会誌-「ザラスMCPG 諸英伝」

メール族扉

■ 独立暦四〇〇年人の月 [リアクションNO.5−0]


 船は静かに島に近づいてゆく。青い穏やかな海面、いくすじか雲のかかった、しかし総じて晴れた空、それを背景にどっしりとした山容をみせる孤島がひとつ。
 メールという名のこの山は、彼らの宗神であるマハーカーラが姿を変えたものといわれている。孤峰、というが、それはメール山が山脈を形成せず、たった一つ海の上に浮いていることからの呼称で、メール山そのものには峰は三つある。北岳、中岳、南岳といい、今現在活発に煙を噴き出しているのは南岳である。
 青い空、緑の山、白い噴煙。この頼もしい姿が彼らの守護神であり、また彼らが守っていかねばならぬものだ。甲板からそれを見上げて、青年はあらためてその誇らしさを思った。


 メール族は「神人」とは言うが、その発生起源は他の五種の民とは異なっており、対応して統治形態も異なっている。いわゆる「祭政一致」の形態であり、為政者は同時に神官であった。各邑の邑宰に当たる者は司祭であり、司祭を束ねる大司祭がメール山のふもとの大神殿にいる。たぶんに形式的なものではあったが、一節に一度は司祭達は大神殿に集まって祭儀をとりおこなう。
 今日は、その祭儀の日である。そして、いかにもメール族らしい逞しい肢体を誇るその青年は、城邑イリスからやってきた新任の司祭であった。一歩、足を踏み下ろせば、そこはすでに聖地である。大きく息を吸い込み、吐き出す。ただそれだけで、身体の隅々までがみずみずしい生気に満たされる。
 大神殿は……と見わたすと、迷いようもないくらいに大きな建物が一つ。道はまっすぐで、その両脇には店やら宿やらが所狭しと並んでいる。それを見回しながら、大神殿へと向かう。まだ刻限には間があるようだった。
 司祭衣を着ているので、照会の必要はない。神官衣を着た男が、すぐに議室まで案内してくれた。
 扉を開けたとたん、いきなり怒鳴りつけられた。
「イリス司祭、ファエーイ・ウルゴスだな!」
「はあ、そうですが、名乗ってもいないのに何故お分かりに?」
 突然の怒号に驚きはしても、怯みはしない。
「馬鹿者! 貴様が一番遅いのだ!」
「はあ」
 なおも男は怒鳴ろうとしたが、その時上座から声がかかった。
「止めなさい、リューナ司祭。イリス司祭は新任ゆえ、この議のことを何も知らないのです。イリス司祭」
「はい」
 ウルゴスは襟を正した。この少壮の男性が、大司祭であるのに相違ない。
「この議の時には、できるだけ早く……二、三刻ほどは余裕を見て来なさい。その間大神殿に奉仕してもらう、それが慣習となっています。よほど緊急の用がない限りは、これを守ってください」
「分かりました」
 ウルゴスは頭を下げたので見えなかったが、その時、幾人かの司祭が意味ありげにリューナ司祭を見た。リューナ司祭は憮然としている。
「では、全員揃ったことですし、始めましょうか」
 大司祭はそれにも気づかなかったようににこやかに言った。


 祭儀自体は、自分が神官時代にやっていたものと大差ない。食物を捧げ、その恵みに感謝する旨の詞を捧げる。その供物が少し上等になっているだけである。再儀をつつがなく終えて、議室に戻ると、今度は邑宰としての議をもたねばならない。もっともこれについては、特に提案や要請がなければすぐにお開きになる。
「大司祭!」
 リューナ司祭が不必要に大声を上げた。
「はい、何でしょう」
 大司祭は相変わらずにこやかに言う。
「もし、この中の誰かが王を称したらどうなさる」
 リューナ司祭はとんでもない発言をした。一同、騒然とする。
「リューナ司祭!」
 一人の女性司祭が叫んだ。
「今の発言の趣旨を聞かせていただこうか」
 そうだ、と何人か唱和する。リューナ司祭は憎々しげに笑った。
「趣旨、というと?」
「何の含みがあってそのようなことを言うのか、ということだ!」
「含み?」
 リューナ司祭は、ふふん、と鼻で笑った。
「では貴公らは、絶対にそれはありえない、と保障できるかね?」
「一番可能性が高いのは、リューナ司祭、卿だろうが!」
 と、思わずウルゴスは言ってしまった。初対面の人物だったが、そうとしか思えなかった。
 リューナ司祭はじろりとこちらを睨みつけた。嫌な目だ。
 ウルゴスは唾を吐いてやりたい衝動に駆られたが、さすがに大神殿の中である。思いとどまった。
「まあまあお静かに」
 大司祭は笑みを絶やさずに制した。ウルゴスもリューナ司祭の視線は無視して大司祭の方へ瞳を向けた。
「リューナ司祭からお尋ねのあった件ですが、大神殿としましては、何と名乗られようと、祭儀に参加さえしていただければ何ら掣肘を加えようとは思いません。もちろん、あなた方の邑でそれを許容せず、何らかの手段を講じようというのであれば、それを留め立てするものでもありません」


「イリス司祭」
 後背から声をかけられた。振り向く。そこに立っていたのは、先刻リューナ司祭を猛然と責めた、あの女性司祭だった。
「何でしょう……ええと」
「私、リィズ司祭のラート・ウシャスと申します」
 と名乗り、にっこりと笑う。ウルゴスを促して歩き出す。
「最初っからあれじゃ、大変だったわねえ」
「いやいや俺が悪いんですよ。遅く来たのは事実ですから」
「違うわね」
 ウシャスは明快に否定した。ウルゴスは首を傾げた。
「何故です?」
「先月の議では、リューナ司祭が一番遅れて来たのよ。しかも、刻限よりも後にね。で、皆から袋叩きに遭ったの。それで、今日あなたに当たってたわけよ」
「……そうなんですか」
 ウルゴスは呆れた。まるで子供ではないか。
「そうなの」
 ウシャスはため息をついた。
「リューナ司祭はね、多分神官としては大司祭にも勝る使い手よ。でもあの通り、性格にだいぶ問題があるのよね……」
「そうですねえ」
「でも、頭は切れるわ」
 ウシャスは足を止めた。そしてウルゴスの顔を覗き込む。
「忠告しておくわ。今日、あなたは絶対あの人の怨みを買った。どんな形でかは分からないけれど、必ず厄がふりかかる。注意することね」
「ええ、分かりました」
 ウシャスの表情は、笑って済ませるにはあまりにも深刻だった。ウルゴスは神妙に頷いた。そしてウシャスの予言は、全く的中していたのである。


 イリスへ帰ったウルゴスを出迎えたのは、不安げな邑民と、困惑げな神官たちだった。
(な、何なんだこの空気は)
 たじろいだウルゴスに、内神官長は言った。
「司祭、王などを名乗るのは……それだけはおやめください!」
「……何のことだ?」
「おとぼけになならなくとも結構」
 外神官長が一枚の木の高札をさしだした。
「これは何なんです?」
 ウルゴスはそれを覗き込んだ。
 イリス司祭ファエーイ・ウルゴス、本日よりイリス王を名乗ることとする。なお、大司祭様より許可はうけているので、皆安心するよう。とあり、最後に司祭印が押してある。
「何なんです、って……」
「大司祭様がお認めになったのならよろしいのですが、リューナ神殿が、そんなことは認められないと兵をこちらへ向けているそうですよ」
 兵神官長の言に、ようやく納得がいった。
 そうか、俺はまんまとリューナ司祭にはめられたわけか。
 しかし、何と打つ手の早い奴だ。リューナはイリスよりずっと遠いのに。
 あるいは、とウルゴスは別の可能性に思い至った。リューナ司祭は、初めからそのつもりで、祭儀に出発する前に手を打っていたのではないか。
 面白い。ウルゴスは腹を据えた。そちらがそのつもりなら、こっちはそれを逆手にとってやろうではないか。
 イリス王を名乗り、リューナ軍を撃退し……リューナを手に入れてやる。
 そして、セルフィアー全土を揺るがす……
(首を洗って待っていろよ……リューナ司祭!)
 心中に呟き、ウルゴスは拳を高々とさしあげた。

■ 独立暦四〇〇年火の月 [リアクションNO.5−1]


 イリス司祭侍、イン・イクートスが、どん、と机を叩いた。
「司祭!分かっているのですか? リューナは我が邑まであと五日のところまで迫ってきているのですぞ。王号を廃し、リューナ司祭の元に伏して謝罪するしか方法は……」
「馬鹿な! 誰があんな男に膝を折るものか!」
 我慢強いウルゴスもこの言にはかちんときた。
「リューナ司祭は……!」
 俺をこんな立場に追い込んだ張本人なのだぞ。そう言おうとしたが思いとどまった。それを裏付ける確かな情報は何もない。王を名乗ったのは俺自身の意志だ、そういうことにしておいた方がいいだろうし、そう思いたい。あんな奴に踊らされて王になったなどということが知れたら、まったく末代までの恥である。
「ともかく、お前の言い分は聞けぬ。何があっても聞かないぞ」
「イリスが滅びても、ですか」
「そういうことは滅びてから考えろ」
 イクートスは大きくため息をついた。
「……ここは一時退きますが、分かりました、とは言いませんよ。よくお考えになり、考えを改められますよう」
 大股に歩み、扉をばたんと閉めて出ていく。やれやれと大きく伸びをしたとき、侍と入れ替わるように入室してきた者がいる。尖った顎と、椿油でかっちりと棒状にまとめられたもみあげは、余人と見まごう筈もない。法神官丞、グード・ライザーという男であった。
「一体何を言いに来た。お前も、俺を諫めに来たのか」
「イリス王はお気が短い。侍には何と?」
「他邑の軍とはいえ同じマハーカーラ神王の神兵ではないか、その同胞にどうして刃を向けることができるのだ。戦うくらいなら降伏しろ、和を乞え、同胞が相食むことを神王がお望みと思うか、とその一点張りだった。お前はどう思う」
「愚論ですなあ」
 ライザーはげへへへ、と口を四角にしてまた笑った。
「イクートス殿は時勢というものがお分かりでない。リューナ司祭とご自分とでは、どちらが正しいとお思いか?」
「もちろん、俺だ」
「ならば、戦えばよい」
 ライザーがあっさりと言ったので、ウルゴスはかえって首を傾げた。
「時勢と俺の正しさと、どういう関係がある」
「それはですなあ……」
 ライザーはさも自信たっぷりに指を折ってみせた。
 ひとつ。近頃セルフィアー各地では王を称する者が出てきているが、メール族の中にはまだ一人もいなかった。イリスで王を称さずとも、他邑で追随者が出たであろう。従ってここで聖地以外で最大の邑であるイリスでまず王が立ったことは、他邑の野心ある者への圧力となる。これは王を称することの正しさである。
 ひとつ。イリス王が立つ前どころか、高札を出す前に、すでにリューナ軍は邑を出ていた。これはあの高札自体、リューナの手の者の工作であるという証明ではないか。
「ライザー……お前……」
 仕掛けてきたのはリューナの方である。イリスがこれを迎え撃つのは理から言って当然のこと。
 そして、もうひとつ。
「戦って勝てば、勝った方の理が通る。それが名分というもの」
「勝てると思うか、ライザー」
「今のままでは負ける。兵には士気がない、将の心は離れている」
「勝つためには、どうしたらいい」
「この私を軍の師として起用し、策はすべて聞き入れる」
「分かった」
 ウルゴスは即答した。
「お前を『軍師』に起用する。兵神官丞と同位ということにしよう。作戦立案に関しては、すべてお前の意を通すという特権つきで。ただし、この戦に負けたら即、クビだ」
「負けたら王の首もない」
「全くだ」
 ライザーはさっそく策謀を開始した。ウルゴスはライザーが何をやっているのかは知らない。ライザーもウルゴスにあえて報告するような無駄はしなかった。敵軍は間近に迫っていた。


 リューナ軍が邑を発ってからもう六週間。これは、イリスが瓦解するのを待つために故意に遅らせたものなのだが、兵達はそれを知らない。その中へ、噂が流れ込んだ。イリス王即位も何もかも、すべてはリューナ司祭がしくんだ策だった──という噂だ。
 兵たちは戦う理由を失った。辛うじて兵の心をつないでいるのは、神兵たちのリューナ神殿への帰属意識と、募兵たちの報酬に対する義務感、それだけだった。聡いリューナ司祭はそれに気付いていたが、認めようとはしなかった。
「どうするのですか?」
 リューナ兵神官長が訊く。
「戦って、勝つ。それだけだ」
 決戦は明日に。
 地形と陣の位置を鑑みて、それは決定事項となっていた。


「星が綺麗だ……」
 陣中から空を見上げて、ウルゴスは呟いた。
「こんな夜には、酒を飲みたくなる。うまい肴をもって……」
「駄目です」
 一言で切り捨てたのは、募兵尉イェング・ガヌースである。
「ライザー」
 ウルゴスは『軍師』に声をかけた。
「勝てそうか?」
「ほぼ、確実に」
 ウルゴスは黒曜石の瞳を光らせて笑った。
「そうか。……何をやったんだ、と訊きたいが、種明かしは勝った後にしておこう」
 また、空を見る。
「しかし、飲みたいなあ……」
「どうぞ随意に」
 ライザーが言ったので、ガヌースは目を血走らせた。
「何を言うか! 戦いの前夜に酒とは……つぶれて使いものにならなくなったらどうなさる気か!」
「それはない」
 ライザーは断言する。
「失礼だが、王の行跡もいろいろと調べさせてもらった。酒で失敗した記録は一度もない、きわめて強い体質をお持ちのようだ」
 ウルゴスは嬉しそうに頷き、陣を飛び出した。


 ウルゴスは募兵たちの陣にもぐりこみ、酒を求めた。イリスには酒の神であるビーマ神王の大神殿があるので、募兵にはビーマ神官が多い。彼らから酒と肴を受け取って、ウルゴスは陣の後方の丘にのぼった。その頂上は、絶好の星見スポットなのだが。
 先客がいた。鎧甲を脇に置き、どっかと地に座している。
「この場所を知っているとは、かなりの通とみた」
 ウルゴスが呟くと、その男はこちらに背を向けたまま訊いた。
「どなたか?」
「ファエーイ・ウルゴスという者だ」
「それは、わが軍の帥の名ではないか」
 男は振り向いた。ウルゴスが促すと、素焼きの杯を差し出した。リー、と名乗る。通り名は踊る死神、もと傭兵であったが、いろいろあって今は一介の神兵であるという。
 年の頃は、青年期を脱して壮年にさしかかろうというところか。手入れのゆきとどかぬ髪、角張った顎、無精髭、どこをとっても無頼者という風貌なのに、その目だけがとても優しい。
「腕は立ちそうだが」
「運に恵まれませんので……」
 ウルゴスは星に目をやった。あの赤い大きな星は火炎城、勝利の女神の居城。闘神アシュラ、それは彼がマハーカーラの次に尊崇する神王だ。戦をもたらし、勇気をもたらし、勝利を賜る神。
「俺は、運がいいのかもしれないな……」
 呟く。この時勢の中で、王を称さざるをえなくなった。はめられ、戦わざるをえなくなって、ライザーという策士に出会った。兵吏の中には、ガヌース、ルドルフといった戦巧者が揃っている。そして。
「リー、お前、俺の衛士にならないか」
 その言葉が口をついて出た。この男は絶対に裏切らない男だ、そう直感した。
「お戯れを……」
「俺は正気だぞ」
 ウルゴスはまっすぐにリーを見つめた。
「俺は理屈は分からないが、神官としての力はイリス一だ。その俺が言うんだから間違いない、お前はいい人間だ、そう思う」
「はあ」
「明日は手柄を立てろ。衛士にとりたてる。覚えておけよ」
 そう言いおき、しっかりした足取りで去っていくウルゴスを、リーは茫然と見やった。


 イリスから北方へ約五〇粁、ラクーラの地にて両軍は相見えた。リューナ軍は一万、対するイリス軍は九千八百で、数ではほぼ互角といってよい。ちなみに指揮官または伝令のみが騎乗し、あとはみな歩兵である。水の刻の半ばを過ぎたが、敵は動かない。
「ライザー、いつになったら動くんだ」
「すぐに分かる」
 素っ気ない答えだったが、視線を戻した時には本当に動き出した。こちらへ向かってではなく、乱れたっているという様子だ。
「神兵尉」
 ライザーの声を受けて、カルブネース・ルドルフは、はっ、と返答し旗を高々と差し上げた。この無口な男の大声を聞くことができるのは、号令を発するときだけだ。
「行!」
 全軍が整然と、隊列を保ったまま、行軍を開始した。見事なものだ。いつから、こんなに士心がまとまったのだろう。ほんの数日前までは、王を称するなどとんでもない、誰があんな若造のために戦うものかと、そう言っていた者たちではなかったのか。
 リューナ軍へと近づくにつれ、混乱ぶりがはっきりと見えるようになる。軍の後背で何かが起こっているらしい。イリス軍が間近に迫ってからやっと気付いてこちらに向きなおる。
「突撃!」
 機を逃さずルドルフが命を下し、旗を尉丞に投げると刀を抜いて自ら突っ込んでいく。指揮官の勇猛を見て、兵たちも俄然勇み立つ。隊伍の整然さはそのままに、ルドルフに引っぱられるようにして次々と敵を屠っていく。ウルゴスはむろん自分も戦うつもりだったが、ライザーに止められた。
「神兵尉に任せておけば間違いはない。万一のことを考えられよ」
「しかし、人に任せて自分は戦わぬ者を、兵は信頼するのか?」
「それは時と場合による。今回は必要ない」
 事実、加勢の必要がないほどルドルフと彼の兵は強かった。いつのまにか隊列は半分くらいの幅になり、かわりに縦に長くなって、鋭く鮮やかに敵を二つに裂く。その一方を半月形に包囲し、殲滅していく。斬られる者、降伏する者、逃げ奔る者。逃げる者は追うな、とルドルフが下知すると、それを聞いたリューナ兵は片端から逃げ出した。
「やあ、片尉」
 ガヌースが姿を見せた。百人の兵と百人の間者でリューナ軍を後背から切り崩したのは彼女の功である。
「手伝うよ」
 もう片方の敵を包囲しにかかったが、それが完成する前に敵はもう逃げ出していた。
「必要なかったかな」
 笑みを浮かべたガヌースだが、
「リューナ司祭はどこだ?」
 ルドルフに訊かれて初めて気づいた。諸悪の根元、リューナ司祭の姿が見あたらない!
「……逃したか」
 ルドルフは舌打ちしたが、戦果自体はセルフィアー史上かつてなかったほど多大だった。これ以降、彼の名は若き指揮官として語り伝えられていくことになるのである。


 リーはルドルフの軍の中に配されていた。包囲陣に加わろうとしていると、もう一方の陣の遙か彼方で、背を丸め、こそこそと逃げだそうとしている騎馬を見つけた。
(あれが、リューナ司祭か)
 手柄を立てろ、という昨晩のウルゴスの言葉は彼の意識にはのぼっていなかった。目前に獲物がいて、それが逃げようとしている。元傭兵の血が騒いだ。逃がしてはならない、と思った。
 走る。それを止めようとする敵はいなかった。まっすぐに駆ける。リューナ司祭が振り返り、大きく目を見開いた。
「お覚悟を!」
 ここで剣を抜いて斬りかかっていれば、リューナ司祭の命はなかったにちがいない。だがリーは、素手のまま司祭を捕らえようとした。彼が剣よりもそちらのほうを得意としていたからだが、それがリューナ司祭に反撃の隙を与えることになった。
 リーは司祭の腕を──腕につけた籠手をつかんだ。そのまま背に負って投げ、腕をねじって拘束する。そのつもりだった。
 だが、司祭の籠手に触れたとたん、掌に熱を感じた。
 籠手が燃え上がっていた。そしてその炎が、彼の方に向かって吹きつけてくる。
「──── !!」
 とっさに顔を庇った腕が焼けた。地に転がって火を消す。経験からとった反射的な動きが彼の命を救ったが、立ち上がったときには、すでにリューナ司祭の馬は木立のむこうへと消えていた。
 リーは自分の焼けただれた腕を見た。こんな火傷、霊薬の一瓶ですぐ治るだろう。だが。
「俺には、やはり運がない……」


「で、種は何だったんだ。戦場で背後から揺さぶりをかけたというのは、ガヌースから聞いたが、その前には何をしていた?」
 ウルゴスはライザーに尋ねた。
「大したことではない。敵にも味方にも、真実を知らしめたまで」
 要するに、情報戦なのである。
 向こうの大義を奪い、こちらに大義ありと知らしめる。士気の量は、兵の多寡よりも戦の勝敗を大きく左右する。
 そして、その情報を実際に流したのはルドルフとその部下だ。
「だから、今回の勲功第一は神兵尉だ」
 ウルゴスはライザーの顔を見直した。
「お前、意外と欲がないんだな」
 欲がないのではない。欲しいものが、ウルゴスの賞賛やイリスでの地位などというちっぽけなものではないというだけのことだ。今回の戦で、少なくとも自分の名は全土に知れ渡っただろう。
 そして……

■ 独立暦四〇〇年風の月 [リアクションNO.5−2]


 「イリス王」ファエーイ・ウルゴスは、不機嫌な顔を「軍師」グード・ライザーに向けていた。あの一戦以来、ライザーはにわかに他人行儀になった。王、というなじみの薄いものに重みを持たせるための小細工らしい、それは分かる。だが、
「少なくとも、陛下という呼び方だけはよせ。それは、チェリア朝時代の帝王への尊称だろうが。何か、別の呼び方を考えろ」
「…分かりました。では、いましばらくは、王、とお呼びする」
「そうしろ。……それより、今後の方策を聞かせろ。そのために来たんだろう?」
 ライザーは襟を正した。
「今度の作戦は、“上流作戦”と申します。その詳細は……」


 メール族の宗神マハーカーラは食物の神である。マハーカーラの化身メール山を守護すべく生まれついたメール族は、当然美食美酒こそを重んじ貴ぶ。戦勝の時に祝宴を開き将兵をねぎらうのはメール族のみのならわしではないが、神に捧げるものであり神から分け与えられるものと思えば、その重みも違ってくる。
 穀物の多くとれるイリスでは、数々の銘柄の酒が生産されている。それらは大きく白酒(濁酒)水酒(清酒)火酒(焼酎)の三種に分類されるが、神兵尉カルブネース・ルドルフが特に好むのは「白真」という銘の白酒の地酒であった。樽から竹の水筒に取り、それを抱えて宴場を歩き回る。
 面倒な式典は終わり、すでに無礼講となっていた。見渡すと、イリス王ウルゴスはビーマ神官の募兵たちの方へ行って水酒を飲みつつ談笑している。王など名乗っても以前と変わらずに兵と、民と近しく接している。それが、得体の知らないものとして何となしに忌まれていた「王」というものを、実体のある理解できるものへと変えているのかも知れなかった。
 今や誰もが認める軍事の天才である軍師グード・ライザーは、初めに与えられた席に座したままちびりちびりと杯をなめていた。傍らの樽は火酒のものだから、酒に弱いわけではないのだろう。尖ったあごをなでつつ、一人で飲んでいる。ルドルフはそちらへ歩み寄った。そこへリーを連れたウルゴスも姿を現し、リーは彼らと同じ卓を囲むことになった。
「腕は大丈夫か?」
 声をかけられて、リーはまじまじとルドルフを見た。無口だと聞いていたが、必要なときにはちゃんと喋るらしい。
 腕に目をやる。リューナ司祭を捕らえそこなったことを、誰も責めはしない。リー以外の誰も、リューナ司祭の動きに目を配っていなかったのだから。だから、誰からも責められることはない。
 ──彼自身を除いては、だ。
 届いていた。倒せたはずだった。剣を使ってさえいれば。篭手が燃えるなんて……あんな反撃を食うとは、彼ならずとも予想することは出来なかったろう。運が悪かった。運の悪さを悔いた。
 俺には運がない。いつもいつも、そのせいで何かをとりにがす。
 尊敬する師匠も最愛の妻子も救えなかった。地位を得ようとするといつも何かの邪魔が入った。リューナ司祭を倒すこともできなかった。その機会はあった。条件は揃っていた。決して力不足ではなかった。いつも、運のために。
「……何を考えている?」
 ずいぶんと長い間、杯を見つめていたらしい。ライザーがいぶかしんで、こう問うてきた。角張った顔がわずかに赤い。
「俺の失敗を取り戻すことを、考えています」
「それは、リューナ司祭を暗殺する、ということか」
 ライザーは低く言って、顔を自分の杯に向けた。リーは頷いた。ルドルフが口を開きかけたが、その前にまたライザーが言った。
「リューナ司祭を逃がすつもりはない。そのための策は立ててある。それでも不満か」
「不満、というわけではありません。ただ、俺はもう一度だけ、自分の運を試してみたい」
 リーは決然と言った。ライザーは頷いた。
「それも良かろう…が、イリスの者だと悟られないようにしろ」


「良いのか」
 気ぜわしく出てゆくリーの背を眺めながら、ルドルフは問う。ライザーはげへへ、と笑った。
「良くはない。王に奏上した“上流作戦”は、我が軍がリューナに達するまで生きていてこそ功を奏する策だ」
「なら、何故そそのかした?」
 杯をなめる。
「まず、成功することはないだろう。あの男の運の悪さは尋常ではない。小さな幸運を得た後だ、必ず大きな不幸が訪れる」
「そう思って、彼を死に追いやったというのか」
 ルドルフは呟いた。目の前の男が邪鬼に見えた。
「あの男の望んだことだ。そして少しばかりリューナを撹乱することは、作戦上、意味がなくはない」
 そう言うと、ライザーは口をつぐんだ。ルドルフもそれ以上問おうとはしなかった。二人の耳目から遠ざかっていた喧噪が、再び舞い戻って五官を撃つ。
 宴はますます酣に、いつ終わるとも知れず盛り上がっていた。

■ 独立暦四〇〇年空の月 [リアクションNO.5−3]


 「上流作戦」は着々と進行しつつあった。
 外吏はメール族の各邑へ使者を派遣した。「イリス王」の名でリューナ遠征を公表し、高札の一件についての真相を伝え、どちらに味方するのかを見きわめる。多くの邑は態度を保留しているが、中には親リューナ派、親イリス派の邑も存在する。
 兵吏は神兵の正規軍と募兵の募兵軍とに再編成された。募兵は先発して反イリス派の邑をつぶしにかかっている。人の歩くのとほとんど同じ速度で北上しているというのは、つまりは邑ひとつを通るのに時間をほとんど食っていないということだ。無駄に戦っていない、戦っておとせなければ無視する、そしてすばやく次の邑の調略、攻撃にかかる。風の月が明ける頃には、リューナとイリスの間にはたった六つの邑が横たわるのみとなった。
「凄いな」
 四百年来の秩序をたった半年で崩すことができるものなのか、とウルゴスは慨嘆したが、軍師グード・ライザーは補足を入れるのを忘れなかった。
「募兵尉の力量はたしかに素晴らしいものだが、その根底には外吏の布告があり、さらにはリューナ司祭の人望のなさと手抜かりが重要な要因としてある。決して募兵尉一人の力ではなく、これも時流に乗ったためであることをお忘れなきよう」
 ときとして、時流は人の及ばぬ所で動く。今はイリス王を名乗っているウルゴスも、半年前までは、当代最年少のマハーカーラ司祭としての使命に燃えていたのだ。それが、今やメール族最大の叛逆者となっている。秩序に対する叛逆。だがこのまま時流がウルゴスに味方するなら、彼の名は後世には最大の英雄として語り伝えられることになるだろう。正と邪とは常に紙一重なのだ。
 グード・ライザーはウルゴスに言った。メールは一つの邑となる。いや、してみせると。当面の目標はリューナを占領後、各邑に使者を送り、『メール連合邑』の名の下に参集させることだ。各邑の自治権は認める。しかし実権はイリスが握る、という寸法だ。
 また、メール族の邑の多くは台地の上にあり、兵の機動力がものをいう。そこで神兵尉ルドルフに命じて軍の中に馬上兵をつくることにした。


 そのころ、イリス衛士リーは、その地位を隠してイレムに潜伏していた。かつての傭兵時代の仲間達と酒を酌み交わしつつ、ここに至った経緯を述べ、自分の心境を述べると、仲間たちは心から同情し、あるいは心を動かされて涙を流す者もいた。
「そりゃあ、気の毒だったなあ。お前さんは昔から運に恵まれてなかったが、今でもそうなのか」
 本当に、これだけ実力がありながら報われない男も珍しい。
「俺には運がない。俺の悪運に巻き込まれて死ぬかもしれない。お前さんたちをそんな危険に遭わせていいものか、俺は今でも迷ってるよ」
「心配しなさんな、リーさんよ」
 戦友たちは豪放に笑って、言った。
「他人の運にまきこまれて死ぬのを恐れるくらいなら、傭兵なんかやってないぜ。他人の運は他人の運だ。気にすることはない」
「ありがとう」
 リーは心から頷き、仲間達を見回した。
「では、リーの成功を祈って、乾杯!」


 視覚術法──いわゆる幻術に、絵に描かれたものを取り出すというものがあるが、ライザーの用兵はまさにその幻術のようだった。先に述べたとおりに兵が動き、勝敗が動く。ウルゴスは常に戦闘に参加していたが、無茶はしない。ただ自分の身に気を配り、戦場の様子を大観しているだけであったが、それでも兵は彼の姿に元気づき、実力以上の力を出すことができるのであった。
 実際に戦っているのはルドルフやガヌースだが、彼らの動きを制しているのはウルゴスの傍らのライザーである。移動中、彼はしょっちゅう伝令を飛ばして、細やかに大軍を掌握していた。
「そこの兵吏、弓兵百人を率いて、軍本隊とは別行動をとれ !! 腕の良い弓兵で、反イリス邑の長を戦闘中に射殺すのだ。大軍に攻撃されればスキが出来る。敵本隊がよく見える丘などから射るのだ。失敗しても構わん !!」
「おいおい、それは卑怯というものではないか」
 ウルゴスがつい口を出したが、ライザーは首を横に振った。
「これを戦法というのだ。戦闘中の行為は、たとえ卑怯なことでも、策略と言い換えられる。それによって敵味方の犠牲者が減るのなら、結構なことではないか」
「まあ、その通りだが……」
「軍と戦うとき頭を狙うのは、兵法の常道。王も心しておかれよ」
「分かっている」
 答えるウルゴスの目前で、敵軍が崩れ立っていくのがはっきりと分かった。長を失えば軍は崩れる。我が軍も例外ではあるまい。
「流れ矢に当たらぬよう、せいぜい気をつけるさ」


 間者はふつう兵吏と外吏に所属しているが、イリスにおいては軍師の配下に置かれている。グード・ライザーの戦とは基本的に情報戦であり、それには間は欠かせぬ存在である。
 軍師は間の大多数を「イリス王の人徳」をアピールさせるイメージ戦略に使っていたが、直属の部下たちには密かにリッターの内情を調べさせていた。例によって内にも秘密にしてある。
 カルブネース・ルドルフにも一応直属の間がおり、彼はリーの行動を追わせていた。何としてもリーに成功させてやりたい。自分がリューナを落とすのは簡単なことだ。だが、それでは駄目なのだ。リーの手でとどめを刺させてこそ、この勝利には意味があるのではないか。一兵吏のことと切り捨てるようなライザーの言い分が、どうしてもルドルフには納得できなかった。


 リーは、リューナの城壁の内側に降り立った。
 ここまで、敵兵に会うことはなかった。城壁を乗り越える時も、咎める兵の姿はなかった。あまりに順調なので、かえっていぶかしく思える。だがそんなことを気にとめている隙はなかった。仲間達は陽動のために、別の所から侵入しているはずだ。自分だけがのんびりしてはいられない。
 邑の中央をめざして走る。警戒が厳しいであろう大通りは避け、間道を間道をと進んでいく。夜の闇の中、篝火の焚かれた門が連なる光景は、イリスのものとよく似ていた。メール族の大邑は、どこも似たような街路の構成になっているのだ。
 多くの兵が詰めていると思われたマハーカーラ神殿は、しかし、ほとんど人気がなかった。わずかに門前に十人ほどが哨戒しているばかりで、中はしんと静まり返っている。灯も見えぬ。
 一体、どうしたというのだ?
 思ったとき、他から侵入してきた仲間が三人ほど合流した。目を見交わしあい、哨戒の兵の死角でぼそぼそと話し合う。たぶん、夜襲に出たのでああろう。そうであれば、背後を突くことができるかもしれない。とにかく南門方面へ向かう。
 リューナ司祭は、まさにその南門にいた。といっても、夜襲をかけたわけではない。城門に夜襲をかけた者がいるというので、その防戦のために神殿の全兵をこちらに振り向けたのである。
「あの将は……!」
 リューナ司祭は城門の上から敵将を見おろして、呻いた。以前、ラクーラにおいて完璧なまでにリューナ軍を叩きつぶした男だ。イリス神兵尉、カルブネース・ルドルフ。
「行け!」
 リューナ司祭は完全に頭に血をのぼらせた。門を開け、その少人数に向かって全軍をけしかける。自分は頭上から指揮を執るつもりで、腕を組んで一人門柱上で胸をそらせた。
 その時、胸ににわかに激痛が走った。
 瞬間、何が起こったのかわからなかった。そのまま前にのめって柱から墜ちながら、自分の胸板に剣先が突き出ているのを見た。だが次の瞬間には地にたたきつけられ、意識が消し飛んだ。
 暗い中で起こった出来事であったため、この瞬間を見ていた者はそう多くはなく、その下手人が誰であるのか糾明しようと動き出す前に、下手人はいずこへかと消えていた。


 結果的には、リューナ司祭は死に、リューナは降伏し、目的は達せられた。だがあのとき、例えばリーがおおっぴらにルドルフの軍に助けられたりしていようものなら、それでも補いきれぬほどの大きな禍根となるところであった。ウルゴス王の人徳を一つの名分の標榜として利用しているイリスにとって、暗殺などというマイナスイメージを負うことは、大きなリスクを伴う。むろん、公表していないだけで、暗殺したという事実自体は変わらないわけだし、イリスがやらせたということは公然の事実とはなろう、しかしそういう問題ではないのだ。そう、ライザーは言った。
「戦において『“味方”の被害は少なく、“敵”を多くたおす』のが常道。たとえ天のおぼしめしがあろうとも無意味な戦はさけるべし! 信念を持たぬ男ならば、例え軍師殿とて容赦せぬ」
 ルドルフは憤然と言った。無口という印象の強かった男だが、どうもそれは本性ではないらしい。
「私が信念を持たぬ、と?」
 ライザーは眉を動かした。
「それは心外なことを言う。私は常に自分自身の信念に従って行動してきた。それがために冷徹と思われるのはいっこうに構わぬが、信念がないとはどういうことだ」
「軍師、貴公はかつて王に向かって募兵を使うだけ使えと進言したな。そしてリーには、死地であることを知りながらけしかけた。その、人を人とも思わぬやりよう、けしからんと思うのだ」
「それは感傷だ」
 ライザーは切り捨てた。
「感傷では平和は手に入らない。私はイリス王に軍師の位を拝命し、王のために力を尽くすことを約した。その約に従い、イリス王にとって最善と思う道を取っているのみ。私の信念とはそういうことだ。……納得がいったなら、自陣に戻れ。本来なら軍規違反により降級もやむを得ぬところであるが、我が軍にはまだ神兵尉の力が必要だ」

■ 独立暦四〇〇年地の月 [リアクションNO.5−4]


 後世、「イリス建国戦争」と呼ばれることになる大戦が終わった。軍師グード・ライザーは、占領したリューナの戦後処理の事務を無事済ませ、イリス王や軍幹部、兵たち、リューナの邑民が集まっている会場へ向かった。
 彼は多くの者が集まっている会場にて、重大な発言をしようとしていた。それは策略でもなければ、自らの野望のためになしたことでもない。かつて法神官丞の位にいたこともある彼だからこそ、規律を保つために発言しようとしていたのである。
「我々イリスは、リューナの民の生活を破壊しに来たのではない。歴史の流れを示す為に来たのだ。今、セルフィアーは変革の時を迎えている。いつまでも小さい邑同士が戦い続けていては、平和などというものは永遠に到来しない。諸君、リューナの民も、我々イリスの民も、偉大なる大火山の御元に生まれし同族である。今こそ、メール族は一つになるのだ。互いを認識し、助け合ってこそ、平和への礎が生まれる。
 リューナはイリス王国の勢力に入ることになる。リューナは一つの邑ではなく、繁栄と安全を約束するイリス王国の一部であるということは忘れないでもらいたい。
 リューナの民や邑の名を地に貶めた“リューナ司祭”を見事討ち取ったイリス神兵「リー」に対し、軍師グード・ライザーの名において、馬上兵団千騎の団長に任ずる。その為、団長職として釣り合いが保てる「神兵尉丞」に昇進する事になる。又、ルドルフ神兵尉は、軍規に照らし、先日の行為が正当ではないと判断し、団長職を解く。
 そして……ルドルフ神兵尉を管轄する者も責任をとる必要がある。決して“特別”などというものは王国に存在してはならない。私、グード・ライザーは軍師の職を返上し、イリスの私邸にて謹慎する。法が定めた期日の謹慎後、軍師としてではなく、法神官丞として出仕する事になるであろう。この人事は明日を以て発動する」


「おい、軍師。あれは、どういうつもりだ」
 夜半を過ぎるか過ぎないかになってようやく現れたライザーにウルゴスは怒声をぶつけた。ライザーの方は全く平静である。
「先程は失礼致しました。イリス王へは何も伝えておりませんでしたから驚かれたかと思いますが、軍師という地位にしがみつく程、私は卑しくはありません。これもイリス王国には良い機会だと思います。私が居なくなって対処できる王国でなくてはいけません。私もいつかは死にますれば、あまり信用され過ぎては苦労が絶えぬというもの」
 ぬけぬけと言う。ウルゴスは毒気を抜かれたという体である。
「それに近頃では、軍師は王の座を簒奪しようと企む輩、イリスの悪い面を率いる悪魔、と囁かれておりますから……ここは身を退くべき“時”なのかもしれませぬ。イリス王においては、私めの様な者を信用し、登用して戴いた事には心から感謝しております。フフフ、いやに尊大でない態度、だとでも思われましたかな。
 コホン、これは真面目に、私の野望の一つでもあった『世に名を知らしめる』ことを実現させて戴いたのは、イリス王、貴方のお陰ですぞ。感謝せずにはいられませぬ」
 そしていくつかの献策をし、明朝出立した。仕えていた部下が同行を求めるも“軍師にあらず”と一言述べて、イリス王への忠誠を誓わせた後、リューナに残して去った。
 “ライザー謹慎す”の報が各邑に伝わった。喜ぶ者、平和の道が遠のいたと悲観する者、野に放っておくのは勿体ないと思う者、今のうちに殺害しようと考える者、様々な者達がいる。時は流れる、そう流れるのだ……。


 「特設・軍師控所」という組織がある。ライザーが種族・邑を問わず、セルフィアー各地から人材をかき集めたいわば頭脳集団だが、突然トップを失ってもっとも動揺していた。
 しかし軍師の愛用していた鞄の中に「イリス王へ」と書かれた数巻の書簡が発見され、ウルゴスは苦笑した。
「あの男、全部いっぺんに言ったら俺が混乱すると思ったんだな」
 その書簡にあった遺策の実行をもと控所の者たちに命じると、ウルゴスはすぐに議を開いてカジを攻略することにした。
「無茶です。リューナの防備はどうするのですか」
 募兵尉は即座に言った。
「リューナの兵を編入すればよいでしょう」
 と言ったのは、新リューナ司祭、スェハータ・イーテナスであった。リューナ司祭の腹心として各種策謀を巡らせたが、イリス王本人に恨みがあったわけではなく、純粋に策略を楽しんでいただけなので、その点、軍師グード・ライザーに似ている。
「リューナ兵の多くは仕方なく戦った者たちです。イリスに対する怨恨はないばかりか、メール族最強のイリス軍に入って戦えることに、さぞ喜ぶことでしょう。ご自由にお使い下さい」
 こんないい加減な男を信用していいのか、と思った者は多かったが、ウルゴスは全く気にしていなかった。
「そうか、じゃあ軍を二つに分けよう。ガヌースはイリス募兵隊全兵を率いて中小邑の警戒をおこなってくれ。その他の者はカジ攻めだ。各自、存分に戦ってくれ。むろん、俺も行く」


 かくしてイリス軍とカジ軍は、カジ郊外にて対峙した。イリス軍一万五千、カジ軍八千。戦場はなだらかな丘陵上の地で、どうやらカジ軍の陣地は高く、イリス軍の方が低くなっている。
「やあ、我こそはカジ司祭スラート・ラテナス……といってもこの間会ったばかりだな。息災だったか、イリス司祭」
 大音声をあげ、手の大刀を振り回す。ウルゴスも負けじと大声を出した。
「カジ司祭、久しいと言うには日が近すぎますな。この度は私の手合わせに付き合ってくださるようで、まったく重畳です。では、参りましょうか」
 同じく大刀を振り上げると、イリス軍の全軍がいっせいに得物を構えた。みごとな統制ぶりである。カジ司祭はにやりと笑い、隣に控える兵から旗を取り上げて振った。
 それが開戦の合図だった。わずかな傾斜ではあったがそれを利用したカジ軍は、怒涛のように攻め下ってくる。その第一撃をかわせば、しかしイリス軍も全く同じ条件を手に入れることができるのだ。それに。
「割っ!」
 ルドルフの大声が響くと同時にイリス軍は二つに割れた。勢いのついたカジ軍はそのまま下ってくる。向き直ったイリス軍は、右から左から、包み込むようにして殲滅していく。
 策も何もない。兵力が敵の倍あれば二つに分かれて敵を双方向から包囲する、兵法の基本に従ったまでのことである。カジ軍もよく戦っている。次第に撃ち減らされながら、円陣を組んで守りの態勢に入っている。敵より兵数が少なければ守る──こちらも兵法の常道である。
「イリス司祭!」
 さすがに不利を悟って、カジ司祭は叫んだ。
「私と一対一で勝負せよ!」
 円陣の上方の端で、大刀を振り回している。そのさらに上で戦況を眺めていたウルゴスは、その声を聞きつけて下りてきた。
「私と勝負しろ。お前が私に勝ったらカジは渡す。お前とてこれ以上の殺生は望みではあるまい」
「望むところだ!」
 危険です、と止める間もない。止める者もいなかった。軍師はいない、ガヌースも別の戦いをおこなっている。ここにいるのは、イリス王とともに熱くなる生粋の戦士だけだ。
「わが刀を受けよ!」
 ウルゴスが渾身の力を込めて放った一撃目はわずかにはずれた。その隙をついて貫こうとしたカジ司祭の大刀は、ウルゴスの鎧に当たり、するどい金属音を響かせる。
「くっ……なかなかやるな、カジ司祭。しかしこれならどうだ!」
 泳ぎかける柄を引き戻して放つ二撃目は、カジ司祭の肩当てを切り裂いた。
 そんな具合で決定力に欠けたまま、十合ほど撃ちあった。全軍が固唾を呑んで見守る中、カジ司祭の大刀が鮮血を宙に引いた。
「うわあっ」
 カジの全軍が喚声をあげようとしたとき、カジ司祭が馬から落下した。ウルゴスの大刀の柄の先が、鮮やかにカジ司祭の鳩尾を突いたのである。ぐうっ、と呻き、カジ司祭はかろうじて受け身を取って転がった。その首に、ウルゴスの大刀が突きつけられる。
「どうやら、俺の勝ちだな」
 言うウルゴスの左の上腕も鮮血に染まり、息が乱れている。
「もう少しのところだったがな……」
 カジ司祭は悔しげに言ったが、悪あがきはしなかった。
「約定を違えはしない。勝ったのはお前だ。カジはお前の好きにするがいい」
 鳩尾を押さえたまま、突きつけられた大刀の切っ先と、その向こうの黒曜石の瞳を見つめる。
「いい太刀筋だ。お前には邪心がない…カジも、悪くはなるまい」
「何を言っている」
 ウルゴスは笑い、自分の大刀を地に突き立てると自らカジ司祭に肩を貸す。カジ司祭は驚いたようにウルゴスを見上げた。
「カジが俺に治められるわけがないだろう。カジはお前の邑だ。俺が望むのは、イリスの一部として、カジが繁栄していくことだ。その為にふさわしい人材は、お前以外に誰がいる?」


 その後、ガヌースからの間により、イリス──リューナ間の残党は征討したとの連絡が入った。

■ 独立暦四〇一年水の月 [リアクションNO.5−5]


 グード・ライザー。セルフィアー史上に初めて「軍師」という称を用い、その語を全土に知らしめた男。彼は自分が芯から策士であると信じ、メール族の身体に生まれたことを悔やんでいた。しかし直情径行を常とするメール族に生まれたことは、間違いなく彼の名を当代の最高峰へ押し上げた。彼にはそれも不満だったに違いない。智を競うべき相手が、周囲に存在しなかったのだ。
 彼が軍師の位をほんの数節で投げ捨てたにも関わらず、人は彼を軍師と呼び続けた。軍師とは位の名ではなく、彼の性を表す言葉に変わっていた。彼自身の中では、軍師位はひとつの通過点に過ぎない。それを返上したからといって、野望の火種が消されたわけではなかったのである。


 法神官長は、扉を開けて入ってきた男を見て顔をひきつらせた。二度と見たくないと思っていた三角顔がそこにあった。
「お日柄もよろしく、法神官長殿はお元気そうで何よりです。本日は謹慎後の復職届け、並びに休職願いを申請しに参りました」
「な、なんと。き、謹慎が解けたのでありま……い、いや、解けたのかね!?」
 事前に何の連絡もなかったが、確かに今日は謹慎明けのその日で、彼が法神官丞であることも間違いはない。とはいえ、心の準備というものがある。言葉遣いを間違えたくらいで責めることはできまい。
「はい。小官の不甲斐なさの為、法神官長殿には大変ご迷惑をお掛け致しました。が、これからもご迷惑をお掛けする事になりましょう。何とぞ、休職願いを受理して戴きたいものです」
 一瞬あっけにとられたが、考えてみれば渡りに舟とはまさにこの事。元上司を部下に持つなど、落ち着いて仕事のできようはずがない。本人からの休職願いである。イリス王とて、何も仰せにはなるまい……。
 即日、法神官長の名で、グード・ライザー法神官丞の休職願いは受理された。


 謹慎していたとはいえ、グード・ライザーはただ家でぐうたらしていた訳ではない。使えるものはすべて使って、各地の情勢や動向を調べさせていた。「網を張った蜘蛛」という状態である。
「やはり問題はリッターの動向だな。イリス王国の横腹を突くことが狙える邑。司祭の能力もなかなかのものらしい……」
 中でも彼の視野に強く映ったのがメール居住地区西部の情勢であった。西部を抑えれば、現在のメール族居住邑のうちイリス川以西のすべてを領有することが出来る。東および北はまだまだ手をつける段階ではないだろう……。
「さてさて、晴れて自由の身。自由の身なればこそ、出来る行動というものが存在する。リッターをどう制するか……まずは酒樽と牛を持って参上致そう。事はリッターに到着してからだ」
 人口六万人、主産業は漁業。城壁はなく、交易の拠点であり宿場町──知識として知ってはいたが、聞くと見るとではずいぶん印象が違うものだ、とライザーは邑の入口から全体を見渡した。
「ほう、地の利はそれ程良くないが、これ程発展している邑とはな。なるほど、再三の連合邑参集に賛同しない訳か……フッ、面白いではないか、説得する楽しみが大きくなった」
 それほど活気があるとは見えなかったが、兵の強さには定評がある。トリア大滝を跨いで存在するセズ邑からの侵攻を何度も防いできたという史実が、その評を裏付けていた。
 リッターには城壁が存在しない。ライザーはすんなりと入邑し、リッター司祭へ会見を求めた。
 初老の、巌のような男だった。体躯は実際にも大きいが、それよりもさらに一回りも大きく見える。威ありて猛からず、という語を体現したようであった。正に司祭位にふさわしい……いや、未来のイリス王が居るように思われた。ライザーは一瞬言葉を失ってしまった。
「なんと……これはこれは。フフフ、二君に仕えて良いならば、イリス王とリッター司祭を選んでおったな」
 ライザーの独り言など意に介するようすもなく、司祭は重々しく口を開いた。
「そなたの名は聞き及んでいる。有能な臣として、悪名の名高い軍師として、どちらも当を得ている評価のようだが……。それはよいとして、用向きは何か答えよ」
 中庭に引かれてきた牛が、のっそりと伸びをした。その後ろの車をゆびさし、ライザーは言った。
「まずはこの酒樽を献上いたします。牛も酒のつまみとして献上致しますれば、私が自ら屠殺致しましょう」
 そう言うが早いか、腰の礼剣を抜き、牛の首を一刀のもとに斬り落とした。血飛沫が舞う。ライザーの服も赤く染まった。
「ム…どういうつもりだッ! リッターに対する宣戦布告か !?」
「いえ、その様なつもりはありません。私は現在、休職の身であり、イリス王国の中でも非力です。出来る事と言えば、酒とつまみを持参し、現在の情勢をお教えして、リッターの繁栄を願う事だけでしょうな。げへへ」
 嫌な笑い方をする。耳にさわる声。司祭の左右にいた兵たちが激昂し、剣の柄に手を掛けた。
「身分をわきまえよ! リッターの繁栄だとッ、小賢しい。天下に名高いイリスの元軍師殿に教えを乞う程、リッターの者は落ちぶれてはおらんぞ !!」
「ではお聞き致しますが、このまま黙って大国イリス王国に併呑されるおつもりですか? 現在のイリス軍兵力は強大になりつつあります。もはや互角に戦える邑は少ないでしょう。リッターとて、全兵力を挙げて戦って勝ったとしても、手痛い損害は邑の守備も危ぶまれる結果になるでしょう」
 しゃあしゃあと言う。今にも斬りかからんとする兵たちを手のひとふりで制すると、リッター司祭は厳然として言った。
「その様な事は既に予測済である。だが、イリス野望は断じて挫かなくてはならんのだ。強大な大国など、存在するべきではない」
「リッター司祭は平和がお嫌いなのですか? イリス王国は平和を望んだ政策をとっています。一時とはいえ、子々孫々が平和に生きられる時代があっても良いのではありませんか。このまま行けば、あの牛の様な惨劇が各地で起こりましょう。自分の保身を欲するあまり、邑という酒と司祭の首というつまみを持って…」


「軍師の奴、法神官丞を辞めただと?」
 イリス王ファエーイ・ウルゴスは笑った。
「奴らしいな。こんどは一体何をやらかすつもりやら」
「軍師、ではありませんよ、王」
 募兵尉イェング・ガヌースが訂正する。
「大体あの男、イリスを隆盛させるのに尽力するかと見せておけばすぐに捨てて。信頼なりません」
「俺にも奴の考えは分からん。だが、奴が俺を捨てるなどということはあるまいよ。勘だけどな」
 一方カルブネース・ルドルフは、久々にイリスの王邸に戻ったが、見慣れたはずの廊下がひどく長く見えて、大きく嘆息した。
「ライザーも、リーもいない……勝どきの今、人無しとはこれはどうしたことか…また私に幾万の試練がくるというのだろうか」


「クレン・エシリル?」
「ええ」
 銀髪の若い女は、ルドルフとガヌースに向かって礼をした。
「この間まで、軍師の控所にいた者です」
「ああ、あの後始末部隊か」
 とはガヌースは言わず、無言で先を促した。
「それから後は、イリス王直属の特務組織、王国修領所にて情報収集などしておりましたが、このたび、お二人付きの謀のとなりましたので、ご挨拶申し上げます。新参者の私などにあなたがたの輔佐など出来ないだろうとお思いでしょうが、とりあえずは今後一節、お側においていただきます。宜しくお願いしますね」


 五日後、グード・ライザーはリッター司祭からの呼び出しを受けた。司祭の前に通され、今回は全く完全な礼をもって対する。
「グード・ライザー……いや、あえて軍師と呼ぼうか。先日のそなたの話、なかなか興味深いものであったな」
 ライザーは深く頭を垂れる。
「わしは、いや我々はよう考えた。確かに軍師の言うことには筋が通っておる。イリス王が平和好きかという点で疑問は残るが、イリス王国が武をもって制しようという国でないことは認める。──だがな、我が邑にも体面というものがあるのだ」
 リッター司祭は首をふった。
「体面、というのはあるいは違うかもしれぬ。名、と言ったほうが正しいか。我が邑は武をもって立ってきた。それが、強大になったイリス王国に膝を屈したとなれば、周囲の邑が黙ってはおるまい。イリスの一部となったが最後、最前線の砦として戦いの場となるのは必定。繁栄どころかまっとうな邑としての発達も望めなくなるだろう。そんなことはできぬ」
 ライザーは俯いた。この男も所詮見かけだけの男か、と失望しかけた。何か罵ってやろうかと口をひらく。
「しかし」
 司祭の話はそれで終わりではなかった。
「イリスの一部となることは出来ぬが、イリスと和すことは出来ぬわけではない。王国と名乗り邑の名を捨て、リューナやカジを併呑しているといっても、もとは司祭の治めるひとつの邑。われらメールにとっての統治者の条件は、大火山の忠実な従者たることのみ。そちらの長も司祭なればこちらも司祭、講和の余地はじゅうぶんにあると存じる」
 ライザーは左手を胸にあて、使者の礼をとった。
「ご英断と存じます。では、早速復命して参りますか。げへへへ」


「という訳です、王」
「俺に何の断りもなく、そんなことをしていたのか」
「お怒りになりますか」
「いや、礼を言う。よくやった。すぐに正式の使者を出そう。ところで、ライザー。軍師位に戻る気はないのか」
「まだ、ないですなあ」
「何故だ。リッターを説得した功……復位には充分だと思うが」
「自由の身なればこそ、出来る事というものはあります。もちろん、軍師でなければ出来ぬ事も」
「今は、まだ機ではないと?」
 ライザーは不分明な笑いをうかべた。
「では、失礼いたします。また近いうちにお会いしましょう。げへへへへ」
 水の月五一日、リッターはイリス王国と対等の盟を結んだ。

■ 独立暦四〇一年人の月 [リアクションNO.5−6]


 強兵と名高い邑、リッターを取り込むことができたことは、今後のイリス王国の戦略に大きな影響を与えることは間違いない。
「さすがはリッター司祭、覇王の資質がある……。最初から併合するつもりはないにせよ、対等な同盟──連合邑への参加に踏み切るとは、私も予想しなかった結果でした。せいぜい、戦争を仕掛けるきっかけを作ってくれるだろうと思っていたのですが」
 ライザーがいるのは、彼の自邸である。ライザーは客を邸宅に迎え入れることを好まず、来客は全て門前払いにしてきた。
 客=イリス王ファエーイ・ウルゴスは、床に端座してライザーに正対している。さすがに彼を拒むことはできず、ライザーは珍しくも門まで自ら迎えに出た。
「軍師……いや、ライザー、戻ってきてくれないか。これからのイリス王国の方向を決めるには、ライザー、お前が必要だ。お前でなければ駄目なんだ」
 殺し文句であったが、ライザーはそよ風ほどにも感じなかった態でウルゴスを見つめた。
「イリス王、私でなくとも王の部下は優秀でしょう。特設控所で選りすぐられた人材ばかり、これ以上何をお求めに?」
 素っ気ない対応に、ウルゴスは困った顔をした。へその曲がった奴だ。
「ライザー、意地が悪いぞ。お前と俺はもはや切っても切れぬ間柄。イリス王を名乗るのに一役、いや後ろから支えてくれたのはお前ではないか。他の奴にはそれは求めようがない。何故お前は応じぬ?」
「イリス王には絶対的な忠誠を誓っております、王が覇王の素質を失わない限り…いつも王の為に働いているつもりですがネェ」
「では、どうすれば戻ってきてくれる? 何が欲しいのだ」
「それでは王に要求します。私を「大いなる家臣」、大臣として迎えて戴きたいですな。側近として、腹心として、イリス王の為に働きましょうぞ」
 つまり、「軍師」に即いたときのように「大臣」という新たな自作の名称に変えたいというのである。勿論名前だけではない。軍関係から政治関係にも発言権が増大する事になるだろう。簡単な要求ではない。
「即答はできないぞ。お前も知っているとおり、イリス王国とは呼ぶようになっても、中身は保守的な奴らばかりだからな。位を新たに作成するとなると、古来からのしきたりはどうだとか、事務処理に混乱が起こるだとか、古株がうるさいからな」
「それこそ壊さなくてはならない古い秩序です。新時代には新時代の流れというものがあり、それに合う秩序があるはずです。新たなる秩序が構築できなければ、イリス王国の運命も旧時代とともに尽きることになるでしょうな」
 イリス王、ライザー、共に正しい指摘であった。イリス王国は誕生してから日が浅く、内政機関に至っては司祭時代のイリスとほとんど変わっていない。王国としての意識も一部の間でしか浸透しておらず、一つの問題になっていた。
「分かった、大臣としよう。俺の腹心として、俺の側でお前の力を貸してくれ」
「王の為、存分に力を発揮しましょう」


「イリス王、お久しぶりです。このほど、大臣職に就いてから作成した各種計画書です。どうぞ目を通して下さい」
 ついに来やがった。言葉には出さないが、ウルゴスは舌打ちしたい衝動に駆られた。ライザーが復帰してくれたおかげで、毎日面白くもない政治のことに考え悩まなくとも済むようになったのは嬉しい。しかし、ライザーに任せると一つ重大な悩みが増えるのに気がついたのは、彼がずっと大臣室に籠もっているとの報告を受けたときだった。めまいがした。
「俺が字ばかりの計画書を読むのが嫌いなことを知った上で嫌がらせをしてるのか、お前は。一度にこんなに持ってくるなど……」
 ぶつぶつ言いながらも、久々に知力を総動員して、うずたかく積まれた計画書を読み始める。内容は今までの慣例を破棄し、新しく革新的な制度を構築するものであった。
 まずは連合邑参集初会合のことだった。各地の戦乱は激化し、混沌としている。そんな中での新しい秩序である、連合邑の参集は成功を収めるであろうと言う。次に、
「蜘蛛会へ余りある食料を売り払い、イリス王国の資金力を付けようかと。王国各地の開発、軍事力の確保、連合邑での影響力の拡大など、いずれも資金力が物をいうもの。どなたか蜘蛛会への交渉をお任せし、資金を確保したいものですが……」
「分かった。で、誰が適任だと思うか」
「王の親戚筋でもあられる、ファエーイ・クルトラス殿を」
「何、お前の部下にした、あのクルトラスをか !?」
 ウルゴスは驚いた。クルトラスは頭はいいが、どちらかというと武に志向していた筈……そう考える脇で、
「彼は未来のイリス王国を支える逸材です。文武に長け、兵を扱わせれば良し、政を扱わせれば良しで、優秀な人物です」
 と言う声が聞こえるので、ウルゴスは天地がひっくり返ったかと思った。珍しく人を褒めている……これは、明日は雪か雷雨か。
「次の計画の説明をしますぞ。商業を奨励し、人の交流を促進する為、物流の安全を確保します。星薬会はセルフィアーの薬品を扱う重要な団体。その輸送をイリス王国・連合邑・メール族の居住地域まで護衛し、海上輸送だけでなく、陸上輸送を促します」
「ライザー、それは軍事力の分散ではないか。いくら強国の名を得たとはいえ、それでは各個撃破の対象になろう」
「ご安心下さい。護衛といっても派遣する兵数はほんの三、四人といったところ。あくまでも『イリス王国の護衛』がついているが重要なので、護衛は重要ではないのです」
「それでは護衛にならないではないか。賊や邑兵に襲われたらどうする?」
「襲われれば大義名分が生まれるだけです」
 あっさりと言うので、ウルゴスは苦笑した。
「お前らしい言い分だな。だから悪者扱いされるんだぞ。いや、分かっていてやっているんだろうがな」
「お褒めの言葉と受け取っておきましょう」
「で、この外交は、誰に決めているんだ」
 ライザーは口を四角にして笑いをつくった。
「私が直接、星薬会に出向いて説得して参りましょう。星薬会も海上輸送の危険性を考えているところ。我々が護衛すると言うのなら勝手に護衛させておけば良い、とでも考えるでしょうな」
「まあ、お前がそう言うなら行って来い。ただし、『余計な』寄り道はするな。お前の行動のすべては俺とイリス王国の為だと、一応、信じておくからな」
 ライザーは深々と礼をした。


「……ここへ来るのも一年ぶりか」
 ウルゴスは船から下り、大山を見上げた。
 孤峰メール山。彼らメール族の、魂の源とも言える山。
 ここへの参詣を、彼は五度も怠ってきた。代理の神官を十人単位で派遣してはいたが、本来ならとても許されることではない。
 叱責を覚悟の上で、彼は再び聖地メールへと足を降ろした。
「お久しぶりね」
 声をかけてきたのは、リィズ司祭ラート・ウシャスだった。
「よく、リューナ司祭を倒してくれたわね。死者のことを言うのも何だけど、彼は、マハーカーラ司祭の面汚しだったわ。それを倒した貴方が、負い目を感じる事なんてないの」
 誰も、ウルゴスを責めはしなかった。再会を快く祝してくれた。
 儀礼を終わり、司祭たちは何事もなかったかのように散会した。まるでこの一年間、何事もなかったかのように。
 耐えきれず、ウルゴスは隣室に退がろうとする大司祭を呼び止めた。
「少し、お話の時間はとれますでしょうか」
 大司祭は頷いた。
「何だね」
 いつもの丁寧口調ではない。おそらくこちらが、彼の本来の口調なのだろう。
「……何故、俺を責めないのですか。俺はメールのつくられた秩序を乱し、リューナ司祭を殺し、同じメール族の者たちの血を流しました。祭礼も五度も欠席した。それで、何故大司祭は俺を責めないのですか」
「おや、ではイリス司祭殿は私に叱って欲しいのかね?」
「そうでは……ありませんが。俺は、この一年の自分の行動に罪悪感を感じているわけではない。でも、司祭としては責められるべきだと思います。大司祭様や他の司祭は、俺を責めるのが義務ってもんじゃないんですか? そうじゃなければ、何のための規範、何のための慣習なんだか分からない。違いますか」
「そうかもしれぬ。だが、そなただけは、私は叱れぬ」
「何故ですか?」
「そなたこそが、大火山に選ばれた変革者だと思うからだ」
 ウルゴスは息が詰まるかと思った。
「……! 大火山が、そうお告げになったのですか !? 俺には、全然聞こえなかったが……」
「いや、違うよ」
 大司祭はあっさりと言った。
「では何故……」
「儂の勘だ」
「……勘? 意志、ではなく?」
「のう、イリス司祭よ」
 大司祭はにやりと笑った。
「実を言うとこの儂は、そなたに関することどころか、大火山の意志をまるで受け取ることができぬのだよ」
 ウルゴスは絶句した。大火山の従人の最高位たる大司祭が?
「うむ、もっとも司祭時代は確かに聞こえたんだがのう……前の大司祭の退位の理由もそれだったが、後を襲った私も、同じように声が聞こえなくなった。いつ頃からか、と考えていて思い当たった。六年前、いやもう七年前か、あのキーサの事変以来だ」
「……」
「それ以来、それがどういうことなのか、儂はずっと考えていた。世には新しい英雄が雨後の筍のごとく湧き出で、伝説でしか知らなんだような世界へと、セルフィアーが変容してゆく。それを見ておって、儂は気づいたのだ。これは大火山が儂に、自分の目で見定めよと仰せであるのだとな」
 大司祭は優しい目でウルゴスを見た。
「それに、そなたのように見ていて気分のよい人間には、何か報いてやりとうなるのが、年長者の性だな」
 そう言って高らかに笑う。
「さあ行け、イリス王よ。そなたを待つ民のために」
「……はい」
 大きく頷き、大神殿を出ようとする。
 その瞬間、地面が大きく揺れた。
「地震か……っ!」
 仰ぎ見た大火山から、光の柱が立った。いや、雷光だ。火口へむけて、空から雲を割って、無数の雷が舞い落ちているのだった。
「……美しいものね」
 リィズ司祭はつぶやき、大神殿を振り返った。先を歩いていた他の司祭達も同様に振り返っている。その目線の先には、立ちつくすイリス司祭のシルエットが、赤い光に照らし出されているのだった。
「新しい英雄への、神の祝福か……?」
 誰かがつぶやいた、その思いを、誰もが共有していた。
 新しい時代。新しい秩序。
 そして、新しい世界へ向かって──

■ 前のページに戻る