会誌-「サークル水月会誌 第4回」
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■ リアクション4−1 (独立暦400年空の月) ザラスの中でもとくに戦乱の地として知られるようになるこのセルフィアーの歴史の中で、ほんのわずか、400年間続いた平和が終わろうとしている。そもそもセルフィアーは人界でもやや地界寄りに位置し、神々が天と地とふたつの世界に分かれた頃からもっとも進退のはげしい戦場となってきた。「 「雪か」 うすい灰色にくもった空を眺める。ナーラダ族の居住地域は全体に温暖で、冬の寒さもそれほど厳しくないのが毎年のことだ。しかし今年は平年よりも雪の降る日が多い。 「雪、ですね。あまり積もらないとよいのですが」 ジグトが横あいから言う。そうだな、と呟いたヴィレクの黒い髪に、白い欠片がかかった。 「あまり長居すると風邪をひきますよ」 「そうだな……」 ヴィレクの左手にはキルアが止まっている。火の月の 「何をお考えですか?」 邑宰の子として接していたときよりもよほど距離が近くなっているのに、彼の成長ぶりはジグトの予想をはるかに超えていて、ともすれば追いつけぬ程遠いところにいってしまう。かとおもうと舞い降りてきて常人と同じ地平を歩いていることもある、しかしそれを理解できるのは今のところ、ジグト一人である。 「色々と、な。そう、ほんとうに色々と……」 「何を──と、訊いてもよろしいですか」 うん、と頷いて、ヴィレクはキルアを離し、屋根の下へと戻った。邑宰邸の中から、白く染まっていく庭を眺めながら、ジグトの持ってきた套衣に腕を通す。 「この私に、ウォウルの皆がついてきてくれるのだろうか、ということを」 「何を今更」 ジグトは笑った。 「それは、王号を称するとお決めになったときに、とうにお覚悟なさったことだと思っていましたが。……怖くなったのですか」 「そうではない」 ヴィレクは静かに言った。 「私は理想のもとに王になった。私が王になることが正しいことだと思ったから。……しかし、最近になって、そうだったんだろうかと自問することがよくある」 どこまでも続く灰色の空。うすぼんやりと、雪のためにかすんではいるが、視界はそれほど悪くはない。 「父上の遺言だから。正しいことだから。自分の中でどちらの比重が大きいのか、と私はずっと自問してきた。だが、それは結局は同じことではないのか、と最近思うのだ」 ジグトはわずかに首をかしげて先を促した。 「理想のために人が動くなど、ほとんどありえない。それができるのは、わずかな選ばれた勇気ある人だけで、そのほかの人を動かすのは人以外にない。……父上は、邑宰の地位を捨てられなかった。理想を抱きつつも、動くことはなかった。その父上に代わって、私が動いている。父上の理想が正しいと信じたのは父上で、私を動かしているのも父上だ、そんな気がする。……その私が、ウォウルの人々を動かそうとしている。はたして、それで皆はついてくるのだろうか?」 「きっと、大丈夫ですよ」 ジグトは笑った。 「そうだろうか」 「人を動かすのは、人以外にないのでしょう?」 噛んで含めるように言う。 「理想を体現している人のために、人は戦う。たとえあなたが動くのが ウォウル王佐クラウ・ハデンは、ナーラダ・ヴィレクとライル・ナタケを会見させるべく、謀略に励んでいた。自分の疑いは完全に解けた、よってウォウルとスウィズを同盟させるために全力を尽くすのが自分の任であると、彼は信じて疑っていない。 そのためにはどうしたらいいか、と考えていると、 「王佐、こんな書簡がまいりました」 部下から一通の書簡を手渡された。 「おお、これはイリスに潜伏させたファン・エイゲンからの報告じゃないか」 ウォウル王佐クラウ・ハデン様へ イリス軍師付ファン・エイゲン ・イリス王の目的は、メール族の邑をすべて統一することです。これはもともと彼の本意ではなく、リューナ司祭に躍らされて始めたことですが、今はそのリューナ司祭を倒し、リューナを手に入れ、その目的への一歩を踏み出しております。しかし頼りにしていた軍師グード・ライザーが自ら謹慎してしまうという事態が起こり、今後、どうなるものかまったく予測がつきません。 ・スィスニアと通じているのか? というご質問でしたが、そのようなことは全くありません。イリスの狙いはもっぱらメール族部族内に集注しているようです。 ・また、ヴェルーダの件に関してですが、かの邑は邑宰丞のクーデター及び自爆によって、ほとんど壊滅いたしました。人口の半分以上は死亡し、残りの民もほとんどは「バルス」とやらいうトゥー族の地の邑に移住することにしたようです。イリスの間者の報告では、邑宰丞は強大な道士でありましたので、その者の自爆により気脈が乱れ、ヴェルーダの跡地は局所的な極寒にみまわれているとのことです。 以上 「ヴェルーダ壊滅か……」 あれほどの要害堅固な邑が消滅したとは、旧邑宰丞はよほどおそるべき霊力の持ち主であったのだろう。それにしても惜しい。スウィズとヴェルーダはわりと関係は良好であり、邑宰はその剛毅さで知られ、戦士としても優秀であった。目に入れても痛くないほどの年頃の娘がひとりおり、彼女もまた優秀な戦士であり道士であったが、おそらく邑と運命を共にしたのだろう。 「ではヴェルーダとの同盟は無理か」 ヴェルーダ軍2千は、数としても質的にも魅力であったのに、と思うと残念でならないが、ないものは仕方がない。 彼は策を練り直し、ジグトとヴィレクの元に向かった。 「オレの考えを理解してくれたこと、王とジグト殿に感謝する。しかしスィスニアが動くようだ。予想より軍備増強のペースが早い。ウォウルとスウィズの結びつきが強くなりそうな今、当然妨害工作に出るだろう……いや、先手を取ることもあり得るな……。最悪のケースを想定するならスィスニアがリビュニア、イレーヌと結びウォウル包囲網を形成するか、南進してスウィズをいきなり叩くかだろう。確かにスウィズ軍は強い。ひと昔前のスィスニア軍なら相手にならなかったろうが軍を再編しきたえ直したいまのスィスニアは強いハズ。何よりスウィズは数で劣る。また、スィスニアが強引にシーランを抱き込む恐れもある。ならばオレはスィスニアが動けないような状況を現出させる」 そう前置きし、ハデンはそのための策を語った。 シーランで、スウィズとシーランに合同軍事演習をさせる。本当はヴェルーダも参加させるつもりであったがないものは仕方ない。それにハデン自身とハクユウも同席し、三邑同盟が成ったことをスィスニアに知らしめる。というのがその主旨であるが、シーランは今、親スウィズ派と反スウィズ派の間で争いが起こっている。そこで合同演習を行うことによって、既成事実をつくりあげ、反スウィズ派をも封じてしまおうというのである。まさに一石二鳥の手であるといえる。 ──むろん、成功すればだが。 「そしてスィスニアが動けなくなったところで、ナタケを連れ帰って王に会わせる。……さすがに、規模からして圧倒的に上であるウォウルの主を、スウィズまで出向かせるようなまねはできないからな」 「待て、ハデン。君は前回、スウィズと今ははっきり手を組まなくてもいいから、とにかく一度ナタケに会えと言ったような気がするが?」 と、ジグトはよほど言おうと思ったのだが、ヴィレクが何も言うなと目で言っているので、ずっと口をつぐんでいた。ヴィレクは終始にこやかな表情で聞いていた。 「……彼は、相当誤解しているようですよ」 ジグトはハデンが出ていったとたん、ため息とともにそう言った。 「そのようだね」 とたんに瞳と声色が鋭くなる。ジグトは思わず身をすくませた。 「もういい。彼は既に不要であるというだけでなく、有害だ。先節から分かってはいたが、処分しなかったのは、単にその機会がなかっただけだ。……ハデンという男は、ウォウルのために動いているのでもなければ、私の理想のために動いているのでもない。むろん、私のためでもない。彼の頭の中は、おそらくライル・ナタケという言葉だけでできているのだ。そのために私を利用し、ウォウルを利用しようとしている。それがウォウルの利になっていたから私は王佐の位を与えた。しかし、もういいだろう。ジグト、二節も前からお前はそう言っていたな。私も内心は同感だった。だからこそ、今まで控えていたのだ。……ハデンがスウィズに行く、この時を逃せば、きっと二度と機会はない」 彼に似つかわしくない言葉、しかしそれがずっと秘めてきた彼の本心なのだろう。ジグトは頷き、隣室に控えていた衛兵のひとり──レザー・ウェルを呼び出した。 スィスニアは10万都市ではあるが、それでも荒れ地が所々にあったりする。城壁がないので、中央から無計画に発展していった結果だ。邑宰丞ヴァシュナ・シリルは、そのような土地を有効に利用すべく、農閑期の開墾を公共事業とし、農民たちに援助を与えることにした。 「よいことですね」 邑宰ルシャナ・シルキーヌはその献策を聞いたとき、にっこり笑ってひとことそう言った。その言葉を聞いただけで、やってよかったと思わせる何かが、シルキーヌにはある。 「あと、外交関係のことなんだけど……」 シリルはシルキーヌの視線を追った。雪がふってきたところだ。 「ウォウルやスウィズといった、今盛んに動いてるところもふくめて、ナーラダ族の全ての邑と、話し合いがもてればいいなと思っているんだ」 「全ての邑と……」 「ウォウルは、王を称した。他の邑は、それに反発したり、模倣しようとしたりしている。スウィズは、施術宝器を大量生産し、他の邑はそれにおびえている。……でも、それらの邑が、何の目的のためにそんなことをしたのか、風の噂でしか聞いたことがない。一度、話し合ってみる必要があるんじゃないかな」 「確かに、そうね……」 シルキーヌは笑い、舞い落ちる白い欠片を眺めた。窓から見える山の頂は真っ白で、まるで白と黒以外のすべての色が消し去られてしまったように見える。その無彩色の世界を背に立つ、青い衣を着たシルキーヌは、まるで女神の彫像のように見えた。 ──ウォウル国王と称するナーラダ・ヴィレク殿 「称する、というところが微妙ですね」 ジグトは感想を洩らした。ヴィレクは頷いて読み進める。 ──竜老会がかつての威光を失ってより、我ら黒竜の部族の者たちは、ごく近隣の地に住みながらまるで千年の敵のごとく このスィスニアの地にて会盟し、たがいの心をひらき、思うところを述べ伝えあおうではありませんか。 期日は、いにしえの竜老会の会盟にちなみ、1の月(水の月)12日とさせていただきます。 スィスニア邑宰 ルシャナ・シルキーヌ 「どう思う、ジグト?」 自らの意見は言わず、まずジグトに訊ねる。 「いい機会なのではないでしょうか」 ジグトはそう言った。 「この機に、ヴィレク様のお考えを各地の邑宰にお伝えになればよろしいのでは? 賛同する邑のひとつふたつは出てくるのではないかと思いますが」 「しかし、他の邑はどういう反応を示すのだろうな。とくに、スウィズは……」 クラウ・ハデンと、ナーズ・ハクユウ、それに衛兵レザー・ウェルは、スウィズに到着してすぐ、ライル・ナタケのいるライル社へと向かった。 ──剣呑な気配がする。 レザー・ウェルは、居心地悪そうに辺りを見回した。 建造しかけの城壁。鎧を身につけた者の姿がウォウル以上に多い。ウォウルでさえ、最近は物騒になってきたものだと思っていたのに、ここではまるですぐにでも戦が始まりそうな気配がする。戦を待望していた彼としては歓迎すべき事態であるはずなのに、まるで息が詰まりそうだ。 「ここが、ライル社だ」 得意げに言うハデンの、その感情の源が何処にあるのか想像もつかない。こんな街のどこがいいんだろう。ウォウルの方がずっと道も広いし、城壁もりっぱだし、……それに、空気がいい。 ハデンは次々とライル社の施設を指さし、これはこんなものなのだと説明してくれるが、ウェルはもういい加減うんざりしていた。ジグト様の、ひいてはヴィレク様の命であると思えばこそ、こんな男についてきているが、そうでなければすぐにでも帰りたい。だが使命が終わるまで、それは許されない。もう少しの辛抱だ。 「ナタケ……」 扉を開けるや、そう名前を呼ぶ。 「ハデンさん……。会いたかった……」 おいおい距離が近すぎるよ、とウェルは思わずツッコみかけてやめる。 「喜んでくれ、ナタケ。ウォウルとの同盟が成った。いや、もうすぐ成立させることができる。だから、ここに戻ってきた」 「ハデンさん……とうとう、やったんですね……」 幸せそうな顔。見つめあう二人。 (あつい……) ウェルはまた思わず砂を吐きそうになり、顔をそむける。そのまま30秒ほど経過したのち、ハデンは表情を切り替えた。 「だが、ナタケ、本当の戦いはこれからだ。手紙でも言ったと思うが、シーランとの合同演習に踏み切らなければ。用意はできているか?」 「ええ。……ところで、ハデン、この方は?」 ウェルの方に向きなおる。ウェルは完全に義務感から笑顔をつくり、自己紹介した。 「ウォウルの衛兵、レザー・ウェルです」 そしてついでだからとっくりナタケを観察する。なるほど、美しい少女ではある。清純な感じのする美人で、髪は黒いが、ふとした仕種につれて流れる一本一本は光に透けて茶色に見えた。瞳は翡翠石。しかし、 (ヴィレク様には劣るな。ま、当然だけど) と、心の中で評しておく。ヴィレク様は外貌が綺麗なだけじゃなくて、時折見せるとんでもなく鋭い瞳が、恐いけれど惹きつけられるのだ。そう、まるで神のように。 しかし、この少女にはそんなところはない。あくまでもおっとりしている。芯は強そうだが、それだけのことだ。 「そうですか。私がライル社社長、ライル・ナタケです。よろしく」 にっこり微笑まれたが、ウェルにしては鬱陶しいだけだった。 シーランに出動したのはナタケその人と、ハデン、ハクユウ、ライル社兵局長ディグ・カイル、それにスウィズ軍のほぼ半分であった。一応ウェルもついてきている。 「ハデンさん、これを」 その出発直前にナタケから見せられたのは、スィスニアからの書簡であった。 「これは、ナーラダの全邑に発されたものかな」 「ええ、多分そうだと思います」 「すると、ウォウルにもか……」 ハクユウの部下を全員連れてきてしまったのが痛い。……それとも、誰かに情報を取りに行かせるか。ウェルは自分の部下ではないから使えないだろう。 「ナタケは、どう答えたんだ?」 「もちろん行くと、そう答えました」 「……危険じゃないか? 罠だという可能性もある」 「ハデンさんも、一緒に来てくださるのではないのですか?」 そう言われて、ハデンはわずかに頬を赤くした。 「あ、ああ、まあ……」 「スウィズと合同演習をやるですって!?」 ヒステリックな叫びが冬の冷たい空気をふるわせた。 「スィスニアを裏切るつもりですか!」 「裏切るなんて、そんなことは……だってシーランは、もともとスィスニア領では」 「お黙りなさい!」 30代半ばほどの女性が、15歳ほどの少年を前に叫んでいる。 「スィスニアは10万都市ですよ! 対しスウィズはたかだか4万、我がシーランと同程度の邑ではありませんか! 「まあまあ邑宰丞、そのようにかみつかなくてもよいではありませんか」 庫吏長がなだめる。だが邑宰丞は止まらなかった。 「そのように甘やかすから、邑宰がこんなひ弱に育つのですよ! まったく、どうしようもない!」 「庫吏長の申すことにも一理ありますな」 外吏長が口を挟んだ。 「スウィズは敵が多すぎます。わが間の報告によりますと、ディヤウス神殿を筆頭に、ヴィシュヴァカルマン神殿、蜘蛛会。星薬会は今のところ中立ですが、医薬関係に手を出したりしたらここも敵に回るでしょう。今表立って動き始めているのだけでこれだけあるのですから、このさきどこまで増えるものやら……。しかも、問題はそれだけではなく……」 「だから、スウィズなどお捨てなさいと言うのです!」 庫吏長が叫ぶ。 「スィスニアからここまでは峠越えの道を2日です! スウィズとどちらが近いと思われますか!」 「しかし、スウィズは現在このシーランのすぐそばに布陣していますしねえ……」 兵吏長が困ったように言う。 「どうしましょうかねえ……」 「出てきませんね」 ウェルは嬉しそうに呟く。 「そうだな……」 ハクユウはシーランの町並みを睨む。 「やはりヴェルーダを巻き込めなかったのは痛かったな……」 ハデンは呟いていた。 「しかたない。スウィズ軍だけで演習をはじめよう」 「やるのですか?」 ナタケは驚いたように言った。 「シーランを説得するのでしたら、私自ら行ってもよいのですが……」 「危険だ、ナタケ」 ハデンは慌てて止めた。 「演習をはじめよう。元々、この作戦には軍の鍛錬という目的もあるんだ」 「ふーん、これが軍の鍛錬ねえ……」 まず、スウィズ軍のしたことは、新型兵器の実働テストであった。 「連弩、というものだ」 どうやら弓を台に固定したものの、しかも連射版であるらしいが。 「あ……」 弓を引いたとたん、ネジが弾けとぶもの、弓の幹が折れるものが多くあり、まともに動いたものはほとんどなかった。ウェルはくすくす笑う。 「強度不足だね」 「うーん、まだ実戦には使えないか……」 「例の書簡の反響は上々のようだよ」 シリルは報告書の束を持ってやってきた。 「ウォウル、スウィズをはじめとしたほとんどの邑から出席の意向が示されている。急に平和に戻るなんていう夢のようなことはないだろうけど、いきなり泥沼の戦争状態に突入、っていう事態だけは防げたんじゃないかな」 「そう……よかった」 呟いたとき、 「ぎゃあ──っ」 外の方から尋常でない叫び声が聞こえた。 「何事だ?」 とっさにシルキーヌと顔を見合わせる。続いて起こる刀剣槍戟の撃ち合う音。 「暗殺者でも侵入したのか? ──いや」 これは一人や二人の侵入ではない。おそらくこれは……! 「クーデターか!」 足音が次第に近づいてくる。 「逃げよう、シルキーヌ」 「ええ」 壁に飾られていた宝剣を掴み、本棚を動かすと、邑宰家の者しか知らない隠し通路が現れる。シリルとシルキーヌが入ると、本棚は音もなく元の位置に戻り、入口を隠した。兵たちが踏み込んできた時には、すでに二人の姿はなかった。 通路はスィスニアでも主道から外れた、さびれた通りに面する家につながっていた。地上に出、一息ついた二人は、隠してあった服に着替えた。 「やっぱり、あの男かな……」 「おそらくは、そうでしょうね。こんなことができる者は……」 「そのようです」 言ったのは、この家の持ち主である中年の女性であった。彼女は邑宰家、正確にはシルキーヌ本人のみに忠誠を尽くす特務部隊に属する、腕利きの間者である。 「ナグモ・リューン……やはりあの男は、軍権を手に入れただけでは飽き足らなかったようですね。現在、おふたりを血眼になって探していますよ。ここにもまもなく追手がかかるでしょう。邑から脱出された方がよろしいかと」 「でも、どこへ?」 シルキーヌの問いに、シリルは首を振った。 「考えている暇はない! ひとまず西を目指そう。ウォウルさえ避けて通れば、リビュニアでもイレーヌでも、ルシャナ家に親しい者はいくらでもいるはずだ」 「ウォウルに行かれるのが最も正解だと思いますよ」 間者はそう言った。シリルは手を打った。 「なるほど、ウォウルとスィスニアが仲が悪いのは周知の事実。だからこそ、あの男もそちらへは追手を割かないだろう。……いいか、シルキーヌ」 「シリルに任せるわ」 「……逃したか」 部下から報を聞いたナグモ・リューンは、あごに手を当てて考え込んだ。部下は叱責を覚悟したが、リューンはひとつ頷いただけだった。 「過ぎたことを言っても仕方がない。捜索は続けろ……だが、それより、これからのことだ」 軍を手に入れ、邑そのものを手に入れた。いや、もうすぐ手に入れることが出来る。 「リューン様、次なる命を!」 クーデターに参加した兵達は、いずれもおとなしいシルキーヌとシリルを不満としていた者ばかりだ。リューンという対極をなす将のために働けることを、異常なまでに誇りに思っている。 「この文面を高札にし、主道・環道の各所に掲げよ」 「はっ!」 「何……集会することを禁ず、五人以上で集まって話したらしょっ引く……かわら版は監察を受けてから、出版も……? 何よ、これ」 「言論統制って奴か? こんな暮らしできっか!」 口々に言っているが、 「やかましい。牢獄へ行きたいか?」 兵にそう言われてみな口をつぐんだ。 ──深夜、早朝に出歩くべからず。 まあ、この辺はいいとして、 ──武器等を民間人に売るべからず。すべて邑が買い上げ、登録した後に良識あるものだけに売却するものとする。 この文面を見て、ラファエロ・ティフォートは困り果てた。 彼は武器商人である。しかも珍しい鉄製品ばかり扱っている。それが、軍に皆吸い上げられるという。 彼はごく一般的なスィスニアの邑民であったから、邑宰のルシャナ・シルキーヌと彼女を補佐するシリルを尊敬していた。その彼としては、ふたりを追いやった(のであろう)者たちなどに、あの利剣を渡したくはない。自分の売った剣でふたりが殺されでもしたら、ご先祖様に申し訳がたたない。しかも、戦乱に巻き込まれそうな雰囲気に嫌気を感じていたところに、自ら油をそそいだリューンという男を、こころよく思っていなかった。 こうなったら、武器を全部他邑に持ち出して売ってしまおう。 彼はそう心に決めた。多少安く売ったって、反逆者に使われることを思えばいくぶんましだ。 戒厳令の街の中を、ティフォートは歩いていく。 車を曳いている。中には武具や防具が満載されている。だが彼を止める者はいない。コールの精霊術法を用いて姿を、そしてイーズの精霊術法を用いて音を消しているのだ。 竜の道の入口を通過してから術を解いた。竜の道を通ってウォウルへ。それが一番確実で近い脱出路であるはずだ。ここまでくれば大丈夫だろう。ほっと息をつく。 その瞬間、後方でものすごい音がした。あわてて100 道の両側の土砂が崩れ、竜の道の入口が完全に埋まっていた。 「事故を起こした者はウォウルの手の者だ!」 リューンは高らかに宣言した。 「事故を起こした者の靴のあとが見つかったのだ。それは、間違いなくウォウルの大製靴業者、黒茄尾の型であった」 という情報が、スィスニア中に流された。 真偽を確かめる手段はない。なにしろ治安維持法なるものが布かれているおかげで、真偽を確かめるすべもなくなっているのだ。 「ウォウル撃つべし!」 初めは本当なのか? と疑う声の方が大きかったのだが、いつのまにかこんな声にとってかわられていた。リューンが以前からウォウルを攻めたがっていたとか、事故の件は偽報だとか、そんな事実はきれいさっぱりと忘れられ、ウォウルを撃たねばという意識だけが広がっていった。 「報吏長、よくやってくれた」 リューンはめだたない中年男に向かって、そう言って頭を下げた。 「まだまだこれからが正念場だ。よろしくたのむ」 「リューン様、剣の卸にまいりました」 もみ手をしながら現れたかっぷくのいい老人にも、リューンは丁寧に礼を返す。 「ありがとう、あなたのおかげでもうじきウォウルを撃てますよ」 「戦争こそが国家利益に結びつく、というのが私の信念です。お気になさらず」 その老人こそはスィスニア一の大商人であったりする。 「あの事故はやはり、あの男の手先が起こしたものなのか」 シリルは、青年に向かって訊いた。この青年──ティフォートは、スィスニアから逃れてきたとかだが、シルキーヌのいるのを見て、ウォウルまで同行すると申し出たのだ。 「間違いありません。崖が崩れた後、犯人はウォウル側ではなく、スィスニア側のほうへ去っていきましたから」 「リューン……」 シルキーヌは悲しげな顔をした。 「どうして、あの人はそんなことをするのかしら。戦争が起これば、多くの人が不幸になるのはわかりきったことなのに……」 「スィスニアでクーデターが発生した?」 シーランの幹部たちは大いに動揺した。 「だからといって、スウィズに頼るのは間違い……」 「しかし、スィスニアの後ろ盾もないですからなあ。スウィズに攻められるくらいなら、味方にしておいた方がいいような気もします」 ということで、結局シーランはスウィズとの合同演習に踏み切った。 シーラン=スウィズ同盟は成されたのである。 「さて、あとはスウィズ=ウォウル同盟を結ぶだけだな。オレがウォウル王佐であるかぎり、ウォウルがスウィズと戦うことなどあり得ない──」 「そう、ハデンさんが王佐である限り、ね」 ウェルがにやりと笑った。 「でも、ハデンさんが王佐でなくなれば、どうかな?」 「……ウェル、どういうことだ」 「実は俺、いいもん持ってるんだよね〜。ほら、こんなの」 ハデンに突きつける。書簡の最後に押された朱印は、まごうことなき解雇印であった。 「読んだ方がいい? えーと、『クラウ・ハデン ウォウル王国は、以下の罪状をもって上記の者を解雇する。一、王国に対する背任罪 なお、加えて5万 「お前……っ」 ハクユウが刀を振り下ろし、ウェルはひらりとかわした。 「それを最初から知ってて、知らぬふりをしてオレたちをたばかっていたのか!」 「だって、そういう命だったんだもーん。あ、ハクユウさんのもあるよ。要る?」 投げつけた書簡を、ハクユウは真っ二つに切り裂く。またも襲来する刀を、ウェルは紙一重でかわした。 「それじゃ、ハデンさん、さよなら。もう二度と会わなくていいと思うと、すごいスッキリした気分だよ。せいぜいがんばって、ナタケさんと幸せになったら?」 「言わせておけば!」 ハクユウの刀が、今度はウェルに命中した──と思ったとき、刀の刃が砕けて散った。信じられん、という思いでそれを見つめるハクユウに、ウェルは手を振って見せた。 「こんな危険なとこに来るのに、何の備えもしてないわけないだろ。あ、ハデンさん、言っとくけど術使っても無駄だからね。それじゃ」 身軽な少年の身体が闇に消えていくのを、ハクユウは呆然と見送った。 「ジグトさん、ただいま帰りました」 「ウェルか。お疲れのところ済まないが、こっちも大変なことになっていてね……」 「スィスニアのことですか」 「ああ。どうやら、戦争になる。またお前にも働いてもらうことになるだろう」 「影武者でもなんでもやります。まかせて下さい!」 「威勢がいいのは良いが、さすがに疲れているだろう。今日は施術宝器を外してゆっくり寝ろ。ヴィレク様もご心配なさるからね」 「──はい!」 「まさか、ウォウルで『ルシャナ』財団を設立することになろうとはね」 シルキーヌはナーガの大司祭だから、神殿内での勢はセルフィアー中どこでも同じだ。会議室を借りきって、そこにシリルはウォウルにいた特務部隊の者を集めた。 「ナーラダは元は家族みたいなものですもの。どこだって同じよ」 シルキーヌは笑った。 ルシャナ財団──それは種族や信仰に関係なく、民主的な政治の元に平和を実現することを最終目的とする団体であり、シルキーヌの理想を実現するための組織である。 スィスニアにいようが、その他の場所にいようが、理想は同じ。スィスニアを取り戻すことよりも、この地に平和な世界をつくりだしたい。 それが、シルキーヌの願いであった。 |
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