会誌-「ザラスMCPG 諸英伝」

ナーラダ族扉

■ 独立暦四〇〇年人の月 [リアクションNO.1−0]


「キルア」
 やわらかい声が空に滲むような、穏やかな春の日である。空の青を縫うように小ぜわしく飛び回っていた小さな鳥は、美しい声でひとこえ啼くと、少年の手に飛び乗った。
 瞳をめぐらせると、目に入るかぎりのすべてが新緑の草原だった。身体を半転させ、座る向きを逆にすると、目下に小さく城邑が現れる。視界の左端にはきらきらと光る水面がのぞいていた。
 古今を通じて絶景と謳われる明光である。丘の名をダーラという。城邑はウォウル、(あお)い城壁に囲まれた邑で、セルフィアーでも最大規模の大きさを誇る。中には十万以上の人が住む。四百年前の独立戦争の時に建造された城邑の一つでもある。住居、田畑、商店、工(しょう)、およそ人間が暮らしてゆく上で必要なすべてのものが揃っており、ふつうに生活している限りは、人々はこの城壁を出る必要はない。
 左方に見える湖はセルファニア湖である。水は淡水であるが、内海と呼んでいいほど広い。セルフィアーが「湖の島」と呼ばれるのはこの湖のあるおかげである。
 少年は城邑を見、湖を見た。そして空を見、指の上の小鳥を見る。ときおり遠慮がちに吹く風が、鳥の羽毛をけば立たせ、少年の黒髪をなびかせる。少年を見下ろす白い日と黒い月が、少しずつ少しずつ位置を変えてゆく。
「……決めた」
 山ぎわに懸かっていた太陽が天頂に近づいた頃になって、ようやく少年は岩から腰を上げた。飛び立った鳥を見上げた少年の耳に、かすかに近づいてくる馬蹄の響きが聞こえてくる。少年は表情を引き締め、ウォウルへ向けて丘を駆け下りた。
 馬蹄の響きはますます近づき、少年が疲労に耐えきれずに立ち止まったときには、馬上の男の顔が見えるまでになっていた。
「若っ」
 男は少年の傍らへ馬を寄せた。
「ジグト」
邑宰(ゆうさい)が、父上殿がご危篤です。一刻も早くお戻りに……」
 言いかけて、ジグトと呼ばれた男は少年を見つめた。あの丘からずっと、走ってこられたのか。
「……私の馬にお乗りください。私は後から参りましょう」
 鞍を降り、手綱を差し出す。少年は頷いた。
「すまない、ジグト」
 地を蹴ったと同時に手綱を引く。馬が走り出そうとして反動をつけたその瞬間に、少年は鞍の上に身を置いていた。同時に、緑色をした小鳥が少年の懐にもぐりこむ。
 風のように去った少年の後姿を、ジグトはじっと見送っていた。そして首を横に振ると、少年の後を追って歩きだした。


 少し時間をさかのぼる。
 父の優秀な副官であり腹心、邑宰丞のミナリア・ジグトが、
「若……」
 いつになく静かに扉を閉めたのを見て、彼は問うた。
「ジグト、どうしたのだ。容態が悪化したのか?」
「そうではありません。小康状態を保っていらっしゃいます──それとは別に、極めて重大な話があるのです。若ご自身のことで」
「私自身の? 邑宰位に関することか」
 現邑宰である父には子はヴィレク一人しかいない。子が幼いときは他の血縁の者が即いてもよいのだが、それは内乱の元だ。
 何を今更、という気持ちがヴィレクにはある。だが、ジグトは首を横に振った。
「邑宰位のことは既に決定事項です。もっと重大なことです」
「もっと? どのくらい重大だ」
「セルフィアー全土を揺るがすほどの」
 セルフィアー全土──この言葉が頻繁に使われるようになったのは、四百年前の独立戦争以降では六年前の事変がきっかけだった。キーサ王国による周辺の邑への侵攻。それ以来、少しでも時勢を見る目のある者は、この言葉を好んで使うようになった。
 曰く、セルフィアー全土を席巻する大乱。
 曰く、セルフィアー全土の体制の変革。
「分かった。場所を変えよう」
 ──そしてジグトの私室で話を聞いた。予想したとおりの内容だったが、だからといってさすがに平静ではいられなかった。
「……丘に、行ってくる」
 ジグトは自分も行って警護すると言ったが、ヴィレクは断った。自分の身ぐらい自分で守れる。それよりも父の容態に変化があったら知らせてくれ、と。ジグトは涼解した。


「ヴィレク、私はそろそろ死ぬらしい」
 父は、少し表情をゆるめたようだった。独立以来、十本の指に入る英雄と言われた父も、病に冒された今となっては、ただ子のみを思う一老人であった。
「父上、そんなことを……」
 ヴィレクは言いかけたが、父が長くないことは容態を見れば瞭然であった。それに自分が励ましたところで、父はもう疾に覚悟を決め、準備も済ませてしまっているのだ。
「ヴィレク、お前に訊くことがある」
 父は視線と唇に最期の力を注いだ。ヴィレクは大きく頷いた。
「分かっております」
「ジグトから聞いたか」
「御意」
 ヴィレクは父の手を離し、臣下の礼をとった。父は頷いた。
「私が訊きたいのは、諾か否か、それだけだ。ヴィレク……、どちらだ」
 父の瞳は、息子を愛しげに見つめていた。その態度から、すでに息子の心は分かっていた。それでも、その口からはっきりとした回答が聞きたかった。ヴィレクにもそれは分かった。
「諾、です」
「よく、言った……ヴィレク……」
 父は力なく瞼を閉じた。声と共に、命までも消えてしまったような気がした。
「父上!」
 ヴィレクは叫んだ。侍医が脈を取った。まだ死んではいない。
「……丞……ジグトは、どうした……?」
 ちょうどその時、ジグトが息を切らして入ってきた。
「邑宰……」
 ヴィレクの横に立つ。
「丞、……ヴィレクを、頼む。……次の邑宰を……そして……」
 ジグトが大きく頷いた。見えてはいない筈だが、邑宰は満足げに大きく息を吐き出し、そして再び息をすることはなかった。


 邑宰の死は多くの人に惜しまれた。同時にその追悼の念は、哀れみと不安となって遺されたヴィレクの上にのしかかる。彼はまだ一四歳でしかない。少女と見紛う愛らしい繊細な顔立ち。透きとおった翡翠石の色の大きな瞳。華奢な肢体。やわらかで甘やかな声。将来ならいざ知らず、今は倡優でもやっていた方が似合いではないかと思わせるような美少年だ。こんな人間にウォウルを任せられるのか、と邑吏や邑民が思うのも当然のことといえた。
 だがその柔弱と見えた少年は、実は竜の子であったのだ。
 涙一つ見せぬまま葬儀を済ませると、本来なら一年間喪に服さねばならぬところを、三日で喪服を脱ぎ捨て、
「先邑宰の遺言である」
 と広く報じ、それから一週間のうちに邑宰位に即いた。
 そしてその即位の日、独立暦四〇〇年水の月四一日。すべての儀式を終え、初めて邑議の席に座した彼は、開口一番こう告げた。
「城邑たるウォウルは、只今をもって終焉とする。今日これからは、この地は都城ウォウル。ウォウル王国と称することにする。そしてこの私、ナーラダ・ヴィレクがウォウル王となる。これを不満とする者は、この場で一剣もて決着をつけよ」
 ほとんどの者が唖然として声も出ない。その中で、ヴィレクの叔母、先邑宰の妹である兵吏長ナーラダ・ルーシは敢然として席を立った。一族の者の中でも邑宰に次ぐ実力の持ち主とされ、若いヴィレクを不満とする者たちは、ほとんど全員が、ルーシこそが邑宰にふさわしいと思っている。本人もその自負がある。
「今の言葉、聞き捨てならぬ。そのような重大事を、群臣に謀りもせず、独断で決めるとは。よいか、……王など名乗り、国など建てようものなら、周囲の邑より袋叩きに遭うは必定。断じてそんなことを許すわけにはいかぬ」
 その通りだと賛同の声が上がる。ルーシは更に言った。
「そのような断を下す邑宰など、ウォウルにとって禍にしかならぬ。ヴィレク、おぬしは今、一剣もて決着をつけよと言ったな」
「ああ、言った」
 ヴィレクは平然として頷いた。
「私がおぬしを倒したなら、私が邑宰になれるということか」
「その通りだ」
 ヴィレクはわずかに笑みすら浮かべている。ルーシは、邑宰位への野心よりも、剣士としての自尊心を傷つけられた怒りに我を忘れて立ち上がった。呻くように言う。
「ようも言ったな、ヴィレク……孺子が……。烈剣の剣士には、手加減という言葉はないぞ」
 ジグトが剣の柄を握り、二人の間に割り込もうという気配をみせたが、ヴィレクは目でそれを制した。
「望むところだ」
 言って立ち上がり、自ら先んじて剣を抜く。ごく普通の剣だが、彼の身体に比すると、それはいかにも大きく重たげに見えた。
「いざ!」
 ルーシは躊躇なく駆け寄り、剣を突き出した。
 誰もが、この少年はルーシに一刀で斃されるだろうと思った。烈剣随一の剣士と呼ばれ、実戦の経験も豊富であり、その剣によって何人もの剛将を倒しているルーシと、華奢な少年。勝敗は、火を見るよりも明らかであろう。……
 ところが、一瞬の後に現出したのは、肉を断ち切る音や血飛沫ではなく、鋭い金属音と宙を舞う一剣であった。
「な……っ」
 茫然として立ちすくんだのはルーシ。からん、と後方で乾いた音がした。
 負けたのだ。不敗を誇るこの剣豪が。しかも、たった一合で。
 カチャリ、と鍔の鳴る音が聞こえ、ルーシはようやく我に返った。喉元に剣が突きつけられていた。見上げているのは翡翠石の瞳。吸い込まれそうに大きな……。
「ははははは」
 ルーシは虚ろな笑い声をたてた。笑うしかなかった。自分自身の滑稽さに。剣豪と呼ばれ、最強の剣士と呼ばれていた。不敗の名将だと言われていた。ウォウルを支える者は自分しかいないと思っていた。それなのに、こんな子供一人にも勝てなかった。
 笑う他に、何ができるだろう。
「殺せ」
 叫んだ。こんな恥を背負って、生きていくことができようか。
 ……が、ヴィレクは何もなかったかのように剣を収めた。そしてルーシの肩ごしに群臣たちに呼びかけた。
「他に挑戦する者はいるか」
 粛然として静まり返っている。それを確認すると、ヴィレクは無邪気そうな笑みをつくった。
「これで、分かっていただけたと思う。依存はないと見なすが、良ろしいか」
 あえて反対する者はなかった。

■ 独立暦四〇〇年火の月 [リアクションNO.1−1]


「君か、私を援助したいというのは」
 ヴィレクは自分よりもやや年長の少年を見下ろした。
「左様です」
 返答して、少年──カルナ・ユタは顔を上げた。
 そうと気取られぬよう、失礼にならぬよう気をつけながら品定めをする。素晴らしい美少年だ。ナタ大司祭のあのエイラ姫と並べても見劣りしないだろう。エイラのような、滲み出るような剣呑さはないが、何故だかその視線には圧迫感がある。
 ユタは、エイラ姫の命を受けて──というより唆されて、このウォウルへやってきた。武器を集め、イレーヌの米を買い──はたと困った。それを何に役立てればよいのか。ウォウルへ行け、とはどういうことだったのか。
「どう思う」
 同行者に尋ねてみた。クベーラの神官だという、ヴェル・シャッドという男だ。アヴィーナを出る前、向こうから近づいてきた。クベーラは富と蓄財の神、その神官といえば、強欲でがつがつした人間と思われがちだが、シャッドはいかにも世間馴れした感じの落ちついた風貌をしている。髪はユタと同じく黒い。目も同じような灰色。肌の色だけが、妙に白っぽい。多弁で博識な男だ。
 どう思う、と問われたシャッドは、さすがに少し考え込んだ。近づくごとに、ウォウルの噂は多く聞こえてくるが、何が本当のことなのかは分からない。
「情報を整理してみよう。ウォウルの邑宰が死んで新しい邑宰が立った。新邑宰は先邑宰の子でまだ一四歳だ。君よりも年下だね」
 その新邑宰が王を称した。そして先邑宰の妹の兵吏長がそれに意を唱えたが、一剣のもとに封じられてしまったという。
「そして兵吏長以外の一族の者も不満をくすぶらせている……」
「この情報の信用度は、まあ、七分ぐらいかな。くすぶらせているのか、隠匿しているのか。ナーラダ・ヴィレクがこのことを知っているのかということが問題になるが、まあ、私達でさえ知っているんだ。当然知っていて、手も打っているだろう」
「では、俺が援助すべきは、王の側か」
「そうだな……」
 シャッドは天を仰いだ。
「まずは人物を知ることだ。ウォウル王ナーラダ・ヴィレク、この人物にまず会うことだな」
 ──投資する価値はある。
 ヴィレクを見て、ユタはそう思った。
「武器は剣五千、矛を二千揃えております。それから鎧を……」
 持ってきた品々の品目、数量をすべて挙げる。
「膨大な量だな……」
 ヴィレクはただでさえ大きな目をみはり、後背に控えるシャッドに目を向けた。黒髪灰眼のナルス、紫の衣。ぬいとられた紋はクベーラのもの。クベーラの予言か、蜘蛛会の力か。こんなに素早く大量の物資を集められるのは常人の力ではない。
「しかし今こんなに買い込む金はないぞ」
「代金は勝った暁に」
 ユタは言い、深く頭を下げた。ヴィレクは頷いた。
「分かった。……必ず勝つよ」


 アーニクはウォウルの北方に約二日行ったところにある、人口五千人ほどの邑である。規模としては中邑といわれる大きさだ。とりあえず邑宰がいて議が機能している。
 レザー・ウェルという名の少年は、たった一人でこの邑へやってきた。自分よりも一つ年少なのに王を称したヴィレクに憧れ、配下にしてくれと頼み込んだところ、その剣の腕と並外れた敏捷さ、判断力、そして何よりもその子供っぽい容貌を買われてこの大事な役目を賜った。悪くすると命がなく、そしてその可能性はきわめて高いというのに、ウェルの表情はひたすら明るい。自分の行動によって戦を始めることが出来ると思うと、楽しくて楽しくてしかたなかった。
 彼の父は平凡な農民、母は医師である。その二人に、どうしてこんなぶっそうな子ができたのかはさっぱり分からない。剣を眺めるのが好きで、新しい剣が入ったと聞くとすぐに武器屋に行って、一日中眺めていても飽くことはなかった。扱い方は誰から習ったわけでもない。剣を眺め、剣が動きたがっている通りに動かす、それが彼の剣であり、当然ナーラダ伝統の疾剣ではなかった。
 ウォウル王の使者だと言うと、あまり待たされずに邸内に通された。ウェルは左右をくまなく眺めた。道を覚えておくことにする。いざとなったら、何があっても逃げなければならない。
「ご用の向きは何かね」
 アーニク邑宰は、ウェルの顔を見るなり不機嫌な顔になった。周囲の邑に何の前ぶれもなくいきなり王などというものを称した大邑から使者が来る、そのうえその使者がこんな子供とは。
「用とは他でもありません。このたび我が王ヴィレクは王位につきました。貴邑にも、これをお認めいただきたく……」
「馬鹿な」
 アーニク邑宰は堪忍袋の緒をぶった切った。
「王制を認めよ、と?」
「はい、そういうことです」
「なぜ貴邑の独断専行に我が邑がつき合わねばならぬ !!」
 ウェルは瞼をぱちぱちとまたたかせてみせた。
「では、あなたは認めないというのですか」
「当然だ!」
 と彼が叫んだのは、自尊心のためばかりではない。アーニクの周囲にある邑はウォウルだけではない。他の邑はウォウルよりもはるかに小さいが、ウォウルよりずっと近いのだ。
「では、力に訴えることになるかも知れませんが」
 つい、唇が綻んでしまう。
 邑宰は叫んだ。
「こやつを捕らえよ!」
 妥当な反応だな、とウェルは思った。使者を捕らえて時間を稼ぎ、その間に周囲の邑との連携をまとめようという腹積もりだろう。しかしウェルは思惑通りになる気は更々なかった。邑宰の左右の者が抜剣し、扉が開かれて搦め手がぞろぞろと出てくる。その頃にはもう窓を切り破って飛び出している。
「追え──っ !!」
 こういう場合もっとも典型的な台詞を背に聞きながら、ウェルは屋根をつたって駆けた。駆けて駆けて、そこらにつないであった馬を奪い門を破って……気づいた時には、野の中にすわりこんで、アーニクの邑を遠く眺めていた。追手はうまくまいたようだ。


 少年は軍の先頭に馬をたたえていた。重々しい鎧に、ほとんど顔が見えなくなるくらいに大きな(かぶと)をかぶっているが、あまり重そうにしていないのは、ルーシを下したほどの腕を持っていたということの裏付けになるだろうか。
 隊列は延々と続いている。兵吏長なしでこれだけの人数を留めておけるということは、王へ協力しようという者は結構多いのではなかろうか……しかし、
「おかしい、これはウォウルの全軍ではないか?」
 シャッドも同じ疑問を抱いたらしく、そう呟く。
「手は打っている、とヴィレク王は言っていたが……」
 どういうことなのだろう。今、彼がウォウルを空けたらどうなるのか、知らぬ訳でもあるまいに。


「ふん、やはりまだ子供だな」
 ヴィレクの伯父、先邑宰の弟にあたるナーラダ・クルードは鼻で笑い、自分の剣の柄を叩いた。
「王号に酔って、我々に背後を見せるとは。やはり、兄上の子といっても孺子は孺子だ。ウォウルを取ってくれと言わぬばかりではないか」
 クルードは私兵を百ほど持っている。本来は邑宰家家長の所有の兵なのだが、ヴィレク即位後に抱き込み、自分のものにしてしまった。また、他に邑兵のうちヴィレクに不満を抱いている者を五十ほど引き入れた。ウォウルの全軍に比すれば微少な兵力に過ぎないが、その軍は今いない。王もジグトも邸を空けている。吏庁を制圧して城門を閉ざせば、ある程度対抗できるはずだった。
「これは罠なのではないのですか」
 次男でまだ一三歳のナーラダ・エルマクが言ったが、
「何の計があるというのだ」
 血気にはやる長男チードの言に背を押された。クルードは意気揚々と、吏庁外にある自宅から兵を引きつれて移動していった。
今は王廷と呼ばれている邑宰邸は、ねずみ一匹いないように静まりかえっている。門を破るのを止める者すらいない。
「さて、この奥の間が邑宰の公室だぞ」
 カチャリ、と戸を開けて──
 瞬間、見たものが信じられなかった。
 黒絹の髪、翡翠石の瞳、竜卵の肌。幼げな、可憐な容貌。甲はつけていない。深い青色をした重たげな鎧、その重さを感じさせぬ、涼しげな表情。
「何故……」
 かすれた自分の声に、はっと我に返った。
「何故、貴様がここに! アーニクを攻めに出たのではなかったのか?」
「今、ここにいるのだから違うのだろうね」
 甘やかな声で言って、にっこりと笑う。クルードは逆上と混乱で理性を完全に失った。剣をふりかぶり、ふりおろす。が、それは見えない壁のようなものに弾き返された。
「何っ? 気功術法か……?」
 ヴィレクの左にいる見慣れぬ若い男が手を突きだしたのを見てクルードはそちらへ剣を向けようとした。チードがヴィレクにおどりかかる。ヴィレクはそれを剣で受け流す。青年──クラウ・ハデンは反射的に気弾を打ち出そうとして一瞬ためらう。これを撃ってはクルードを殺してしまう。なるべく生かしたまま捕らえて欲しいとヴィレクに言ったのは彼自身であった。クルードの剣がかすめる。体に傷はないが、衣が裂けた。
「ハデン!」
 裏口の方の扉を蹴破るようにして、赤い髪をした褐色の大男がクルードに体当たりを喰らわせた。
「ハクユウ、来てくれたか!」
 ハウデンが心から嬉しそうに言う。その男のあとからも、次から次へぞろぞろと戦士風、術師風の男女が入って来、クルード配下の兵たちはじりじりと部屋の外へ追い出される。
 と思うと、外の方からもざわめきと喚声が聞こえてきた。やたらと元気の良い足音がして、扉がまた開く。
「ヴィレク様! 全部、片づきました!」
 ヴィレクと同じ鎧を着、甲を左手に掴んでいる。身長や体格はよく似ているが、顔立ちはまったく別人だった。
「ご苦労だった、ウェル」
「影武者とは……貴様、謀ったな……!」
「これくらいの策に謀られる方が悪い」
 ハデンが冷たく言い放つ。クルードは唇を噛んだが、何も言い返すことは出来なかった。

■ 独立暦四〇〇年風の月 [リアクションNO.1−2]


[ライル社、という組織がある。元は一介の武器開発会社だったが五年前に創師の大量雇用による施術宝器の大量生産を始め、『スウィズ』という一つの邑を形成するに至った。そのためスウィズには邑宰はおらず、ライル社が施政をおこなっている。三年前に前社長は病死し、今はライル・ナタケという一七歳の少女が跡を継いでいる。──第二回会誌に掲載の元宵氏の寄稿より]


 ウォウル王佐クラウ・ハデン。無口で冷徹な男で、反王派の主魁であった叔父を捕らえた裏には彼の策と人脈の功があった。その時にヴィレクらに加勢した賊軍の頭ナーズ・ハクユウは、そのままウォウル募兵尉となり、彼の配下の賊たちも俸給を与えられることになった。これは、いわば彼の私兵である。
 そしてクラウ・ハデンは、アーニク及びそれら諸邑の攻略に関して、スウィズに仲介役を頼んで連合を切り崩すよう進言してきた。その見返りとしてスウィズ・ライル社の施術宝器を大量発注し、ウォウル軍、特にハクユウの軍の装備を強化するように、と。
「王佐のことですが、最近、妙な動きがあるようですね」
 ミナリア・ジグトは苦い顔をした。
「進言のことか。スウィズについては、噂は聞いている。随分と勢いの盛んな邑のようだな」
「と同時に、王佐の個人的な縁故です。そこが気になりますね」
「……あれはお前の薦めた人材だぞ」
 ヴィレクは書類から顔を上げた。ジグトは頷く。
「ですが、あの時と今とでは状況が違います。八吏の半ばが機能を停止していた先節までは、誰彼構わず起用してよかった。しかし今では、反対派も少なくとも叔父上の一件の不始末を見て水面下におさまっています」
「だからといって、王佐の意見を採用しない理由にはならないだろう」
 ヴィレクはため息をついた。ジグトは頷いた。
「もちろん、私情から申し上げているわけではありません。ただ、強力すぎる力は両刃の剣です。手になさるべきではない。それに、スウィズと我が国との間にはスィスニアがある。もしスウィズと組めば、黙ってはおりますまい」
「そういう理由なら」
 分かる、とヴィレクは頷いた。
「王佐の策は保留としよう。いささか強引に過ぎる。邑内の反対派を片付ける方が先だろう」
「御意」


 一人の妖人が、ライル社社長ライル・ナタケに琴の音を献じようと言ってきた。断る理由もなし、それに戦乱の気配の濃厚になる中、風雅な琴の音を聴くのも一興。喜んで了承した。
 会見室に入ってきた妖人は青年の姿をしていた。腕に三角琴(トライガン)を抱え、一礼する。その場にどっかと腰を下ろし、軽く調弦をおこなってから弾き始めた。短い前奏の後に歌が入る。

 この空もこの雲も知らぬはるかなる昔
 異郷に王立ち彼国此国を占す……

 チェリア朝のことを詠んだ(うた)だった。神々から人界すべてをゆだねられた王朝、しかし自分たちこそ人界の支配者だと思い上がり、神人(ホルス)人間(ナルス)を軽んじ術の力を背景にして圧制を布いた。そしてその傲慢の報いを受けた。独立戦争により、セルフィアーから言霊人(イシス)は追放され、圧制の背景となったものは街といわず祠といわず塚といわず、ことごとく封印され抹消された──
「……何が言いたいのですか?」
 歌が終わった後、ナタケは穏やかに聴いた。妖人は笑った。
「優れた薬も大量に用いれば人も殺せる、ということですよ」
「私たちが施術宝器を用いて圧制を行うのではないかと危惧しているのですね。そんなつもりは全くありませんよ」
「あなたはそうかもしれない、しかし次の社長はどうでしょうね? 持っているだけで使わない、そんなことができるか……」
 妖人は琴を調弦しなおしながら言った。
「我が星薬会は、我々の利権を侵害しない限り、あなた方が何をしようと掣肘はしません。しかし、他の……例えばヴィシュヴァカルマン神殿などは、どう思っているのでしょうね? それに」
 妖人は立ち上がり、和音をいくつか奏でた。
「知っていますか? 独立戦争後、チェリア朝の遺跡の抹消にもっとも精力的だったのが、ディヤウス神殿だったということを」
 先刻の旋律を奏でながら、背を向けて扉へ向かう。
「この邑がチェリア朝の轍を踏まないことを祈りますよ」
「……無礼な!」
 ついに耐えかねた衛兵が抜剣しかけたが、ナタケは首を横に振ってそれを制した。


 ナーラダ・ルーシは、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
 今でも瞳を閉じればあの時の光景が瞼の裏によみがえる。
 剣刃と剣刃の打ち合う音。たった一度きりの。そして、床に落ちた一剣。
 たった一合で、私は敗れた。
 だがそれももう過去のことだ。一対一で、余人の何の掣肘もなく、それでも私は負けた。
 負けを受け入れる。それが、せめてもの剣士としての誇りだ。
 ……剣士の誇り、か。
 ルーシは自嘲の笑みを浮かべた。
 負けて誇りがあるものか。単に、負け犬に過ぎぬではないか。
 出仕するでもなく、ただ家の中にこもっているばかり。
 あれから鍛錬もしていない。ずいぶん腕は鈍っているだろう。
 兄のあの無謀な計画に協力して自滅していた方が、まだましだったかもしれない……
「ルーシさん?」
 突然背後からかけられた少年の声に、一瞬ぞっとしたが、幸いヴィレクではなかった。だいたいヴィレクは私にさんづけしたりはしない。
「ヴィレク様の使いで来たんだけど……全然取り次いでくれないから来ちゃった」
 無邪気なものである。何故このような子供をよこすのか、と考えかけて、そういえばヴィレクの影武者をやった者がいたという噂を思い出した。この子供がそうか。レザー・ウェル。
「あのさ、いい加減いじけるのやめて廷に出てきたら? 事務が滞ってしょうがないんだ。兵吏長がいないと、片付かないんだよ」
「ヴィレクに伝えてもらいたい。私の他の誰かを兵吏長に据えればよろしかろう、と。放っといてくれ。丞などは私より将の器だ」
「それがね、兵吏丞が『ルーシ様以外の命には従いません』とか言い出しちゃって、どうしようもなくなってるんだよ。俺だってあんたみたいな上司は願い下げなんだけどさ、そうじゃない人の方が多いみたいだよ。だからさ、とりあえず一回廷に出てきなよ。やめるならやめるで、ヴィレク様に直接そう言ったら?」
「──どの面下げて会えというのだ」
 ルーシは呻いた。私は、負けたのに。
 ウェルは大きな目をみはって言った。
「つまんない意地張るのって、疲れない?」
「……」
 ガキめ、と思って腹が立ったが、つまらない意地、確かにその通りなのだ。ルーシは唇を噛んだが、ついに折れた。
「……分かった。明日、出廷する」

■ 独立暦四〇〇年空の月 [リアクションNO.1−3]


 ナーラダ・ルーシは、再びヴィレクの眼下にいた。
(二度と来るまいと、そう思っていたのに……)
 かつては邑宰以外の人物の前で膝を折ったことなどなかった。邑宰丞さえも自分を敬い、同格の者も自分を立ててくれていた。
 その自分が、小生意気な子供の言に乗って、今、再びここにいる。別の世界で起こっていることのように現実感がなかった。
「兵吏長」
 ルーシはゆっくりと顔を上げた。前会った時が人の月の初め、今が空の月の初めだから、ちょうど同じような服装をしている。半年の時の流れを感じさせぬ部屋の中で、ヴィレクはにこやかに微笑していた。少し背が伸びたようだ。立ち上がった彼の頭の高さと座の背の高さがほぼ等しくなっている。相変わらず美麗な容貌、ただ、瞳の光が前よりもよけいに鋭さを増したように思うのは、ルーシ自身が気後れしていたからだろうか。
 ヴィレクは傍らのウェルから一剣を受け取り、ルーシに差し出した。二人の視線が咬み合う。ヴィレクの意図は明らかだった。剣を受け取れ、とは要するに臣下になれということだ。ルーシは彼から瞳を外し、鞘に収まった剣を見つめる。革の鞘には、竜の象眼が施され、その瞳には竜眸石らしき石がはめこまれていた。
「……この剣で私が斬りかかったとすれば……」
 ルーシは呟いた。ヴィレクよりも隣のウェルが目を見開き、剣の柄に手をかけたが、ジグトがそれを制した。
「一体、どうするつもりだ……?」
「やってみればいいのではないか」
 いっそうにこやかに笑って、ヴィレクは言い放った。言外に、もう一度半年前と同じことをやってみるかと問うていた。ルーシは頷き、剣に手を伸ばした。
 ウェルの身体に緊張が走る。
 ルーシの右手が剣を掴み……そしてそれを腰に帯びた。
「分かった」
 膝を後ずさらせ、頭を下げる。深く深く、床に額が触れんばかりになったところで停止し、そのままの姿勢で言った。
「我が主が、ウォウル王ナーラダ・ヴィレクのみであることを、黒竜の名にかけて誓う……」


 レザー・ウェルは嬉しくてたまらない。ルーシが復帰したこと自体は別にどうでもいいが、彼女が臣従を誓ったことは王制反対派の意気を挫き、あるいは転向させることができるであろう。
 ウォウルはやっとひとつに戻る。内憂はなくなった。あとは外にだけ気を配っていればいい。ヴィレク様が王号を名乗ってから半年、雌伏の時の終わるのも近い。
 しかし向こうから歩いてきた優男を見て、ウェルの楽しい気分はいっぺんに吹きとんだ。内憂とは王制反対派のことだけではない。もう一つの内憂、ウォウル王佐クラウ・ハデン。と元賊軍の頭で戦功者、ナーズ・ハクユウ。本人たちはどう考えているのか知らぬが、スウィズと個人的につながりがある、というのは傍目から見て充分いかがわしい。ましてやハデン自身が道士なのだ。
(ハデンさん、あんたが何を考えてんのか知らないけどさ……)
 すれ違う。ハデンの方はウェルが目に入っていないようだが、ウェルは挨拶のことばさえかけなかった。
(ヴィレク様の邪魔をしたら、絶対にあんたを許さないからな!)


 ハデンはそのまま歩いて王の室の扉を叩いた。歓迎されないことは承知の上だ。
「オレも考えてみれば言葉がすくなすぎた。だから今日は、いっさいの策を放棄して本心で話す。よろしいか」
 ヴィレクは大きな瞳をおだやかにハデンに向けている。
「まず、オレは何者か、ということを話そう。確かにオレはきわめてスウィズに近い人間だ。正確に言うと、社長のライル・ナタケと知り合いなのだ。だがオレは間者ではない。誰かを利するためではなく、自分個人の考えで動いているのだからな。そして、オレの理想は──」
 ハクユウと目を見交わしてから、
「ナーラダ族の統一、それだけだ。このハクユウも、メール族ではあるがオレの考えに共鳴してくれた。そして、ナタケの考えていることもオレ達と同じなのだ。統一、といっても力による強圧的なものではない。それではチェリア朝の二の舞になる。オレ達の考える統一とは、『連邑制』によるヨコのつながりのことだ」
 きっぱりと言い切って、ヴィレクとジグトの表情をうかがう。ヴィレクは首を傾げるようなしぐさをみせ、ジグトは頷いた。
「その原動力としてウォウル=スウィズ同盟を狙っている。オレがいろいろ動いていたのを不審に思う向きもあったろうが、オレはこの理想のために動いていただけなのだ。スウィズを利そうとか、ウォウルを裏切ろうとかいうことはかけらも思っていない。そもそもヴィレク王が王号を称したのも、ナーラダ族を統一しようという目的の元だろう。オレはそう思ったから、王に協力してきたのだ。目的がオレ達と同じだと……」
 うむ、とまたジグトが頷く。
「また、王はスィスニアを恐れておられるようだ。ウォウルが王制を続ける限り遅かれ早かれ激突せざるを得ない相手だろう。そのためには強力なパートナーが必要だ。それも、オレがスウィズと組むべきだと言う理由の一つだ。……しかし、今はハッキリ手を組まなくていい。とにかく一度、ライル社社長ライル・ナタケに非公式で会ってほしいのだ。この乱世にあってあんな奴はめずらしい。正しい論理観、人をひきつける人徳、まっすぐでしっかり者、現実をよく見据えている。会えばわかる。オレがうまく都合しよう」
 ほとんどまくしたてるように言うハデンを、ヴィレクは興味深げな目で眺めている。この男がこれほど饒舌になったのは初めて見た。ハデンの隣のハクユウはにやにや笑っている。ハデンがこれほど熱心に語っているのは、そのナタケという少女に原因があるに違いないことは容易に推測がつく。
「言いたいことはそれだけかな」
 ヴィレクは訊ねた。ハデンは頷いた。
「分かった。……本心を聞けたことは幸いと思う。ライル社社長との会見の件については、検討しておこう。また後ほど返答する。もし必要なら君に働いてもらう」
 御意、と呟き、ハデンはハクユウを促して出ていった。


 ハデンは『連邑制』によるナーラダの統一、と言った。それは独立初期の状態を、長老会抜きで復活させるということになるだろう。彼がそれを意図しているかは分からないが。
 そしてヴィレクの目指しているもの──先邑宰が考えていたものは、『王国制』によるナーラダの統一である。かつての長老会の行っていたこと、あるいはそれ以上のことを、王を中心とする王廷が行う。王、といっても、ヴィレクや先邑宰の考えているものはキーサのように世襲のものではない。その時代のナーラダで最も優秀な人物、それが彼らの考える王だ。
「たまたま、私はよい息子を得た。だから私は安心して邑宰位を託せるが、もしクルードのような息子が生まれていたら、と思うと時々ぞっとする」
 先邑宰はジグトによくそう言っていた。
 だから、王制を布くべきなのだ。ナーラダを統一し、その時代のナーラダから王たるべき者を選出し、その人にナーラダの民すべてを託す。邑ごとの長は世襲でもいいが、ふさわしくない者なら王の権限でやめさせる。そうすれば暴政をしく邑は出ない。
「『連邑制』──ナーラダ族の邑すべてが同盟を結び、たがいに牽制し合いつつ助け合う、ということか。それも一つの考え方ではあるが、すると邑同士の大きさ、邑同士の力関係がすべてを決するようになるだろう。争いの種をあえて蒔くようなものだ。今と何も変わりはしない」
「そうですね。王が立ってナーラダ族が団結すれば、もっと物事を広く扱うことができる筈です。それが我々の目指すもの……」
 セルフィアー全土が一つになる必要はない。セルフィアーという閉ざされた地域で、ひとつの政治機構しかないという状況は、その機構に反発する者の存在を許さなくなるだろう。ハデンは、チェリア朝の二の舞と言った。その言は、彼にセルフィアー全土の統一という目的があることを示唆していないだろうか。その点においても、ヴィレクとハデンの考え方は異なっている。
「それはそれとしてだ。ナーラダ統一までの過程として、どこかの邑と手を組むという考え方は、有用ではある。しかし、それがスウィズではいけないというのが、お前の考えだったな」
 ヴィレクはジグトの瞳をじっと見つめた。ハデンに向けていたものとは違い、きわめて鋭い視線だ。それはジグトをより信頼している証であることを、ジグトは最近確信している。相手が信頼できぬ者、自分に遠い存在であればあるほど、ヴィレクはおだやかな瞳をする。
「スウィズは──というよりライル社は、です。あれは邑ではなく一つの利益団体ですからね。その点わがウォウルやスィスニアといった邑よりは、ナルスのアヴィーナに近いでしょう。民のことや社会のことより団体の利益を優先するのは、その構成原理から言っても当然のことです。その点対等の邑として期待することはできません。それが一つ」
 ジグトは指を折る。ヴィレクは頷いた。
「二つめとして、スウィズには敵が多すぎます」
 蜘蛛会は、乱世に武器の売り上げが思ったほど伸びないことに不満を感じている。星薬会は医薬に関する宝器を勝手につくりはしないかと心配している。そして一番多いのが神殿関係だ。
 かつては施術宝器といえばヴィシュヴァカルマン神殿の専売特許だった。利益を損じる、ということももちろんあるが、それより心配しているのは地気を乱すのではないかということだ。施術宝器はそれ自体気が乱れているうえ、作製するときに周囲の気をも乱す。だからヴィシュヴァカルマン神殿では一邑に十人以下しか創師をおかないなどの配慮を行っている。しかしライル社では大量生産を行っているという。
 地気が乱れれば、人の寿命が短くなったり、奇病が発生したりする可能性がある。特に一五歳未満の子供は、気が未だ不安定であるため、強く影響を受けるだろう。
 もうひとつ、ディヤウス神殿がライル社の動きに神経をとがらせているという。ディヤウス神王は光の神の長で、別名を至高天神とも天帝ともいう。太陽=至高城に住み、光の神すべての力を束ねて地上=人界へと送る。そういった利益を地上にもたらす一方、ディヤウスは自分の存在を脅かす者の出現を非常に恐れている。闇の神と、不毛な争いを延々続けたのもそのあらわれであり、また、チェリア朝に敵させるため五種の民をセルフィアーに送ったのもそのためだ。独立戦争後、チェリア朝の遺跡の抹消に最も精力的だったのはディヤウス神殿だった。
「アシュラの教典には『ディヤウスの制裁』という言葉が載っているそうです」
「『ディヤウスの制裁』?」
「はい。ディヤウスが、人界が過ぎた力を手にするのを防ぐため、神官に命じてとりつぶさせることを言います」
「それが、行われつつあると」
「そういうことですね」
「神が、人のやることに手や口を出すのか?」
 ヴィレクは少々不機嫌に言った。自分のしていることが、自分の力の及ばない者によって阻害されるとしたら、人とはなんて不自由な生き物なのだろう。
「とはいえ、神官たちがそれに共感しなければ、『制裁』も成立しないわけですからね。だいたいそんなに頻繁におこなわれるものでもないようです。独立戦争後、セルフィアーでは初めてではないでしょうか」
「そんなものか」
「ですからヴィレク様、スウィズと手を組むべきではないというのはそういうことです。ディヤウスは我々の行っているような類の社会的変革に対してはあえて手を出すことはありません。対し、ライル社のしていることは、私から見ても危険に思えます。『ディヤウスの制裁』が発動されるのも道理、と思えるほどに。ライル社が沈むのに我々が巻き込まれる必要はありません」


 スィスニアは、商業の街である。
 盆地、しかも「竜の道」と呼ばれる唯一の交易路を除いては道もなく、険しい地形によって天然の要害となっているようなところであるにもかかわらず、多くの人々がこの地に住み、それを養っていけるだけの産業もあった。周囲の邑との仲が良好であることにかけては、ナーラダ族の大邑としては珍しいほどだ。もちろんそれには理由がある。周囲の邑は、果樹生産で成り立っている邑でなければ鉱山を保有しており、いずれにせよスィスニアで加工しなければ商品にならないのである。
 特に有名なのは果実酒と竜眸石。竜眸石とは透明又は半透明の鉱物で、水晶に似ているが加工しやすく、施術宝器の原料としては最高級のものである。これが産出するのは今のところスィスニアの近郊だけで、これだけでも十万人分の儲けはあがるといわれる。竜眸石単体でも売れるが、ヴィシュヴァカルマン神殿ではこれに加えて最近鉄という金属の利用法も開発しており、利剣は早くも一部の軍人にマニアを生むほど有名になっている。鉄は加工しやすいが錆びやすいので、これまで利用できないものとされてきたが、竜眸石を象眼し防錆の力を施せば青銅剣より良いものができることが判明したのだ。
「いかがですか、そこのお兄さん?」
 青年は人なつっこい笑みを浮かべて、前を通りかかった大男に声をかけた。
「お兄さんってのは、俺のことかい?」
 鮮やかな青色の革の短い上着がよく似合う。どう見ても「お兄さん」という柄ではない。がさつそうな風貌だが、ぎらりと光る翡翠石の瞳には何とも言えぬ親しみが感じられる。
 店の中を覗いて、男は驚きの表情を浮かべた。剣、盾、矛など、武具の種類は多くなかったが、それがいずれも鉄製である。
「凄いな……。こんな店を知らなかったとは、俺としたことが大不覚だ。ヴィシュヴァカルマン神殿にコネでもあるのか?」
「いえ、公価で卸してますよ」
「そうか。それでもこれだけのものがあるのか……」
 フェイロンは感じ入ったようにその鉄剣を見つめていたが、やがて懐を探った。
「この剣を一本もらおう。卸値はいくらだ?」
「そこの売値よりは安かったですよ」
「じゃあ、売値の二倍は出す。これだけの価値はあるはずだ。蜘蛛会が手を出すようになれば、これ以上じゃなきゃ売れなくなるぜ。何にせよ、良い勉強をさせてもらった。名は何という?」
「ラファエロ・ティフォートといいます。仲間内では、ティト、とも」
「ティト、か。星薬会の奴の前でそんな呼び方したら殺されるぜ。それじゃあな。また来るぜ」
 フェイロンが出ていくと、店の中には一人の客もいなくなった。これだけのものが置いてあるのに客が来ないというのは、よっぽどの商売下手なんだなと、フェイロンは心の中で呟いた。


 ナグモ・リューンという男の目的は奈辺にあるのか見当もつかない。彼はスィスニア兵吏長の位についてからわずか一節(ひとつき)で軍を完全に掌握し、各々の特性に応じて編成し直してまるで一体の生き物のように自在に動かせるようになっていた。
 配下の者からは例外なく好かれ、「軍神」と尊敬されてはいたが、同格の吏長や吏丞格の者たちでは面白からず思う者も多い。人吏長の目を疑っているわけではないが、才を恃んで人を軽んじるところが、旧臣たちの反感を買っていた。
 とはいえ、彼らに抗せるような相手でもなかったので、何らの手出しもされない。リューンはというと彼らのことなど眼中にないようで、ひたすら兵師の充実に情熱のすべてを注いでいた。
 怜悧、といえば聞こえは良いが、要するに不遜な男なのである。だが素晴らしい長身、よく引き締まった、鍛えられた肉体を常に鎧甲に包んで城中を闊歩する姿は、確かに兵たちには神のごとく見えるのだった。
「実戦経験はないからね。まだその点では未知数だけど……」
 邑宰丞ヴァシュナ・シリルが、彼の主に向かって話しかけた。ちょうど彼らの眼下を、その男が通過していく。
「でも、頼もしいことですわね。あれだけ兵に慕われているのですもの、心配ありませんわ」
 そう答えた若い女性は、ナーガの司祭衣を身につけている。清楚で可憐、とよく表現される外貌は、その衣さえなければディリーパの化身と形容したいほどだ。スィスニア邑宰とナーガ大司祭を兼任するルシャナ・シルキーヌ姫である。神殿と政体の首座を兼任する若い女性といえば蜘蛛会のナタ・エイラ姫が有名だが、ちょうど彼女とは対極といえるだろう。エイラ姫が美貌に剣呑な気配を隠そうともしない、きわめて激しい人柄であるのに対し、シルキーヌ姫は神秘的な雰囲気と柔らかい表情を内に秘めた人物という印象を受ける。
 シリルは、シルキーヌの父の従弟である。まだ乳離れもすまぬころからシルキーヌを見てきたのだから、まるで実の子のように愛おしい。シルキーヌが文武術法いずれにも通じ、輔佐など必要としていないのを知ってはいるが、それでもなおシルキーヌを輔けたいと思って丞をつとめている。リューンとは対照的に、中性的な外貌と穏和で優しげな態度の持ち主である。
「あの男は昔、シルキーヌの側仕えをしていたね」
「ええ、あの頃からよく側を離れては剣を振り回していたわ。今も全く変わらないわね、考えてみると……」
 あの男は単に剣を振り回したいだけなのだろうか、とも思う。剣とは実物の剣のみならず、その剣を持つ軍をも含めてのことだ。
 このセルフィアーの地で、存分に剣を振り回してみたい。力を振るってみたい。その気持ちは、分からなくもない。ナーラダ族は元々戦士の民だ。
「戦が起こるわ……」
 シルキーヌはそっと呟いた。
「戦が怖いかい?」
「いいえ、怖ろしくはないの。でも、哀しいわ……」
「そうだな」
 ナーガの司祭らしくもない、とは思わない。優しく純粋な心、政治や軍事には必要ないものではあろうが、シルキーヌはそのかけがえのないものを持っている。政治や軍事なら余人にもできるが、その心は取りかえのきかぬものだ。
 このかけがえのないものを、守りたい。何者にも、傷つけさせはしない。
 シリルは、そう胸の中に呟いた。

■ 独立暦四〇〇年地の月 [リアクションNO.1−4]


 ザラスの中でもとくに戦乱の地として知られるようになるこのセルフィアーの歴史の中で、ほんのわずか、四〇〇年間続いた平和が終わろうとしている。そもそもセルフィアーは人界でも地界寄りに位置し、神々が光と闇、天と地のふたつに分かれた頃から最も進退のはげしい戦場となってきた。「永遠の終結」条約(エトームヴァオージ)を経てチェリア朝の時代へ、そして独立戦争へと引き継がれ、ひとたびは記憶の底に沈んだ戦士の血の叫びが、時を越えて甦ろうとしている。黎明の時代はゆるやかに過ぎゆき、激動の五王国期へと続いてゆく、その幕開けとなった独立暦四〇〇年という年も、もうあと一節を残すのみとなっていた。
「雪か」
 灰色にくもった空を眺める。ナーラダ族の居住地域は全体に温暖で、冬の寒さもそれほど厳しくないのがふつうだ。しかし今年は平年よりも雪の降る日が多い。
「雪、ですね。あまり積もらないとよいのですが」
 ジグトが横あいから言う。そうだな、と呟いたヴィレクの黒い髪に、白い欠片がかかった。
「あまり長居すると風邪をひきますよ」
「そうだな……」
 ヴィレクの左手にはキルアが止まっている。火の月の欅の葉の色をしたこの鳥も、王号を称した頃より一回り大きくなった。それ以上にヴィレクの背も伸びている。
「何をお考えですか?」
 ヴィレクの成長ぶりは目をみはるものがある。ともすれば追いつけぬ程遠いところにいってしまう。かと思うと舞い降りてきて常人と同じ地平を歩いていることもある、しかしそれを理解できるのは今のところ、ジグト一人である。
「色々と、な。そう、ほんとうに色々と……」
「何を──と、訊いてもよろしいですか」
 うん、と頷いて、ヴィレクは屋根の下へと戻った。白く染まっていく庭を眺めながら、ジグトの持ってきた套衣に腕を通す。
「この私に、皆がついてきてくれるのだろうか、ということを」
「何を今更」
 ジグトは笑った。
「それは、王号を称するとお決めになったときに、とうにお覚悟なさったことだと思っていましたが。怖くなったのですか」
「そうではない」
 ヴィレクは静かに言った。
「私は理想のもとに王になった。私が王になることが正しいことだと思ったから。……しかし最近になって、そうだったんだろうかと自問することがよくある」
 どこまでも続く灰色の空。うすぼんやりと、雪のためにかすんではいるが、視界はそれほど悪くはない。
「父上の遺言だから。正しいことだから。自分の中でどちらの比重が大きいのか、と私はずっと自問してきた。だが、それは結局は同じことではないのか、と最近思うのだ」
 ジグトはわずかに首をかしげて先を促した。
「理想のために人が動くなど、ほとんどありえない。それができるのはわずかな勇気ある人だけで、ほかの人を動かすのは人以外にない。父上は邑宰の地位を捨てられなかった。理想を抱きつつも、動くことはなかった。その父上に代わって、私が動いている。父上の理想が正しいと信じたのは父上で、私を動かしているのも父上だ、そんな気がする。……その私が、ウォウルの人々を動かそうとしている。はたして、それで皆はついてくるのだろうか?」
「きっと、大丈夫ですよ」
 ジグトは笑った。噛んで含めるように言う。
「人を動かすのは、人以外にないのでしょう? 理想を体現している人のために、人は戦う。たとえあなたが動くのが先邑宰の理想のためであったとしても、動いているのはあなただ。あなたが理想を失わぬかぎり、皆はあなたについていきますよ」


 クラウ・ハデンは、ナーラダ・ヴィレクとライル・ナタケを会見させるべく手を尽くしていた。自分の疑いは完全に解けた、よってウォウルとスウィズを同盟させるために全力を尽くすのが自分の任であると、彼は信じて疑っていない。
 そのための障害となっているのがスィスニアだ。予想より軍備増強のペースが早い。最悪のケースを想定するなら、スィスニアがリビュニア、イレーヌと結びウォウル包囲網を形成するか、南進してスウィズをいきなり叩きにくるだろう。
 その時キーになるのがスウィズとスィスニアの中間にある大邑シーランである。シーランは今、親スウィズ派と反スウィズ派の間で争いが起こっている。そこで、スウィズとシーランに合同軍事演習をさせる。その演習にハデン自身とハクユウも同席し、三邑同盟が成ったことをスィスニアに知らしめるとともに、既成事実をつくりあげ、反スウィズ派をも封じてしまおうという、まさに一石二鳥の策なのである。
「そしてスィスニアが動けなくなったところで、ナタケを連れ帰って王に会わせる。……さすがに、規模からして圧倒的に上であるウォウルの主を、スウィズまで出向かせるようなまねはできないからな」
 ヴィレクは終始にこやかな表情で聞いていたが、ハデンが出ていくと、隣室に控えていたレザー・ウェルを呼び出した。


 ハデン、ハクユウ、それに衛兵レザー・ウェルは、スウィズに到着してすぐ、ライル・ナタケのいるライル社へと向かった。
 ──剣呑な気配がする。
 ウェルは、居心地悪そうに辺りを見回した。
 建造しかけの城壁。鎧を身につけた者の姿がウォウル以上に多い。ウォウルでさえ、最近は物騒になってきたものだと思っていたのに、ここではすぐにでも戦が始まりそうな気配がする。戦を待望していた彼としては歓迎すべき事態であるはずなのに、まるで息が詰まりそうだ。
「ここが、ライル社だ」
 得意げに言うハデンの、その感情の源が何処にあるのか想像もつかない。こんな街のどこがいいんだろう。ハデンは次々とライル社の施設を指さし、これはこんなものなのだと説明してくれる。ウェルはいい加減に聞き流していた。
「ナタケ……」
 ハデンは扉を開けるや、そう名前を呼ぶ。
「ハデンさん……。会いたかった……」
「喜んでくれ、ナタケ。ウォウルとの同盟が成った。いや、もうすぐ成立させることができる。だから、ここに戻ってきた」
「ハデンさん……とうとう、やったんですね……」
 幸せそうな顔。見つめあう二人。ウェルは思わず砂を吐きそうになった。三〇秒ほど経過したのち、ハデンは表情を切り替えた。
「だが、ナタケ、本当の戦いはこれからだ」
「そうですね。……ところで、ハデンさん、この方は?」
 彼女がウェルの方に向きなおったので、ウェルはとっくりとナタケを観察することができた。なるほど、美しい少女ではある。清純な感じのする美人で、髪は黒いが、ふとした仕種につれて流れる一本一本は光に透けて茶色に見えた。瞳は翡翠石。芯は強そうだが、それだけのことだな、とウェルは断じた。


 ──ウォウル国王と称するナーラダ・ヴィレク殿
 竜老会がかつての威光を失ってより、我ら黒竜の部族の者たちは、ごく近隣の地に住みながらまるで千年の敵のごとく啀み、あるいは空を充たす気のごとくないものとして扱っております。わたくし、御竜神に仕える者の初めの一人にして竜の眸の泉湧く地を治める者、ルシャナ・シルキーヌは、このことを嘆く者として、各地を治め導く方々に、一つの提案をさせていただきたいと思います。
 このスィスニアの地にて会盟し、たがいの心をひらき、思うところを述べ伝えあおうではありませんか。
 期日は、いにしえの竜老会の会盟にちなみ、一の月(水の月)一二日とさせていただきます。

              スィスニア邑宰 ルシャナ・シルキーヌ

「例の書簡の反響は上々のようだよ」
 シリルは報告書の束を持ってやってきた。
「ウォウル、スウィズをはじめとしたほとんどの邑から出席の意向が示されている。急に平和に戻るなんていう夢のようなことはないだろうけど、いきなり泥沼の戦争状態に突入、っていう事態だけは防げたんじゃないかな」
「そう……よかった」
 呟いたとき、
「ぎゃあ──っ」
 外の方から尋常でない叫び声が聞こえた。
「何事だ?」
 シルキーヌと顔を見合わせる。続いて起こる刀剣槍戟の撃ち合う音。一人や二人の侵入ではない。おそらくこれは……!
「クーデターか!」
 足音が次第に近づいてくる。
「逃げよう、シルキーヌ」
「ええ」
 壁に飾られていた宝剣を掴み、本棚を動かすと、邑宰家の者しか知らない隠し通路が現れる。シリルとシルキーヌが入ると、本棚は音もなく元の位置に戻り、入口を隠した。兵たちが踏み込んできた時には、すでに二人の姿はなかった。
「……逃したか」
 部下から報を聞いたナグモ・リューンは、あごに手を当てて考え込んだ。部下は叱責を覚悟したが、リューンはひとつ頷いただけだった。
「過ぎたことを言っても仕方がない。捜索は続けろ……だが、それより、これからのことだ」
 軍を手に入れ、邑そのものを手に入れた。いや、もうすぐ手に入れることが出来る。
「リューン様、次なる命を!」
 クーデターに参加した兵達は、いずれもおとなしいシルキーヌとシリルを不満としていた者ばかりだ。リューンという対極をなす将のために働けることを、異常なまでに誇りに思っている。
「この文面を高札にし、主道・環道の各所に掲げよ」
「はっ!」


 ──集会することを禁ず。
 ──五人以上で集まって話すべからず。
 ──深夜、早朝に出歩くべからず。
 まあ、この辺はいいとして、
 ──武器等を民間人に売るべからず。すべて邑が買い上げ、登録した後に良識あるものだけに売却するものとする。
 この文面を見て、ラファエロ・ティフォートは困り果てた。
 彼はごく一般的なスィスニアの邑民であったから、邑宰のルシャナ・シルキーヌと彼女を補佐するシリルを尊敬していた。その彼としては、ふたりを追いやった(のであろう)者たちなどに、あの利剣を渡したくはない。自分の売った剣でふたりが殺されでもしたら、ご先祖様に申し訳がたたない。しかも、戦乱に巻き込まれそうな雰囲気に嫌気を感じていたところに、自ら油をそそいだリューンという男を、こころよく思っていなかった。
 精霊コールの術を用いて姿を、イーズの術を用いて音を消し、武具や防具を満載した車を曳いてスィスニアを出る。竜の道の入口を通過してから術を解いた。竜の道を通ってウォウルへ。それが一番確実で近い脱出路であるはずだ。
 ここまでくれば大丈夫だろう。ほっと息をつく。
 その瞬間、後方でものすごい音がした。あわてて百(メートル)ほど走ってから振り返る。
 道の両側の土砂が崩れ、竜の道の入口が完全に埋まっていた。


「事故を起こした者はウォウルの手の者だ!」
 リューンは高らかに宣言した。
「事故を起こした者の靴のあとが見つかったのだ。それは、間違いなくウォウルの大製靴業者、黒茄尾の型であった」
 という情報が、スィスニア中に流された。
「ウォウル撃つべし!」
 初めは本当なのか? と疑う声の方が大きかったのだが、いつのまにかこんな声にとってかわられていた。リューンが以前からウォウルを攻めたがっていたとか、事故の件は偽報だとか、そんな事実はきれいさっぱりと忘れられ、ウォウルを撃たねばという意識だけが広がっていった。
「あの事故はやはり、あの男の手先が起こしたものなのか」
 シリルは、青年に向かって訊いた。この青年──ティフォートは、スィスニアから逃れてきたとかいう商人だが、シルキーヌのいるのを見て、ウォウルまで同行すると申し出たのだ。
「間違いありません。崖が崩れた後、犯人はウォウル側ではなく、スィスニア側のほうへ去っていきましたから」
「リューン……」
 シルキーヌは悲しげな顔をした。
「どうして、あの人はそんなことをするのかしら。戦争が起これば、多くの人が不幸になるのはわかりきったことなのに……」


 スィスニアでクーデターが発生したと聞いたシーランは、スウィズとの合同演習に踏み切った。シーラン=スウィズ同盟は成されたのである。
「さて、あとはスウィズ=ウォウル同盟を結ぶだけだな。オレがウォウル王佐であるかぎり、ウォウルがスウィズと戦うことなどあり得ない──」
「そう、ハデンさんが王佐である限り、ね」
 ウェルがにやりと笑った。
「……ウェル、どういうことだ」
「実は俺、いいもん持ってるんだよね〜。ほら、こんなの」
 ハデンに突きつける。書簡の最後に押された朱印は、まごうことなき解雇印であった。
「読んだ方がいい? えーと、『クラウ・ハデン ウォウル王国は以下の罪状をもって上記の者を解雇する。一、王国に対する背任罪 なお、加えて五万(ラダ)以上の償金を払うこと。地の月、四五日』……あっ、ちょうど今日だね〜。お金、払う? 俺が責任持って届けるよ──うわっ」
「お前……っ」
 ハクユウが刀を振り下ろし、ウェルはひらりとかわした。
「それを知らぬふりをして、オレたちをたばかっていたのか!」
「だって、そういう命だったんだもーん。あ、ハクユウさんのもあるよ。要る?」
 投げつけた書簡を、ハクユウは真っ二つに切り裂く。またも襲来する刀を、ウェルは紙一重でかわした。
「それじゃ、ハデンさん、さよなら。もう二度と会わなくていいと思うと、すごいスッキリした気分だよ。せいぜいがんばって、ナタケさんと幸せになったら?」
「言わせておけば!」
 ハクユウの刀が、今度はウェルに命中した──と思ったとき、刀の刃が砕けて散った。信じられん、という思いでそれを見つめるハクユウに、ウェルは手を振って見せた。
「こんなとこに来るのに、何の備えもしてないわけないだろ。あ、ハデンさん、言っとくけど術使っても無駄だからね。それじゃ」
 身軽な少年の身体が闇に消えていくのを、ハクユウは呆然と見送った。

■ 独立暦四〇一年水の月 [リアクションNO.1−5]


 セルフィアーには、「海」がない。
 島にとって海とは外界との接触の窓口であるはずだが、四〇〇年前から衰えることなく存在する「結界」が、人の往来を阻んでいる。セルフィアーの人間にとっての海は、川と同じく都市をつなぐ道であり、生活の場であるにすぎなかった。かわりに、「湖」がある。そしていくつもの湖と湖をつなぐ川。メール内海も、海というよりは湖に近い。
 つまり、極めて閉ざされた世界なのだ。その気になれば一節でひとめぐりすることもできる──もっとも、このセルフィアー最強最速の船「飛竜号」の足あってこその技だが。
「本気ですか、船長?」
 飛竜号の事務長、ニールス・サンチェは呆れ顔をした。
「『お気楽極楽ツアー』? 今がどんな時だか、知らないわけではないでしょう?」
「もちろん知っている。だからこそだ」
 スィスニアに戻ろうとして、昔の悪友ナグモ・リューンがクーデターを起こしたことを知った。歴史の商人、いや証人になる絶好のチャンスを逃したのをさんざん悔やんでいたところに、「三大兄弟」の手下が傘下に加わるよう要請してきたのだ。
 スィスニアには昇竜会という組織がある。蜘蛛会からは外部組織と認識されているが、それは昇竜会が党派やイデオロギーとは無縁な組織であること、それに竜眸石を取り扱う唯一の組織であることが大きい。星薬会に手を出さないのと同じ理由である。
 その昇竜会を乗っ取ろうとしているのが「三大兄弟」だ。むろん、ファン・フェイロンは配下に降る気などない。一度撃退してやったら、何と今度はスィスニア軍を連れてやってきたのだ。
 つまり、今回のクーデターを援助していたのは三大兄弟だったというわけだ。気に食わないが、スィスニアの軍と事を構える気はさすがにない。機を見て離脱し、ウォウルへとやってきた。
 ウォウルで状況把握のため情報収集に手を尽くし……出た結論がこれだ。
「オレは独立商人だ。一般人なんだ。各邑の指導者たちを見てみろ、大規模な戦こそ起こっておらんがスィスニアからはオレのように善良な邑民が追われているし、スウィズの勝手な言い分に振り回されたシーランの連中の末路なんぞも知れている。戦いたい奴は勝手にしろ、だが問題なのは、自分の意に反して戦ったり、無関係な連中が不本意に苦しんだり命を落としたりすることだ。そいつらにエライ奴らが何をしてくれる? アテにできるものか。結局、自分の命、自分の自由、自分の大切なものは自分自身の手で守らねばならんのだ。その意志を貫くためには、『自由独立』な存在であり続ける必要がある。だからオレはこの船で行く」
 と一応筋を通しておいてから吐き捨てる。
「言っておくが、オレは伊達や酔狂でやってるんだからな」
「そんな事、分かってますよ」
 サンチェはため息をついた。フェイロンの気持ちはよく分かっている。彼のモットーは「自由・自立・自主・自尊」である。その筆頭たる「自由」に干渉されて相当頭にきているのだ。だからといって徹底抗戦、などと言い出さないところが彼の彼たるゆえんであった。
 戦乱の時代はたしかにそこまで来ている。時勢、時流、というものが避けられぬ事は承知の上だ。だがそれに妥協するには彼の精神は先を行きすぎていた。時代への反抗。運命への反抗。そしてこの飛竜号も、この時代に存在するには高度すぎる性能を備えていた。


 飛竜号の中は広い。見かけよりもはるかに広い。内部は亜空間結界になっており、七つの結界石によって維持されている。帝国期には空間湾曲技術により亜空間を創造・維持する術法が存在したという。その遺産である。
 その船内に、一人の少女が保護されたのは、ウォウルに来る途中でのことだった。大勢の魚に取り巻かれ、セルファニア湖の湖面に浮いていた。フェイロンが飛び込むと、魚たちはどこへともなく去った。託すべき人だと悟ったかのように。
 彼女は自分のことを何一つ覚えていなかた。フェイロンが彼女をセルフィアと呼ぶので、いつか余人もそれに倣うようになった。セルフィアー、と伸ばせば「自主自立」「独立国」といった意味あいになるが、セルフィアと言うと集めるという意味になる。沢山の魚を集め守らせた力の持ち主。
 美しい少女だ。幼くして気品を備え、強い霊力の持ち主。水の力。彼女を見つけたのはスィスニアのクーデターの翌日だった。
 彼女の素性には、誰もがうすうす気づいてはいる。だが誰も何も言わなかった。飛竜号の中は、この世界のどこよりも安全なのだ。しばらくここで預かっておいた方がいいだろう……


 二日前スィスニアから脅迫の使者の来訪を受けたシーランは、今度はライル社からの使者を迎えていた。ライル社が援助してくれるならよし、そうでなければスィスニアにつかざるを得ない。
「スィスニアは来ませんよ」
 使者ハウザー・カッシュは断言した。
「何故、そう言い切れる?」
 問われたカッシュは胸を張って返答した。今のスィスニアは孤立しているうえ、背後にウォウルという大邑がいる。
「しかし言われただけでは信じかねます。誠意を見せて戴こう」
「そう言われると思いました。スィスニア軍が南下した場合に備え、シーラン北方に堅塁を築かせていただきます。連弩ライル壱型も、施術宝器もお貸しいたしましょう。それにせよ、篭もって出ずにおればよいのです。スィスニアは必ず撤退します」


 スィスニア軍は大挙してシーランへと押し寄せた。脅迫の使者を送ってから四日後のことだった。初めからシーランがなびくとは思っていないのだ。スウィズは不意をつかれた。全く予想していなかったわけではないが、まさかこんなに早いとは。
 まだ、約した堅塁も物資も手配できていない。スィスニアは全軍をもってシーラン城外に布陣した。シーランはスウィズへ救援を求める。
「慌てるな、少し待てば自然に退くから」
 ハデンはさわがずそう言ったが、一応、援軍を出しておかねばシーランとの友好関係にひびが入る。かといって全軍を挙げて動けばスィスニア軍は川を下ってスウィズを直接衝くかもしれぬ。
「兵局長、壱軍を連れてシーランを助けてください」
 ナタケに命ぜられ、ディグ・カイルはすぐに出ていった。
「大丈夫でしょうか?」
 問われたが、ハデンは頷いたのみで何も言わなかった。あまり正々堂々とした策ではなかった。


 蒼龍紅蓮団、いわゆる賊の類である。その数は二百とも五百ともいわれる。ハデンの密命を受け、以前より近郊に拠を構えていた彼らは、機を見てスィスニアに襲いかかった。
 兵が出るのを待っていた者は他にもいる。ヴァシュナ・シリルの手の者とラファエロ・ティフォートは、警戒の薄くなった隙をついてスィスニアの街にもぐりこんだ。ひそかに連絡をとりあい知人に同志を求める。彼らをスィスニアからウォウルへと連れ出し、ナーガ神殿のシルキーヌ、シリルに引き合わせ、協力を仰ぐ。
「しかし、ウォウルではなくスウィズを先に攻めるとはね」
シリルは腕を組んだ。
「よく、兵がついてきたものだ」
「考える間を与えなかったのでしょう。それに、兵達には人望があったものね」
 シルキーヌは笑った。
「吏には、煙たがられていたけど……」
「スィスニア人が、何人死ぬでしょうね」
 ティフォートに言われて、シルキーヌは俯く。
「死にたくて死ぬ人は止める気はないけれど、巻き込まれて死ぬ人は救いたいわ。あの賊も、おそらくはスウィズの手先の者……罪のない者が死に、関係のない建物が壊されてゆく……」
「……優しいのですね」
「そうじゃないのよ、ティフォート」
 シルキーヌは毅然として顔を上げた。
「私個人の感情の問題じゃないわ。これはナーガ大司祭としての願い。ナーラダを、人々を、社会を──すべてを活力溢れる状態に保っておくこと。これが私の使命なのですから」


 「スィスニア襲撃さる」の報を聞いたリューンは考え込んだ。
「スウィズの援軍が早いところ到着してくれないものかな。そうせぬとこちらの方も手は打ち難い……」
 兵に知られては士気にかかわる。まず勝ってしまうのがこの場は上策だが、シーランを陥とせばスウィズは穴土竜よろしくたてこもってしまうだろう。スウィズ──シーラン軍を充分引きつけてからという予定であったが、今この眼前の敵は打ち捨てて先に行くべきだろうか、と考えていると、衛兵が一人の男を連れてきた。その服装風貌を見るに、黄縁白服に黒帯を締めた妙な装いに、シャル族の栗髪紅眼、痩身短躯の二〇歳ばかりの男である。
「リューン将軍に戦勝をお授け致そうと思い参りました。我が名はフェイティエン=キース、ディヤウスの神官です」
 リューンは神を信仰してはいない。ディヤウスの神官達がライル社を目の敵にしているのは知っているが、だからどうしようというのだろう。
「スィスニア軍に協力すると言っているのです。スウィズは商人の街ゆえ、通行人の管理はきわめて緩いことは以前のスィスニアと同じであります。堅い城壁は、このたびのような兵事に対しては絶大なる威力を発揮することでしょう。スウィズの兵器はきわめて陰惨無情、強大無比のものが多く、このまま正攻法で攻めてはリューン将軍の指揮力をもってしても、スィスニア軍の全滅は必至です。くりかえしあえて申します、今のままではスィスニア軍は全滅します」
「無礼な奴……!」
 剣に手をかけた兵を、リューンは制した。
「で、貴公らは我々に何をしてくれるというのだ」
「これをお受け取りください」
 差し出したのは一振りの短剣だったが、どうやら刃はついておらず、実用に耐える代物ではなさそうだった。彼は説明した。これはヴィシュヴァカルマン神殿の神器で、ヴィシュヴァカルマンの契印のない宝器や人に召喚された精霊の力を消滅させられる。
「また、邑内に同志が潜伏しており、内外呼応して開門させる手筈となっております」
 リューンは分かった、と頷いてすくと立ち上がった。
「全軍に通達しろ。スウィズ軍が到着する前に、夜陰に紛れて川まで退け。そこで二隊に別れる。──募兵尉」
「はっ」
「卿は募兵を率いてスィスニアへ戻り、跳梁する賊を征討し邑内の風紀を正せ」
「了解しました」
「残りの者は我と共にスウィズへ向かう! 急げ!」
 号令一下、部下達はすぐに散っていった。
「フェイティエンとやら。貴公は何を望む?」
 二人だけになってから、リューンは問うた。
「ディヤウス神殿の造築を。そしてライル社の滅亡を」
(よし)。共に来い。さすればその願い、叶うであろう」


 強行軍で来たスウィズ壱軍であったが、彼らが到着した頃にはすでにスィスニア軍の姿はなかった。危機は去った、と判断した兵局長は、壱軍をシーランに一泊させた。
 その次の日の朝、スィスニア軍はスウィズに到着したのだ。
 ハデンはただちに兵局次官ナーズ・ハクユウを呼び出し、弐軍を率いてスウィズを閉鎖するよう指示した。
「しかし、お前でも読み違えることってあるんだな」
 ハクユウは心から意外そうに言った。
「読み違えた訳じゃない。選択肢の一つとして考えてはいたが、一番可能性が低いと思っていた。読み違えたと言うより、相手があまりにも常識がないのだ」
「で、オレはどうすればいいんだ? 防御戦なんて、オレの性には合わないぜ」
 ハクユウの良さはその攻撃力の凄じさに尽きる。勢いが全てな男といってもよい。また戦況も読めるため己がいつ動くべきかもわかっている。要するに野戦向きの男なのである。
「兵局長が戻るまでもちこたえろ……と言うべきところだが、実は試して貰いたいものがある」
「また兵器か」
「たぶんあれだけでスィスニア軍を滅ぼせるほど超強力だ。それと、兵局長はスィスニアに向かわせることにした。スィスニアは多少の犠牲は覚悟の上でまずスウィズを潰す腹らしいからな」


 リューンは遠巻きにスウィズを眺めている。ウォウルより二割ぐらい高い城壁、石は直方体を積み重ねた平積み式でところどころに穴があいている。フェイティエンは説明した。あれは眼口といい、弩の発射口であるのだと。
「弩? 弓のようなものか」
「弓を台に固定したもので、ひきがね一つで弓が発射できます。狙いを定めるのも容易で、扱う人の技巧によって命中率に差が出ることもありません。強力無比な、人殺しの道具です」
「それを避ける方法はないのか」
「夜なら闇の中ですから、命中率は落ちると思いますが」
「こっちも避けられないがな。しかたない、突撃するか」
「正気ですか?」
「我が軍も工作員を放っていて、弓の弦を切って武器庫に火を放てと言ってあるのだ。……うまく協力してくれると良いが」
 その時、城壁からうっすらと黒い筋が立ちのぼるのが見えた。
「将軍、図に当たったようですよ」
 フェイティエンに言われるまでもなく、リューンはそれに気づいていた。先日渡された短剣の柄先に竜眸石をはめこみ、懐にしまうと、全軍に下知する。
「これより施術宝器による人民の殺人兵器化という非人道的行為からスウィズの人民を解放する! スウィズは宝器の力をもってセルフィアーに覇たろうとしているが、その宝器の力は気流を病ませている。いずれは我らがスィスニアをも蝕むであろう。それを望まぬのであれば、我につづき、その力を示せ!」
 そして真っ先に馬を駆って走り出す。
 踊らされてここまでやってきて、何のために戦うのかわからぬまま行を共にする多くの兵たちも、最高司令官が真剣に戦っていればついてくるものである。兵は日頃の訓練も装備も重要だが、何よりも戦わざるを得ない状況に追い込み、勢いに乗せるのが最上だということをリューンは知っていた。そのリューンを、城壁上のハクユウは眼にした。どうやらあれが総大将か。
「撃て!」
 新型の弩が一斉に放たれる。連弩ライル壱式、矢を一つの台に十本装填し、いちどに十本の矢を射れるようにしたものだ。しかしそれは一本の幹と弦の力を十本に拡散しているということでもある。大量の矢は、リューンに届く前に地面に落ちた。
「やはり駄目か……しかし」
 光牙矢を装填する。射撃力は弱くとも、これなら標準以上の殺傷力が見込めるはずである。
「撃て!」
 もう一度射た矢は、こんどはリューンの腕をかすったが、傷つけるでもなくまた同じように地面に落ちた。
「何故だ? 宝器が効かないのか?」
「次官、門が開けられています!」
 悲鳴に近い声がかけられた。
「何?」
 ハクユウは思わず身を乗り出した。きっちりと固めておいた北門ではなく、南門が大きく開け放たれている。リューンを先頭とするスィスニア軍は、そちらのほうに移動をはじめた。
「門を開けた奴は誰だ! 探せ! すぐに門を閉めろ!」
 叫んでも聞こえるはずがない。ハクユウは急いでそちらへ向かう。入ってくるリューンと目が合った。
「ナグモ・リューン殿とお見受けする。勝負せよ」
 言いつつ、大刀をさしだす。リューンは槍をめぐらせた。
「宝器の威を借る三下に用はない。自分にふさわしい相手を探せ。……ハデンはどこだ。ライル・ナタケでもいい」
「生憎オレは三下じゃない。兵局次官、ナーズ・ハクユウだ」
「そうか、やはり三下か」
 などと無駄なことは言わず、リューンはすぐにスウィズの中央部へと馬を向けた。スィスニア主軍は何と言っても数が多い。それに乱戦になってしまっては、スウィズの者も派手な施術宝器は使えなかった。ハクユウは斬って斬って斬りまくった。もはや百人斬ったか二百人斬ったかわからない。それでも脱け出すことはできなかった。部下達は次第に数を減らしていった。彼らの剣には、普段の輝きがなかった。その彼らの目の前で、次々とライル社の施設が破壊され、あるいは活動を停止させられていった。黄色い縁のついた白い服に黒帯をしめた者たちの手によって。
 スィスニアがスウィズと交戦している時、ウォウルはイレーヌからの使者をむかえていた。イレーヌには竜骨樹という特産品がある。かの邑の戦士たちは竜骨樹の棍をふるって戦う棍法の習得者が中心となっており、邑宰も必ずそれを修めることになっている。つまりナーラダでも随一の武の邑なのだ。
 当然ウォウルに黙って従うはずもない。いろいろと無理難題を持って現れたのである。やれ湖底遺跡ティイセニラの神器をよこせとか、帝国最後の都スイモミスクの設計図を見つけてこい、あるいは海の結界を外せ、等々。どうやらイレーヌの邑宰はかなりの歴史マニアのようだった。断ったら戦うぞ、断ってみろ、という意志表示だとしか思えない。
 ヴィレクはあえてその挑発に乗ることにした。イレーヌは一筋縄ではいかぬ邑だが、だからこそ麾下に組み込みたい。


「我が名はイー・リミイ! ウォウル王ナーラダ・ヴィレク、私と勝負しなさい!」
 イレーヌ軍の先頭に立つ女将は、棍をぶんぶんと振り回しながらそう叫んだ。
「元気の良い女の子ですね、イレーヌ邑宰は」
 ジグトは笑う。東の戦が大いくさなだけに、この西の戦はどうも牧歌的だ。
「邑宰自ら一騎討ちに挑むというのか。しかし、わかりやすい物言いだな。正義とか、理想とか、言いたいことはないのかな」
 ヴィレクは首をかしげる。
「ヴィレク様! 出ます!」
 レザー・ウェルが飛び出そうとしたが、ヴィレクは彼の前にすっと馬を寄せた。
「いい。これは私とあの子の戦いじゃない。ウォウルとイレーヌの戦いなんだ。こっちの代表が出なければ、相手に失礼というものだろう」
「やっと出たわね、ウォウル王!」
 リミイは棍先をヴィレクに突きつけた。かとみる間にするりと馬の位置をかえ、横合いから棍を突き出す。ヴィレクはそれを皮一重ほどでかわし、剣を抜いた。
「ちょっと待ってくれ、私には口上を言う時間もないのか?」
「問答無用!」
 無茶苦茶である。ヴィレクは苦笑した。リミイの動きは鋭く、気迫がこもっている。まともに受ければ骨を砕かれるだろう。
 ヴィレクは無造作に剣を突き出した。刃が棍をこする。
「竜骨棍が剣なんかで斬れるもんですか!」
 リミイは笑ったが、次の瞬間にはその笑いは凍りついていた。
 鮮やかに、剣先はリミイの手から棍をはじき落としていた。

■ 独立暦四〇一年人の月 [リアクションNO.1−6]


 黄縁白服に黒帯の人間が諸処に走り回っているのを、ナグモ・リューンは城壁の上から見下ろしていた。あのフェイティエン=キースも中にいるはずだ。ディヤウス神殿での地位はただの神官ということだが、リューンにはとてもそうは思えなかった。
 人を使うことに、慣れている……?
「リューン将軍」
 いつの間に上がってきたのか、彼の声が横あいから聞こえた。
「処置は終わりました。火の気をばらまいたり、気の均衡を狂わせるような宝器はもう稼働していませんので、ご安心ください」
 言葉の通り、黄縁白服の者たちがひとところに集まり始めた。数は五百人ばかり、一軍のように統制がとれている。
「セルフィアー全土のディヤウス神官たちの中でも、神の啓示を受けて集った勇気と能力のある者たちです」
 心を見透かしたように、やわらかな口調で解説を加える。
 彼はリューンに語った。炎を発する宝器が、津波を起こす宝器が、故郷を襲う夢を見たのだと。そしてそれを現実にできる邑が東方にあるのだと、神は告げたのだ。彼らは皆そういう啓示を受けた。だが、神が命じたから滅ぼすのではない。人が神の力を管理することはそういった悲劇を引き起こすことを、神は教えて下さった。それに共感したからこそ、スウィズを滅ぼした。
「リューン将軍のお力のお陰で、我らの目的は達成されました。神は自ら力をふるって人を滅ぼすことはありません。人の力をもってのみ、人の秩序は保たれるのですから」
「いや、君らがいなければ、我々も宝器の力に歯が立たなかっただろう。それ以前に、毒気にあてられて退いていたかもしれない。この街の人々は、よくこんな所で暮らしていられたものだな」
 宝器を壊したおかげで、スウィズの気も平均的なナーラダのものに戻った。そしてリューンは、今立っている城壁も取り壊すつもりでいる。
「城壁などというものがあるから人の心が憶病になるのだ。漢なら褌一つで大地に立て!」
 そう言ったとか言わないとか。
「ところで、差し出がましいとは思いますが……」
 フェイティエンがためらいがちに言いかけた言葉を、リューンは即座に了承していた。
「神殿の造築のことだな。前言を違えることはない」
 使える人間には出費と労力を惜しまないのが、リューンのやりかたであった。フェイティエンは一介の神官で終わる男ではない。リューンはそう感じたのだ。


 リューンは「スィスニア大将軍」と名乗った。邑宰、と名乗らなかったのは、邑宰という名に価値を感じないからで、ルシャナ・シルキーヌに遠慮したわけでは無論ない。スィスニア、と冠してはいるが、事実上はシーラン・スウィズをも含めた三邑の支配者であった。
 三邑の間には道路が整備され、各邑の港湾は拡大された。こうして流通の便をはかったうえで、各邑を発展させ、さらに三邑の経済が発展することを狙ったのだ。
 工業都市スウィズ、農業都市シーラン、商業都市スィスニア。後の世にこの三邑は強力な連携をみせ、蜘蛛会のアヴィーナをもおびやかすほどの経済力をもつことになるのだが、それはまだ先の話である。


 リューン軍の実働部隊は、その三邑の間を巡回しつつ、匪賊やライル社の残党の討伐を行っていた。軍の鍛錬と再編成が目的である。また三邑それぞれに軍学所を開設して、将の育成、兵学の研究、兵の訓練、それに政や思想に関する教育をも施していた。
 思想教育などというものは兵には必要ないのではないか、と思うむきもあったようだが、これは実は独立戦争時のセルフィアーでは最も重要なこととして扱われていたことである。独立の戦士の育成のためには、兵学だけではなく、独立の精神を養い培うべし──当時の竜老会の戒訓第一である。四百年を経た今となっては忘れられた精神だ。リューンはそれを知っていたわけではなかったが、必要なことであると強く主張していた。
 しかし、会う賊会う賊ほとんどにクラウ・ハデンの息がかかっているのには驚いた。彼はもと賞金稼ぎであったというが、そのときの人脈であろうか。いざというときには、この賊たちを集めて蜂起するつもりだったのだろう。
 無傷のスウィズ壱軍は進路を変え、ウォウル方面へ向かっていた。どこからか落ち延びていたナタケと生き残った社員たちも道々合流する。ウォウル軍は報を聞いて色めき立ったが、ウォウルに到着したナタケはヴィレクへの面会を求めた。スウィズ軍の力を一翼に加えて欲しい、とでもいうのだろう。だがヴィレクは施術宝器の武装は解かせるつもりでいる。
「ヴィシュヴァカルマン神殿にあれを寄贈して、宝器術法の開発に役立てて貰おう。聞けば、宝器術法はまだまだ未完成とか。ゆえにライル社のような奇形が生じるわけだが、体系が確立し、術法が完成すれば、少しはましになるだろう。……もちろん、寄贈の見返りによい兵器を受け取っておく。ナグモ・リューン軍との決戦も近いことだしな」
「そうですね」
 ジグトは大きく頷いた。
「で、ライル・ナタケとの会談の件はどうしますか」
「保留だ。……ナグモ・リューンとの決戦は避けられないが、あからさまに敵対するにはまだすこし早いだろう。武装を解除し、邑内に保護しておけ。……ウェル、エルナットの二名にその手配と監視をたのむ」


 ライル社壱軍がそんなことになっているとは知らぬ、元壱軍エースのゼオ・マキスは、ファン・フェイロンの飛竜号にいた。
 フェイロンは、三大兄弟・スィスニア軍との交戦前、ウォウルに於いてラファエロ・ティフォートから例の鉄の利剣を数十本購入していた。それをバルスに売りに行こうかと考えていた矢先、この熱血男と遭遇したのである。
 ナグモ・リューンといいナーラダ・ヴィレクといい、民を犠牲にして大きな顔をしている統治者たちにはいい加減愛想が尽きた。しかしバルスは、同じ理想主義者でも目を向けている方向が違う。もちろんただで譲る気はないが、力になってやっても良いような気がした。このゼオ・マキスという男も、どこか一本抜けているが実力はあるようだった。届けてやって損はないだろう。
「要するに、恩を売っておこうということですね」
 事務長のニールス・サンチェがにやりとする。
「あたりまえだろう。バルスは人気急上昇中の邑だ。少なくとも今の邑宰が死ぬまでは続く。その後は瓦解するだろうが、それは俺たちの孫が死んだその先ぐらいだろう」
 夢の邑が永遠に続くと信じられるほど、フェイロンはお人好しではない。しかし、今の状態を否定するつもりはなかった。一般人の、しかも神人でもない者が一邑を起こすという前代未聞の快挙をなしとげているのである。
「芸術の邑か。これまでの『平和な』時代じゃなく、今になってそんなことを始めたというのが、歴史の反動らしくて面白いな」
 ひとしきり感慨にひたるフェイロンであった。
 さて、セルフィアという少女だが、あいかわらず何も思い出せないらしい。ただ、たまに夢を見る、と言った。
「どんな夢なの?」
「美しい、女性です……優しくて、靭い目をして、とてもあたたかい女の人。私よりすこし年上で、私と同じナーラダの姿をして、やさしく、包みこんでくれるような……」


「エレミア」
 ルシャナ・シルキーヌは、神殿の私室の窓からセルファニア湖を遠望してぽつりと呟いた。
「……妹君が、どうかしたのか?」
 部屋に入ってきたヴァシュナ・シリルがその独語をききとがめた。シルキーヌは振り返り、にっこりと笑った。
「妹君のことを心配していたのではないのか?」
「いいえ。……むしろ、安心していたのです。もともと、あの子はわたくしよりも霊力は強いと言われていたのですよ。そして、エレミアは今、どこよりも安全な場所にいます」
 シルキーヌは瞳をとじた。まるでそこに妹がいるかのように、窓に向かってそっと手を伸ばす。
「エレミアの力は湖の力。わたくしが誤認するはずもありません。湖の上──飛竜号。独立暦のセルフィアーに存在するはずのない、言霊人の遺産。……未だ制御の理論が打ち立てられていない宝器術法とは違い、完璧な体系のもとに構築されたシステムを持つ、まさに時空を越えた堅牢な要塞。エレミアは、そこにいます」
 だから、妹の心配をすることはない。これまでは確証がもてなかった。スィスニアに囚われている可能性も考えていた。
「どうすればいいか、ずっと考えていました」
 シルキーヌはそっと目を伏せる。
「わたくしは、民たちを救いたいと、ずっと思っていました。それが、邑宰家に生まれた者の使命でしたから。でも、スィスニアを失ってみて初めて、それではだめだと感じました。スィスニアを治めることは、スィスニアの民を救うことにしかなりません。そして、私はスィスニア邑宰であると同時にナーガの大司祭でもあるのです。大司祭として、ナーラダ族全体を見据えて……でも、スィスニアの民たちは、スィスニアを取り戻すことを望んでいます。再びルシャナ家によって、スィスニアが治められることを」
 唯一の肉親であるエレミアがリューンに捕らえられているなら、スィスニアを取り戻さざるを得ない。だがそうでないなら、シルキーヌはスィスニア一邑にこだわる必要はなくなるのだ。
「わたくしは、ナーガ大司祭として生きます。スィスニア邑宰にはあなたがなってください。血縁なのですから、資格はあります」
「わたしが君の形代となって、君のできなくなったことをするわけだな。きっとそれが一番いいだろう」


 その頃クラウ・ハデンは、ハウザー・カッシュと共にミュール邑に潜伏していた。「スィスニアはスウィズを落とした勢いに乗ってミュールに野望の触手を伸ばそうとしている」との流言を流させている。リュシー、ヤーダカにも同様の工作をした。
 ターヌ地方の邑は連合というほど連携は堅くはないが、仲は悪くない。もし一つの邑が侵略を受けたら、連合を組む可能性は充分にある。ハデンはそれに賭けようと思っていた。
 彼の懐にはライル・ナタケの筆によるライル社の全権委任状がある。ナタケがもし死んだときにはと託されたものだ。だが彼はそんな日が来ることはないと、かたく信じている。それでも常に持ち歩いているのは、単に彼女の字が記されているものを持っておきたかったからだ。少なくとも、彼はそう思っていた。


 シルキーヌはナーガ大司祭として、活発な活動を開始した。まずはウォウルで大演説を行い、ナーラダ族居住地域各地の神殿勢力に書簡を送る。そしてスウィズ難民をはじめとした流民たちの救済をおこなうための体制を組み立てようとした。
 物資は当面はなんとかなるはずだが、足りないものは昇竜会を通じて補給されることになった。昇竜会は前述の通り竜眸石を主に扱っていた組織だが、三大兄弟に追われて今はウォウルに亡命している。人はナーガの神官を派遣する。
 その一方で、シルキーヌはナタケとヴィレクに使者を出した。
「どちらも同じナーラダの者。リューンと敵対する、いわば味方同士ではありませんか。一度会談の席を持ち、語り合ってみては如何ですか」
「大司祭がそうおっしゃるなら」
 とナタケは言い、ヴィレクも今度は応じた。ナーガ大司祭としてのシルキーヌを尊重することは、今後のためになると考えてのことだった。


 清純を売り物にしているだけあって確かに美しい女性だった。つややかな黒髪、やや薄い緑色の瞳。いかにも優しそうでそれでいてしっかりしていそうな、お姉さんタイプといったところだ。
「お初にお目にかかります、ウォウル王ナーラダ・ヴィレク殿」
 非の打ち所のない、おっとりとした声だった。ヴィレクも応じてにっこりと笑った。ナタケは言う。
「私は独力でスウィズ奪回に走るよりもヴィレクさんに協力した方が乱世の終結が早まると考え決断しました。宝器については、実質今のところ生産は無理ですし、これからも注文が無い限りは武具系についてはつくるつもりはありません。通常の商業活動でも充分に儲けは出ます」
 あえて商売人という立場を前面に押し出す作戦だ。ヴィレクはくすくすと笑った。
「では、君は乱世の終結を望んでいるのだな」
「それは、ハデンさんからも聞いているのでしょう?」
 ナタケは笑みを絶やさずに言った。ヴィレクは少し首をかしげた。
「これは、巷間で言われていることなのだが……」
「何でしょう?」
「スウィズは城壁を築きながら和を求める。ライル社は武装を強化しながら平和を説く。そしてライル社社長はにっこり笑って人を殺す……こういう言葉を聞いたのだが」
 にこ、と笑ってみせる。
「いや、噂にすぎなくてよかった。こんなに人柄のよい人間を戴いたライル社は、幸福な団体だったな」
「……ヴィレク様、喧嘩を売っているのですか?」
 ジグトがたまりかねて口を出した。ヴィレクは笑う。
「そんなつもりはない。私はただ、明日にでも名士録に名を連ねるライル・ナタケ殿の美点を誉めてさしあげているだけだ」
「……私が、名士録に、名を連ねる?」
 ナタケは口の中で繰り返した。名士録……過去の偉大な人間や著名な人間を記した人名辞典のことだ。そう、過去の。
「まさか、私を殺すつもりではありませんよね?」
 ナタケはおっとりした口調のまま訊いた。──これまで発揮する機会はなかったが、彼女は自身も強力な術法の使い手だ。
「そんなことはしないよ。必要もないからね。……ナタケ殿は、星薬会の医師に診てもらったことはないのか?」
「え? ええ。ありませんけど……」
「……そうか」
 ヴィレクは立ち上がった。
「いちおう、医者は呼んである。顔馴染みの方がいいだろうと思って、星薬会からわざわざ来てもらった。……最後に、ひとことだけ言っておこう」
「はい?」
「……私は、君とだけはわかりあえそうにないね」
 極上の笑顔を向けると、ヴィレクは扉の向こうに消えた。
 結局、何も得ることができなかった。


 与えられた部屋に戻ると、金髪、妖突の耳の青年が待っていた。
見覚えがある。琴の音を献じると言って現れた、あの妖人だ。
「そう、オルリートと申します」
 にやりと笑う。今日は白衣をまとっている。三角琴は見えない。
「私は悪いところなど、どこにもありませんよ」
 怪訝な顔をしたナタケを見て、オルリートは肩をすくめた。
「いや、あります。……気、ですよ。ライル社の濃密な気の中で育ったせいです。これだけ気が乱れているのに、自分で気づかないとはね。気を操ることには長じても、気を感じることには鈍感になってしまっている」
 強力な気の流れを制し、宝器をつくりだす──だが、気を注ぐということは地気を乱すことだ。宝器術法という便利な法がありながら、それを大量に生産するという行為には誰もが躊躇した、その理由がこれだった。だから、ヴィシュヴァカルマンの創師は決して寄り集まらない。ライル社に集まったのは強力ではあるかもしれないが我流の創師たちだ。スウィズの気がどれだけ乱れていたか──しかしスウィズの便利な生活に適応した人々はそれに気づくことはなかった。
 ヴェルーダでは『大いなる災い』によって地気が乱され、奇病が発生した。土地を移っても、まだそれに悩まされている人はたくさんいる。そして、気の乱れをもっとも敏感に受けるのは子供たちだ。
 ナタケが社長を継いだのが一四歳の時。そしてライル社はその二年前に施術宝器の量産を始めている。社長の娘であったナタケは、いつもその近くにいた──
「あなたの肉体ははっきりいってもう死んでいる。その形を保っていられるのが不思議なくらいだ。手を施すすべはない。……星薬会の術にも、乱れた気を戻すものはない」
「では……どうしてここに?」
「ヴェルーダの難民たちを助けるための参考になれば、と。……ですから、あなたの治療には尽力させてもらいましょう。お代もいただきませんよ」
「お好きになさってください」
 ナタケは大きくため息をついた。


 信じられなかった。
 本来彼女は、その優しい心と同様、繊細な霊感応力を持っていたはずだった。それが、いつから働かなくなっていたというのだろう。オルリートの悪い冗談としか思えなかった。
 だから、試してみよう、と思った。
 ただひとつ持っていた、霊力増幅の護符を手に抱く。
 霊力を高め……気を感じとろうとしたその時。
 ふいに、意識が消えた。
 ……そして、ふたたび戻ることはなかった。


 ライル・ナタケ、死す。
 この情報は、またたくまにナーラダ族全邑に伝わった。
「……そうですか」
 シルキーヌは粛然としてその死を悼んだ。
 ヴィレクはヴィシュヴァカルマン神殿の出先機関としてライル社を存続させ、もと壱軍の者はそのままウォウル軍に組み込んだ。いずれはウォウルからは離れてゆくのだろうが、リューンと戦っている間は役に立つだろう。


 シルキーヌは諸勢力円卓会議を主催しようとしていた。
 ウォウル王ナーラダ・ヴィレク、イレーヌ邑宰イー・リミイ、そしてナーガ大司祭ルシャナ・シルキーヌ、スィスニア亡命政府のヴァシュナ・シリル。またターヌ地方の諸邑やリビュニアからも外吏長が出席している。中小邑からも多数の参加者があった。
スウィズ=ライル社関係ではミュール潜伏中のクラウ・ハデンに使者が出されたが、応じることはなかった。ナグモ・リューンも当然欠席している。
 「兄弟の諍いを親が諌めるが如く、邑の争いは戦争を司る神の代理としてそれを収める」というのがシルキーヌの立場である。
 ヴィレクが腹案の「王国制」についての説明をすると、会場内には大きなざわめきが走った。覇王として知られるヴィレクがそんな考えを持っていようとは、想像もしていなかった邑がほとんどなのだ。
「しかし、これはナグモ・リューンを倒してからでないとできません。彼のやりかたは、軍の力を背景に一方的な価値観による厳格な規律と恐怖をもって統治をおこなうもので、独立以来自由を大切にしてきた我らの信念とは相容れぬものです。この席にも彼は参加していません。つまり、我々と話し合う気はない、来るなら武力で来い、ということでしょう」
「で、ヴィレク殿は我々にどうせよと? ウォウルに味方して戦えと言うのか?」
 こう言った者もいたが、ヴィレクはにっこりと笑った。
「いえ、それはあなた方の自由です。私に味方しようが、座視しようが、リューンに加勢しようが。邑それぞれのお考えがおありでしょうから」


 その翌日、ナグモ・リューンが「北伐出師の檄」を発した。
 対ウォウル戦にあたって、ナーラダ族居住地域全土に自分の大義を宣じるのがねらいである。「いやしくもナーラダ姓を名乗る者が、民の意志を全く無視して己の勝手な論理をふりかざし、秩序を破壊し、人民に隷属を強制し、民族の誇りを土足で踏みにじった」というのが主な論旨であった。ヴィレクは苦笑した。
「名文ではある。士気を高める効果はあるだろう。騙されてあちらにつく邑のひとつやふたつはあるかもしれない」
「しかし、これはヴィレク様だけでなくリューンにもあてはまるのではありませんか」
 ジグトは冷静に言った。ヴィレクは頷いた。
「そうだな、まったくだ。しかし、だからこそ戦わなければならないのだ。人民に隷属を強制しているのは古い秩序の力であって、私の意志によるのではない。戦いたくない者は戦わなくていいような、そんな秩序をつくるために、私は戦っている」
「しかしそれが諸邑に通じるでしょうか」
 ジグトは懸念を表明する。ヴィレクはかすかに首をふった。
「少なくともイレーヌと本宰スィスニアはこちらにつく。それだけでも、あちらに対抗するには充分の筈だ」
 そしてその檄には、シルキーヌと旧スィスニアに関する文もあった。
「ヴァシュナ・シリルなどという小人にそそのかされ、守るべき民を置き去りにした罪は、特別に免ずる上、即刻スィスニアに帰参し、ナーガ大司祭としての務めを果たすよう。
 尚、己一人の保身をはかって邑宰を唆し、祖国を裏切った奸賊ヴァシュナ・シリルを引っ捕らえた者には銀十万粒を与えた上、将軍に取り立てる」
 これを読んだとき、ヴァシュナ・シリルは呆れて開いた口がふさがらなかった。誰が追い出したと思っているのだ。
 檄はさらに続く。
「不肖このナグモ・リューン、スィスニアの、いや、ナーラダ民族全体の危急存亡の大事に直面し、邑宰に対したびたび諌を呈するも、聞き入れられず、ついには涙を流してお諌めいたすも、君側の奸ヴァシュナ・シリルの言を重用し、一顧だにされず。
 一度目は『理』をもって、二度目は『涙』をもって、諌言いたすも、効果の程無し。ここに至り、臣は『兵』をもって君側の奸を討ち、諌言すべく決意す。
 過日、事、速やかに起こすも、討ちもらし、あまつさえ、邑宰殿を奸賊の手に委ねるという失態を為す。これ全て臣の不徳の為すところ也。
 時ここに至れば、速やかに先の布告に応じ帰参なさること、臣、痛切に願う次第である。

独立暦四〇一年人の月吉日      
スィスニア大将軍ナグモ・リューン」

「ああ、そうだったのですか……これなら兵を起こす気持ちも分かりますね」
 シルキーヌは感に堪えぬというようにそう呟いた。
「シルキーヌ、君……」
「冗談ですよ、シリル。でも」
 シルキーヌは厳しい表情をした。
「わたくしたちは事情を知っていますから、この檄文が真っ赤な嘘だということはすぐ分かります。でも、事情を知らなければどうでしょう? リューンはいい文章家を抱えているようですね」
 シルキーヌは嘆息した。
「こたびの戦いは、ナーラダにとって必要不可欠な戦いです。どちらが勝っても、どちらが負けても、大きな変革を余儀なくされるでしょう。それは私も望むところです。でも、民を犠牲にするわけにはいかない。──私は、ナーガ大司祭として、巻き込まれた民を救うことに力を尽くします」
「シルキーヌ……」
「だから、私のことは気にしないでください。私は自分の道を進むだけです。あなたも、自分の進むべき道を見誤らないでくださいね。……武運を祈ります。ナーガの祝福が、あなたの上にありますように」


 ラファエロ・ティフォートは、ヴァシュナ・シリルの命を承けてスィスニアに潜伏していた。精霊術法を使ってのことである。
 スィスニアには、使鬼の修業時代の仲間が何人かいる。彼らにも協力を乞う。彼らの力はわずかなものだ。しかし、彼らの力で武器を隠したり、人を隠したりすることは可能だった。ナグモ・リューンの威のもとに伏してしまったかに見えるスィスニアに、ひそかに反撃の芽が育ちつつあった。


 檄によってナグモ・リューンになびいた邑は、中小あわせて十邑ほどだった。あとは日和見というところだ。本当はヴェルーダに残った民も吸収したかったのだが、一足遅かった。バルスの財政長官フェルノ・クーレーンの手配によって一人残らず連れ去られていたのである。
 まあそんなことは些細な問題であった。士気は高い、兵数も充分だ。訓練も成っている。船の手配も終わった。あとは出陣するのみであった。


 水上戦史上、セルフィアー戦史上に残る一大決戦、「セルファニア湖の戦い」。
 そのあまりにも有名な戦いの前哨戦は、こうして始まったのだ。
 ナグモ・リューン軍vsウォウル・イレーヌ連合軍。
 五王国時代へと続く、長い長い戦乱の時代の幕が切って落とされようとしていた。

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