「タスタント、わたくしは旅に出ます」
 シルキーヌのその発言は、謹厳な執事を驚かせるには充分であった。
「お嬢様を欠いて、このレスフィーナはどうなさいます?」
 シルキーヌは、曇りのない微笑みを作った。
「タスタント、レスフィーナは、わたくしの都市ではなくてよ。それに、常にわたくしの手を必要としているわけではないの。より、わたくしを必要としている地へ、赴くことこそ、ナーガ様の御心にかなうのです」
 シルキーヌはそう、断言した。本来彼女は、神の権威を利用した言動を嫌っている。その権利を一身に持ちながら。だが、彼女自身の裡にしかその根拠がないのだから、それを利用するほか説得する手だてがなかった。タスタントはシルキーヌにもっと人の上に立つ者らしく、と常々嘆いているが、彼女は彼女なりに彼女自身を偽っているのである。
「神の意志とあらば、わたくしめも、お供いたしまする……しかし、お嬢様のまわりも、淋しくなられましたな」
「そうでもないわ……彼女を、つれていくから」

                                  −了−

あとがき

 実をいうと戦闘描写、とても苦手です。頭の中には常にヴィジュアルイメージを思い描きながら書いているのですが、絵的な美しさとか、緊迫した雰囲気がなかなか出せないですね、とほほ。今回は流動体との戦闘の底冷えするような不気味さと、道士が持てる力を全て出し切って戦うときの恐ろしさ、あと戦う少女の姿の美しさを出したかったのですが、無理でした。ごめんなさい。
 今回はシルキーヌの影であるキュアティ・テスが話のメインとなっています。わたしにとって「少女とその過去」というのは一つのテーマかもしれず、楽しんで書かせてもらいました。実を言うとレスフィーナのシルキーヌとハルナ・コウを除いた五人は、諸英伝の時代にわたしのPCであったヴァシュナ・シリルより設定量とかエピソードが多いです。とはいえ、そのかわいいキャラたちが、皆さまのアピールシーンの中でどのように描かれるのか楽しみなのです。「キャラを崩されるの嫌じゃないの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはないです。わたしには思いつかないキャラクターの意外な一面が見たいですし、どんなにひどい扱いを受けるのか、興味津々です(おいおい)。特に欲しいキャラがいない方は、ぜひレスフィーナのキャラをGETしてみてください。わたし自身も、NPC獲得システムで誰かが欲しがるようなキャラクターが描ければいいな、と思っています。

                                 とむ

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