会誌-「サークル水月会誌 第6回」

■ リアクション6−4  (独立暦401年人の月)


「ヌーグが重体だって?」
 独立暦四〇一年人の月は、この情報とともに幕を開けた。
「暗殺者が入ったと聞いたが、もしやその傷が元で……?」
 などという憶測が飛び交っていたが、事実はキーサ王城の厚い城壁に阻まれ、杳としてわからない。
 プーツァに行き、エルーブとプーツァの交渉の行方を監視するよう命ぜられていた軍司リーナ=トゥラは、その報を聞いてすぐに馳せ戻ってきたが、ヌーグの私室から出てきたときの真っ青な顔を見れば、どんな様子だったのかが容易に想像できる。
 順風満帆であったキーサ王国に、にわかにまきおこった暗雲。民たちも祭りをひかえ、大通りも人通りが少なくなるなど、カノールは季節はずれの冬を迎えたようであった。

 これを聞いて驚喜したのはむろん、反キーサ王国連合である。
「好機来たれり!」
「天は我らを見捨て賜わず!」
 と、すでに勝利を得たかのようなはしゃぎようであった。前回はシェーナを見殺しにした形となった諸邑も、
「先陣を切るのは我が邑!」
 と、勇んで兵装をととのえていた。
 エルーブでもただちに議が召集された。
「どう思いますか、水吏長殿」
 邑宰の問いに、皆の期待の目が集中する。情報の裏付けを期待する目だ。
「私が会ったときには、そんな様子は微塵もみえませんでした」
 シィル=アーレインは、思った通りを答えた。空気が動いた。わずかな失望の空気だ。
「負傷した様子もありませんでしたから、私には噂はにわかには信じられませんでしたが」
「しかし、間違いない情報です」
 外吏長が胸を張った。
「カノールへ派遣したどの間からも、同じ事を言ってきています。カノール城内はまるで喪に服しているようだ、と。街のどこを見ても、笑い騒ぐ者はなく、大道から人の半分が消えた、と」
 それは、正しい情報なのだろう、と思う。
 しかし、シィルにはあの飄然とした男が病に倒れるとはとても想像できなかった。まあ、人間である以上、あり得なくはないと思うが……
「で、これが一番重大な問題なのですが」
 邑宰がためらいがちに言った。
「キーサ王宰が重体であるときいて、反キーサ王国連合が動き出す様子をみせています。我が邑はどうすべきだと思いますか。それについて、皆の意見を聞きたいのです。反キーサ王国連合と我が邑とは宿敵──しかし、連合がカノールを手に入れれば、強大な力となり、我が邑に害をなしましょう。それよりは連合と手を組み、利の一部を得るべきである、と私に進言してきた謀もいるのですが」
「確かにもっともです」
 庫吏長が大きく頷いた。
「ヌーグ無きキーサなど、連合の力をもってすればひとたまりもないでしょう。連合が力を得ては、我らの運命はそれこそ風前の灯火となります。フィーブの援助を得ているとはいえ、南方の邑の建設に巨額を投じている現在、連合と戦うだけの資金はありません」
「しかし、それは連合が一つにまとまった場合……ですな」
 兵吏長が笑った。
「連合が一つにまとまったことなど、いまだかつてありましたか。たとえキーサを倒したとしても、その後の分配でまたもめて、内紛を起こすことは必至。そんな中に加わることなどありません。我々は今は傍観し、降りかかる火の粉を払うことこそ肝要と思いますが」
「兵吏長の意見に同感です」
 シィルは頷いた。
「私の妄想かもしれませんが、私にはどうしてもあの男が病気とは思えないのです。反キーサ連合のはしゃぎぶりを見てほくそ笑んでいるような気がしてならない」
「では、貴公はあれは仮病だと申すのか」
「可能性としては考えられると思います。私ならそうしますから」

 反キーサ王国連合軍はアーヴ周辺の平野に終結した。その数は約二万五千。シェーナ、アーレ、ディンといった大邑をはじめとした諸邑の外兵を集めた数だ。
 情報を聞いて、リーナは激怒した。
「こちらの足元を見て攻めかかるとは──何て恥を知らぬ連中だ! 名将を尊ぶとか、そういった心は奴らにはないのか!」
「あるわけがないじゃない」
 ミラ=シャルははきすてた。
「そういう連中だからこそ、まだ私たちに一度も勝てないのよ」
「しかし、王女……っ!」
 リーナは血を吐くようなため息をついた。
「私は……私は、耐えられません。王宰殿を失ったら……我が国は、キーサは…それを想像すると……」 
 泣き出さんばかりの表情をしている。さすがに、衆目の前で涙を見せることはないが。
「私、正直に言うと、満足に戦える自信がありません。普段の私なら、十倍の兵馬でも破ると言えますけど、今は……私は……」
「しっかりしろ、軍司」
 すっかり傷の癒えた城司が、肩を叩いた。
「城司……」
「軍司が弱音を吐いてどうする。王宰殿もお嘆きになるぞ。……心配するな。カノールはしっかりと守ってみせるから」
「……そうだな、城司」
 リーナは笑みをつくったが、かなり無理のある笑みだった。くるりと踵をかえして、廊下を去ってゆく。
「……いいのか、針師」
 いつの間にか来ていたグレンノルト=イーズを振り返って、城司は困惑げな顔をした。
「あれでは、軍司が哀れではないか。それに、大丈夫なのかと街を歩けば民に問われ、家に帰れば家族に問われる。私も城守の最高責任者である以上、知らぬとは言えぬし……もう、限界だぞ」
「同感よ」
 ミラ王女も大きく頷いた。
「軍司もだけど、内廷から出られなくて弟に会うこともできない王の気持ちも考えてよ。私だっていつ喋っちゃうかわからないわ」
「あと数日の辛抱ですよ」
 グレンは笑った。
「私はこれから、反キーサ王国連合の方に行ってちょっと細工をしてきます。ああそう、出立は明朝にしてくれとヌーグ様から伝言がありましたので、リーナ様に伝えて下さい」

 翌朝、キーサ軍一万五千がアーヴに向けて出発した。七年前と同じ道のりだが、今回は皆一様に足が重い。このまま帰れなくなるのではないか──いや、帰るべき場所が失われてしまうのではないか。そういう懼れは、口にはしないものの誰もが抱いているのだった。
 みな無口だった。口にすれば現実になってしまうような、そんな気がしているのだろう。
 リーナは振り返った。後ろ髪が引かれて仕方なかった。せめてもう一度、顔を見てから出たかった。それがよけい、不安をかきたてるものだとしても。
(ヌーグ様……)
 振り切るように馬に鞭をあてる、その音が胸に空しく響くのだった。

 反キーサ王国連合の者たちはそれぞれの陣で連日、祝宴に興じていた。
「ヌーグのいないキーサなど、抜け殻同然よ。討つのはたやすいこと」
 そして、吏を連れてきて分け前の交渉に入っている。
 これは、工作の必要もないかも知れないな、とグレンは苦笑した。こうも思い通りに動いてくれるものか。全く、頭の悪い連中だ。

 かくして両軍は、アーヴの野にて対峙した。
「やあ、我こそはシェーナ兵吏長ガードン=トゥラ──」
 おそらくは熾烈な順番争いの末に一番を勝ち取ったのだろう。胸を張って得意気に言いかけたが、リーナの声がそれを中断させた。
「よくもしゃあしゃあと私の前に顔を出せたものだな、兄上」
 その声は低く、怒りの念で大気もふるえるようだ。みな沈黙した。その静けさを割って、リーナの弾劾が続く。
「哀しみにつけこんで、邑を侵略しようとする貴様らのやり口、人とも思えぬ! よくも……よくも、我らが心を踏みにじってくれたものだな。天が地が許しても、私は貴様らを絶対に許さん! 絶対に!!」
 鬼気迫る、とはこのことだった。つねに口上は感情的なリーナであったが、これほどに苛烈なものは今までなかった。キーサ軍は、そして今まで浮ついた気分でいた連合軍も、水を打ったようにしいんと静まり返った。
「取り込み中のところ、悪いんだが……」
 リーナのすぐ脇に控えていた騎馬が、すっと馬を寄せた。リーナは、きっ、と睨みつけたが、一瞬後には目を見開いたまま凍りついてしまった。
 ヌーグ、だった。
 普段の正服ではなく、鎧甲姿であった。左手で手綱を引き、右手に甲を抱えている。だから誰にも気づかれなかったのだ。
「さて、皆さん、このたびはこのヌーグのためにお集まりいただいたようで、恐縮なことだ。改めて礼を言おう」
 いつもの飄々とした口調ではない。重々しく、ドスを効かせた──あからさまに芝居がかった喋り方をしている。だが、その声はまちがいなくヌーグその人のもので、後背に控えるキーサ軍、対峙する連合軍、どちらにもどよめきが広がった。
「反キーサ王国連合軍の諸君。諸君らの私に対する考え、よく見せてもらった。そして、人の不幸につけこんで勝利を掠めようという卑しい心根も、とっくりと見せてもらった。そういうことだから、今日は自分たちの愚かさと無力さを、じっくりとその身をもって味わってくれたまえ」
 また、しいんと静まりかえる。あまりの衝撃に、反論する者は一人としていなかった。
「そして、我がキーサ王国の者たちよ」
 向き直る。兵たちは誰が命じたわけでもなく、いっせいに左手を胸にあてて礼をとった。
半節(はんつき)もの間、欺いていて悪かった。皆には不安な思いをさせて、本当に済まなかったと思っている。──同時に、自分がどれだけ皆から大切に思われているか、それがよく分かった……」
 ヌーグは従兵から旗を受け取った。緑の地に金糸で縫い取られた×の字。一本の線が武を、一本が文の道をあらわし、両道紋と称す。キーサ王家のもととなったシャル族族長家の頃から約七百年の間、受け継がれてきたキーサの紋だ。
「今日ここに、改めてキーサ王国の発展を誓う。この旗とともに、誇りある歴史とともに。──このアーヴの地で、ふたたび輝かしい勝利を得んことを。諸君の奮戦を期待する」
「キーサ王国万歳!」
「ヌーグ=シャル万歳!」
「王家に栄光あれ!」
 いくつもの叫びが、空と山にこだまする。それは今までの不安をうち消されたばかりでなく、その反動でわき上がった喜びが増幅されたもののようであった。
「────行くぞ!」
 リーナが大声で叫んだ。それとともに、キーサの全兵が、いっせいに突撃を開始する。兵数は三対五……しかしそんなものはすでに問題でなかった。勝敗は戦う前から決していた。

 エルリークは戦いの後、外兵長に呼び出された。彼は暗殺の技を用いて、シェーナ邑宰とアーレ兵吏長、二人の将の首をとった。戦功の賞だろうと思った。
「それもあるのだが」
 外兵長は一通の書簡を渡した。
「ヌーグ様から賜ったものだ。読むといい」
 (いぶかし)みながら、書簡を一枚一枚ひらいていく。
 ──信じられなかった。
「クレン=エシリル……という者が、今、イリス王国の神兵尉・募兵尉の丞として働いている……」
 ヌーグは約束を守ってくれたのだ。エルリークが知っている『三振り太刀』の情報は二年も前のもので、しかも自分はヌーグを暗殺しようとした者だ。破談になっても仕方ないと思っていた。
 ……イリスに行けば、姉に会えるのか。
 イリスに行きさえすれば……!!

「ふう、ようやく城の中を自由に出歩けるな。一室の中にこもるってのは本当に窮屈だったからな」
「それを余人の前で言ったら、殺されますよ」
 グレンは笑った。
「特に誰かさんなどは」
「それなんだ。困っているんだが。……あの戦い以来、ひとことも口をきいてくれなくてな……」
 リーナの戦いぶりはいつにも増して凄まじかった。ミラ王女の証言によると、「一人で千人は斬ったわ」という。それは誇張としても、ほとんど自分の身も省みずに斬りまくっていたことは確かだ。陣に帰ってきた時には、人馬ともに全身鮮血にまみれ、元の色が残っているところはなかった。血は返り血だけではなかった。筋が切れるのではないかと思うほどの深傷をはじめとして、多くの傷を負っていた。──が、何よりも彼女を傷つけたのは刀剣槍戟ではなかった。
「だから軍司を騙すのはやめようと言ったんだ。まったく、いつになったら機嫌を直してくれることやら……」
「直してさしあげればいいではありませんか」
「簡単に言うな。あれの頑固さは七年間で身に沁みて分かってるんだ……」
 扇をあおぐ手が止まりがちになる。それを見て、グレンはにやりと笑った。
「リーナ様に、自分の気持ちを正直に出させてあげればいいんですよ。簡単なことです」
「軍司は、いつも感情的な奴だが?」
「いっしょになると、ひとこと言ってあげればいいんです」
「……お前、軍司のことになるといつもそれだな」
 ヌーグは沈黙した。静かに頬に風を当てる。
「……とにかく、見舞いに行ってくるか。まだ安静のはずなのに、ひょいひょい出歩いてるがな……」
「行ってらっしゃい。健闘を祈ります」
「──何の健闘だ」
 ヌーグは不機嫌そうに言ったが、ふと扇を落とした。きまり悪そうに拾い上げてまた歩き出すヌーグの背を見て、グレンは一言、「おめでとうございます」とつぶやいた。

 コツコツ、と扉が叩かれるより前に、リーナには誰が来たのか分かっていた。だが出る気にはなれなかった。
「……入っていいか」
 返事はない。
「勝手に入るぞ」
 リーナは椅子(ソファ)に深く身を沈ませ、ぼんやりと宙の一点を眺めていた。服は正服だが、左腕を吊っているのが痛々しい。
「軍司……悪かったと思ってる」
「……」
「済まなかった」
「……」
「軍司──」
「聞こえてますよ、王宰殿。それで、どうしたというんですか」
 ……相当、怒ってる。
 ヌーグはここに来たことを少し後悔した。
貴女(あなた)を騙したことは謝る。貴女を、策のネタにしたことは……」
「策のネタにされるのは、構いません。そのための部下ですから。……でも」
 リーナはがばと立ち上がった。右の手で頬を殴りつけようとし──寸前で気づいて止める。激情に駆られるまま、言葉を叩きつけた。
「あれも芝居だったんですか? あんなに苦しそうだったのに。本当に……本当に、死んでしまうかと思ったのに……っ」
「……軍司が、見舞いに来てくれた時のことか……」
 軍司がプーツァから駆け戻ったと聞いて、ヌーグは本当に重病人を演じることにした。グレンノルト=イーズの針の力を借り、少々化粧も施して、顔色の悪さ、頬のやつれ、荒い息、かすれた声、脂汗……等々を演出したのだ。芝居は完璧だった。軍司の青ざめた顔を見た城内の者たちは、ヌーグの重病を完璧に信じ込んだのだ。
「分かってます。策に必要だったってことは。でも……でも」
 リーナは椅子に倒れこむように座った。
「失うと思った……すべてを失うと……耐えきれない、と。私は全然、疑わなかった……ただ、失うと思うと……怖くて…」
 リーナの瞳が濡れている。初めて見る表情だった。拗ねたように唇を曲げて、こみあげるものに耐えている。
「……城司も王女も知っていたのに、私は知らされなかった……私はヌーグ様に一番近いつもりでいたのに……私だけが追いつめられて…ずっと、騙されてた……」
「悪かったと、思ってる」
「ヌーグ様を責めてるんじゃ、ありません」
 リーナは俯いた。握りしめた拳の上に、ぽたり、ぽたりと滴が落ちる。
「ただ、悔しいだけ。信じきってた自分と、踊らされてた自分と、……失うのが怖いと、気づかされてしまった自分と──それから」
 自嘲。
「それを、とうとうヌーグ様にぶつけてしまった。……言ってしまうんじゃないかって思ってた…だから、口もきかないって、そう決めてたのに。自分が悔しい……泣きたくなんて、ないのに……」
 右手で涙を拭う。
「……リーナ」
 ヌーグは扇を置いた。 
「お前だから……だったんだ。お前だから、知らせなかった。お前だから、欺いた。お前でなければならなかった。俺を失って、一番哀しんでくれるのは、お前だから……」
「……ヌーグ様?」
「苦しませて済まなかった。……お前はいつも、俺のことを一番に考えてくれる。分かってた。お前が、こんなに苦しむことは。分かってて、それでもやった……それが、俺だ。だから、誰の想いにも応えてやれないと思ってた……」
 椅子越しに、そっと抱きしめてやる。身体のあちこちが痛かったが、それよりも人の気につつまれる感触がここちよかった。
「七年間ずっと、お前は俺の支えになってくれた。……これからも、ずっと側にいてくれるか?」
「……! それって……」
「そうだ」
 ヌーグは優しく頷いた。リーナはふと気づいて睨みつけた。
「これも、芝居じゃないでしょうね?」
「これが、本当の俺だ。……信じてくれないのか?」
「信じるわよ……ずっと、信じてきたんだから」
「アーヴでのリーナの言葉……嬉しかったぞ」
 何を言ってるのよ、と言いかけて、リーナは気づいた。ヌーグが自分のことを「俺」と言うのも、「お前」と呼ばれるのも、「リーナ」と名前で呼んでくれるのも、ぜんぶ初めてのことだ。
 この人は、今までずっと、自分を隠していたんだろうか。あの、いつも持っている扇の内側に。王宰という位のため、キーサという国のために、自分を殺していたのだろうか?
 ──でも、私は確かに、この人のために生きてきた。他の誰でもない、この人のために。
「私、ずっとあなたの側にいるわ。あなたと一緒に、この国を守っていく……これまでと同じだけど。同じように、ずっと……」
 命、尽きるまで。戦っていく。
 ずっと、一緒に……

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