会誌-「サークル水月会誌 第3回」

■ リアクション3−4  (独立暦400年空の月)


 シュリューク=ツァーは、父シュクレイト=ツァーと共にセルファニア湖上にいた。キーサ王国空官、その一官吏である彼だが、どうにも不穏な動きを放っておけなかったので、上司に請うて出張調査に出させてもらったのである。行き先はスウィズを始めとするナーラダの各邑。ヴェルーダの「大いなる災い」というのも気になるので、噂だけでも集めようと張り切っていた。
 そこになぜ父親がついてきているのかというと、シュリュークは今年16であるが、道士としての修行は幼年の頃から続けているから、もうそろそろ独立させてもいいかもしれない。旅行するなんて滅多にないことだ、だからこの機会に息子の力を見きわめておきたいと、そういうことであるらしい。シュリュークとしては、任務中に別のことをするのは気がとがめるのだが、一方早く師である父から独立したいという思いもあり、複雑なところであった。
 カノールを出、セルファニア湖南湖から北湖へ、船はゆったりと進んでいく。ゆったりと、といっても陸を進めば回り道になるからこちらの方が絶対に早く着く。ただ、問題が一つあった。
 湖賊、である。
 他地では海に出るのを海賊と言うが、セルフィアーにおいては海賊よりむしろ湖賊のほうが数も多く、強勢であるので水上の賊をさす言葉としては湖賊のほうが一般的である。その湖賊が最も多く出没するのが、無論というべきか、セルファニア湖なのであった。
 とにかく広い。メール内海に匹敵するくらいの広さがある。当然、中央部へ向けて漕ぎ出していけば、追跡はよほど慣れた者でないと不可能だ。一説によると下手な海よりも深いといわれるセルファニア湖には島はないが、流れに逆らい浮島を作って、彼ら湖賊はそこを拠点としている。むろん陸に拠点をもつ者もいるが、それはたいがい小物だ。大物ほど、危険な場所に安全な隠れ家をもって、決してつぶされることはない。
 シュリュークは、むろんそこに近付こうと思って近付いたわけではなかった。水流をさかのぼって行こうとすれば、そちらへ行くよりなかったのである。初めそれは大きな船のように見えた。あんな大きな船があるのか、と思っているうちあっという間に船はそちらへと流され、渦に巻かれるようにぐるぐるとその船のようなものの周りを回り始めた。
「何だ?」
 船縁から身を乗り出してそれを見ると、小山のような形の木造の人工物だった。船ではありえない。窓や煙穴、扉などがついているから、場所を無視すれば家に見えなくもない。
「すると、これが湖賊の浮島か……!」
 呻いたとき、その窓から偶然ひょいと人の顔がのぞいた。黒髪の男だ。向こうもこちらに気づいた。目が合う。にやりと笑った。シュリュークの顔をじろじろと眺めて言う。
「小さな船だな。迷い込んだのか。襲うだけの価値もなさそうだが、いつまでもそこにいると殺されるぜ。この島を見た者は、生きて帰さねえことになってるんだ」
「修行の成果を見るにはちょうどよい舞台ではないか」
 シュクレイトはシュリュークの肩をぽんと叩いた。シュリュークは頷いた。
「お気遣いは有り難いが、その必要はない」
 男に向けて返答すると、シュリュークは一発気弾を放って壁に大きな穴を開け、船縁を蹴ってその中に飛び込んだ。シュクレイトも後に続く。
 中にいた人間は少なかった。先刻の男も含めて、たったの5人しかいなかった。腕もたいしたことはない。きっと腕の立つ者たちは出航しているのだろう。
 5人を縛り上げると、シュリュークは中を見て回った。実に機能的なつくりになっている。水は湖から無尽蔵にとれる。汚れた水はアプサラスに浄化させてから流しているようだ。賊にしては実に清潔である。食糧は商船から略奪したものが主であろうが、屋根の上には果樹が数本植えてあった。
 ……これを何かに役立てることはできないだろうか。
 考え込んでいるうちに、ずいぶん時が経ってしまったらしい。気づいたときには、シュリュークとシュクレイトはすっかり賊に囲まれていた。先刻のナーラダの男がえへらえへらと笑っている。
「せっかく俺が忠告したのに、とんだ薮蛇(やぶへび)だったな」
 だがその口上を聞き終わらぬうちに、シュリュークは気弾を放っていた。威力を弱めたものを多数まき散らす形のものだ。1人、2人……ばたばたと賊が倒れていく。撃ち終わるまで立っていたのはたった3人だった。
「なかなかやるわね」
 小柄な中年女が言う。美人とは言いがたい容姿だが、腕の方は立つようだ。結界神の神官か、そうでなくても術師であるに違いない。それは他の二人も同様で、全くダメージを受けていないようだった。
「この湖賊団『蒼龍許』にたった二人で乗り込むとは、まあまあの度胸だ。俺が相手になってやる。……いくぞ!」
 シュリュークの方は、しかしその男の背後にいたもう一人に気弾を放った。あわれその男は口上を述べる間も結界を張る間もなくあっけなく気絶した。
「ひ、卑怯な!」
 女がヒステリックな叫びをあげたが、シュリュークはつまらなそうに言った。
「賊がそれを言うのか」
 男の方はいまさら一時退くというわけにもいかず、口上を切りなおす間もなくシュリュークに躍りかかる。頭上から拳がふってきた。シュリュークは避けず、掌底でそれを受ける。男の拳にも術がかかっていたようで、赤い光を放っている。それがシュリュークの術と反応し、ばちばちと火花を放った。拳と掌とは接触してはいない。シュリュークの術の方が強いからだ。男は一転してシュリュークの背後をとった。シュリュークは男には構わず、女の方に気弾を放つ。かと思いきや、走り込んでその身体をぐいと引き寄せた。
「何を……!」
 女は顔を赤らめたが、単に突進してくる男の前に突き出しただけのことである。スピードなら男の方に分があった。がそれがあまりにも早すぎて、女に拳を突き出してしまった。
「ぎゃああぁぁぁぁぁ」
 女がつぶされた蛙のような声を上げた。みごとに鳩尾に入ったらしい。しまった、と男がうろたえている間に、シュリュークは男の後頭部を掌底で殴りつけた。
「よくやった、シュリューク」
 傍観していたシュクレイトは手を叩いた。
「よかろう、独立を承認しよう」
「本当ですか」
「ただし、ここから帰れたら、だがな」
 言われて、シュリュークは窓から外を見おろした。渦巻く湖水。この中からどうやって抜け出すというのか。しかし、湖賊どもは出入りしていた。ならば、必ず方法はあるはずだ。
 水面を眺めて考えたが、いい策も浮かびそうになかったので、シュリュークは力攻めで行くことにした。来た船に乗り込むと、水の気に干渉して道を開かせた。

 それから幾日か経った。シュリュークはスィスニアを経由してスウィズの地に来ていた。スィスニアとスウィズは半ば敵対しているが、かといって道を閉ざしたりしないのは両邑とも交易を主産業としているからであろう。スィスニアは明るく、カノールと同じくらいに活気があったが、どこか安穏とした雰囲気があったような気がする。それに比べるとスウィズはいささか剣呑な気配を含んでいる。鎧を身につけた者の姿も多い。そしてそのほとんどから、何らかの特別な気を感じるのだ。施術宝器であるのだろう。
「なんだか、これほど宝器が溢れていると、息が詰まりそうになりますね。何だか落ちつかない。霊力が鈍ってしまいそうで」
 シュリュークは呟く。土地の気に比べれば人間の気は強いものだが、その人間の気よりも密度の濃い気が、身につけた武具だけではなく、そこかしこの建物の中からも臭ってくるのには閉口した。息が詰まりそうなのは、建造しかけの城壁が、街のどこからでも見えるせいかもしれない。カノールのあの緑に苔むした城壁には感じられない、人を阻害するような雰囲気を持っているのだ。よくこんな街に平気で住めるものだと、シュリュークは思った。
「『ディヤウスの制裁』か……」
「何だ、それは」
 シュクレイトも眉をひそめていたが、シュリュークの呟きに顔を上げた。
「父上はご存知ありませんか」
「知らん。何のことだ、それは」
「某も存じません。ただ、イール殿が、このスウィズに『ディヤウスの制裁』が下される、と」
「制裁……」
「何の事かは知りませんが、某も確かに制裁を下したくなりますね。こんなに気を乱して、他の邑に影響が出ない筈がない」

 そのころフェイティエン=キースは、東の方へ向かって旅をしていた。
 修行と称してはいたが、ひそかに神託を果たそうと心に決め、セルファニア湖を渡り、大滝を横目にさらにイリス、リューナへ向かおうとしたが、その辺りは物騒だと聞いてひとまずリッターのディヤウス神殿を訪ねる。再び神託が得られれば、と期待してのことだったが、得られたのは神託ではなかった。
「あんたも神託を受けたのかね?」
 いきなりこう訊かれたのである。フェイティエンとしては、ディヤウスから神託を受けたことは秘めて、自分だけの秘密にしておこうと思ったのだが、頭からこれでは秘密も何もあったものではない。
「神官殿も?」
 一応問い返してみると、そのお婆さん神官は嬉しそうに首をふった。
「そうじゃ。すると、我々の妄想ではなかったようだね。……さあさあ、入りなさい。今、我らの(しゅ)の大神殿をつくる相談をしているところだからねぇ」
「大神殿を?」
 初耳だった。婆神官はオーバーなほどに頷いた。
 何も事情が分からぬまま、扉の中に入れられ、長机の前に押し出される。長机についた15人ばかりの人間が、いっせいに彼を見た。その人々に向かって、婆神官は大声を張り上げる。
「各々方、この若き(ひじり)もお仲間に加え給え」
「聖? 私はそんな立派な者ではございません」
「いんや、神託を聞いたならあんたも立派な聖じゃよ。さ、ここに座りなさい」
 仕方なくフェイティエンはそこに座った。首座に座った老人が言った。
「ではさっそく訊ねるが、そなたの受けた神託はどのようなものであったのか?」
 ディヤウスの聖語である。フェイティエンも覚悟を決め、聖語を用いて話した。
 カノールのディヤウス神殿で見た夢。この美しいカノールの街が滅ぶ。赤い光を放つものがふりそそぎ、青い珠によって津波が起こる。……施術宝器によって。
 ただの夢だと思った。だがその彼の脳裏に、声が届いたのだ。
 これが現実になるかも知れない、と。何故なのか。その答えは東の邑にある──東に、悪と知らず悪を育む、打倒すべき邑があるのだ、と。
「これは、はたして神託だったのでございましょうか?」
「まさに、神託だ。私も同じ夢を見た。最愛の者を殺される夢をな」
 右の二座にいる壮年の男がそう言って頷いた。私も、我もと、一同が声をそろえる。
「君は知らないだろうが、この者たちはこのセルフィアーでも優秀な主の従者であるのだよ。その彼らが、そろって同じ夢を見ている。これが神託でなくて何であろう」
 そうだ、と一同は和す。フェイティエンは訊ねた。
「しかし、我々主に仕える者が、打倒すべきとは、どういうことなのですか? 邑を打倒するとは、要するに争いを起こすことではありませんか」
「そうだ。確かにその通りだ」
 首座の老人は頷いた。
「しかし、だ。聞きたまえ。君は、レイクダーク書を読んだかね? セルフィアー独立聖典の一つだ」
湖の闇(ヌィス・ディク)ですね。読みました」
「それならば、分かるはずだ。何故、我々が戦わなければならないのかが」
 フェイティエンは、「湖の闇」書の内容を頭に反芻した。「湖の闇」書は、なぜチェリア朝が滅びたのかを綴った本だ。書はいう。チェリア朝のイシスは、神の力を手に入れたとおごりたかぶり、故に打倒した、と。神の力──
「その邑は、神の力を手に入れたと?」
 老人は重々しく頷いた。
「神の力と言うにははるかに弱々しく、不安定ではある。だからこそ、我々はそれがセルフィアー全土を侵す前に、その邑を打倒しなければならないのだ。君は感じないか、邪悪な力を」
 そう言われて、フェイティエンは目を閉じ、精神を集中させた。霊力を澄ませる……感じる。力が淀んでいる地の存在を。
「どちらの方角か、分かるかね?」
「カノールの東でしょう。東……」
「では、今感じている方角を、指でさしてみてくれんか」
 言われるまま、フェイティエンは立ち上がり、まっすぐに腕を伸ばした。
「あちらの方角……」
「それは、人の方角だ」
「え? 東、ではなく?」
「どちらかといえば東、だ。そして、我々は地図上で方角を確認してみた」
「では、その打倒すべき邑とは……?」
「この方角にあるのは、リューナ、カジ、ミュール、リュシー……」
 一同は息を呑む。その邑の名を発するのは一瞬、ためらわれた。
「そして、スウィズだ」

 カルナ・シェルセラヴは、カノールの地に来ていた。レディアにいたときよりも幾分おとなしい色合いの服を着ているのは、カノールではその方が好まれるからだ。あの服はこの街では目立ちすぎる。
 何か面白いことが起きそうな気がする。レディアで見た、秘密の武器庫の様子が目に浮かんだ。今頃はもう戦が起こっていることだろう。レディアは小さな邑とは言えないが、かといってこのカノールやそれにウォウルほどの力も持っていない。あの地にいるよりはカノールに来た方が安全だ。
(何でみんな、王なんて称したがるのかしら)
 シエルには不思議でならない。あんな面倒臭そうなものを進んでやるなんて。
(やっぱり世の中お金よね。楽に楽しく稼ぎたいわ)
 ということで、カノールに来てみたわけだが、思った通り活気に満ちていて人通りは多く、皆忙しそうである。情報を集めるにしろ、懐をかすめるにしろ、レディアよりもやりやすそうだ。
 早く金をつくって、仕送りしなければ。母様に。母様を治してあげるために。
 レディアの武器庫の情報はだいぶいい金額になったが、まだまだとうてい足りるものではない。
(早く……治って、私を思い出して……)

 エルーブの東に位置するホング湖。
 その畔の木を切り倒し、そこに一つの邑が建造されようとしていた。
「どうだ」
 シィル=アーレインは、現場監督者である工部令に声をかけた。
「順調です」
 中年の感じのいい女性である。振り向き、にっこりと笑んだ。
「もうじき庫吏長様もいらっしゃるということですよ」
「庫吏か……」
 シィルは少し眉をひそめた。庫吏長はシィルが様々な開発を始めたことをあまりこころよくは思っていないようであるが、それは役目柄当然のことであった。庫吏は財物の管理がその任、開発がうまくいけば財物は増加するが、とりあえずその前に底をつく可能性の方が高そうである。さて、どうやって説得しようかと考えていると、その本人が姿を現した。
「水吏長殿」
「私から出向こうと思っていたのですが」
 とりあえず相手が何か言い出す前に機先を制しておく。
「そうか、感心なことだ」
「フィーブと同盟しようかと考えております」
いきなりそんな話題を振ったので、水吏長は呆気にとられた。シィルは構わず続ける。
「つまりですな、水利を便する為には金がかかる。この港邑の建設にしろ、私の考える南邑の建設にしろ、莫大な費用はエルーブ一邑の庫吏では賄いきれない。庫吏長殿のご懸念はそこかと思いますが、その費用を軽減するためには、同盟邑をつくってそこに出させるのが一番よい。そして同盟を結ぶためにはその邑と我が邑とが何らかの利益を共にしていなくてはなりません。フィーブもここに港ができれば大いに交易が振るうでしょう。そう、外吏に進言しました」
 一気に言い切ってしまう。相槌を打つ隙を与えない。水吏長は目を白黒させていたが、
「つ、つまりは、金は思ったほど出さないで済むということか」
 と結論づけた。
「さようです」
 水吏長が去ってしまうと、工部令はシィルに問いかけた。
「港邑の建設がこれであることは存じておりますが、南邑の建設とはいかなる事ですか」
「ああ、まだ貴公は存じなかったか」
 シィルは頷いて話し始めた。
「我が邑では夏の短い期間しか作物がとれぬ。それは仕方のないことかもしれない。だが、星薬会の者やパールヴァティ神王の神官達なら、それを何とかする方法を知っているかも知れない。だから、私は思ったのだ。春先から晩秋、雪が地面を閉ざさぬ間ずっと収穫できる穀物を知っている者、育てられる者を集め、収穫が出来るまでは我が邑で生活を保障し、銅以外の生産物による第二のエルーブを作ろうと」
「なるほど、庫吏長様がご機嫌ななめであったのは、そのことが主原因だったのですね。この港ではなく」

「なるほど、そういうことなら同盟を結んでも良いですよ」
 フィーブの外吏長はあっさりと言った。
「いいのですか、邑宰殿などに相談しなくても」
 あまりにも簡単に決まったので、エルーブの外吏は思わず聞き返してしまった。外吏長は笑った。
「お疑いのようですね。理由はもちろんありますよ。……東のレディアとホーズ、二つの大邑が戦争を始めたのです。わがフィーブとしては巻き込まれるのは避けたい。しかしそれだと交易を主にあちらに頼っていた我々は干されてしまいます。するといずれかにつかねばならない。いかがいたそうかと相談していたところ。あなたがたの提案はまさに渡りに船、というわけなのです。その港邑建設費については半分といわず、7割、いや8割出してもいい。それでも我々は大いに助かりますのでね」

 6年前の事変の時、真っ先に反キーサの兵を挙げたのはファナであった。ためにその後追随して兵を挙げた諸邑から推され、「反キーサ王国連盟」の盟主となった。しかし瞬く間にヌーグの反間工作にあい、主導権争いが起きてエルーブを中心とする南部連盟とファナの北部連盟に分かれ、南部が北部に勝利して決着がついた。ゆえにエルーブはファナを初めとする周辺の多くの邑から恨みを買っている。先月、シェーナが反キーサ大同盟を起こそうとしたときも、エルーブにはお声がかからなかった。もっとも、すぐにヌーグにつぶされたが。
「やってくれるじゃないですか」
 通称「自信過剰男」と言われている邑兵尉ヴァル=ヴァロヌは、その報を聞いたとき、そう呟いた。
「何がだい。我々を無視したシェーナか? 手の早いキーサか」
 そう訊ねたのは募兵尉のエリーノ=クェルである。ヴァルは元貧民の子で、旧邑宰丞の養父に育てられたのだが、エリーノは対照的に、名家の令嬢であるくせにドロップアウトして傭兵暮らしを十年も続けたという経歴をもつ。
「どちらも、だな。……まあ、見てろ」
「見てろ、って、何をする気だ」
 ヴァルは答えず、にやりと笑って見せた。
 今度は何の悪ふざけだ。エリーノはその背を見送って首をかしげた。

「君たちはわが兵の中でも特に選ばれた優秀な者たちだ」
 ヴァルは二百人ばかりの兵を前にこう演説した。
「君たちに馬と長槍と弩を与える。4週間の時間を与えるから、精進せよ」
 その日から彼らの猛特訓が始まった。ヴァルも毎日現れてあれこれと指図していく。一体何を始めるのかといぶかしがっていた兵達も、訓練が始まってしまうとそれに没頭する。素質とやる気のある連中を集めたのだから当然と言えば当然だが、なかなか見事である。
「そうか、訓練をね……」
 配下の間者からそう報告を聞いたエリーノは考え込んだ。
「まさか、独断でどこかに攻め込むつもりじゃないだろうね」
「さあ、それがしには分かりかねます」
 間者は俯いて言う。そうだろうね、と呟いてエリーノはその間者を下がらせた。
 4週間が経過し、すっかり精鋭部隊が完成した。ヴァルは精鋭達に言った。
「これより邑外での訓練に移る。目的地はプーツァ」
 さすがの精鋭にもざわめきが走った。プーツァといえばエルーブに次いで南にある邑だが、他の周辺の邑がどちらかといえば反キーサ派であるのにもかかわらずキーサと仲が良い。エルーブは一応反キーサ派に属すると思われている。プーツァに行くとは戦争を仕掛けることではないのか。
「まあ、心配するな。本格的に戦を仕掛けようというわけではないのだからな」
 ヴァルは手で制し、にやりと笑った。
「君たちの訓練の成果を見せてもらう。目的はキーサを挑発すること、それに実戦経験を積むことだ。それ以上のものではない。さあ、行こうか」

「おいおい、兵吏長の命もなしにプーツァに出かけたのか?」
 エリーノは呆れた。
「あいつも、自分で天才って言ってるくらいだから、それが何を意味するか、分かってない訳じゃないんだろうがな。何を考えているのやら、私にはさっぱり分からん」
「いやいや、命を与えてないわけではないぞ」
 エリーノの独言に、背後から答える声があって、エリーノは飛び上がった。
「へ、兵吏長、聞いていらっしゃったんですか?」
「ああ。かわいい妹の様子が変だと聞いたんで、やってきたのさ」
「ふん、なにがかわいい妹だ。すけべ兄貴め、のぞき見してたな」
 すぐ本性が出る。兵吏長は苦笑した。
「それはそうとだ。ヴァルには一応命を下したことはあるぞ。『お前の軍をもっと役立つようにして、実戦で役立つところを見せろ』とな。俺は実戦の時役立つようにしろの意で言ったのだが、実戦をやって試せの意味だと取ったんだろうな、奴は」
「わざと曲解したんだろ。奴はそう言う奴だ」
 エリーノは決めつけた。
「それにせよ、負ける戦いはしないだろうからな……」

 あらかじめ城壁内に間者を忍ばせておき、外の攻撃に呼応して邑内の各所に火をつけさせ、食糧を奪った後自分たちの攻撃に対するキーサ王国の無策ぶりを挙げつらい、エルーブに着いた方がよいと書いた高札を置いて去る。
「完璧な作戦の完璧な遂行。……私は天才だ!」
「何てことをしてくれたのだ」
 庫吏長は兵吏長とヴァルを前に頭を抱えた。
「港邑の建設、南邑の建設だけでも金がかかるのに、この上戦争も始めるというのか? そんな金がどこにあるというのだ。私は規定予算以上は絶対に兵吏には回さないからな!」
「勝てばよい」
 ヴァルは昂然と言った。
「勝てば財宝も糧食も手に入る。そちらから回してもらう必要はなかろう」
「勝てば、な。負けたらどうなるかは、考えてもいないわけか」
「考える必要もあるまい」
「……勝手にしろ」

「プーツァから救援要請?」
 ヌーグは軍司と顔を見合わせた。
「エルーブが攻め込んで……? シェーナと謀ったんでしょうか」
 ぱたぱた。
「いや、グレンからの連絡もないし、多分違うだろう。単なる突発事態と思っていいんじゃないか」
「しかし、この高札は放っておけませんね」
 一に曰く、キーサ王国は6年前に挙兵したにも関わらず、未だシャル族居住地域どころかキーサ高原すら制圧できていない。
 二に曰く、我々のこの行動を阻止できぬほどに友邑への援助は薄い。
 三に曰く、そのためにみすみす食糧を焼かせ、家を焼かせ、人を焼かせた。云々。
「勝手なことを……!」
 軍師は机を叩いて怒ったが、
「まあまあ、落ちつけ軍司」
 ぱたぱた。軍司の顔をあおぐ。
「これは怒らせるのが目的だ。そんなに逆上しては向こうの思うつぼだぞ」
「では、兵は出さないのですか」
 ころっと意見が変わる。ヌーグは首を振った。
「結論が早いぞ。大兵を送ればこちらががら空きになる、それだけのことだ。少しの兵と、有能な指揮官を送ろう。……軍司、行ってくれるな」
「──御意」

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