会誌-「サークル水月会誌 第5回」

■ リアクション5−4  (独立暦401年水の月)


 アミエル=ムウサ──という名に、何ら愛着を感じているわけではない。あの女は私に──いや、もうひとりの「私」に、色々とちょっかいをかけてきていた。だが「私」があれを好いていたわけではない。こいつは戸惑っていた。あれを扱いかねて、うろたえていた。何度殺してやろうと思ったことか。お前なぞ、こいつには必要ない、目の前から消えろ、と。
 しかし今はあれを殺させるわけにはいかないのだ。姉を捜すためだけに、「私」は生きてきた。その唯一の手がかりを見失ったら、こいつは絶望して死ぬかも知れない。
 「私」が死ねば、私も死ぬ。私が「エルリーク」の全人格を乗っ取ることも不可能ではないが、それではどのみち生きてゆけない。私は暗殺の腕なら誰にもひけは取らぬ。だがそれ以外のことは何もできないのだ。私は血に飢えた獣だ。殺し、殺し……屍の山の上で、月に向かって吠える。できるのはそれだけだ。それ以外のことは、幼児並の行動力しか持っていない。「エルリーク」が人として生きてこれたのは、こいつが居てくれたおかげだ。
「どうしたの? どうして、応えてくれないの?」
 不安げに、「私」が問いかけてくる。
「……少し、考え事をしていた」
「難しいの?」
「作戦は、『双剣』『双身』に任せてある」
「じゃあ、何を考えてたの」
「……」
「ぼくには、話せないことなんだね」
「……いや」
 こいつを、死なせるわけにはいかない。死にたくない。
「お前を、守ることをだ」
 そのために、私は生まれた。7歳の時から、ずっと。
「……ありがとう」
 そう、答えて……エルリークは眠りについた。

 一節(ひとつき)ぶりに見たカノールは、春を迎えて活気に満ち溢れていた。まあ、ヌーグ様が治めているのだから当然のことだが。それにこの周辺ではしばらく戦は起こっていない。
「平和ですね」
 独語しながら自分の店へ向かって歩く。まだ少し冷たい春の風を受けながら、町並みを眺めている彼の耳に、刀研屋でのやりとりが聞こえてきた。
「旦那、いい剣ですな。これは百年に一本の逸品ですぜ。どこで手に入れられたので?」
「なあに、職場でちょいと人からもらってな。ここに銘があるだろう」
「ダークブレイド? イゲニィアン・トィルブの会心の剣じゃないですか。たしか、彼の家の家宝になっていると聞いてましたが」
「そんなに有名な剣だったのか」
「刀剣商の間ではね。数十万(ラダ)ともいわれるものですが、よく、これを手に入れられたものだ」
「いや、向こうから歩いてきたのさ。イゲニィアン・ハーット、と言ったから、そのトィルブとかの息子かな。そいつが持ってきた」
「待ちねぇ。旦那、人官ではなかったですか」
「そうだが」
「……袖の下、ですか?」
「いやいや、そんなことはないぞ。私は彼の力を認めてだな──」
「そりゃ、屁理屈ってもんでしょうが」
「やっぱりそう思うか?」
 ははは、と顔を見合わせて笑っている。しまいの方の声はだいぶ低めていたのだが、人間離れした彼の耳にははっきりと聞こえていた。
 大変なことを聞いたものだ、とグレンノルト=イーズは武者震いをした。さっそく、ヌーグ様にご報告せねば。こんなことがまかり通っては、キーサは足下から崩れてしまうだろう。

「決行は今晩だ」
 暗殺組織「三振り太刀」の『名剣』クラス三名が、カノールのとある宿屋の一室に顔を揃えていた。
 一人は両目に眼帯をつけ、目玉の刺繍を施した悪趣味な服をまとっている。『双剣』のコンラード、『双剣雪柳』を佩き『無音十字剣』を使う。
「私は手伝うだけだ。手筈は整っているんだろうな」
 『双貌』のクレン・エルリーク。かつてそう呼ばれた銀髪の青年は、今は暗い瞳をして寐の前にうずくまっている。
「さー、わたしは知りません。今回の件は全部『双剣』に任せてありますから」
 道士服を着た若い女は、にこにこと笑っている。『双身』のラーシャ、というのが彼女の名だ。とぼけた性格をしているが、それが彼女の本質を示すものでないことは、『三振り太刀』の者なら誰でも知っている。
「むろん。計画は完璧だ。おれの部下たちに命じて、すでに細工は済んでいる。仕上げをごろうじろ、というところだな」
「前置きはいい。さっさと話せ」
 エルリークが身動きひとつせずに言った。コンラードは唇の端で残虐な笑みを浮かべた。
「現在、軍司リーナ=トゥラはプーツァに戦後処理に向かっていて留守だが、もう明日か明後日には帰ってくることになっている。軍司配下の兵のうち精鋭1000はプーツァ城に駐屯中だ。外兵尉長シャフィ=ヴィーラ、丞ミラ=シャルの二名もプーツァにいる。つまり今の王城を守っているのは城司配下の衛兵とあとはスカばかり、ということだ。しかも軍司の居ない間は、城の守備は衛兵のみに割り当てられ、外兵や募兵は自宅通いになっていて城には詰めない。戦況次第ではすぐに外地へ向かえるように、との配慮からだ。軍司が戻り次第奴らにも城詰めの役が割り振られるのだが、これがどういうことかというと──」
 にい、と笑う。
「守備の兵は疲れ、しかも気が緩んでいるということだ。その隙を衝いて城に潜入する。門扉の鍵は部下が開けておく。裏門の側扉だ。そこからは別行動になるから、この見取り図を良く見ておけ。おれは右のこの扉から潜入し、衛兵を減らしておく。見つかったら引きつける。『双身』は左の厩舎の方で火事を起こせ。なるべく派手にな。『双貌』……貴様には正面からこっそり侵入し、王宰の首をあげる役をやる。貴様は見つかるな。風のように侵入し、そのまま見つからずに出てこい。難しい役だが出来るはずだ。二刻後までにここに戻ってこい。戻ってこなければ見つかったか死んだか、とにかく失敗したものとみなす。いいな」
「分かった」
 エルリークは短く答えた。ラーシャはにっこりと笑った。

 平静を装ってはいたが、心の中は大いに興奮しているのだろう。ずっと柄を握りしめて離さない手が、震えを抑えきれていない。良い剣だとは思ったが、そこまでとは知らなかった。自分は文官だから、もっていたとてあまり役に立つものではないが、売り払うか、家宝として置いておくかしよう。そして……
「そこのあなた、ちょっと待って下さい」
 狭い路地に入ったとき、背後から声を掛けられて、文官はびくりとした。振り返り、そして声をかけてきたのが目の細い冴えない男であるのを見て安堵する。
「私がどうかしたか?」
「いや、少しお尋ねしたいことがありまして……」
 何気なく、一歩近づく。
「何だ?」
「大したことではないんですが……」
 また一歩近づき、無造作に手を差し出す。何だろう、と文官が見ていると、ふいにその手が消えた。ちく、とわずかな痛みが走る。
「何……を」
 力が抜けた。前のめりに倒れ込む。左手がその体を受けとめ、右手が肩口から何かを抜き取った。1本の細い針だった。
「ついて来てもらいますよ。ヌーグ様のところにね」
「……」
 完全に気を失った文官を肩に担いで、男は路地の奥へ消えていった。

「私は、肉体労働には向いてないんですけどねぇ……」
 ぶつぶつ言いながら裏門の側扉の鍵を開けようとしたが、手ごたえがなかった。
「閉め忘れですね、不用心な。これもご報告しなければ」
 内側から鍵をかける。夜も遅い。ひょっとすると、ヌーグはすでに眠っているかもしれなかった。それならそれで、朝まで待てばいいだけの話だが。
「不審な奴、名を名乗れ」
 巡回中の衛兵が炬の火を近づけて誰何した。見覚えのない奴だ。新兵か。グレンノルト=イーズは胸を張った。
「私は王宰おかかえの扇職人です。ヌーグ様にご注進したいことがあって参りました」
「こんな夜遅くだぞ。それに王宰殿がお前などのような者にお会いするものか。どうせ暗殺でもしようという腹だろう。ずうずうしい奴。縄につけ!」
 興奮して、今にも斬ってかかりそうな剣幕である。目が血走っているところを見ると、どうやら睡眠不足であるらしい。どうしたものか、と思ったとき、
「待て」
 聞き覚えのある声がした。よく通る女性の声だ。
「ぐ、軍司殿……! お帰りだったのですか……」
「その者はヌーグ様と懇意の者だ。心配ない。私が保証する」
「軍司殿がそうおっしゃるなら」
 衛兵は引き下がっていった。
「まあ、こんな所で立ち話もなんだ。ヌーグ様の所へなら一緒に行くか」
 リーナは笑った。
「恐れ入ります」
「──ところで、その肩のものは何だ」
 歩き出しながら、リーナは不審げに眉をひそめた。グレンノルト=イーズが事情を説明すると、その眉はさらに寄った。
「成程。そのような不正がまかり通っているとあっては、放っておくわけにはいかぬな。王国の威が下がる。まあそのようなことは私の領分ではないが」
 そんな話をしているうちに室に着いた。衛兵が軍司に礼をして扉を開ける。王宰ヌーグ=シャルは政務を終え、茶を飲んですっかりくつろいでいた。服も正服ではなく、一般民が着るようなゆったりとした寝衣だ。
「グレンにリーナか。二人が連れだってとは珍しいな。まあ、入れ。……それにしても久しいな、二人とも」
「軍司殿もいまお着きですか」
「到着は明日の予定だったと思うが?」
 リーナに茶をすすめながらヌーグは扇を手に取った。リーナは頷いた。
「幸いにも順天が続き、通常行の一日半余りも早く到着しました。まあ多少、馬に無理はさせましたが」
貴女(あなた)も無理をしたんだろう。到着の挨拶など、夜が明けてからでいいのに」
 ぱたぱたとあおぐ。
「お気遣い、感謝します。しかしこれくらいで倒れるほどやわな身体は持ち合わせておりませんので、ご心配なく」
「まあ茶でも飲んで、ゆっくり(やす)め。疲れていないはずはないんだから。貴女はこの二節(ふたつき)というもの、家に帰っていないじゃないか。親孝行はするものだぞ、軍司」
「ところでヌーグ様、グレンの肩が重そうなのでそちらの話を先に聞いては如何ですか」
 リーナは話をそらせた。グレンは大まじめな顔をしてつぶやいた。
「ヌーグ様、軍司殿といっしょになってみては? そうすれば、少しは、おしとやかになると思うんでがねえ……」
「お前はやり手ババアか。私を見るといつもそれだな」
 リーナは睨みつけた。グレンは聞かなかったふりをして男を床に下ろす。
「実は、この男がこんな事を言ってましたんで」

 忍びやかに裏門に近づく。門をそっと押した。しっかりとした手ごたえ。
「ん……? やけに、固いな……」
 口の中で呟く。もう一度押す。扉はびくとも動かなかった。
「鍵が、閉まっているな」
「そんなはずはないが」
 コンラードも押してみたが、やはり動かない。
「ちっ、役に立たぬ奴だ」
「悟られたのではないか? 決行は延期した方がいい」
 エルリークはぼそりとつぶやいた。コンラードは苦々しげに言った。
「そこまで間抜けな男ではあるまいよ。たまたま開けられなかったか、誰かに閉められたかしただけだろう。これくらいの鍵、我らの手にかかればどうということもない」
「……好きにしろ」
 言の通り、数分もせぬうちに扉は開いた。入ったとたん袋にされる、などという事態も予想していなかったわけではないのだが、そんなこともなかった。
「では、作戦通りにいくぞ」
「了解した」
「わかりました」
 短く応え、三人は闇の中に消えていった。

「なるほど、そんなことがあったのか」
 ヌーグはグレンノルトの頭をぱたぱたと扇いだ。
「ご苦労。まあいかに王宰といえど、末端まで目を光らせるのは無理だからな。吏を全部調べようとは思わないが、見せしめくらいにはなるだろう。ま、明日になったらそのイゲニィアン・ハーットとかいう男を呼び出して──」
 と言いかけたところで、慌ただしく扉を叩く音がした。
「入れ。何事だ」
「はっ」
 扉を開けて転がり込んできたのは、見覚えのある衛兵だった。
「どうした」
「火事です。城内で火事が発生しました」
「城内? 王城内か」
「はい。現在消火につとめておりますが、どうもそれだけでは済まぬようで」
「と言うと?」
「場所は厩舎でして、火の気などまるでありません。燃えるものなら大量にありますが……」
「つまり、放火か」
「侵入者の可能性もありますね」
 リーナが眉をしかめた。
「我々の注意をそちらに引きつけて、別の目的を遂行するというわけか。よくある策ではあるな」
「城司には知らせたのか?」
「はい。別の者が知らせにいっております」
 衛兵は立ち上がった。
「王宰殿も軍司殿も、お気をつけください」
「分かった。……お前たちも気をつけろよ」
「お気遣い、感謝いたします。では」

 誰だ、放火なぞした不届き者は。
 城司ヴィシュ=ディノはきわめて不機嫌であった。昼中気を張っていて、副官に後を任せてやっと眠り込んで一刻もせぬ内にたたき起こされたのである。彼は寝起きが悪かった。起こしに行った衛兵は頬を赤く腫らしているが、別にこれはヴィシュに悪意があったわけではなく、単に習性なのでしかたないのである。
 東階段を駆け下り、そこいら辺にいる衛兵たちをあるいは伝令に走らせ、あるいは後ろに従えて現場に向かおうとする。1階の最も東の扉、そこに降りていこうとして、足を止める。
「城司殿……?」
 怪訝そうに言う衛兵の手から炬をとりあげ、さしだすと、その灯火の中に一人の男が現れた。
「成程、貴様が城司か。あまりにも手ごたえがなくて失望していたところだ。これで少しは楽しめるか──」
 男の足下には扉の外と中を守っていた筈の衛兵たちの無惨な死体が転がっている。それに気付いた衛兵たちが、手に手に得物を持って撃ちかかっていく。
「貴様……っ!」
「待て」
 とヴィシュの制止する声も耳に入らない。だが、まばたき一つの間に五人が薙ぎ倒される。相手が悪すぎた。
「……お前は何者だ。何の目的があってここに侵入した」
 抜剣しながら、城司は尋ねる。悪趣味な服は、この男の身分を推し量る材料とはならない。
「死にゆく者への手向けだ、特別に教えてやろう。おれは暗殺組織『三振り太刀』のコンラード。あの世で死神(ヤマ)に会ったらそう言いな」
「暗殺者……王宰殿の首が望みか」
 ヴィシュはぎり、と唇を噛んだ。その彼の前で双剣が鳴る。
「そんなことはさせぬ。私の名にかけて、ここは通さぬぞ。我が名は『謀剣』のヴィシュ=ディノ。王国への忠と軍司への約にかけて……!」

「何だか騒がしいですなあ」
 グレンは窓から顔を出して外を眺めた。炎の赤はもう見えない。少しきな臭い匂いが残っているが、火は無事に消し止められたようだ。
「ただの火事だったのかな」
 ヌーグも肩ごしに外をのぞく。リーナは憮然とした。
「どこをどうとれば厩舎でしぜんに火の手が上がるなどということが起こるのですか?」
「まあまあ、落ちつけ軍司。慌てたってどうなるもんでもないだろうが」
「落ち着いていれば事態が解決するというものでもありませんよ。だいたい……」
 リーナはヌーグを睨みつけた。
「混乱を誘ってその間にやることといったら暗殺しかないじゃないですか。一番狙われるのはヌーグ様、あなたですよ! 自覚はあるのですか?」
「……その通りだな」
 応えたのはヌーグではなかった。リーナは振り返った。銀の髪に青紫色の瞳をした青年。
「……いつの間に入った」
 愚かな質問をしてしまった。青年は笑う。肉食獣の笑み。
「女、貴様の洞察には恐れ入るよ。いかにも我が目的はそこの男の首だ」
「やれやれ、迷惑なことだな」
 ヌーグは呑気そうに言って扇をあおがせた。
「何か、貴方(あなた)に恨みを買うようなことでもしたかな。覚えがないが」
「恨みなどない。大義のために、などと言うつもりもない。ただ、貴様の首が必要なだけだ。理由としては充分だろう」
「物騒な話だな。人の首なんて、他人が持ってたって仕方なかろうに」
「……おしゃべりはここまでだ。私が剣を抜いてから、五秒と生きていた人間はいない。一応、名を教えてやろう」
「必要ない。いつでも訊けるじゃないか」
「ほざけ!」
 エルリークは剣を抜いた。
「秘剣……影身……!」
 青年の姿が何重にもダブって見える。
「ヌーグ様……!」
 リーナが叫び、青年とヌーグの間に立ちふさがろうとする。その腕を、グレンが掴んだ。
「何をする!」
「絶影……」
 音もなく剣先が伸び、ヌーグへ向けて迫る。ヌーグはあまり素早い方ではない。武術も人並みだ。いかなる達人も要人も凡人も、確実に屠ってきたこの必殺の剣を避けられる筈もなかった。ましてや剣は妖刀燕飛だ。エルリークは成功を確信していた。
 ヌーグの身体に剣が触れたと見えたその時、ぱし──と、何かにひびが入るような音が空気を割った。目に見えない壁が形成される。弾き飛ばされた刀は壁にぶつかり、刃先は粉々に砕け散った。刀の柄を掴んでいたエルリークも強く背を打った。
「いったい、何が……」
 リーナは倒れたエルリークを見、ヌーグを見た。手に掲げた扇……その羽根は1本1本が雷に撃たれたように毛羽立ち、埋め込まれた水晶の球は透明な光を発している。
「ヌーグ様……」
「しばらくは近づかない方がいいぞ、軍司。しびれるから」
「扇が……?」
 問いではなく、確認だった。ヌーグは大きくあくびをした。
「もう寝るよ。夜も遅いしな。リーナ、後始末は頼む」
「……あの……暗殺者は一人とは限らないと思いますが……」
「分かっただろう? グレンの扇がある限り、このヌーグを害することは誰にもできないんだ」

 カノール王城内に暗殺者が侵入した、との報を受けてシィル=アーレインはほくそ笑んだ。王宰ヌーグ=シャルは命を拾ったらしい。彼にしてみればどちらでもよかった。どうせ暗殺などという姑息な手を使うのは反キーサ王国連合に決まっている。これで奴らの評判が堕ちればしめたもの、敵の敵は味方ということでキーサと和を結ぶことも容易になる。ヌーグ=シャルが死んでいればプーツァを奪い取ったところだろうが、これは想像の範疇に属することだ。
 自分が着く頃にはすっかり事態は鎮静化しているだろう。ヌーグに対面したとき、どういう切り出し方をしようかと、道中そればかり考えていた。
 あらかじめ外吏の者に連絡をとらせていたから、さして待たされることもなく王城内に通された。
「エルーブの水吏長殿ですね」
 手を差し出してきたのは、顔色の悪さがめだつ男だった。象眼入りの黒鞘に入った剣を佩いている。
「キーサ王国城司、ヴィシュ=ディノと申します」
「城司。三司の一人ですね。私ごときの案内などしていてよろしいのですか」
 キーサがエルーブと対等としても、相手の方が身分が上である。ヴィシュはぎこちない身ごなしで堅苦しく礼をした。
「……お聞き及びでしょうが、数日前、この王城に侵入者がありました。貴邑には関係のないことと確信してはおりますが、念のため監視をかねて私が案内させて戴く次第。どうかお気を悪くなされぬよう」
「城守を任とする者としては当然の心がけと思います。見たところ、負傷なされたようですが」
 失礼かと思ったが、気になったので訊いてみた。ヴィシュは苦笑した。
「お恥ずかしい事ながら、不覚にも一太刀を受けまして、さきほどまで欠勤しておりました。幸い帰還していた軍司が補佐してくれたので、大事に至らずにすんだのですが」
 立ち止まった扉の前に立っている兵は、どうやら衛兵ではなく外兵のようだった。ヴィシュを見て礼をし、扉を開ける。
「王宰殿、エルーブの水吏長殿をお連れしました」
「ご苦労様。……って、城司か。あまり無理はするなと言ったろうに」
 椅子に腰かけた男は、ぱたぱたと扇であおぎながら声をかけた。ヴィシュは一礼した。
「無理などしてはおりません。十分に休息はいただきました」
「嘘をつけ。軍司といい城司といい、どうしてこう軍の奴らは仕事熱心かなあ。──まあ、いい。お前は退がって休んでいろ」
「は……」
「で、水吏長殿。御用の向きは?」
 気安く尋ねてくる。目の前の男はたしかに噂に名高いあのヌーグ=シャルであるはずだが、いかにも策士然とした人物を想像していただけに、飄然としたようすには違和感をおぼえた。
「プーツァの件の事後処理について、公式に議を持った方がいいと思いまして」
「そうだな。一士官の暴走とはいえ、その者がエルーブの官職を戴いていた以上、責がないとは言えないだろうな。で、どうするつもりだ?」
「その前に、ひとつはっきりさせておきたいことがあります」
「何だ?」
「エルーブはキーサの属邑ではない、ということです。ご確認いただけますか」
 ヌーグはあいかわらず扇をぱたぱたさせているが、横に控えた女将は勢いよく立ち上がりかけた。扇のひとふりでそれを制すると、ヌーグは口許に扇をあてて言った。
「いかにもその通りだな。そもそもキーサは旧領を回復するために戦っている。高原の北半分がそれにあたる。プーツァはたまたま我々と講を結んでいるから別だが、たしかにエルーブまで領しようというつもりはない。少なくともこのヌーグにはな」
「はあ」
「で、本題だ。エルーブはどうするつもりだ?」
「キーサに対しては謝罪はしません。物的な賠償もしません」
 シィルはヌーグの表情を窺おうとしたが、扇に隠れてよく見えない。
「ほう」
「今回プーツァには迷惑をかけました。ですからプーツァには謝罪も賠償もします。しかしキーサに救援を求めたのはあくまでプーツァであって、我々はキーサと戦うつもりなどありませんでした。キーサが手間をかけ資金もかけていることは知っていますが、それはプーツァを通して受けてください。別に渡しはしません」
 筋道は通っているようであるが、実のところ全く詭弁である。プーツァには渡す、というのは要するにプーツァは一邑、エルーブも一邑、キーサも一つの邑としてみなす、ということである。ヌーグは笑った。
「成程、エルーブの言い分は納得した。まあそういうことにしよう。すると詳細はプーツァとエルーブで話し合って貰うことになるな」
「すでに兵吏長と募兵尉がプーツァに向かっています。令さえいただければすぐにでも実案に入るかと」
「手が早いな。あ、これはほめているんだが」
 ぱたぱた、と扇をあおぐ。
「話はそれで終わりか?」
「そうですね」
「そうか、じゃ気をつけて帰ってくれ。こんな城の中にまで暗殺者が入ってくるような、物騒な世の中だからなあ」
 冗談とも本気ともつかない。そうですね、と口の中で呟き、シィルは部屋から退出した。

「失敗したの……?」
 牢の中で意識が戻って、エルリークは呆然とした。
 信じられなかった。ぼくが……もう一人の「ぼく」が、失敗するなんて。
「一体、何があったの?」
「──済まない。ヌーグ=シャル……抜けているとみせて、えらく周到な男だ……扇好きとの噂は聞いていたが、あんな裏があったなど……」
「……」
「あれを破ることは不可能だ。少なくとも、私の技では──それに、これからヌーグを殺ったところで手遅れだ。あの女は、きっともう……」
「そうだね。もう、生きてないよね」
「すまない。お前を守ってやることができなくて」
「そんなことないよ」
 エルリークは笑った。もう一人の自分に。
「そんなことないよ。きっと、手がかりは見つかる。そのためにどうしたらいいか、今、考えてみる」
「お前……」
「考えがまとまるまで、ここにいてもいいような気がする。ここには寝床もあるし、食べ物もちゃんと持ってきてくれる。君の力ならいつでも出れるけど、きっと、もっといい方法が見つかるから」
 その数日後、キーサ王国は反キーサ王国連合に対して宣戦を布告し、エルリークはキーサの募兵に加わることになった。
 暗殺組織『三振り太刀』の内部の情報と、姉についての情報を引き換えることを条件に。

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