会誌-「サークル水月会誌 第3回」
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■ リアクション3−1 (独立暦400年空の月) ナーラダ・ルーシは、再びヴィレクの眼下にいた。 (二度と来るまいと、そう思っていたのに……) かつては邑宰以外の人物の前で膝を折ったことなどなかった。邑宰丞さえも自分を敬い、同格の者どもも自分を立ててくれていた。 その自分が、小生意気な子供の言に乗って、今、再びここにいる。まるで別の世界で起こっていることのように現実感がなかった。今ここでこうしているのは自分ではないのではないか、いや、ヴィレクに破れたこと自体、長い長い悪夢だったのではないかとさえ思えてくる。 だがそれが夢想でしかないことは、ルーシ自身が一番よく分かっていた。あの剣撃。あの繊弱そうな少年のどこに、あんな鋭さが秘められていたのだろうと、何度も何度も考えた。 その時手に伝わった衝撃……。 以来、自分はこの手に剣を握ってはいない。 「兵吏長」 耳をとろかすように甘やかな声が、頭上からかかった。ルーシはゆっくりと顔を上げた。前会ったときが人の月のはじめ、今が空の月のはじめだから、ちょうど同じような服装をしている。半年の時の流れを感じさせぬ部屋の中で、ヴィレクはにこやかに微笑していた。少し背が伸びたようだ。立ち上がった彼の頭の高さと座の背の高さがほぼ等しくなっている。容貌はあいかわらず美麗、ただ、瞳の光が前よりもよけいに鋭さを増したように思うのは、ルーシ自身が気後れしていたからだろうか。 ルーシが黙している間、ヴィレクは静かにその面を見おろしていたが、やがて傍らのジグトとウェルの方を見やった。ウェルはかろやかな足どりで部屋を出ていき、すぐに戻ってきた。手に一剣を抱えている。ヴィレクはウェルに頷いてみせ、その剣を受け取った。そしてルーシに差し出す。 二人の視線が咬み合う。ヴィレクの意図は明らかだった。剣を受け取れ、とは要するに臣下になれということだ。ルーシは瞳を外し、鞘に収まった剣を見つめる。革の鞘には、龍の象眼が施され、その瞳には竜眸石らしき石がはめこまれている。 「……この剣で私が斬りかかったとすれば……」 ルーシは呟いた。ヴィレクよりも隣のウェルが目を見開き、剣の柄に手をかけたが、ジグトがそれを制した。 「一体、どうするつもりだ……?」 「やってみればいいのではないか」 いっそうにこやかに笑って、ヴィレクは言い放った。言外に、もう一度半年前と同じことをやってみるか、と問うていた。ルーシは頷き、剣に手を伸ばした。 ウェルの身体に緊張が走る。 ルーシの右手が剣を掴み……そしてそれを腰に帯びた。 「分かった。負けを認める」 膝を後ずさらせ、頭を下げる。深く深く、床に額が触れんばかりになったところで停止し、そのままの姿勢で言った。 「我が主がウォウル国王ナーラダ・ヴィレクのみであることを、 レザー・ウェルは嬉しくてたまらない。ルーシが復帰した、そのこと自体は別にどうでもいいが、彼女はヴィレク王に臣従を誓った、このことは王制反対派の意気を挫き、あるいは転向させることができるであろうことを意味する。 ウォウルはやっとひとつに戻る。内憂はなくなった。あとは外にだけ気を配っていればいい。ヴィレク様が王号を名乗ってから半年、雌伏の時の終わるのも近い。 うきうきとした気分で廊下を歩いていたら、向こうからむっつりとした表情の優男が歩いてきた。これからヴィレク様の所へ行くのだろう。その男を見て、ウェルの楽しい気分はいっぺんに吹きとんだ。内憂とは王制反対派のことだけではない。もう一つの内憂、ウォウル王佐クラウ・ハデン。とその背後にくっついている元賊軍の頭で戦功者、ナーズ・ハクユウ。本人たちはどう考えているのか知らぬが、スウィズという新興の邑と個人的につながりがある、というのは傍目から見て充分いかがわしい。ましてやハデン自身が道士なのだ。その彼にライル社の施術宝器を持たせたら、いかほどの力を発揮するものか。 (ハデンさん、あんたが何を考えてんのか知らないけどさ……) すれ違う。ハデンの方はウェルが目に入っていないようだが、ウェルは挨拶のことばさえかけなかった。 (ヴィレク様の邪魔をしたら、絶対に俺はあんたを許さないからな!) 少々まずいことになった、とハデンは考えていた。 疑われていることが、ではない。自分が疑われるであろうことは、この明敏な男には始めから分かっていた。承知の上でウォウルに身を投じ、スウィズと組ませるべく自分の力を強化してきたつもりだった。だが性急に過ぎたようだ。オレもまだ未熟だな、と呟いて、王の室の扉を叩く。 「誰だ」 ジグトの声がして、扉が内側から開けられた。 「クラウ・ハデン……」 露骨に顔をしかめたりはしないが、わずかに声がくもる。ハクユウはハデンの方を見やったが、ハデンとしては歓迎されないことは承知の上だ。 「オレの言を聞く耳はおありか」 「内容次第だな」 ヴィレクはにっこりと笑った。 「まあ、入って座りたまえ。聞き入れるかどうかはともかく、聞くだけならいくらでも聞く。言っておくが、王佐、私を説得しようとは思わぬことだよ。これはジグトも同じだ。率直に、思うところを述べてくれればいいから」 御意、と言って、ハデンは腰を下ろした。ハクユウもその隣にすわる。ジグトは卓の上の飲みかけの茶椀を手にとった。 「君たちの方からこうして来てくれてよかったよ、ハデン」 ジグトは茶を口にふくむ。 「いろいろと不穏な噂を耳にしているから、このままでは君らに対して何らかの手を打たなければならなくなるところだった」 「そうだと思って来たのだ」 ハデンは腕を組む。 「オレの考えを聞きたいのだろう? オレも考えてみれば言葉がすくなすぎた。だから今日は、いっさいの策を放棄して本心で話す。よろしいか」 ジグトは頷いた。ヴィレクは大きな瞳をおだやかにハデンに向けている。 「まず、だ。オレは何者か、ということを話そう。確かにオレは、極めてスウィズに近い人間ではある。正確に言うと、社長のライル・ナタケと知り合いなのだ」 そこまで言ってしまって良いのかと、ハクユウが目で訊いている。この台詞だけで裏切り者と見なされても文句は言えぬところだが、ヴィレクとジグトは全く表情を変えない。ハデンは続けた。 「だがオレは間者ではない。誰かを利するためではなく、自分個人の考えで動いているのだからな。そして、オレの理想は──」 ハクユウと目を見交わしてから、 「オレの理想は、ナーラダ族の統一、それだけだ。このハクユウも、メール族ではあるがオレの考えに共鳴してくれた。そしてナタケの考えていることもオレ達と同じなのだ。統一、といっても力による強圧的なものではない。それではチェリア朝の二の舞になる。オレ達の考える統一とは、『連邑制』によるヨコのつながりのことだ」 きっぱりと言いきり、一度言葉を切った。ヴィレクとジグトの表情をうかがう。ヴィレクは少し首を傾げるようなしぐさをみせ、ジグトは何となしに頷いた。 「その原動力として、ウォウル=スウィズ同盟を狙っている。オレがいろいろ動いていたのを不審に思う向きもあったろうが、オレはこの理想のために動いていただけなのだ。スウィズを利そうとか、ウォウルを裏切ろうとかいうことはかけらも思っていない。そもそもヴィレク王が王号を称したのも、ナーラダ族を統一しようという目的の元だろう。オレはそう思ったから、王に協力してきたのだ。目的がオレ達と同じだと……」 うむ、とまたジグトが頷く。 「また、ヴィレク王はスィスニアを恐れておられるようだ。ウォウルが王制を続ける限り遅かれ早かれ激突せざるを得ない相手だろう。そのためには強力なパートナーが必要だ。それも、オレがスウィズと組むべきだと言う理由の一つだ。……しかし、今はハッキリ手を組まなくていい。とにかく一度、ライル社社長ライル・ナタケに非公式で会ってほしいのだ。この乱世にあってあんな奴はめずらしい。正しい論理観、人をひきつける人徳、まっすぐでしっかり者、現実をよく見据えている。会えばわかる。オレがうまく都合しよう」 ほとんどまくしたてるように言うハデンを、ヴィレクは興味深げな目で眺めている。この男がこれほど饒舌になったのは初めて見た。無口で沈着な男という印象だったはずだが……と思いながらハデンの右に座る大男を見やると、ハクユウはにやにや笑っている。どうやらハデンがこれほど熱心に語っているのは、そのナタケと言う少女に原因があるにちがいない、ということは容易に推測がつく。 ハデンはハクユウを肘でつついて続ける。 「あと、ウォウルの反対派のことだが──」 「それは解決済みだ」 ジグトが口を挟んだ。 「つい先刻、ナーラダ・ルーシが兵吏長に復帰した。ほどなく他の者も屈するだろう」 そうか、と呟く。時代はオレ達の予想を越えるはやさで動いているようだ。 「言いたいことはそれだけかな」 ヴィレクは訊ねた。ハデンは頷いた。 「分かった。……本心を聞けたことは幸いと思う。ライル社社長との会見の件については、検討しておこう。また後ほど返答する。もし必要なら君に働いてもらう」 御意、と呟き、ハデンはハクユウを促して出ていった。 「どう思う」 二人の足音が聞こえなくなってから、ヴィレクはジグトに訊ねた。 「本心ではあるでしょうね」 「それには異論ない」 ヴィレクは頷き、手ずからジグトの茶碗に茶を注ぐ。 「だが、だからこそ始末が悪い。これで、私と彼の目指すものが異なることが、はっきりと分かってしまった」 「そうですね」 ジグトはため息をついた。 「王佐は『連邑制』によるナーラダの統一、と言いました。要するに独立初期の状態を、長老会抜きで復活させようということになりますね。彼がそれを意図しているかはともかくとして。しかし、ヴィレク様の、そして父上殿のめざすものは──」 「『王国制』によるナーラダの統一。かつての長老会の行っていたこと、あるいはそれ以上のことを、王を中心とする王廷が行う。父上はかねがね仰っていた。邑宰は、なぜ血縁で選ばれなければならないのだろうと……」 王、といっても、ヴィレクや先邑宰の考えているものはキーサのように世襲のものではない。その時代のナーラダで最も優秀な人物、それが彼らの考える王だ。必ずしも世襲でなくともかまわない。いや、そうでない方が望ましい。原則的に政治的資質とは遺伝しないものだ。 「たまたま、私はよい息子を得た。だから私は安心して邑宰位を託せるが、もしクルードのような息子が生まれていたら、と思うと時々ぞっとする」 先邑宰がよくジグトに言っていたことを、ジグトは一時たりと忘れたことはない。 だから、王制を布くべきなのだ。ナーラダを統一し、その時代のナーラダから王たるべき者を選出し、その人にナーラダの民すべてを託す。邑ごとの長は世襲でもいいが、ふさわしくない者なら王の権限でやめさせる。そうすれば暴政をしく邑は出ない。 ある邑で災害が起こって、穀物の供給が滞れば王が穀物を供与する。賊が出れば王が軍をさしむけて駆除する。そういうようにすれば、民は今よりももっと安定した暮らしを得ることができるだろう。……先邑宰が言っていたことはそういうことなのだろうと、ジグトは理解している。 「『連邑制』──ナーラダ族の邑すべてが同盟を結び、たがいに牽制し合いつつ助け合う、ということか。それも一つの考え方ではあるが、すると邑同士の大きさ、邑同士の力関係がすべてを決するようになるだろう。争いの種をあえて蒔くようなものだ。今と何も変わりはしない」 「そうですね。王が立ってナーラダ族が団結すれば、もっとものごとを広く扱うことができるはずです。それが我々の目指すもの……」 必ずしもセルフィアー全土が一つになる必要はない。セルフィアーという閉ざされた地域で、ひとつの政治機構しかない、という状況は、その機構に反発する者の存在を許さなくなる。ハデンは、チェリア朝の二の舞、と言った。その言は、彼にセルフィアー全土の統一という目的があることを示唆しないだろうか。その点においても、ヴィレクとハデンの考え方は異なっている。 「それはそれとして、だ。ナーラダ統一までの過程として、どこかの邑と手を組むという考え方は、有用ではある。しかしそれがスウィズではいけないというのが、お前の考えだったな」 ヴィレクはジグトの瞳をじっと見つめた。ハデンに向けていたものとは違い、きわめて鋭い視線だ。それはジグトの方をより信頼している証であることを、ジグトは最近確信している。相手が信頼できぬ者、自分に遠い存在であればあるほど、ヴィレクはおだやかな瞳をする。 「スウィズは──というよりライル社は、です。あれは邑ではなくひとつの利益団体ですからね。その点わがウォウルやスィスニアといった邑よりは、ナルスのアヴィーナに近いでしょう。民のことや社会のことより団体の利益を優先するのは、その構成原理から言っても当然のことです。その点対等の邑として期待することはできません。それが一つ」 ジグトは指を折る。ヴィレクは頷いた。 「二つめとして、スウィズには敵が多すぎます。やっていることがことだけに、反感を多方面から買っている。まず商人の多い蜘蛛会は、せっかくの乱世に武器の売り上げが思ったほど伸びないのは彼らのせいだと感じています。それに星薬会は、今のところ中立の立場ですが、医薬に関係する宝器をつくったりしないかと心配しています。そして一番多いのが神殿関係ですね。ディヤウス神殿は、アシュラ神殿の目を避けて、ふだんあまり組織だって動いたりはしないのですが、これを機に大神殿をつくろうかと内々に計画を始めるほど、ライル社の動きに神経をとがらせているようです」 「なぜディヤウス神殿が? ヴィシュヴァカルマン神殿ならわかるが」 「ヴィシュヴァカルマン神殿についてはのちほどお話ししましょう。ディヤウスという神王は、知っての通り光の神の長で、太陽──至高城に住んでいます。ディヤウスは光の神を束ね、彼らから力を集めて至高城から地上へと送ってくれています。太陽の光は明るいだけでなく、熱かったり、湿ったものをかわかしたり、人の心に安心感を与えたりと、いろいろな働きをもっていますが、これはいろいろな神の力がふくまれているからなのです。そういった利益を地上にもたらす一方、ディヤウスは、自分の存在を脅かす者の出現を非常におそれています。闇の神と、不毛な争いを延々続けたのもそのあらわれであり、また、チェリア朝に敵させるために我々の祖先をこのセルフィアーに送るよう命じたのもそのためです。独立戦争後、チェリア朝の遺跡の抹消にもっとも精力的だったのは、ディヤウス神殿だったといわれています。ライル社の出現が、はたしてディヤウスの存在を脅かさないと言えるでしょうか?」 「それは、どこからの情報だ。お前は神官じゃないだろう」 ヴィレクは注意深く言った。鵜呑みにはしない。 「アシュラの神官からですよ。アシュラの教典には『ディヤウスの制裁』という言葉が載っているそうです」 「『ディヤウスの制裁』?」 「はい。ディヤウスが、人界が過ぎた力を手にするのを防ぐため、神官に命じてとりつぶさせることを言います」 「それが、行われつつあると」 「そういうことですね」 「神が、人のやることに手や口を出すのか?」 ヴィレクは少々不機嫌に言った。自分のしていることが、自分の力の及ばない者によって阻害されるとしたら、人とはなんて不自由な生き物なのだろう。 ジグトは笑った。 「とはいえ、神官たちがそれに共感しなければ、『制裁』も成立しないわけですからね。だいたいそんなに頻繁におこなわれるものでもないようです。独立戦争後、セルフィアーでは初めてではないでしょうか」 「そんなものか」 「ですからヴィレク様、スウィズと手を組むべきではないというのはそういうことです。ディヤウスは我々の行っているような類の社会的変革に対してはあえて手を出すことはありません。対し、ライル社のしていることは、私から見ても危険に思えます。『ディヤウスの制裁』が発動されるのも道理と思えるほどに。ライル社が沈むのに我々があえて巻き込まれる筋合いはありません」 「お前の意見はわかっている。その理由はほかにもあるのか」 「さっきの続きになりますが、ヴィシュヴァカルマン神殿もライル社には反発しています。これは蜘蛛会と同じく利益を損じるということもありますが、それだけではないのです。ヴィレク様は施術宝器とはどのようなものであるかご存知ですか」 「俺は術には詳しくない。まあ剣を鋭くしたり光を発したりする類だろう」 「そうですね。原理的に申しますと、施術宝器とは本来その物質がもっているものとは違う性質の気をふきこんだり、その物質の力を本来以上に引き出すものです。薬もその点では同じでして、施術宝器を創るときにも薬を使ったりします。とにかく気が普通とは異なった状態になるのです。──人間に限らず、万物はみな固有の気の状態を保っています。ところが施術宝器はそれ自体が気を乱されているだけでなく、周囲の気をも乱す性質があります。強いものでは持って歩いているだけでも持ち主の気を害し、寿命を縮めることもありえます。しかし問題はそれだけではないのです」 ジグトはいったん言を切った。のどが渇いたらしい。すっかりぬるくなった茶をすすった。 「施術宝器に術を込めるとき、何もないところから気を引き出すことはできません。薬を用いたり、あるいは術を行った土地の気を引き込むのです。地といっても地面だけではなく、その場所という意味ですね。そして物質には無限に気をつめることはできませんから、ある種の気は地に残される。たとえば水の性質をもつ宝器を創るときには、水の気を物質に込め、他の風とか火とかいった気が土地に放出される。すると、その地では雨が降りにくくなるかもしれない。まあ実際はそこまで深刻にはならないものです。一つの宝器に使う気など微々たるものですから」 「しかしスウィズでは宝器を大量に創っている……」 「そういうことです。ヴィシュヴァカルマン神殿では、地気を乱さないようバランスを考えて宝器を作製している。ヴィシュヴァカルマン神殿で把握している創師はせいぜい一つの邑に十人以下しかいない。また、宝器自体も厳重に封を施し、剣を鋭くするとか光を発するとかいった目的以外に気を放出したり吸収したりすることのないようにしている。しかし、ライル社では大量生産を行っているという。そのあたりはどうなっているのか、とライル社に問い合わせたところ、それは企業秘密だと言われた、と。これはヴィシュヴァカルマンの神官からの情報です」 「地気が乱れる、か」 「そうです。スウィズが乱れれば、当然他も乱れます」 「それはどういう影響があるのだ」 「端的に言うと、人の寿命が短くなるだろうな、と同じ神官が言っていました。奇病が発生する可能性もあると。特に一五歳未満の子供への影響が心配されます」 「そうか……」 ヴィレクはあごを手で支えて少し考えたが、 「ライル社社長は、まだ一七の少女だと言ったな」 と呟いた。 「そうですが」 「ライル社が大量生産を始めたのが五年前、その時彼女は一二歳だ。前社長の娘、当然宝器に近いところにいたろう。すると彼女は最も濃くその影響を受けているはずだ。違うか?」 「その通りでしょうね」 「だとすれば、ライル・ナタケの寿命は長くないな……」 「では、スウィズとの関係は切りますね」 「……しかし、ナタケという人物とは会ってもいいと思っている」 ヴィレクは瞳を上げた。少し、遠い目をしている。 「幼くして父を亡くし、その後を継いで……何を目指しているのだろう、彼女は……」 大空を羽ばたく鳥を見上げて、ヴィレクは目を細めた。まだ、王になったばかりのことだ。 鳩ほどの大きさの鳥、種の名は 「何をする」 ヴィレクは落ちてきたその鳥を抱きとめた。そして足に小さな筒がくくりつけられているのに気がついた。 「伝書か」 呟くと、傍らにいたジグトはその筒をほどいて中を読みはじめる。楓峨はよく伝書に使われる鳥なのだが、それにせよふつうは手紙を足にくくる程度で、筒の中に封をして入れてあるのは尋常ではない。 「反ウォウル派の密書ですね。イレーヌからのものです。宛先は……アーニク邑宰」 「イレーヌか……」 ヴィレクは呟いた。 「どんな内容だ」 「急を要するほどのものでもありません。が、握りつぶしておいたほうがいいでしょう」 「この鳥はどうします。殺してしまいましょうか」 そこで、鳥はびくっと身体をふるわせた。この鳥には人の言葉が分かるのだ。ヴィレクはそれに気づいたが、そっと翼を撫でて言った。 「鳥には罪はあるまい。たいした傷は受けていないようだから、飛べるようになったら放してやろう」 人には容易に気を許さないのに、鳥には甘いのですな、とジグトが笑った。 ……その鳥が、私だ。 ファイ・エルナットという少女は、ヴィレクが王廷の庭に座っているのを、遠くからじっと眺めていた。漆黒の髪は肩に届かぬほど短い。だがまだ一〇代前半のこの明るい少女が、何らかの罪を犯しているとは考えがたい。昔患った大病の副作用だと、本人は言っている。 だが、彼女には分かっている。これは、自分が姿を偽っているという罪の証なのだと。 それでもいい。私の命を救ってくれたヴィレク様のお側で働けるのだから。 何が何でも、ヴィレク様のお側でヴィレク様をお守りしたい! それだけが彼女の望みで、それが叶うなら、どんなことでも耐えられる。 髪が短くったって、冷たい目で見られたって、平気だ(実際は人気もあるし、冷たい目なんてこれっぽっちもないのだけれど)。 霊力は、こんな髪なのに抜きん出てあるし、精霊たちは私の味方だし。 ヴィレク様を傷つけるやつは絶っ対ゆるさないぞっっ!! と、人知れず拳を握りしめるエルナットであった。 スィスニアは、商業の街である。 盆地、しかも「竜の道」と呼ばれる唯一の交易路を除いては道もなく、険しい地形によって天然の要害となっているようなところであるにもかかわらず、多くの人々がこの地に住み、それを養っていけるだけの産業もあった。周囲の邑との仲が良好であることにかけては、ナーラダ族の大邑としては珍しいほどであった。もっとも、それには理由がある。周囲の邑は、果樹生産で成り立っている邑でなければ鉱山を保有しており、いずれにせよスィスニアで加工しなければ商品にならないのである。 特に有名なのは果実酒と 「いかがですか、そこのお兄さん?」 ラファエロ・ティフォートという青年は人なつっこい笑みを浮かべて、すぐ前を通りかかった大男に声をかけた。鮮やかな青色の革の短い上着がよく似合う。どう見ても「お兄さん」という柄ではない。がさつそうな風貌だが、ぎらりと光る翡翠石の瞳には何とも言えぬ親しみが感じられる。 「お兄さんってのは、俺のことかい?」 にやりと笑って振り向く。その店の中をちらりと覗いてみて、男は驚きの表情を浮かべた。引き寄せられるように中に入る。剣、盾、槍など、武具の種類は多くなかったが、それがいずれも鉄製である。 「こりゃあ、凄いな……」 「お気に入ったのはありますか?」 「大ありよ。こんな店を知らなかったとは、俺としたことが大不覚だ」 「お兄さんは、傭兵か何かなんですか?」 ティフォートはまたにこやかに訊く。大男は頭をかいた。 「お兄さんって言い方はどうも照れちまっていけないな。俺はファン・フェイロン、いちおう同業者だ。交易商人ってやつだからな。独立不羈、自由・自主・自律・自尊を合い言葉にしてる。当然蜘蛛会には入ってない。船の名はテェンロン号だ」 「テェンロン……天龍、ですか」 「ああ。まあそんなことはともかくとしてだ、これはいい武器だな。全部鉄製じゃないか。君、ヴィシュヴァカルマン神殿にコネでもあるのか?」 「いえ、公価で卸してますよ」 「そうか。それでもこれだけのものがあるのか……」 フェイロンは感じ入ったようにその鉄剣を見つめていたが、やがて懐を探った。 「この剣を一本もらおう。卸値はいくらだ?」 「そこの売値よりは安かったですよ」 「じゃあ、この売値の二倍は出す。これだけの価値はあるはずだ。蜘蛛会が手を出すようになれば、これ以上じゃなきゃ売れなくなるぜ。何にせよ、良い勉強をさせてもらった。お前の名は何という?」 「ラファエロ・ティフォートといいます。仲間内では、ティト、とも」 「ティト、か。星薬会の奴の前でそんな呼び方したら殺されるぜ。それじゃあな。また来るぜ」 フェイロンが出ていくと、店の中には一人の客もいなくなった。これだけのものが置いてあるのに客が来ないというのは、あいつはよっぽどの商売下手なんだなと、フェイロンは心の中で呟いた。 ナグモ・リューンという男の目的は奈辺にあるのか見当もつかない。彼はスィスニア兵吏長の位についてからわずか 配下の者からは例外なく好かれ、「軍神」と尊敬されてはいたが、同格の吏長や吏丞格の者たちでは面白からず思う者も多い。人吏長の目を疑っているわけではないが、才を とはいえ、彼らに抗せるような相手でもなかったので、何らの手出しもされない。リューンはというと彼らのことなど眼中にないようで、ひたすら兵師の充実に情熱のすべてを注いでいた。 怜悧、といえば聞こえは良いが、要するに不遜な男なのである。だが素晴らしい長身、よく引き締まった、鍛えられた肉体を常に鎧甲に包んで城中を闊歩する姿は、確かに兵たちには神のごとく見えるのだった。 「といっても、実戦経験はないからね。まだその点では未知数だけど……」 邑宰丞ヴァシュナ・シリルが、彼の主に向かって話しかけた。ちょうど彼らの眼下を、その男が通過していく。 「でも、頼もしいことですわね。あれだけ兵に慕われているのですもの、心配ありませんわ」 そう答えた若い女性は、ナーガの司祭衣を身につけている。清楚で可憐、とよく表現される外貌は、その衣さえなければディリーパの化身と形容したいほどだ。 スィスニアの邑宰とナーガ大司祭を兼任するルシャナ・シルキーヌ姫である。神殿と政体の首座を兼任する若い女性といえば蜘蛛会のナタ・エイラ姫が有名だが、ちょうど彼女とは対極といえるだろう。エイラ姫が美貌に剣呑な気配を隠そうともしない、きわめて激しい人柄であるのに対し、シルキーヌ姫は神秘的な雰囲気と柔らかい表情を内に秘めた人物という印象を受ける。これは彼女の天性の資質と言うこともあるのだろうが、教育の賜物という点が大きいという。スィスニア邑宰家にはキーサ王家のように独特の教育法が伝わっており、それがどういうものかということはシルキーヌ姫を見ればわかる。必ずしもその教育が実を結ぶとは限らないが、シルキーヌ姫は最近数代のうちでもとりわけて優秀な成果と言える。 シリルは、シルキーヌの父の 「あの男は昔、シルキーヌの側仕えをしていたね」 「ええ、あの頃からよく側を離れては剣を振り回していたわ。今も全く変わらないわね、考えてみると……」 あの男は単に剣を振り回したいだけなのだろうか、とも思う。剣とは実物の剣のみならず、その剣を持つ軍をも含めてのことだ。このセルフィアーの地で、存分に剣を振り回してみたい。力を振るってみたい。その気持ちは、分からなくもない。ナーラダ族は元々戦士の民だ。 「戦が起こるわ……」 シルキーヌはそっと呟いた。シリルは彼女の澄みきった瞳をのぞいた。 「戦が怖いかい?」 「いいえ、怖ろしくはないの。でも、哀しいわ……」 「そうだな」 シリルはそっと彼女の黒髪にふれた。ナーガの司祭らしくもない、とは思わない。優しく純粋な心、政治や軍事には必要ないものではあろうが、シルキーヌはそのかけがえのないものを持っている。政治や軍事なら余人にもできるが、その心は取りかえのきかぬものだ。 このかけがえのないものを、守りたい。何者にも、傷つけさせはしない。 シリルは、そう胸の中に呟いた。 |
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