会誌-「サークル水月会誌 第5回」

■ 柳散る時  【作者:浅葱 翔】


 やわらかな陽射しが部屋の中に差し込み、ひんやりした風と共に白い肌を撫でていった。部屋の中には二人。髪の色は黒と銀、と全く違うが、その顔とその瞳の色は親子だとすぐ分かる程よく似ていた。
「良いお天気ね。」
 窓辺に立つ銀髪の女性、ティン・ミーシェは、ゆったりと、透き通るような美しい声で、微笑む。そこだけ別の世界になったような印象を受けた。否、その人は確かに今は何処かを彷徨っているのだ。廃人に近い状態だったという。昔の記憶がなくなっていた。それでも発見された当時より少しはましになったのだ。
「母様。そんな薄着でいると風邪ひくわ。」
 シェルセラヴは旅に出る支度をする手を休めず、出来るだけ穏やかに言う。昨日、たまった金を持って見舞いに来たのだが、これ以上此処にいるのも苦痛だった。こんな母を見続けるのは耐えられない。昔に戻るか、死んでしまうかしてくれないと、違和感の所為でこっちが狂いそうになる。わざとこんな芝居をして私を困らせているのだ、と考える方が楽だし、母らしく思えた。今とは正反対の、やたら活発的で情熱的な性格だった。そんな性格でなかったら、シェルセラヴの父親と駆け落ちなんかしなかっただろう。事有るごとに、父に呆れられるほどに、母とは喧嘩をしていたけれど、母はシェルセラヴに剣と唄を教えてくれた。特に、ユディア邑一と言われた人を魅了する歌声は、シェルセラヴにそのまま伝えられた。
「ご免なさいね。まだ、思い出せないの。シエル、貴女のことも。」
「別に、母様のせいじゃない。私の方こそずっとついててあげられなくて……」
「いいのよ。私の為に頑張ってくれているのですもの。」
「それじゃ……」
 シェルセラヴは、その後に続けようとした言葉を、思いを、振り切るようにその部屋を出た。
 部屋に一人残されたミーシェは、閉じられた扉を見つめながら遠い昔に感じた思いが重なっていた。
「シェルセラヴ……私の娘……。」

 母を重荷だと感じてはいない。母のことは全て亡き父の友人でこの家の主である女性メイに任せてあった。別に頼んだわけでもないが、父が死んで間もなく行方不明になった母を熱心に捜してくれたのもこの人である。シェルセラヴもずいぶんお世話になっている。だから、少しの医療費と生活費を渡しておくだけで良いのだ。メイにはそれさえしなくていいと言われている。ただ、今まで一人でも平気だったのに、何故か少し寂しい気がしただけだ。
「行くよ、ラルアーク。おば様にも挨拶していかなきゃね。」
 一階が見下ろせる廊下の手すりに止まっていたラルアークと呼ばれた白い大きな鳥は、返事をするように、歩調を緩めず前を通り過ぎて行くシェルセラヴの肩にはばたいて止まった。
 階段を降りていくと、客間の方から話声が聞こえた。一方はおば様だけど、もう一方の若い男の声は…?耳に心地よい声だが、知らない声だ。盗み聞きなんて日常茶飯事になってしまっているシェルセラヴは、そっと階段を下り扉の前で聞き耳を立てた。
「そう……貴方が……。貴方はミーシェのこと恨んでないのね。でも、引き取ると言ったって、ミーシェは覚えていないのよ。記憶が戻った時貴方が側にいたら、きっと気まずい思いをするわ。それに……、」
「そうかもしれません。父上はまだ母上のことを許してはいませんし。ですが、俺…私としては、他人の貴女にこれ以上迷惑をかけるのも……、」
「他人ですって?私はミーシェのことは姉のように思っているわ。とにかく、お渡しはできません。お帰りください。いくら貴方がミーシェの息子でもこれだけは譲れません。」
 どうやら母のことを話しているみたいだが……。息子……?!…ということは、私と兄弟? そんなものいた覚えは無いから、失踪中に産んだのか。それとも隠し子がいたのか……ああ、そういえば、母様、父様と駆け落ちする前、夫子いたんだっけ。じゃあ、おば様と話している人は私の兄様か。
 完全に他人事のように考えていたが、少し興味をそそられて、扉を音を立てないように少し開け、中を覗いて見た。が、目的の、肝心の兄と思われる人の顔が、向こうを向いている為、見えない。後ろ姿からすると、服装を見る限りそこそこの金は持っていそうだし、洗練された振る舞いにしても、後ろで一つにまとめてある流れるような銀髪にしても、なかなか期待が持てそうである。シェルセラヴは、どうしてもその顔が見てみたくなって、どうやったら見えるだろうと思案していたが、ものすごく簡単なことに気付いてしまった。なにも隠れる必要はないのだ。盗賊に近い日ごろの行いも、考え直した方がいいのかもしれない。
「おはようございます、おば様。お話が少し聞こえてしまったのだけど……、」
 シェルセラヴは、さも今二階から下りてきたかのように、扉を開けた。何げなく客の方を一瞥し、会釈をする。その男も会釈を返し、少し微笑んだ。これで目的は遂げた。結果は上々、なかなか良い男だ。一応、外見は私の兄として合格点をあげよう。
「あら、シエルちゃん、おはよう。ずいぶん早いのね。そんな格好してどちらへお出かけかしら?」
 別段焦った風でもなく、質問してくる彼女の意図は分かってはいたが、シェルセラヴは笑顔を崩さず応じた。
「あまり長居するのもなんですし、もう行こうと思いまして。」
「そう、残念ね。もう少しゆっくりしていけばいいのに。気兼ねなんかしなくてもいいのよ。シエルちゃんがいなくなると私もミーシェも寂しいわ」
「おば様、毎回同じ事言うのね。それより、」
「シエルちゃん、そのおば様っていうの止めてもらえないかしら。一気に年をとったような気がするのよ。メイちゃんって呼んで。」
「だったら、そのシエルちゃんってのも止めてもらいたいわ。おば様、私のこと気にしてくれるのはうれしいのだけど、話を逸らすのは止めて下さい。私は全部承知していますから、大丈夫ですわ。ほら、お客様がどうしていいか困ってしまうでしょう?」
 と、話を先に進めるためにその男の方に目を向けると、一瞬困っている風に見えたのだが、ただ笑いを堪えていただけだったらしい。
「失礼。あまりに微笑ましい光景だったもので。…………何処かで会ったことがあるような気がするのだが、私の気の所為か?美しいお嬢さん。」
 男はやけに真剣な顔になってシェルセラヴの顔を見つめてくる。
 ……何なんだこいつは。つい、負けずに睨み……、いや、見つめ返してしまった。
「貴女は自分の母親の顔も忘れたの?」
 メイの皮肉は棘が多い。どう考えても覚えている方がすごいのだ。男の外見は20代前半くらいにしか見えなかった。
 この人が物心つかないうちに私の父様が母様とってしまったのねってことは、私でもわかるわ。
「母親の顔か。覚えているはずもないだろう。……母親の顔?まさか。どう見たって若すぎる。」
「大ボケですわ。それともわざとかしら。」
 なんとも変な兄である。シェルセラヴの言葉にも皮肉が混じる。……それと も馬鹿なのかしら?
「仕方ないわね。この子はカルナ・シェルセラヴ。ミーシェの娘よ。だから、貴女の妹にあたるわ。」
「妹……。」
 男はしばらく呆然とシェルセラヴを見ていた。取敢えずシェルセラヴはにっこりと微笑んでみせる。
「いや、こんな美人だったら俺はうれしいよ。しかし、惜しいな。妹でなければ夜のお誘いを、」
 …何を言っている。動揺しているのだろうが、そんな風には全く見えず飄々としている。
 肩の上が軽くなったと思ったら、ラルアークが我が兄に蹴りをいれていた。うれしいけど、部屋の中で暴れるのは止めて欲しい。掃除が大変なのよねって、おば様に怒られちゃうじゃないの。
 そんなんでシェルセラヴの兄との初対面は終わった。男は結局、頑固なメイの所為でミーシェに逢えもせずに帰ったが、シェルセラヴに、いつでも俺の家に来ていいから、と言い残すことは忘れなかった。また来る、とも言っていた。でも、来たって私絶対この家に居ないし、関係ないわ。
 後から聞いたのだが、兄の名前はティン・トレストというらしい。

                             END

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