会誌-「ザラスMCPG 諸英伝」
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ナルス。人界のあらゆる場所に、強靭な生命力をもって適応し、住まう種族。 人間、という字が当てられる。 ナルスには、メールのような圧倒的な強さもなければ、シャルのような冷徹な頭脳もない。トゥーのような器用さもなければ、ツァンのような軽捷さもない。ましてやナーラダのような底なしの気力もない。ただ一つ、他種族に負けぬものがあるとすれば、それは強運である。 「神人たちには戦をさせておけばよい。我らナルスは、金と情報を武器とし、物資を我が手に握り……そして、それを使おうという所に高く売る。そしてまた金を得、物資を握り……」 そして、セルフィアーを掌の内に。 灰色の瞳をした少年は、そう呟いた。 「セルフィアーを掌の内に収める、か」 純白の衣を着た少女は、くすくすと笑った。 「面白いことを言うのがいるじゃないの。これ、どこの誰の発言かしら」 「エイラ姫」 同色の衣をまとった侍女のような女性がたしなめる。 「わが蜘蛛会の大事な情報網を、遊びに使うものではありません」 「遊びなんかのつもりじゃないわ。わが蜘蛛会にとって、有為な人材の発掘をしてるのよ」 「とか何とかおっしゃって、また男探しをなさろうと!」 「この間のあれは……、たまたま声かけたのが男の子だっただけじゃない」 「姫!」 女性が大声をあげたとき、紫の正服に身を包んだ青年が入ってきた。女性はひとつ咳払いをし、少女は真面目な顔をつくる。男はにこりともせずに一礼した。神官たちはすぐに部屋から出ていった。 「非常に重大なご報告で……」 「そうじゃなきゃ、人払いなんてしないわよね」 「事はセルフィアー全土を揺るがすほどの……」 「そうでしょうね、でなければあんたみたいなつまんない男の顔なんて、見たくないわ」 男は困ったような顔をした。まったく、ここで気の利いた答えの一つも返せば、私も蜘蛛会の会堂に移ってあげるのに。 「用件をさっさと言いなさいよ」 「は、では申し上げます」 その前置きがよけいなのよ、と毒づく。だが次の言葉を聞いた瞬間、エイラはとびあがった。 「ウォウル邑宰が王号を称した、ですって?」 「はい、そ、そうです」 「何てすばらしい!」 「は?」 エイラの意外な反応に、男は面食らっている。このわがままな「姫君」は、絶対に怒り狂うだろうと思っていたのだ。 「素晴らしいわ! 男はそうでなくっちゃ! ね、ウォウル邑宰って、美少年なんでしょう?」 「は、そうと聞き及びますが……」 「肖像をもってらっしゃい。実物と寸分違わないのを、もちろん特注でね。一週間以内にそれを私の私室に飾っておいてくれたら私、会堂に移ってもいい」 「は、はい、すぐにそう致します」 男はそそくさと出ていった。肖像一枚で「姫君」を動かせるのであれば、いくらでも手は打つつもりであった。 「会長丞との会見の後にしては、ご機嫌が異常によろしいですね」 神官たちがいぶかしむほど、エイラは上機嫌であった。 「まあね」 エイラも多くは語らなかったが、先刻の女司祭にだけは密かに命じた。 「さっきのあの発言をした人を連れてらっしゃい。すぐに」 情報を持ってきた間諜がまだ神殿内にいたので、その者を手がかりにすぐにその呟きを洩らした者を掴まえることができた。 「ナタ大司祭がお呼びです。お急ぎでなかったら、少しお立ち寄りいただきたいのですが」 口調は丁寧だが、これは強制である。少年は首を傾げた。ナタといえば、間諜と舞踏の神。商売の神のクベーラなら分かるが、ナタ大司祭がなぜ自分を呼ぶのだろう。ナタ大司祭といえば若い美女と相場は決まっているが、まさか取って食おうというわけでもあるまい。 「こちらです」 最奥部の部屋の中央にあつらえてある舞台の上に行儀悪くこしかけた少女は、たしかに噂通りの美しさだった。暗褐色の大きな瞳、ほっそりとした肢体、結い上げたつややかな髪。しかし型どおりの賛辞では済まされぬような剣呑な気配が感じられる。 「あなたね、セルフィアーを掌の中に収める、とか言ったの」 どこから入った情報だ、と言うも愚かである。思い出した。彼女は確か、蜘蛛会の会長をも兼任している。それで情報をつまみ食いしていて、僕を知ったのか。 「ええ、確かに言いました」 「本気で、そう思っているのね?」 「勿論」 ユタは即答した。 「元手と、機会さえあれば」 「機会は今よ」 エイラは囁く。ユタは耳を疑った。これは、情報を漏らしてくれているのか? 僕などに? ユタの微妙な困惑を感じとって、エイラは補足した。 「この情報はすぐ洩れるわ。だから詳しくは言わない。ウォウルへ行きなさい。ウォウルで、武器と食糧を売るのよ。元手は私が貸すわ。いずれ、何倍にもして返してもらうけど、確実に儲けられるネタよ」 「姫……!」 司祭は止めようとしたが、エイラの一瞥で反論を封じられてしまった。ユタは言われる通りにするしかない、と腹を決めている。 結局、司祭も押し切られ、ユタに神殿の財を貸し与えた。 これが、ユタにとって吉と出るか凶と出るかは、まさに神のみぞ知る、というところであった。 |
商人の一団の中に、一人だけ異様な男がいた。漆黒の髪に黒い服、少しだけのぞく手と顔は濃い褐色をしている。瞳は薄い金、全体として黒豹のような野性的な雰囲気を漂わせている。 普通のセルフィアーの人にはありえない体色だ。 彼はナルスである。だが神人が部族ごとに異なる容姿を持つように、ナルスにも部族がある。セルフィアーに生きるナルスは単独部族だと信じられているが、彼──キシン・スルタンの出身の邑は違った。 サイダバード。あまり有名な邑ではない。ほんの百五十戸ほどで構成され、その邑に住む人はみなスルタンと同じような体色をしている。顔立ちも「異国」風だ。 彼らの故郷は海の向こうにある。もちろん、彼ら個人が生まれ育ったのはこのセルフィアーであるが、セルフィアーの人々が自らをこの地の守護神たちの子孫なり従者なりと自覚しているのと同じように、サイダバードの人々は自分たちの祖先の住んでいた土地を懐かしみ、いつか帰れる日が来ることを待ち望んでいる。 海の向こうにはレマリスという名の大陸がある。サイダバードの人々の故郷は、レマリス東大陸の南方、セルフィアーに最も近いグリターチー半島にある大砂漠ラミニースである。 砂漠の民であった頃の記憶をとどめおくため、彼らは水と闇とを重んじる。その証が、彼の黒衣に現れているのである。 セルフィアーの地に、独立戦争以前に栄えていた帝政チェリア朝。その文明は、今セルフィアーの地を覆っている文明とは大分異なったものであったらしい。チェリア朝時代の遺跡の多くは独立戦争後に創師やディヤウス神官の手によって封印された。圧制の象徴であり、圧制をもたらした力の根源でもあり、軽々しく人が手にしてよいものではないという理由からだ。実際には、気が変化しているため往時の力を失っているものも多かったりするのだが、二百年前に万戸邑ひとつを滅ぼしたという地震の原因は、どこかの遺跡の封印を解いたことだという話もある。 最近、シュエルの郊外にある遺跡というのが話題になっている。何年ぶりかの大物の予兆はあるが、いまだその真の姿は知られていない。 (よし、シュエルへ行こう。そして、その力を手に入れてやる) 胸中に呟いて、ミルフ・レイナートはルスカイナル書店を後にした。 イゲニィアン・ハーット……彼を「少年」と呼ぶのは、いささかためらわれる。年齢的には間違いなく「少年」なのだが、まるで少年らしさというものが欠けているのである。 顔を馬鹿にされ続けることに耐えきれず一二歳で家を飛び出し、盗賊になろうと思ったのだが、腕が伴わず、全土を放浪していた。つい先ごろ、シーナ・アガノという少女に強引に勧誘され、遺跡荒らしになった。 トラップマスター協会「フェンリル」。全土に散らばって存在する遺跡を発掘する人材を集めた組織……にする予定だが、現在はアガノ一人しかいない。 「だから、栄えあるその第一回探索に同行させてあげようって言ってるの。追い剥ぎもいいけどこっちの方が儲かるし、やりがいがあるよ」 本当はもっと顔も人も良さそうなのを雇いたかったんだけど、トゥー族って軟弱者が多いんだよね、とぶつぶつ呟く。 「だが本当にその遺跡とやらには価値があるのか?」 問うと、アガノは鼻で笑った。 「あんた、バカぁ? この私が調べもしないでこんなこと言うと思ってるの? ちゃんと、イシャーナ神殿の書庫で調べてきたんだから。っていっても、財宝があるかどうかは分からないよ。だから私を襲って一人で行ったって無駄だからね」 「……?? 財宝がなくても価値はある、ってことか……?」 「蜘蛛会に情報売りつければ金になるからね」 そして精密な情報を得るためには、アガノの知識と腕が必要、というわけだ。 シュエル郊外遺跡、と仮に名付けられているが、本当の名はまだわからない。四百年近くもの間、誰にも見つからずに来たはずはないが、それでもまだよく知られていないのは、それだけ封印が強力だったのだろう。 四百年の時を超えて中の様子を見た蜘蛛会員が、そのことを大っぴらに吹聴したため、遺跡の存在では一部の人々の間では広く知られている。見に行った者も多い。だが、「三つ目の扉」より奥には、どういうわけか誰も入ることができないでいるという。 「俺はきっと中に入ってみせるよ」 ティーク・ギエンは、傍らを歩くメール族の男に声をかけた。そうだね、と男は相槌をうつ。 ギエンはナタ神殿に所属する探索員である。そちらの方面の腕は立つが、どうも周囲に受けが悪く、友人は少ない。その数少ない友人の一人が、このメール族の男である。ルーイ・ローカス、ヴァルナの神官。少なくとも彼が出発した頃までは、ヴァルナ大神殿はリューナ司祭の下部機関のようになっており、リューナ司祭の命で各地の神殿の様子を見て回っていた。そしてナタ神殿に来たところでギエンと出会い、リューナ軍の惨敗を耳にした。それでギエンについてシュエルへと来た。 「うーん、盛況だな」 ギエンは唸った。予想以上に人が多い。その中にはあからさまに探索屋風の格好をした者も多く、普通に行っても奥一番乗りの栄誉を得るのは難しそうである。 「夜にでも行くか」 「しかし、夜に行ったら暗くてよく見えないんじゃないか?」 「承知の上だよ」 ギエンは決然と言った。 |
「やっぱり、夜に来るべきだね」 壁や扉に寄っては、そこの様子を木札にくわしく記していく。それを眺めるハーットは、手に箱状のものを提げて突っ立っていた。精霊灯といい、光の精霊セレネを封じた、施術宝器の一種である。チェリア朝時代にはこれのおかげで夜も昼のような明るさが得られたという。 「人が少なくて見やすいなー。あ、これが三つ目の扉ってやつか」 アガノはしげしげとそれを眺めた。そのとたん、背後から人影が現れる。思わず身構えたが、その必要はなかった。ナルスらしき人物が笑みを浮かべて立っていた。 ティーク・ギエンは、今三つ目の扉の前にいた。 ここに来るまでに折り返してくる人々を見たが、皆どうやらこの扉に諦めてのことらしかった。どうやら──テレポート、か。 数分後、ギエンの前にある扉は開いていた。テレポートの仕掛けを発動しないよう外したのだ。 だが、妙な気配がする。地下への階段を下りた先は迷路状になっていた。それを確認すると、扉の所へ戻る。ナイフを扉に突き刺す。僅かな切れ目だけを残して、吸い込まれるようにナイフの刀身が扉へと消えている。 そして、次の瞬間。 その切れ目から溢れるばかりの『気』が光となって飛び出してきた。片手で目を覆いながら、同じような仕種をしているローカスに向かってギエンは話し続けた。 「この扉の本当の仕掛けはテレポートじゃない。このテレポートを発動させないようにしていたことこそが本当の仕掛け……」 しかしギエンの声は、テレポートで共に転移したローカスには最後まで聞こえなかった。 「……ナルス?」 シーナ・アガノは、現れた人影をつくづくと眺めた。 「あんたたちも夜に来たわけね。まあ、他の連中よりまともな頭を持ってることは確かだね。あんたたちも、トラップマスター協会『フェンリル』に入らない?」 いきなり勧誘を始められて、三人の男は目を白黒させたが、気を取り直して銀髪の少女を見返す。可愛らしい顔立ちだが、なかなか食えない性格のようである。 「何のことを言っているのか分からないが、私はこの遺跡に眠る力を調査するために来た。どうやらあなたがたも同じ目的のようだな」 「そうね。でも協力し合おうっていうんなら受けないよ。この書簡には私が書いたここの図面とデータが入ってる。この情報が欲しいなら金を払うことだね。そしたら少しは協力するかも」 「ありがたい申し出だが、遠慮しておく」 「あっそう」 返事を聞くや、アガノはとたんに興味を無くしたらしく、扉の方を振り返った。と思うと、連れの男と共にその姿がかき消えた。 「……どうしたんだ !?」 レイナートとその兄は扉に駆け寄った。 ──三つ目の扉。この扉より先に進んだ者はいないと言われているはずの。 「……やられたか」 扉は開いていた。だがその先は漆黒の闇。そして迷路になっている。さっきの少女は、こちらへ行ってはいない。どこか別の場所へ行ったのだ。そのためには何が必要なのだろう。 ……分からない。 「仕方ない、この迷路を少し調べよう。何かの手がかりはあるかもしれない」 「ここは、どこだ」 ローカスは目をこすった。妙に明るい。……精霊灯なしでも充分にようすがわかる。 「あの遺跡でないことだけは確かだな」 ギエンがすぐ脇に立っていた。大きな広間のような空間の中心、円が描かれたその中に転移してきたらしい。 「建物か」 呟き、見上げて、ギエンは唖然とした。水晶のような透明な材質の天井、その上にゆらめいているのは、水底ではないのか。暗くてよく分からないが。 「まさかここは……セルファニア湖の底?」 と呟き、そんなことはないだろう、と首を横に振る。水が見えたからといって、すぐに伝説の遺跡と結びつけるのは誤りのもとだ。水なら、セルフィアーのどこにでもある。セルフィアーは水の島。川や湖や沼や泉は掃いて捨てるほどある。 「水中の建造物、チェリア朝時代の遺跡であることは疑いないな」 ローカスも天井を見上げた。そしてふと目に入ったものに驚き、もう一度そちらを見直してみる。間違いない。向こう側に、この建物とは別の建造物がある。 「何なんだ、ここは?」 「セルファニア湖湖底遺跡、別名ティイセニラ。チェリア朝時代の、セルフィアー邦都。海よりも深いセルファニア湖の湖底に作られた、支配者の官庁街。この島の気脈を制するための都」 ギエンとローカスが出たばかりの円の中に現れた少女が、歌うように言った。 「まさか、本当にあったとはね。しかも、あの遺跡に続いてたなんて」 懐に匕首をおさめ、ギエンとローカスの二人の方を見る。 「先を越されてたみたいね。ま、問題ないでしょ」 一緒に来たイゲニィアン=ハーットは、アガノに続いて円を出ようとしたが、アガノはそれをおしとどめた。 「あんたはここで待ってて。これ以上人が来ると厄介だから。あんたがそこにいりゃ、後から来ようとしても転移できないから」 ハーットは反論しようとしたが、アガノはすでに聞く耳をもたない。仕方なくそこに座っている。そんなハーットはまったく無視し、ギエンとローカスに声をかける。 「どのくらい調べた?」 まるで仲間あるいは部下のような扱いである。ギエンは一瞬カチンときたが、一見可愛らしいアガノの顔をみたとたん怒気が消えてしまった。 「君は?」 「シーナ・アガノ。トラップマスター協会『フェンリル』の者よ」 「俺はティーク・ギエンだ。こいつは友人のルーイ・ローカス」 アガノはその返答を聞いているのかいないのか、既にあちこち走り回って調べては木札に記入を始めている。六角形の建物、その角に各々台があり、何かの金属の板に文字が彫りつけてある。素人のローカスが後ろからのぞき込んで息をのんだ。 「これは、純金じゃないのか?」 セルフィアーには金はほとんど産しない。チェリア朝の遺跡でわずかに発見されるのみである。セルフィアーで産出する貴金属といえば、銀と白金、それに銅くらいのもので、金色を出したいときには黄銅を用いるのが常である。だがこの金属の輝きはそれとは違う。 「あんた、ばかぁ?」 しかしアガノは一言の元に切り捨てた。 「いくら何でも、そんなことするわけないでしょ。こんな大きな塊を、器材に使っちゃうなんて。それに、金っていうのは霊力伝導率がいちばん低い金属なの。お役所に、そんながらくたを置くわけないわ」 「これは、琥珀金だな」 「琥珀金?」 「金と銀の合金の一種だ。なるほど、それで納得した」 ギエンは頷いた。同じような板が六枚……いや、天井の中央に一枚あるから、それもあわせて七枚になる。七とは霊数。霊数分だけの碑板。しかも材質は琥珀金。 「この遺跡は間違いなくティイセニラだ。琥珀金器材はチェリア朝時代の遺跡に特有のものなんだ。言霊人の術は、どちらかというと有り余る力を制御するって方に重きが置かれているから。…しかし、驚いた。ティイセニラが実在するとは」 「でも、あんまりそれっぽくないわ」 アガノは建物の中を見回す。広い割にはがらんとして、碑板以外にはお宝は見あたらない。 「封印するときに、どこか別の場所に中身を持ち去ったんだろう。気を制するなんていう強力な器材を、ディヤウス神官やらが放っておくはずがない」 「向こうの建物じゃないか」 ローカスは先刻より二歩ほど退いた位置に立った。指さす。 「どこどこ?」 アガノもそちらを見る。なるほど建物がある。 「でも、どうやって移動するんだ」 「テレポートじゃない?」 「またか」 扉が見え、たしかにそれらしい雰囲気を放ってはいる。 「ええい、行くしかないか」 アガノは思いきってその扉を開けた。白い光に包まれる。 ハーットが、ギエンが、ローカスが、扉に走り込む。そしてたどり着いた先は──シュエル郊外遺跡の外であった。 キシン・スルタンは、商隊の護衛を無事に終え、キーサ王国の王都カノールで報酬を受け取り、商人達とはそこで別れた。 大通りに出ると、道行く人をつかまえて「真っ黒な女つれた白い男みなかったか」と訊ねて回る。芳しい答えは得られない。まあこんなものか、と自分を納得させ、再びねぐらにしている安宿へと帰っていく。 フェルノ家機密文書より 我々は表は商人であるが立派なナルスの情報収集員でもある。 国情を探るのを第一とし、利益は第二に考えよ。…… 以上 機密文書第三号より抜粋 フェルノ店は、アヴィーナに本店を置く営利団体である。主に酒の交易と染料の販売を行っている。後者は大口のみで、優秀な店主代行のおかげで最近は羽振りがよいようだと、アヴィーナの中でも有名な店の一つになりつつある。 だが、フェルノ店は蜘蛛会の下部組織という側面も持つ。各地の邑に酒を売り、染料を売りつつ、各国の国情を探るのである。 現在、フェルノ家の店の本店には店員が二十名いる。その他に行商人が十五人所属しており、各邑をめぐって商売をするわけであるが、彼らに渡された機密文書には、前記のようなことが書いてあったりする。 レダ邑には「越後屋」という変わった名前の名物店がある。店主のサティス・フリードが愛する妻ショウエイの死のまぎわに「死を越えて 向こうに彼岸あるならば 再び会わん 時尽きし後」とうたい誓い合ったことからのネーミングであるという。彼はもと職人であり、その地方で五本の指に入るといわれた名工であった。ある時彼はとある名家から邑宰に献上する品の製作の依頼を受けたが、その名家の政敵に目をつけられ、さまざまな妨害を受けたあげく、夫婦で刺客にあい、妻は殺され彼自身も重傷を負った。それ以来、彼は職人をやめ商人となったのである。 さて、フリードの息子であるサティス・アイセンは、幼時に母に死別、父親に男手一つで育てられたが、どこをどう間違ったのか、彼は政商になりたいという望みをいだくようになった。商才は父譲りであり、「一発あてて大儲け」よりは「地道にコツコツ信用取引」の精神も父から受け継いだものであるから、フリードは彼を深く信頼し、番頭として店の殆どの決済を任している。しかし唯一の難点が、政治などに興味をもっているということなのであった。 フリードは権力者は大嫌いである。当然権力者にすり寄る政商などに、息子をさせたくはない。サティスとしては、父が反対するのも分かるのである。彼が政商になろうとするのも、同じ動機からであるのだから。 すべての人、すべての邑、すべての国の和合一。それが彼の理想である。サティスは父親の反対をふりきり活動を開始した。 レダ邑の商人達を集め、「商人が経済活動について邑宰様に意見を述べる」ことの重要性について説くことにする。彼の考えでは、重要性というのは以下の四点である。 ・邑宰殿と邑に対する商人の地位上昇&発言力の拡大 ・邑内+邑との友好関係にある土地での取引のより確実な安全 ・商人どうしの結束の強化 ・邑内の経済の安定 だが、反応はあまり芳しくなかった。それもそのはずで、どの点をとっても、「蜘蛛会に入れば済むことじゃないか」というのが商人達の大半の考えを占めていたのだ。 |
サティスは蜘蛛会が嫌いである。蜘蛛会の体質に納得できないのだ。会長の選出方法、ほぼ完全な情報操作、隠密の謀略活動。なるほど、このように強健な組織体制はまれに見る優れたものかもしれない。邑宰家でさえ一目置いているのも頷ける。しかしサティスは気づいている。そのような鋭く強い剣というものは自らをも傷つけかねないということを。 しかもこのような体質は外部に必要以上の恐怖感を与えてしまう。このようなことから強力な制度が必ずしも優れているとは限らない、とサティスは思っている。 しかし現実問題として、蜘蛛会の影響力は強大で大邑級以上である。そんな組織相手に中規模店舗に過ぎない越後屋だけでレダ邑の商人の結束を目指すのは無理だろう。だがそれではサティスの夢は果たされることはない。だとすれば、越後屋も会に入らなければならないのだろうか。 「いや、待てよ……。」 レダ邑は比較的だが蜘蛛会の基盤が弱い。そこをうまくつけばいい。本部に申し出て、これらの地域の組織化を「協力団体」として申しでる。バックに大組織がついているのであれば商人達は関心を持つはず。蜘蛛会の方にしても、断る理由はないだろうし……。ただし、組織の「恩恵」とやらは協力団体で代理して行う。本部の御手を煩わすまでもない、というわけだ。うまくいけば協力団体という名目でレダの商人をまとめあげることができるし、まずくとも蜘蛛会の持つ最新情報を手に入れやすくなる。 「団体名称は『レダ商工会』、といったところか。……なんだか、あまりぱっとしないな。まあ、派手な名前をつけて睨まれるよりはいいか。」 サティスはまずナルス居住地の周辺勢力の動向についての情報をまとめて買い込んだ。そうして名前と信用を高めてから、自らアヴィーナへ出向き、蜘蛛会の会堂へ行って正式に組織の設立申請をする。そして、会長への会見の申し込みをしておく。 「本気か?」 係官の男は思わず目をこすって書簡を見直した。 「ええ、もちろん。会ってもらえるまで何度でも来ますよ」 「……ま、伝えておきましょう」 どうせ無理だろう、との意があからさまに面に出ていたので、その日のうちに使いが来たときには何かの間違いだろうと思った。どうやら、ご機嫌の良いときにあたったらしい。 「面白いことを考えているそうね」 ナタの司祭衣の上に長衣をまとった小柄な少女は、暗褐色の大きな瞳をみはって笑顔をつくった。興味津々といった体だ。 「私の望むのは、こういうことです」 あまり話が都合よく進むのに少々戸惑いながら、サティスは何度も頭に反芻してきた腹案を、口に出して語った。 要するに、蜘蛛会の協力体としての、商人連合を目的とする団体の設立を認めてほしいということである。認めてもらえるのなら、条件として、人的、金銭的協力を信義則に基づく限りさせてもらうこと、そして、定期的に団体の状況報告、決算報告などを蜘蛛会に対して行うことを約する。 「なるほど、考えたわね」 エイラ姫は右手でほおづえをついて、サティスの瞳をじっと見た。これはだめかな、という思いがきざす。エイラは笑った。 「自信ないの? いい案だと思うけど?」 「えっ、では……」 「いいわよ」 エイラはあっさりと言った。 「でも、いくつか条件があるわね」 「何でしょうか」 緊張が走る。が、エイラが言ったのは意外なことだった。 「名前をなんとかしてちょうだい。レダ商工会じゃ、誰も乗ってこないわよ。職人の団体みたいじゃない。ま、蜘蛛会にしたって、言えたもんじゃないけどね」 「はあ……では、何と」 「自分で考えてよ、自分の団体でしょ。それから」 エイラは瞳を光らせた。 「人的、金銭的協力を『信義則に基づく限り』、ってのがひっかかるのよね。蜘蛛会のやっていること、たしかに信義則なんてものには基づいていないものね」 「恐れ入ります」 サティスは頭を下げた。 「それに、状況報告、決算報告なんてしなくていいわよ。そんなもの、いくらでも捏造できるわけだし、蜘蛛会の情報網が生きてれば定期的にどころか毎日、毎刻だって分かるわ。……って、こんなのはただの揚げ足取りね。じゃ、最後に一つ」 エイラの口許は笑っているが、瞳は剣呑な光をたたえている。 「……なんで、そんなもん作りたいわけ?」 サティスは襟を正した。 「ナルスのためです。あなた方蜘蛛会のやり方が破綻したとしても、ナルスが生き残れるようにしたいのです」 「……面白いわね」 エイラは瞳を閉じて立ち上がると、くるりと背を向けた。去りながら、言うともなしに言う。 「で、それは私も入れるわけ?」 「……っと、それは……」 「冗談よ」 扉に手をかける。 「いっそのこと、蜘蛛会を乗っ取っちゃうぐらいの気概で頑張らないと、すぐ消されるわよ」 さすがのサティスも答えられない。 「だって私、この場であなたを殺すことも簡単にできるんだから」 「……」 「蜘蛛会より強い組織ってもの、見てみたいわね……」 扉の閉まる音の向こうの彼女の表情は、サティスには見ることができなかった。 「しまった、先を越されたか」 行商を終え、アヴィーナのフェルノ店本店に帰ったフェルノ・クーレーンは、蜘蛛会からの情報を見て悔しがった。 「レダ商工会(仮)」は、大々的にレダ及びアヴィーナとその周辺の邑に宣伝をしている。初回徴収金は入会キャンペーン中につき無料、他の会派に所属している人にも入会を認める、情報は蜘蛛会の半額で提供、会内で交換証を流通させる──等々、景気のいい企画をおこない、もっぱらの評判になっている。似たようなことを考えていただけに、ちょっと悔しい。 まあいい、それより今後のことだ。 「レダ商工会(仮)」の方に協力すべきだろうか。それとも、考えていたとおり、自分で「蜘商会」を設立するか? しかし、その前にフェルノ店単体でやってみたいことがあった。 ウォウルとスィスニアの仲の悪さは、半ば宿命的なものがある。独立戦争当時から、この二つの大邑は水面下で主導権争いをくりひろげていた。竜老会が部族のイニシアチブをとるべく発足したときも、どちらに本拠を置くかで争い、結局竜老会は現在に至るまでターヌに置かれている。 しかし、直接兵器を交わしたことは一度もない。セルフィアーに六つしかない十万都市のうちの二つである。二邑が全力で戦ったらどうなるのか──さかんに話の種にはなるが、あまりに現実味がない、と言われるのがこれまでだった。だが、時代は変わっている。 後世の史家は、独立暦四〇〇年前後で時代を二つに区分することになる。独立以来四〇〇年間の黎明期と、その後の動乱期と。動乱期を、さらに四〇〇年頃〜六四九年の群邑期と、それ以降、英雄暦が施行されるまでの五王国期とに分ける。そしてその後の統一期へと続いていくわけだが、それははるかな未来のことだ。 ウォウルとスィスニア。戦をしたらどちらが強いだろう。この想像が生々しさを増してゆく中で、さらにそれを加速しようと動いていたのがフェルノ店であった。もっとも、フェルノ店が動かなくとも、衝突は避けられなかったに違いない。 ナグモ・リューンという男がいる。スィスニア兵吏長の位についてから半年ばかり、彼の名望は上がる一方、軍備の異常なまでの増強ぶりは邑内でも警戒され、恐れられている。 「どうも、野心のありすぎる男らしい」 理想のために戦う、大義のために戦うのではなく、戦争のために戦争をしたい、そういう男だと、フェルノは見ている。対し、スィスニアの現邑宰はここ数代でも特に穏健派、純理想主義者といってもよい。肌が合うはずがない、いずれクーデターが起こるだろう。 「それならば、それを利用して儲けない手はない」 というのがフェルノの考えであった。戦争を起こさせるのは金儲けのため。政治や戦略には口を出さぬのが商人というものだ。 フェルノはスィスニア一の大商人と手を結び、こっそりと兵器を流した。 そしてリューンのクーデターは成功し、邑宰のルシャナ・シルキーヌと邑宰丞のヴァシュナ・シリルは何とウォウルに逃れた。ウォウルに保護を求めたわけではなく、単に一番近い、内情の安定している大邑だったからであるが、そのことは、よりいっそうリューンのスィスニアがウォウルと戦わねばならぬ理由を強めている。 まだ、交戦してはいないが、スィスニア邑内は現在戒厳令が敷かれ、情報操作を受けて世論が開戦の方向へと傾きつつある。年が明けたらすぐにでも戦争が始まるだろう。 そうしたら、また武器を流さねばな。 彼は、心の中だけで呟きつつ、素知らぬ顔で他の商売をおこなっている。 「そういえば、バルスの方はどうなっただろう」 彼が行商から帰ってきたとき、店主代行をやっていたカルナ・リヴィットが知らせてくれたところによると、フェルノ店の噂を聞きつけて、わざわざバルス建邑の関係者がやってきたらしい。もっとも、用向きは援助の要請ではなく、染物屋だということで支店を出さぬかという誘いであったという。 「建邑計画の本拠はジュシーにあると言っていたな……」 武器で儲けた金をそちらの援助に回すか。 そのジュシーでは、バルス建邑の計画が着々と進んでいた。 本拠があるのは、「銀のたてごと」亭という元食堂と、商工会議場の二階。それほど広くはないが、宣伝は大々的におこなっており、キシン・スルタンはすぐに求める情報を手に入れることができた。 建邑予定地はジュシーとリーダの中間。設計は公募中、といったところらしい。 「ま、所詮まだ卓上の論議だな」 と思いつつ、すぐにその地を去る。白いトゥー族の中では、彼の肌はよけいに目立つ。姉もそうであるはずだが、いっこうに手がかりは見つからなかった。 シャル族の居住地を突っ切って、バルスと同じく新興勢力であるスウィズに向かう。 建造しかけの城壁が無骨な印象を与える。沈んでゆく夕日が毒々しく赤紫色に見えるような気がするのは、はたして見間違いだったのだろうか。街に歩いている人の十人に三人は鎧甲を身につけていて、まるでどこかの邑軍に包囲でもされているような剣呑さがある。少なくとも、スルタンはそう思った。何となく、気にくわない。この邑を治めているのがガキの小娘だから、気にくわない、というのもあるだろう。 夕闇が天蓋をとざしても、この街は明るいままだ。施術宝器の大量生産に成功したこの邑では、他邑に先がけて主道の明かりを炬によるものから精霊灯によるものへと変えたのだ。 たしかに犯罪は少なくなるかも知れない。しかし、こんな明るい街で眠れるものなのだろうか。 故郷サイダバードでは、夜には明かりはほとんどつけなかった。やむを得ずつけるときには、「インダラの頸血」を用いたひそやかな明かりを、一家全員で囲むくらいのものだった。対し、このスウィズの地では、星の光がかき消えるほどの明かりを灯している。 これでは夜がなくなり、体内の光と闇のバランスが崩れてしまうのではないか? 「闇がなければ、光の明るさはわからないのに……」 この街に生まれた子供は、きっと闇の真の尊さを知らずに大きくなるのだろう。そう思うと、スルタンは少々やりきれない気持ちになった。 一晩明けて、ライル社の本社を見に行く。 「さすがに警備が厳しいな……」 腕利きの間諜であるスルタンの力をもってしても、ここに忍び込めるとは思わない。施術宝器大量生産の総本山であるのだから、内部も施術宝器によって守られているのだろう。中を覗くのは諦め、出入りする人をチェックし、街で情報を集める。 この街でも、「黒い女連れた白い男」の情報は得られなかった。 セルファニア湖湖底遺跡。深い湖の底、ほとんど光すら届かぬ静かな世界。外界から隔絶されたこの場所に、チェリア朝の時代のセルフィアー邦都があった。全盛当時の名をティイセニラという。術を重んじ、術を制することだけが力の証であったこの時代、この地を制しようとすれば、水の力を抑えようとしたのは当然のことだといえるだろう。 「この前は、この扉から外に出ちまったんだっけ……」 先節、この遺跡をじゅうぶんに探索しないうちに外にはじき出されてしまったティーク・ギエンは、書庫などでふたたびよく調査をした上で、シュエル郊外遺跡を通じて湖の底に入った。 六角形の建物、七枚の碑板。 「とりあえず、これを読んでみるか」 「読めるのか?」 ローカスは目を見張った。どう見ても古代の言霊語だ。一語一語が強い霊力をもち、音にするだけで七要素を操ることができるという。 「声には出すなよ」 「うん、やめておく。どうも、これは七要素を封じた霊器の説明のようだ。しかも霊器の名前はセルフィアー語の水とか火とかっていう単語が使われている。つまり、ここに邦都が置かれてから作られた宝器であるか、または通称としてそう呼んでただけなのか、どちらかだろう」 「俺にはさっぱりわからない」 「おれにも実は良く分からない。色々調べてはみたんだが、有名な遺跡だししかも四百年間入れなかったもののことだから、異説がやたらと多いんだ」 「どうやら、ここだな」 ようやく隠し扉のようなものを見つけだすことが出来たのは、たっぷり半刻ほどたってからのことだった。 「しかし、開ける仕掛けがわからん。……この部屋にあるものといったらこの台くらいだが……ん?」 碑板を持ち上げると、下に出っ張りがある。シーナ・アガノは非力なので持ち上げられなかったのだろう。 「これを押せばいいのかな」 しかし、動かない。 「全部押せってことなら、俺も手伝うぜ」 ルーカスがそう言い、ギエンと逆回りに押し始めた。六つ押したとき、感情のない声がした。 「……タ ライ ミスチナ タ クミラ カーチ」 そして、何かが弾けるような音がする。 「だ、誰だ!?」 ルーカスが見上げたが、二人以外誰もいない。 「録音というやつだろう。きっとこれで封印が解けた」 コツコツと叩いて罠のないことを確かめ、ギエンが注意深く扉を開くと、そこはとても広い、平たい建造物の中だった。天井は基本的に透けており、湖底の様子が見えるようになっているのだが、残念ながら堆積物に覆われていた。なにか術の力を用いた明かりがついていて、中は昼間のように明るい。 「やはり六角形をしているな」 真ん中と六隅に太い柱が立ち、その柱に扉のようなものがついている。六隅、といってもその一辺は五百米はあるだろう。とても広い。中心に立つと、柱から柱までの間が通路に、その他の部分は植物が植えられていたらしいことが分かる。今はほとんど枯れてしまっているが、わずかに一、二本、天井に触れんばかりの巨木が、葉をいっぱいに茂らせていた。 「この柱、扉があるぞ」 物珍しそうに眺めていたローカスが言った。ギエンは首を傾げた。なるほど、扉だ。 「どうやったら開くのかな」 「これを押せばいいんじゃないか」 ▼印のあるでっぱりを押すと、扉が静かに開いた。こわごわと中をのぞき込む。 「昇降機、だ」 ギエンが嬉しそうに言った。 「乗り物だよ。乗ってみよう」 垂直に上下に移動する乗り物など、見るのも乗るのも初めてだった。地の力の制御に問題があるのか、少々気持ち悪くなったりもしたが、まあそれは我慢することにする。 あの広い建物は最上階であり、この昇降機で下っていくとその地下にたくさんの部屋があった。まるで六角形の塔を地中に埋めたようだった。しかし階段などはなく、すべてこの昇降機を使って行き来しなくてはならない。さまざまな部屋があった。会議室のような部屋、事務室のような部屋が一番多かったが、中にはやわらかい榻と寐がしつらえてある部屋などもあった。おそらく高級官吏の宿泊所だったのだろう。 「書類や道具は全然ないな」 ローカスがぽつりと呟いた。建物自体にはまったく損傷はないのに、肝心なものはきれいさっぱりと持ち去られている。 「ディヤウスの神官のしわざか。全く、いやな奴らだ」 「どうやらここが最下層だな」 とギエンが言ったとき、急に昇降機が下降を始めた。無機的な声がする。 [声紋を確認します。名前と所属と番号を、明瞭な発声で……] 「ティーク・ギエン……だけど、所属と番号なんてないぞ」 『録音』された声だと分かっていたが、思わず答えてしまう。ローカスは思わずギエンの顔を見直した。 「ギエン、お前……」 [確認しました。言霊人であると認めます。この昇降機はこれよりティイセニラマイナスエリアへと直行いたします] 「え? 俺は言霊人なんかじゃ……」 「おい、ギエン、あれが分かるのか?」 「あれって……」 「言霊語だよ、言霊語! 何て言ってたんだ!?」 「声紋を確認、とか言ってたよ。名前と所属と番号を言え、って」 「言霊語でか? お前、あれが分かったのか?」 「言霊語だった? そんな、馬鹿な……」 ギエンは呆然とした。 |
「ただいま。」 アヴィーナから帰ってきたサティスはにこにこしながら越後屋本店の敷居をまたいだ。 「おかえりなさいませ。」 「うん、ただいま。どう、調子は。うまくいってる?」 サティスが店員たちとからからと小話をはじめる。話好きの彼は、やれ蜘蛛会の荘厳の建築は必見だとか、やれ宿屋でだされた青魚のムニエル・アヴィーナ風の味は絶品だったとか、店員たちに土産話を披露する。それがひととおり終わり満足して店の奥に入っていくと、レジにいた青年に声をかけられた。サティスより少し年上のこの青年は、名はショウヨウといい、番頭代理である。店主フリードに直接仕込まれた彼は、越後屋でも一番の腕利きで才覚はサティスも及ばないほどである。 「あ、お帰りなさい。案外、お帰りがはやかったんですね。」 「うん、なんか恐いくらいに話がトントン拍子ですすんでしまって。いまひとつ信じられないんだ。」 「……え? ということは例の件は首尾よくいったんですか。」 「そういうこと。これから毎日忙しくなるよ〜。いろいろ組織の準備をしなきゃだしな。っと。ところで、親父どのは?」 「フリードさまは、出かけておられます。なんでも西方に新邑建設の動きがあり、そこに店舗を出すことを考えておられるようで、旅行がてらに視察に向かわれたようです。」 置き手紙をサティスに示しながら「せめてひとこと言ってからでかけて欲しかった」と呟くショウヨウ。 「なになに、『西にバカンスに行って来るから、探さないでねゥ』……相変わらずだな、親父どの。」 「……いい人なんですけどねえ。」 「……そうだねえ。」 それはともかく、サティスはどういう経過であらたな商人組織の結成が許可されたかショウヨウに説明する。 「とりあえず名前を考えないとな。なにがいいかな。」 「話題性を重視するなら、世の中が気にかけていることを絡めるのがいいでしょうね。例えば、予言者の言葉とか。」 「予言者? あの、グーラとか言う人?」 「ドーラじゃなかったですっけ。ま、その予言者さまの言葉を借りればいいんじゃないですか。ええと、東に星がなんたらり、とかいうのがあったでしょう。」 「あったねえ、そういうの。む。ひらめいた。『東の星』なんてのはどう?」 「……それはひらめいたとは言わないのでは?」 寒い風が越後屋本店の中を駆け抜けていった。 「『星屑会』ってのがいいんじゃないか?」 とサティスは主張したが、よく考えると妖人の『星薬会』と一文字かぶっていてインパクトに欠ける。結局『東精会』で発足することになったレダ商工会(仮)は派手な宣伝活動もあって予想以上に多くの商人・商家が集まった。サティスはその中で有力商人をピックアップし幹部に誘った。 サティスはてんてこまいだった。月の半ばも過ぎて、やっと組織のおおざっぱな枠組みができ、実際の運営に向けて動き始めるところまでこぎ着けた。今にしてみても忙しいのはかわらないが、やっと一息つける状況になり越後屋本店でショウヨウとだべっている。話好きの本領発揮であるが、実はショウヨウの意見を聞きに来たのだ。 「……というようにしようと思っているんだよ。こういう体制にしておけば、たとえ私が闇討ちに会うようなことになっても、組織自体は運営できるからね。」 サティスはショウヨウに説明しながら胸を張る。 「そうですね。でも、組織内で対立が起きたときはどうするんですか。大商人に重要ポストをあたえているから、収拾が大変ですよ。」 「大丈夫。名目上のトップ『会頭』にレダ邑宰家を迎える段取りはつけたから。会頭といっても普段は議事進行役だからあまり発言できないけど、そういうときには権威を以てもめ事に対処するわけだ。」 越後屋店主フリード=アイセンは、ジュシーの街を歩いていた。トゥー族の居地の中ほどに位置する、湖のほとりの邑。この北方約三日のところに、「芸術の邑」バルスの建邑予定地がある。そこかしこに高札が立ち、バルスの宣伝や連絡先を知らせている。広場などでは必ず演説や演奏をしている者がいて、多くの人が周囲をとりまいている。道は人であふれていた。 「驚いたな、これは」 アヴィーナよりも活気があるのではないか。バルスに住もうと思って来た気の早い連中が大半なのだろうが。 「おや……?」 見覚えのある男を往来に見つけて、フリードは首をかしげた。黒髪黒目、ナルスだ。記憶をたぐる。思い出した。アヴィーナの商店で見た男だ。確か『フェルノ店』の店主であった筈だが。そのとなりには背の高い銀髪の男と銀狼がいる。 「財政長官」 と、若者は呼びかけた。フリードははっとした。財政長官? 「昨日到着した食糧のほう、うまく分配できたみたいですよ。ありがとうございます。これで難民の喧嘩も、少しは減るでしょう」 「礼を言われるようなことではありませんよ、外吏長。私は自分のやるべき事をするだけです。……それに、これは、あなた方のためではない」 「え?」 「むしろ私たちフェルノ店のためです。我々がアヴィーナを捨て、こちらへと移ってきたのは、その方が我々の利益になると思ったからです。利益や打算抜きで動く商人などいません。ですから、私へのお気遣いは無用です」 「そうですか」 青年は笑い、そして二人は連れだって一軒の店の中に入っていった。フリードは立ち止まり、看板を見上げた。食堂『銀のたてごと亭』──バルス建邑計画の中枢。 「フェルノ店店主、フェルノ・クーレーン。サティスの計画が順調と知って、レダとアヴィーナを捨て、バルスにすべてを賭けるつもりか……」 フリードは独語した。 「しかし、彼にはスィスニアに武器を流したという噂もあるな…」 そんな男が、平和主義を標榜しているバルスの財政長官になって、はたしてうまくいくのだろうか。何より、武器を流したという噂が公になったりしたら…… 水の月である。春である。……眠い。 いつまでもあっちへふらふら、こっちへふらふらと流れる生活をしていると、何をしていいのだかわからなくなってくる。やっぱり人生には目標がなくては、生活に張りが出ない。ちょっと落ちつきたい。かといって、結婚なんてしたくない。 というわけで、カルナ・シェルセラヴさん(二〇)は唐突に決心した。 「シエルブランドでも作ろーかしら?」 この御時世に……と思わなくもないがこういう時だからこそ!である。私の美的感覚を生かして、服とか、小物とか、アクセサリとか……。そうよ、シャリヤーティの神官としての能力を生かしてタリスマンにすればいいじゃない。 もちろん、裏のお仕事もOK……。 「お兄様、援助してくれますわよね?」 ちょっとしゃくにさわるけど、こういう時に利用してこその兄である。せいぜいサービスしてあげなきゃ……。 極上の一歩手前ぐらいの笑みをみせてあげると、兄様、大喜びでユディトに店を出させてくれた。 ……ちょろいもんだわ。 キシン・スルタンは小雨の降る中、アヴィーナに帰っていた。詰め所に入り、蜘蛛会の中で起こった様々な動きを同僚に伺う。聞き終わった時、彼の顔には苦笑が浮かんでいた。 ……どうやら、俺達の仕事が睨まれているらしいな。だが、蜘蛛会の陰糸である間諜は、残念ながら消えはしないだろう。もしくは、経済と、情報で完璧に二分割されるか。蜘蛛会の中核に舞踏と盗賊神ナタが鎮座する限りは。 帰路の途中気に罹ったのは、派手に商売を行っているライル社だった。ライル社。あの中核にいるのも娘だが、人間の光の部分を集めたような少女らしい。男受けは良いということか。邑も中心人物も闇を無視した存在だ。 彼の中に生まれた感情は、やがて妙な策の形を結んでいた。 まず、丞を商局長の元に送り、ライル社の商品の委託と、商業の提携を申し出る。間諜員はライル社の深部へ侵入し、経済のシステムを調べ上げる。砂時計が刻むように、微かに蜘蛛会の方向へと向けて行く。末にスウィズの中のライル社を戴く。長い時間がかかるだろうが価値はある。 だが、所詮一間諜員の申し出だ。ナタ・エイラ司祭が受け入れてくれるだろうか。何であれ、スルタンは蜘蛛会への帰属意識と愛着があった。より糸がしなやかさを増し、島の全体を覆うことを望んでいる。 そんな彼は「変わらないこと」を命題に置かれた故郷に小さな動揺が起こっていることを知らなかった。 腰を上げ、グラスの液体を喉に流し込む。 「嬢さんに遭いに行くか。」 スルタンは霧雨の浮かぶ中、間諜員専用の通路を渡って行った。 「ライル社との商業の提携、ね……」 エイラが簡単に会ってくれたのは、たぶん彼の異相のおかげだろう。エイラの珍しいもの好きは広く知られている。 「面白いことは面白いわ。いずれ、日常生活にも施術宝器は不可欠になっていくかも知れない……でも、それは今ではないわ。遠い、遠い未来のことよ」 「そうですか……」 もとより受け入れられるとは思っていなかったので、失望の念はなかった。 「何故か、知りたい?」 エイラは笑う。スルタンは瞳を伏せた。 「いいえ、別に」 「知りたくなくても教えてあげるわ、──あの子、長くないわよ」 エイラは囁いた。え、とスルタンは顔を上げる。 「施術宝器の大量生産……たしかに、理論的には不可能じゃないし、技術的に可能だって事はライル社が証明したわね。でも、今までだれもやらなかったのは何故か……地気が、乱れるからよ」 「地気が、乱れる?」 「ええ」 エイラは立ち上がり、壁の地図を指さした。 「ヴェルーダで起こった『大いなる災い』のことは、あなたも知っているでしょう? 偽邑宰が自爆したとき、彼はヴェルーダ一帯の火の気を全部使いきってしまった。だから気候は寒くなり、人々の体温が奪われる奇病が発生したわ。地気が乱れるっていうのは、そういうことなの」 「同じことが、スウィズでも起こっている?」 「可能性は高いわね。まして、施術宝器に囲まれて育ったライル・ナタケはどうかしら。……いい、人間は神じゃないのよ。施術宝器みたいに力を集めて固めることはできても、力を取り除いたあとを埋めるなんて芸当、できるわけないわ。あなたに言うことじゃないけど、ね」 エイラは笑い、振り返った。 「そうそう、ついでだけど一つ、あなたに言うことがあるわ」 「何でしょうか」 「シュエルに行きなさい。黒い女を連れた白い男を見たそうよ」 スルタンは深く頭を垂れた。 「……御意」 「では、本当なのか」 「ああ、間違いない」 シュエルの蜘蛛会支部で応対した男は、強く頷いた。 「メール族やツァン族の者なら、茶か褐色と表現するだろう。鴉のように黒い肌の女だったそうだから」 「で、それはいつ、どこで見たと?」 スルタンは身を乗り出した。 「二週間前だな。このシュエルの東、帝国時代の遺跡のあるところだ。それと、これは十日前。その近くの……そう、ルーキ家の別宅の中に入っていくのを目撃されている」 「……間違いない」 スルタンは呻いた。 「役に立てたかい」 「ああ、十分だ」 定額の倍の情報料を払うと、スルタンはすぐさま飛び出した。 |
シュエル邑の郊外一粁ほどのところに、その邸はあった。 ルーキ家の別宅。大きな屋敷だ。その周りに十数軒ほどの小さな家がある。近くにはシュエル湖。静かなところだった。 が、時折間諜風やら戦士風の装備をした男女が通りがかり、家々の一番むこうにある瓦礫の中に吸い込まれていく。昨年その手の人々の間で一番の話題になったシュエル郊外遺跡である。 「黒い女連れた白い男を見なかったか」 茶店のばあさんに向けて、これまで何百度となく発した質問を繰り返す。ばあさんは頷いた。 「白い男なんてここらじゃたくさんいるけどね、それはたぶん、フレイ様のことだね」 キシン・スルタンは息が詰まるかと思った。……フレイ。そう、その名だった。 「ルーキ・フレイ、だな? どういう男なんだ」 叫びたいのを制して問う。ばあさんはにっこりと笑った。 「フレイ様は、この別宅にお住まいのお方さ。ルーキ家は、このシュエル邑宰丞や吏長を代々つとめておられる学者の名家だが、その血族の一人が、代々別宅にお住まいになられるしきたりなのじゃ。ま、フレイ様はよく出歩かれるようじゃがの」 困ったもんじゃ、と言いながらうれしそうに笑うばあさんの姿は、スルタンの目には入っていない。 「で、黒い女を連れていたというのは本当なのか」 身を乗り出す。ばあさんはのんびりと言った。 「そうじゃのう。まあ、わしもこの頃よう見るがのう。ここ十年ばかりも長らくお留守にしておられたフレイ様が、ほんとうに久しぶりにお見えになったと思うたら、女人をつれておられた。奥方じゃろうと、もっぱらの噂じゃ。二週間ばかり前からお住まいでおられるよ」 「そうか……」 「女っ気のなかったあの方が、どうした心変わりであろうかと、ここいらのじじばばの間では話題のタネじゃ。しかし、あのおなご、どの部族の者であろうかのう。メールの者は見たことがあるが、それより黒いようだし……」 「……」 スルタンは茶を飲み干して立ち上がった。 「ありがとうよ、ばあさん」 それだけ言って去る。 ……間違いない。姉と、あの男だ。 黒い肌から覗いた黒い瞳がぎらりと光った。 灯火に照らし出された横顔のかたちはきわめて端麗であるが、それを見分けることができるのは、同じ種の者でなければよほどの思い入れがなければなるまい。それは彼にもわかっている。 インダラの頚血、ではない。菜種か、そうでなくとも植物性のあぶらに灯心を立て、その明かりで書を読んでいる黒い横顔。覚えているよりもずっと深い瞳をして、美しい。懐かしい……しかし、今は、この人は…… 「──誰っ?」 書簡を払って跳び、短刀を抜く。その切っ先は、正確に男の咽喉を狙って突き出され、皮一枚のところで止まった。 「……まさか」 女──キシン・ハリーファは凍りついた。正面からまっすぐにその男の瞳を見つめる。黒い髪、黒い瞳、黒い肌をした男。見覚えがあった。 「姉上」 否、一時たりと忘れたことはない。 「スルタン……なんですね」 「姉上……」 言いたいことは山ほどあった。だが口には出せなかった。懐かしさが先に立った。と同時に、憤ろしくて、腹が立って、……そして愛しくて、声が出なかった。 「スルタン……あなたは……」 「姉上」 だがその思いはすぐに心の底に押し込めた。そうしないと、正気を保っていられそうになかった。十年余もの間、探し続けた。求め続けていた。それは、一度会ったくらいで尽くせるようなものではなかった。ただ、言わなければならぬ事は一つだけだった。 「サイダバードは移住することになった」 「……スルタン」 「この島の南方、打ち捨てられた土地にバウ砂漠という砂漠が発見された。そこへ移住する」 「……」 「それだけだ」 背を向け、去ろうとする。その動作によって、口をついて出ようとする思いを封じようとした。 「本当に、それだけなのですか」 その背後から、声がかかった。スルタンは足を止めた。 「なぜ私がサイダバードを出たか、それを訊きに来たのではないのですか」 「……裏切り者の言い訳など、聞きたくもない」 スルタンはつぶやいた。耳をふさぎたくなった。 振り返りたくなかった。振り返ってしまえば、姉の裏切りを受け入れてしまうことになる。認めてしまったことになる。 「それは、違うな」 男の声がした。その声に、スルタンは反射的に振り返ってしまった。考えるよりも先に身体が動く。一瞬のうちにその男に詰め寄り、襟首を掴んでいた。 「何が違う! すべて、貴様のせいではないか……っ!」 姉が自分を捨てたのも。サイダバードを捨てたのも。……姉を、裏切り者にさせたのも。すべて。 「違います、スルタン」 ハリーファはたしなめるように言った。その口調が懐かしくて、スルタンははっと我に返った。男から手を放す。 ……分かっている。この男が悪いのではない。姉が悪いわけでもない。一つの邑に縛られることをやめて、新しい世界を求めるのは、別に悪いことではない。様々な人を見、セルフィアーの各地を巡って、スルタンも頭では理解したつもりでいた。新しい価値観というものが確かに存在することを。 しかし、感情は納得することはできないのだ。姉を失ったこと、邑の掟──スルタンが今まで生きてきた世界を壊されたこと。その心の傷は、十年以上経った今でも、癒されてはいない。そしてそれは、目の前にいる白い男が原因だった。 「君が私のことをどう思っているかは分かっているつもりだよ、スルタン君」 ルーキ・フレイは穏やかな口調で言った。 「君の姉さんを奪った私を、どんなに君が憎んでいるか。……だが、あの頃は私も若かった。どうしてもハリーファを放したくなかった」 「……っ!」 逆上しかけたスルタンを、ハリーファが制した。 「この人のせいばかりではないのですよ、スルタン。どうしても私はフレイについていきたかった。それは、もちろん私がフレイを愛していたからという理由もあります。でもそれ以上にフレイの力になりたかった」 「……姉上」 唇を噛み、感情の激発に耐える。そんな話は聞きたくなかった。……だが。 「聞いてくれますね、スルタン?」 姉にそう言われると、逃げるわけにはいかなかった。 ルーキ・フレイは、シュエル郊外遺跡の守人である。 ずっと以前から、シュエル郊外遺跡はひそかにシュエル邑宰家によって発見されていた。同時に遺跡のもつ意味が研究されることとなり、それはルーキ家に一任された。代々歴史に通じる学者一家であるルーキ家は膨大な蔵書を有し、それを何代もかかって調べあげた結果、この遺跡は一種の「門」であることが明らかになった。 通じる先はティイセニラ。チェリア朝時代前期、アフネリアと呼ばれていたこの島を統治する首都であった。後期には首都は湖上のスイモミスクに移ったが、それでもティイセニラは研究都市として存続し、帝国の支配上、大きな意味を持っていた。 封印されているとはいえ、危険な存在であることには変わりない。ルーキ家はこの遺跡が悪しき者の手に渡ることを防ぎ、同時に遺跡のさらなる調査を進めるためにここに別宅を置き、一族の学者を住まわせることにしたのだ。それが五十年ほど前のことだという。ちなみにフレイは三代目である。 「ティイセニラは言霊人の頭脳と力の結晶だ。巨大な力が眠っている可能性は充分にある。それだけではない。セルフィアー島を覆う海の結界、それは独立当時のナーガ神殿の力によるものだと世では言われているが、しかし当時、そんな技術は神人にはなかった。術法の体系化が進みつつある今でも、あんな強力な結界を、四百年にわたって維持するなどとても不可能だ。『永遠の終結』後のこと、神々の干渉もありえない。とすると、答えは一つ。あの結界は、言霊人によって築かれたものだ」 とフレイは結論づける。 「しかし、謎は残る。なぜ言霊人が結界を築いたのか、その動機がない。神人の進出をおそれたのか、……しかし、言霊人はあきらかに神人を見下していた。おそれるなどということはあり得ないはずなのだが……」 「とにかく、海の結界によって我々の祖先は故郷から切り離され、このセルフィアーに残されました」 ハリーファが続ける。 「結界を施した人はサイダバードのことを知らなかったのでしょうけど、その結果、私たちがここにいる。私は、フレイからその話を聞いて、真実を知りたくなったのです。なぜサイダバードが、この地に残されなければならなかったのか。なぜ私が、ここにいるのか……だから、フレイと共に行きたかった。サイダバードを裏切るつもりはなかったのですが」 「……なら、何故サイダバードにたよりを出さなかった?」 スルタンは呻いた。ハリーファは針を飲んだような目をして笑った。 「そうしたら、私はサイダバードに戻らなければならなくなる。私は、真実を知っても、この人と共にいます。次の真実を見つけるまで……」 「次の真実?」 「ええ」 ハリーファは頷いた。 「なぜ、言霊人と神人は憎みあわなければならなかったのか。…異なる種族とは、相容れないものなのか……それを、確かめたいのです」 遺跡に一緒に行かないか、とフレイは誘ったが、スルタンはきっぱりと断った。これ以上、二人のそばにいたくはなかった。姉が幸せそうだったのが、よけいに痛かった。……やっと会えたのに、後味の悪さだけが残った。 会わなければよかった。聞かなければよかった。……顔を見ることができて嬉しかった。ただ、口惜しかった。 悪い人間でないことは分かっている。分かっている…… メールリンクス・メールディングは、シュエル郊外遺跡まで来ていた。今更、という気がしなくもない。もう何百人、何千人もの遺跡荒らしが挑戦し、当たって砕けていると噂の遺跡なのだ。もう訪ねる人もちらほらとしかいない。そこへ、二人連れが通りがかった。男女だが、男がメールディングと同じトゥー族だ。 「これから遺跡ですか」 メールディングは気軽に声を掛けた。男は振り返った。 「そうだが。あなたも遺跡に興味があるのか」 穏やかな視線だった。 「まあいい。興味があるならついてくるがいい。君だけで行くよりは、面白いものが見られるはずだよ」 「本当ですか」 メールディングは声を明るくした。フレイは頷いた。女と視線を見交わし、歩き始める。難関と噂の三つ目の扉、彼はその扉を開きはせず、匕首を出すとさくっと切りつけた。 白い気が溢れ出し、四人を包む。気がつくと、彼らは大きな広間にいた。円が描かれた床の真ん中だ。天井には水晶で屋根がかぶせられ、その上には水が見える。六角形の建物だった。 「ここは?」 「セルファニア湖湖底遺跡──ティイセニラ、だよ」 フレイがいかにも当然のように言うので、メールディングは目を白黒させた。 「ティイセニラって、あの……伝説の?」 「そう。もっともここはティイセニラに外付けされた緊急通路の一つに過ぎないけどね。……君も手伝ってくれないか?」 六角の各々にある台、その上には金属の碑板があり、言霊語らしきものが彫りつけられている。 「まさか、さわったら火を発するとかそんなことはないでしょうね?」 メールディングが尋ねると、フレイは笑った。 「大丈夫だよ。ライル社の施術宝器じゃないんだから」 扉を開け、中に入るとそこは全幅一粁はあろうかという広い建物だった。やはり六角形をしている。真ん中と六隅に柱があり、そのほかに二本、巨木が立っていた。 「あの柱から、階下に降りることが出来る」 「階段でもあるんですか?」 フレイは首を横に振った。 「昇降機、という垂直に移動する乗物で十階までは降りられる。それ以上はプロテクトがかかっているらしい。合い言葉か何かが必要なのかも知れない。まだまだそこは調査不足だが……」 「言霊人でなければ入れないよ」 柱から、人が出てきた。初めは銀髪だからトゥー族の人間だろうと思ったが、瞳は青紫色をしてはいなかった。……銀の瞳、とでもいうのだろうか。 「……言霊人? まさか……」 「君たちは何者だ。ここまで来れるということは、それなりの者なんだろうが」 「私はルーキ・フレイ。シュエル邑宰家の命により、シュエル郊外遺跡とティイセニラを調査している者だ」 フレイの言に、メールディングは瞠目した。そんな偉い人だったのか。その横で、女性がフードを外した。漆黒の肌に漆黒の瞳、漆黒の髪をしていた。 「私はキシン・ハリーファ、海の結界により故郷のラミニース砂漠に戻れなくなった部族の末裔です。このフレイと共に海の結界の研究をしています」 「ディリーパの神官として、かつての破壊の力をみておきたかったので」 メールディングはそう言った。 「いいだろう」 銀色の男は頷いた。 「俺はティーク・ギエン。このティイセニラにもう二節ばかり住んでいる。ひょっとしたら、お前さんたちの知りたいことに答えてやれるかもしれん。一緒に来い」 昇降機を出、扉を開け、最初に使ったような転移装置を通り、……それからそんなことを何度繰り返したかわからない。同じ道を帰れと言われても無理だろう。 「着いた」 ギエンの声に顔を上げる。 それは何かの装置のようだった。金色をした金属の柱のようなものの表面で、ひっきりなしに七色の光が明滅している。 「これは……まさか」 フレイは呻くような声をあげた。 「ハーリーティ・システム……ティイセニラの力と情報の全てを統括する主機関……まさか、まだ起動していたとは……それに」 その向こうに、水晶のような材質でできた大きな円形の容器があった。中は透明な液体で充たされ、そしてその円の底には銀か何かで正方形が描かれている。中央には黄、そして四隅には青、緑、赤、紫の色をした掌ほどもある大きな球が置かれていた。 「これは、いったい……」 ギエンは柱の前に立ち、蓋をひらいた。一部が四角く切り取られ、ギエンはそこにそっと手を置く。 「いったい、何を……っ」 液体がざわめき、上方へ向かって伸びる。と見る間に、それは収斂して人の形をとった。皮とも布とも金属ともつかぬ奇妙な服をまとい、長い緑の髪、緑の大きな瞳、額にはやはり緑の宝玉を埋め込まれた少女の姿をしていた。 「誰だ?」 メールディングが呟く。 「幻影だ。話しかけても無駄だよ」 ギエンが先を制して言う。 「ようこそおいでくださいました、帝国の末裔のお方。それとも 少女は悲しげに微笑んだ。 「私たち霊珠は、たった一人のお方のために殉じることを選びました。私たちの力の全ては、アフネリア、いいえ、セルフィアーを海の結界で閉ざすことに向けられています。私たちの主は、すべてを犠牲にしても、このセルフィアーが神人の世界になることを望んでおられました……」 左の手を胸にあて、神人式の礼をする。 「もし、言霊人が既に滅び、海の結界を除くことを望まれているのだとしても、それはできません。結界を解くと、エネルギーを使い切らないままのハーリーティ・システムが残されてしまいます。いえ、今のハーリーティ・システムは、私たちのエネルギーで力を増幅され、アフネリア邦国時代よりも危険な存在になっているのです。この力を他に転用させないためには、海の結界を維持し続けるしかありません」 幼いとも思えるその容貌とは裏腹に、言は明晰で、瞳には強い意志の光がみえた。つむがれる言のほとんどは理解できなかったが、彼女が必死に何かを守ろうとしていることはよくわかった。 「ですから、これでお引きとりください。ティイセニラの他の装置はディヤウス神の神官により破壊されたはずです。価値のあるものが残っているとしたら、それは通常階から通じる他の塔でしょう。ティイセニラを眠らせておいてください。そして、二度とお会いすることがありませんように……」 そして静かに消えていく。 「待ってくれ!」 フレイが叫んだが、 「だから、無駄だって言っただろう」 ギエンはため息をついた。 「何度来ても、メッセージは変わらなかった。これは遺書みたいなもんだ。彼女自身の意志は、きっともう失われている。俺は何度も来て、色々なことを試みたが、結局これ以上は何も得ることができなかった」 もと来た道を戻りながら、ギエンは言う。 「俺はずっと、自分がトゥーだと思っていた。俺は、父と母の顔を知らない。何で自分が捨てられたんだか、さっぱり分からなかった。だが、ここに来て分かった。俺は言霊人だったのさ」 「そんな馬鹿な。言霊人は独立戦争の時にすべて大陸に追い払ったはずだ。セルフィアーに残っているはずがない」 メールディングは反論した。常識的な答えだ。 「だが、そうじゃないんだ。……言霊人は、術法を重んじていた。術法を使えない言霊人は神人や人間以下の扱いを受けて都市から追放された。それを忘人という。忘人は神人の独立戦争に力を貸した。というよりそのおかげで独立できたといってもいい。忘人は人間に混じって生き延びた。だが独立があくまでも神人の力でなされたことを強調するディヤウス神官たちは、忘人についての記録を抹消し、人々の記憶をも消し去った。もっともそのおかげでディヤウス神官の多くも力尽きてしまったのだが」 フレイは頷いた。ありうることだ。 「俺はどうやら忘人の末裔らしい。父か母かが忘人系の人間で、もう片方がトゥーだったんだろう。外見はトゥーを受け継いで、言霊人の力を少し持っている」 それで捨てられたわけだ。言霊人の力を恐れたため、だ。 「異種の人間とは、分かりあえないものなのでしょうか……」 今まで黙っていたハリーファが呟いた。ギエンはその顔を見て首を横に振った。 「そんなことはないさ。俺にも親友がいる。お前さんだってそうだろう」 「そうさ、ハリーファ」 フレイはそっと彼女を引き寄せた。 「私はお前を愛している。種族の違いなど些細なことだ」 「ディリーパの愛が、二人の上にありますように」 メールディングは言い、そっと神に祈りを捧げた。 |
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