会誌-「サークル水月会誌 第5回」
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■ Windy noctorne 【作者:ちゃ】 冬。「白き支配者」の季節。 ツァン人の居住地域、とりわけレディアは、セルフィアー大陸の中でも最も冬の厳しい邑の一つである。南海の彼方から吹いてくる風は、沖合を流れる寒流に根こそぎ温度を奪われ、その代わりに、大量の水蒸気を抱え込む。その風はレディア平原を凍えさせ、ウィルド環山脈の裾野に豪雪をもたらす。ツァンの人々がこの風を「白き支配者」と呼び畏れているのは、この辺が理由だった。 レディアのあるレディア平原南部、この地域では降雪が少ない代わりに、みぞれをともなった強い風が海から民家に向かって常に吹きつけ、人々の生活を妨げる。レディアの人々は、外敵の侵略ではなく、「白き支配者」の暴威から生活を守るために城壁を築いたと言われるほどであった。こんにちでもここでは、凍死者が毎年何人か出る。 それほどまでにレディアの冬は厳しい。 いい香りが漂いはじめた我が家のキッチン──とはいってもこの時代、あるのは水瓶とかまどくらいなのだが──そこでウォルカーズは思案に暮れていた。 (始めから順に考察していこう) 狩猟の民であるツァン人の男にしては繊細すぎる指を、やはり細く白いおとがいにあて宙に視線をやる。 (いわゆる男に分類される者たち、当然私自身も含めた彼らは、概して女というやつに惹かれる。これは種の保存という本能的な行動に基づく、ごく自然な衝動、及び行為だ。ここに私個人の過失はないと言っていいだろう。しかし次の段階で、いくつかの選択肢が生じる) 外の風は、相変わらず強い。ウォルカーズは思い出したように、目の前の鍋をかき混ぜそして味をきいた。‥‥‥及第点。まあ男が作るものだ、こんなもんだろう。 ふとウォルカーズは、全集中力を聴神経に集め、外の音に耳を澄ませた。風が戸や壁に叩きつけられ悲鳴をあげている。その音に紛れて馬屋のほうで何か音がしたような‥‥。 (まいっか)思考を再開する。 (‥‥これはあくまでも個人の嗜好の問題なのだが、極めて重要だ。女性に声を掛けるとき──むろんそれは、深い意図があってのことだ──どんな女性に声を掛けるのか‥‥。あの時私が、奴──リファに声を掛けたのは、結果として、重大な過失であったことを今となっては認めざるをえない) 軽くため息をつく。口から「幸せ」が逃げていくように感じ、やるせなかった。 ドーン 背中に強烈な衝撃。体重の乗った一撃に、ウォルカーズは大きくバランスを崩し、前のめり倒れた。視界に煮立ったシチューが広がっていく。(こいつとのキスは火傷をするくらい強烈だろう)あぁ、時の流れが妙にスローモーション… 突然、襟を掴まれる。かなりの強さで首が締まった。吐き出されるはずの呼気が、行き場を失い、肺に向かって逆流する。そして、シチューの接近は、髪の毛が煮立つ直前で中断していた。 「髪の毛入んないでよかったねえ」 後ろからかかった底抜けに明るい声は、三週間前初めて聞き、それから三日と置かずに聞こえてくる、お馴染みの声だった。 「リファ‥‥‥ 言いたいことはそれだけか」 振り返るとやはりお馴染みになった笑顔があった。──肌の色は少し薄く、腰まである髪は、明るい 「まあ、結果何事もなかったんだからいいじゃない。心配性だなウォルチャンは」 「誰でも自分の命は心配するわ!」 睨んでみても彼女のニコニコ顔は一向に崩れない。何が楽しいんだか‥‥リファは、ウォルカーズの白い目に気づいた様子もなく、 「今日、すごく風が強くってさ、来るとき寒かったんだよ〜あっ、シチューこげちゃうぞ。ボクお皿出しといてあげる」 と言って、さっさとキッチンから姿を消した。 (あいつといると調子がくるう)ウォルはぼやきながら、鍋をおろし、かまどの勢いを弱めた。棚にあった竹の編籠の中身を確認する。ナンが残り六枚。少し温めてから鍋と一緒にテーブルに運んだ。そこには自分の取り皿と葡萄酒を確保し、テーブルについているリファがいた。 「毎度のことだがな。そこに座って、人の酒を飲みながら人の晩飯を待っている今の自分に、お前は何の疑問も抱かんのか」 「‥‥‥何か変かな」 ウォルはその反応に、ただ黙って彼女の分を取り分け始めた。 とはいえ、食事は人数の多いほうが楽しめるというのもまた事実だった。食欲が満たされ、酒が入ると彼らの舌は、いっそう滑らかになった。もともとウォルカーズという男、人間も会話もとても好きな人物で、特に人の話を聞くのはとても上手かった。リファの話は、本当にとりとめがなくて、時には三日前にした話をもう一度繰り返すことさえあったのだが、ウォルは不思議と気にはならなかった。時間の流れは速く、いつのまにか「人の刻」を過ぎようとしていた。 リファはふと我に返ったように永久回転運動を続けていた舌を止め、少し険のある眼で正面の男を見た。 「さっきからボクばっかり喋ってる気がする」 ウォルカーズは苦笑しながら答えた。自分でも驚くくらい優しい声が出る。 「私は聞いてて退屈しない話題なんて持ってないよ。仕事がら密偵の仕入れた情報は全て私の元に届くけど、色気のないものばかりだ」 「ウォルが話してくれるんだったら何でもいい」 「まあ、機密事項以外なら別に話してもいいけど‥‥ もう遅いぞ、まさか今日も泊まるつもりかよ」 リファはいわずもがなのこと、といったふうに頷きながら言った。 「どうせいっつも寝室使わないで書斎で寝るんでしょ、ボクの馬もキミん家の馬屋を気に入ったみたいだし。そういえば馬屋があるのに何で馬がいないの? 乗れないとか」 「苦手なんだよ、不器用だからな。馬に乗るというより運ばれてる感じ。それに世話するのもなかなか厄介だろ、うちはじゃじゃ馬の晩飯だけで手一杯だから」 「‥‥‥‥誰のことよ」 「さあな、イシャーナの瞳に聞いてくれ」 ウォルカーズはちょうどいい頃合いと席を立ち、食器を片付け始めた。もしかすると先ほどの答えを言及されるのが恐かっただけかもしれない。リファはしばらくテーブルについたまま何やらぶつぶつ言っていたが、寝室に向かったらしく気配が消えた。 一通り片付け、ウォルはかまどに残った熱で薬草茶を温めた。アプシーズ・エルフ自慢のこの薬草茶は、いまや完全にウォルの仕事のパートナーになっていた。 温めた陶器の瓶を持って書斎に向かう。かつて彼の寝室だった部屋の前にきたとき、ウィルはふと立ち止まり、ためらいがちに中に声を掛けてみた。返事がないということはもう寝付いているのだろう‥‥‥ 彼は頭をよぎった邪な考えを振り払うのに、多少の時間を要した。 (リファだからではない。私が男だからだ……多分) そんな言い訳を自分にしながら書斎の戸を開け、そしてウォルカーズの思考はすべて中断した。 「あっ、ウォル。ボク今夜ここで寝るから。」 リファは必殺の笑顔で室内を彩る。先ほど追い払ったはずの邪念が、再び頭をもたげる。取り落としそうになった瓶を持ちなおし、ウォルはやっとこれだけを口にした。 「‥‥‥なんて格好してるんだ」 「だって汚い服のまま寝るの嫌だし、ウォルだって迷惑でしょ」 そこには、相変わらずのニコニコ顔にあまりに不釣り合い、しかし最高に綺麗な裸体に毛布を纏ったリファの姿があった。 ウォルは見とれていた一瞬をひどく後悔したような表情で、顔を背け、机についた。 「そこにあるローブを毛布の上に掛けろ、そのままじゃ風邪をひくことくらい分かるだろ、レディアで何年生きてるんだ」 太陽が雲間に隠れたように、リファの笑顔が曇った。 「ウォル、なんか怒ってる」 「お前は男を信用しすぎているのか、ナメきっているのかどちらかだ」 「よくわかんないけど‥‥‥ ウォルの寝る場所、ちゃんと空けとくからね。おやすみ」 (それがいけないんだよっ)おもわず振りむくと、リファは壁側にぴったりとよって、縮こまっていた。もともとこの書斎にあるのは小さめの簡易ベッドなので二人も寝る余裕などない。リファが「空けておいた」場所にはウォルの身体は、到底収まりそうになかった。 ウォルカーズは、今日何度目かの苦笑を浮かべ、仕事を再開した。今夜はどうせ、寝る暇などないのだ。 「風の刻」に差しかかるころには、「白き支配者」はやっとその勢いを弱め、人々に静かな眠りの時間を提供した。時折響く風の歌に微かに交じる幸せそうな寝息は、流麗な旋律のノクターンとなり、ウォルカ―ズを包んだ。ウォルは久しぶりに仕事が楽しかった。 |
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