会誌-「サークル水月会誌 第4回」

■ 「目薬」の巻  【作者:砂の山】


 アプサラス湿原アプシーズ。
 この地において一人前の「師」になるために修行研鑽の日々を過ごす妖人たちのなかに、若きヴィルザート(ヴィラ)の姿があった。
 まだ彼は見ること聞くこと、とにかく何もかもが勉強になる段階である。
 そんな、踏み出したばかりのヴィラのもとに、「オリジナル目薬を作ってみない?」との強引なリクエストがひとつ。
 ひょんなことからそれを引き受けることになったヴィラはとにかくも、薬師としての第一歩目をここに記すことになったのである。
 これはこの若者にとって哀しむべきことなのか、それともかくあるべきことであったのか。ヴィレールトはその依頼主の名がダナスと判明した時点で迷うことなく前者であると信じて疑わなかったが、いまのところはとりあえず、星薬会史に偉大な名を残すヴィルザート=アプシーズの、あまり知られざる若き日々のひとコマであった、ということにしておこう。

 できあがったヴィラの目薬は、「アンディーナを全体の基調に添え、ナーイアドプラスでバランスをとった後に、アプサラス・エルフーラの同時解放」とうものであったが、分かりやすくいうと、これはつまり、「疲れ目、乾き目用のソフト目薬」ということである。
 はじめての薬師としての仕事に、慣れない緊張からくる疲労感が身体を重く鈍らせるが、それを癒してあまりある、たまらない充実感に包まれたヴィラは、さっそくダナスのもとにそれを届けにいくのであった。
 (はたしてこれで本当にいいのかな……?)
 少しばかりの不安をまといつかせながら、目薬をダナスに渡すと、ダナスはその雫を手のひらにたらし、何事か、囁くように柔らかく話しかけたのち、宙に霧と散らして臭いをクンクン嗅いだ。
 どうやら、そうやって成分を調べているらしいのだが、それで何がどのように分かるのかは、尋ねてみたものの、ヴィラにはけっきょく見当もつかないほど得体のしれない方法であった。
 「それでは結局、あのツィルート先輩が施した術を目薬にするとどうなるんですか」
 「それはね、ヴィラくん、ナーイアドを基調にして、エルフーラ・エルフーラの2倍がけをしたあとに、アプサラスクリーン、ってかんじだと思うよ、たぶん」
 「ふーん、そうなんですか」
 自分で考えることがいつものことである、ふだんの先輩たちとの応答にくらべて、また、ダナスの見た目とは裏腹な予想外の明瞭な応えに、意外さと戸惑いを覚えつつも、ヴィラはこの方法をあとで試してみようと、心のどこかで思うのであった。

 「それはそれとして、すっごくいい目薬だね、これ。どーもありがとさんっ。これから、さっそくセルフィアーじゅうに売り歩くことにするよ」
 ヴィラは薬作りがうまくいったことがとても嬉しかったが、今日はもう一つ、秘めていた決心をおもいきって語りだしたのであった。
 「あの、そのことなんですけど……」
 「はーい?」
 「あの、ぼくも、その……、一緒に連れていってもらえませんか?」
 真剣な面もち。ヴィラの眼差しは、これからの旅への期待と、すげなく断られる不安を抑え込もうとする勇気に震えていた。
 「もちろん」
 (もちろん?)
 「いいにきまってるよ。いっしょにいこうか?」
 「……はいっ!」

 「ところで今度は、どこにいく気なんですか」
 いつもの「いってくるねー」、というダナスに、どういういきさつでか、今回はヴィラもついていくという事態にとまどいつつも、けっきょくふたりに押し切られてしまったヴィルは、それでは行き先だけは、こちらの指定するところにしてほしいといい、こればっかりは、なんとしてでも譲らないのであった。
 (ダナスだけならまだしも、ね……)
 なんだかんだで教え子には甘い、優しい先生である。
 「どっか、てきとーに行ってくるからさー」というダナスのプラン(?)には、まったく耳を貸さずに、ヴィルがふたりに話しはじめたことは、
 「そういうことでしたら以前、ツィルートが治療したトゥー族の少女、その彼女のもとに目薬を届けてあげてはどうですか」というものであった。
 「その子はたしか、スート・カリンさん。シュエルに住んでいるとのことですよ」
 ここ、アプシーズの地に訪れる患者は少なくない。その医療経過や処置を記録した過去帳は膨大なものになるのだが、ヴィルは目的の情報をいとも簡単に見つけてそういうのであった。
 カリンの病状は眼濁症と呼ばれるもので、目に液体状の異物が涙と同化して、流れることなく留まり続けてしまい、透明度を保ったまま視力を損なうことなく、瞳の色だけが変わる例もまれにあるのだが、大抵の場合は濁りが激しく、失明とまではいかないものの、つねに目隠しをして生活するような感覚に陥るとのことであり、「たそかれ病」ともしられている。
 治療後の目は、涙が流れにくく、清浄な泉水で毎日補ってやる必要があるのだが、今回のお届はその意味でも、うってつけであろう。
 そしてその旅先、カリンが住んでいるシュエルは、イシャーナの御下にふさわしく、染色が有名なところで、そこの三指に入る一流の染め物師のひとり、スート・キリーの愛娘がカリンということである。
 また、隣のシュナフでつくるのが織物であることを考えれば、シュエルとシュナフは姉妹邑、とでもいっていいだろう。
 「ついでに、シュナフのガンダルヴァ神殿に詣でるのも、ヴィラにとってはいいことかもしれませんね」
 「はい、ぜひにもそうします」
 「ひと月から、ふた月くらいですか。よく学んで、そして楽しんで行ってらっしゃい」
二人の師弟は、言葉短く、思いは深く、あいさつをすませていた。

 その穏やかな空気を無神経な割り込みがズカズカと土足で上がり込んできて言うには、
 「……ひと月って、なにいってんの? シュエルなんか日帰りはムリでも、一週間もあれば充分すぎるんじゃないの?」
 「えっ?」とふたりがハモる。
 「だって、これがあるじゃん」
 そういって、ダナスがその大きな足をズイとだしたその先には、使い古しの「大地のサンダル」。これは彼特製の宝器であり、ひとことでいえば、疲れ知らずの健康サンダル改良快速版である。
 「ヴィラの分も作っておくからさ、心配しないでね」
 「そういえばすっかり忘れていましたが、そうでした。なかなかすごいサンダルですけど、地味なんですよね、これ」
 「おほめのお言葉ありがとう、といっておこうかヴィルくん」
 「……ダナスさんの神出鬼没のタネって、もしかしてこれだったんですかあ。なあんだ、ぼくはまた、売薬部の人だから、ただひたすら足が早いんだと思ってました」
 「うっ……痛いところへつっこみありがとう、といっておこうかヴィラくん」
 「ふふふ」
 「くすくす」
 「なはははは、は、は」
 三人の笑いで部屋の空気が心地よく踊るのであった。

 「先生、いってきます」
 「はい、気をつけて」
 「それじゃ、いってくるねー」
 ある晴れた日。
 こうして旅は、はじまったのだ。

■ 前のページに戻る