会誌-「サークル水月会誌 第2回」

■ リアクション2−6  (独立暦400年風の月)


 今日はカノール、明日はウォウル。セルフィアーならどこへでもひとっとび、薬売りのダナス。決して薬師としての腕は悪くない。人界に(くだ)ってきたのはヴィレールトよりも後だが歳はダナスの方が上だ。その彼がいつまでも下っ端に甘んじてうろうろと放浪しているのは、持ち前のおっとりした性格、悪く言いかえれば押しの弱さのせいであった。
「僕より年上の妖人なんて、このセルフィアーにはティト様とメリル様と君ぐらいしかいないのにねえ。ダナス、君はどうしてそう売り上げが少ないんだ? 僕は君を高く買ってるんだけど」
 ヴィレールトはダナスが帰るたびにため息をつく。
「えっ、そうなの〜?」
 初めて聞いたかのようにいつも言う台詞は同じである。
 そしてまたすぐ飛び出していく。
 旅は楽なものだ。馬には乗らぬが彼には「大地のサンダル」がある。これは彼特製の施術宝器で、脚に溜まった疲労を解消することができる。だから彼の足どりは翼が生えたように速い。
 これで売り上げが他の妖人の半分程度なのだから、ヴィレールトがため息をつくのも無理はない。上の地位につけてやりたくてもさすがにこれでは無理だ。向いていないのなら別の部に回してやろうと言っても遠回しに断られる。要するに彼は遊びに行きたいのだなと、最近はヴィレールトも納得し始めていた。
 妖人の寿命は長い。ティターニアやメルリーラのように永遠の命を持たぬ者でも、600年とも1000年ともいわれる。変わりばえのしない星界での暮らしに飽きて人界に降りてみて、初めの内は季節の移り変わりに感動してそれだけで生きていけても、100回も繰り返された頃にはもう飽きている。湿原での暮らしはつまらない。ヴィレールトのように研究に専念していれば別だが。
 変化を求める。退屈を嫌う。何か変わったものが見てみたい。
 ──それが、旅に出る理由。

 一方、星薬会本部アプシーズに住んでそれで満足している者もいる。
 まだ若いヴィルザートなどがそうである。人界生まれということもあって、彼はティターニアやメルリーラ、ヴィレールトを尊敬し、少しでも彼らに近づきたいと願っていた。
 アプシーズには通常(ふつう)の医者でも診られるような軽傷の患者はあまりいない。アプシーズの者の食するものはほとんど湿原の産で、病を防ぐようはたらく。妖人が長寿なのはアプシーズの食べ物のせいだという説も唱えられているが、まるきり間違いというわけでもない。五種の民でもナルスでも、会に入り相応の食を()れば寿命は延びるという。まあ、まだ確実なデータは取れていないので俗説の域を出てはいないのだが。
 アプシーズに運ばれてくるのは、きわめて重体あるいは難病奇病の類の患者であり、ゆえにヴィルザートのような未熟者には触れさせてももらえない。先輩の医師が診ているのを脇から眺め、道具や薬などを渡すのが関の山だ。
「ヴィラ、水取ってくれ」
「はーい」
 元気よく声を上げて、柄杓(ひしゃく)で水をすくう。兄弟子にあたるツィルートは、柄杓の水を患者の目に注ぎかけた。患者が嫌そうにまばたきをする、その上に手をかざし、神語を唱える。が、ヴィレールトには何を言っているのかは聞き取れない。
 その語は確かに効果を発揮したらしく、琥珀のような深い黄色の光がツィルートの手を覆い包む。かと思うと一気に収斂し、患者の目の中にしみこんだ。
「ヴィラ」
「はい」
 差し出された柄杓にまた水を汲む。水が目に注がれる──すると、灰色に濁っていた筈のその目は、綺麗な青紫色に戻っていた。
「見えますか?」
 ツィルートは穏やかに尋ねる。そのトゥー族の少女は嬉しそうに頷いた。
「それは良かった。しばらくは安静に寝ていることです。じきに元通りになりますよ」
「本当に、ありがとうございました」
 その女の子の父親は、深々と頭を下げた。
「お礼は結構ですよ。私はこれが仕事ですから」
 にっこりと笑い、ツィルートはヴィルザートを促して自室へと戻った。
「ヴィラ、今日のあの患者に、私が何をしたか解ったか?」
 質問する。
「術法を使われたのは、わかったんだけど……」
「そうだね、確かに使った。医師、薬師、どちらだった?」
「ええと、たぶん医師の方だと思います」
「うん。ああいう時に術を使うのはすべてそうだ。よく覚えていたね」
「ひとつ、質問があるんですけど」
 ヴィルザートは首をかしげた。
「何だ?」
「あの水、ふつうの水なんですか?」
「ああ、あの水……」
 柄杓に取って、患者の目にかけた。術法をかけた後も、水をかけるまでは、目は変化をみせなかった。
「よく見ていたね、ヴィラ。あれは、ただの水だよ。……ただの、純水」
「純水……きれいな水、ってことですか?」
「ちがう。それもあるけどね、アプサラスの住む水のことを言うんだ。純粋な水の気だけで構成された水。水と水の気は、ものを清めるはたらきがある。よく覚えておけよ」
「はい」
 ヴィルザートはその言葉をしっかりと頭に刻み込んだ。

 「七要素と医療」と題されたそのレポートを前に、ヴィレールトはじっと考え込んでいた。
 タイトルそのものはいささか陳腐に過ぎる向きもあるが、齢いまだ100歳では無理もないことだ。内容もとりわけて目新しいものではない。にもかかわらず、膨大な数のレポートの中でこれだけが、妙に目を惹きつける。その理由は何なのだろう。
 子供らしい素直な着眼、体験に基づいた的確な言葉遣い、……そんなものだけならば他の人のものだって満たしている。なのに、このレポートだけが、こんなにも「読ませる」のは何故だ?
(文才、だな)
 ヴィレールトはそう結論づけた。自分の頭の中に思い浮かんだこと、考えたことを、文字をもって鮮やかに書き記す能力。
 ヴィルザート=アプシーズ。その名を、一巻の帳簿の末尾に書き加えておく。
(あるいは、僕を継ぐ者になるかもしれない)
 心中に呟くと、ヴィレールトは手の巻物を机の奥に押し込んだ。

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