会誌-「サークル水月会誌 第4回」

■ リアクション4−4  (独立暦400年地の月)


(困ったものだ……)
 シィル=アーレインは頭を抱えていた。
 エルーブ水吏長とはただ水利・水運をあずかる者であるというだけではない。実際やっていることはそうなのだが、それ以上に、邑宰・邑宰丞に次ぐ邑政の責任者であるわけで、そういう点で、先を見通した上での内政の施行ということに日夜、心を砕いている。やっていることは建設工事ばかりであっても、その裏にはいかに国を富ますかというプランが組まれているわけなのである。
 で、あるのだが。
(いっそのこと、プーツァを手に入れてしまった方が、やりやすかった……)
 ヴァル=ヴァロヌ──このエルーブの邑兵尉、通称「自信過剰男」の独断専行により、シィルの考えていたプランは大きく狂わされた。
 シィルは、別に親キーサ派というわけではない。いずれ、キーサとは戦わねばならないとは思っている。だが、今戦っても勝てないのは目に見えている。
 ヴァルには、大局が見えていない。シィルはそう思う。それとも、大局を見て戦うという思考自体、彼には備わっていないのだろうか。確かに、将としては優秀だろう。少数の兵による奇襲の見事さという点においては、おそらく当代一であろう。そのことははからずも証明された。だが、それが何だというのだ。戦術レベルでの勝利が戦略・政略レベルでの勝利に必ずしも結びつかないのは兵法の素人でもわかる。無理にでも結びつけるつもりか? だとすると、
(まさに、自信過剰だな……)
 彼のような男が出てくるのもまた、時流というものなのだろうか。
 冷静、沈着、頭の回転も悪くない。ただ、彼には根本的なものが欠けている気がする。戦いを求め、戦いでの勝利を求めるあまり、国としての成長、民の安寧、そういったものをまったく忘れているのではないか。
 民なくして、国は存在し得ない。軍もまた然り。
 国を富ませ、技術を根付かせ、人を増やし、兵を増やし、……それから時を味方につけて。
 この邑を、『エルーブ帝国』にするために──
(最悪の場合は、彼を処分することも考えねば……)

「うーん、ここは、どこなんでしょうか?」
 少し青みがかった銀の髪を、青い紐で束ねた少女。クリシュナの神官衣を着ている。典型的なトゥー族、しかし歩いている場所がどうも、トゥー族の居住地からは外れているようなのである。
 ビュア・パウミッタ。先節、トゥルニアの音楽祭に出た後、故郷のシュナフへ帰ろうとしたのだが、どうやら道を間違えたらしい。
 まあいいでしょう、と諦めた。よくあることだ。彼女の方向音痴は母親譲り、それにその母親は父親と共に旅に出てしまい、どうせ家に帰っても誰もいない。このまま旅に出てしまおう。きっと、私と両親と、両方で迷っていれば、どこかでまた会えるだろう──
 にしても、先立つものがないのだった。
「あのー、すみません」
 そこら辺を歩いている人を呼び止めて訊ねる。
「ここ、どこですか?」
「ここって、この邑か? エルーブだよ。ほら、あっちに山が見えるだろう? あれが銅のとれる、エルーブ山脈だ」
 へえ、とそちらを見上げる。地の月、雪を頂いた山々はとても幻想的だったが、パウミッタは困り果てた。
 うーん、職を探すのも難しそうね、鉱夫になんかなれないし……
 と思っていた彼女の目の前に現れた高札には、こう書いてあった。
「寒い地方で育てられる食用植物の研究をしております。術法や農業に詳しい方、募集中」
 彼女の父親は神官、母親は薬師だった。両親の研究をずっと見てきたから、術法や薬に関する知識には自信がある。
 パウミッタは、吸い寄せられるようにそこに入っていった。

「プーツァに攻め込んだそうですね」
 朝議で、邑宰は開口一番そう言った。
 詰問口調ではなかった。むしろ穏やかな調子であった。兵吏長は、はっ、と頭を下げた。
「申し訳ありません。私の監督が行き届きませず……」
「全くだ」
 庫吏長が吐き捨てた。
「奴本人にも言ったが、私は規定予算以上は絶対に兵吏には回さないぞ!」
「予算のことを言っているのではありませんよ、庫吏長。これが我がエルーブの利になるのであれば、私としては出費を惜しもうとは思いません。そこで、皆の意見を聞こうと思ったのです。順番に、意見を聞いていきましょうか。まず庫吏長、それ以上に言うことはありますか」
「もちろん、あります」
 庫吏長は憤然として言った。
「戦など金を食うだけです。だいたい、わがエルーブの人口はキーサの王都カノール一邑に比べても半分、周囲の邑を合わせればキーサには3倍近くの人がおりましょう。しかもキーサの領は我が邑に比べてはるかに温暖です。穀物の収量だけでも年に5倍の差がある。そのうえカノールはセルファニア湖に面し、年中交易が可能です。そんな邑に勝てるはずがありましょうか? 今度の暴走で、プーツァの糧食を少々奪ったようですが、そんなものは雀の涙、すぐに補われましょう。そのうえこれを誇大に宣伝されでもしようものなら、我が邑の信望は下がり、キーサの名声が上がる。まったく利などありはしません」
「道理ですね」
 水吏長シィル=アーレインは同意して頷いた。
「私が考えるに、現在キーサに対し戦を起こすことには、4つの不利があります」
 指を折る。
「1つには、距離の不利。エルーブの近くには邑がほとんど存在せず、一番近い大邑はプーツァになります。しかもそのためにはエルーブ山脈を越えるか、コネック経由で川沿いに行くか、またはアヴァダ川べりにいったん出、大回りに行かねばなりません。これは守るときには有利にはたらきますが、攻めるには不利でありましょう。この不利を打開するためには、大軍が一度に移動できるような道が不可欠ですが、その道を使って逆に攻め込まれる危険もあるため、これまで何度となく計画が立てられつつも、その都度挫折してきました。
 2つには、庫吏長も申されたとおり、財の不利があります。我が邑の財を支えているのは、現在、銅のみ。その中から財をしぼり出していくことは邑民の生活をおびやかし、やがては自分の首を絞めることになりましょう。つかってもつかっても湯水のように出てくる豊かな財源が必要です。私が今おこなっているふたつの事業はそのためのものです。戦で勝利した邑から財を奪取するというのもひとつの手段ではありますが、後難を考えますとかえって出費がかさむものと思われます。
 3つには、土地の不利があります。これも庫吏長の言と一部重なるのですが──エルーブは、食糧という条件に関しましてはセルフィアーでも最悪といってよいでしょう。土質の大部分は鉱毒をふくむため食糧の生産に適さず、ほとんどを他邑からの輸入に頼っています。また、背後が氷海であるので退くこともできません。ゆえに同盟邑が必要なのであり、その工作も現在進行中であります。
 4つには、時の不利。他邑が反キーサ同盟を布きつつもキーサ一邑にしてやられている無様さは、我々も広く耳にしているところでありますが、これはキーサが現在人材も財力も兵力も整い、もっとも波に乗っているときであるということを示しています。さらに、反キーサ同盟の分裂により、キーサは労せずして他邑の力を弱めることに成功しました。今のキーサに手を出すべきではありません。力をたくわえ、時を待つことが必要なのです。
 また、あの大乱からまだわずか7年弱しか経っておりません。邑民の不安はようやく少し癒えたところです。であるのに再びその不安を煽るようなことは、すべきではありません。それでもあえて戦にもっていくのには、邑民や他邑にも通じるような『正義』というものが必要です。今のエルーブにはそれがありません。
 以上、4つの点を抜きにしましても、今度の邑兵尉のおこないました行為は『野盗』と大差なく、まったくもって最悪の事態であると思われます」
 口調は穏やかであるが、怒りを内に秘めたような厳しい弾劾の言に、他の長官たちも黙り込んだ。きまりの悪い沈黙が流れる。
「あの……私が発言して良いでしょうか」
 外吏長がおずおずと言った。邑宰が頷くのを見て話し出す。
「外吏としましては……ですね、とりあえずプーツァから何も働きかけがないのが気になります。これまで、関係が良好なときも敵対的なときも、何かあったら一応、文書を交換するのが恒例であったのですが……。まさか、邑兵尉が使者まで討ってしまった、ということはありませんよね?」
「ない……筈だが」
 兵吏長の言は歯切れが悪い。
「ううむ、奴がまさかここまで非常識な人間だとは思わなかったからなあ……」
「思わなかったではすまされませぬぞ、兵吏長シャーレン=クェル殿」
 法吏長はぴしっ、としわだらけの指をつきつけた。
「詔書もなしに出兵するとは。出兵した当人である邑兵尉ヴァル=ヴァロヌは降格の上2年の拘留。おぬしも知らなかったとはいえ監督不行届のかどで降格の上謹慎2節が妥当。このうえまた何かエルーブにとって不利益があれば、背任罪で懲役2年以上、加えて罰金100粒以上。またはおぬしの首。ヴァルナの法によって定められた罰則ではこれこの通りになろうかのう」
「……と、法吏長は(のたま)った。長きにわたる法吏勤めで培われた堅物ぶり、かくのごときか……。あ、私ですか」
 史吏丞は筆を止めた。
「私からは別に申すことはありません。史吏長からの伝言では、『天文に火炎城の揺らぎあり、戦うことはならぬ』とのことでしたが」

「ということは、要するに皆さん、キーサとの交戦には反対であるわけですね」
「であるのにどうして、一兵尉を止められなかったのかの、兵吏長殿?」
「法吏長、今は弾劾の議ではありません。キーサはプーツァに向けて援軍を派遣し、もうそろそろ到着する頃であると思われますが……兵吏長、問題の邑兵尉は今、どこにいますか?」
「……エルーブには戻っていません」
「すると、プーツァの近辺にいるわけか」
「邑兵尉はプーツァ近郊に居る模様……って、それ、すごくヤバいんじゃないですか?」
 ……その通りであった。
 邑議でそんなことになっているとは露とも知らぬヴァル=ヴァロヌは、着々とキーサ軍を迎え討つ作戦に精を出していた。
「なかなか援軍が来ないな」
「キーサのですか?」
 ヴァルの副将、エリオット=クェルが訊ねた。
「いや、我が軍のだ。作戦が成功したと、お前の従姉に知らせてやったから、もうそろそろ来る頃だと思っていたのだが……」
「キーサ軍はもうそろそろ到着するようですよ。あちらに土煙が見えます」
 エリオットの指さす方を眺める。なるほど、軍が来るようだ。
「エリオット、兵数はどのくらいだと思う?」
「千、かそこらではないでしょうか」
「合格だ。まあ、あれくらいなら今の兵力でもなんとか勝てるな」
「二百で、ですか? 邑兵尉、それはいくらなんでも無謀すぎますよ。引き揚げましょうよ」
「いや、私に一計がある。案ずるな。そもそも、戦争というのは敵の裏をかくことを本質とする。敵将リーナは我々のことを全く知らないが、私はリーナがどういう将であるのかを知っている。また、私は敵の兵数を知っているが、敵は私の兵数を知らない。勝つためにはこれだけの条件が揃っていれば十分だ。いいか、こういう計だ。『三重夜襲の計』というのだが……」

 キーサ王国の軍司リーナ=トゥラは、ヌーグに命を与えられるとすぐに出発した。
 カノールとプーツァの間には、キーサに良からぬ感情を持っている邑がたくさんある。それらの邑をかわしつつ、兵を進めなければならない。彼女に与えられた兵力は千だが、それだけの数が固まって移動すれば目立つことこのうえない。今度の出兵の目的は挑発に報いること、それに兵糧の輸送だ。他の邑にかまっているわけにはいかない。
 そこで考えたのは、ばらばらに分かれて行き、目的地で合流することであった。それぞれが、鎧はたたんで荷の中に入れてしまい、平服を着て旅人に偽装し、ラシーまで行く。長柄の武器は、ふつうの商隊のように偽装し、やはりラシーまで行く。兵糧もラシーまで運ぶが、一部はツヴィン、アカドゥを経由して、もうそろそろプーツァに着いているはずだ。
「しかし、大胆なことを考えたものですな」
 長衣を着、リーナと共に歩いているのは外兵尉丞のシャフイ=ヴィーラである。初老の、人の良さそうなおやじだが、腕の方は衰えをみせない。6年前の乱でも、リーナの衛兵のひとりとして共に戦った。
「ニーゼの進言でね」
 ニーゼ=フェノは謀のひとり、やはり6年前に活躍した間だった。分散してラシーに向かっている。
「アカドゥの方は大丈夫ですかね?」
「大丈夫だよ、レールスがついてるからね」
 風官長史レールス=セラァは今回、プーツァへの交渉役として来た。といっても足手まといになると困るというので、自ら別働隊を希望したのだ。この3人と、外兵尉丞のミラ=シャル、それに同じく外兵尉丞のクード=カズキが今回の直属の部下である。
 兵たちも、作戦の性質上気心の知れていた者の方がいいだろうということで、6年前の最初の乱──アーヴ攻略時からの兵がほとんどである。おかげで、ラシー郊外5キロのところで天幕を張って待っていると、必ず、何人かで連れだってやってくる。
「リーナ様、クルー=ゼイダ、ナーヴ=ダィエ、ただいま到着しました」
「ちょうど100人目だ。縁起がいいな」
「外兵尉丞ミラ=シャル、到着!」
「……王女、一緒に行くとあれほど言ったのに、お一人ですか」
 などということもありつつ、リーナ達が到着してから二日余で奇跡的に千人余全て集まったときには、すっかりハイキング気分になっている。もともと、旧知の者ばかりだ。戦いに来たといっても、その相手は所詮エルーブの兵。全兵力をかき集めても五千には達しないはず、しかも兵糧のことを考えれば、出兵できるのはせいぜい千程度だろう。兵一人一人の実力を考えれば、このキーサ精鋭の千に(かな)う軍があるとも思えない。そんな気分が全兵の間に漂っており、晩飯の時間はまるでバーベキューである。
 そんな浮ついた気分を、リーナの喝が吹き飛ばした。全軍の甘さを察して、すでに彼女は鎧甲を身にまとっている。あかあかと篝火に照らし出された、戦神のような峻烈さを感じさせるその姿に、兵たちのみならず将も息をのんだ。赤みをふくんでたなびく長い髪、炎を映した紅い瞳。
「キーサ軍の軍規を覚えているか? 逃亡した者は斬る、統制を乱す者は斬る、将の令を軽んじ邁進する者はたとえ功あれども斬る! キーサ史上にも敵を軽視してみすみす勝ちを逃した戦の多いことを忘れたか! 自信と盲信の違いも分からぬような輩は、もしやこの中にはおるまいな!」
 剣を抜き、一閃する。空を裂く鋭い音に、誰もがみな思わず身をすくめた。今まさに篝火の中に飛び込もうとしていた蛾が、真ん中から縦に二つに切り裂かれていた。
「今この場にいる一人一人がこの剣だと思え。食するのも楽しみのためならず、キーサの敵を撃ち破って無事帰還するため。自らの内の剣を研ぎすまし、戦士としての誇りを思い出せ。そしてあの、苦しかったアーヴの戦いを思い出すのだ」
 剣を鞘に収め、にこりと笑ってみせた、その笑顔は、6年前のあの少女のものだった。

「気をつけてくださいよ、リーナ様。どこから敵が攻めてくるか分かりませんからね」
「分かっている」
 リーナは陣頭に馬を立てている。ラシー湖から流れ出るヴェレナ川は、東側はプーツァの五キロほど前まで切り立った崖になっているが、西側はなだらかな丘陵になっている。だから、行軍中に奇襲をかけられることはまずないだろうが、背後に回られる危険はないとはいえない。
「千人におさえておいてよかったな。これも、ヌーグ様の先見の明か……」
「リーナ様、前方に敵陣です」
 クード=カズキが指さした。なるほど、プーツァ城の対岸に陣がある。
「今日はここに布陣しよう」
「えっ、プーツァに入るのではないのですか?」
 ミラが驚いた様子で言った。リーナは頷く。
「川があるからな。無理に渡ったら攻めてくるだろう」
「あんなに小勢なのにですか? せいぜい二百ってところじゃないですか」
「あれで全兵力だと思うか?」
「……」
「もしあれで全部なら、よほど我々のことをなめてかかってますな」
 シャフイは憤慨した。リーナはなだめる。
「いずれにせよ、我々の任はあれの殲滅だ。まだ情報が不足している。戦うには早い。お手並み拝見といこうじゃないか」

 カルナ・シェルセラヴは、シェーナの街にいた。
 彼女は先節カノールでヌーグを一目見て以来、彼のファンになってしまい、彼のために何か情報を流してやりたくてしょうがない気分であるのだが、今節、エルーブがプーツァにちょっかいをかけた関連でキーサが出兵すると聞き、シェーナも何かしないかと思って来てみたのである。
 街はすでにその話題で持ちきりだった。キーサ領とプーツァの間にはファナやらといった邑が横たわっているが、キーサ軍はどうやってそこを抜けたのか? いやいやそんなことはどうでもいい、シェーナはこの期に便乗してキーサを攻めるべきではないのか?
(でも、カノールを出たときは、キーサはすでに臨戦態勢だったわよね……シェーナが攻めてくるのを待ってるんじゃないかな?)
 とすると、「キーサは油断している!」っていう噂を流すのって、ヌーグ様のお役に立つ? ひょっとして。
(やったれ、やったれ!)
 ……その三日後、シェーナ邑宰はカノールへ出兵すると言い出した。

 キーサ軍が陣を築き始めたところで、何やら騒ぎが起こった。
「軍司殿に会わせて下さい」
 などと誰かが言っていて、それに対し兵が怪しい奴、と尋問を行っているらしい。
「何事か」
 リーナが行ってみると、一人の男が取り押さえられていた。平服を着た、シャル族の男だ。ぼーっとした、冴えない顔をしていて、間者だとも思えない。髪を背中でいい加減に束ねている。
「あ、リーナ様、お久しぶりです」
「……お前、誰だ」
 リーナが言うと、男は大げさにのけぞった。
「やっぱり、気づいてもらえなかったですねえ。私ですよ、扇職人のグレンノルト=イーズです」
「ああ、お前か。そういやそんな細い目の奴、お前しかいないな。ひげをそったりするからだ。全然、分からなかったじゃないか。で、何をしに来たんだ? お前、シェーナにいた筈じゃなかったのか」
「そうなんですよ、それでプーツァにリーナ様が来るっていうんで、情報を進呈しに」
「何だ。手短に言え。からかったりしたら斬るぞ」
「まじめな情報ですって。……今回のエルーブの動きに同調して、何やらしようとしている奴等がいるんで」
「ほーう、奴等のやりそうなことだな」
「漁夫の利をねらってるんでさ。で、反対派ともめてまして……。どうしますか、何だったら、ジャマな人間を1、2人、動けないようにしますか?」
「いらん。そういうことはヌーグ様に直接言ってくれ。……が、せっかくここまで来たんなら、ちょっと頼みたいことがある」
 何やら耳打ちする。グレンノルトは頷いたが、去り際に余計な一言をぼそっと呟いた。
「ヌーグ様と一緒になれば、ますます、面白いことになるのに……」
「──とっとと行けっ!」

 その日は、何事もなく過ぎた。
「夜襲をかけてくるのではないかと思ったんですが……」
 ニーゼが自信なさげに言う。
「普通は、そうするわね。何を企んでいるのかしら」
 ミラは首を傾げる。
「どうあっても、あの陣を襲わせたいということかね」
 シャフイはリーナを見上げる。
「攻める」
 リーナは短く言った。シャフイは目を見張った。
「必ず罠がありますぞ」
「あったらあったで食い破るまで。いにしえの兵法にいう、十なればこれを囲み、五なればこれを攻め、倍すれば分かち、適すれば戦い、少なければ守り、()かざればこれを避く、と。数はこちらがあちらの五倍だ。兵糧の減り方もこちらの方が早い。あと3、4日のうちに決着をつけ、プーツァに入ってレールスと合流しなければ。どちらかといえば、これは時間との戦いだ」
「……そうですな」
「まあ、今日のところはまだ殲滅しようとは思わなくていい。全軍を使った偵察交戦だと思えばいい。深入りはするなと全軍に伝えよ」
 リーナの言が、次々と伝言されていく。
「出陣!」

 まともに戦っても勝てないことは、最初から分かっている。
 に、しても──この圧倒的な戦力差は。
(一人一人の能力は、互角のはず……なのに)
 エリオットは、崩れ立つ味方を見て呆然とした。
(所詮、にわか仕込みの兵では、歴戦のキーサ軍には……)
「エリオット、何を(ほう)けている! 撤退するぞ!」
 耳元でヴァルの声が聞こえ、はっとして剣を握りなおす。
 そうだ、敵を引きつけるのだけが目的の初戦で、戦力差も何も、考える必要はないではないか。
「撤退! 撤退!」
 自らも叫びながら味方の援護に回る。剣を合わせる、その敵の一人一人の強さに驚く。
(まさか、これはキーサの最精鋭部隊?)
 兵たちのための囮になってやる。逃げる時間をつくってやるための。その時間を稼ぐ間、防ぐのが精一杯だ。自分は元々、従姉とは違って武芸は達人の域にまでは達していないが。
「お前はエルーブの将かっ?」
 まだ若い、少女といえるほどの女の声がした。剣を合わせていた敵兵たちがさっと退く。
「私はキーサの第二王女にして外兵尉丞ミラ。剣聖ラムトゥナ様仕込みのこの剣、受けるがよい!」
 素早く、気合いのこもった剣がくりだされる。若々しい剣だ──純粋な、強さ。
「エルーブ邑兵尉丞、エリオット=クェル」
 昨夜、ヴァルから計画の全てを聞いていたのが災いした。軍司リーナを捕らえられなくとも、この王女を──と、思ってしまったのだ。
「いざ、尋常に勝負……っ」
 ほんの十合ほどだった。勝負はあっけなくついた。この、15を超えるか超えないかという少女は、この地に来たキーサ軍の中で、おそらく最も悪い相手であったのだ。

「邑兵尉丞、って言ったわよね。すると、今度のエルーブの動きについて、ぜーんぶ知ってる訳よね? 敵将の名は、何て言うの? どういう人? ね、教えて」
「…………」
 エリオットは口をつぐんでいる。まあ、当然のことではあるが。
「来てるエルーブ軍の数はどのくらい? まさか、あれだけってことはないわよねー。他の部隊は、どこに潜んでるの? 夜襲の予定は? 今日? そうよねー、まさか黙って引き返すはずはないわよね、あれだけハデに挑発したんだもの」
「誰が教えるか」
 ふん、と横を向く彼の顔を見やって、ミラはにやにやと笑っている。
「けっこうあんた、いい男ね。歳はいくつ? まだはたち前でしょ」
「19だ」
「ふーん、プライベートなことは答えるんだ。……その口の堅さ、結構、わたし好みよ」
「王女、捕虜をからかうのはやめなさい」
 ミラをたしなめたリーナは、エリオットの正面の椅子に腰かけた。
「敵の副将らしいな。何も話す気はないか」
「……」
「それとも、よほどその将を信頼しているか、だな。すぐに身柄を取り返しに来る、という」
 リーナは立ち上がった。
「まあ、今晩の夜襲ぐらいは予測済みだ。どの程度のものか、見せてもらおうじゃないか」

 夕やみが空を藍色に染め、兵たちが食事を済ませてくつろぎ始めた頃。
「来たぞ!」
 との声と同時に、山ぎわの方から敵兵が侵入し、辺りの明かりを切り倒して回った。キーサ兵たちは取り押さえようとしたが、人数自体少なかったらしく、結局捕り逃した。
「捕虜は?」
「いるわ」
 ミラが答える。すると、この夜襲は捕虜奪回を狙ったものではないのか。
 場所を移し、人払いをする。
「間者がまぎれこんでたりしないだろうな」
 リーナの問いに、
「ありえませんよ」
 クードは笑った。
「そんなことをしたら、すぐに分かりますって。この陣中にいる者はみんな、アーヴの戦友です」
「そうだな」
「それを狙っていたことは狙っていたらしいのですが」
 ニーゼの剣は血に染まっている。
「あっと言う間に皆で斬り倒してしまいました。おかげで尋問もできませんよ」
「しかし、それだけじゃないだろう。おそらく、『二重夜戦の計』だろうとは思うのだが」
「それにしても、あざとすぎますね」
「一応、誘いに乗ってやろうとは思う。副将も返してやろう。だが、その後、何を狙っているのか……」
「これは推測なのだが……」
 シャフイが、ぽつりと言った。
「もし、次の夜襲が真夜中であったら……」

 ヴァルは、計画の狂いに少々苛立っていた。
 計画では、もう少し人数がいる予定だったから、初戦での犠牲は痛い。エリオットが捕らわれたのも予想外だった。残存兵力は……80くらいか。
「まあ、これだけいれば何とかなるだろう」
 と、昨晩と同じことを言っている。虚勢ではなかった。計画のおおもとは崩れてはいないのだ。初戦はわざと敗走した。夜襲一回目は少数で敵陣を撹乱させ、すぐに退いた。
「問題は、次でどれだけ残るか、だが……」
 不安そうな兵の目が痛い。自分は必ず勝つと確信していても、兵がそうであるとは限らない。だから、次の夜襲の時には、完璧に勝たねばならない。もともと夜襲の勝敗は数ではないのだ。

 キーサの陣には煌々と明かりが点っている。当然、おびき出しの為の策だ。まわりに兵が伏せてあるにちがいない。
「中に入ったとたん、明かりが消える、そして伏兵が襲いかかってくる、そういう策に違いない。しかし、それを逆手にとるのだ。明かりが消えれば敵か味方かの区別がつきにくくなる。すると、同士打ちをおそれるキーサ軍は思うように戦えまい。お前たちは、外へ外へと斬り進めばいいのだ。外へ出たら、ふたたびこの場所へ集結しろ」
 兵たちには、こういう指示を与えておいた。……私は天才だ。歴戦の将リーナの策ですら、こうやって逆手に取ることができる。
 やはり陣はもぬけの空だった。中へ中へと、一丸となって進んでいく。こちらはできるだけ固まっていた方がいい。下手に散っていると、同士打ちの原因になる。
 中央、どうやら本陣だったらしきところの椅子に、エリオットが縛りつけられていた。目隠しと猿ぐつわがかまされている。急いでほどいてやると、エリオットは叫んだ。
「邑兵尉、これは罠です!」
 そのとたん、明かりが倍以上に増えた。昼間のような明るさに包まれる。
「そこかっ、敵の大将!」
 少女の声がした。はっと気づいたエリオットが口を押さえたときにはもう遅い。キーサ軍の全軍が、十重二十重に本陣を取り囲んでいた。手に手に松明を掲げている。
「投了、だな。エルーブの邑兵尉よ」
 ひときわ目立つ緑の鎧を着た女将が言う。
「……私は、まだ負けたわけではない」
 ヴァルは呟いた。エリオットは思わずその顔を見直す。まだ、その表情は自分の才能への自信に満ち溢れていた。そしてもう一度、今度はもっとはっきりと言った。
「私は、まだ負けてはいない! 私に、あと100の兵力があれば……」
「そう、私はお前に勝ってはいないな」
 リーナは頷いた。
「私がお前に勝ったのではない、キーサの軍司がエルーブの邑兵尉に勝ったのだ。エルーブの邑兵尉であること、それが今のお前の限界なのだから。あと100、と言ったが、私にあと100の兵力があれば、たぶん初戦であの陣を壊滅させていた。お前の敗因を教えてやろう。考えすぎることだよ。机上の空論にこだわらなければ、もっとよく戦えただろうに。さあ、もういいだろう。剣を捨てて投降したまえ」
「誰が、投降などするか」
 ヴァルは吐き捨てた。そんな気はさらさらなかった。リーナの話も聞いてはいない。ひたすら隙を窺っている。
「まだ若いんだし、命を惜しめば良かろうになあ」
 シャフイが呟く。その瞬間、ヴァルは剣を抜いた。背後の敵に切りつける。エリオットも、ヴァルの兵たちも、そしてキーサ兵たちも、呆気にとられて止める気にもならない。ヴァルは剣をかざしたまま陣の入口へむかい、外へ出ようとした。
「待った!」
 前方から来る一隊の兵。そして、その先頭に立つのは、
「御用だよ、ヴァル」
 エルーブ募兵尉、エリーノ=クェルであった。

「いや、すみませんでした。うちの邑兵尉がいろいろとご迷惑をおかけしたようで……」
「つまり、募兵尉殿、この度のことは、邑兵尉殿の独断専行であって、エルーブの中枢には何の関わりもないことであると、そういうことか?」
 リーナは首を傾げた。
「ええ、そうなんです。正式にはうちの外吏の方から使者が来ると思いますので。いや、本当にご迷惑をおかけしました」
「ご迷惑を……って、しかし、こちらとしてもいろいろと手間暇資金がかかっていることでもあるし、国としての体面もあるので……」
「その辺は、外吏と交渉してください。私のいいつかってるのは、この『自信過剰男』を連れ戻してこい、って、それだけなんで……。本当は事が起こる前に連れ戻したかったんですけどね」
「……まあ、お互い、ご苦労様、ってところだがな」
「中間管理職って、辛いですよねー。ははは」
 というところで、一応、プーツァの乱──別名「夜襲戦争」は、幕を閉じたわけである。
「ところであの胡散臭い扇職人、どうしたんですか?」
「……ああ、レールスのところへ使いにやったんだが……結局、兵糧の補充の必要もなかったから、忘れてた。ま、あいつのことだ、もうシェーナかカノールに帰ってるだろ」

「オレは、遺跡探索には向いてない」
 イゲニィアン=ハーットは、唐突に悟った。
 もともと自ら望んで入った道ではない。シーナ・アガノと名乗る妙な少女に、強引に連れ込まれ、いままで出られずにいただけだ。そう思い、隙を見て逃げ出そうとしたのだが、その必要もなく、「じゃ、さよなら」と言われて追い出され、結局、四年ぶりに家族のもとに帰ったのだった。
 だがその後半節(はんつき)もせぬうちに父親は病気で倒れ、家出の原因であったところの武器職人の職を継がされそうになったのだが、何とか弟を説得し、弟に継がせることに成功した。
 しかし、
「このままこのオレの才能を朽ちさせていいはずがない」
 との思いは強まるばかり、ついにキーサ王国の人官へと書状を提出したのであった。
 そして面接の日、彼はまさに秘剣を持って現れた。
「君かね、地官になりたいというのは」
 面接をした人官は、あからさまに嫌そうな顔をした。
「だがね、地官になりたい人間は、いくらでもいるんだ。まさに、星の数ほどな」
 自分の顔が悪いことは知っている。だからずっと、今まで苦労してきた。
 だが、地官になれれば……。
「もし私を地官の職につけてくれますなら、私の一族イゲニィアン家に代々伝わる剣、ダークブレイドをさしあげましょう」
「……袖の下か? 私はそんなものには惑わされんぞ」
 と言いつつ、その人官は物欲しそうにしている。名剣は、現金とは比較にならぬ程価値がある。しかし、賄賂に惑わされて採用した官吏が、もし失敗でもしようものなら、推薦した自分の首が危ない。この男、外見はすこぶる良くないが、頭の方はどうなのだろう。
「まあいい」
 ついに、誘惑に負けた。書状を折らず、箱の中に入れる。
「功績をあげなくてもいい、大過なくつとめてくれ」
 おそらくそれが、すべての人官の本心だろう。
 ハーットは頷いたが、むろん心の中は野心に燃えていた。
 ……やっと、自分のこの頭脳を生かすことができる。

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