会誌-「サークル水月会誌 第5回」

■ 日和見  【作者:浅葱 翔】


 溶けかかった雪の間から顔を覗かせる蕾が春の訪れを告げていたが、海から吹く風はまだまだ冷たく、塩の香りを運んでいた。晴れた日の午後ということもあって、ユディト邑内は季節の変わるのを喜ぶかのようにいつにも増して活気づいている。穏やかな日を浴びて、ティン・トレストは窓辺に立って庭を眺め、通りの喧噪に耳を傾けていた。
「まったくもう、貴方という人は!!」
 いきなり部屋に入って来て、怒鳴ったのは、邑宰丞ロゼル・ジェイドである。長い白銀の前髪が片目を隠しているその男は、きつい顔立ちの所為か苦労が多い所為か、トレストより年上に見える。
「あれほど、今日の会議には必ず出席くださいと申し上げたのに!指切り現万までして約束したでしょう。何で約束軽々と破ったりするんですか。そんなことしていると本当に針千本飲ませますよ。だいたいねえ、もう少し御自分の立場というものをもう少しお考えになっていただかないと困るんですよ。貴方はもう子供じゃないんだから、そのくらい分かるでしょう。」
 トレストはまたかといった風情で、壁に背中を預けてジェイドの方を向く。
「J、御前は俺のママか?ま、そう、がなんなくても分かってるよ。今回は、ちよっと寝過ごしちまっただけじゃねーか。今度からは気を付けるよ。」
「今度からはっておっしゃってきちんと出席された前歴がないから、こうやってきつく申し上げているんです。それに、寝通ごしただけならこんなに申し上げません。問題は、何処で寝ていらしたのかということです。一邑の宰たるものが軽々しく外出なさり、しかも一般の女人らに手を出すなど、もってのほかです。何処の誰とも分からないような女を孕ませていたりしたら如何するんです?後々の後継者間題にまで発展しないとは限らないんですよ。」
「その点なら大丈夫。別に世襲制って訳じゃないんだし、自分の子後任に就ける気は全くない。それに、素性は全く証してないから俺が邑宰だなんて誰も知らねーよ。今までお付き合いしてきたお嬢様方のデータは記憶してるし、はらませるような失態を犯すような馬鹿なまねはしていないが、生まれたんなら全員認知してやるら、安心しろ。」
「安心なんて出来ません!邑辛が貴方に代わってから約ニ年、どれだけ苦労してきたか。前邑宰は貴方の指揮能カを認められて貴方にこの地位を譲ったのですから、その能力を少しは発揮していただきたい。この際ですから、さっさと結婚なさってください。そうしたら少しは落ち着かれて邑務に専念出来るでしようから。」
「側室は百くらい作っていいか?妥当なとこだろ?」
「……………………。」
「お久し振りです、兄様。私もお話に加えていただけないかしら。」
 何処から降って湧いたのか、いつの間にかニ人の間にふわりとウェーヴのかかった黒髪の女が立っていた。カルナ・シェルセラヴである。
「何だ御前は!?何処から入った?」
「何処からって、ちゃんとドアを開けて入って来ましたけど。何処も壊してなんかいませんわ。」
 言っていることは事実だが、忍びこんだのも事実である。別にやましいことがある訳でもないのだからちゃんと取次ぎをしてもらえばよかったのだが、如何せん普段の癖が抜けない。しかも、こういう大きな屋放にこっそり入りたくなるのは人間の心理ってものよ、とシェルセラヴは思っているので、一向に癖は抜けないのだ。
「シエルじゃないか。俺に会いに来てくれたんだね。最近会いにいけなくてご免よ。さみしかったろう。」
「ええ、そうなの。今日は頼みごとが有ってきたのだけど、私お店を出したいの。援助してくれるわよね。」
 こいつと血がつながってるなんて思いたくないわと思いながら、愛想を振り撤く。
「もちろんだ。愛する妹の為なら何だってしてやるさ。」
「ちょっと侍ってください。トレスト様、この方は?」
「あれ?言ってなかったっけ?異父兄弟がいるって……、妹だよ。俺も、この前母君を発見したときに初めて会ったんだ。な、俺の妹だけあってなかなか美人だろ?」
「初めまして、カルナ・シェルセラヴといいます。シエルと呼んでください。」
 にっこり微笑むと、ジェイドは真っ赤になった。この男見かけの割に純情なんだわ。これは、使えるかもしれない。そう思いながら、シェルセラヴはトレストに必要書類にサインさせていた。
「あ、……っと、私は邑宰丞の」
「こいつはJでいい、Jで。そういえば、母君はどうしている?お元気か?」
「ええ。脳の一部以外は正常よ。兄様は相変わらず大脳辺縁系が元気のようだけど。」
「そうか。まだ、記憶は戻らないか。」
 シェルセラヴのちよっとした皮肉にも顔色を変えないのはさすが兄である。
「気長に看病しますわ。それでは、用は済んだので帰ります。」
 元々長居する気などなかった。シェルセラヴは、困惑気味のジェイドの顔をチラリと見て僅かに微笑むと、きちんとドアから部屋を出ていった。
「………あの、トレスト様。シエル…様は、妹君なら、でも、あの色は…」
 ジェイドは、シェルセラヴの出ていったドアから目を離せないまま、ずっとあった違和感を口にした。
「ん?ああ、父親はナルスらしいからな。」
「しかし、」
 黒髪に紫紺の瞳という組み合わせは何をどうしたって出来ない。ナルスならなおさら、黒髪にはならない筈である。突然変異なのだろうか。それにしても、不思議だった。
「なんだよ、お前。惚れたのか?」
 にやりとして言う。何ともまあからかいがいのある奴だ。当分これで遊ベるな。
「そっ、そんなことは……」
「ま、いいけどな。精々頑張れよ。」
トレストはポンポンと軽くジェイドの肩を叩くと、さっさと部屋を出ていった。
ジェイドが、またトレストに逃げられたのに気が付いた時は既に手遅れであった。

                               END



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