会誌-「サークル水月会誌 第1回」

■ ある旅立ちの物語                 三純 るく


 人の月の、第一週のある日、
「そこの馬っ!ちょっと待ったァ!!。」
 背後からの、威勢のいい声に、男は馬を止めて振り返った。誰かが走って来る。
 邑から邑へ手紙を運ぶのが彼の仕事だ。ここユディトの手紙を集めて今しも出て行くところだったのだが……。
「ぜえ、ぜえ、こ、これも頼む……。」
 全速力で走ってきたそいつは、一通の手紙を男に差し出した。言葉は素っ気ないが、のびやかな声は、若い娘のものだった。下を向いて荒い息をついている彼女の顔は、マントのフードに完全に隠されてしまっていた。
「他に、出したい物はあるかい?。」
 男の問いに答える気力は亡いらしく、ぜえはあと肩を上下させながら、彼女はただかぶりをふる。
 軽い挨拶を残して男が去っていった暫くの後、「暑いな」とつぶやいて、マントを脱いだ。もう着るまいと彼女は思う。これから暑くなるばかりだ。初夏に生まれた彼女は、もうすぐ270歳の誕生日を迎える。アプシーズ・エルフ族の寿命は長いが、人生最大の夢をかなえるにはそろそろ行動を開始しなくては。
 その一つが先程の手紙だった。
 前略。
 父様、母様元気でおられますか?私は元気です。父様達の造ったお薬はもう殆んど売れ、そちらへ帰るべき時が来たのですが実はお話しせねばならない事があるのです。
 父様、母様、(わたくし)ヴィーシアは、もうすぐ270歳になります。この区切れの良い年に、私は夢のために行動を開始することにしました。アプシーズに帰るつもりはありません。
 幼少より私を見知っている父様達にはお分かりでしょう、妖人でありながら、薬学よりも芸術に心惹かれた私の夢が。いつか話した事がありましたね、芸術の都を作りたいと。
 あの時は、幼さゆえの憧れの一言でしたが書物を読み、諸邑の芸術、文化を旅の中で見、戦乱の気配を感じた今は違います。私は戦乱から、絵を、(うた)を、書を、楽を守りたいと思うのです。私の大好きな物を……。種族や血縁に関係なく人々が暮らし、芸術の発展していく永世中立の邑を造るために、私はこれから同志を集めるつもりです。他邑からの防衛のための軍事方面の指導者と、財政方面の指導者を探すのです。住人は、戦乱を厭う人々を集め、もちろん絵師、楽師といった人々へも呼びかける所存です。街は寒村を発展させるなり遺跡を利用するなり考えています。
 私とて全く考え無しにこんな野望を実現させると言っているわけではないのです。何と言っても100年間、抱き続けてきた夢ですから。
 父様も母様も、一人旅だからと心配なさらないで下さい。薬学の才はともかく、私には精霊術法があるし、仲間もそのうちできるでしょう。ゆっくりやっていくつもりです。

 いつあの手紙は届くのだろう。いつも男っぽい言葉を使う彼女が慣れぬ丁寧言葉で書き連ねたあの文章は、字の良し悪しを別にして、彼女にしては上出来な作品であった。
──母様驚くだろうな。いや、面白がるかな。
 いつも通りの薬の行商に出かけたのが二節(ふたつき)前だった。もうすぐ帰り始める頃に、百年に一度書くか書かぬかの大真面目な手紙を娘がよこすとは、両親共に考えもしなかっただろう。
 ヴィーシアは、何とはなしに愉快になってふふふ、と笑った。邑は何と名付けよう?
 金色の髪を、初夏の風がなでて行った。

 数日の後の事だった。
 ヴィーシアが、宿の周りを散策していると、怒声と悲鳴、物の割れる音、といったものが通りの向こうから聞こえて来た。
「ケンカ……か?。」
 安宿と、酒場のあるこの辺の治安は、あまり良くない。好奇心を抑えきれずに見に行った彼女の目に、昼間から酒を飲んだ男が二人、路上で派手にやり合っている光景が写った。
「やれやれ、はたメーワクな事だな。」
 つぶやく彼女の顔は、呑気なあきれ顔だ。
 だが見ているうちに、ハッとした。
 男の一人が曲刀を持ち出したのだ。目が完全にすわっている。思わずかけ寄ろうとしたその時、すいっと目の前を銀色の波が横切った。長身のトゥー族……女性だ。白銀の長い髪が、走るにつれてひるがえっているのだ。
 誰よりも素早く2人の男の間に割って入り、説得を無視して切りかかる男の剣を、細身の長剣で弾き飛ばす。流水のようになめらかな動きにヴィーシアは見入った。男は2人共逃げ、トゥー族の女性が何事もなかったように歩き去るのを、ただ夢のように見ていた。
 我に返った彼女は、散歩を続ける事にした。あの見事な剣さばきは、確か護剣というものだろう、などと考えつつ、人通りの少ない通りを歩く。ふいに足元に、銀色の何かが見えた。
!?なんで……こんな所に!。」
 さっきの女性だった。倒れているのだ。
「ちょっと!どうしたんだっ、大丈夫か!?。」
 一体何なのだ、と混乱しつつも抱き起こす。顔色が悪い。鮮やかな青紫色の瞳は暗く陰っている。蒼白な唇が動いた。
「大丈夫です。ちょっと、風邪気味なだけですから。……どうか……お構いなく。」
「何を言ってる!こんな状態で。」
 思わずぴしりと叱りつけ、立ち上がろうとする彼女を支えて近くの樹下に移動する。
 ──確か応急の霊薬があったはず。
 まさかの時のために持ち歩いている、母親の秘伝の霊薬を取り出して飲ませると、頬に赤みがさしてきた。切れ長の目にも生気がある。
「良かった。一応これで大丈夫だから、あとはちゃんと養生すること。いい?。」
「ありがとう。さすがは妖人ですね、助かりました。」
「薬を作ったのは母様さ。私は何もしていないよ。それより、今のは風邪どころじゃない。ちょっと性質(たち)の悪い病気みたいだから、本当に無理せず休むことだ。三日は寝ていた方がいい。」
「そうします。迷惑かけちゃいましたね。」
 そう言うと、すうっと眠り込んでしまった。
 これも薬の効果だろうか?ともあれこれではどうしようもなく、人手を借りてヴィーシアの宿の部屋へ運び込んだ。
 それから3日間。残っている薬を使って回復を待つうち、二人は様々なことを語り合った。ヴィーシアの夢に、静かに、しかし楽し気に聞き入っている銀の髪の剣士は、名をセフィルと名乗り、自分も詩人になりたかった事がある、そんな邑ができたら自分も行ってみたいと言った。18才の彼女は、この邑の宰家の血縁の者で、ティンの姓を一応は名乗れる家柄にあるらしい。そのことはヴィーシアを驚かせた。家人が心配しているだろうと言うと、数日帰らないのはよくある事で、誰も気にはしないはずです、と、にっこり笑ってセフィルは言った。不思議な人だと、ヴィーシアは思う。クールな外見とは裏腹に、彼女は実に温厚な性格らしく、言葉はいつも優しく、誰に対しても丁寧だった。ヴィーシアは270才になっていたが、セフィルの方が大人のように見えることもある。そして、何とはなしに、お互い気が合うようだった。ある日、セフィルが言った。
「そうだ!確か、軍事方面の指導者を探してるんですよね、ヴィーシアさん。私で良ければお手伝いします。剣なら一応得意ですし、兵法も少しなら。どうでしょう?。」
 ヴィーシアは本当に驚いた。一邑の宰家の人間が、いきなり簡単にそんな事を決めていいものだろうか?さすがに楽天家の妖人もここまで都合よくパートナーが現れるとは思えず、黙していると、セフィルは重ねて、
「今までの人生で、これほど何かをやってみたいと思ったことはありません。どうせこの邑にいたところで、そう大した地位につける望みもなさそうだし、それよりは、自由な新しい邑を作る方が面白そうです。」
 と言った。本気らしい。りんとした表情にも、涼やかな声にも、冗談らしい気配はカケラも含まれていなかった。ヴィーシアは、もう迷わなかった。
「よろしく頼むよ、セフィル。今日から私達は同志!」
「こちらこそ、ヴィーシアさん。」
 セフィルはゆったりと笑っている。
 ヴィーシアは、いたずらっぽく笑って言う。
「ヴィーシアと呼んでくれないか?同志であると同時に、私達は友達じゃないか。」
 ユディトの宿の一室で、2人の娘はその夜も語り明かした。戦乱に対抗するように、平和な夢を抱えて2人がユディトを旅立ったのは、二日後の事。明るい日光が、ヴィーシアの金色の髪を、まぶしく輝かせる朝の事だった。

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