会誌-「サークル水月会誌 第3回」

■ リアクション3−3  (独立暦400年空の月)


 トゥルニアはセルフィアーでもずいぶん南方に位置する。しかも幅のきわめて狭い半島の先端近くという地形上、風は強く冷たい。シュナフを出たときにはまだ半袖でも過ごせたものなのに、こちらに着いたときには厚い外衣が欠かせぬほど寒かった。ちらちらと雪さえ舞っている。
「こんなに寒いとは思わなかった」
 と言ってから、ヴィーシアはくしゃみを一つした。
「大丈夫ですか」
 と問いかけるセフィルは、まったく平気そうな顔をしている。位置的には、ヴィーシアの出身地であるアプシーズとセフィルの生地ユディトは同じくらい南にあるが、寒さという点では全く異なるし、元々トゥー族は五種の民の中でも一番寒さに強いのだ。
「うん、別に風邪ひいた訳じゃないと思う。心配しなくていい」
 振り返って笑ってみせてから、ヴィーシアはトゥルニアの城壁を見上げた。
「シュナフと同じつくりですね」
 ヴィーシアの考えていたのもまさにそのことだった。嬉しそうに頷いて、石に手をかける。
 その手に雪の一片(かけら)がかかり、やわらかく融けていく。

 音楽祭は9日、つまりガンダルヴァの日から、13日、カラヴィンカの日までの5日間にわたっておこなわれる。ということが街の各所に掲示してある。
「よかったー、まにあって〜。」
 少し青みがかった銀の髪を、青い紐で束ねた少女が、大路の真ん中で息を切らせていた。
 少女の名はビュア・パウミッタという。シュナフのクリシュナ神殿に仕える神官であるが、横笛がいささか得意であるため、このトゥルニアの音楽祭に出ることを思い立った。するとシュナフの司祭はついでだと言って彼女に大神殿への書簡を持たせたのであるが、一つ、大きな問題があった。彼女はひどい方向音痴なのである。
 方向音痴という性質ははたして遺伝するものなのか、と言う点についてはまだはっきりとわかってはいないが、少なくとも彼女の場合、父親も母親も旅に出たまま帰ってこないというほどだから、筋金入りであると言えるだろう。
 実際、ヴィーシアたちがシュナフを出る1節(ひとつき)も前に出発しておきながら、着いたのは3日後である。まあ、着いただけ今回は幸運であったといえるだろう。しかもまだ音楽祭は始まっていない。彼女にしては珍しいほどである。
「あ、あなたも横笛の奏者なんですね」
 一匹の銀狼を連れた青年がにこにこと笑いつつ話しかけてきた。
「あなたは〜?」
 実にのんびりとした話し方に、青年もなぜか口の動きがゆるやかになる。
(わたくし)はサーズ・ロアといいます。ガンダルヴァの神官見習ですが……」
「私、ビュア・パウミッタといいますー。パウムと呼んで下さいー。シュナフからー、来たんですけど……」
「パウム嬢は見たところ、クリシュナ神王の神官みたいですね。クリシュナ大神殿の位置、わかりますか?」
「いいえ、ちょっとお〜、分からないんですけどー。」
「私も、これからクリシュナ大神殿に用があるんですよ。良かったら一緒に行きましょう」
「どうもー、ありがとうございます〜。」

「やれやれ、ですねえ」
 クリシュナ大神殿から出たロアはため息をついた。パウミッタのあまりのスローさにあてられた、というわけではない。この華やかな音楽祭において、自分は結局ずっと裏方に回されることになりそうである。それがどうにもやりきれない。
 15年間も見習い、というのが要するに才能がないという意味だということは分かっていないわけではないのだが、それでもまだ夢は捨てていない。それを知っている筈の司祭様もこの仕打ち……少しは私にも演奏させてくれないものか。
「あの、すみません」
 女性の声に顔を上げると、金髪と銀髪の鮮やかな二人組が目の前に立っていた。
「何でしょう」
「ガンダルヴァ神官の人だね」
 金髪──妖人の方が言った。
「えっと、まだ見習いなんですけどね。ガンダルヴァ神殿に用事が?」
 不機嫌なようすはかけらもみせず、ロアは笑ってみせた。音楽祭の5日間、この邑は余所(よそ)の神殿関係者やその他の客でいっぱいになる。その人達をさばいて行くべきところへ送るのも立派な下っ端の仕事なのだ。悲しいけれど。
「うん、連れていってくれると嬉しい」
 ヴィーシアはセフィルと頷きあった。ロアの広い背中について歩き出す。
「どこから来たんですか?」
 ロアは道々訊いた。
「シュナフから。ここで音楽祭があるって聞いたから」
 ヴィーシアは弾んだ声で答えた。道を行く人の約半数は荷や手に何か楽器を携えている。シュナフでさえ、こんな光景は見かけることはなかった。
(まるで、バルス──)
 セフィルはそんなヴィーシアを見て静かに微笑していたが、
「そうですか、シュナフから……」
 返答するロアの声色を聞いて、おや? というように彼の顔を(うかが)った。冬の海のような青灰色をした瞳が、やや沈んでいる。
(わたくし)2節(ふたつき)前はシュナフにいましたよ」
 しかしそう言った声は元の通り明るかった。セフィルは何事か問おうとしたが、口をつぐんだ。
「シュナフに? シュナフの大神殿に行ってたの?」
「はい」
「じゃ、高名なトゥー・ラスカにも会ったんだ」
 ロアは笑った。
「会ったどころじゃないですよ。竪琴(ライアー)を学ばせてもらいました」
「へえ」
 ヴィーシアは感心した。
「あなたも竪琴を弾くんだ? 彼のみたいに即興で?」
「いえ……ええと……」
 ロアはとたんにしゅんとした。ヴィーシアはいぶかしげに問う。
「どうした? 何か私、悪いこと訊いたかな」
「いえ……私、音痴なんです……」
「はあ?」
 ヴィーシアは思わず間抜けな声を上げてしまったが、すぐにロアの心中を思いやって声を低めた。
「それなのに、ガンダルヴァの神官やってるのか? 音楽が好きじゃない人間に、ガンダルヴァの神官ができるわけがないじゃないか。単に自分でそう思いこんでるだけとかじゃないのか?」
「いえ……だから、いつまでも見習いなんですよ。司祭様にははやく神官にしてくださいって、いつも頼んでるんですけど……」
「音楽は好きなんだね? 神官になりたいとは思ってるわけだ」
 ロアは力強く頷く。ヴィーシアは考え込んだ。
「神官になる気があるんだったら、きっと相応の腕はあるはずだよ。何も自信のない人間が、神官になろうなんて思うはずないから。提案なんだが、ガンダルヴァ神殿に行くのは後にして、どっか静かなところに行かないか? 竪琴は持ってるね。ほかに使える楽器は?」
「ええっ、まさか、これから私に演奏しろと……」
 ロアは慌てた。ヴィーシアは悪戯っぽく笑った。
「うん。私とこのセフィルが、あなたが本当に音痴なのかどうか、確かめてあげるよ。セフィルは特に耳がいいし。そうそう、私の名はヴィーシア。あなたは?」
「サーズ・ロア」
「じゃ、ロア、どっかいい場所を知らないか?」

 3人と1匹が来たのは、サナ岬である。少々渡る風が強いが、その風を避けられる洞窟のような場所があり、その中はまったく静かだった。靴音の反響だけでもうるさく聞こえるほどだ。
「さ、何でもいいから弾いてみなよ」
 ヴィーシアに促されて、ロアはおそるおそる竪琴の弦に指をふれた。繊細な響き、美しい協和音、音のはこび、どれをとっても申し分ない。
「なんだ、上手いじゃないか」
 言いかけたときに口を開いて歌いだした。
 ……駄目だ、これは。
 思わず言いかけ、あわてて言葉を飲み込む。どこがどう下手というのではない。声そのものは美しい。彼の中で、音に対する感性はきっと別の感覚形態を築いているのだろう。全然、合わないのである。少なくとも今現在ガンダルヴァ神殿およびカラヴィンカ神殿で教えている音の捉え方には絶対にあてはまらない音で歌っている。だからもし彼が2000年後に生まれていたら大音楽家としてもてはやされる可能性もないとはいえないが、今このセルフィアーの地でどうかといえば、彼が自分で言っていたとおり、音痴、の一言で片づけられることだろう。
「よくわかったよ、ロア。あなたは少なくとも歌わない方がいいな」
 ヴィーシアが珍しく慎重に言葉を選びながら言った。
「でも竪琴は、素晴らしいと思いますよ」
 セフィルがフォローしてくれた。フォローついでに、ヴィーシアは腰に差された横笛(ティービア)を指さす。「こっちの方はどうなんだ? 同じ曲でいいから、聞かせてくれないか」
 笛なら絶対に声を出すことはない。そう思っての言だったが、ロアは頷いて笛を口にあてた。竪琴の時とは打って変わって、指がひじょうになめらかに動いている。
 ……他の音が全く耳に入らなかった。音の少ない洞窟の中と言っても、自分の呼吸や鼓動の音くらいは耳に入っているはずだが、それが全く気にかからなかった。笛の音だけに全神経が惹きつけられていた。
「……神技、だ」
 ヴィーシアはセフィルと顔を見合わせた。先刻の竪琴の弾き語りと同じ人間が奏しているとは、とても信じられない。
「絶対横笛(ティービア)一本に絞ったほうがいいよ。すごいよ、ロア」
 ヴィーシアはやや興奮気味に言った。隠された宝を引き出したような気になった。
「そうですかねー?」
 ロアは嬉しそうに言った。
「そうだよそうだよ、これで神官になれないなんておかしい。トゥルニア司祭に、私もかけあってあげるよ。……さ、もうそろそろ行こうか。ロアの腕は充分分かったからさ」

 というわけで往復計2刻ほどの寄り道の後、3人と1匹はようやくトゥルニアのガンダルヴァ神殿に来ていた。司祭は神殿の門の所で仁王立ちになって待っていた。
「ロア、どこで油を売っておった? お前におつかい頼んでから何刻経ったと思っておる。どうせまたサナ岬でポポチと遠吠えでも……と、客人かな」
 ゆるやかな金髪をもつ妖人と、ストレートの長い銀髪を持つ長身のトゥー族の二人の女性がいるのに気づいてそちらへ瞳をやる。
「トゥルニアの司祭殿ですね?」
 ヴィーシアが珍しく丁寧な言葉遣いになった。セフィルも何となく襟を正す。
「私はヴィーシア=アプシーズといいます。こっちはティン・セフィル。シュナフのトゥー・ラスカ殿から紹介状を貰ってきました」
 書簡を手渡すと、司祭はすぐにそれを開いて見た。
「うむ、ラスカか……彼はまた欠席か。久々にあの琴が聴けるかと思っていたのにのう。……で、君らのこと……」
 読み進めていくに従って、司祭の老顔が興奮のためにうっすらと赤みを帯びていく。ヴィーシアとセフィルは、その様子を期待をこめた眼差しで見つめている。末尾まで読み終わって、もう一度冒頭から読み直し、そして大きく頷く。
「ヴィーシア殿にセフィル殿、と言ったな。あなた方の志はよく分かった。ワシの力など微々たるものだが、できうる限りの協力を約束しよう。……音楽祭が始まるまでにはあと3日ほどある。その間に、具体的にどう協力するかお知らせする。こちらで宿も用意しよう。それでよろしいか」
 ヴィーシアは瞳をかがやかせた。
「はい、ありがとうございます!」

「本当に、何とかなりそうだな、セフィル」
 ヴィーシアは人混みを眺めて言った。
「ガンダルヴァの司祭は本当に良くしてくれたよ。カラヴィンカの司祭にも話をつけてくれたし、『トゥルニア円卓会議』なんてところにまで話を通してくれて……」
「本当ですね。ラスカさんにも、本当にお世話になりました」
「でも、まだ本番はこれからだ。頑張ってくれよ、セフィル」
 ガンダルヴァ司祭は話を通してくれるだけではなく、音楽祭でヴィーシアとセフィルが訴える時間もつくってくれた。これで、評価員をしている各地の技芸神の司祭たちと、一般の人たちと、その両方に話を伝えることができる。
 具体的な方法については、既に二人の間では打ち合わせが済んでいた。ラスカに対した時と、基本的には同じだ。セフィルの(うた)で聴衆を引き込み、ヴィーシアがたたみかける。
 だが、そのためには伴奏があった方が映えるだろう。ラスカが来ていれば彼に頼みたかったのだが……。
「そうだ、あのロアっていう神官見習いはどうしただろう」
 ヴィーシアは辺りを見回した。すぐに見つかった。評価員=来賓にお茶をついで回っている。
「おーい、ロア!」
 大声で呼ぶ。彼の方でもすぐに二人に気づき、仕事をほっぽって駆け足でやってきた。
「呼びましたかー?」
「うん、呼んだ。ロア、横笛持ってるか?」
「今ですか? まあ、ありますけど……」
「即興で吹ける?」
「多分」
「じゃ、吹いてくれ」
「えっ? 舞台で、ですか?」
「ロア、神官になりたいだろう? 君の実力を見せるのは今しかないよ。セフィルが詩を(うた)う。それにあわせて吹いてくれ。ロアの腕なら大丈夫だよ」
 ヴィーシアは楽しげに笑った。ロアも頷いた。精神が昂揚している。どうあっても絶対にこの音楽祭で舞台に立つことは無いと、そう思っていたのだ。
 邑の中央には邑宰邸とクリシュナ大神殿、それにガンダルヴァとカラヴィンカの神殿に囲まれた広場がある。そこにしつらえられた舞台と客席、それが音楽祭の主となる場所だ。
 プログラムは進み、各地の有名無名な腕のある音楽家たちが次々と音楽を奏し、聴衆の耳目を楽しませる。今日はガンダルヴァの日であることもあって、歌曲よりも奏曲の方に重点が置かれているようだった。
 昼の休憩の前、セフィルは一人舞台の上にあがった。大きく息を吸い込み、ちらりとヴィーシアのほうに目をやると、あの詩を歌い出す。

 この木々も風も知らぬ悠久の昔
 今となりてはいずことも知れぬ栄えたる邑バルス  技芸神(ミューズ)に愛されし美しき街……

 ロアがおもむろに笛を口にあてた。静かな、ひかえめな音色が筒から流れ出て、セフィルの美声と美しく溶け合う。バルスの盛衰の物語。
 芸術の落とし子は剣を持たずして筆を握り、弓を引かずして琴を(つまび)きし者
 やんぬる哉、常闇の(うち)に没す
 灰燼は風に吹かれ土に還り
 今は語る者とてないはるか昔の青史(ものがたり)……

 歌い終わると、これまで寄せられた誰よりも大きい拍手が注がれた。そこへヴィーシアがそっと出る。
「皆さん、バルスは夢ではありません。これを現代に復活させようと、私は考えています」

 ……そんなことを5日間続けた。
 5日とも歌った詩は同じであるが、伴奏は即興だからそのたびごとに異なる。5日間ずっと聞き通している人も少なくはないが、それでも飽きられることはなく、かえって回を増すごとに拍手は大きくなった。
 そして、バルスを復活させるとは具体的にどうするつもりなのだ、と訊いてくる人々が出てくるにいたって、ヴィーシアは成功を確信することができた。……ここでわれわれの訴えを聞いてくれた人々は、各地で音楽活動を行っている人が多い。われわれのあの詩は、全土で歌われることになるだろう。
「まず、古代のバルスの遺跡を探す。そこに建てるのが理想だが、見つからなければ自分で創る」
 ヴィーシアはきまってそう答えていたが、ある商人は彼女に接近し、どちらかに絞った方がよい、と忠告した。
「古代バルスの遺跡を探すのか、他にいい土地を探すのか。どっちにしろ金はかかる。同じ金がかかるなら、なるべく少ない出費にして、建物や城壁に金を回してはいかがかね」
 そういう条件なら金を出資しようと、そう言った。
「その通りだな。我々には古代バルスを探す手がかりは皆無といっていい。ただ、セルフィアーの中であるということだけしか。残念だが、探索は諦めて、新たな土地を選んだ方がいいのだろうか?」
「バルスとはトゥルニアのことじゃよ、妖人のお嬢ちゃん」
 ヴィーシアの独言に返答した者がいた。トゥルニア円卓会議の議長を務める老人だった。
「バルスはトゥルニア? 本当ですか?」
 ヴィーシアはあまりの驚きに叫んでいた。ここが、今私のいるここが、バルスであると? 老人は首を横に振った。
「バルスの正確な位置はここではなく、ここよりやや南の『ネヴェの森』の中であったといわれている。お前さんたちの詩を聞いて思い出した。昔、婆さんから聞いたことがある。昔、栄華を誇った邑が海辺にあったが、結局滅びたと。その邑の名が、たしかバルスだった。そんなに素晴らしい邑であったとは初耳だが、おそらくそれだろう」
「ネヴェの森……」
 ネヴェの森とは、セルフィアーで唯一の塩樹の群生地だ。塩樹は貴重な植物、当然そこの管理も厳しい。発掘などしようものならおそらく塩樹は絶滅してしまう。……推測だが、唯一このネヴェの森に塩樹が生えているその理由も、ひょっとしたらバルスの存在と何か関係があるのかも知れない。
「そうか、分かった。それが本当なら、新生バルスはどこか別の場所を探そう。……だが、一つだけ、頼みを聞いてくれるだろうか」
「何だね?」
 老人は首をかしげた。ヴィーシアは熱っぽい瞳をして言った。
「その、バルスがあったというネヴェの森に、ぜひ行かせて欲しい。監視つきで構わないから」
 老人は頷いた。
「監視するなどとんでもない。だが、案内は必要であろう。ちょうどそこにいる者に案内させよう。これ、そこの若いの……」

「ここです」
 偶然居合わせて使い走らされたロアに連れられて来た場所は、森というより林と言った方がふさわしく思えた。足許は海水でぬかるんでいるのを想像していたのだが、意外にも土は固かった。ただ、やはり塩気が強いのだろう、塩樹の他の植物は生えていない。
海に沿った台地様の土地で、確かに邑が建っていたとしても不思議ではない場所だ。足許の土を掘り返してみたら、城壁の石の一つも出てくるのかも知れないが、それはできない。
「バルス……」
 ヴィーシアが呟くのを、セフィルは気遣わしげに眺めている。この、木の生い茂って跡形も見えないかつての芸術の邑、ヴィーシアは失望の念を抱いてはいないだろうか。
「セフィル」
 ヴィーシアは塩樹の幹を透かして南の海を見ている。寒期の海、その果てには何があるのか、海の結界のある今となっては確かめることもできない世界。
「セフィル、私たちの邑は……」
 呟く。海風にさらわれて、ヴィーシアの言は相棒にはほんの微かしか届いていない。ヴィーシア、と言葉を返しかけたセフィルに、ヴィーシアはおもむろに振り向いて笑う。
「私たちのバルスは、もっと北につくろうな。こんなに寒くちゃ、木の楽器や筆が傷むだろう?」
「ええ、そうですね」
 心配する必要もなかった。ヴィーシアは常に明るいところを見つめている。旧バルスを諦められたのはむしろ幸いとするべきなのだろう。これで、きっぱりと割り切って動くことができる。
「あの……」
 目を見合わせて微笑を交わす二人に、ロアの声が割って入った。
「できれば、私も混ぜてくれませんか」
「ロアも……って、神殿の方はいいのか?」
 ヴィーシアは瞳を見開いて訊ねた。ロアは大きく頷いた。
「司祭様も許してくれると思います。ガンダルヴァ神殿は、あなた方に援助してくれることにしたみたいですから。資金と人材を出すはず、だから私がその中の一人でも、全く問題ないでしょう?」
 ヴィーシアは大きく頷いて笑った。
「なら、私は大歓迎だよ。第一、音楽祭の時もつきあわせちゃったしな。今更突っぱねるほど、私は非人情じゃないから。……バルスは、来る者を拒まない。争いごとを持ち込みさえしなければ、な。それは音楽祭の時も言ったろう?」

 結局、二人を援助してくれることになったのは。
 全面的にはガンダルヴァ神殿、カラヴィンカ神殿、クリシュナ神殿、トゥルニア円卓会議。それにこれは非公式ながら、ナタ神殿、ヴィシュヴァカルマン神殿、ラーダー神殿トゥー族居住地域の司祭たち、それにトゥルニア付近を拠点にしている商人たち。その中に、サーズ・ヒリアという名があったので、ロアは眉をしかめた。
「親戚か?」
 ヴィーシアが訊ねると、ロアは頷いた。
「父親ですよ、ごーつく商人として有名で、自分の利益にならないことは絶対にしない。だいたい、私の母が亡くなったとき、私を神殿に押しつけて、育てようともしなかったんだから」
「そうだったのか……」
 ヴィーシアは考え込む。
「でも、どんな形であれ、援助はありがたいよ。……それに、バルスを昔の場所に再建することは出来ないということが分かった以上、一刻でも早くいい場所を見つけたい。地形的にも天然の要害で、大邑が近くになくて、でもちゃんと人の住める環境にあるところを……」

「近年、コネック周辺で、大規模な野盗団が出没しています。彼らの組織を壊滅させてくれる勇気ある人材を募ります。謝礼、耳鹿のなめし皮1年分。」
 こんな高札が、南方一帯に掲げられるようになったのは、今年の風の月のことだった。大多数の人は、自分には関係ないやと無視を決め込んだものだったが、中には義憤に駆られた者、報酬に釣られた者、血に飢えている者などさまざまいて、空の月の始めには、そういった人間がコネックに群をなすようになった。
「いやあ、賑やかなもんですなあ」
 若者と言うには少々老け顔の男が、交易組合の建物の中に入るなりそう呟いた。
 彼はメールリンクス・メールディング、ディリーパの神官である。きちんと神官衣も着ているが、少年や女性が着ることを考慮してつくられたのではないかと思われるこの衣、この鼻下に髭を生やした男には似合うはずもない。
 彼は件の高札を見て、自主的に参加すべくアカドゥを立った。ディリーパの神官は、別に彼がやりたくてやっているわけではない。彼としては精霊術法を学び、そちらで生計を立てたいと思っているのだが、両親が共にディリーパの神官をしているため、投げ出すことは許されない。だが、野盗団を壊滅させるためという名目ができた。出かけている間はディリーパの勉強をしなくて済む。
 彼の意思とは別に、彼は知り合いのアカドゥの外吏からコネックへの伝言の書簡を預かっていた。これを渡し、ついでに情勢がどうなっているのか訊くつもりである。
 コネック交易組合長は、中年のかっぷくのいいトゥー族の男だった。ヴィナフ・ケライエと名乗る。お人好しそうな顔をしている。
「……ディリーパ神官、メールリンクス・メールディングです。アカドゥから来ました」
 懐から書簡を取り出して手渡すと、ケライエはさっと目を通したのち口に出して読んだ。
「『アカドゥとしても由々しき問題であるので早急に援軍を出したいが、我が邑でも一応備えておきたい為。準備が出来次第援軍を送る』とあるが」
「……はあ、そんなことが」
「もうちょっと、なんとかならんかね。このことについて何か聞いているか」
「……えーっと、私はそういう権限はありませんので。一介の神官ですから。私はただ一個人として参加しようと思っておりまして」
「それは心強い。ディリーパの神官についていてもらえれば、戦士どもも力一杯戦えましょうなあ」
 ケライエは笑ったが、その目は油断無くきらりと光った。
「組合員たちが野盗の被害に遭っている。この奥の部屋にいるから、好きなだけ情報を仕入れていってくれ」

イルク・バハル  (男)30代「いやー、死ぬかと思った」
ヤズ・サール   (男)20代「荷物とりかえしてくれ」
バルフ・バード  (女)20代「……。」
サーニエ・ファルス(女)10代「奴ら、20人だったよ」
マーヘ・シャハル (女)生後4ヶ月「だあ。あー。」
「……あんまり有用な情報はないですね」
 メールディングが呟くと、
「私が有用な情報をあげましょうか」
 背後から若い女性の声がした。振り返ると、少女とも言えるような年齢の、長身のトゥー族の戦士が、腕を組んで立っていた。
「……誰ですか?」
「私の名はトゥー・メルナ。見ての通り、野盗団の壊滅のためにコネックに来た戦士よ。腕には自信があるわ。剣と、情報の収集のね」
「……えーっと、私は、メールリンクス・メールディングです。目的は同じなんですけど、えー、どういう情報をくれるんですか?」
「野盗団のアジトの場所」
「……そんなものが、分かるんですか?」
「分かるのよ。情報の入手ルートは秘密だけどね、もちろん。どう、私と一緒に来ない? ディリーパの神官なら、治癒の術法はお手の物でしょ」
「あの、ぼくも一緒に行っていいですか?」
 おそらく20代前半の青年が、おずおずと声をかけた。腰に剣があるが、外貌からするとどうもあまり頼りになりそうではない。
「君が? 剣、使えるの?」
「はあ、一応……」
「一応じゃ賊は倒せないわ。私たちの足手まといになったりしないでしょうね?」
「ええ、多分……」
「……まあ、いいでしょ」
 メルナは頷いた。
「そのかわり、足手まといになったりしたら、とっとと置いてくわよ。君の名前は?」
「エルリーク」

 野盗団のアジトは、コネックの南方、アレシア黒森の中にある。距離的にはそんなに遠くないが、山道であるから、徒歩で3日ほどかかった。その間、焚き火をし、乾肉をかじりながら野宿をして夜を明かし、また歩く。こういうことに慣れているらしいメルナと、そして意外にもエルリークはまったく平気そうな顔をしているが、ふだん神殿で安穏と暮らしているメールディングは少しやりにくそうである。ただ疲労を訴えるなどということはなく、3日目の夜を迎えた。
「この近くの筈よ」
 薪に火をつけたメルナが言ったとき、ひゅっと風を切る音がした。
「矢?」
 飛びすさった彼女の目の前の木にサクッと突き立つ。
「狙いはお粗末ね」
 剣を抜き、焚き火の光の向こうに浮かび出す影を見透かす。1、2、……10人か。
「お前ら、コネックから来た奴らか?」
 いわずもがなのことを訊ねてくる。
「だからどうした」
 隣にいたエルリークが、低い声を出した。メルナはぎょっとして彼を見直す。俯いた彼の顔はちょうど陰になっており、その表情は見ることができない。
「ならば、死んでもらう!」
 野盗どもは一斉にとびかかった。メルナは一歩引いてメールディングを庇いつつ剣を振るう。元々護剣とは人を守りつつ戦う剣だ。2人を1人で受けとめ、順に斬り倒したときには、他の敵の姿はすでになかった。
「まさか……あなたが倒したの?」
 半ば呆然と立つエルリークに、メルナは声をかけた。焚き火が赤々と彼の顔を照らしている。その顔にはすでにいつものおどおどしたような表情が浮かんでいる。メルナは首をかしげたが、何も訊ねなかった。
「全員殺しちゃったかな?」
 賊を一人一人見て回ると、絶命しているのは5人だけで、あとは息があることが分かった。
「えーっと、一応、私、ディリーパの神官なんで、縛ってから傷治してやってもいいですか?」
 メールディングが申し出る。
「いいわよ。……訊きたいこともあるし」

 というわけで賊どもからアジトの正確な場所を聞き出した3人は、夜が明けるのを待って、賊どもの本拠へと向かった。森の奥、木材はそこら辺から切り出したのだろう。小さいながらも立派に砦の形をしている。
「どうする? 裏から乗り込む?」
 メルナは問う。
「……えーっと、別に小細工を弄する必要はないんじゃないでしょうか。すでに10人、倒してるわけですし」
「中に何人いるかによるだろうね」
「それは分かってるわ、たった10人かそこらよ。さんざんこの辺を荒らしたにしては、小さな野盗団だけど、それだけやり方が巧妙だったんでしょうね。このアジトの位置も、知られていなかったようだし。でも腕の方はどうかしらね」
 戸口の前で、わざと大声で相談する。声を聞きつけて、中から2人の男が出てきた。ナーラダ族の太った男とメール族の大男だ。
「てめえら、何だあ? まさかこんなひょろひょろの奴らが、俺達を倒しに来たのかい? やめとけやめとけ、今のうちに引っ返すんなら手はださねえぜ。さあ、行った行った」
 黒髪の男が言うと、
「ふん、意気地なしめ。姐さんに逆らう奴ぁ、たとえ子供だろうとブチ殺すのがこの俺様の役目よ。さあ、かかって来いや」
 赤髪の男はこう言う。どうも仲はあまり良くなさそうだが、それでも2人で一緒にかかってきた。メルナは黒髪の方と対峙し、エルリークは赤髪の方に向きなおる。
 二十合ばかりの撃ち合いの末、メルナは黒髪の剣をはねとばした。エルリークの方はというと、どうも手加減しているようである。メルナは木漏れ日に浮かぶエルリークの表情をまじまじと見た。先刻までのあの青年とは思えぬほど、いやな表情をしている。まるで血に飢えた獣のような。
「影身」
 呟くと、必死で剣をふりかざした赤髪の剣刃はエルリークの影を割いて地に突き立った。その間に背後に回ったエルリークの剣が、男をまっぷたつに切り裂く。
「エルリーク……君、一体……」
「乗り込みましょう」
 エルリークの表情に気づいているのかいないのか、メールディングは砦の中を指さした。

「ほほほ、よ〜くここまで来たわねえ。褒めてあげるわ」
 砦に踏み込んだ3人に、高笑いが浴びせられた。色気バンバンの鎧に身を飾って、豊かな胸を反らして立っているのは絶世と言っていいシャル族の美女であった。
「あんたが首領か?」
 メルナは冷静な声で訊いた。
「いかにも私が首領のドバル=ロトファンよ。あなたたち、どれほどの腕の持ち主なのか知らないけれど、これからおねえさんがたっぷりとかわいがってあげるわ
「いよっ、姐さん!」
 合いの手を入れる野盗ども。ドバルはますます胸を反らせた。そこへ、メルナは言う。
「……おねえさんなんて歳か? おばんじゃないか」
 この手のナルシストにはありがちの禁句である。パターンである。メルナはそのパターンを忠実に実行してみた。案の定、ドバルは火のついたように怒った。
「おばん、と言ったね? この美しくて強いドバル様を、おばん、と?」
「事実じゃないか、ヒステリー婆あ」
「……ようも言った」
 ドバルは腰の曲刀を抜いた。
「よほど命が要らないようだね。そのぴちぴちの肌を、この刀で切り刻んでくれるわ! 覚悟なさい」
「やれるもんならやってみれば」
 メルナは護剣を抜いて斬りかかった。
「エルリーク、メールディングを頼む」
「……」
 返答はなかったが、気にせずドバルの刀の動きを目で追う。一合、二合、三合……きっちり十合目に、宝石の首飾りのかかった首をはねとばす。そして振り返ると、エルリークは残党のすべてを切り倒していた。

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