会誌-「サークル水月会誌 第6回」

■ リアクション6−3  (独立暦401年人の月)


 バルス三法
 人を殺さない事。
 人の物を盗まない事。
 人を騙さない事。
 以上。        バルス財政長官フェルノ・クーレーン

「ちょっと、簡便にすぎるのではないか?」
 ヴィーシアは財政長官の方を振り返った。
「いや、あまり難しくしても意味がないでしょう。細かいことはヴァルナの神官が考えますよ」
「ま、それもそうだけどな」
 ヴァルナの神官というのは要するに法律学者兼弁護士兼裁判官と思っていい。ザラスでは法律をつくるのは統治者だが適用範囲を決めるのはヴァルナの神官なのである。
「しかしそうか、法律なんてもんも必要だったんだなあ……」
 呟くヴィーシアを見て、フェルノ・クーレーンはやれやれ、とそっとため息をつく。頭の中の八割方は芸術のことでいっぱいになっているのだろう。まるで生活感のない人だった。それが彼女の良さなのだが。
「とりあえずバルスの城壁の位置に柵を打ちおわりました。今資材倉庫が組み上がろうというところ、それが出来しだい、住宅建設にかかります」
「ありがとう」
 とヴィーシアが返事をかえしたところで、客が来た。
「どうもこんにちは、ヴィーシアさん」
 と気軽に声をかけてくるナルスの若い女性。
「どなたですか」
「ああ、財政長官には言ってなかったね。アヴィーナのリグレス社の社長、チェンバースさんだよ」
 リグレス社……聞き覚えがある。日用雑貨を取り扱うかなり大きな組織だ。だが、その社長がこんなところをうろうろしていていいのだろうか。彼も人のことは言えないのだが。
「チェンバースさんは、芸術好きの人でね。私と話が合うんだ。なにせ最初に会ったのがヴィシュヴァカルマン神殿の彫像の前だったし」
「そうでしたね。あれは独立暦二百年代後期風のいい彫刻ですね」
「頭身と服の襞の入れ方に特徴があるんだよね。それでさ、あの目の上の筋の入れ方が──」
 もはやクーレーンにはついていけない世界である。要するに芸術マニアということか。彼としてはできるならナルスの大商人には遠慮してもらって、他の種族の商人を育成したいと思ったのだが、まあ、そういうことなら仕方ない。とりあえずその部門はリグレス社にまかせておこう。クーレーンにはやらなければならないことが他にもまだまだたくさんあった。

 セイラン湖岸にある小さな港。その改築が急ピッチで進められている。この港を使えば近郊のジュシー、ファナ、リーダとの交易も楽になるし、フェルノ・クーレーンとしてはツァン族の居住地域との交易にも手を伸ばすつもりである。セルファニア湖回りでダンダカと、エルーブ川回りでフィーブと木材を取り引きし、住居建設に充てる。ダンダカの方面はあやしげな雲が漂いつつあるが、フィーブの方は情勢は安定している。またフィーブはエルーブと共同で大きな港を建設しており、そこから大量の供給が見込まれた。これが当分の交易のメインとなるだろう。
 その後はエルーブの銅やラシーの陶石など工芸材料や、通常の交易に切り替えていけばいい。
 フェルノ店の特徴である行商を使った交易も以前通りおこなっていた。しかし今はもう二つの目的がある。メール族との交易によって食料品を作り出す技術を習得すること。それにバルス観光旅行の経路の特定である。バルスが完成すれば、ここはあるだけで金の卵を生み出す鶏になるに違いない。もちろんクーレーンはバルスをただの鶏にするつもりはなかった。
 バルスが芸術の都としての覇権を確立したら財政長官を息子に託して辞任し、バルスで隠居暮らしを送りたい。
 じつのところ、クーレーンの目標というのはこちらであるのかもしれなかった。

 ヴィーシアとしては、フェルノ・クーレーンに財政長官の位を与えてはあるものの、彼にすべての利をわたすつもりはなかった。ひとつの組織が利益を独占するのでは健全な発展は望めない。リグレス・チェンバースを招いたのも、フェルノ店とあるていどの競争が起こるようにとの配慮からであった。もちろん突っ込んだ話のできる話し相手が欲しいというのもある。ヴィーシアはクーレーンが思っているほど浮き世を知らぬわけではなかった。理詰めで考えているわけではないが、何が必要なのか、直感的に悟れるのだ。
 ヴィーシアはチェンバースと別れた後、建設中の邑内の各部署を視察していった。各地から来た協力者たちに順に会っていく。
 その中でも新顔は、サーラ・ピナイという老人であった。蜘蛛会の中では「ピナイ老」で通じるほどの名声と手腕の持ち主であったが、文化人としての一面も持つ。商売と人々、経済、文化の振興と融合を説き、思想家としては蜘蛛会では異端の部類に属した。今では隠居生活をしていたが、バルスのうわさを聞いて、孫のタキと共にはるばるやってきたのである。
「噂は聞いています」
 と、ヴィーシアは目を輝かせて言った。アヴィーナで、彼の書を見たことがある。老人の腕力で書いたとは思えぬのびのびとした字だった。
「こちらこそ」
 ピナイ老は丸い身体を折り曲げるようにして礼をした。
「ご助力できることがあればと思って参った。このおいぼれはここで骨を埋めるつもりじゃ」
「そんな、まだまだお元気のようで。お言葉に甘えて、さっそく、お頼みしたいことがあるのですが」
「何なりと申されよ」
「巡視、になっていただきたいのです」
 ヴィーシアが言ったのは、こういうことであった。
 巡視というのは、いわゆる視察官である。すべての商取引を、商売道徳の上で監視、不正の調査をする。強力な捜査権を有し、不正や道徳上問題のある行動を見つければ更正、指導、事後処理をしてもらう。
「ほほう、それは大任じゃの」
「やっていただけますか」
「喜んでやろうがのう、しかし、わしの『商売道』に基づいてやってしまってよろしいのかね」
「もちろんです。……私は、バルスをただの商売の道具にしてもらいたくはないのです」
 芸術は金になる。芸術は金を浪費させる。どちらも真実だが、金のための道具になってしまってはいけないと思うのだ。それがバルス建邑の信念でもあるし、ピナイ老の考え方は正にそれにふさわしいと思った。
「なるほどのう……」
 ピナイ老は、身体を揺するようにして笑った。
「ご期待に添うよう、努力するとするかの」
「ありがとうございます!」
 そんな間ずっと、ヴィーシアの身辺を警護しているのはゼオ・マキスという男である。もとライル社の壱軍エースであったが、バルスの噂を聞いてあこがれ、駆けつけた。そのライル社の社長ライル・ナタケはバルスへの援助を約束していたが、つい先頃、ウォウルで病死したとの報が入っている。
 その他、ティン・セフィル麾下の銀狼四部隊にも続々と人が結集し、バルスはますます勢を増してきた。今はまだ木の柵に過ぎない城壁の内側に、建物が造築されつつある。夢の邑であったバルスは、いまは確実に大樹となりつつあった。

 人が増えると事件も増える。いさかいも増える。これは仕方のないことだ。それを少しでも少なくするため、ティン・セフィルは日夜心を砕いている。四部隊に入るような人間は、仲裁をしろとは言わない、せめて喧嘩を買わない理性を持った人でなければならない。リグレス・チェンバースの護衛をしていたサラザール=アプシーズは、銀狼のしっぽの遊撃隊長に任じられたが、巡回の時は本当にただ回るだけであった。喧嘩を買いはしないが止めようともしない。
「おや、ロアさん」
 巡回から戻ってくると、港に見覚えのある人影を見つけた。
「これからお出かけですか?」
「ええ、ユディトへ行かなくてはならないので」
 と言いながらロアはポポチをなでた。
「そうですか、ユディトへ……」
 ユディトはセフィルの故郷でもある。捨てた故郷ではあるが、少しは気になっているのだろう。
「ティン・トレストに、私からよろしくと伝えて下さい」
「わかりました。それでは」

 その頃、ヴィルザートとダナスの妖人二人組は、バルス邑内で治療を手伝わされていた。別に強制されたわけではないが、
「医師が五人しかいないっていうのに、まさか逃げたりはしませんよね?」
 と医師のひとりにやんわり言われ、こき使われているのである。
 病人への対策としては、とりあえず対症療法として、薬膳料理を出していた。通称「アシュラ神のビンタ」(闘神擲)とか「フェニックスの爪」(不死鳥爪)と言われている薬草──現実世界で言うと唐辛子──を使って火の気を補っているのである。そしてついでに彼等が食べさせられるのも、同じ料理であった。
「あー、こんなに辛い物ばっかりじゃ、ツァン族の人になっちゃいますよー」
 ヴィルザートはひいひい言っているが、ダナスは平気そうな顔をしている。
「これはこれで、味があって良いと思うけど」
「うー、もうだめですー……」
 天を仰いだヴィルザートの目に、サーズ・ロアの後ろ姿が映った。
「あれ、ロアさん……」
「ユディトに行くのかな」
 と、ダナスのつぶやいた一言で、ヴィルザートははっと思い出した。
「ああっ!」
「どうした、ヴィラ?」
「ユディトに行かなくっちゃいけなかったんじゃ」
「あ、そうか」
 ファルナ=イシャーナがユディト邑宰に納めた金を取り立ててくるのが、彼らのもう一つの任であった。二人はあわててロアの後を追った。

 ユディト邑宰ティン・トレスト。いろいろと良くない噂も聞く彼ではあるが、バルスへの援助を約束してくれたからには使者を返すのが礼というものである。そのついでにあの船の件も調査して星薬会との交渉を有利にしよう、というのがロアの考えであった。
「君たちも来てくれるとは、心強いですねえ」
「それはこっちの台詞ですよ」
 ヴィルザートが心から安心したように言った。何しろ借金を取り立てに行くのである。少々気が重い。
 一方ダナスは左右を見回しながら歩いていた。すっかり観光気分である。さっきも、
「ユディトに来たら名物『ユディトライス』を食べなきゃ」
 と主張したものだ。もっともそれに乗った二人もかなり呑気なものである。
 ユディトは水郷の街である。川の水面は地面よりも少し高く、堤防が街の区画を仕切っていた。
「あ、何か面白そうな店があるよ」
 「シエルブランド」と大きな看板が掛かっている。ちょっと他にはないような派手なデザインである。入口には首に緑のリボンを巻いた白い大きな鳥が止まっていた。
「覗いていこうか?」
「いいですねー」
 軽く賛成するヴィラ。どうもダナスに似てきたようである。
 店内にはありとあらゆる奇妙なもの、珍品が揃っていた。服や装身具、法具……何でもありである。
「いらっしゃいませ」
 トゥー族の少女が愛らしい笑みをうかべて言う。店内には店主らしい黒髪の若い女と、数人の客がいた。
「すごい服だねー。君が作ってるの?」
 ヴィルザートは手近にいる少女に尋ねる。少女は笑って首を振った。
「わたしじゃないです。シーちゃんがつくってるんですよ」
「シーちゃん?」
「店主です。あの人。本名はカルナ・シェルセラヴっていうんだけど、長いからシーちゃんでいいですよ」
「いらっしゃいませ。何をお求めですか?」
 その「シーちゃん」がにっこりと営業スマイルを浮かべながら歩み寄った。かなりの美人である。ヴィルザートなどはどきどきしている。
「あれ、ヴィラ、こういう人が好みなの?」
 ダナスにからかわれ、「違いますよー」と真っ赤になって反論しているヴィラを、シエルは面白がって見ていた。妖人の純情な少年かー。かわいいなー。
「面白そうなお店だから、ちょっとのぞいてみようって入ったんですよ。本当にいろんなのが置いてありますね」
 二人をよそに、ロアは店内を見回していた。いちおうこれでも技芸神の神官である。
(あの兄と同じトゥーってのがちょっとマイナスポイントだけど……声は良いかも
 そちらにもしっかりチェックを入れるシエル。
「ところで、どこからいらっしゃったんですか? 妖人の方なんて」
 好奇心で目が輝いている。
「バルスからですよ」
 答えたのはロアだった。
「へー、バルスって、芸術の邑ってところですよね! どんな感じですか」
「どんなと言われても、まだ建設中ですから、そんなに凄くはないですけど……」
「それで費用の援助を受けるために、邑宰に会いに来たんですよ」
 邑宰、の一言を聞いたとたんに、シエルは不機嫌な顔をした。
「あれ、どうしたんですか?」
 ヴィルが聞いたその瞬間、扉が開いて一人の男が入ってくる。
「いい店だな。繁盛しているみたいで良かったよ」
 かなりの美形だった。シエルの顔が一瞬こわばるのがわかった。しかしその次の瞬間にはにっこりと微笑んでいる。
「ええ、兄様のおかげよ」
「そうか、それは援助した甲斐があったな」
 そして店内を見回し……ティエラの肩をつつむ。あまりの早技に、ロア達は呆気にとられた。
「やあ、君の瞳は、まるで水晶のようだね──」
「兄様」
 間髪入れずに、シエルは声をさえぎった。
「兄様に、お客のようですよ」
「無粋な奴だ。それとも、妬いてるのかな?」
 ぶつぶつ言いながら、男はティエラから手を離した。シエルはふう、とため息をついて言った。
「バルスの方々。これが、ユディト邑宰、ティン・トレストですわ」

 邑宰邸で机を挟んで対面すると、きりりとした好青年に見える。しかし三人は現場を見ているから、はなはだ居心地が悪かった。トレストの方は何ら気負いのないようすで、まっすぐにこちらを見ていた。
 たしかに食えない男であった。バルスを援助するというのは本心らしい。何をもくろんでのことかは分からないが。船のことについては、
「たしかにイシャーナ神殿の要請のあった薬も入っていたが大半はうちの邑で使う予定のものだった。こちらも損害を受けたのだからそう簡単に金は返せないな」
 ときっぱり言い、さらに金の用立ては自分ではなく御用商人に言え、と言われた。たしかに話の筋は通っている。だが、怪しい。実に怪しい。
「船が沈んだ原因はわからない。情報ではツァンの軍船だったという話だ」
 噂と同じことを繰り返すばかり。だがツァンの軍船、では信じろと言う方が無理だ。ツァンとひとことに言っても邑は多いし邑でなく賊かも知れない。いまから確認するのは不可能だ。
(ひょっとしたら、最初からそんなものはなかったのではないか)
 という疑問に戻ってくる。それならそれで、星薬会は危機感を持つだろうから、バルスに支部を作ってくれる可能性は高くなる、筈だが。
 結局何ら謎は解けぬまま、三人は乗ってきた船にひきかえそうとして、またあの店の前を通りかかった。
「あら、あなたたち、ユディト・アイスは食べていかないの?」
 扉を開けて、はかったようにシエルが出てきた。ダナスとヴィラは顔を見合わせる。
「そういえば、忘れてましたね」
「うんうん、食べてかないと片手落ちってもんだよ」
「私が、売ってるとこまで案内してあげる。ちょうど、食べたいと思ってたところだし」
 シエルが言うと、ティエラは不審そうな目で見た。
「逃げちゃだめですよ、シーちゃん」
「あ、ついでに仕入れ行ってくるかも じゃねー」
 シエルは走り出す。ティエラは諦めたように、ふう、とため息をついた。

「やっぱりユディト・アイスはおいしいわねー
 満足げな顔をするシエルの横で、ヴィラは安堵の息をついた。
「久々に辛くない物を食べたような気がします」
「ところで、あなたたち次はどこに行くの?」
「星薬会の聖地、アプシーズまで。ロアが交渉しなきゃならないし、ぼくたちも報告をしなきゃいけないからね〜」
 ダナスもさも満足そうに食べながら言う。
「私も一緒に行っていい?」
 シエルはにっこりと、極上の笑みを浮かべた。
「えーっ、でも店はいいんですか?」
「うーん、もう飽きちゃった。ティエラもいるし、問題ないわ」
「……」
 さすがにあの邑宰の妹と言うだけはある、とロアは胸中ひそかにつぶやいたのだった。

 イーヴ・セストは、バルスの唄とそうでない歌を奏でながら、バルス近くの邑をさすらっていた。一応バルスの宣伝に協力を約したものの、彼の心を迷いが支配している。
「違う、だがこの歌は、私の中から湧きあがってきたもの。悲しみも苦しみも、すべて私のもの、その中から生み出されたもの。君は、それを『美しい』と言ってくれる、神の贈り物だ、と。では──私は、何だ? 美しい真珠をはぐくむ牡蛎(かき)は、真珠を取り出したあと、どうされるか知っているかい? そうして、連中は言う──「これは、海の恵みだ!」と。私はね、人をつくった者の手に、彼等の栄誉をとりもどすために旋律を集めているんだ!!」「……楽師の神の栄誉のため、ではなく。」
 やはり神殿とはソリが合いそうにない。音楽は人のものであるべきだ、と……そう大声で主張はしないが。
「話があるのだが」
 とある邑で、一人の男が、演奏を終えて立ち去ろうとする彼を引き止めた。演奏を称えようという雰囲気ではなかった。セストは頷いて男についていく。
「私はバルスについて、少々調べている者だ」
 路地に入るなり、男はそう呟いた。
「バルスの財政長官となったフェルノ・クーレーンという男が、スィスニアのクーデターに関わっていた──という情報があってな。それを裏付ける情報を集めているのだが。どうだ、取り引きしないか」
 セストは首を横に振った。
「そこまでは、私は知らない。知っていたら教えるのだが。──本当なのか」
「裏の裏の情報だ。ナグモ・リューンの蜂起を支えた三大兄弟という商人に、フェルノ・クーレーンが、ひそかに武器を流していたのだという」
「それは初耳だ。……だが、あり得るような気はするな」
 ほう、と男は頷いた。
「何故かね」
「バルス邑宰と邑宰丞はきわめて理想主義者だ。だがあの財政長官はそれとは全く正反対な、現実主義者だ。バルスに来たのも、蜘蛛会外部組織をめぐっての闘争で先を越されたからだと聞いた。彼がバルスを発展させることを望んでいるのは間違いないが、それは邑宰たちとは方向性が少し違うだろう」
「成程。充分だ」
「で、見返りは何だ」
「何か欲しい情報があるか?」
「……採譜」
「何だ?」
「いにしえの名曲の眠っている場所を」
「……」
「私も理想主義者なのでね。……バルス邑宰とはまた違った意味で」
 セストはひそやかに笑った。男は頷いた。
「わかった。ここの蜘蛛会に話をつけておく。明日中に行ってみろ。手がかりが見つかるかもしれん」
 それだけ言って、また去っていく。
 セストは手の十二弦琴を見おろした。平和を売りにしているバルス、しかしその裏にもこんな血なまぐさいものが潜んでいる。人である以上、そしてこの時代に生きている以上、仕方のないことだ。だからこそ人はそうでないものを望む。それが夢に過ぎないのだとしても。

 トゥー・ラスカは、いつものように窓際に佇んで竪琴(ライアー)を奏でていた。高く低く、聞く者の心を打たずにはいられない繊細な音。彼の空虚な心を映して、どこまでも澄み通って、もの悲しい。
 ふと、手が止まった。何かを感じて、彼は扉を振り返った。
 ──鎧甲の軋み、剣の鍔鳴り。
「……メルナ?」
「兄様……!」
 走り寄ってくるのは、たしかに妹だ。ラスカは竪琴を置き、しっかりと彼女を腕の中に抱きしめた。
「よく……帰ってきたね、メルナ……」
「ただいま、兄様……」
「今までどうしていたんだ。連絡の一つぐらい、よこしてくれてもよかったのに」
 メルナは答えなかった。傷が完治するまで一節(ひとつき)半も寝ていた、などと言ったら心配するに決まっている。
「まあいい、こうして帰ってきてくれたんだからな……」
 ラスカは妹の長い銀髪をすくった。少し、また綺麗になった。美しい、というより勇ましいという印象は変わらないけれど。
「兄様」
「ん」
「一曲、弾いて」
「ああ」
 ラスカは竪琴を手にとった。なめらかに、滑るように弦をなぞる指。先刻とは全然音質が変わっていた。毎日毎日聞いている筈の神官たちも、思わず手を止めて聴き入った。しあわせな音だった。充たされるような、そんな音。
 演奏が終わるのを待って、メルナは弦に指をかぶせる兄に言った。
「私、謀になったの」
「謀? 間よりもひとつ上の位だな」
「で、また旅に出るの。今日は、ちょっと寄っただけ」
「……そうか」
 ラスカは妹をじっと見つめた。沈黙が流れた。
「……ごめんなさい、兄様」
「謝ることはないよ」
 ラスカは強いて笑った。
「そう、謝ることはない。また、こうして帰ってきてくれるなら」
「兄様……」
「次に会えるのは、いつになる?」
「わからないわ」
「そうか……」
 ラスカはそっと、妹の肩に手をおいた。手の下には肩当てがあるはずだが、それを透して、兄の心が伝わってくるのがわかった。
「なら、俺はここでずっと待っている。いつか必ず……必ず、帰って来るんだ」
「ええ、兄様。……約束するわ」
「ガンダルヴァ神にかけて?」
「この、ガンダルヴァ神の神像にかけて」
 メルナは自分の胸を指さした。そこには、以前出発の時に貰った護符がある。
「この護符にかけて、必ず帰ってくるわ……」
 時代が流れる。血が流れる。色々な人と出会って、楽しいこと、辛いこと、悲しいことがたくさんある。それに触れて、……でも、私は必ずここに帰ってくる。
 ここだけが、私の帰るべき場所なのだから……


 いい締めがみつからなくて、結局この二人を持ってきてしまった(笑)
 最初と最後だけ出てくる(笑)ははは。

■ 前のページに戻る