会誌-「サークル水月会誌 第5回」
|
|
■ リアクション5−5 (独立暦401年水の月) グード・ライザー。セルフィアー史上に初めて「軍師」という称を用い、そしてその語を全土に知らしめた男。彼は自分が芯から策士であることを固く信じており、メール族の身体に生まれたことを少々悔やんでいたふしもある。しかし直情径行を常とするメール族の中に生まれたことは、間違いなく彼の名を当代の最高峰へ押し上げた。彼にとってはそれも不満だったに違いない。智を競うべき相手が、周囲に殆ど存在しなかったのである。 彼が軍師の位をほんの数節で投げ捨てたにも関わらず、人は彼を軍師と呼び続けた。軍師とは位の名ではなく、彼の性を表す言葉に変わっていた。彼自身の中では、軍師位はひとつの通過点に過ぎない。それを返上したからといって、野望の火種が消されたわけではなかったのである。 法神官長は、扉をぎい、と開けて入ってきた男を見て顔をひきつらせた。二度と見たくないと思っていた三角顔がそこにあった。 「お日柄もよろしく、法神官長殿はお元気そうでなによりです。本日は謹慎後の復職届け、並びに休職願いを申請しに参りました」 「な、なんと。き、謹慎が解けたのでありま……い、いや、解けたのかね?」 事前に何の連絡もなかったが、確かに今日は謹慎明けのその日で、彼が法神官丞であることも間違いはない。とはいえ、心の準備というものがある。言葉遣いを間違えたくらいで責めることはできまい。 「はい。小官の不甲斐なさの為、法神官長殿には大変ご迷惑をお掛け致しました。が、これからもご迷惑をお掛けする事になりましょう。何とぞ、休職願いを受理して戴きたいものです」 一瞬あっけにとられたが、考えてみれば渡りに舟とはまさにこの事。元上司を部下に持つなど、落ち着いて仕事のできようはずがない。本人からの休職願いである。イリス王とて、何も仰せにはなるまい……。 即日、法神官長の名で、グード・ライザー法神官丞の休職願いは受理された。 謹慎していたとはいえ、グード・ライザーはただ家でぐうたらしていた訳ではない。使える者はすべて使って、各地の情勢や動向を調べさせていた。「網を張った蜘蛛」という、まさにその状態である。 「やはり問題はリッターの動向だな。イリス王国の横腹を突くことが狙える邑。司祭の能力もなかなかのものらしい……」 中でも彼の視野に強く映ったのがメール居住地区西部の情勢であった。西部を抑えれば、現在のメール族居住邑のうちイリス川以西のすべてを領有することが出来る。東および北はまだまだ手をつける段階ではないだろう……。 「さてさて、晴れて自由の身。自由の身なればこそ、出来る行動というものが存在する。リッターをどう制するか……まずは酒樽と牛を持って参上致そう。事はリッターに到着してからだ」 人口6万人、主産業は漁業。城壁はなく、交易の拠点であり宿場町──知識として知ってはいたが、聞くと見るとではずいぶん印象が違うものだ、とライザーは邑の入口から全体を見わたした。 「ほう、地の利はそれ程良くないが、これ程発展している邑とはな。なるほど、再三の連合邑参集に賛同しない訳か……フッ、面白いではないか、説得する楽しみが大きくなった」 なぜこの邑に城壁がないのか。その疑問はすぐに解けた。風が強い。イリスなどとあまり暖かさは変わらぬ筈だが、重く湿気を含みたたきつけるように吹く風は、服から露出した顔や手をつめたく冷やした。リッターはセズ溝湾に向かってせり出した台のような土地の上にあるのだ。堅い岩盤状の大地の上に、家の建てられる場所はあらかじめ定まっている。その家を堅い壁で覆い、さらにセズ溝湾側に林をつくり、風を防ぐ。このように建物がちりぢりに建っているのでは、とても一つに囲むことなど出来ないだろう。 それほど活気があるとは見えなかったが、兵の強さには定評がある。トリア大滝を跨いで存在するセズ邑からの侵攻を何度も防いできたという史実が、その評を裏付けていた。 リッターには邑の門というものが存在しない。ライザーはすんなりと入邑し、この邑一番の堅固な門の前に向かった。 「開門されたし。我が名はグード・ライザー、聞き覚えがありましょう。門番殿に申し上げる、イリス王国に仕えていた法吏が参っていると、リッター司祭に伝えて戴きたい」 ライザーの回りには召使3人と牛に引かせた車だけである。堂々としてはいるが、無謀ともいえる行動であった。 数分後、扉が開いた。重厚な扉は腹にひびくような音を立てる。 「懐に入ればもう成功したようなもの。死か生か、神のみぞ知るか」 門番の男はライザーの顔をちらと横目で見やると、無言のまま歩きだした。その後をついて邸内をすすみ、着いた広間にはリッター司祭が待っていた。 初老の、巌のような男だった。体躯は実際にも大きいが、それよりもさらに一回りも大きく見える。威ありて猛からず、という語を体現したようであった。正に司祭位にふさわしい……いや、未来のイリス王が居るように思われた。ライザーは一瞬言葉を失ってしまった。 「なんと……これはこれは。フフフ、二君に仕えて良いならば、イリス王とリッター司祭を選んでおったな」 ライザーの独り言など意に介するようすもなく、司祭は重々しく口を開いた。 「そなたの名は聞き及んでいる。有能な臣として、悪名の名高い軍師として、どちらも当を得ている評価のようだが……。それはよいとして、用向きは何か答えよ」 中庭に引かれてきた牛が、のっそりと伸びをした。その後ろの車をゆびさし、ライザーは言った。 「まずはこの酒樽を献上いたします。牛も酒のつまみとして献上致しますれば、私が自ら屠殺致しましょう」 そう言うが早いか、腰の礼剣(礼装用の剣)を抜き、牛の首を一刀のもとに斬り落とした。血飛沫が舞う。ライザーの服も赤く染まった。 「ム……どういうつもりだッ! リッターに対する宣戦布告か?」 「いえ、その様なつもりはありません。私は現在、休職の身であり、イリス王国の中でも非力です。出来る事と言えば、酒とつまみを持参し、現在の情勢をお教えして、リッターの繁栄を願う事だけでしょうな。げへへ」 嫌な笑い方をする。耳にさわる声。司祭の左右にいた兵たちが激昂し、剣の柄に手を掛けた。 「身分をわきまえよ! リッターの繁栄だとッ、小賢しい。天下に名高いイリスの元軍師殿に教えを乞う程、リッターの者は落ちぶれてはおらんぞ!!」 「ではお聞き致しますが、このまま黙って大国イリス王国に併呑されるおつもりですか? 現在のイリス軍兵力は強大になりつつあります。もはや互角に戦える邑は少ないでしょう。リッターとて、全兵力を挙げて戦って勝ったとしても、手痛い損害は邑の守備も危ぶまれる結果になるでしょう」 しゃあしゃあと言う。今にも斬りかからんとする兵たちを手のひとふりで制すると、リッター司祭は厳然として言った。 「その様な事は既に予測済である。だが、イリス王国の野望は断じて挫かなくてはならんのだ。強大な大国など、存在するべきではない」 「リッター司祭は平和がお嫌いなのですか? イリス王国は平和を望んだ政策をとっています。一時とはいえ、子々孫々が平和に生きられる時代があっても良いのではありませんか。このまま行けば、あの牛の様な惨劇が各地で起こりましょう。自分の保身を欲するあまり、邑という酒と司祭の首というつまみを持って……」 「……」 司祭はライザーを睨み付けた。物理的な圧力さえ感じられるような視線に、しかし、ライザーは全く憶すことはなかった。司祭は立ち上がった。 「そなたの言うことは詭弁に過ぎぬ。だが、ただ聞き流してしまえるほど軽くはないな。 この場は退がれ」 ライザーは頭を垂れた。リッター司祭は愚かではない。策が正鵠を得られたか否か、それは確信できなかったが、少なくとも何かを動かすことはできたようだった。 「軍師の奴、法神官丞を辞めただと?」 イリス王ファエーイ・ウルゴスは笑った。 「奴らしいな。こんどは一体何をやらかすつもりやら」 「軍師、ではありませんよ、王」 募兵尉イェング・ガヌースが訂正する。 「大体あの男、イリスを隆盛させるのに尽力するかと見せておけばすぐに捨てて。信頼なりません」 「俺にも奴の考えは分からん。だが、奴が俺を捨てるなどということはあるまいよ」 「なぜ、そう言いきれるのですか?」 「さあな」 ウルゴスは大刀をぬぐい、光の映り具合を見た。 「勘だ。としか言えないが。ま、もし奴が俺を裏切ったとしても、それは俺に力が足りなかったって事だろう。奴を責める筋合いのものではない」 「甘い、甘いですよ、王!」 ガヌースは拳を握りしめた。 「私や片尉の様に、一人に仕えると決めたらずっと操を守り通すのが人というもの。あの男のように得体が知れず信を得ようともせず、うろつき回っているのは、あれは人ではなく犲狼というのです!」 「それは言い過ぎだろう、募兵尉」 ウルゴスはさすがに聞きとがめた。 「ああいう人間も出るのが、乱世というものではないか。同じ乱を好むでも、戦が好きなのと戦を操るのが好きなのがいる。前者のばかりでは、戦のための戦ばかりおこる。それでは世の人のためになるまい。ああ言う人間の1人や2人、いてもよかろう」 「そんなものですかね……」 ガヌースはそう呟いた。 神兵尉カルブネース・ルドルフは、久々にイリスの王邸に戻ったが、見慣れたはずの廊下がひどく長く見えて、大きく嘆息した。 「ライザーも、リーもいない……勝どきの今、人無しとはこれはどうしたことか……また私に幾万の試練がくるというのだろうか」 何あれ今、イリスより勢いのある国はない。この国をどうやって保っていけばよいのか。軍に属しているとはいえ、多少の本は読んだ。徴兵制、納税、官吏試験などを確立する。必要なことはきっとそれだろうとは思うのだが、自分には口を出す権限はない。 もう1つ。国を興すは人にあり、しかし、王直属の部下が多すぎる事は逆に部下の権限の独政になり得るもの。だれか1人、信頼をおける者を側役人とする──これを、「興国の計」と名づけた。その1人は、必ずしも自分でなくてもいい。 そう進言してみよう、と思っていた。 だがそれを実行に移さなかったことは、たぶん、イリス王国とルドルフ、双方にとって幸運であった。 「クレン・エシリル?」 「ええ」 銀髪の若い女は、ルドルフとガヌースに向かって礼をした。 「この間まで、軍師の控所にいた者です」 「ああ、あの後始末部隊か」 とはガヌースは言わず、無言で先を促した。 「それから後は、イリス王直属の特務組織、王国修領所にて情報収集などしておりましたが、このたび、お二人付きの謀のとなりましたので、ご挨拶申し上げます」 「私たちより他の謀に挨拶すべきではないのか」 ガヌースは不機嫌そうに言ったが、エシリルは気にもとめない。 「いえ、私はとくにあなた方二人付きの謀として派遣されましたので」 「と、言うと?」 「あなた方は戦闘力においては追随する者とてない剛の者であられますが、色々と弱点がおありですね。軍師のいた頃やその前、一邑を領するのみであったときはそれでもよかったのですが今となってはそれでは心許ない。そういうわけで、お二方にはそれぞれが独立して作戦行動を行っていただく際の輔佐がつくことになったのです」 「それが、あなたか」 「私がその謀たちの長となり、あるいはあなた方の副将の一人として行動を共にさせていただくことになるかと思います。よろしく」 「よろしく、と言われても……」 ガヌースは、とまどったような表情をうかべた。確かに片尉にも私にも欠点はある。だがこの女にとやかく言われる筋合いはないはずだ。 そんなガヌースの心を見透かしたように、エシリルはまた礼をした。 「新参者の私などにあなたがたの輔佐など出来ないだろうとお思いでしょうが、とりあえずは今後一節、お側においていただきます。宜しくお願いしますね」 五日後、グード・ライザーはリッター司祭からの呼び出しを受けた。宿から邸に向かう道すがら、彼はあらゆる可能性を考え尽くしていた。 司祭の前に通され、今回は全く完全な礼をもって対する。かみつかんばかりの目をしていた兵たちが、やや意外そうに目を見交わした。 「グード・ライザー……いや、あえて軍師と呼ぼうか。先日のそなたの話、なかなか興味深いものであったな」 ライザーは深く頭を垂れる。 「わしは、いや我々はよう考えた。確かに軍師の言うことには筋が通っておる。イリス王が平和好きかといえば疑問は残るが、イリス王国が武をもって制しようという国でないことは認める。──だがな、我が邑にも体面というものがあるのだ」 リッター司祭は首をふった。 「体面、というのはあるいは違うかもしれぬ。名、と言ったほうが正しいか。我が邑は武をもって立ってきた。対岸のセズとの戦いのことは、そなたも存じておろう。その武名が、我が邑を今まで支えてきたのだ。それが、強大になったイリス王国に膝を屈したとなれば、周囲の邑が黙ってはおるまい。イリスの一部となったが最後、最前線の砦として戦いの場となるのは必定。繁栄どころかまっとうな邑としての発達も望めなくなるだろう。そんなことはできぬ」 ライザーは俯いた。この男も所詮見かけだけの男か、と失望しかけた。何か罵ってやろうかと口をひらく。 「しかし」 司祭の話はそれで終わりではなかった。ライザーは口を閉じた。 「イリスの一部となることは出来ぬが、イリスと和すことは出来ぬわけではない。王国と名乗り邑の名を捨て、リューナやカジを併呑しているといっても、もとは司祭の治めるひとつの邑。われらメールにとっての統治者の条件は、 ライザーは左手を胸にあて、使者の礼をとった。 「ご英断と存じます。では、早速復命して参りますか。げへへへへ」 「という訳です、王」 「俺に何の断りもなく、そんなことをしていたのか」 「お怒りになりますか」 「いや、礼を言う。よくやった。すぐに正式の使者を出そう。ところで、ライザー。軍師位に戻る気はないのか」 「まだ、ないですなあ」 「何故だ。リッターを説得した功……復位には充分だと思うが」 「自由の身なればこそ、出来る事というものはあります。もちろん、軍師でなければ出来ぬ事も」 「今は、まだ機ではないと?」 ライザーは不分明な笑いをうかべた。 「では、失礼いたします。また近いうちにお会いしましょう。げへへへへ」 水の月51日、リッターはイリス王国と対等の盟を結んだ。 |
| ■ 前のページに戻る |