会誌-「ザラスMCPG 諸英伝」
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「天下を取ってやる!」 ツァン・スィラーナは突然大声で叫んだ。 「な、何だよ姉ちゃん」 すぐそばにいた弟のティドゥアが耳を押さえて飛びすさる。 天下、といっても、無論これは人界全土という意味ではない。セルフィアー全土を指す。天下という語は、五王国期に入ってからは普通に使われるようになるが、今の時点ではセルフィアー全土という言葉の方がよく使われている。天下、という言葉を好んで使っているのは、あるいはこのスィラーナという少女だけであるかもしれない。 ツァン・スィラーナは、レディアの邑宰の姪である。 レディアという城邑は、セルフィアーの中でもだいぶ南に位置する。この人の月になってやっと風がぬるまってきた。冬は長く、その間はずっと雪に閉ざされている。その雪をふみわけて森へ入り、鹿や猪などを狩っては食糧とする。城邑の内の畑の面積はきわめて狭く、城邑全体の大きさも小さい。古さだけは全土に誇れる。ウォウルやカノールと同じく独立戦争期に建造された。だからといって城邑として優れているのかというと、そうでもない。城壁はところどころ崩れ、苔むしている。 こんな城邑を拠点として天下を取ろうなどと誰が思うだろう。 キーサの事変によって野心や覇気を呼び起こされた者は数多かったが、こんな馬鹿げた野望を持った者は、スィラーナの他に誰がいるだろう。 「姉ちゃん、正気か?」 ティドゥアはスィラーナと同じ一八歳で、双子の弟である。周囲からは「仲の良い姉弟」と思われているが、ティドゥアにとっては迷惑な話であった。仲が良いのではない、俺が心が広いだけだ。全く、姉ちゃんの無鉄砲ときたら! だが、どんな無茶なことでも、結局は従ってしまい、しかもそれを破綻させずに切り回すティドゥアの才は、まったく天賦のものといってよかった。 「正気に決まってんでしょ」 スィラーナは腕を組んだ。ティドゥアは頭をかかえた。この口調は、また何かやらかす気だな。しかも、そのつけは全部俺に回って来るんだ。あああああ…… 「何を丸くなってんの。行くよ、ティドゥア」 スィラーナは馬に飛び乗り、一鞭あてた。ティドゥアも慌てて後に続いた。この姉が何をするにせよ、俺が見届けて片づけてやんなきゃならないんだ。そうじゃないと、どうせ姉ちゃん一人じゃ何もできっこないんだから…… 「さて、と」 ようやく馬を止めたのは、森の入口であった。馬を下り、木に繋ぐと、鞍から弓と矢筒を外し、矢筒は背にくくりつける。 「んじゃ、行こうか」 ティドゥアは無言で頷いた。ただの狩りなら望むところだ。 この森には、家ごとに受け継がれる「猟地」があり、その猟地の外の獲物は決して狩ってはいけないことになっている。当然、有力な家ほど獲物が多く広大な猟地が得られるわけで、邑宰の一族である彼らには最上といってもよい猟場が確保されている。 姉弟ともに幼い頃からこの猟地と弓矢とを友として育ってきている。道などなくとも、この猟地の中でなら、自分のいる位置は手に取るように分かる。平地を歩くよりも足の疲労は少ない。 (鹿か) 前方に影がよぎった。ティドゥアは矢を抜き出し、慎重に狙いを定めようとする……が、矢をつがえた頃にはもう、スィラーナの矢が鹿の喉を射抜いていた。 「早すぎだよ、姉ちゃん」 ティドゥアは憮然とした。弓の腕にかけては、彼はスィラーナに遠く及ばない。彼も名手と言われる部類に入るが、スィラーナははるかにその上を行く、いわば天才である。 「ふふん、私の勝ちだね」 得意げに鼻を鳴らし、斃した鹿に近づく。鹿に手をかけたその瞬間、木立の間から虎が飛び出てきた。鹿はこの虎から逃げていたのに相違ない。スィラーナははっとして腰に手をやったが、そこには今は剣を帯びてはいない。 (しまった……!) 思った瞬間、ティドゥアの射た矢が虎の額を貫いた。 「どうだい姉ちゃん、少しは懲りたか?」 ティドゥアがにやにやと笑う。スィラーナは、ちぇっ、と舌打ちしたが、命を救われたのは事実だ。ありがと、と小声で呟いて鹿と虎に目を落とす。どう見ても虎の方が大物だ。虎は肉食だから、肉は固くてとても食べられたものではないが、内臓は薬の原料として高く売れる。 「まず、腹をふくらまそうか」 スィラーナの内心を知ってか、ティドゥアは先に鹿の方に手をかけた。懐中から猟刀を取り出し、器用な手つきで捌いてゆく。スィラーナも猟刀を出した。肉と皮と骨とが分別される。 肉の一片を切り取ってそのまま口へ運ぶ。淡泊な肉の味に血のほのかな塩味と生臭さが混じっている。美味しい、と感じるのはツァン族が生まれついての猟人だからだろう。 ひとまず腹を満たし、虎を捌こうと手を出しかけたところで、 「姉ちゃん、聞こえるか?」 人の声が聞こえてきた。何か叫んでいる。 「助けてくれ……とか言ってるように聞こえるね」 「どうしたんだろう。行ってみようか」 「やめとけば」 スィラーナは切り捨てた。ティドゥアは猛然と反発する。 「何でだよ。人が死にかけてるのかも知れないぞ。今行けば助けられるかもしれない」 「あっちが誰の猟地か、知らない訳じゃないでしょ」 「邑宰の……」 言いかけて、ティドゥアは口ごもった。姉の言っていることの恐ろしさに気づいたのだ。 邑宰の猟地で猟をする者といえば、邑宰自身かその子しかありえない。そのどちらであるにせよ、その人が死ねば、スィラーナ姉弟が邑宰となれる可能性は高くなるのだ。 だから、見殺しにしろ、というのか? 「そんな……非道な……」 すでに声は聞こえない。もう死んだのか、それとも声も出せないほどの深傷を負ったか。いずれにせよ、これから行って助けられるとは思えない。 ティドゥアの心中の葛藤をよそに、スィラーナは呟いた。 「生粋の猟人ツァン族の者が、猟地に死ねるなんて本望よね」 その言の中に、ほんのわずかながら自嘲の念が混じっていたことは、いくらかティドゥアを安堵させた。同時に、ティドゥアは覚悟を決めた。俺と姉ちゃんとは一蓮托生だ。こうなったら…… 「これから、行ってみよう」 「何故」 「だんだん声が近づいてきて、俺たちにもそれが聞こえるようになった。それで俺たちは獲物の鹿も虎も放り出し、火を消すのも忘れて助けに行った……」 「了解」 スィラーナは焼けた鹿肉を口に放り込んで立ち上がった。その一瞬、琥珀色をした瞳が虎のようにぎらりと光った。ティドゥアは姉から目を背け、先に立って歩きだした。 邑宰の長子は一五歳の少年である。従姉のスィラーナや従兄のティドゥアが、いずれも一〇歳に満たずして一人で虎を斃し、遠方の揺れる柳の葉を射抜く腕を誇り、弓の名手としての声望を得ていたのに対し、彼は何ら目立った成果を上げることができず、父の邑宰からは常に、あの二人の上に立て、と言われ続けてきた。そうでないと、自分の顔が立たないではないか、とも。その言葉は彼の上にのしかかり、その重圧をはねのけるために、彼はしばしば一人で猟地に出かけては腕を試していた。だが、どうしても駄目なのだ。資質がなかった、と言ってもよい。 この日も、彼は猟地に来ていた。が、兎一匹すら射止めることができぬまま、知らず、彼は奥へ奥へと進んでいた。 そこで、ばったり熊と出遭ってしまった。 自分の腕を考えて、去ってしまえば、熊も少年に気づかずにそのまま何事も起こらなかったに違いない。だが少年はそうはしなかった。これこそ、自分の声望を上げる好機だと思った。 二度、三度と少年は矢を射た。距離が近く、目標が大きいだけに、外れた矢は一本もなかった。だが急所に当たった矢もなかった。熊は加害者の少年にとびかかった。 少年は逃げた。その途中、木の根に躓いて転び、岩に足を挟まれて踵を挫いた。それでも走り続けながら、少年は叫んだ。 「助けて……誰か、助けてくれ!」 追いつかれるのは時間の問題であった。少年はもう走れないと悟ると、相討ちの覚悟を決めた。猟刀を取り出す。熊の爪がずぶりと肩に食い込む。瞬間、少年は猟刀を突き出した。その鋭い切っ先は熊の片目を抉ったが、致命傷にはいたらなかった。熊は少年を放り出し、森の奥へと消えていった。 遺体を邑宰家に運び込むと、二人は状況を「説明」した。 「すみません……私たちが、もう少し早く気づいていれば……」 スィラーナに至っては、涙まで流している。邑宰は、もとよりこの二人を信じ切っている。 「お前たちの責ではない。私はあれに、考えてみれば重荷ばかり背負わせてきた。責められなければならぬのは、むしろ私だ……」 気の毒なほどに落胆していた。一瞬のうちに一〇ばかりも老け込んだように見えた。 「私は……邑宰としても、父親としても失格だな……」 寂しげな笑いを浮かべて言う。 「邑宰の後継者の重圧を息子に押しつけ、それでいて、息子が死ぬと、邑宰の責務を放り出したくなる……」 「そんな、伯父上!」 ティドゥアは叫んだ。スィラーナが不審な言動をしないよう、先手を打ったのだ。 「気落ちなさってはいけません。伯父上はまだ五〇にもなっておられないではないですか」 「いいのだ、ティドゥア」 邑宰は大きくため息をついた。 「私はもう充分働いた。次は君ら若い者の時代だ……六年前の事変以来の時の流れには、もはや私などではついていけぬ」 「しかし、伯父上」 ティドゥアは粛然として言った。ここが重大なところだ。 「まだ、息子さん娘さん方はご幼少。せめてあと十年は伯父上に頑張っていただかないと、このレディアはどうなるのですか」 ティドゥアは内心ひやひやしていた。どうか、姉ちゃんが軽はずみなことを言いませんように。だが幸い、スィラーナはおとなしく口をつぐんでいた。 「息子や娘などどうでもよいではないか。幸い、私には君ら姉弟という、願ってもない優秀な後継者がいる……」 「我々ですか?」 スィラーナが、意外なほどに驚愕の表情を浮かべた。 「しかし……それは……」 「無欲だな」 伯父は力なく微笑した。無欲だって? ティドゥアの心のどこかが自嘲していたが、その表情はわずかも面には出ない。 「お前たち姉弟の声望は高い。誰も、異論を挟む者はおるまい」 「しかし……」 なおも言うスィラーナを制し、邑宰はまた力なく笑った。 「私はもう疲れたのだ。引き止めてくれるな」 こうして、スィラーナはあっけないほど簡単に邑宰位に即いたのだった。 スィラーナが邑宰の席について悦に入っているところへ、一人の邑兵が急報をもたらした。 「セルフィアー全土を揺るがす……と申し上げてよいかと」 そりゃ大変、とスィラーナは背筋を伸ばした。 「何があったの?」 「ウォウル邑宰が、王号を称しました」 スィラーナは腕を組んだ。そして一呼吸おいてから叫んだ。 「レディア王!」 「うわっ」 ティドゥアは耳を押さえた。 「姉ちゃん、いつもながら耳元で叫ぶのはやめろよな……で、何て言った?」 「レディア王」 「姉ちゃん、正気か?」 愚問と知りつつ、つい訊く。 「うん」 正気だから恐ろしいのである。ティドゥアの耳に、あの叫びが蘇った。 「天下を取ってやる!」 ……その場のノリで叫んでいるようで、実は終始一貫している。これは、また俺が何とかするしかないな、と頭をかかえるティドゥアであった。 |
レディアの地では、不気味な沈黙が続いていた。 邑宰位を継いだツァン・スィラーナは王を称したものの、その後は何ら目立った動きは見せていない。兵糧を大量に買いつけているかというとそうでもなく、通常の冬越しに必要なだけしか備蓄はない。募兵を増やしている様子もない。だからであろうか、周辺の邑もそれに対抗してどうこうという動きはまるでない。 かのように、見える。 だが民衆の与り知らぬ所では、すでに戦は始まっていた。 南方の夏は短い。すでに陽が傾き、夕暮れの空は火炎城の色をしている。ティドゥアはニャンガー・リァオという護衛だけを連れてそっと旧邑宰邸、現王邸を抜け出した。さして歩かぬうちに、目的の場所に達したらしく、ティドゥアはその家の門扉をたたいた。いかにもあやしげな男が出てきて往来の人が気づいていないことを確認し、二人を中に入れる。 「どうだ、順調か?」 ティドゥアは男に尋ねる。どうやら鍛冶場のようだ。火から出された灼熱した鉄の棒をたたいてのばし、水につける。できあがったものが積み上がっている……両刃の剣身であった。 「戦の準備、ですか」 訊くまでもなかったし、ティドゥアの耳にはその声は届いていない。とにかくうるさいのだ。会話など成立しない。 そこを抜けて外に出、納屋を開ける。予想通り、そこに納めてあったのは完成品の剣であった。 「これだけあれば、隣邑を攻め取るに足りる」 「しかし、兵器だけでは戦はできないと存じますが」 「あと人と糧食が必要だな、物理的には」 納屋を閉じながら呟く。 「レディアを空にする覚悟があれば、今のままでも充分可能なのだが……」 「民をかり出すおつもりですか?」 リァオは首をかしげたが、ティドゥアは笑った。 「さすがに、そんなことはしないさ。手は打った。それが図に当たるかどうかは、これから分かる。もう少し待つことだ。うまくいけば、初雪の降る頃には動き出せるだろう」 男装の少女、と言ってもアシュラの神官衣に男も女もないが、そういう陳腐な掲揚の似合う少女が、レディアの街を右往左往していた。リーフ・ディールという名の、典型的なツァンの外貌をした少女である。 ささいなことで母と喧嘩をして家を飛び出した。当然懐はとても寒い。他人の懐をさぐるのもよいが、まっとうな職があるならそれに就こうかと思い、まずアシュラ神殿に来た。 術をそれなりに使えることを伝え、アシュラの神語で会話ができることを示すと、すぐにディールは一台の 「ところで、何か職はありませんか」 話が一段落したところで問うてみる。神官は首を傾げた。 「お前さん、旅は好きかい?」 「ええ、とっても」 神官は机から封のされた竹筒を取り出した。 「じゃあ、これを届けてもらいたい。タイテの司祭にね」 「タイテ……レディアの五 「必ず、届けておくれよ。決して、奪われたりしないよう」 「ええ、分かりました」 何なんだろう、と訝りながらも、ディールはその筒を懐に押し込んだ。 |
ツィーゼ・ウォルカーズという男がいる。かつては使鬼であったが、あるとき自分の肉体の衰えを嘆いてナーイアドを自らに融合させたままにしていたところ、属性も変化して髪は黒みがかり肌の色は白くなってしまった。また老化は止まったが、他の精霊を使役できなくなったので、学者の道へと転向し、政治について学んでいるうち、 「百五十年は生きている」 と本人は言う。外貌は二〇代後半くらいに見える。スィラーナが邑宰位を継ぎレディア王を称したとき、彼女らが謀略をめぐらせたであろう事を察知した唯一の人間である。 「天下を取る……素晴らしい響きでございます。しかし、いまのままでは、夢であって、現実の目標になり得ていません。それは、具体案のないのが理由です。天下を取るためにいったい何をすればいいのか、私はこのレディアの中で一番よく知ってる人間です。なにせ一番歳をとってますし。」 というので、ティドゥアは彼を兵吏長に任じた。ツァンに策士は少ない。性格はともかく、その頭脳は彼らには必要だった。 リーフ・ディールは、ようやくタイテの近くまで来ていた。 レディアのたった五粁先のはずなのに、こんなに日数がかかってしまったのは、道の悪さのせいだ。枯れて腐った葉がつもって歩きづらいの何の、これなら遠回りして別の道を探した方がよかったかもしれない。 今、手に持っている筒はレディアで買ったダミーだ。レディアでアシュラ神官から預かった筒は、懐の中に収めてある。 (一体、これは何なんだろう) まあ良いか、大事なかったわけだし。そう思ったとき、後方から声がかかった。 「やあ坊主、アシュラの神官か?」 振り返ると、長身の若い男が立っていた。とっさに懐を押さえそうになったが、別に他意はないようだ。 「……と、女か。見間違った。すまんな、嬢ちゃん」 「いえ、男に見られてくれた方がいいんで……」 「一人旅か。昨今は物騒なのに、肝が据わった嬢ちゃんだ」 にこりと笑う、その表情がいかにも人の良さそうな好青年だった。戦士らしく、丈夫そうな革の鎧をまとい、その上から戦布を羽織っている。腰には長剣。アシュラの信者だろうか、そうでないにしても典型的なツァンの剣士だ。髪の色は乾かした土の色、瞳はとろけるような澄んだ飴色をしている。 「タイテに行くのか? 親戚でもいるのか」 北の門に向かって歩き出しながら問う。 「いえ……ちょっとアシュラ神殿に用事があって」 筒をしっかり握りしめて答えると、 「そうか」 男は頷いた。タイテには城壁と言えるような立派な垣はないが、柵のような囲みは一応あって、馬の侵入くらいなら防げそうである。その四方に門があり、北門からのびた道がレディアへと続いているわけだ。その北門をくぐるとき、衛兵が金をとっていた。通行料ということだろうか。 「私、お金持ってないんですけど……」 ためらいがちに言うと、男は笑った。 「俺と一緒にくれば問題ない」 「どういうことですか?」 「アシュラ神殿に用があるのだろう?」 ディールを促して歩き出す。 「俺がタイテのアシュラ司祭だ。ついでにタイテの邑兵長もやってる。つまり、顔パスってやつだ。……さあ、行くか」 いったん自室に引き上げ、司祭衣に着替えて出てくると、まるで別人のように落ちついた印象になる。しかしディールに笑ってみせたその表情は変わらず優しくて、ディールは少しほっとした。 「で、俺に用とは何だ?」 椅子に腰かけ、アシュラの神語で問いかける。ディールはこれまでの事情を説明した。 「成程、レディアの神殿でか。で、その筒っていうのはこれか?」 「いえ」 ディールは懐から同じ様な筒を引っぱり出した。司祭は中から書簡を取り出し、さっと目を通す。得心したように頷く。 「嬢ちゃんは、変な奴らに襲われたりしなかったのか」 今度はセルフィアー語だ。 「え? いいえ、何も」 「そうか、嬢ちゃんは運がいいんだな。……実はこの辺に、ここ二、三日賊が出没しててな、さっきもそれを見回りに出てたんだ。ただの野盗かと思っていたが、こんな事情があったとはな」 「こんなって、どんな?」 司祭が口を開きかけたとき、いきなり扉が破られた。 「賊か?」 司祭は飛び退き、ディールを庇うように立つ。自分の身ぐらい守れるのに、と言う暇もない。司祭はディールに筒と書簡を押しつけると、壁にかかっていた宝剣を走りざまに抜いた。一振りで四人を薙ぎ倒し、一人を蹴倒して喉首に剣先をつきつける。 「誰のさしがねだ? 言ってみろ、賊」 「賊呼ばわりは……うっ」 よせ、と言おうとしたところで剣先を皮一枚ほどすべらせた。うすく血が滲む。 「わ、わかった、言う。……ホーズの間者からだ。成功したら、金をはずむと言われた……」 「何に成功したらだ」 「書簡の、受け渡しの妨害に……」 「そうか、ありがとうよ」 剣の柄で後頭部を殴って気絶させる。そしてディールに向きなおった。 「つまり、狙われてたのは俺より嬢ちゃんの方だな」 「でも、それほどの価値のあるてがみって……」 「見るか?」 司祭はディールの手の竹簡を指さした。ディールは目をこらして読む。 空の月、炎燃えつくすの日、たとい晴ならば会猟すべし 場所は平原の南、[人風空天火人]の地にて なお弓矢の類はこちらで用意 獲物は追って指示す [風火火風]の地に住む者 「空の月アグニの日、条件が良ければ戦争を仕掛ける。場所はレディア平原南方の、ホーズの地にて……[ ]の中に七要素の紋が並んでいるだろう、これは天の神語を利用した暗号だ。なお武器はこちらで用意する、戦の実際の目標などはあとから知らせる。レディアのティドゥア、と、こういう意味だ」 「では、戦争が起こるんですね?」 ディールは目を輝かせた。 クティスは説明した。実はレディアとホーズは周辺の邑と同盟を結んでいるのだ。タイテならレディアに加担する。 「勝算はあるんですか? 戦力比は」 「機密だから、そこまでは教えられないよ」 そう言ってから、司祭はにわかに気づいたように言った。 「そう言や、嬢ちゃんはこれからどうするんだ」 「よければ、私も戦に参加させてください」 「嬢ちゃんが?」 「その嬢ちゃんって言うの、やめてください。私にはリーフ・ディールっていう名前がありますから」 ディールが少し口をとがらせると、司祭も笑った。 「俺の名も言ってなかったな。俺は、ノクール・クティス。よろしく、ディール」 「よろしくお願いします、クティス司祭」 二人は固い握手を交わした。 |
炎燃えつくすの日、すなわちアグニの日が刻々と迫る。それにつれて、タイテの邑内も目に見えて活気づいていた。 タイテは中邑といわれる大きさである。邑兵と募兵、というように兵を分けるだけの余裕はなく、大邑なら募兵をつとめるはずのアシュラ神官たちが邑兵の中核となっていた。その長が、邑兵長ノクール・クティスなのである。 「これより、我がタイテ軍はレディアに味方する」 兵たちを神殿に集め、彼が開口一番にこう言うと、神殿内はざわめきと喚声に包まれた。 「レディアは王国を称し、傘下の邑の長を『侯』に任じて他邑の力を吸収しようとの考えだ。我々としてもただ吸収されるつもりはない。ここで我々の力を見せつけ、傘下というより協力者としての立場を得ておくことによって、燎原の火の中にてひときわ鮮やかに燃えさかる一灯となるのだ。そのための参戦なのだから、各々、心して戦うように。──闘神の加護は我らに在り!」 よく聞くと、まるで論理的でない発言なのだが、クティスの演説慣れした声と態度でこう言われると、まるで戦う前から勝っているような気になるのが不思議だった。 何だか酔ったようないい気分になりかけたところで、クティスにそっと肩をつつかれた。そちらを向くと、前を向いたまま小声で話しかけてくる。にこやかな表情をつくってはいるが、目は笑っていない。 「ディール、よく聞けよ、一度しか言わないからな。この中に、ホーズの間者がいる可能性はかなり高い。怪しい奴を見たら、すぐ知らせてくれ。場合によっては斬り倒しちまっても構わん」 「殺しても……ですか」 「証拠があるならな」 懐に手をやり、掴み出したものをそっとディールに握らせる。 「これをやる。懐に入れておけ。これから俺は、立場上何度もこの軍から離れなきゃならん。部下たちも信がおけないという訳ではないが、お前にも頼んでおく。……しっかりやってくれよ」 ディールは頷いた。 タイテ、クネセト、ヤジィ、バス、パーレビ、ジャエタの六邑がレディアとの同盟邑、そしてドワン、ヌアド、オサマがホーズとの同盟邑である。地図上に線を引いたような勢力図になった。 ウォルカーズの予測では、戦力比はホーズ軍八千対レディア軍六千、そのうち実際に集まるのはホーズ五千対レディア四千くらいであろうと思っていたのだが、同盟邑の数も大きさもこちらの方が勝っていることから、互角程度には持ち込めそうである。 「まさに恐るべきは時流だな……」 ティドゥアは感嘆した。スィラーナや彼などの若造が王になると一声言っただけでこれだけの兵が集まる。無論彼らの力ではありえない。時流の──改革を望む風潮の広まった結果だ。その行き着く先は分からなくとも、今までと違った世界を見てみたい。そういう思いが共通の認識としてある。だから、こんなにも人が集まった。 六邑の指揮官たちを眺める。いずれも優れた戦士だ。実戦の指揮は賊討伐くらいしかしたことはない筈だが、それはホーズ側も同じだから、計算の内には入れなくとも良いだろう。 「ノクール・クティス。タイテ邑兵長、およびタイテのアシュラ神殿の司祭をしております」 真っ先にティドゥアに拝跪したのは、二〇代半ばの好青年であった。ティドゥアもその名は知っている。タイテの先邑宰の次男で、雑剣の使い手である。 「御高名はかねがねうかがっている。貴公の如き御仁にご協力いただけるとは心強い。よろしく頼む」 「御意」 完全に配下の礼をとっている。クティスは六邑の指揮官の中で最も高名で、またタイテも六邑の中で最も大きい。後に続く者たちも大きな態度をとるわけにはいかなくなった。あわてて皆拝跪する。 クネセト兵吏長はクティスと同年の二五歳の男性である。剣士として名を売っていたが、クネセトに腰を落ちつけていくばくもせぬうちに今の地位を手に入れた。あまり行跡のよくない男で、敵は多いが、彼の連れた兵はタイテに次いで多い。 ヤジィの邑兵長は二二歳の女性であるが、弓と剣、両方の使い手である。頭の軽さが表情に丸出しなのが玉に瑕といったところか。しかし今回の自分の使命は心得ているようである。 バスの指揮官はアシュラの司祭衣をまとった一七歳の少女であった。年は最年少であるが、人の心を見透かすかのような強い眼差しは、彼女が平穏でない人生を送ってきたであろうことを強く印象づける。ヤジィ邑兵長と好対照を成していた。 パーレビの邑兵長は三一歳の男性だが、これといって取り柄のないのが取り柄だという評だ。これまでの昇進も運がすべてであったという陰口も叩かれているが、本人は運も実力の内だと言って超然としている。 ジャエタは邑宰自らの出陣である。とはいってもジャエタの人口は二百人、他邑にくらべると本当に雀の涙ほどの兵力しか出せぬので、こうするよりほかに他邑と張り合うすべがないのだ。 「さて、さっそく作戦を説明いたそう。──兵吏長」 ティドゥアは挨拶をさらと済ませてしまうと、ウォルカーズを呼んで作戦を説明させた。 ウォルカーズの立てた作戦は、要するに落とし穴を使った誘導作戦である。レディア──ホーズ間の主道に落とし穴を掘り、こちらの軍はホーズ軍を引きつけつつ後退する。その間に別働隊がホーズの邑そのものを占領し、邑宰に降伏を促す。 「成程、理にかなった作戦ですね」 バス司祭がクティスをかえりみて言った。クティスも頷く。 「奇策ではないが堅実で有効な策だと思います。さて、ここで問題となるのは兵数の割り振りとどの邑軍をそこへ充てるか、ということになりますが……」 リーフ・ディールは中軍の天幕の外で足止めを食った。ホーズ側の間者である可能性を疑われたのだ。同様に二、三十人が屯している。 クティス司祭から貰ったものを懐から取り出す。アシュラ神王の護符だった。考えてみれば、私ほど身元のはっきりしない者もいない。疑われて当然なのだ。それなのに、クティス司祭は自分を信頼してくれたのみならず、大事な護符まで貸してくれた。 戦に参加したいと思うのは、己の立身出世が目的だ。しかし今は、司祭の信頼に応えなければ、と半ば以上思っている。 ディールは天幕の周囲を見回した。不審な挙動をしている者はいないか? (────いた!) 木の陰に。誰も気づいていないようだけど…… 口の中で神語を唱えながら、一歩、一歩とその人物に近付いていく。あと二十 (気づかれた!?) ディールは迷わず手から火球を放った。しかし木の陰に逃げ込まれ、外してしまう。二弾目、はずれ。三弾目…… 「何してるんだ、それじゃ逃げられちまうぞ」 男の声がした。木々の間を縫って走り、あっという間に追いつくと、剣の柄で後頭部を殴りつける。ディールが追いついた頃には、間者はすでにその男の背に担ぎ上げられていた。 「あなた……誰ですか」 ディールは、少々むくれながら訊ねた。男は笑った。 「まあ、そう怒りなさんな。君が火球を撃たなければ、オレだってこいつに気づきはしなかった。手柄は君のもんだ」 「そんなことは訊いてません」 言いかけたとき、木々の枝葉から差し込んだ光が男の顔を照らした。ディールは一瞬、言葉を失った。……肌はツァンの淡褐色、それにはあまりにも不似合いな……あまりにも幻想的な銀の髪。そしてさらに非現実間を増幅させるのが、左右で異なる瞳の色だ。琥珀色と青色。とても……セルフィアーの人とは思えない。 「……とっても綺麗な髪の色ですね」 ディールが言うと、男は足を止めた。 「本気で言ってるのか?」 「もちろんです」 男はまじまじとディールを見返し、表情をゆるめた。 「そうか。……そう言ってくれるのは、親以外にはティエラ様と君、二人ぐらいだな。バスのアシュラ司祭、ヒローカ・ティエラ様。オレはその護衛、カーク・アシュヴィンだ。君は?」 「私もアシュラ神官です。リーフ・ディール、タイテ司祭の護衛」 「タイテのクティス司祭か。何だ、似たようなもんだな」 「そうですね」 ホーズ郊外約二 「敵の兵力は?」 「おそらく四千ほどかと」 「レディアの全軍とタイテあたりの兵を足した数だな。いや、ひょっとしたらレディア軍は一部衛兵として残り、同盟軍を全面に出しているのかもしれん。──おい、間者はどうした」 「戻っておりません」 「殺られたか。──まあいい」 レディアもそうだが、ホーズ軍も戦慣れしていない。戦場においていかに情報が重要であるかということなど、まるで理解していなかった。 「我が軍は兵力六千。そのうち野戦に出せるのは五千というところか。互角より少し多い。特に策を弄さずとも勝てる数だな」 「そうですね。すぐに出陣しましょう。……日限を切りますか?」 「期日までにレディアを破ったら報奨金を出す、か。面白い。何日にするか?」 「五日、ということでどうでしょう」 「わかった。きっちり五日間でレディアを攻め落としてこい。そのかわり日数を超えたら減給だぞ。分かっているな」 「御意」 自軍が負ける、という思考は、完全に想像の外にあった。 「第一の策は、うまくいったようだな」 三刻ほど後、篝火の下で、ティドゥアとウォルカーズ、それにクティスが顔を合わせていた。 森の入り口には大きな落とし穴を掘っておいた。それによって死者は出なかったようだが、負傷者は五百人にも及び、何より敵将ニンラー・イーナは、愛馬の脚を折られて完全に頭に血がのぼっているということであった。 「別働隊の連中が功を焦って先走ってなければいいんですがね」 クティスが懸念を表明したので、ティドゥアは別働隊へ改めて待機の命令を出した。 「さて、次なる罠はもう完成した頃でしょうか」 クティスがまた言うと、ウォルカーズは頷いた。 「先程報告が来ました。かなり木材を浪費することになるが、仕方ないでしょう」 「では、夜襲を恐れる必要はありませんね」 クティスの言に、ティドゥアは瞠目した。考えてもいなかったのだが、成程、そういう考え方をしなければならないのか。 「敵の兵吏長イーナは短気な性格ですから、愛馬の足を折られた恨みは一刻も早く晴らしたがっている筈です。ゆえに夜襲を警戒せねばならぬと思ったのですが、その罠があるのなら、問題はないでしょうな。進んで罠にかかるでしょうから」 「しかし、もう少し後退する必要はあるかも知れない」 ウォルカーズは地図を指さした。 「篝火だけを残し、あと一粁ほど退きましょう。それだけ距離を置いておけば、彼方も更なる罠を警戒して攻めては来ぬはず。今晩はゆっくり休めるはずです」 「我らの出陣の命はまだ下らぬのか?」 クネセトの兵吏長は、うんざりしたような声を出した。 「伝令が来たと思うたら、待機、待機とばかり言う。我々は戦いに来たのだ。それなのに、森の中で土竜のように閉じこもっていろとはどういうことだ」 「剣刃を撃ち交わすことだけが戦いではないでしょう」 バス司祭、ヒローカ・ティエラは冷然と言った。クネセト兵吏長はその彼女にくってかかる。 「小娘が、知ったようなことを!」 「私だけでなく貴方も、戦は初めてでしょう? 同じ初めての者同士なら、闘神アシュラに仕える私の方が、戦について、より知っていてもおかしくはない筈」 「侮辱するか、小娘! 戦が初めてなのは貴様だけだ! おれは……」 「まあまあ皆さん、落ちついて下さい」 最年長であるジャエタ邑宰が割って入った。 「こんなところで仲間割れしていてどうするのです。我々の任はホーズ攻略です。その一番の大任を、レディア本軍でもタイテでもなく我々に任せている、これがどういうことであるか、知らないあなた方ではないでしょう。この場は皆さんお引きください」 道理である。不満そうな顔をしつつも、皆自陣に引き下がった。 「まったく、困った連中だよ」 ティエラは神官や部下達に向かってぼやいた。 「本軍のティドゥアとかクティスとかいった連中がまともそうだったから、私はレディアに味方したんだけどね。こっちの指揮官といったら、賊上がりのクネセト兵吏長、バブな女、やる気のないパーレビ邑兵長、できることは仲裁だけのジャエタ邑宰。こんな連中と一緒に戦わなきゃならないなんて、私は気が重いよ」 「でも、それだけ活躍の余地があるってことですよね」 カーク・アシュヴィンは明るい声を出した。銀の髪と琥珀色の左目が、篝火に照らされてきらきらと輝いている。 「そうだけど」 ティエラは大きく溜息をついた。 「それも、奴らが先走らない限り、って条件付きなんだよね……」 その懸念が現実にならなかったのは幸いであった。 「貴公の読みが図に当たったようだ」 翌朝、ティドゥアはクティスに向かって笑いかけた。 「罠によって戦力にならなくなった者二百人余、ホーズ軍は前後に分断され、現在、点呼と隊伍の建て直しをはかっている」 「少し早いが、ホーズ攻略にかかってもいいでしょうね」 「何より、別働隊がしびれを切らしている頃だろうしな」 ティドゥアは即刻伝令を飛ばす。 「さて……、こちらはもう一度罠をしかけるか」 「かかってきますかね?」 クティスは首を傾げた。 「かかってこなくてもいい。もう一日、引きつけておければいい」 「そうですね。ホーズが陥ちるまで……」 「ようやく我らの力を示すときが来た!」 クネセト兵吏長の銅鑼声が響きわたる。 「あ、馬鹿が何か言ってる」 ティエラはぼそっと呟いてそっぽを向いた。クネセト兵吏長には聞こえていないが、ティエラの部下たちにはつつぬけである。アシュヴィンをはじめとする側近たちはこらえきれずくすくすと笑いだしたが、ティエラの一瞥をくらって沈黙した。 「力を示すだの何だのは考えなくてよろしい」 ティエラは全く反対のことを言う。 「ただ、一般民衆には被害を与えないこと。略奪は厳禁。あとは無理も禁物だ。敵わない相手とは戦わないこと。これを守らない者には、アシュラの加護は与えられぬものと心得よ」 「涼解!」 ティエラの率いる軍は二百人ばかり、決して数として多いとはいえない。だが、ティエラのもとによく統率されているという点においては、他邑の軍に冠絶していた。 ヤジィ邑兵長の命は単純である。「戦ってこーい!」ただそれだけだ。 パーレビの邑兵長はティエラの軍の後についてきている。他邑の戦い方を見て最も効果的なものを真似しようとの考えらしい。 ジャエタ邑宰は自軍──といっても五十人ばかりの部下に守られ、最後尾をついて申し訳程度に戦っている。 ホーズ突入から一刻半あまり。たったそれだけで、ホーズは、レディア別働隊の手に落ちた。 ホーズ邑宰邸に真っ先に踏み込んだのは、ティエラの隊であった。ホーズ残留部隊千のうち半分、五百ばかりが詰めていたのだが、ティエラ率いる精鋭たちにあっという間に薙ぎ倒され、全員が捕虜となった。 「さて、残りはお前さんだけだが」 ティエラとアシュヴィンに左右から剣を突きつけられたホーズ邑宰は目を白黒させた。 「な、何ということだ。我が軍五千は……全滅したというのか?」 「今頃はレディアの本隊と戦っているだろうな。だがホーズ邑宰、お前の負けだよ。軍がもし残っていたって、お前はこうして虜囚になってるわけだからな」 アシュヴィンは懐から縄を取り出した。ホーズ邑宰は慌てた。 「わ、わしはどうすればいいんだ。レディアの王制を認めれば、命は助けてくれるのか? あ、ああ、お前さんたちはレディアの人間ではないのだろう? このホーズの兵吏長の位をくれてやる。それとも邑宰丞がいいか? 金銀財宝でもいいぞ……」 「何を言ってるんだろうね、こいつは」 ティエラは冷たく言った。 「アシュヴィン、こいつを椅子に縛りつけてやってくれ。ああ、右手だけは自由にしといてもらおう。文書を書いてもらわなきゃいけないからね。口は特に厳重に縛ってくれ」 「分かりました」 アシュヴィンは嬉々として縄をかけた。ホーズ邑宰はなすすべもなくおろおろしている。 「わ、わしはこれから一体どう……うぐっ」 「うるさいじじいだな。少なくとも死ぬことはないぜ。安心しな。……ティエラ様、これでいいですか?」 「ありがとう、アシュヴィン。さーて、じいさん、私の言うとおり書簡に書いて貰うよ……」 「何で戦わないんですか? 戦うために来たんですよ!」 「まあ、落ちつけ」 クティスはディールの肩を掴んで座らせた。 「いいか、戦争とは勝つべくして勝つものだ」 「何ですか、それ」 「『闘神経』第一巻序章、巻頭言だろうが。お前もアシュラ神官である以上、読んでないとは言わせないぞ」 「そうじゃなくて、どうしてその言葉をここで言うのか、って訊いてるんです」 「だからな、戦わずして勝つのが最上の戦争だ、ってことだよ」 「納得できません! だったら、何でアシュラの神官は必ず剣を修めるんですか?」 「剣が必要な場面で勝てるように、だろう。使わずに勝てるなら、使わない方がいいに決まってる」 「それは、クティス司祭が強いから言える台詞ですよ。剣で勝てないと、それ以外のものでだって勝てないじゃないですか」 「そうかな」 クティスはディールの横に座った。 「いいことを教えてやろうか。俺に勝とうと思ったら、剣を修める必要はないんだ」 「えっ?」 「俺を倒そうと思ったら、俺に水を見せればいい。川でも、沼でも、湖でも、海でもいい。それだけで勝てるさ。それが一番手っ取り早い方法だ」 クティスは額をぬぐった。もう空の月も終わりに近いというのに、大粒の汗が浮いている。 「俺は、剣刃を撃ち交わして命のやりとりをするのを怖いと思ったことはない。戦うことは好きだ。だがそれでも、どうにもならない弱点というものはある。……ディール、俺の言っていることがわかるか」 ディールは頷いた。クティスは続けた。 「軍の場合は、指揮官と本拠地、それに糧食。この三つは必ず弱点になるな。戦争とは軍と軍とが争うことだから、この三つの弱点のどれかを突けば、兵をぶつけあう必要はなくなるわけだ」 「今回は、すでに邑宰とホーズ邑そのものを押さえた……だから、戦う必要はない、ということですか?」 「そうだ。……物わかりが良くて助かるな。他の者たちもこうだといいんだが……」 クティスは笑い、ややふらつきながら立ち上がった。 「……大丈夫ですか?」 「ああ。大したことはない。戦の最中に倒れてるわけにはいかないだろ。……それに、ニンラー・イーナがディールよりも物わかりがいいとは思えないしな」 「?」 「自分が負けたって事を理解できないだろう、ということだよ」 「じゃあ、戦えるんですか?」 「実は、その可能性はかなり高い」 クティスは鎧の紐を締めなおし、剣帯を少しゆるめた。 「いつ戦いになってもいいように、準備しておいた方がいいぞ」 「だったら、何で私にわざわざあんな話を?」 「……」 クティスは振り返って笑うと、伝令を呼び集めた。 『ニンラー・イーナよ。私はすでに虜囚となった。この上に戦う理由はない。武器を捨て、レディア軍に投降してくれ。みすみす兵たちを死地に追い込むのは忍びない』──だと、あの老いぼれ邑宰めが!」 イーナは悪態をついた。 「私はまだ戦っていない。従ってまだ負けてはいない。五日中にレディアを破ったら報奨金を出すとかぬかしおって、まだ三日目ではないか。投降する必要を認めない。私は戦う!」 「し、しかし、もしこの戦いに勝ったとしても帰るところはないのですよ?」 こう言って止めようとした部下もいたが、イーナの一睨みであえなくそれも挫かれた。 かくして決戦は行われた。レディア軍中軍四千対ホーズ軍三千五百弱。ただしこの数字には辛うじて戦える程度の負傷の者も含まれているし、ホーズ軍の士気は極めて低い。戦う前から勝敗は決まっていた。 「抵抗しない者とは戦ってはならん」 ティドゥアもクティスも、この命を徹底させており、また合戦中も大声でこれをふれ回らせたので、ほとんど戦いらしい戦いはなかった。ただ敵将イーナの弓によって多くのレディア兵が傷ついたが、結局ティドゥアの一矢がイーナの右腕を貫き、イーナは虜囚となった。 こうしてレディア対ホーズの戦は終結した。ツァン族居住地域内での邑間戦争としては独立以来始めてのものとなったこの戦は、後世、「十一邑の戦い」と称されることとなる。 戦いの勝者であるレディアは、ただちに全ツァン族の邑にむけて、レディア王の傘下に入るよう使者を送った。 同じく独立暦四〇〇年空の月、ウィルドでクーデターが発生したが、遠いレディアの地には、その余波はまだ届いてこない。 そして、南の地に氷雪の季節がやってきた…… |
「クティス司祭が到着しました」 神官からの報告を受けて、バス司祭ヒローカ・ティエラと護衛のカーク・アシュヴィンはホーズ北門方面へと向かった。空を仰ぐ。春霞のかかった、やわらかな色の空だ。アシュヴィンの銀の髪が微風になびいてきらきらと輝くのを見やって、ティエラは眩しげに手をかざした。 「お久しぶりだ、バス司祭ヒローカ・ティエラ殿」 アシュヴィンは顔を上げた。まだクティスとの距離はだいぶある。大声とは言えぬがよく通る声だった。 「……少し、痩せたか」 横のティエラが呟いたような気がして、アシュヴィンは横目で見た。ティエラの表情は明るい。気のせいだったのだろうか。 「お互い壮健で何よりだ。タイテ司祭ノクール・クティス殿」 負けじと大声を出す。クティスは微笑したようだった。その脇にはこの前の神官の少女がいる。軽く手を挙げると向こうも返事を返してきた。 ティエラと共に歩き出しながら、これまでのことを語り合う。ティエラにはいちおう補佐官としてレディアの内政官と兵吏長から派遣された吏が一人ずつついているのだが、補佐というより牽制と報告を主な任としているふしがあって、まったく役に立たない、とティエラはこきおろす。 悪口雑言という点ではティエラに敵う者などおるまい。まさに立て板に水、すらすらと言を連ねていくのを、リーフ・ディールは感心して見ていた。 二人が語った内容を報告書にしてレディア王邸に届けたのは、ディールとアシュヴィンである。別に面白くもないことを根ほり葉ほり聞き出され、いい加減厭になってきた頃に解放された。 「やっと終わりましたね……」 「まあな」 アシュヴィンは軽く返したが、彼がレディアに来た目的は、ただの「おつかい」ではない。レディアの邑内を見、ティドゥアやウォルカーズの統治能力を見きわめるのが、彼の第一の使命である。だからこれまでの会見などはただの余興に過ぎない。歩きながらちらちらと右を左を眺める。主道の除雪の行き届き具合は気に入った。無論バスでも雪かきぐらいする、しかしこれほど広い街の中をきっちり隅から隅まで管理するのはなかなか難しかろう。もっともそれが邑単位から「国」という単位へ移行したとき、どれほど有効かという点は未知数だが。 二人がそのまま歩いて行くと、やがてアシュラ神殿の赤い屋根があらわれた。相談したわけではないが、当然のこととして足がそちらへ向く。門を入り、会堂を抜け、神像の安置してある鑑間に行く。司祭衣を着た、老年にさしかかろうという男が簡に筆を走らせていた。 「レディア司祭様ですか。私はバスの神官……」 司祭はとたんに機嫌の悪そうな目の色をしてじろと一瞥した。 「あの小娘の部下か。お前さんもかね」 ディールはあわてて否定する。 「いえ、私はタイテの神官です。リーフ・ディールといいます」 「そうか、クティスの……」 バスの名を聞いた時とは正反対ほどに違う声を出した。筆を置いて立ち上がる。ひどく上背があった。 「クティスはまだ生きているか?」 見下ろすようにして問う。ディールは首をかしげた。 「まだ……って、とっても元気ですけど……」 「そうか、元気か」 つぶやき、神像を見上げる。 「クティスは昔、儂の門下だったでな。……ならば、よいが……」 ユード・ナティという人物がいる。ウィルド初代邑宰。一弦琴をあるいは楽器とし、あるいは弓と使って独立に尽力したツァン族の戦士である。独立成った後は一つの邑の宰となり、新しい秩序づくりに奔走して一生を終えた。ウィルド邑こそがツァン族における「独立戦争」の中心地であり、ツァン族が他の五種の民と似た邑制を打ち立てることができたのは、すべて彼女の功績といってよい。 しかし、時の流れはそんな誇るべき歴史も記憶の砂のなかに埋めてしまっている。四百年の時を経て再び訪れた戦乱の中で、まず動いたのはウィルドではなくレディアであった。四百年前は時を動かす力となり得た大邑も、硬直の時があまりに長かったゆえに時代に即応できる反射能力を失っていたのだ。 大樹は死んだ。そしてその屍から、新たに若枝が芽吹こうとしている。一つはかつての繁茂を取り戻すべく。もう一つは、まったく新しい流れを作り出すべく…… 「どうやら、ツァン族というものは女が強い部族らしいな」 ユード・ナティの像を見上げ、ヴァル=ヴァロヌは苦笑する。この伝説の戦士もそうだし、今世の戦乱に真っ先に口火を切ったレディア王も、それにウィルドの新邑宰も女だ。祖神である神将ツァーラも、神王アシュラも女だから、まさに女系部族と言っていいだろう。 (だからこそ、私の活躍する余地もあるというものだ) そしてウリクル邑に来た。小さい、と思わず呟いてしまったのは、彼の罪ではないだろう。九万都市のウィルドと比べては、ほとんどどこの邑だって小さく見えるに決まっている。彼の場合、別に侮蔑の意はなかった。小さいなりに整っていて、なかなかいい邑だと思う。 そして邑宰もまだ小さい。小さいなりに聡明で、自分のやるべき事をよくわきまえている子だと、邑宰一族の者であり客分であるウリクル・ラマジャの口から聞いていた。会うのはこれが初めてだが、周囲の者がやたらと奉るのも分かるような気がする。 「ヴァル=ヴァロヌ殿。お初におめにかかる。僕がウリクルの邑宰のウリクル・カルタス。あなたの評判は聞いている。軍を動かすのがじょうずで、とくに奇襲の天才だと」 しかし、評判、の一語を聞いたとたんにヴァルは不機嫌な表情をつくった。 「……僕は、なにか気に障るようなことを言っただろうか」 心配そうに邑宰丞に問うカルタスに、ラマジャは笑いかけた。 「さにあらず。この男は兵馬の事のみならず、政治、軍事、すべてにおいて自分は天才であると公言してはばからぬ男です」 「その天才が、ほんとうに僕などに力を貸してくれるのか」 澄んだ飴色の瞳を向けられて、さすがのヴァルも表情を崩した。この少年が本心から私の力を望んでいることは間違いない。それがどういうことなのか認識しているのかは別としても。 「天才ヴァル=ヴァロヌ、持てる力の全てをもってお仕えいたす所存です。が、私はまだこのウリクル邑について充分な知識を持っているとは言い難い。まずは、このウリクル・ラマジャの軍師としていただきたい」 そしてヴァルは胸を張り、朗々とした声で吟じるように指針を述べていった。まず、国を富ませるにはどうしたらよいのか。金のかからない方法からいくと、徹底した人材管理と、身分・人種の隔たりのない人材登用。信賞必罰こそ国の根幹であること。それに新兵器の開発の要に至るまで。 「わかった」 少年は目をいっぱいに見開いて聞いていた。ヴァルの話のどこまでを理解したのかは分からない。だが今回のところはこれでよしとすべきだろう。受け入れられれば留まり、受け入れられなければ去る。それだけのことなのだから。 レディア兵吏長ツィーゼ・ウォルカーズは、春が深くなっていくにつれてますます活発に活動している。先の戦いで翼下に加わった邑に関をつくり、通行者を管理するために吏を派遣する。しかし邑政に関してはほとんど口出しはしないものとし、各邑の独立性を尊重する。ホーズはバス司祭ティエラに任せ、ホーズに味方した邑にはタイテ司祭のクティスに処理をさせた。 「レディアより南方はほとんど押さえたな」 書類に目を通しながら、ツァン・ティドゥアは言った。 「問題は北だな。初めから分かっていたことではあるが」 壁の地図を見る。 「ウィルド周辺からは返事はまったくなし。まあ、仕方ないでしょう。ダンダカはアシュラの大神殿の勢力が強いですから、兵に関してはどうとでもなる。ラヴェドはどうともつかないですね」 「戦えればどうでもいい、ってとこも結構多いと思うぞ」 珍しく王廷に出てきたスィラーナはそう言う。そりゃ自分のことだろ、とティドゥアは言おうとしてやめた。世の中には結構姉のような無茶な人間も多い、ということに気付いたのである。 「もう少しすれば完全に雪が消えて馬が出せるようになる。それからが勝負だな。 ──ウォル、お前の予測は?」 「そうですな」 ウォルカーズは地図を指さした。 「ウィルドの護邑がウィルドを叩くのは自明ですが、そのときラヴェドがどちらに味方するかが今後の鍵を握っていますね」 「我々の介入する余地は、あると思うか?」 「ラヴェドの味方しなかった方、ですな。または、理のある方。勢いのある方でも良い。ウィルドを制する勢力と仲良くすることです。その為には、恩は高く売った方がいい」 「出るっ!」 スィラーナが叫んだので、ティドゥアは思わずとびのいた。 「あのな。姉ちゃん……」 「次こそは出るぞっ。戦に出させろっ」 「分かった、分かったから」 ティドゥアはおしとどめ、大きくため息をついた。 |
ウリクル邑は小さい。小さいながらにまとまった良い邑だ。しかし、ウィルドに立ち向かうにはやはり小さすぎる。他邑との同盟が不可欠だ。 「私はレディアとの同盟を提案したいと思う」 「理由は?」 ウリクル・ラマジャが問うた。 「どうやらラヴェドはウィルドと手を組むらしい。向こうには大邑がついた以上、もうあちらと手を組むことはない。それだけ存在意義が薄れるからな」 ウリクル邑の使者を迎えたスィラーナは、二つ返事で「行く」と言った。ティドゥアが止める間もなかった。 すぐに軍をまとめて出る。その先頭にはスィラーナが馬を立てていた。ティドゥアは嘆息した。 すぐに戦が起こるわけでもあるまいに。その間、どこでどうやって糧食を手に入れるっていうんだ。 カーク・アシュヴィンは、ウィルドの募兵隊の中にいた。 刺すような鋭い視線を複数感じながら、大きく伸びをする。 自ら望んだとはいえ、さすがに少々肩がこった。彼はティエラと大喧嘩をしてレディア同盟軍から抜け出した、ことになっている。見え透いた芝居であり、彼の異相──トゥーの髪にツァンの肌、左右で異なる瞳の色──も、あからさまに怪しさを演出している。だからウィルドの疑いの目はアシュヴィン一人にひきつけられ、レディアの他の間者への配慮がおろそかになるだろう、というのが彼の考えだった。 長身の彼が、ほいほいとよく動くおかげで、ウィルドの間たちは完全にこちらの思うつぼにはまっていた。今も少なくとも五、六人の間者がアシュヴィンの挙動を監視している。気づかぬふりをして、彼は先輩の募兵からウィルドの地形について聞き出していた。しっかり、頭に叩き込んでおく。どうせ重要な機密までは知らぬだろうが、中枢の人間の性格や人間関係などを知っておければ、無駄にはならぬ筈だ。 (成程な、レディアも動き出したのか) ウリクル邑の間が、その様子を眺めていた。 彼の任は、ウィルド邑宰丞に就任祝いの反物を届けることであった。それをどう使うつもりなのかは、彼には知らされていない。いぶかしげな顔をしつつも、クロトワ邸の門番は反物を受け取っていた。その後は募兵に紛れ込んでいる。 ヴァル=ヴァロヌとウィルド邑の高官が内通している、という噂が流れ始めたのは、それからまもなくのことだった。するとあの反物は、じつは連絡のための書簡であったのかと、その頃になってようやく気づいた。 それすらもヴァル=ヴァロヌの計の一環であったことを、彼は知る由もない。 まもなく彼はウィルドの衛兵に捕縛された。 「わたしがウリクル邑と組んでいるなどという無責任な噂を流したのはおまえか」 と言うところをみると、この男がウィルド邑宰丞クロトワその人のようだった。間は覚悟をきめた。 「巷間で流れている噂では、この邑の高官というだけで、名を出してはいなかった。それでも俺を捕らえるとは、心当たりがあるということなのか?」 彼は確信していた。内通の事実を隠すために、クロトワは間ひとりを犠牲にして、策を達しようとしているのだと。 「だったら、ウリクル邑宰にお伝え願いたい。この命はあなたに捧げます、と。ウリクル・カルタス様が、ウィルドの新たな主とならんことを……!」 言うなり、彼はひとことナタの神語を唱えた。彼の身体が痙攣し、取り押さえていた兵が慌てて引き起こしたときには、男はもう死んでいた。 「何を言っているのだ、この男は」 クロトワは首をかしげた。送られてきた反物の中から、ナーガの神語で書かれた内通書が出てきた。ウリクルの手の者が自分を陥れようとしているに違いない、そう思ったから捕らえたまでで、本当に心当たりはないのだ。だから勝手に何やらほざいて勝手に死んだな、と思っただけだったが、兵や側近たちにとってはそうではなかった。 彼らはこの男の真剣な眼差しを見た。この男の潔い死に様を見た。クロトワは何もなかったかのように振る舞っているが、実際はウリクルに通じているに違いない、と彼らは固く信じたのだ。 策は成った。上層の人間で、挙兵前よりクロトワと主に行動していた者たちはそんな噂は歯牙にもかけず、くだらない、と一笑に付していたが、そうでない者たちの間には、「クロトワ内通す」の報が、間の死に様と共に、広く流布しつつあった。 先のホーズの将であったニンラー・イーナは、ティドゥアの矢によるものの他にも数か所の重傷を負っており、療養中であったが、そろそろ体力も回復したらしく、監禁してあった室の窓を破って脱走した。ホーズ攻略が目的であることは明らかだった。 その数日後、果たしてイーナは軍を率いて姿を現した。 ホーズ旧邑宰軍八百。対しタイテの兵四百にバス百六十。数的にはこちらの方が少ないが、あちらは将はニンラー・イーナひとり、こちらはクティスにティエラと、レディア同盟邑きっての名指揮官が揃っている。 日の出とともに、クティス・ティエラの両軍は旧ホーズ軍の両翼へと襲いかかった。ホーズは最初は勢いに押されかけたが、すぐに反撃に転ずる。クティスとティエラは、すみやかに軍を後退させた。ここでティエラの軍に攻撃を集中されたらひとたまりもないところだが、将が一人しかいないゆえの不自由さ、旧ホーズ軍はほぼ半分ずつに分断された。狙い通りの動きだ。クティス・ティエラの軍はまた矛先をそろえて攻撃にかかる。 「さすがですね、クティス司祭!」 リーフ・ディールは息をはずませて剣をふるう。 「ディールこそ、ずいぶん剣さばきがうまくなった」 と言いながら、ディールの背後の敵を剣の一閃で斬り払う。 「俺は最前の方へ向かう。ディールはこの辺で適当に戦っていろ。無茶はするなよ」 「分かりました」 馬がある分、彼は他の者より目立つ。攻撃が集中されやすくなる──が、たくみにそれをかいくぐって、彼は旧ホーズ軍のただ中に躍り込もうとしていた。できうるならこのまま中核まで行き、敵将ニンラー・イーナを倒す。ティエラにはそれは望めない。五対二の兵数差では、さすがに無理だろう。 そう思いながら馬を駆っていると、目の前をふいにひとすじの光が通り抜けた。 「……?」 目の前が揺れた。陽炎のように──いや、水のように。ゆらりと光がゆれる。息が詰まった。咽をおさえ、無理に息を吸い込もうとすればするほど、気管は締めつけられ空気を拒む。 声が出ない。息ができない……それ以外の七感は瞬時にして消失し、肺が水に冒される錯覚が、彼の意識の全てを支配した。 無意識のうちに馬の背に突っ伏し、戦場を離脱しようとする。兵たちは何が起こったのか分からず呆然とし、あるいは自分の戦いに必死であり、追いかけようとした者も阻まれた。ディールが気づいた時には、もうクティスの姿は見えなかった。 強く地面に叩きつけられる感覚があったが、まるで他人のもののように実感がなかった。ひどいめまいと吐き気がする。起き上がりたくない。起き上がることができない。 一体、何が起こったのか──考えたくもなかった。怖い。理由もなく、考えるのが怖かった。このまま、死んでしまえばいい。そうすれば、考えなくて済む。 「死ね!」 振り下ろされた剣を避けようともしなかった。言葉も剣も、知覚されていなかった。だが首筋を狙った剣は大きくそれて、肩口から胸の前を大きく抉った。 「クティス司祭!」 その声と鮮やかな痛みが、意識を引き戻した。剣を抜いて身体を半転させ、目の前の男の焼けただれた右手を斬り落とす。 「ディール……無茶をするな……!」 数十人もいる敵にたった一人で立ち向かおうとしている少女の姿。クティスは反射的に立ち上がった。鮮血が散る。自分の血と、敵兵の血と。そして炎の赤。 「クティス司祭……やめてください! ご自分の治療を先に…」 「そんな暇があるか!」 呶鳴りつけ……一瞬、身体をびく、と震わせる。動けるはずがないのに──なのに、次の瞬間には、剣を滑らせている。斬り裂き、薙ぎ払いながら、高らかにアシュラの神語をつむぐ。 「火炎城にいます我が神王……炎の闘神、天を裂き地を制する者…黄金の炎よ……我に力を!」 赤い熱気が、クティスの周囲を取り巻く。轟音をたてて鮮やかに光を放つ炎に包まれた彼は、ディールには神の彫像のように見えた。掌上には炎の塊が浮く。輻射熱が、彼女の顔をあぶった。 「ディール、護符に祈れ!」 はっと気づいて、懐のものを掴む。とたん、周囲の全方向へ向けて光が走った。火炎が土を焦がし、風を焦がし、敵兵とそして樹木を残さず黒焦げにする。その中でディールはただ一人無事だった。炎が、彼女を避けて通ったようだった。凄い──すさまじい威力だ。今のディールにはとてもとても出せない。 「司祭……!」 ディールは駆け寄った。クティスは焦げた樹木に背をもたせて座り込んでいる。顔は俯いていて、そして、身動きひとつしない。ディールは胸に手をかざし、神語を唱えようとする。その腕を、そっと掴まれた。 「司祭……」 「……無駄なことは、やめたほうがいい」 「でも……」 「いつか、こういう馬鹿馬鹿しい死に方をするんじゃないかと、思っていたよ……」 胸の服地をきゅっと掴み、そしてしたたり落ちる赤い滴を見てくっくっと嗤う。 「何故だろうな……こうやって色がついていれば全く平気なのに…幻影でさえ……俺は……」 「治させてください」 手を振り払って、掌を傷の上におく。力を失った腕が、草の灰の上に落ちた。 「俺は、証明したかったんだ。自分が無力な存在ではないってことを。だから、がむしゃらに剣と術の修行をした。兵法も修めた。……だけど、それはやっぱり無駄だったな……」 「そんなことはありません!」 ディールは激しく頭をふった。 「クティス司祭は充分強いです……私、クティス司祭に会ってからずっと、司祭みたいになりたいって思ってました。司祭みたいに、優しくて強い人間になりたいって……」 ディールの力で、少し傷は小さくなっている。しかし、失血が多すぎた。 「司祭……!」 必死に、神語を唱える。何度も何度も── 「……そんなに、俺に生きていて欲しいか」 クティスが呟いたような気がした。 「これで死ねる、と思った。やっと死ねる、と……苦しくなくなる、って……俺は……死んじゃ、いけないのか……?」 瞼は閉じている。ディールは手を拾って握りしめた。冷たい。呼吸も止まっていた。なのに声は聞こえる。 「戦う者にしか勝利は得られない。逃げる者は自らを貶めるのみ。戦う者は、たとえ負けたとしても、戦ったというそのことだけで価値があるのだ──『闘神経』第五章です」 ディールは言った。 少し間があった。 「……そうだな。君の言う通りだ」 苦笑ぎみの声がした。 「君に渡した護符を、俺の首にかけてくれないか。もう手遅れかもしれないが、やってみる価値はある」 言われて気づいた。声は護符から聞こえてくる。 「はい」 ディールは護符の紐をほどき、首にまわした。胸にかかった護符の、紋の辺りが赤く発光し始める。それは次第に明るくなり、クティスの身体に吸い込まれていった。 激しく咳こむ。身体が揺れ……前に手をついた。 「大丈夫ですか?」 とっさに支えたディールは、クティスがきれぎれに神語をつぶやく声を聞いた。今度は間違いなく、声として発された声だ。 「我が、神王…………黄金の炎……我が…を………」 パシッ、と乾いた音がして、護符が砕けて散った。ディールは思い出した。レディア司祭は、クティスはまだ生きているか、とディールに訊いたのだ。 「クティス司祭……」 「……大丈夫だ。……少し、回復したから」 苦しげな息づかいだが、少なくとも瞳に浮かぶ光は穏やかなものに戻っていた。 「心配かけてすまなかったな、ディール。……大丈夫、少し混乱してただけだ。傷も、ちゃんと塞いだから……少なくとも、死ぬことはない……」 「よかった……」 「だから…少し、寝んでいいか? ダメージが…大きくて……」 「寝るのは帰ってからにしてくれ、クティス」 背後から女の声がした。バス司祭が立っていた。返り血を浴びて、彼女の戦布も赤黒く染まっていた。 「要するに、ホーズ軍はどこからかクティスの弱点を聞きつけて、幻影で攻撃してきたという訳か」 「そうだと思う」 クティスはまだ寐上にいる。大量の失血をみ、気を使いきり、一度離れた魂を無理に引き戻したうえに、護符の力の最大効力を一気に体の中に入れたため、いろいろと術的に不整合な状態にあるらしい。素人でもわかるところでは、とりあえず体温調節がうまくゆかず、日によって高熱だったり低体温だったりする。 「証拠はないがな。術者は多分、俺が倒した中にいたんだろうが」 「申し訳ない。レディア司祭に聞いていたのに、何の配慮もしなかった。おかげで、みすみす死なせるところだった」 「ティエラの責ではない」 クティスは大きく息をついた。頬が赤い。瞳の色が充血によらず赤く濁っている。呼吸が速く、表情がややぼうっとしていた。 「俺の弱さのおかげで、多くの兵を危険にさらしてしまった。相方の将がティエラでなければ、きっと我が邑の兵は全滅していただろう。……感謝している」 ティエラは旧ホーズ軍の陣を斬り破って敵将イーナを討ち、そのまま真向こうのクティスを救いに駆けつけたのだ。戦は一応勝った。レディアにはクティスは負傷したとだけ報告してある。 回復すれば、再び戦場に立つことはできるだろう。だが同じ事が起こったらどうするのか。 「それでも、戦わなければならない、か……」 『闘神経』第五章。 生き続ける限り、戦いは続く。それがどんなものであれ、立ち向かっていかなければならない……ということか。 「今回は、ディールに教えられたよ。……俺は、理想の神官像を演じていたかった。それが、俺自身も変えてくれることを期待した……でも、ディールはそんなことを期待してたわけじゃない。俺にただ、生きろと言った……」 ティエラは笑った。 「あの子は、クティスのほんとうの強さを知ってるんだ。強さってのは、ただ押しが強いことじゃない。弱さも受け入れて、そのうえですべてに立ち向かっていけることを強いって言うんだ。そういう意味では、私はクティスには絶対かなわないと思ってる」 弱いが故の強さ。 それが、ほんとうの強さなのかもしれない。 |
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