会誌-「サークル水月会誌 第6回」

■ リアクション6−1  (独立暦401年人の月)


 ナグモ・リューンは、城壁の上からスウィズを見おろしていた。
 諸処に、黄縁白服に黒帯の人間が走り回っている。そのうちの一人は、あのフェイティエン=キースであるはずだ。指示の出し方の的確さはこの目で見た。ディヤウス神殿での地位はただの神官ということだが、あれはどう見ても人を使うことに慣れている人間の動きだ。
 彼の生まれや育ちについて、何も聞き出したわけではない。そこまで親密になるほど、長い時間をすごしたわけではなかった。だが、大金持ちか邑宰家か、とにかくいい家の出であろうことは直感できた。その彼が、なぜ神官を、しかもセルフィアーではマイナーな方に属するディヤウスの神官をしているのか、興味があった。しかし今はそんなことを考えているときではない。
「リューン将軍」
 そのフェイティエンの声が横あいから聞こえた。いつの間にかここに上がってきていたようだった。
「処置はほとんど終わりました。火の気をばらまいたり、気のバランスを狂わせるような宝器はもう稼働していませんから、ご安心ください」
「そうか」
 言葉の通り、黄縁白服の動きがだんだんゆるやかになり、ひとところに集まりはじめた。その数はおよそ五百人ばかりか。一軍のように統制がとれていた。
「セルフィアー全土のディヤウス神官たちの中でも、神の啓示を受けて集った勇気と能力のある者たちです」
 リューンの心を見透かしたように、やわらかな口調で解説を加える。リューンはあらためてフェイティエンを見やった。
「リューン将軍のお力のお陰で、我らの目的は達成されました。『ディヤウスの制裁』とは申しても、神は自ら力をふるって人を滅ぼすようなことはなされません。人の力をもってのみ、人の秩序は保たれるのです。それを、神は望んでおられるのです」
 リューンが神を信じないのは、神の力にすがるような弱い人間が嫌いだからだ。しかしこのフェイティエンという青年は違うようだった。神を心のよりどころとしてはいる。だがその力を盲信するのではない。信じるところに従って、自分の目的を果たしていく。
 彼は語った。炎を発する宝器が、津波を起こす宝器が、故郷を襲う夢を見たのだと。そしてそれを現実とするかもしれない邑が、東方にあるのだと、神が告げたのだ。ディヤウス神官たちはみなそういう啓示を受けた。だが、神の意志だから滅ぼすのではない。人が神の力を管理することは、そういった悲劇をおこすということを、神が教えてくださった。それに共感したからこそ、スウィズを滅ぼしたのだ。
「……いや、君らがいなければ、我々も宝器の力に歯が立たなかっただろう。それ以前に、毒気にあてられて退いていたかもしれない。この街の人々は、よくこんなところで暮らしていられたものだな」
 宝器を壊したおかげで、スウィズの乱れた地気も平均的なナーラダの気に戻った。そしてリューンは、今立っている城壁も取り壊すつもりでいる。
「城壁などというものがあるから人の心が憶病になるのだ。漢なら褌一つで大地に立て!」
 そう言ったとか言わないとか。
「ところで、差し出がましいとは思いますが……」
 フェイティエンがためらいがちに言いかけた言葉を、リューンは即座に了承していた。
「神殿の造築のことだな。わかっている、前言を違えることはない」
 使える人間には出費と労力を惜しまないのが、リューンのやりかたであった。フェイティエンは一介の神官で終わる男ではない。リューンはそう感じたのだ。

 リューンは「スィスニア大将軍」と名乗った。邑宰と名乗らなかったのは、邑宰という名に価値を感じないからであって、ルシャナ・シルキーヌに遠慮したわけでは無論ない。スィスニア、と冠してはいるが、事実上はシーラン・スウィズをも含めた三邑の支配者であった。
 シーランにはブレイブ・シュウがそのまま邑宰位を守っていたが、それは名ばかりのもので、リューンの部下メロウリンクの監視つきであった。スウィズ邑宰はライル社が政を執る以前の邑宰家の者であるが、これも飾りものであることはいうまでもない。彼らはナグモ・リューンを推挙するという形で全権を委任している。
 そして彼直属の統治組織「スィスニア軍議」はその名の通りの軍政府である。三邑には戒厳令が布かれ、さまざまな強硬手段によって改革が進められた。民間の武器・宝器は没収され、良識有る者、すなわちリューンの支持者や部下に分け与えられた。またシーランの勢家をスィスニアに移し、シーランを弱体化させたが、このことはリューンの挙兵を支持した三大兄弟に圧力を加えることにもなった。すでに三大兄弟は用済みと見られていることは間違いなかった。そして得意の情報統制・扇動宣伝によって言論と思想を統制しようとした。
 三邑の間には道路が整備され、各邑の港湾は拡大された。こうして流通の便をはかったうえで、各邑を発展させ、さらに三邑の経済が発展することを狙ったのだ。
 工業都市スウィズ、農業都市シーラン、商業都市スィスニア。後の世にこの三邑は強力な連携をみせ、蜘蛛会のアヴィーナをもおびやかすほどの経済力をもつことになるのだが、それはまだ先の話である。

 そしてリューン軍の実働部隊はというと、その三邑の間をひっきりなしに巡回していた。
 無論、ただ動いているだけではない。その周辺に出没する匪賊やライル社の残党(もしくはそれを兼ねているもの)を刈り取りつつ、軍の再編成をおこなっていたのである。軍の鍛錬の意味もあった。機動力が彼の軍の身上でもあるからだ。
 戦いつつ将、伍、兵の適性をみきわめ、親衛隊・突撃隊・諜報隊にそれぞれ振り分ける。また三邑それぞれに軍学所を開設して、将の育成、兵学の研究、兵の訓練、それに政や思想に関する教育をも施していた。
 思想教育などというものは兵には必要ないのではないか、と思うむきもあったようだが、これは実は独立戦争時のセルフィアーでは最も重要なこととして扱われていたことである。独立の戦士の育成のためには、兵学だけではなく、独立の精神を養い培うべし──当時の竜老会の戒訓第一である。四百年を経た今となっては忘れられた精神だ。リューンはそれを知っていたわけではなかったが、必要なことであると強く主張していた。おかげで旧シーラン軍などは簡単に取り込まれてしまい、吏長たちは苦々しい顔をしている。
 しかし、
「──何という姑息な奴だったんだ」
 という感想は日を増して強くなっていく。クラウ・ハデンのことである。彼はもと賞金稼ぎであったという過去を持つが、そのときの人脈か、やたらと賊の中にハデンの部下や知り合いが多い。否定しても、身につけた宝器を見れば一目瞭然である。
「いざというときには、この賊たちを集めて蜂起するつもりだったんだろうな」
 シュラは半分呆れながらも言った。たしかに軍の法としては理にかなってはいる。傭兵を雇うというのと大差ない。しかし、
「──賊の力を借りて勝つのが、そんなに嬉しいか」
 と、どうしても思ってしまう。リューンの軍は、リューンを盲信していてリューンの命令なら後先考えずに突行するというおそろしく人間性を失った軍だが、ひとつ、大きな美点があるとすれば、それは戦に対してそれぞれが強い美意識を持っていることだった。エレガントに、スマートに勝つ。策略を施さないという意味ではない。策略を施すときも鮮やかに──

 とにかく、蒼龍紅蓮隊もそうした賊のひとつである。もともとスィスニアを撹乱するのが目的で編成されたものだ。数は正規の軍と比べれば多くはない。巡回中のリューン軍と当たってはひとたまりもなかった。
 それよりも問題なのは無傷のスウィズ壱軍である。こちらには宝器を無効化する神器があるとはいえ、まともにぶつかっては痛い。
 そう思っていたのだが、壱軍はナタケの指示によって進路を変え、ウォウル方面へ向かった。どこからか落ち延びていたナタケとその他生き残った社員たちも道々合流していく。ウォウル軍は報を聞いて色めき立ったが、ウォウルに到着したナタケはヴィレクへの面会を求めた。
「だったら先に使いをよこせよ」
 レザー・ウェルはそう思って憮然とする。
「威嚇のつもりでもないのでしょうけど。和を乞うのならとりあえず武装を解除して礼を尽くすのが筋ってものですよね」
 ファイ・エルナットに至っては口に出してそう言った。ヴィレクは苦笑する。ジグトは大きく頷いた。
「礼はともかく、武装を解くのは重要です。そしてすべてヴィシュヴァカルマン神殿に預けるのが、それこそ筋というものでしょう。スウィズが壊滅した今、『ディヤウスの制裁』は決着したとみてよいのでしょうが、念のためということもあります。それにあの強力な気をまとって町中を歩かれたら、子供などの身体に異常が起こらないとも限りません」
「それもそうだが、私はもうひとつ考えている」
 ヴィレクは静かに言った。彼はまだ変声期を迎えていないらしく、澄んだ高い声のままである。
「ヴィシュヴァカルマン神殿にあれを寄贈して、宝器術法の開発に役立てて貰おう。聞けば、宝器術法はまだまだ未完成とか。ゆえにライル社のような奇形が生じるわけだが、体系が確立し、術法が完成すれば、少しはましになるだろう。……もちろん、寄贈の見返りによい兵器を受け取っておく。ナグモ・リューン軍との決戦も近いことだしな」
「そうですな」
 ジグトは大きく頷いた。
「で、ライル・ナタケとの会談の件はどうしますか」
「保留だ。……ナグモ・リューンとの決戦は避けられないが、あからさまに敵対するにはまだすこし早いだろう。武装を解除し、邑内に保護しておけ。……ウェル、エルナットの二名にその手配と監視をたのむ」
「わかりました」
 声を揃え、礼をすると、二人はすぐに駆け出していった。

 ライル社壱軍がそんなことになっているとは露とも知らぬ、もと壱軍エースのゼオ・マキスは、ファン・フェイロンの飛竜号にいた。
 フェイロンは、三大兄弟・スィスニア軍と交戦する前に、ウォウルに於いてラファエロ・ティフォートから例の鉄の利剣を数十本購入していた。それをバルスに売りに行こうかと考えていた矢先、この熱血男と遭遇したのである。
 ナグモ・リューンといいナーラダ・ヴィレクといい、民を犠牲にして大きな顔をしている統治者たちにはいい加減愛想が尽きた。しかしバルスは、同じ理想主義者でも目を向けている方向が違う。もちろんただで譲る気はないが、力になってやっても良いような気がした。このゼオ・マキスという男も、どこか一本抜けているが実力はあるようだった。届けてやって損はないだろう。
「要するに、恩を売っておこうということですね」
 事務長のニールス・サンチェがにやりとする。フェイロンはちらと目を向けた。
「あたりまえだろう。バルスは人気急上昇中の邑だ。少なくとも今の邑宰が死ぬまでは続く。その後は瓦解するだろうが、それは俺たちの孫が死んだその先ぐらいだろう」
 夢の邑が永遠に続くと信じられるほど、フェイロンはお人好しではない。しかし、今の状態を否定するつもりはなかった。一般人の、しかも神人(ホルス)でもない者が一邑を起こすという前代未聞の快挙をなしとげているのである。
「芸術の邑か……これまでの『平和な』時代じゃなく、今の時代になってそんなことを始めたというところが、歴史の反動らしくて面白いな」
 ひとしきり感慨にひたるフェイロンであった。
 さて、飛竜号の掃除担当ことセルフィアという少女は、あいかわらず何も思い出せないらしい。ただ、たまに夢を見る、と言った。
「何の夢? あなた自身の手がかりになること?」
 ティア・カレンは興味深げに尋ねた。
「分からないのです……ただ、とてもなつかしい気がして」
「どんな夢なの」
「美しい、女性です……優しくて、(つよ)い目をして、とてもあたたかい女の人。私よりすこし年上で、私と同じナーラダの姿をして、やさしく、包みこんでくれるような……」
 やはり、とカレンはひそかに呟いた。
 やはり、この子は……

「エレミア」
 ルシャナ・シルキーヌは、ナーガ神殿の私室の窓からセルファニア湖を遠望してぽつりと呟いた。
「……妹君が、どうかしたのか?」
 部屋に入ってきたヴァシュナ・シリルがその独語をききとがめた。シルキーヌは振り返り、にっこりと笑った。
「妹君のことを心配していたんじゃないのか?」
 シルキーヌは首を横に振る。
「いいえ。むしろ、安心していたのです。エレミアは、もともと簡単に命を落とすような子ではありません。わたくしよりもあの子の方が霊力は強いと言われていたのですよ。そして、エレミアは今、どこよりも安全な場所にいます」
「安全な場所? スィスニアではないのか」
「どこだと思いますか。あなたも知っている場所ですよ」
「安全で、わたしも知っている場所……まさか」
「飛竜号。独立暦のセルフィアーに存在するはずのない、言霊人の遺産。……未だ制御の理論が打ち立てられていない宝器術法とは違い、完璧な体系のもとに構築されたシステムを持つ、まさに時空を越えた堅牢な要塞。エレミアは、そこにいます」
 シルキーヌは瞳をとじた。まるでそこに妹がいるかのように、窓に向かってそっと手を伸ばす。
「エレミアの力は湖の力。わたくしが誤認するはずもありません。気脈が、つねになくあたたかく感じられるということは、エレミアが湖にいるということ。間違いありませんわ」
 だから、妹の心配をすることはない。これまでは確証がもてなかった。スィスニアに囚われている可能性も考えていた。だから……
「ルシャナ財団は解散しましょう」
 シルキーヌの言に、シリルははっとした。問い返す。
「何故だ?」
「どうすればいいか、ずっと考えていました」
 シルキーヌはそっと目を伏せる。
「わたくしは、民たちを救いたいと、ずっと思っていました。それが、邑宰家に生まれた者の使命でしたから。でも、スィスニアを失ってみてはじめて、それではだめなのだと感じました。スィスニアを治めることは、スィスニアの民を救うことにしかなりません。そして、私はスィスニア邑宰であると同時にナーガの大司祭でもあるのです。大司祭として、ナーラダ族全体を見据えて……でも、スィスニアの民たちは、スィスニアを取り戻すことを望んでいます。ふたたびルシャナ家によって、スィスニアが治められることを」
 もし、唯一の肉親であるエレミアがリューンの手の者に捕らえられているなら、スィスニアを取り戻さざるを得なくなる。しかし、そうでないのなら、シルキーヌはスィスニア一邑にこだわる必要はなくなるのだ。
「わたくしは、ナーガ大司祭として生きます。スィスニア邑宰と大司祭、その両方を兼ねることは、もうわたくしには不可能です。だからルシャナ財団は解散したいのです。スィスニア邑宰には、あなたがなってください。血縁なのですから、資格はあります」
「わたしが君の形代となって、君のできなくなったことをするわけだな。きっとそれが一番いいと思う」
 シリルは頷いた。シルキーヌは微笑した。少し寂しそうな笑みだった。
「でも、それはあなたに私の負い目を引き受けさせることになります」
「とんでもない」
 シリルはシルキーヌに深く頭を下げた。
「……もともと、ルシャナ財団などというものを持ち出したのは、わたしだ。初めからこうすればよかった。こうすれば、君はもっと自由に活動できたのだから……」

 その頃クラウ・ハデンは、ハウザー・カッシュと共にミュール邑に潜伏していた。「スィスニアはスウィズを落とした勢いに乗ってミュールに野望の触手を伸ばそうとしている」との流言を流させている。リュシー、ヤーダカにも同様の工作をした。
 あまり表だった反応は見られない。スィスニアを乗っ取られた時に一度、スウィズの時にすでに一度驚いているから、もう大して衝撃はないのだろう。
 ターヌ地方の邑は連合というほど連携は堅くはないが、仲は悪くない。もし一つの邑が侵略を受けたら、連合を組む可能性は充分にある。ハデンはそれに賭けようと思っていた。
 そして、ナグモ・リューンに「ミュール邑にライル社の大物が何人か潜伏している」という怪文書を送った。ミュール邑に仕官する機会を狙ってのことである。だがまだこれに対してもリアクションはない。
 彼の懐にはライル・ナタケの筆によるライル社の全権委任状がある。ナタケがもし死んだときにはと託されたものだ。だが彼はそんな日が来ることはないと、かたく信じている。それでも常に持ち歩いているのは、単に彼女の字が記されているものを持っておきたかったからだ。少なくとも、彼はそう思っていた。

 シルキーヌはナーガ大司祭として、活発な活動を開始した。まずはウォウルで大演説を行い、ナーラダ族居住地域各地の神殿勢力に書簡を送る。そしてスウィズ難民をはじめとした流民たちの救済をおこなうための体制を組み立てようとした。
 物資は旧ルシャナ財団が蓄えていたものをナーガ神殿が引き受ける。それで当面はなんとかなるはずだが、足りないものは昇竜会を通じて補給されることになった。昇竜会は前述の通り竜眸石を主に扱っていた組織だが、三大兄弟に追われて今はウォウルに亡命している。人はナーガの神官を派遣する。
 その一方で、シルキーヌはナタケとヴィレクに使者を出していた。
「どちらも同じナーラダの者。リューンと敵対する、いわば味方同士ではありませんか。一度会談の席を持ち、語り合ってみては如何ですか」
「大司祭がそうおっしゃるなら」
 とナタケは言い、ヴィレクも今度は応じた。ナーガ大司祭としてのシルキーヌを尊重することは、今後のためになると考えてのことだった。

(これが、ライル・ナタケか)
(この少年が、ナーラダ・ヴィレク……)
 双方の第一印象はこれだけだった。互いに会う機会はこれまで何度かできたはずだった。それを、ヴィレクの方が一方的に破棄してきたわけだが、その判断が間違っていたとは思えなかった。
 清純を売り物にしているだけあって確かに美しい。歳は一八歳というから、女性がもっとも美しい年頃だ。つややかな黒髪、やや薄い緑色の瞳。いかにもやさしそうな、それでいてしっかりしていそうな、お姉さんタイプといったところだ。
「お初にお目にかかります、ウォウル王ナーラダ・ヴィレク殿」
 非の打ち所のない、なめらかでおっとりとした声だった。ヴィレクも応じてにっこりと笑った。隣に腰かけたジグトは背筋が寒くなった。……こんなににこやかなヴィレク様は久々に見た。機嫌がお悪い……
「こちらこそ度重なる無礼、お許しを。ライル・ナタケ殿」
 ヴィレクはあえて相手の身分を略した。それが何を意味するのか、ナタケには分かっているはずだが、ナタケの笑みはくずれない。
「なぜ、ウォウルに来られたのか。そこをまだ、聞いていなかったな」
 分かっていることを、わざわざ訊く。ナタケは生真面目に答えた。こちらが立場が弱いのは百も承知の上だ。
「私は独力でリューンさんの手からスウィズ奪回にはしるよりもヴィレクさんに協力したほうが乱世の終結が早まると考え決断しました。宝器についてですが、実質今のところ生産は無理ですしこれからも注文が無いかぎりは武具系についてはつくるつもりはありません。ディヤウス神殿の敵にウォウルを加えるわけにはいきませんから。通常の商業活動でも充分に儲けは出ます」
 あえて商売人という立場を前面に押し出す作戦である。ヴィレクはくすくすと笑った。
「では、君は乱世の終結を望んでいるのだな」
「それは、ハデンさんからも聞いているのでしょう?」
 ナタケは笑みを絶やさずに言った。
「それとも、あの人、言うのを忘れたのかしら……」
「いや、聞いている。君の口から確認したかっただけだ。真実なのかどうかをな」
 ヴィレクはすこし首をかしげ、ナタケの瞳をじっと見つめた。
「これは、巷間で言われていることなのだが……」
「何でしょう?」
「スウィズは城壁を築きながら和を求める。ライル社は武装を強化しながら平和を説く。そしてライル社社長はにっこり笑って人を殺す……こういう言葉があったのだが」
 にこ、と笑ってみせる。
「いや、噂にすぎなくてよかった。こんなに人柄のよい人間を戴いたライル社は、幸福な団体だったな。いや、全くだ」
「……ヴィレク様、喧嘩を売っているのですか?」
 ジグトがたまりかねて口を出した。ヴィレクは笑う。
「いや、そんなつもりはない。私はただ、明日にでも名士録に名を連ねるライル・ナタケ殿の美点を誉めてさしあげているだけだ」
「……私が、名士録に、名を連ねる?」
 ナタケは口の中で繰り返した。名士録……過去の偉大な人間や著名な人間を記した人名辞典のことだ。そう、過去の。
「まさか、私を殺すつもりではありませんよね?」
 ナタケはおっとりした口調のまま訊いた。──これまで発揮する機会はなかったが、彼女は自身も強力な術法の使い手だ。
「そんなことはしないよ。必要もないからね。……ナタケ殿は、星薬会の医師に診てもらったことはないのか?」
「え? ええ。体調が悪くなったら、自分で薬で治していましたから」
「……そうか」
 ヴィレクは立ち上がった。
「いちおう、医者は呼んである。顔馴染みの方がいいだろうと思って、星薬会からわざわざ来てもらった。……最後に、ひとことだけ言っておこう」
「はい?」
「……私は、君とだけはわかりあえそうにないね」
 極上の笑顔を向けると、ヴィレクは扉の向こうに消えていった。
 結局、何も得ることができなかった。

 与えられた部屋に戻ると、金髪、妖突の耳の青年が待っていた。
「……顔馴染み、って……」
「お久しぶりです、ライル社社長、ライル・ナタケさん」
「あなたは確か……あの時、琴を献じに来た……」
 一年ほど前だった。戦乱の気配の濃厚となってきたころ、スウィズに、三角琴(トライガン)を持って現れた妖人がいた。
「そう、オルリートと申します」
 にやりと笑う。
「あのとき言ったことは、やっぱり真実だったでしょう?」
 今日は白衣をまとっている。三角琴(トライガン)も持参していない。医者として来た、ということだろう。
「言っておきますが、私は悪いところなど、どこにもありませんよ」
「いや、あります。ただ一つだけ、とても悪いところが」
「頭、とか口、とかいうのではなくて?」
「冗談ではありません。……気、ですよ」
「気?」
 気がどうしたというのだろう。怪訝そうな顔をしたナタケを見て、オルリートはため息をついて肩をすくめた。
「これだけ気が乱れているのに、自分で気づかない。ライル社の濃密な気の中で幼い頃から育ったせいです。気を操ることには長じても、気を感じることにはこれほど鈍感になってしまっているとはね。……外観はナーラダの標準に近いですが、それはスウィズのあの気の中で適応した結果でしょう」
「何を、おっしゃりたいのですか?」
「優れた薬も大量に用いれば人を殺すこともできる、という話です。これも、以前に言いましたね。……何もかもを人が制することが出来ると思ったら大間違いですよ。あの宝器の発する強力な気の流れを、あなたは制することができた。そうして沢山の宝器をつくりだすことができた。だが、気を注ぐということは地気を乱すこと。スウィズの気がどれだけ乱れていたか、あなたは気づきもしなかったでしょう。……宝器術法という便利な法がありながら、それを大量に生産するという行為には誰もが躊躇した、その理由がこれです」
「……」
 この妖人の言うことのすべてを信じたわけではない。だが、大量生産がおこなわれなかった理由は、平和だったから、商売が成り立たないからだとばかり思っていた。
「だから、ヴィシュヴァカルマンの創師は決して寄り集まらない。気の乱れが出ぬよう細心の注意をはらい、そして、あまりに強力な法はおこなわない。ライル社に集まったのは強力ではあるかもしれないが我流の創師たちだ。……そして、気の乱れをもっとも敏感に受けるのは子供たちだ。……あなたはまだ一八歳ですね。社長を継いだのが一四歳の時。そしてライル社はその二年前に施術宝器の量産を始めている。社長の娘であったあなたは、いつもその近くにいたはずだ」
「それは、そうですが……」
 優しかった父親の傍らにあって、つねに父親の仕事を見守ってきた。いつか、自分がその志を継ぐために。……それがこんなに早いとは、思いもしていなかったけれど。
「ヴェルーダの『災い』によってかの地では地気が乱され、奇病が発生しました。土地を移っても、まだそれに悩まされている人はたくさんいる。……あなたも、スウィズを離れたことで回復してはいない。むしろ、悪化している」
「私……」
「あなたの肉体ははっきりいってもう死んでいる。その形を保っていられるのが不思議なくらいだ。手を施すすべはない。……星薬会の術にも、乱れた気を戻すものはない」
「では……どうしてここに?」
「ヴェルーダの難民たちを助けるための参考になれば、と。……ですから、あなたの治療には尽力させてもらいましょう。お代もいただきませんよ」
「お好きになさってください」
 ナタケは大きくため息をついた。オルリートはちらと彼女の顔を見、部屋を出ていった。

 信じられなかった。
 自分のことをあまりに軽視していた。寝食を削って、平和のためになろうと努力してきたはずだった。少しくらい体調が悪くても、無視して明るい表情をつくってきた。……それをくりかえしているうちに、体調の乱れ──気の乱れを感じなくなっていたのだろうか。
 本来彼女は、その優しい心と同様、繊細な霊感応力を持っていたはずだった。それが、いつから働かなくなっていたというのだろう。オルリートの悪い冗談としか思えなかった。
 だから、試してみよう、と思った。
 ただひとつ持っていた、霊力増幅の護符を手に抱く。
 霊力を高め……気を感じとろうとしたその時。
 ふいに、意識が消えた。
 ……そして、ふたたび戻ることはなかった。

 この空もこの雲も知る六秋より
 此地に塔立ち壁を囲む
 火を制し水を制し光を制し
 気においては流れを止む
 天、これを怒り制裁を下し
 女、力を受け嫣枝にして(たお)る……

 オルリートはそこまで歌うと手を止めた。扉のほうを見、そして一礼する。たとえ自業自得であっても、死者を悼むのは医師としての義務であった。

 ライル・ナタケ、死す。
 この情報は、またたくまにナーラダ族全邑に伝わった。
「……そうですか」
 シルキーヌは粛然としてその死を悼んだ。やっと、わかりあえると思ったのに、その前にこの世から消えてしまうなんて。
 しかし、予定を大幅に狂わせるほどの事態とはならなかった。ヴィレクはヴィシュヴァカルマン神殿の出先機関としてライル社を存続させ、もと壱軍の者はそのままウォウル軍に組み込んだ。いずれはウォウルからは離れてゆくのだろうが、リューンと戦っている間は役に立つだろう。
 シルキーヌは前々からの腹案である諸勢力円卓会議を主催しようとしていた。邑間で争いや戦争が生じた場合、解決策を見出すための中立の場をつくること。「兄弟の諍いを親が諌めるが如く、邑の争いは戦争を司る神の代理としてそれをおさめる」というのが彼女の立場である。前は自らが諸勢力の一つであったからいろいろと不整合もあったが、今は純粋にナーガ大司祭として、これに臨むことができる。
 各地に使者が派遣され、それに応じた邑は前回よりもはるかに多かった。
 ウォウル王国の王、ナーラダ・ヴィレクはもちろん参加する。イレーヌからはイレーヌ邑宰イー・リミイ。そしてナーガ神殿のルシャナ・シルキーヌ、スィスニア亡命政府のヴァシュナ・シリル。またターヌ地方の諸邑、それにリビュニアなどからも外吏長が出席している。大邑はそんなところで、中小の邑からも沢山の参加者があった。
 スウィズ=ライル社関係からはミュール潜伏中のクラウ・ハデンに使者が出されたが、応じることはなかった。また、ナグモ・リューンも当然欠席している。
「ナーガの名にかけて、この席の安全性と公平性をお約束します」
 から始まるシルキーヌの挨拶のあと、ナーラダ・ヴィレクが腹案の「王国制」についての説明をすると、会場内には大きなざわめきが走った。覇王として知られつつあるヴィレクがそんな考えを持っていようとは、想像もしていなかった邑がほとんどなのだ。
「しかし、これはナグモ・リューンを倒してからでないとできません。彼のやりかたは、軍の力を背景に一方的な価値観による厳格な規律と恐怖をもって統治をおこなうもので、独立以来自由を大切にしてきた我らの信念とは相容れぬものです。この席にも彼は参加していません。つまり、我々と話し合う気はない、来るなら武力で来い、ということでしょう」
「で、ヴィレク殿は我々にどうせよと? ウォウルに味方して戦えと言うのか?」
 こう言った者もいたが、ヴィレクはにっこりと笑った。
「いえ、それはあなた方の自由です。私に味方しようが、座視しようが、リューンに加勢しようが。邑それぞれのお考えがおありでしょうから」
 具体的に何が決まったと言うわけでもなく、てんで勝手なことをしゃべり合って散会した。シルキーヌはそれでいい、と思った。諸勢力が集まって話し合う場ができ、大過なく閉会した。必要なのは、これからだ。これから、旧ルシャナ財団が目指していたものが人々の間に浸透していってくれれば。この会が、再び開かれ、少しでも民に被害者が減れば、と……

 ナグモ・リューンが「北伐出師の檄」を発したのは、その翌日のことだった。
 対ウォウル戦にあたって、ナーラダ族居住地域全土に自分の大義を宣じるのがねらいである。「いやしくもナーラダ姓を名乗る者が、民の意志を全く無視して己の勝手な論理をふりかざし、秩序を破壊し、人民に隷属を強制し、民族の誇りを土足で踏みにじった」というのが主な論旨であった。これを要約すると、
「民に対する反逆罪により、討伐する!」
 ということになるだろうか。
「無礼な……!」
 レザー・ウェルなどはこれを読んで激発したが、
「成程な」
 ヴィレクは苦笑した。
「名文ではある。士気を高める効果はあるだろう。ひょっとしたら騙されてあちらにつく邑のひとつやふたつはあるかもしれない」
「しかし、これはヴィレク様だけでなくリューンにもあてはまるのではありませんか」
 ジグトは冷静に言った。ヴィレクは頷いた。
「そうだな、まったくだ。しかし、新しい秩序を築くためには古い秩序をこわさなければならない、そのことを私もリューンも知っているからこそ、戦わなければならないのだ。人民に隷属を強制しているのは古い秩序の力であって、私の意志によるのではない。戦いたくない者は戦わなくていいような、そんな秩序をつくるために、私は戦っている」
「しかしそれが諸邑に通じるでしょうか」
 ジグトは懸念を表明する。ヴィレクはかすかに首をふった。
「少なくともイレーヌと本宰スィスニアはこちらにつく。それだけでも、あちらに対抗するには充分の筈だ」
 そしてその檄には、旧ルシャナ財団とスィスニアに関する文もあった。
「ヴァシュナ・シリルなどという小人にそそのかされ、守るべき民を置き去りにした罪は、特別に免ずる上、即刻スィスニアに帰参し、ナーガ大司祭としての務めを果たすよう。
 尚、己一人の保身をはかって、邑宰を唆し、祖国を裏切った奸賊ヴァシュナ・シリルを引っ捕らえた者には銀十万(ラダ)を与えた上、将軍に取り立てる」
 これを読んだとき、ヴァシュナ・シリルは呆れて開いた口がふさがらなかった。誰が追い出したと思っているんだ。
 檄はさらに続く。
「不肖このナグモ・リューン、スィスニアの、いや、ナーラダ民族全体の危急存亡の大事に直面し、邑宰に対したびたび諌を呈するも、聞き入れられず、ついには涙を流してお諌めいたすも、君側の奸ヴァシュナ・シリルの言を重用し、一顧だにされず。
 一度目は『理』をもって、二度目は『涙』をもって、諌言いたすも、効果の程無し。ここに至り、臣は『兵』をもって君側の奸を討ち、諌言すべく決意す。
 過日、事、速やかに起こすも、討ちもらし、あまつさえ、邑宰殿を奸賊の手に委ねるという失態を為す。これ全て臣の不徳の為すところ也。
 時ここに至れば、速やかに先の布告に応じ帰参なさること、臣、痛切に願う次第である。
          独立暦四〇一年人の月吉日 スィスニア大将軍ナグモ・リューン」
「ああ、そうだったのですか……これなら兵を起こす気持ちも分かりますね」
 シルキーヌが感に堪えぬようにそう呟くので、シリルはぎょっとした。
「シルキーヌ、君……」
「冗談ですよ、シリル。でも」
 シルキーヌは厳しい表情をした。
「わたくしたちは事情を知っていますから、この檄文が真っ赤な嘘だということはすぐ分かります。でも、事情を知らなければどうでしょう? リューンはいい文章家を抱えているようですね。これなら扇動されてあちらに加わる邑のいくつかはあるでしょう」
 シルキーヌは嘆息した。
「スィスニア亡命政府はウォウルと共に戦うのですね」
「そうするしか道がない。戦いは君は嫌いだろうが……」
「戦いが嫌いなわけではないのです、シリル」
 シルキーヌは瞳をあげた。
「私もナーガ司祭である以上、必要な戦というものがあることは分かっているつもりです。こたびの戦いは、ナーラダという部族にとって避けて通れない、必要不可欠な戦いです。どちらが勝っても、どちらが負けても、ナーラダ族は大きな変革を余儀なくされるでしょう。それは私も望むところです。でも、民を犠牲にするわけにはいかない。──私は、ナーガ大司祭として、巻き込まれた民を救うことに力を尽くします」
「シルキーヌ……」
「だから、私のことは気にしないでください。私は自分の道を進むだけです。あなたも、自分の進むべき道を見誤らないでくださいね。……武運を祈ります。ナーガの祝福が、あなたの上にありますように」
 そういえば、神王ナーガは天界の水軍将軍だった。戦勝の神といえばアシュラ神、と思われがちだが、水上戦に於いて加護を頼むべきはナーガ神王なのだ。
 その大司祭に加護を頼んでもらえる自分と、そして自分の参加するウォウル軍。
 ──少しは有利なのかな、とシリルは光の月(セレネ)を仰いだ。そちらの方角にあるスィスニアには、今、ラファエロ・ティフォートが潜伏しているはずだった。

 ラファエロ・ティフォートは、ヴァシュナ・シリルの命を承けてスィスニアに潜伏していた。精霊術法を使ってのことである。戒厳令の街の中を、衛兵に気づかれずに忍び込むのは容易なことではない。どんなに腕利きの間諜でも無理だろうが、精霊の力を借りた彼だけには可能だった。
 スィスニアには、使鬼の修業時代の仲間が何人かいる。彼らにも協力を乞う。彼らの力はわずかなものだ。しかし、彼らの力で武器を隠したり、人を隠したりすることは可能だった。すっかりナグモ・リューンの威のもとに伏してしまったかに見えるスィスニアに、ひそかに反撃の芽が育ちつつあった。

「……ハデン殿」
 兵の一人が心配そうに声を掛ける。
「あの、ハデン殿。スィスニアがとうとうウォウルに攻め込むそうです」
「……」
「ハデン殿……?」
「……それが、どうしたというんだ」
 低い声だった。普段の落ち着いた声とはすこし違う。低い、感情の見えない声だった。
「……ハデン殿は今ではライル社の全権を委譲されておられます。ナタケ様のご意志を無駄にしないためにも──」
「ナタケは、もういない」
 ハデンはつぶやいた。
「あの子は、もういない。この人界(ザラス)にはいないんだ。オレと同じ、この世界には……」
「ハデン殿……」
「……すまない」
 ハデンは額をおさえてうつむいた。
「分かってはいるんだ。ナタケの理想を継ぐ者はオレしかいない。あの子はオレに、夢を託した。だがそれがどうだというんだ」
 ナタケがいなければ、意味がないじゃないか。
 ナタケがいなければ。夢も、理想も、平和も、すべて。
 オレだけでは崇高な理想など何の意味があろう。オレにできるのはただ戦うこと、軍をととのえ、動かすことだけだ。オレの力をもってスウィズを、ウォウルを、スィスニアを制したところで、何の意味もありはしないのだ。
 真に平和を望んでいたのはオレではなくナタケだ。
 ……感情を抜きにして考えても、オレは、だからナタケのために戦ってきた。
 ナタケがいないのなら、戦いに参加する意味もない。
「……しばらくは、動く気はない。何か、新しい道が見つかるまでは」

 檄によってナグモ・リューンになびいた邑は、中小あわせて十邑ほどだった。あとは日和見というところである。ほんとうはヴェルーダに残った民も吸収したかったのだが、一足遅かった。バルスの財政長官フェルノ・クーレーンの手配によって一人残らず連れ去られていたのである。
 まあそんなことは些細な問題であった。士気は高い、兵数も充分だ。訓練も成っている。船の手配も終わった。あとは出陣するのみであった。

 水上戦史上、セルフィアー戦史上に残る一大決戦、「セルファニア湖の戦い」。
 そのあまりにも有名な戦いの前哨戦は、こうして始まったのだ。
 ナグモ・リューン軍vsウォウル・イレーヌ連合軍。
 五王国時代へと続く、長い長い戦乱の時代の幕が切って落とされようとしていた。

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