会誌-「サークル水月会誌 第2回」

■ リアクション2−4  (独立暦400年風の月)


 エルーブ山脈の麓にある邑の中で、エルーブはとりわけて大きな邑である。山脈のうちエルーブ付近だけには銅が産出する。最近はアヴァダでも採れるようになったが、やはりエルーブの銅といえば質の良さで全土に名高い。
 ただ惜しむらくはエルーブは交通の便があまり良くない。大消費地である北方の邑へと銅を運ぶためには、陸路で行くなら山脈を越えなければならないし、かといって水路で運ぼうとすれば、川に着くまでが大変である。水吏丞であったシィル=アーレインは、つねづねこの不便を何とかしたいと思い、腹案を持っていたが、今月水吏長が病を得て引退したので、この機に邑宰にこう進言した。
「南方の諸邑と同盟し、大きな港を造ったらいかがでしょう。そして、海路を使って貿易をするのです」
「海路、ですか……」
 エルーブ邑宰は顔を曇らせた。
「あなたの前任の水吏長も、そう進言してきたものです。就任したその時にね。しかし、それを実行することはできなかった。何故だか分かりますか?」
「いえ……」
「南に大邑がないのと同じ理由ですよ。……寒すぎるのです」
 空の月から地の月にかけて、雪と氷とが大地を閉ざす。と同時に、はるか南から流れ着いた氷が、フィーブ川河口からラシー川河口までを閉ざすのだ。海が凍る間のリスクを考えると、邑宰としては海路の貿易には着手できない。
「では、川と湖とを使って、アーレやラシー、アヴァダとの交易を振興させるというのは?」
「それは良い案だと思いますよ」
 邑宰はにっこりと笑った。
「思うようにやってごらんなさい。お金には少し余裕があるようですからね」

(カノールの街も久しぶりだ……)
 少年は心の中に呟いた。
 彼の名はフェイティエン=キースという。本姓はシャル……キーサ王家の傍流の者なのであるが、王家の者は必ず重職に就き、そして戦に出なければならない。それが嫌で、6年前に王家の呪縛から抜け出して神官になった。
 アシュラ神の信仰が盛んなセルフィアーでは、ディヤウス信仰はあまりはやらない。神殿の規模も格段に落ちる。全土どこにでも神殿はあるのに、大神殿はない。要するにあまり強力に組織だってはいないので、戦乱の世になれば互いに助け合うのも難しいのだ。
 だからディヤウス神殿では神官を各地に派遣し、蜘蛛会まがいのことをしているのだが、そのようなことはフェイティエンは知らない。彼はただ、自分が王族としての責任を放棄したことを悔やんで、カノールへと戻ってきたのだった。
(変わってない……)
 よかった、とフェイティエンは胸をなでおろした。
 戦で荒れてるんじゃないか、と心配していたのだ。だが往来は絶えることはなく、むしろ、6年前より盛況かも知れない。
(よかった、戦の影響は受けてないんだ……)
 そのにぎやかさが、やがて起こる戦に備えてのことであろうとは、フェイティエンには知る由もなかった。

 カノールにもあるディヤウス神殿で宿を求め、眠りに就いた彼は、その夜、おそろしい夢を見た。
 今日帰ってきたばかりの、この美しいカノールの街が、一瞬にして業火に包まれる。空から降り注ぐあれはなんだろう? 真っ赤な光を放つ……火の力? 施術宝器……炎を放つ宝器、多分そうだろう。
 そして恵みをもたらすはずのセルファニア湖の水が、大きくもちあがり、城壁を乗り越えて街を洗い流してしまう。たくさんの青い珠……水の力をもつ宝器。
(これは、夢……夢、で……)
 自分に言い聞かせたとき、自分のものではありえない声がきこえた。
(そう、夢だ。しかし、これは現実になるかもしれない)
(何故? 何故ですか?)
 その声に向けて問う。
(その答えは、東にある。東へ向かえ。東へ……悪と知らず悪を育む、打倒すべき邑がある)
 それきり、目が覚めた。
 ぼんやりと、天井を眺める。このカノールが炎に包まれる時がくるかもしれない、そしてそれをもたらすのが東の邑?
 神託、というのだろうか。それとも単なる悪い夢か?
 美しい髭をたくわえた威厳ある老人ディヤウスの像が、静かにこちらを見つめている。

 月初めの人官には、任官希望者の書状が多数届けられる。多くは火官や地官への任官を求めるものであるのだが、今月は一通だけ空官希望者がいた。
「珍しい。私が会おう」
 人官長がじきじきに面接役を買って出、その書状の提出者を引見したのだが、期待したほど面白みのある者ではなかった。シュリューク=ツァー、一五の少年であるのに、話し方がまるで溌剌としたところがなく、理屈っぽくて堅苦しい。
 だが才はあるようだ。問題はあるまい、ということでその場で登用された。
「イール殿」
 同い年ほどの同僚に、そんな言い方をする。
「ヴェルーダの噂、聞いたか」
「災いってやつか? どうせナーラダのことだろ。俺たちには関係ないよ」
「しかしやはり同じセルフィアーのこと、地気が乱れれば必ず我が国にも災禍は及ぶ。であるから何か対処を考えた方が……」
「それよりな、新入り。同じナーラダのことでも、もっと重大な問題がある。知ってるか、『スウィズ』って邑のこと」
「あ、ああ……噂くらいは」
「その邑に、『ディヤウスの制裁』が下される、っていう噂があるんだ」
「ディヤウスの制裁? 何だそれは」
「さあ、俺も詳しくは知らないのだが……」
 それきり、イールは口をつぐんだ。シュリュークもそれ以上問おうとはしない。

「シェーナ邑宰、シャタイヌ=トゥラが、何やらおかしな動きをしているようですね」
 キーサ軍司リーナ=トゥラが、邑宰ヌーグ=シャルに報告を持ってきた。
「シャタイヌ=トゥラ……って、貴女(あなた)の叔母か何かではなかったか?」
 報告書を取り上げながら、ヌーグは新しい扇を上下に動かしてその柄の感触を楽しんでいる。
族母(おば)ですが、もう私とは関係のない人ですよ。ヌーグ様……いえ、キーサ王家に逆らうなんて。先見の明がまるでないですね」
「ふむ、シェーナが盟主となって対キーサ大同盟の動き、か。しかしこれを見る限り、シェーナは北方で一つだけ孤立してるぞ?」
 報告書にあるのはシェーナが使者を送ったとされる邑の名である。アーヴ、シュダなどはキーサの勢力下に入った邑のすぐ周辺の邑が多いが、中にはディン、アーレといった大邑の名も連ねられている。
「だからこそ、なんでしょうね。他の邑に西から攻めてもらい、自軍は北から。二方面作戦、というわけですね」
「うん、しかしこれが全部賛同するかな」
 ヌーグは扇の根本を何度も親指でなぞっている。
「軍司、どう思う?」
「可能性というなら、全部が敵に回る可能性は高いでしょうね」
「やはりその前に先手を打とうか……いや」
 ヌーグは扇を握りなおし、額に風を送った。頭を冷やす。こうしてからでないと、ヌーグは決断を下さないのが常だ。
「どうしますか?」
 ぱたぱた。二呼吸ほどおいて、ヌーグは頷いた。
「よし、軍を出そう。外兵と、募兵の半分を連れていけ」
「目的は?」
 軍司は立ち上がりながら訊く。ヌーグは彼女の肩にぴしっ、と扇をあてて言った。
「威嚇、だ。だが状況によっては戦ってよい」
「どのくらいまで勝ってよろしいので?」
 負けることは念頭にない。というより、軍師は負けるくらいなら初めから交戦しないのだ。
「そうだな、シェーナをまるはだかにできる程度、だ。城攻めはするな。シェーナの周囲の、オードとかディテとかいうような小邑は占領してこい。シェーナ軍が出てきたらつぶせ」
「……要するに、無理をしなければ何やってもいいと、そういうことですね」
 リーナは強引に結論づけた。
「まあ、そうかもしれんな。任せた」
 ヌーグは呑気に言って、扇の柄を弄んだ。

 イナグ=リュアという人物がいた。ヌーグの前の王宰の諌大夫であり、名の知れた兵学家でもあった。ヌーグの代になって実際に兵を出し、隣邑を害するようになったのを憂いてさかんに諌めたが、ヌーグが聞き入れるはずもなく、イナグは心を病んで死んでしまった。
 イナグの次子のアジール=リュアは、今年一七になる。父の書きかけていた兵書を、自分の手で完全なものにしようと兵法を学び始めたが、結局実行を伴わぬものは机上の空論であると言い放ち、現在外兵尉丞の地位にいる。
 大軍を指揮することはまだかなわないが、それでも指揮官として従軍することができる、それが嬉しい。それに軍司や火官長といった歴戦の英雄たちの戦いを間近で見られるかも知れない。
「行!」
 緑色の旗が風になびく。風が涼しい季節になってきた。

「キーサ軍です!」
 その報が入ったとき、シェーナ邑宰は雷に撃たれたように硬直した。ややあって、呟くように言う。
「……やられた。速すぎる。各邑からの返事のまだ四に一つも届かぬうちに……!」
「間違いないのか」
 邑宰丞が念を押すと、外吏長は頷いた。
「残念ながら。……萌葉色の地に×(バツ)字の弧は、キーサの両道紋に間違いありません。その数一万二千」
「……多いな。勝てぬ」
 シェーナ司祭は首を振った。丞にいう。
「和を乞え。どうせ帥は軍司のリーナだろう。奴なら無為に攻めてきたりはせぬ。和を乞い、膝を屈して時機を待つのだ」
「分かりました」
 ……こうして、一触即発の事態は回避されたのだが、アジールがひとり、面白くなさそうな顔をしているのを見て、直属の上司である外兵尉は笑った。
「まあ、君のがかありする気持ちはわかるさ。だがな、これからいくらでも機はあるんだ。軍司殿があえて相手の策に乗って引き揚げたのも、シェーナと共に周囲を一気に叩くための作戦に違いないと、俺は思うね」
「そうでしょうか」
「そうだとも。戦いなんてこれからいくらでも見られる。嫌と言っても見なきゃならなくなる。だから、小休止だと思って、どっしりかまえておけ。先は長いぞ」
 外兵尉は笑い、緑旗をアジールに手渡した。

 ヌーグが仕事の手を休め、一服やっていると、しのびやかなノックの音がした。
「グレンか」
「さようで」
 そっと入ってきたのはひげを顔中に生やした男である。本来ならばこんな所に入ってきてよい人間ではない。グレンノルト=イーズ、ヌーグの気に入りの扇職人である。
「ちょうどいま休憩中だ。まあ、そこに座れ」
「毎度どうも。いい座り心地ですね……で、そいつの具合はいかがです?」
「これか」
 グレンに向けてあおぐと、それなりにまとまっていた髭がぐしゃりと崩れてしまった。
「いい具合だな。これは前作を凌ぐよ、保障していい。この柄の長さといい、握り具合といい、風の指向性といい、重くもなく軽くもなく、こんなに手になじむのはお前しか作れんだろう」
「光栄なお言葉で。ところで……」
 グレンはにわかに表情を改めた。
「いつもこんな所に入れてもらって申し訳ないんで、何か私に出来ることはないでしょうかね?」
「いつもったって、こっちだって扇作ってもらってるしな、城下の噂も聞けるし、今ので十分だと思うんだが」
「いやいや私の気が済みません。御命とあらばウォウルにだってリューナにだって行きますよ」
「そんな危険なところにわざわざ行かんでもいいだろう。それよりな、シェーナにしないか?」
「シェーナ、ですか。和を結んだという……」
「あれは擬態だ。向こうは絶対約を破る。だから、シェーナの内情とは言わぬまでも、様子を知らせてくれるとありがたい」
「分かりました」
 そして、またそっと扉の外に消えていった。

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