会誌-「サークル水月会誌 第6回」
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■ リアクション6−7 (独立暦401年人の月) シュエル邑の郊外一キロほどのところに、その邸はあった。 ルーキ家の別宅。大きな屋敷だ。その周りに十数軒ほどの小さな家がある。近くにはシュエル湖。静かなところだった。 が、時折間諜風やら戦士風の装備をした男女が通りがかり、家々の一番むこうにある瓦礫の中に吸い込まれていく。昨年その手の人々の間で一番の話題になったシュエル郊外遺跡である。 「今では人も減ったがね、一時期はすごいもんだったよ」 茶店のばあさんはそう言う。 「黒い女連れた白い男を見なかったか」 これまで何百度となく発した質問を繰り返す。ばあさんは頷いた。 「白い男なんてここらじゃたくさんいるけどね、それはたぶん、フレイ様のことだね」 キシン・スルタンは息が詰まるかと思った。……フレイ。そう、その名だった。 「ルーキ・フレイ、だな? どういう男なんだ」 叫びたいのを制して問う。ばあさんはにっこりと笑った。 「フレイ様は、この別宅にお住まいのお方さね。ルーキ家はシュエル邑宰丞や吏長を代々つとめておられる学者の名家だがの、その血族の一人が、代々別宅にお住まいになられるしきたりなのじゃ。ま、フレイ様はよく出歩かれるようじゃがの」 困ったもんじゃ、と言いながらうれしそうに笑うばあさんの姿は、スルタンの目には入っていない。 「で、黒い女を連れていたというのは本当なのか」 身を乗り出す。ばあさんはのんびりと言った。 「そうじゃのう。まあ、わしもこの頃よう見るがのう。ここ十年ばかりも長らくお留守にしておられたフレイ様が、ほんとうに久しぶりにお見えになったと思うたら、女人をつれておられた。奥方じゃろうと、もっぱらの噂じゃ。二週間ばかり前からお住まいでおられるよ」 「そうか……」 「女っ気のなかったあの方が、どうした心変わりであろうかと、ここいらのじじばばの間では話題のタネじゃ。しかし、あのおなご、どの部族の者であろうかのう。メールの者は見たことがあるが、それより黒いようだし……そういえば貴殿、よく似た色をしておるのう」 「……」 スルタンは茶を飲み干して立ち上がった。 「ありがとうよ、ばあさん」 それだけ言って去る。 ……間違いない。姉と、あの男だ。 黒い肌から覗いた黒い瞳がぎらりと光った。 灯火に照らし出された横顔のかたちはきわめて端麗であるが、それを見分けることができるのは、同じ種の者でなければよほどの思い入れがなければなるまい。それは彼にもわかっている。……インダラの頚血、ではない。菜種か、そうでなくとも植物性のあぶらに灯心を立て、その明かりで書を読んでいる黒い横顔。覚えているよりもずっと深い瞳をして、やはり美しい。懐かしい……しかし、今は、この人は…… 「──誰っ?」 書簡を払って跳び、短刀を抜く。その切っ先は、正確に男の 「……まさか」 女──キシン・ハリーファは凍りついた。正面からまっすぐにその男の瞳を見つめる。黒い髪、黒い瞳、黒い肌をした男。見覚えがあった。 「姉上」 否、一時たりと忘れたことはない。 「スルタン……なんですね」 「姉上……」 言いたいことは山ほどあった。だが口には出せなかった。懐かしさが先に立った。と同時に、 「スルタン……あなたは……」 「姉上」 だがその思いはすぐに心の底に押し込めた。そうしないと、正気を保っていられそうになかった。十年余もの間、探し続けた。求め続けていた。それは、一度会ったくらいで尽くせるようなものではなかった。ただ、言わなければならぬ事は一つだけだった。 「サイダバードは移住することになった」 「……スルタン」 「この島の南方、打ち捨てられた土地にバウ砂漠という砂漠が発見された。そこへ移住する」 「……」 「それだけだ」 背を向け、去ろうとする。その動作によって、口をついて出ようとする思いを封じようとした。 「本当に、それだけなのですか」 その背後から、声がかかった。スルタンは足を止めた。 「なぜ私がサイダバードを出たか、それを訊きに来たのではないのですか」 「聞きたくもない」 スルタンはつぶやいた。耳をふさぎたくなった。 「裏切り者の言い訳など、聞きたくもない」 振り返りたくなかった。振り返ってしまえば、姉の裏切りを受け入れてしまうことになる。認めてしまったことになる。 「それは、違うな」 男の声がした。その声に、スルタンは反射的に振り返ってしまった。考えるよりも先に身体が動く。一瞬のうちにその男に詰め寄り、襟首を掴んでいた。 「何が違う! すべて、貴様のせいではないか……っ!」 姉が自分を捨てたのも。サイダバードを捨てたのも。……姉を、裏切り者にさせたのも。すべて。 「違います、スルタン」 ハリーファはたしなめるように言った。その口調が懐かしくて、スルタンははっと我に返った。男から手を放す。 ……分かっている。この男が悪いのではない。姉が悪いわけでもない。一つの邑に縛られることをやめて、新しい世界を求めるのは、別に悪いことではない。様々な人を見、セルフィアーの各地を巡って、スルタンも頭では理解したつもりでいた。新しい価値観というものが確かに存在することを。 しかし、感情は納得することはできないのだ。姉を失ったこと、邑の掟──スルタンが今まで生きてきた世界を壊されたこと。その心の傷は、十年以上経った今でも、癒されてはいない。そしてそれは、目の前にいる白い男が原因だった。 「君が私のことをどう思っているかは分かっているつもりだよ、スルタン君」 ルーキ・フレイは穏やかな口調で言った。 「君の姉さんを奪った私を、どんなに君が憎んでいるか。……だが、あの頃は私も若かった。どうしてもハリーファを放したくなかった」 「……っ!」 逆上しかけたスルタンを、ハリーファが制した。 「この人のせいばかりではないのですよ、スルタン。どうしても私はフレイについていきたかった。それは、もちろん私がフレイを愛していたからという理由もあります。でも、それ以上にフレイの力になりたかった」 「……姉上」 唇を噛み、感情の激発に耐える。そんな話は聞きたくなかった。……だが。 「聞いてくれますね、スルタン?」 姉にそう言われると、逃げるわけにはいかなかった。 ルーキ・フレイは、シュエル郊外遺跡の守人である。 ずっと以前から、シュエル郊外遺跡はひそかにシュエル邑宰家によって発見されていた。同時に遺跡のもつ意味が研究されることとなり、それはルーキ家に一任された。代々歴史に通じる学者一家であるルーキ家は膨大な蔵書を有し、それを何代もかかって調べあげた結果、この遺跡は一種の「門」であることが明らかになった。 通じる先はティイセニラ。チェリア朝時代前期、当時アフネリアと呼ばれていたこの島を統治する首都であった。後期には首都は湖上のスイモミスクに移ったが、それでもティイセニラは研究都市として存続し、帝国の支配上、大きな意味を持っていた。 封印されているとはいえ、危険な存在であることには変わりない。ルーキ家はこの遺跡が悪しき者の手に渡ることを防ぎ、同時に遺跡のさらなる調査を進めるためにここに別宅を置き、一族の学者を住まわせることにしたのだ。それが五十年ほど前のことだという。ちなみにフレイは三代目である。 「ティイセニラは とフレイは結論づける。 「しかし、謎は残る。なぜ言霊人が結界を築いたのか、その動機がない。神人の進出をおそれたのか、……しかし、言霊人はあきらかに神人を見下していた。おそれるなどということはあり得ないはずなのだが……」 「とにかく、海の結界によって我々の祖先は故郷から切り離され、このセルフィアーに残された……」 ハリーファが続ける。 「結界を施した人はサイダバードのことを知らなかったのでしょうけど、その結果、私たちがここにいる。私は、フレイからその話を聞いて、真実を知りたくなったのです。なぜサイダバードが、この地に残されなければならなかったのか。なぜ私が、ここにいるのか……だから、フレイと共に行きたかった。サイダバードを裏切るつもりはなかったのですが」 「……なら、何故サイダバードにたよりを出さなかった?」 スルタンは呻いた。ハリーファは針を飲んだような目をして笑った。 「そうしたら、私はサイダバードに戻らなければならなくなる。私は、真実を知っても、この人と共にいます。次の真実を見つけるまで……」 「次の真実?」 「ええ」 ハリーファは頷いた。 「なぜ、言霊人と神人は憎みあわなければならなかったのか。……異なる種族とは、相容れないものなのか……それを、確かめたいのです」 遺跡に一緒に行かないか、とフレイは誘ったが、スルタンはきっぱりと断った。これ以上、二人のそばにいたくはなかった。姉が幸せそうだったのが、よけいに痛かった。……やっと会えたのに、後味の悪さだけが残った。 会わなければよかった。聞かなければよかった。……顔を見ることができて嬉しかった。ただ、口惜しかった。 悪い人間でないことは分かっている。分かっている…… メールリンクス・メールディングは、自称「黒のフミール」と一緒にシュエル郊外遺跡まで来ていた。今更、という気がしなくもない。もう何百人、何千人もの遺跡荒らしが挑戦し、当たって砕けていると噂の遺跡なのだ。もう訪ねる人もちらほらとしかいない。 「本当に行くのか?」 メールディングは呆れ顔をした。もう夕方だ。 ところへ、別の二人連れが通りがかった。男女だが、男がメールディングと同じトゥー族、女は衣につつまれてよく分からない。 「これから遺跡っすか」 フミールは気軽に声を掛けた。男は振り返った。 「そうだが。あなた方も遺跡に興味があるのか」 穏やかな視線が、フミールの装備やメールディングの神官衣に注がれる。フミールの装備は独特だが一般的な遺跡荒らし風ではない。メールディングに至ってはディリーパの神官衣だ。 「もちろんっす。私、『三種の神器』を探してるんすよ」 「三種の神器?」 「剣、珠、鏡の三つです」 「そんなものはここには無いはずだが……」 フレイは苦笑した。そんな噂が流布しているのだろうか。 「まあいい。興味があるならついてくるがいい。君たちだけで行くよりは、面白いものが見られるはずだよ」 「本当ですか」 メールディングは声を明るくした。フレイは頷いた。女と視線を見交わし、歩き始める。難関と噂の三つ目の扉、彼はその扉を開きはせず、匕首を出すとさくっと切りつけた。 「何……っ」 白い気が溢れ出し、四人を包む。 気がつくと、彼らは大きな広間にいた。円が描かれた床の真ん中だ。天井には水晶で屋根がかぶせられ、その上には水が見える。六角形の建物だった。 「ここは?」 「セルファニア湖湖底遺跡──ティイセニラ、だよ」 フレイがいかにも当然のように言うので、メールディングは目を白黒させた。 「ティイセニラって、あの……伝説の?」 「そう。もっともここはティイセニラに外付けされた緊急通路の一つに過ぎないけどね。……君も手伝ってくれないか?」 六角の各々にある台、その上には金属の碑板があり、言霊語らしきものが彫りつけられている。 「まさか、さわったら火を発するとかそんなことはないでしょうね?」 メールディングが尋ねると、フレイは笑った。 「大丈夫だよ。ライル社の施術宝器じゃないんだから」 扉を開け、中に入るとそこは全幅一キロはあろうかという広い建物だった。やはり六角形をしている。真ん中と六隅に柱があり、そのほかに二本、巨木が立っていた。 「あの柱から、階下に降りることが出来る」 「階段でもあるんですか?」 メールディングが常識的な質問をした。フレイは首を横に振った。 「昇降機、という垂直に上下に移動する乗り物があってね。それで十階までは降りられる。それ以上はプロテクトがかかっているらしい。合い言葉か何かが必要なのかも知れない。まだまだそこは調査不足だが……」 「言霊人でなければ入れないよ」 柱から、人が出てきた。初めは銀髪だからトゥー族の人間だろうと思ったが、瞳は青紫色をしてはいなかった。……銀の瞳、とでもいうのだろうか。 「……言霊人? まさか……」 「君たちは何者だ。ここまで来れるということは、それなりの者なんだろうが」 「私はルーキ・フレイ。シュエル邑宰家の命により、シュエル郊外遺跡とティイセニラを調査している者だ」 フレイの言に、メールディングとフミールは瞠目した。そんな偉い人だったのか。 「私はキシン・ハリーファ」 女性がフードを外した。漆黒の肌に漆黒の瞳、漆黒の髪をしていた。 「海の結界により故郷のラミニース砂漠に戻れなくなった者の末裔です。このフレイと共に海の結界の研究をしています」 「オレは単に興味あったから」 とフミールは直に言う。メールディングは一応理由をつけた。 「ディリーパの神官として、かつての破壊の力をみておきたかったので」 「いいだろう」 銀色の男は頷いた。 「俺はティーク・ギエン。このティイセニラにもう 昇降機に乗る。一から一〇まで数字がふってあり、たぶんそれが階数であろうことは想像がつくのだが、ギエンは昇降機が降りるにまかせた。止まったところでギエンが声を出す。 「声紋を確認してくれ」 [声紋を確認します。名前と所属と番号を……] 言霊語であろうことは分かったが、フレイにもそれは聞き取れなかった。ギエンには理解できているらしく、 「ティーク・ギエンだ。所属と番号はない」 答えている。こちらはセルフィアー語だが問題ないらしい。 [確認しました。 昇降機は静かに降っていく。どこまでも、どこまでも。 昇降機を出、扉を開け、最初に使ったような転移装置を通り、……それからそんなことを何度繰り返したかわからない。同じ道を帰れと言われても無理だろう。最初のうちはもの珍しげにきょろきょろと周囲を眺めていたフミールも、さすがに疲れたらしく無言になっている。 「着いた」 ギエンの声に顔を上げる。 それは何かの装置のようだった。金色をした金属の柱のようなものが立ち、その表面でひっきりなしに七色の弱い光が明滅している。 「これは……まさか」 フレイは呻くような声をあげた。 「ハーリーティ・システム……ティイセニラの力と情報の全てを統括する主機関……まさか、まだ起動していたとは……それに」 その向こうに、水晶のような材質でできた大きな円形の容器があった。中は透明な液体で充たされている。そしてその円の底には銀か何かで正方形が描かれている。中央には黄、そして四隅には青、緑、赤、紫の色をした掌ほどもある大きな球が置かれていた。 「これは、いったい……」 ギエンは柱の前に立ち、蓋をひらいた。柱の表面の一部が四角く切り取られ、ギエンはそこにそっと手を置く。 「いったい、何を……っ」 液体がざわめき、上方へ向かって伸びる。と見る間に、それは収斂して人の形をとった。皮とも布とも金属ともつかぬ奇妙な服をまとい、長い緑の髪、緑の大きな瞳、額にはやはり緑の宝玉を埋め込まれた少女の姿をしていた。 「誰だ?」 メールディングが呟く。 「 ギエンが先を制して言う。 「ようこそおいでくださいました、帝国の末裔のお方。それとも 少女は悲しげに微笑んだ。 「私たち霊珠は、たった一人のお方のために殉じることを選びました。私たちの力のすべては、アフネリア、いいえ、セルフィアーを海の結界で閉ざすことに向けられています。私たちの主は、すべてを犠牲にしても、このセルフィアーが神人の世界になることを望んでおられました……」 左の手を胸にあて、神人式の礼をする。 「もし、言霊人が既に滅び、海の結界を除くことを望まれているのだとしても、私たちは結界を解くことはできません。申しわけありませんが……。結界を解くと、エネルギーを使い切らぬままのハーリーティ・システムが残されてしまいます。いえ、今のハーリーティ・システムは、私たちのエネルギーで力を増幅され、アフネリア邦国時代よりも危険な存在になっているのです。この力を他に転用させないためには、海の結界を維持し続けるしかありません」 幼いとも思えるその容貌とは裏腹に、その言は明晰で、瞳には強い意志の光がみえた。つむがれる言葉の半分以上は理解できなかったが、彼女が必死に何かを守ろうとしていることはよくわかった。 「ですから、これでお引きとりください。ティイセニラの他の装置はディヤウス神の神官により破壊されたはずです。価値のあるものが残っているとしたら、それは通常階から通じる他の塔でしょう。ティイセニラを眠らせておいてください。そして、二度とお会いすることがありませんように……」 そして静かに消えていく。 「待ってくれ!」 フレイが叫んだが、 「だから、無駄だって言っただろう」 ギエンはため息をついた。 「何度来ても、メッセージは変わらなかった。これは遺書みたいなもんだ。彼女自身の意志は、きっともう失われている。俺は何度も来て、色々なことを試みたが、結局これ以上は何も得ることができなかった」 もと来た道を戻りながら、ギエンは言う。 「俺はずっと、自分がトゥーだと思っていた。俺は拾われ者だ。俺を生んだ父と母の顔を知らない。何で自分が捨てられたんだか、さっぱり分からなかった。だが、ここに来て分かった。俺は 「そんな馬鹿な。言霊人は独立戦争の時にすべて大陸に追い払ったはずだ。セルフィアーに残っているはずがない」 メールディングは反論した。常識的な答えだ。 「だが、そうじゃないんだ。……言霊人は、術法を重んじていた。術法を使えない言霊人は神人や人間以下の扱いを受けて都市から追放された。それを フレイは頷いた。ありうることだ。 「俺はどうやら忘人の末裔らしい。父か母かが忘人系の人間で、もう片方がトゥーだったんだろう。外見はトゥーを受け継いで、言霊人の力を少し持っている。……もっとも、今のセルフィアーで使うことはできないがな」 それで捨てられたわけだ。拾われ、また少しして捨てられた。言霊人の力を恐れたため、だ。 「異種の人間とは、分かりあえないものなのでしょうか……」 今まで黙っていたハリーファが呟いた。ギエンはその顔を見て首を横に振った。 「そんなことはないさ。俺にも親友がいる。お前さんだってそうだろう」 「そうさ、ハリーファ」 フレイはそっと彼女を引き寄せた。 「私はお前を愛している。種族の違いなど些細なことだ」 「ディリーパの愛が、二人の上にありますように」 メールディングは言い、そっと神に祈りを捧げた。 |
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