会誌-「なるぶみ 2001年謹賀新世紀号」

ダンディ中年さんのイラスト

■ ナーラダ戦記#1 「乱」
                 〜独立暦四〇二年風の月 第九章〜第十六章マデ/全二十四章〜
マスター ダンディ中年 アクションプレイヤー 浅葱 翔(カルナ・シェルセラヴ) 剣山 翔(ファーカル・ナヴィス) 高砂 キカ(カリフ・イーマーン・マラーイカ) ハイト弐拾八号(ランギヴァラーハ・ライラ) 三純 るく(カレリア・ロアン) 本文・イラスト ダンディ中年
*タイトルイラスト* 「父と子」  ファーカル・ナヴィス/ファーカル・バルシール
・バルシールのモデルはオレの行っている床屋のオヤッさん、スッゲーシブイ
 ナヴィスのモデルは特になし。剣山 翔さんが描いたイメージから髪型だけは注意した。
 親子なんで目元を似せた…つもり。



■ 悪い父親だったからな・・・
■ サイダバードの不思議少女
■ 力あればこそだ
■ 何も言わなくてもいい
■ 相談してみよう
■ 私はあの人の剣になりたい
■ 死んだ女房の口癖だ
■ 旧恩の情とでも申しましょうか

解体「心」書
プライベートアクション カリフ・イーマーン・マラーイカ  (文:高砂 キカ)
プライベートアクション ランギヴァラーハ・ライラ  (文:ハイト弐拾八号)
あとがき



■ 悪い父親だったからな・・・

昔、ある女が言っていた。女にとってまず超えるべき存在は母親であると。その言からすると、男にとって超えるべき存在は父親ってことになる。否、親に限らず、身近な同性を超えて、はじめて一人前なのだろう。けど、その証を剣によってでしか立てられないとすれば、そいつらは不幸だ。

(壱)

 風の月18日。セルファニア湖中央域。
 大きな軍船が三隻、南へと向かって直進していた。
 ナヴィス配下であるシーマ艦隊の旗艦リリーマルレーンは三層構造となっている。最下層は食料や水などの航行に必要なものを収める倉庫である。中層は櫂船動力室。詰まり、オールで漕ぐための設備がある。そして甲板に上がって一番上の層があり、そこに生活するための居住区やら、シーマが艦隊指揮する司令室、武器庫などが存在する。
 ナヴィスはシーマの司令室を見た時にはひどく驚いた。
 艦長席はホワイトタイガーの剥製で作られたゴージャスなシートだった。そして、その両脇には、巨大な団扇を持った上半身丸裸の筋肉達磨が気難しそうな顔をして、直立不動の体勢でいた。
「どうしたナヴィス殿、そこにお座りなされ」
 シーマはホワイトタイガーの座席へとナヴィスを勧めた。
「いえ、私はそこの普通の席でいいですよ」
 ナヴィスは端の方の極普通の木製の椅子を指差して、座るのだった。
「そうかい、残念だねえ・・・」
 ナヴィスの横ではルクア・ヒュリィが笑いを堪えている。
「どうしたのさヒュリィ」
「別に〜♪」
 シーマのように、いかにも湖賊というような出で立ち(右手に鉄扇、腰には巨大なだんびらと鞭、etc・・・)であれば、その席に座っても全く浮きはしないだろう。
 恰好で戦いをするわけではないが、指導者としての出で立ちとしてはナヴィスは地味に見える。確かに変に気取っている奴よりは、ずっとマシだ。そういった素直なところがヒュリィは好きだったが、そろそろこの美点も公私で使い分ける必要が出てきたように思えた。
「ナヴィス、ちょっとアタシの部屋においでよ」
「え、ヒュリィ、また!!?」
 ナヴィスのその声と、周りの水兵、爆裂団及びその諸関係者の視線が二人に集中するのと、ヒュリィの拳がナヴィスの顔面にメリ込むのは、ほぼ同時であった。
「何勘違いしてんのよ、いいからきて!!」
 ナヴィスは鼻を抑えながらも、強引にヒュリィに引きずられていく。
 それを見てシーマは苦笑した。
「そろそろ風が止む頃だ。帆を下げてオールの用意を!!もたもたするんじゃないよ野郎共!!」
 二人が司令室から出て行ったことを確かめると、一瞬緩んだ雰囲気を引き締めるように、シーマの怒鳴り声が船内に響き渡った。
「シーマ艦長、あと、どんくらいで目標は捕捉できるんじゃろうか」
 椅子の背もたれにだらしなく寄りかかり、マ・リョウは鼻毛を抜きながら聞いた。
「そうさねえ、王虎級の標準航行速度を考えると今晩辺りが山かねえ。それより、大丈夫なのかい、ウチの大将は?」
「あん?」
「女の尻に敷かれちゃってさ、可愛いんだけど・・・あんなんで戦いなんてできんのかい」
「問題ない、わしが保証する。能ある鷹は爪を隠すもんじゃろ」
 ・・・たぶん。と心の中でリョウは呟いた。爆裂団を手懐けたり、商人たちを囲い込みしたりと、そういった事をしてきた手腕は評価するが、それだけでは戦術家としての実力は未知数であると言わざるを得ない。シーマに艦隊運用を任せ、アヴィに白兵の実戦指揮をさせ、ナヴィスには後方にいてもらった方が無難かもしれない。何よりも指導者を失うわけにはいかないのだ。
「少なくともよ、自分の身は自分で守れる男だ。心配ねえ」
 そう言ったのは、ヒュリィの父親で爆裂団の頭目であるルクア・アヴィだ。
「ならいい。どうもあの子を見ていると、蚊も殺せないんじゃないかって気がするんでねえ」
「違いねえ」

(弐)

 シーマ艦隊が追っているのは、ウェス・ユミィを護衛するファーカル・バルシール将軍が指揮する艦隊である。風の月18日風の刻(12:00)の段階では、およそ一刻半ほどの距離差があった。
 イレーヌ=リビュニア姉妹王国という名が示すとおり、国はイレーヌとリビュニアという大きな邑を中心に、幾つかの中小の邑で形成されている。その一翼の担うリビュニア統治者こそが、ウェス家の二十三代目後継者ユミィである。
 艦隊は、バルシール将軍が乗船している艦隊指揮艦「魎虎」、ユミィが乗船している「白虎」、そして「赤虎」の三隻からなる。
「白虎」にはバルシールの配下である邑兵尉ガウ・ドルドレイがいた。ドルドレイは兵吏丞バルシール、兵吏長スレイトンの信任厚い男で、誠実無比、剛勇果敢な将であった。身の丈二米を超える強靭な肉体に、全身を隙間なく覆う甲冑、巨大な戦斧というその姿から、『ドルドレイ・ザ・デストロイヤー』という異名で畏れられていた。
「暑くはありませんか、ドルドレイ。今だけでも甲冑を脱いではいかがです」
「ご心配には及びません姫様、この程度の暑さなど某にとっては・・・」
 ドルドレイの言葉の後の方はユミィには聞こえなかった。完全防備の恰好をしているため、仮面の中で発する声がくぐもってしまうのである。
 バルシールが敢えてユミィの乗船する「白虎」で指揮を執らないのは、万が一の場合に白虎のみを戦域から離脱させ、自らが敵を迎え撃つためである。彼は幸か不幸か、この歳になるまで大きな戦には恵まれなかったが、賊の討伐など小規模の戦闘は、数多くこなしてきた。リューンのように心に野望を秘め、自らが戦場をつくることはない。彼は与えられた戦場で、限られた条件で戦ってきた本物の軍人である。

 ファーカル・バルシールの姿は「魎虎」の甲板にあった。
「何も起こらねばよいな、シン」
 バルシールは顎の髭を撫でながら、傍らに控える少年兵に話し掛ける。
「僕、いえ自分は、早く武勲を立ててバルシール将軍のようになりたいのです。不謹慎かも知れませんが、賊でも出て・・・」
 バルシールは少年の頭に手を置く。
 少年は英雄でも見るような目でバルシールを見つめていた。このサウス・シンという少年だけではない。12、3の少年達にしてみれば、ファーカル・バルシールや兵吏長サーク・スレイトンはリビュニアの守護神に等しい。
 
 戦を知らぬから軍人などに憧れる。戦を知らぬから戦を欲する。

 バルシールは少年を少し哀れに思った。
「シン、わしの二番目の息子が、お前ぐらいの時にはな・・・死んでも軍人にはならないと言っていたよ」
「・・・何故でしょうか」
「悪い父親だったからな・・・」
「と、言いますと?」
「わしの女房は身体が弱かった。わしは、やれ山賊の討伐だ、やれ湖賊の討伐だと、昔から家に帰ることは余りできなくてな・・・。母親の寂しい姿をずっと見て、あいつは育った。その母親が死んだ時も、わしは傍にいてやれなんだ。それ以来だな・・・」
 そう言って、シンの上に置いていた手で頭をくしゃくしゃにする。
「あっ、やめてくださいよ将軍〜」
「ふはははは、まあ、将来結婚するのなら、丈夫な嫁さんをもらうのだな」
 その時、下から甲板に一人の将校が上ってきた。バルシール直属の部下であるドゴス・ギアという男だった。
「ここにいらっしゃったのですか将軍、探しましたよ」
「申し訳ございません、ギア様。僕が、自分が無理に将軍にお話を聞かせて頂いたせいです!!」
 シンは深々と、申し訳なさそうにギアへ頭を下げる。
 バルシールは苦笑する。
「よいのだ・・・。それよりギア、定時報告であろう」
「はっ、只今白虎より書簡が届きましたところ、姫様は風の刻に昼食を召しあがられた後、四半刻ほど読書をされました。その後は自室へ戻られお昼寝をされております。全船室の点検も行いましたが、特に異常は見られませんでした。食事の毒見は侍女のミリアとか申す者が、そして姫様の部屋の警護はランディーク殿が務めている模様です」
「御苦労だった。引き続き、気を抜かずに護衛を務めるようにと返信してくれ」
「はっ」
 ドゴス・ギアは踵を鳴らし、敬礼してバルシールの前から立ち去っていく。
 船と船の連絡は、単純な情報のやり取りや、軍令などは旗を使用して行うが、詳細な情報を必要とする場合は、鳥を使う。バルシールは一刻毎に、残りの二隻の船について情報を得るために書簡を送らせていた。
「やっぱり将軍はかっこいいです!!!」
 少年は目を輝かせてバルシールを見つめている。
「おだてても何もやらんぞ」
「・・・・・・・・・」
 少年は尚も熱い視線を向けていた。
「・・・・・・・・・」
 まだ頑張る。
「・・・・・・・・・」
 まだまだ・・・。
「・・・・・・・・・」
 まだまだまだまだ・・・。
 バルシールは観念したように少年の頭に手を乗せた。
「・・・分かった。少しだけ剣の稽古をつけてやろう」
「やった〜!!!」

(参)

「馬子にも衣装」
「使用前、使用後」
「別人・・・」
 皆、好き放題言っている。
 ナヴィスは司令室に入るや否や、一斉に注目を浴びる事になった。
 赤い装束に、赤いマント。何でもヒュリィが言うには革命の色は赤なのだとか。マントには、水面から現れる竜が刺繍されている。
 髪は後で一つに束ねられ、そこから編まれていた。
「何かギクシャクしますね」
「大丈夫、すぐ慣れるって!」
 そう言ってヒュリィはウインクする。そして、ナヴィスは無理矢理、例の席へ座らされた。
「よし、絵にはなるようになったわね。そういうわけで、導師ナヴィス、訓示をお願いいたします!!」
 ヒュリィは席の横に備え付けてある船内放送用のパイプ口を引っ張り出す。これはシーマがよく船内に罵声を響かせている道具だ。この金属製のパイプは船内の色々な場所に引っ張られており、ここで話した言葉は管を通って別のパイプ口で聞くことができる。詰まり、ラピュタのドーラがやってたアレだ。
「えっ、突然ですか・・・困りましたね・・・」
「ほら、シャキっとして。それから『です・ます調』はだめよ」

 シーランに住んでいたガリクソンjrはこのリリーマルレーンに水兵として乗っていた。いいかげん農家の仕事に嫌気が差していたのだ。家には父ガリクソンと弟スミスがいる。何も自分まで父の夢に埋もれる必要はない。そう思った彼は旅に出た。
『貴方も私達と世の中を変えてみませんか。経験、未経験は問いません。完全実力給。』
 何の経験、未経験なのか不思議に思ったが、丁度立て札の前で勧誘していたお姉さんの魅力にハマって、そのまま入信・・・否、入団した。
 ガリクソンjrはデッキブラシで掃除をしていたが、その時に船内放送が聞こえた。
「・・・私は、このリビュニア解放軍の指導者の一人であるファーカル・ナヴィスだ。このリリーマルレーンと、二隻の船からなる艦隊は、現在、姉妹王国の使節艦隊を追跡している。スィスニアとの同盟を阻止し、邑宰を我らの手で救う事が目的である。この船にはリビュニアの民も多くいると思う。先に言っておくが、これは抗命ではない。何故ならば、姉妹王国への統一は、一部の売国奴達によって強引に達成されてしまったものであることが、明らかだからである。その首謀者たる邑宰丞エル・ラートリーに、心ならずも従わざるを得なかったウェス・ユミィ様を、救うのが我らの使命である。解放軍としては初めての戦闘である。だが諸君!正義は我らにある!!戦の神の加護が得られることは間違いない!!売国奴共に正義の鉄槌を降すのである!!予定では、今晩辺りに敵艦隊を捕捉することになっている。その時の、諸君らの活躍に期待する」
 訓示が終わるのと同時に、船内の兵士達は一斉に雄叫びをあげていた。
 ガリクソンjrは元々はシーランの邑民であり、イレーヌでもリビュニアでも、況して姉妹王国を形成するその他の邑に住んでいたわけではない。どのような経緯で姉妹王国への統一が成されたのかは知らない。しかし、ナヴィスが発した言葉は、彼が戦う理由を見つけるのに十分な内容であった。
 その他のリビュニア邑民達を含めた者達も同様である。元々リビュニアという邑は、ユミィを後ろ盾としたエル・ラートリーの政治的手腕によって治められていた観があった。王国への統一がラートリーの手によって進められたというナヴィスの話は、政治の深い内情を知らされない民達にとっては、何等否定する要素を持たないものだったのである。

「御苦労様」
 ヒュリィはナヴィスに飲み物を差し出す。
 彼は溜息を吐きながら、それを受け取った。
「道化ですね、まるで」
「それを演じるのも、おまんの役割じゃ。スィスニアの王様も、そういうことをやって今の地位におる」
 マ・リョウがそう言って肩を叩く。
「役割・・・ね・・・」
 そう呟くと、緊張で渇ききった喉に冷水を流し込んだ。


プライベートアクション カリフ・イーマーン・マラーイカ  (文:高砂 キカ)

 緑の海原は、草を、地を駆ける駿馬の鬣のように波打たせている。
 風が一陣吹き降りた。それは草々に続き白布を旗めかせる。軽やかな打ち音が鳴り、漆黒の髪が舞った。声を上げて慌てて押さえる。髪は小さな渦を作り、幾筋かの緑の光を滲ませる。 マラーイカは己の身の回りのささやかな騒動に、ただ目を丸くするだけだった。心の何処かが沸き立っている。初めて、目を擦って目覚めたように。 
 草々が生む水気と柔らかな風が融け合っている。首も顔も、出す肌全てに刺を刺す砂礫の存在は無い。ただ、多少強く身体を撫でていく。
 琥珀の目に、白い陽光が宿り深みを与える。厚い黒色の外衣を纏っているが、動きやすいようにはしょっていね為、腰から下が酷く重たげだ。眼差しを飾る睫は長く、子馬を思わせる。 台の上伸び上がって、また布を吊り下げていく。器用に布の端と縄と結び付け連ねる。脇に立つ駱馬もおとなしく主人を見上げ、時折鼻の先で足をつつくだけだ。
 空は青また青。雲が泳いでいった。

 
 ルイセルク・エリシュと、工人首は、柔らかい視線を格子の間から投げかけていた。並ぶ白布は、風によりその透明さを増しているように見える。染料の匂いで籠もった室内から眺めると、それは一層眩しかった。
「なんかいいねぇ。」
「そうですねぇ。」
 汗取りの布を巻きっぱなしの首を掻きつつ、エリシュは微笑した。どことなく猫のような印象を受ける。歳を不思議に感じさせない容貌だが、目元にはふと重ねた時間が浮かんでいる。 重なる労働で猫背の大人たちは、格子の透き間から届く風を味わっていた。マラーイカの黒い影は、右から左、左から右に移動しては布を連ねている。長い黒髪が、陽の光で青の艶を乗せていた。
 婦人の工人首は、ぽってりとした指で口を押さえた。そのまま呟く。
「ところでさ、気になってたんだけど、嬢は雲徳殿のこと、分かっているのかい?」
 困ったような、微妙な表情だ。エリシュの木の枝のような指が、彼の髪を撫でた。
「うーん…半分位、かな。機構としては理解しているようですね。総体は理解していないでしょう。サイダバードの邑の文化と今のスィスニアは、断絶もいいところだから。彼女の位の齢では、自分の育って来た中で得た視野しかものを見れないですしね。僕はそれでいいと思ってますよ。本当の様を知ったら、傷つくでしょう。聡い眼を持つ子ですから、さらにね。」
「おとなしい子ってのはそんなもんかねぇ。」
 珍しげな響きに、苦笑が浮かぶ。軽い歌でも唱えるかのような調子で、エリシュは続けた。「ハルナさんの家の娘さんは、みなお転婆さんですからね。まぁ、気になるのは雲徳殿の方ですよ…。正妃が先日決まりましたね。若い乙女です。しかし、その姿たるや蜃気楼で。国の中核たる人の脇柱となる存在だというのに、こんなに表へ出なくて良いものですかねぇ。キーサの王家とは質が違うんですよ。…まぁ、かの武王とかの後宮の佳人との間です。反物映えのする、麗しい御子が生まれるでしょね。」
 そのまま座敷に視線を送った。棚の下に二重の戸に守られた黒櫃がある。そこには、幾百もの絹糸で緻られた反物が眠っていた。織手の命を削るようにして造られた織物たちが、衣装として縫われることを待っている。
「そうかねぇ。」
 ふっくらとした頬が顔の半分を占める工人は呟いた。目元の紅が唯一の飾りである。
「その…何というかねぇ。知識とか礼儀とか個性も、美貌と同じようなものではないかねぇ。」
 指輪で飾られた白い指が、つい胸元を指す。
「ここにあるモンとは違う…殻みたいなもんなんだよ。」
 マラーイカは、仕事が終わったらしく、屈んで駱馬の身体を撫でていた。駱馬は心地よさげに鼻を鳴らして首を揺らしている。彼らが一体と化しているような空間。頭上に限りない青空が広がっている。風が黒髪と鬣を震わせていた。
「まぁ、マラーイカがいきなりつれ去られるってことは無くて良かったです。」
「流石の武王でも、そんな事はしないようだね。…取り敢えず、蝶々は引き寄せるがままってことかなぁ。第一、気づいていないなら一番良いんだけどねぇ。」
 苦み交じりの笑みを浮かべる。湯飲みを持ち上げた。安堵が胸に落ちていた。
 マラーイカは幼い盟友とでも言える仲で、見守りたいという気持ちが強く存在していた。かつて己が歩んだ路を彼女も辿ろうとしている。しかし、どの路を選択するかはマラーイカ次第だ。それを、他者によって崩すのは、ましてや強者の手で翼をもがれるのは悲しすぎる。
「命拾いしてると言っていいですね。マラーイカの上にそのような事があったら、そりゃ、身体中の毛と爪を抜かれて、目玉からインダラの気を流し込まれたあと、齋門に張り付けですからね。…そうでもなきゃ呪殺かなぁ、ハハ。我がカーリヤ神の術は、向こうさまを防げないですからねぇ。」


 インダラ像に向かった。長い香木を束ねたものを両手に掲げ、額に付けたまま三礼する。小さな影が揺れる度、淡い日光には不釣り合いな強い香りが立ちのぼった。
 その足元には、石と木で作られた祭壇があり、半ばを灰と崩した香木と花々、飾り文字を織られた祈布がいつしか並べられるようになった。皆、褐色の指で造られたものである。
 陰気な服を着、変わった獣を連れて歩く少女には、冷たい視線も注がれていた。この場所で、影と力、そして異質は忌まれるものに落とされかけている。摘まれるのを待つ華にとってはそれらは忌避すべきものだった。
 しかし、何時も彼女が立ち寄る時に祭壇は健在で、どことなく他の五十五の神王像とは異なった雰囲気を持ち出している。ラクシュミーやカーマ、ラーダーなどには、こっそり花を捧げる宮女もいたが。
 奥に隠していた細布を取り出す。黒い帯だった。上に金の糸で、奇異な姿をした獣の刺繍が施されていた。それが三つ。飾りの色合いや糸の縫い方はそれぞれ異なっているが、文様は同一だ。
 羽毛持つ大蛇−インダラの従獣だ。天を駆ける羽根と、地を這う強靭な身体を持つ、ヴリトラ。工場の余り糸を拾って手で縫い上げたものだった。
 それら手に掲げ、マラーイカはまた一礼した。
「これをお贈りする方にも、我々と同じく思し召しを。代わりとするものを、我々の祈りとして下さい。…尊神、恵み給え。」
 インダラ像は三つの眼を中空に開いたまま、石の台に腰を降ろしている。日差しの元でのインダラの像は、初めて見た。精悍でありながら、何より深い混沌を抱えているような様は変わりない。
「…お医者さまは気に入ってくださるかしら。」
 一番上の、黒と翡翠色の糸で縁取りされた金のヴリトラの帯を見下ろして、マラーイカは呟いた。


 書板が整然と並ぶ空間だった。生み出す影さえ方形で堅い感覚を生んでいた。
 油を塗った細い銅針片手に髪を結っていく。漆黒の地に、細かく多彩な色を織り込んだ細布と共に絡ませ、編み込んでいった。脇の小さな銀盆の上に、ビーズが散らばっている。ビーズが泳ぐようにして、銅針を通り、絹の髪と布を飾っていった。
 心を張った状態が続く。布を織る時よりも、人の身体の一部を扱うことは別の緊張を呼び起こした。
 苦みを縒り入れた薫りは、白檀だろうか。決して甘さの海に溺れさせず、底のひんやりした冷気の感触がある、変わった香だった。吸い込むと肺の奥まで侵されそうで、マラーイカはいつも慌てて息を吹き返すのだ。
 旧い砂漠の文化を知りたい。と嬪妃のカレリア・ロアンがマラーイカを召喚したのは一刻前だった。息を上げつつ駆け込んで来たマラーイカに対し、ロアンは身を飾ることを命じた。
 隣で、従者の「宦官さん」、ディルが柔らかく微笑んでいる。その表情はマラーイカの心の緊張を全て読み取っているようでいて、その上で彼の落ち着きを彼女にも分け与えている。視線はそっとマラーイカの背を押すようだった。
 手に持つ銅鏡から、白い人形の面に、細筆で引いたような眼が浮かんでいる。凍えた、いや元よりそれ以上の温度を知らぬまま凍り続ける生粋の瞳。
 マラーイカの腕を値踏みする目ではない、またよく後宮の女性たちがするように、蟻の巣を眺めるような目をして鏡の己に見入る様とは程遠かった。そんな感情とは全く遮断した場所に彼女はいた。
 何故、このような怜悧なひとが後宮などにいるのだろう。マラーイカは疑問に思う。そのしなやかな姿態の中に樹木のように絡む知識と叡知。それを望む人は山といる。だというのに、何故後宮という美しい檻の中に自らを収めたのだろう。
「マラーイカ。」
 掛けられた声に気づくのが少し遅れてしまった。
「いつ武王がやってくるか、恐ろしいでしょう。」
 マラーイカの胸がちいさく上がった。盆のビーズが転がり円を描く。
「い…いえ!」
「そうですか。あなたは武王が苦手ではありませんでしたか?」
 午後の傾いた太陽が、部屋の中にも茜の光を与えている。調度は少ない。人の時間を感じさせるようなものは切り詰めているように少なかった。替わりに書板たちが頭をそろえて並べられている。唯一、紫の絨毯が匂いらしいものを示していた。
「いえ…。立派な方だと思っております。…それに…尊敬する方の、家族を誹謗してはなりません。」
 くす、と何かの鳴き声のような笑いが聞こえた。
「『神酒の森』への通行証の話を得る心積もりはできましたか?」
 ビーズがまた転がった。心の琴線の、己さえ触れていなかった場所を摘むようだ。
「あなたのような若い少女が行くのには、お勧め出来ない場所ですよ。」
「ロアン様。」
 惑い気味の声はディルである。
「死すよりも惨い目に遭った人もいますね。」
 銅針が震えたようだった。質素に頭布で纏められた髪が、目元に垂れている。
ざわ、と脇に控えていた側女たちからも不審の声が上がった。
「分かっております。でも、そこに兄さまがいるかもしれないのです。苦しんでおられるかもしれないのに。でも、足が竦んで…。震えてくるのです。」
 落とした眼線が震える。結いかけの、飾られた黒髪がたゆたう。唇から言葉が落ちた。いけない、と思う。胸奥の感情は醜い獣のようなもので、容易に露にしては恥となる。
「脅えは正しいことです。生き物としてね。」
「私は…心根の芯を強く持ちとう思います。この足で助けにいけるような。このままでは…。」 この体が、心根が厭でたまらない。どうして神は、蜘蛛のような織物の腕しか与えてくれなかったのだろう?
「そうですね…足を向けるかどうか決める前に、旅をしてみませんか?」
 いつしか、中空から現れたように、ロアンの手に細い木板が乗っている。小さい書簡だった。マラーイカへと向かないまま、書簡だけを渡す。蝋から造ったような白い指が触れた瞬間、冷たさが伝わった。心が震える。
「今度、椿会はウォウルに販売経路を延ばすとのことですね。特に新たに訪れた一群を相手に。…その中の一人に渡してほしいのです。」
 髪結いは終わった。油で汚れた指を拭くことさえ忘れて、マラーイカは書簡を見つめた。一定のようでいて、何かの詠唱のようなロアンの声が流れる。
「赤毛の将軍です。しかし、血はナーラダのもの。目は翡翠−いいですね。」
 迷いを繰り返す心の中で、それは全く別の場所から流れ込んで来たようだった。
「こう言いなさい。私はインダラを信ずるもの、インダラの娘ですと。」


 夜闇は深く、洞窟の中に呑まれるようだった。
 天から巨大な風が舞い降りてくる。その中には僅かに抹香の匂いが交じっているようだった。ここ数節、ナーラダの地の下層に漂いつづける。
 夜の気を付いてマラーイカは駆けていた。胸が、激しく上下している。運動の為か、それとも心が乱れている為か分からなかった。ただ激流に揉まれていた。歩調を合わせるようにしてエリシュか駈けていく。
「あと少しだよ!」
 声が力づけるように響いた。ナジが鼻息を立てて地を蹴る。小石を弾いて、木車の車輪が回っている。その上、戸板に寝る女性は、瞼をきつく綴じたまま全身を。
 運ばれている棺のようだ。しかし、哀れさえ感じなくなる程土に汚れ、乱れた女性の衣服の合間に覗く青白い胸元は、微かに上下していた。
「あの坂を越えれば…ナジも頑張って!」
 後ろから押し上げるマラーイカの声が届いたのか、駱馬は咆哮に近い息を上げる。蹄が地に付く度、筋肉が盛り上がり毛が逆立った。草原を見下ろす場所にある工場の一角が見えてくる。 昼、エリシュとマラーイカは戦乱があった森を避け、外れた山道を通ろうとしていた。取引のある商人の元を尋ねようとしていたのだ。
 豊饒の萌える時期だというのに、果実を成らす木々の上にさえ燻る煙りの残余が張り付くようだった。薄青い空だけが冬を迎えようとする透明さのまま、高い樹木に包まれている。
 その中、血の匂いがした。陽光が一筋照らす草地だった。獣たちの低い唸りが木々の間を亙っていた。駆けつけた二人の前に、女性が倒れていた。今にも、肉塊と化して獣たちの飢えを満たされようとする状態で。
 そこから工場まで、ナジが引く木車に乗せて運んで来たのだ。急拵えでナジに括りつけた縄に、肌が擦れて抜けた毛が張り付いている。
 工場に付くと、女性はエリシュに任かせ滋養の付くものを探した。マラーイカにとっては、駱馬の乳に茶を入れたものが望ましいのだが、生憎ナジは牡だった。幸い、隣家が山羊を飼っていたので借りに走り、手早く沸かした茶と混ぜる。
 寝室に持っていくと、エリシュの声が出迎えた。
「眠っているよ。置いておいて。」
 そこには静寂が沸き出てくる。窓の向こうの銀月セレネの光、上下する風音が途端に強まって感じられた。常とは違う、苦しげなナジの鼻音も。
 布団の中で眠る様を見直すと、年は25か6かの大人で、花のように眼を誘ってしまう程美しい容貌の持ち主だと分かる。整った唇、頬は青白いが、別の色の残余があった。桃と、橙。泥の匂いの中、ほんの僅かに甘いものが滲む。
 その時、女性の手の中のものに気づいた。前まで強く握り締められていたのだ。緊張が解けたのだろう。それを持ち上げると、柔らかい感触と重みを持ってマラーイカの手に収まった。
 布の人形だった。女性の両手の上に収まる位の大きさだ。着古した着物を縫い直し、目鼻には墨で。その腹の辺りが解れている。中身の綿が漏れでていた。自然、そこへと指が触れる。
 マラーイカは叫ぼうとした。
 心に、幾千の刃が突き立てられたようだった。
 そこには、綿に守られるようにして、ちいさな手のひらがあった。丸くて、柔らかな−本来なら、親の腕をまさぐっているべきもの。暖かい血が流れているべきもの。
 エリシュの独り言が聞こえた。
「これで、ナーラダ地域には3ツ目の廃邑が出来た、ということか。アヴィーナでは必死になって地図職人が動いていることだろうよ。…しかし、んな事になるのなら、どうせならみんな亡くしてしまえばよかったんだ。…武王への貢物など、」
 瞬間、脳裏に、光が放たれた。何故、態々工場まで帰らなければいけなかったのか。ここに帰るまで、立ち寄る先々でエリシュは肩を落として頭を降らなければいけなかったのか。落とされる視線にマラーイカの状態とは全く違う、愚弄まじりのものさえ存在していたのか−それが、セレネの光を当てられたように露になった。
 指で口を押さえる。人形は床に落ちた。手のひらは綿を掴もうとするように、微妙に開かれている。何かを抱くことも、筆を持つことも、織物も知らない、幼いもの。
 半分の月光がきらめいている。記憶が一筋蘇った。
 ライル社崩壊の話を終えた後。注がれる琥珀の眼。低く続ける響きが耳に残っている。
「お前は聡すぎる目をしているんだ。」
 何より穏やかだった砂の世界。変わらないものに包まれて生きている。
「眼前に起こった事実からあらゆるものを読み取ろうとするだろう?何かの理由がある筈だと答えを導きそうとするだろう?…考えなくても良いことを、己の身の中で起こったことのように感じてしまうだろう。しかし、そいつは、やがては。」
 かわいそうに。かわいそうに。その言葉だけが心に充満していく。そこから喉や眼、指の先まで満ちていき。ー
「心が窒息して──」
 最後の言葉の記憶は掠れていた。
 マラーイカは、人形を前にして膝まずいた。髪が床に触れる。叫びのような嗚咽がそこから沸き出ていた。



■ サイダバードの不思議少女

マアリ嬢ちゃんが、インダラ大司祭の血に連なるものだという事実は、俺も含めて殆どの奴はまだ知らない。多分、知っているのはリューンやロアンに近い奴らだけだ。けど、嬢ちゃんに関わる連中は、皆その存在を無視することができない。何故なのだろうか。因みに、プレイヤーキャラクターだからだという意見は聞かねーぞ。

「あっ、そこはまだ、ガラスの破片があるから気をつけるのよ」
「ハイ」
 シェルセラヴに注意され、頷きながらもキリの手は忙しそうに箒を動かしていた。
 被害総額、二百十八万五千六百五十粒。裕に邑内の高級住宅地に、二百坪庭付き一軒家が三軒は建つ。商業地ならば、このエルヴァ通りに五十坪程度の店舗なら建ってしまうだろう。
 彼女のお店には小物、アクセサリーの類の他に、怪しげな物もある。それらの多くは神術やら聖霊の力を借りた物だ。そういった物は、非常に高価であり、それら多数の破損が異常な被害総額へと繋がっている。
 当然ではあるが、この時代には「保険屋」なるものは存在しない。
 シェルセラヴは、ほんの少しだけ(親指と人差し指の間を1mm開く程度)、目の前のエキゾチックな少女に、膝枕をされて介抱されているヴァルに対して同情した。
 通報を受けたエルファ・ザドゥが、店に駆けつけた頃には、辺りは閑散としていたが、店内の散らばり様から乱闘の激しさを容易に想像できた。八武衆の一人であり、王都防衛の責任者たる彼自身がこの場に足を運んだのは、主であるリューンが出資した店が被害の対象であり、且つ同僚のヴァルが加害者であるという、極めて異常な事件であるためだ。
 事が事だけに、余り話を大きくしないようにしなければならなかった。

一. 破損した店内の物品に対しては、全て弁償する。
一. 店内の補修が完了するまでの期間、即ち営業不可能な間に、本来であれば得られる利益に対する補償を認める。
一. 精神的な苦痛に対する損害賠償請求を認める。
一. この件に対する刑事的責任の追及はしない。

 ザドゥが出した上から三つまでの条件は、今日では当たり前のようになっているが、当時としては異例の事だ。国が個人に対して賠償をするという事は、近代になって法治国家というものが誕生し、且つ人権思想が浸透してはじめて実現したものだからである。では、当の彼自身が人権擁護的な思想の持ち主であったかというと、そのようなことはない。ザドゥは、王都防衛指揮官と憲兵隊指揮官という二つの肩書きをこの時持っていたが、その憲兵隊指揮官として、多くの思想犯達を投獄している。愛妻家で家庭的な面も持っていたが、結局はリューンの信奉者であり、主人中心的なものの考え方をする。デュオなどに言わせれば、彼もまた、「奴隷根性」の持ち主ということになる。
 三つ目までの条件は、四つ目を呑んでもらうための媚びに過ぎない。
 ザドゥとしてはシェルセラヴにこの条件を呑んでもらわねばならなかった。それができぬなら、亡き者にする。この時、リューンは既にユミィを迎えに出立しており、その点においては都合が良い。帰ってきてから、何食わぬ顔で「何者かに殺された美人店主」についての報告をする。ザドゥはその程度のことは平気でやってのける。何よりも、話が大きくなるのが困るのだ。
 だが、幸運にも彼女はこれを了承した。

 マラーイカは馬車に乗っていた。馬車はスィスニアに来てからはよく見かけたが、一度も乗ったことは無かった。ザドゥと向かい合うように座り、横にはヴァルの身体が、そして膝の上には彼の頭がある。
「お嬢さんには、世話をかける」
「いえ、そんなことないです」
 マラーイカは危うく、自分にも少しだけ原因がありますから、という言葉を出すところであったが、意識してそれを止めた。
 ザドゥは、マラーイカを宿に送り届けてから、清竜殿へと戻ることにしていた。彼女を送ろうと思った理由は、リューンが珍しくこの少女のことについて、熱心に話したことがあったからだ。
 リューンは雲徳殿にいる宮女についてですら、まるで興味が無いように、殆ど口にすることはない。事実は執心していたとしても、口には出さない。その彼が、意識をせずとも好意的だと判断できるほど素直に、人を語った。それ以来、ザドゥは記憶に留めていたが、先日偶然にも二人が話しているのを目撃した。
 マラーイカがリューンに贈り物をしていた。それは羽毛を持った大蛇が柄の帯。ザドゥが知らない主の表情があった。
 それは新たな発見だったが、同時に危険なもののように感じられた。
 覇者たらんとする者の姿ではない。
 氷の感情と炎のような征服欲を併せ持つ男が、見せるべき表情ではない。

 しかし、実際に近くで話してみると、極普通の少女だ。肌の色やら瞳の色やらが違うが、自分の女房もメール族だから余り違和感はない。
 だが微かにだが、妙な匂いも感じる。それは漠然としていて、言葉では説明がつきにくい。
 その時感じたものについては、後にザドゥはこのように語っている。
「あの時、私が感じたものは、今考えれば、血の重みに対する畏敬の念だったのかも知れない。たぶん、スィスニアの民がシルキーヌに無意識のうちに抱いていた感情に近いものだ。まあ、今でも信じたくはないがね」
 ストレイン(血統)に対する彼自身のこの考えは、できることならば、認めたくはなかったのだろう。それは、門閥の低さと、シルキーヌを追放してリューンをスィスニアへ迎え入れたという引け目があったからだ。

 ザドゥは唐突に少女の悲鳴で現実に戻された。
 悲鳴を聞くや否や、剣の鞘の部分で、マラーイカの膝の上で猫のようにゴロゴロ転がっている同僚の頭を叩く。
「たわけが。どれだけ私やシュラ様に迷惑をかける気なのだ」
「・・・確かに、少々やりすぎた気がするな、今日は」
 そう言いながら、ゆっくりと起き上がる。
「ありがとう、君が介抱してくれたんだね。名前は?住所は?電話番号は?門限何時?」
 マラーイカの両手を取ってヴァルは語り始める。
 まるで、蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなったマラーイカだったが、間もなく彼の頭に再び鞘が襲い、二度目の昏睡へと誘われていった。
「今のは本気でやった」
 そして、罅の入った鞘を気にしながらザドゥは言った。

 ザドゥは千歳屋という旅籠までマラーイカを送った。彼女は、そこの女将と、無精髭を生やした男に出迎えられた。
 彼らに対してザドゥは、月並な社交辞令を述べるだけにとどめ、清竜殿へと急ぎ戻ることとした。
 馬車の中に二人の姿はある。
 先に言葉を発したのは、ザドゥであった。
「分からんな」
「何が?」
「あの娘だ。何故陛下が御執心されるのか」
「例のサイダバードの不思議少女って、あの娘の事か。道理で・・・」
「道理で・・・何だ。ヴァル?」
「いや、何でもない。気にしないで欲しい」
 シルキーヌと同じ匂いがするなどと言ったら、何をされるか分かったものではない。
「また悪い病気か? だが、それも程々にしておけ」
「結婚などをして、人生の墓場へ直滑降をしていく貴方には、言われたくないな」
「小僧が知ったような事を言う」
 ヴァルは苦笑する。頭の中では、マラーイカと自分の歳の差はどのくらいだろうか、とか、数年先を見越しての付き合いも悪くない、などと思考していた。
 日々オイゲンの悩みは尽きない・・・。

■ 力あればこそだ

あ、駄目。俺さ、今回ナレーションはパスするぜ。だってよ、どんな事も理屈抜きじゃ説明できねーかも知れないけどさ、男と女の関係を理屈だけで成立させようとするってのは、どうも気に入らねーのよ。確かにインテリ達の間じゃ、そんなのもアリなのかも知れないけどさ。で、結局、落ち着く結論ってのは、「当事者さえよければそれでよし」。こんな月並な答えだけさ。だから好きにやってくれ、レズでもホモでもショタでも不倫でも。・・・・・字数埋まったな。

 イレーヌとウォウルは敵対関係にある。従って、姉妹王国へ統一されても、その主権が王であるイレーヌの邑宰イー・リミィにあるのだから、外交関係は変わらない。勢力が強大になったのであるから、寧ろウォウル王国にしてみれば悪い状況となったと言ってよい。
 しかし、二月ほど前に、ウォウル王国と東の同盟との間で、不可侵条約が結ばれたことによって、姉妹王国は新たに外交方針を打ち出す必要を迫られていた。そんな折に、同じくウォウル王国と敵対関係にあるスィスニア王国から、外交特使が派遣され、二国の距離は一気に縮まった。そしてこの風の月に、姉妹王国とスィスニア王国の同盟が、調印式を経て正式に実現しようとしている。
 少なくとも、姉妹王国の人々はそのように考えていた。

 エル・ラートリーは、ベッドで上半身だけ起こしている男に、グラスを差し出した。グラスの中に注がれたのは、273年物のワインだ。
 アモン・ガルゲイユはそれを受け取り、香りを楽しんだ後、中のものを呷った。
「このお酒一本で、十人家族が一月生活できますね」
「それが権力だ、ラートリー。金が欲しければ人の倍働き、権力を欲するならば人の倍努力する。我々の世界では、それが当然であろう?」
「そうですね」
「私と君の関係も、力あればこそだ。その上に成り立っていることを忘れないで欲しい」
 姉妹王国には、王としてイレーヌのイー・リミィが、副王としてリビュニアのウェス・ユミィがいる。この他に各邑の邑宰達を加えて、「王室議会」というものを形成しているのであるが、これは専ら承認機関となっている。しかも、場合によっては事後承認の場合もあるから、承認機関としてすら正しく機能しているとは言い難い。では、姉妹王国の舵取りは何処が行っているかというと、形式上、王室議会の下部機関として存在している「王宰府」である。王宰府は各邑の邑宰丞をはじめ、吏長以上の者達で構成されている。そして、王宰府はアモン・ガルゲイユとエル・ラートリーの手によって動かされていた。
「スィスニアの武王直々に、セルファニア湖上までユミィ陛下を迎えに来るそうですわ」
「恩着せがましい事だな。だがこれで、我らが女王陛下も御機嫌をよくされたことだろう」
「でも、皮肉なものですね。武王自身が迎えるのは、先月の北蛮関陥落による、スィスニアの我が国に対する外交姿勢の更なる変化と、一般的には考えられているようです」
「ウォウル王国に助けられたか。だが果たして、そこまで弱気なものかな」
「しかし、だとすれば、裏切り者の赤毛の将軍には感謝せねばなりませんね」
 ガルゲイユは頷く。そしてラートリーを自分の傍へと誘った。


プライベートアクション ランギヴァラーハ・ライラ  (文:ハイト弐拾八号)

 なんか前回「天の月」とかってボケてました、私。さて、今回はウィンザそうずはり「風の月」…ですね? 間違いありません。所謂まとめ本って奴で三回も確認しました。これでまたボケていたら。…そのときはお手討ちにしてください。m(__)m

・「風の月」編…馬上にて思ふ

 胎動。うちから湧き上がるもの、そして無に帰るための過程。過程という記憶はとても残酷に人を縛りつける、肉体が還元されるまで。だが、はたして”入れ物”が滅びることで人は解放されるのか?

 空が高い。白い回廊が幾筋も立ち上りミュア(地)とジュド(天)を繋ぐかりそめの掛け橋となっている。いつか人がこの地から解放されるならば、きっとこのような橋を渡って常世に離別するのだろう。さらさらと風に舞う赤毛が視界に入ってくる。ゆっくりと上下に起伏を描きそれはやがて騎乗の人であることが分かる。ウォウルの客将ランギヴァラーハ・ライラと人は言う。紅い髪の女だ。髪が魂と結び付くと信じられているこの世界で彼女は罪人であるかのように頭髪を短く切り揃えている。異端。そう、彼女はその存在の外側から既に異端であった。

   火の月に行われた北蛮関の戦いでライラはこれを焼失させた。無論、ウォウル軍の協力を得てのことである。これによってスィスニアとウォウルの陸路は現在、遮る物が存在しない状態である。彼女は今この道をスィスニアに向けて逆に辿っている。彼女にとっての全てはスィスニアから始まっているのだ。原点回帰、あるいは帰巣のための条件付け。彼女にどこまでその行動の内在的な意識の認識があるかは知れない。ただ、時の流れが彼女を導いている。ただ、そう信じているだけなのかも知れない。だが何か得体の知れない虚ろな流れが彼女を取り巻きつつある。それは例えるなら死の匂いだ。死者に牽かれるのもが纏う不吉で暗い影だ。例え彼女が光に満ちた希望を持っていたとしても、光は必ず影を伴う(フォースの暗黒面?)。光が強ければ強いほど影もまた濃くなる。そして彼女は常に戦場でその影を纏うことを選んだ女だ。生産性を象徴する女が導く影は破壊性を象徴する男の影とは意を異にする。

 女の影は陰陽でいえば陰にあたる。物事の常に対極にある陰の要素が影を伴えば、それは行き場のない袋小路となって蓄積していく。陽の影が発散されることで昇華するのとは反対なのだ。彼女が抱える影は行き場のないものとなって彼女に蓄積されるだろう。それが自らの生産性を否定し戦いに赴く女戦士としてのライラだった。

                     ***

 火の月とはうってかわって風が孕む匂いが柔らかい緑を帯びたものとなる。ライラは街道を進みながら、左右に首を巡らし木の芽が吹いているのを確認した。幾つかは既に盛期を過ぎている。いつからだろう、このような自然の移ろいに関心を失ったのは。戦場で駆ける鞍の上から見た景色を思い出せない。私は戦場で一体何を見たのか。景色?戦い?分からない。私には戦いの記憶が光景としてないのだ。あるのは怒号、そして悲鳴。それから死臭…戦場では幾つかの感覚が麻痺する。それは視覚的な視野狭窄でもあるし、ある種の失明状態でもある。また乾いた口の奥では味覚すら失っているかも知れない。ただ時折思い出したように音や匂いが日常に挿入される。そういう瞬間、私は夢でも見てきたかのように現実を忘れその中に埋没する。欠落した記憶の反復は私にとっては拷問に等しい(ベトナム帰り?)。いっそこの記憶が完璧に欠落してしまえばと思わないでもない。

 だか、もし私がこの記憶から解放されたら。この声や匂いといった記憶は一体何に関連付けされた事実だったのか。人の死とはそんなに簡単に消し去ることのできる記憶ではないのだ。人命がこれほど軽んじられる時代だからこそ、なお。

「死とはただ失われることではない」

 では死とは何だ。死者の死に死以上の意味を持たせることが、意味のある死になるというなら、戦いで死んでいった者たちはその個ごとに意味がなくてはならない。人の上に立つ者は全ての死に意味を見出さなければその資格はないのではないか。太古の軍神トレーズ・Kは戦死した配下全ての名前を鮮明に記憶していたという。はたして私は一軍を指揮して立つ資格などあるのだろうか。分からない、だかこれから赴くスィスニアにその答えがあるかも知れない。

 ヒューバート、レリューコフ、ヴァシリー、そして既に亡きパグラ。この者たちと再び出会うことで私は私自身にその資格を問おう。誓いを立ててくれたシュナイダーには申し訳ないが、今の私にはもう少し時間が必要だ。しばしの休息が…

リアクションへGO!



■ 何も言わなくてもいい

人は、誰かの背中を見て前へ歩いている。それが愛する者や、失った者への想いならば尚更、後ろへと退く事はできない。
もし、シュラがリューンと出会ってなくて、ライラがライルの妹でなければ、二人は別の出会いができたかも知れない。なーんて、有り勝ちな台詞で片付けられるほど、二人は可愛い女じゃない。「今の二人」は過去があるからこそ「今の二人」なんだ。過去の積み重ねが人を形作る。
だから、一箇所だけ変える「もし」なんて意味が無えんだよ。


(壱)

 生きることへの絶望なしに生きることへの希望はない──カミュ「裏と表」

 夢を見た。
 それは、私がまだ少女と呼べる頃の、「シュラ」ではない、別の名を名乗っていた頃の夢だ。
 毎日が辛かった。
「お前は生まれてくるべきではなかったんだよ」
 ・・・そんな言葉を浴びせられながら育っていった。
 そして或る日、とうとう私は屋敷を飛び出した。
 イレーヌへ行く船だったろうか・・・私は船というものに初めて乗った。最初の二日間はすごく有意義だった。見るもの全てが世間を知らない私には新鮮であったのだから、それも当然といえた。
 しかし、有意義だったのはその二日目までだった。三日目にその船は、湖賊に襲われたのだ。この船を守るために雇われていた者達がいたが、彼らは真っ先に非常用の小船で逃げていった。だが、考えてみれば、彼らの行動は極自然なものだった。私たちが乗っていた客船を襲ったのは当時、セルファニア湖で「千人斬り」の異名で最も悪名を轟かせていた「キャプテン・イーオー」だったのだ。他の湖賊ならば兎も角、今回は相手が悪すぎたといえた。
 大抵、男は殺され、女は慰み者にされる。だが、彼らに気に入られれば、そのまま生かされる可能性もある。
 私はどうしても生きたかった。その頃の私は、汚い人間だと思うかも知れないが、自分の容姿が何らかの駆け引きに使えるものだということを、既に認識していた。
 しかし、自ら湖賊共に身体を開こうとした土壇場になって、やはり怖くなった。
 私は逃げた。船内を無様な恰好を曝け出しながら逃げ回っていた。しかし、所詮は湖の上であり、逃げ場はない。いつしか私は甲板の方まで追い詰められていた。
 イーオーの手が私の首にかかりそうになった時だった。今でも鮮明に覚えている。何者かが投げた剣が、イーオーの腕を斬りつけながら甲板に突き刺さったのだ。
 周りを見ると、この客船に横付けされた湖賊船の他に、もう一隻の竜の形をした船が横付けされていた。その上には男がいて、私に言うのだった。
「君に生きる意思と、人としての誇りがあるのならば、その剣を取れ」
 リューンが私に発した最初の言葉だ。
 彼が私に差し伸べた救いの御手は、目の前の暴漢を倒してくれることでも、温かい言葉でもなかった。一本の剣だけだった。
 そして、私はイーオーが飛び掛ってくる瞬間に咄嗟にその剣を手に取り、奴の心の蔵を深々と突き刺していた。手が、流れ出す熱い血によって真っ赤に染まっていった。
 初めて人を殺した。
 震えが止まらなかった。
 ・・・いつまでも止まらなかった。
 だが、リューンが私に上着を掛け、そっと肩に手を置いて、大きく頷いてくれた時に漸くそれは止まった。同時に緊張の糸が切れたように涙が溢れてきて彼の胸を借りた。私は父親を知らなかったが、彼の匂いがそうだと感じた。
 それから、竜の形をした船「飛竜号」の船長であるフェイロンとそのクルー、そしてリューンとセルフィアー中を旅した・・・。

(弐)

 苦しみは人間の偉大な教師である
 苦しみの息吹の元で魂は発育する──エッシェンバッハ

 デュオに案内されて、私が連れて来られた所はオダワ遊郭にある葵屋という店だった。
「・・・ここで用心棒のような仕事をしている。まっ、入れよ」
 そういって奴は、さっさと入って行く。
 さすがの私も、女郎屋に入るのは一瞬躊躇った。こういう店には入ったことが無かったからだ。
「何やってんだよライラ、入んないのか?」
 中々入ってこない私に、デュオが店の中から言った。仕方なく意を決して中へと足を踏み込む。
 玄関ではデュオに年頃の娘がまとわりついていた。もしかすると、この娘が先程の少女が言っていた「ミサキ」という女なのかもしれない。
「デュオ兄ちゃんのお客さん?」
「ああ、だからまた後でな、ミサキ。それから女将さんには茶も何もいらないからって言っておいてくれ」
「うん、分かったよ」
 さすがに私との話を聞かれてはまずいと思ったのか、デュオの奴にしては珍しい気配りをしている。正直に言えば、少々喉が渇いているので茶ぐらいは馳走になりたかったものだが。
 店の中はもう少し華々しい雰囲気なものだと思っていたが、そうでもなかった。客を取るだろうと思われる女達も、今は着飾ってはいない。夜になれば、彼女達も店の雰囲気も変わるのかも知れない。まあ、私には所詮無縁の世界なのだから、特に興味を引くものは無い。
 私は階段を上り、二階のデュオが居候させてもらっている部屋へ通された。
「どうしてお前の部屋は、生活感みたいなものが感じられぬのだ」
 初めて私が、奴の家で目を覚ました時も、無機質な感覚を得たものだが、この部屋は更に輪を掛けて凄い。
「性分だからな・・・」
「どうやって寝ているのだ?」
「毛布を掛けて雑魚寝だ」
 私も野戦などの場合には、そのようにして寝る事も別段珍しくも無かったが、普段の私生活にまで徹底させているわけではない。
「・・・怖いんだよ、安心して寝るってのがさ。いつも手元にコイツがないと、二度と目を覚ますことはないんじゃないかってな」
 そう言って奴は、私に一振りの刀を見せる。
「四尺五寸二分、『凰牙おうが』だ。見覚えがあるだろう」
 私はそれを見せられるや否や、思わずデュオの胸倉を掴んでいた。
「貴様がどうしてそれを持っている!!?それは兄様が大事になさっていたものだ!!」
「まず落ち着いてそこに座れよ、話はそれからだ」
 デュオは私の手を払いのけると、座布団を敷いている場へ促した。
 そして、ゆっくりと、私と奴との関係を話し始めるのだった・・・・・。

(参)

 飛竜号での生活は、私に新しい人生観を与えてくれた。フェイロン達クルーの皆は、まるで家族のように扱ってくれて、私自身も初めて自分が居てもよい場所を見つけたような気がした。
 リューンは私に何でも教えてくれた。特に、医学と兵法術に関しては、並々ならぬ知識と経験があるようで、細かく私に指導してくれた。同年代の私にしてみれば、彼の存在そのものが別世界のものであるように感じられた。それでもフェイロン船長には、剣の稽古をしても五本に一本しかとれないようで、
「あのゴリラはナーラダの民じゃなくて、髪を黒く染めたメールの民に違いない」
 などと愚痴っていたのを覚えている。もっとも彼の歳はその頃はまだ16を数える程度だったから、今やればどうかは分からない。

 私は自分の中に半分だけ流れる下衆な男の血を呪った。母は私を産む時、複雑な気持ちだったことだろう。産後間もなく亡くなったらしいが、寧ろそれでよかったと思う。生い立つ私を見ていれば、正気でいることはできなかったに違いないからだ。
 私の存在そのものが、その男の罪の証。罪は裁かれなければならない。
 誰の手でもない、この私の手によって・・・。
 フェイロンは反対した。如何なる事情があろうと、それは親殺しに他ならないと。道に外れる所業だと・・・。
 リューンは言った。道に外れた男を裁くことが、道に外れた所業ならば、敢えて鬼にでもなればよいと・・・。
 その日より、私は彼から徹底的に武芸を叩き込まれた。しかも、訓練だけでは実戦の意味を為さないという考えから、私とリューンは船を降り、様々な危険な橋を渡るような生活を続けた。
 そして、二年の月日が流れ、漸く彼を支えることができるようになったと、自認した頃、私は追い続けてきた下衆共を見つけた。
 それは全くの偶然だった。何年経っても、下衆は下衆らしい。
 賊共は、母の時と同じように、近隣にその美しさが知れ渡っている貴族の息女を目当てに屋敷へと押し掛けていた。私とリューンは丁度その屋敷のある邑に滞在しており、思わぬ巡り合わせが起こったというわけだ。
 今もって、誰が私と同じ血が流れていた者なのか、よく分からない。だが、下衆の一人が、屋敷になだれ込んで来た私の顔を見て、こう言った。
「ウルクのミラ家の女じぁねぇーか、昔のままとは驚いたぜ」
 その言葉だけで十分だった。母と私を誤認した男を皮切りに、屋敷に押し入った30人ほどの賊を一人残らず息の根を止めた。
 30人ほどの賊を二人で相手にするなど、非常識もよいところであったが、少なくとも私には、狩をするより楽な作業に感じられた。それだけ気分が高揚しており、現実的な感覚が麻痺していたのかも知れない。
 その日、私は昔の名を捨てた。
 そして、その夜、初めて彼に抱かれた。

(四)

 『凰牙』は我が兄、ランギヴァラーハ・ライルが所有していた名刀、否・・・妖刀だ。生前、5年程前だが、私にその妖刀を見せたことがあった。今思えば、あの時既に兄は己の死を予感していたのではないだろうか。
「ライラ、この刀はね、手にする者を選ぶ妖刀なのだよ」
「妖刀・・・・・でございますか、兄様?」
「左様。もし悪意をもつ者が手にし、人を斬れば、己が魂を喰われるのだ」
「私はその手の『まやかし』の類は信用いたしませぬ。それに悪意と申しますが、あまりにも抽象的な言葉のように感じられてなりません」
「信じずともよい。その言葉の真意を知らずともよい。だが、もしこれを手にする者が、お前の許に現れたのならば、それは半身となり、お前をあらゆる障害から護る衛士となる存在と心得よ」
「ふふっ、ならば兄様が私の半身ということになりましょうな」

 デュオは幼き日に兄様に拾われた孤児であることを、まず私に話した。兄には色々な縁談があったものの、断りつづけ、死ぬまで独身であった。確かに不思議であったが、武人としていつでも有事の際に戦場で死ねるように、家族をつくらないものであるかと思っていた。だが、私の知らぬところで孤児達を集め、これを養育していたとは・・・。
「ライラ、勘違いしないで欲しいんだが、親父が拾った孤児達が皆、俺のようになったわけじゃないからな。俺と、それからセルファニア湖で先に向こうに逝っちまった数人だけが、自ら進んでこの道に入ったんだ」
「・・・で、貴様が私の衛士というわけか」
「・・・まあ、そうなるのかな・・・」
「・・・るな」
「へ?」
「ふざけるなと言ったんだ!!」
 私は思いっきり奴の顔面に拳を叩き込んだ。
 デュオは勢い余って壁に激突する。そして私は襲いかかるようにして、左手でヤツの首を掴む。
「貴様、私の衛士を気取る前にどうして兄様を護れなかった!!何故兄様は死んだ!!何故殺したのだ!!!」
 私は奴を怒鳴りつけながら、何発も何発も拳を叩き込んだ。
「何故・・・何故だ・・・・・答えろ、デュオ・・・何故兄様は死んだ」
 デュオは口の中を切ったらしく、端から流れる血を手で拭う。そして私の方を鋭い眼差しで睨み付ける。
「ライル様は、セルファニア湖の戦いに於いて、敵将ランギヴァラーハ・ライラ率いる艦隊と交戦中に、右頭部に矢傷を受け、これが致命傷となり死亡されました。・・・・・こう言えばお前の気が済むのか・・・?」
 私はそのまま奴の膝の上へと泣き崩れていた。
 当の昔に涙など枯れていたと思っていた。
 兄が死んだ事を知った時でさえ、涙など一粒も流れてこなかったのに、今は何故か止まらなかった。
 デュオは優しく私の頭を擦ってくれた。
「すまない・・・私は・・・」
「いいんだ、何も言わなくてもいい」
 奴の膝の上で涙を流していると、素直に泣けた昔が、少しだけ懐かしく感じられた。

(伍)

 初めての夜のことだった。
「シュラ?変な名前だな・・・」
「そうかしら。でも兎に角、私はもう過去とは決別したいの。だからそう呼んで、リューン」
「好きにするさ・・・それでお前の気が済むのなら」
 火部一神・闘神アシュラ・・・私は、強さを司るこの神王の名に肖り、シュラと名乗ることにした。別にアシュラを信仰しているわけではない。ただ伝説に残るその絶対的な強さに憧れた。今考えると大分幼い発想だったかも知れない。
 何度目の夜だったろうか・・・。それはとても星が綺麗な夜であった。
「お前と会う5年位前にな、満天の夜空に一際強い輝きを放つ星を見つけたんだ」
「その星は今までなかったの?」
「そりゃあったろうさ。だけど命が宿っていなかった。だから光を放てなかったんだ」
「リューンの星はあるのかしら」
「あるにはあるんだが・・・・・ちょっと、恰好悪いヤツでな」
 星に恰好の良し悪しがあるものかとても不思議だった。
 リューンが指したのは、彼が言っていた強い輝きを放つ星の南に位置する、大きな星だった。
「あれも強い光を放っている」
「確かにそうだ。けど・・・大きな星は寿命が短いのさ・・・」
 リューンはそう言って私を抱き寄せた。
「俺には時間がないんだ。だから急がなければならない・・・」
「ハイハイ、急ぎましょうねー」
 私はこの時はまだ、彼の望むものを知らなかった。



 そしていつしか、彼は私にとって、なくてはならない存在となっていた。
「俺は、この世に何のために生を受けたのか知りたい」
 またいつもの冗談かと思った。しかし、いつになく真剣な眼差しで私に訴えかけてくる。時折彼が見せる、私ではなくその先の何か遠くのものを眺めるような目でだ。
「俺は俺自身が求める何かをきっと手に入れる・・・お前もついて来るか?」
 私は目を逸らすこともできず、ただ頷いた。
 その日を境に、私はリューンの一部となった・・・。

(六)

 レリューコフは既に処刑されていた。予想していなかったわけではない。だが、改めてその事実を知らされると私は動揺を隠せなかった。先月の上旬に公開処刑されたという。
「清竜殿にある首櫓と呼ばれているところに、爺さんの骨は納められているらしい」
「・・・せめて皆のところへ一緒に連れて帰ってやりたい。手を貸してくれるな」
「嫌な女だ。俺が断らないのをいい事に、とんでもないことを手伝わせようとしやがる」
「利用できるものは何でも利用する。これが戦いに勝つ鉄則だ」
「それがさっきまで俺の膝の上を濡らしていた女の言う台詞かよ」
 デュオと私は夜に待ち合わせをして、雲徳殿へ進入することにした。今日は雲が多く、月明かりに照らされることはないだろう。

 私は奴と一度別れ、店の外へと出る。
 そこで女の声が私を呼び止めた。
 振り向けば、デュオにまとわりついていたミサキという少女がいる。
「貴女、デュオ兄ちゃんの何?」
 まだ、少女の面影を残すその娘は、拳を震わせ、強い意志をもった目で私に問い掛けてくる。
「ただの友達だ。私は君が心配するような者ではない」
「嘘・・・。あの人を連れて行くんでしょう」
 その時、私の脳裏に兄の言葉が思い浮かんだ。

「もし、これを手にする者が、お前の許に現れたのなら、それは半身となり、お前をあらゆる障害から護る衛士となる存在と心得よ」

 奴は私を護ることを兄の遺言として受け取っている。何よりもあの『凰牙』がその証明だ。しかし・・・・・。
 私はフードを取り、娘に歩み寄って肩を掴んだ。
「・・・貴女・・・」
「・・・奴はこの私が絶対に死なせない。だから、必ず君の許へ帰ってくる。この赤い死神が約束しよう」
 私はこの呼び名を決して気に入ってはいない。だが、目の前の娘の信用を得られるのならば、喜んでこれを名乗ろうと思った。

(七)

 その日、私はリューンの声で目が覚めた。
 彼は私に目覚めの紅茶を煎れてくれた。窓の外はまだ暗く、陽は昇っていない。王宰としての執務は水の刻(6:00)から始まる。朝は早いのだ。
「まだ寝惚けておられるのですか。余程お疲れのようですな、まったく珍しい」
 そのものの言い様で、私はどうにか現実感を取り戻すことができた。すかさず寝床の下に隠していたナイフを無礼な輩に投げつける。
 その者に当たった瞬間、その姿は消えて、ナイフだけが空しく壁に突き刺さっていた。
「その悪趣味な起こし方はやめてもらおうか、ライゾウ」
 私の傍らに黒い影が落ちたかと思うと、そこにはリューンの姿があった。
「悪趣味も何も元々、某にとってはこれが本当の姿です。それに仮面を外している時は、陛下、若しくはそれが気に入らねば侍医のダルディークとして扱っていただきたいものですな。それが影である某の務めなれば・・・」
 この影の存在を知っているものは極めて少ない。知っているのは、リューンは勿論であるが、その他には、私にブラフ老、ヴァシリーの三人だけだ。
 隠密衆を率いるライゾウの素顔は鬼を模した仮面にて覆われている。だがそれは、リューンの影を務めるためであった。古今より権力の頂点にいるものは己の影を作るものだ。ヴィレク然り、シルキーヌ然り、そのようにして敵の目を欺き、己の命を守るのだ。
「ほう、この剣をまだ持っていらしたのですか」
 そう言ってリューンの姿と声を持つ男は、壁に飾ってある剣に手を掛ける。
「すまないが、それには触れて欲しくない」
 ライゾウは手を止め、こちらを振り返って詫びた。
「出過ぎました、シュラ様。どうぞお許しください。しかし・・・」
「ああ、懐かしいだろう」
 初めて私が人を殺めた剣、リューンが投げてよこしたものだ。この剣で私は幾度も命を拾ってきた。手入れをしているとは言え、流石にもはや実戦で使える程の硬度を持ってはいない。私とブラフ老を抜かした八武衆の中ではライゾウが最古参であり、奴は私のこの剣で命を救われたこともある。別に、名のある鍛冶屋が打った特別な剣というわけではなかったが、私やこの男にとっては思い出深いものであった。
「私は決めているのだ。その剣を次に使ったら、私の戦いも終わりにしようと」
「ほう、それは実に興味深い提案ですな」
 と言うものの、さして興味を示したような表情を見せず、その証拠にライゾウは私に視線を戻し、別の話を始める。恐らくこの男にとって、「戦いの終わり」などという情景は現実のものとして想像できなかったに違いない。或いは、女のロマンティズムとでも取られたのかもしれないが、ライゾウの話がひどく気になる内容であったので、意識はそちらの方へと向けられていった。
「どうやら、ライラめがスィスニアへ入った模様です」
「ウォウルの間者としてか?」
「いえ、そうではないかと。間者として、何かしらの工作を目的として動いているにしては、横の動きが見られません。完全な単独行動です。もしかすると例の首を・・・」
「・・・ヴァシリーにこの情報を流してみろ」
「それは・・・」
「構わん」
「御意のままに」
 言葉を残して霧のように消えていく。
「ライラか・・・」
 ふと窓の外を眺めてみた。
 今日も雲が厚い。もし私であれば、月明かりが出ぬ夜に忍び込むな・・・。

(八)

 ライラとシュラの予想した通り、その日の夜は厚い雲に覆われ、月の光が地表を照らし出すことはほとんどなかった。数日前までとは違い、日に日に秋へと移り変わり行く中、多少なりとも肌寒い夜になっていた。
「何故、ヴァルのアホと一緒になってあの女商人に・・・?」
「・・・別に・・・誰でもよかったさ・・・」
「そうすればミサキという娘が諦めるとでも思ったか」
「お前には関係ない。いつからそんな世話を焼くようになったんだ。らしくないぜ、いつもみたいにドライにいこうぜドライに」
 ライラはデュオと風の刻(0:00)に再び合流し、清竜殿の首櫓に忍び込む予定であった。清竜殿にはスィスニアにおける行政の中心機関が集中している。国の心臓部に相応しく堅固な造りをしており、また、その防備も固い。昼夜問わず、千名の兵士が交代で警護の任に当たっており、リューンの執務室付近にはロイヤル・ガード(近衛兵)が50名ほど配置されている。また、隣の雲徳殿には女性で構成されている娘子軍と呼ばれる兵達が警護に当たっていた。しかし、何よりも厄介であったのが隠密衆の存在であった。彼ら忍びの者達の目を盗んで、目的の場所に辿り着くのは、事実上不可能である。それは何よりも、過去の経歴からもその内情に詳しいライラが一番よく知っていた。
 ライラとデュオは清竜殿を眺めていた。中を通って櫓へ向かう・・・・・というのは、現実的ではない。もしかすると、この横の男ならばそれも可能かもしれない。しかし、自分には到底無理だ。ならば壁を登るか・・・。しかし、建物は外的を寄せ付けぬように上の方へいくに従って、反っていくような造りになっている。
 そうなると上空からの侵入しかない。清竜殿西の塔から庭園に飛び降りる。しかし、その西の塔へ辿り着くには、同高度の建物からワイヤーか何かを引っ掛け、これを渡らなければならない。西の塔は、壁の大分先に建てられおり、ワイヤーを投げることができる建物は限られてくる。それらは清竜殿前に建てられている高級士官学校、そして、大審院である。
「危険だが・・・やむを得んか」
 ライラが意を決した時であった。
「おい、待てよライラ、門が開く」
 清竜殿の門が、厳かに、ゆっくりと開いていく。
 この門が開いているのは、火の刻(10:00)から水の刻(18:00)の間だけである。その間に、官吏達は出仕して一日の仕事をする。そして商人達が訪れるわけである。この時間に開く理由など全くないはずであった。
「中から誰かが出てくる」
 長い黒髪を風に靡かせ、漆黒の衣服に身を包み、階段を下りてくる。
 シュラは一人である。共の者は誰一人として連れてはいない。
「既に動きは気付かれていたというわけか」
 ライラは清竜殿へ向かって歩き始めていた。

■ 相談してみよう

自分の事なら耐えもするが、事が友人、知人、親兄弟にまで及んでくると黙っちゃいられねえ。結局、人の「徳」ってのは理屈じゃねえのよ。そういう気概は大事にしな。そういう悩みなら、もっと早く言えよな。気にし過ぎだぜマアリ嬢ちゃんは。
ところでセルファニア湖って淡水だよな。鯖っていると思うか?


 マラーイカはスィスニアに来てから、色々な人々に出会った。
 まずは、旅籠「千歳屋」の女将であるヒルエラ・マリア。何でもマラーイカの保護者であるエリシュが昔、色々とお世話になったらしく、それが縁で格安の宿泊費で滞在できている。彼女からは、昔のエリシュのことや、料理を教えてもらった。やはり、サイダバードとスィスニアでは文化が異なるため、料理一つをとっても見ても全く違う。セルファニア湖に面しているスィスニア邑は、漁業も盛んで、そういった食材も多い。また、国の拠点として、内陸部のシーランやスウィズ、タトゥーンなどからも食材は流れ込んでくる。力による国への統一に並行する形で、食の文化も恐ろしい速さで変化していっていた。
 因みに、マラーイカがマリアに教えてもらった料理の中で、一番気に入っているのは「鯖味噌」である。理由はエリシュが本当に美味しそうに食べてくれたからだ。他の料理も人の良いエリシュは誉めてくれたが、それが多分に世辞が入っている事は、その引き攣った表情からも明らかだった。
 次に、雲徳殿の女官達、カレリア・ロアン、ライサ・ユウト、リマ・アリサ、そして宦官のクレス・ディルである。
 三人の女官は、ロアンが一番上、ライサが真中、アリサが末っ子という役割の、姉妹のような関係である。実年齢はライサよりアリサの方が上であるが、精神年齢の関係で前述のような役割の姉妹関係になっているようだ。
 ロアンは客にもかかわらず、マラーイカの相談に乗ってくれる。マラーイカにとっても姉のような役割と言っても良いかも知れない。しかもそれが、ナーラダでは歴史小説家として有名な女性なのだから、嬉しくないわけがない。
 雲徳殿では、侍医のダルディークにも会った。彼もまた、よき相談相手になってくれるが、断定的なものの言いように、モラトリアムな年頃の彼女は強い抵抗感を覚えることもある。大人の持つ信念は、時として不浄のものに見えるのだ。それは正しくもあるが、いつかは受容れなければいけないものなのかも知れない。賢しいだけに、そう強く思い、意見を対立させることもあった。
 そして、伊達と酔狂のアウトロー、カガト・デュオ。そして葵屋のトウゴウ・ミサキ。
 デュオは「侠」と呼ばれることを好んだが、誰もそのようには呼んでくれない。身形も凄まじいの一言に尽きる。重力に反した髪型と言い、その色と言い、マラーイカが見たどの人々よりも奇抜であった。そして、デュオを通して知り合ったミサキ。彼女の住む世界もまた、マラーイカの知らない世界だ。しかし、彼女のいるその店が何のために存在しているかは、理解できる。否、オダワ遊郭という区画それ自体がどのような空間か、と言うべきだろうか。社会的、倫理的な問題としては敢えて無視される、言わば、必要悪とでも考えられた世界の住人だ。そのように考えられ、存在を許されること自体が、人が全能ではない証とも言えるかも知れない。
 更に先日は、一日だけでライラ、ヴァル、ザドゥ、シェルセラヴ、という国を動かしたり、騒がせたりしている人物たちに会う機会もあった。

 千歳屋の二階から見下ろす道は、人で犇きあっている。そして皆、何かに急いでいた。この国の時間の流れは、恐ろしく速い。だから、皆遅れまいと、ついて行く。脱落した者には見向きもしない。否、できないといった方がいい。もし気にかけて手を差し伸べれば、自分も置いていかれてしまうのだ。だから、多くの弱き者達は自分の事だけで手一杯だ。

 先日会った、赤毛の将軍、ライラの事を思い出す。彼女はこの国の時間の流れに逆らおうとした数少ない女性だ。それが何のための抵抗であるのかは、マラーイカは知らない。自分のためなのかも知れないし、民達のためなのかも知れない。或いは、もっと別のものの為なのかも知れない。
「そう言えば、兄がいるって言っていたけど・・・」
 筆を止める。その筆先の墨は、反物の絵柄を布地に描いていた。反物を織る前に、まずは何をそこで表現したいのか、下書きをする。その手順などは、多種多様だ。人の数だけある。彼女の場合は、まず、頭の中の漠然としたイメージを、形にしてみることから始める。幾つか描いてみて、次第に布地で表現したい形にまでイメージを固めていくのだ。
 今回のイメージは「インダラ」である。自身の信仰の対象であるだけに、いつもより熱が入っている。教えによっては、神の偶像化等を認めないものもあるが、インダラの場合は、そのようなこともないようである。
「・・・ナザフ兄様・・・」
 先月から、ずっと気になっていることだ。
 兄の安否。
 たった一つの手掛かりが、南のヴェルーダにある。
 兄であれば、何故その神酒の森へと向かったのか。
 考えるべき事はたくさんあるが、結局は、行くべきか、行くべきではないか、という事が最も重要であった。
「・・・やっぱり、デュオさんに相談してみよう」
 たぶん、デュオは「一緒に行こう」と言うだろう。しかし、その事はミサキとの間に割り込むような気がマラーイカにはした。故に相談すらできずにいたのだ。ミサキにも事情を聞いてもらえば、分かってもらえるはずだ。

■ 私はあの人の剣になりたい

リューンにとってシュラは一体何なんだろうな。唯の愛人か?それとも良き理解者か?
シュラのリューンへの想いは男と女の関係のそれを超えている。しかし、その想いも報われなければ、虚しいだけだ。
一つだけ言えるのは、あの男の存在が、彼女を戦いに駆り立てているということだ。


「久しいな、ランギヴァラーハ・ライラ」
「それ程、久しいとは思わんな」
「相変わらず、ああ言えば、こう言う奴だ・・・。まあいい。まずは、これを返しておこうか・・・」
 そう言ってシュラは地面に木箱を置いた。そして五、六歩後ろへ退く。
 ライラは木箱に一瞬視線を向け、再びシュラに戻した。
 シュラは片手に鞘に収まった剣を持っている。
 左手の親指は鍔に掛かっておらず、且つその剣の位置は腰より低く位置している。右手も腰より低い位置にある。
 次にシュラの足元に目を移した。どちらの足も前には出ていない。もし剣を即座に抜くのならば、多少なりとも重心を掛け易いように出しているはずだ。シュラは右手で剣を扱うはずであるから、右前方へ重心が移動しても良いように、右足が少し出るはずである。
 最後に自分と木箱、そして木箱とシュラとの距離を測った。自分と木箱との距離は八歩といったところだ。シュラは六歩退いたが、歩幅は狭く、実際は四歩程度でしかない。
 自分が屈んだ時に一歩目、木箱を手に取った時に二歩目、再び立ち上がった時に三歩目、この時に剣を抜いていれば、四歩目でライラは斬られる。
「気遣いはありがたいが、できれば、あと五歩退いてはくれまいか」
「どうやら信用されておらぬらしいな」
 シュラは冷めた笑みを浮かべつつ、五歩退く。
 ライラはそれを確認すると、シュラの顔から視線をそらすことなく木箱まで歩いていく。
「遠慮せず手に取り、開けてみるがいい」
「元より遠慮する気などはない」
 そして木箱を手にする。そのまま、今度は距離をとるためにライラが後ろへ退く。シュラから一瞬たりとも、視線を逸らさず、慎重にだ。気を抜けば次の瞬間には、首と胴が離れているかも知れない。そういう危うさが、今この場に、明らかに存在していた。

 箱を開け、ライラは一瞬、言葉を失った。しかし、動揺を悟られぬよう平静を装い、表情は崩さない。それでも、否応にも、心の動悸の音だけは聞こえてきた。
「誰の『しゃれこうべ』であるか分かるか?」
「・・・・・・・・・・・」
 ライラは黙っている。
「聞くまでもないか・・・。その男は、私が斬首した」
「何故だ・・・」
「何故? 貴公にしては、余りにも愚問だな。反逆者を裁いたまでだ。あの御方に弓を引いたから私が斬った。それだけだ」
「レリューコフは私の育ての親だ」
「・・・知っている」
 僅かに、その言葉を吐き出すのに間があったことに、ライラは気が付かなかった。
 シュラのその言葉と共に、ライラは剣を抜いていた。
 いつの間にかライラの背後にはデュオの姿がある。
「デュオ、手出しは無用ぞ」
「好きにしな」

 シュラもゆっくりと剣を抜く。ライラの剣よりは、大分厚みも長さもあった。
「二人一緒でも構わんぞ。その方が殺す手間が省けるからな」
「強がりを言うな・・・貴公でも我ら二人を相手にすれば、ただでは済まんよ」
「私にはあの御方がついている。だから勝つ・・・」
「酔うな!!」
 ライラは地を蹴りシュラの元へ走っていく。
「酔って何が悪いか!」
 シュラはライラの放った鋭い斬撃を受け止める。
 剣と剣の擦れる音が辺りに響き渡った。
「私はリューンのためならば何でもできる!!!」
「酔うなと言っている!!」
 ライラは、右手の剣でシュラと鍔迫り合いをしながら、左手を腰へと回す。そしてナイフを抜き、シュラの首へと振り上げた。
 シュラはライラの左手が描く軌道を避けるために、腹部へ蹴りを放ち彼女を突き放す。
 二人の間合いが広がった。
 双方共に、息一つ乱れてはいない。しかし、汗だけは地へ滴り、溜まりを作っていた。冷汗だ。互いに多くの者達と剣を交えたことがあるだけに、一合一合を気が抜けぬ事を直感的に察知していた。
 徐々にではあったが、二人の距離は縮まってきている。普通の者達が見ても、動いているのか、止まっているのか、分からない。それ程ゆっくりとではあったが、距離が縮まってきている。どちらかの一足一刀の間合いへと入った時に、二人は動く。
「奪われ、諦める生活しか知らなかった私に、勝ち取る生活を与えてくれたのは、あの人だけだ」
「その男が、力で世界を変えようとしている。力で支配しようとすれば、多くの不幸が生まれる」
「奇麗事を。どのような体制だろうと、犠牲となる不幸な者は少なからず存在する。そうであるならば、力ある者が迅速に統一し、支配した方が良い」
「それは貴様等のエゴであろうが!!」
「ならば愚民共を今すぐ導いてみろ!!」
 二人は感情のままに身体の動きを見せる程、愚かな剣士達ではない。己の感情とは別の所に、冷静に現状を分析する剣士の目のようなものを持っている。命の駆け引きをする者は、多かれ少なかれ、こういった事ができる。感情の赴くままに行動していたのでは、戦場では命が幾つあっても足りないからである。
 シュラは漆黒の衣服に身を包んでいた。月明かりが出ない今夜は、特に動きを捉え難い。僅かな動きも見過ごせない相手だからこそ、ライラは余計、厄介に感じた。シュラは間違いなくライラと戦うことを予想していた。だからこそ、闇と同化できる漆黒の衣服を身に纏っている。戦士としてならば、ライラ以上に徹底している。自分の赤い髪を彼女は多少恨めしく思った。

「・・・私は愛する以上に、あの人を崇拝している。・・・私はあの人の剣になりたい」

「非道のために剣が振るわれるならば、私はその剣を折らなければならない・・・」

 シュラとライラの剣では、シュラのものの方が長い。先程一度剣を交えたことで、シュラの方がばね跳躍力があることもライラは見極めていた。詰まり、獲物が長く、より遠くへ跳躍できるシュラの方が、一足一刀の間合いが広い。もし、等間隔で互いが距離を縮めていけば、先にシュラが打ち込める。ライラの間合いへと距離が縮む、僅かな時間だけ、シュラは守ることは考えず、攻めに全神経を集中できるのに対して、ライラは守りながらも自分の間合いへの距離を計りながら、近寄らなければならない。
 ライラは、不利な状況を打開するために、何かを犠牲にする必要があった。

 先に動いたのは、やはりシュラであった。しかし、直ぐにライラも動いていた。
 共に、何合も打ち合いながら、無事でいられる自信はなかった。故に、この一刀に勝負を掛けるつもりであった。
 シュラの剣はライラを斬るのに十分な距離であったが、ライラの剣はシュラには届かない。かといって、剣で受けたり、流したりすれば、ライラは反撃に転じるタイミングを逸してしまう。
 ライラは、剣で受けるつもりも、流すつもりもない。ただシュラの動きを止められれば、それでよかった。
 シュラの剣がライラに振り下ろされてくる。
 ライラはそれを左腕で受けた。
 骨が砕ける鈍い音が響き、鮮血の迸りと共に激しい痛みがライラを襲う。それでも尚、ライラは動きを止めなかった。対して、シュラはライラの腕で剣の勢いが弱められ、動きが一瞬鈍くなる。
 二人が交差する時に、ライラの鋭い剣はシュラの腹を横に薙いでいた。
 だが、ライラはシュラを斬った瞬間、ある違和感を覚えた。
 ぼとっ、と背後で何かが落ちる音がした。
 左腕だ。肘から先が無くなっていた。

「・・・・・見事だった」
 シュラの声がした。その声を聞いて、ライラは己の敗北を悟った。
「帷子を着ていなければ、間違いなく致命傷になっていたよ」
 ライラの斬撃によって引き裂かれた衣服の中からは、帷子が姿を現していた。
 腕の出血がひどく、意識が朦朧としてくる中、シュラの表情だけは、はっきりと見て取ることができた。少しだけ、悲しそうに微笑んでいるようにライラには見えた。
「これでお終いにしよう」
 ライラの意識は、シュラが剣を振りかぶった姿を捉えたのを最後に途切れていた。

 暗闇の中、命を拾うための火花が飛び散る。
「まだだ。まだ、終わりじゃねえ」
 シュラのとどめの剣を押し止めたのは、デュオの刀だ。
「下郎が、我ら二人の戦いを愚弄するつもりか!」
「殺し合いにくだらねえ美意識をもつんじゃねえ、ヒス女!」
 デュオが押し止めている剣の真下には、ライラが倒れている。この場を動けないデュオには分が悪い。何よりも、本来であればデュオの剣技はスピード勝負だ。何合も剣と剣を打ち合わす戦士のそれではない。急所狙いの暗殺の剣である。
 デュオは押し止めている力を一瞬だけ抜く。そしてほんの少しだけシュラの手元に虚を作り、咄嗟にその剣を絡め取る。
 デュオの刀に絡め取られた剣は、2米程シュラの左後方へと弾かれる。しかし、シュラは悔やむどころかすぐに、その地点へと飛んでいた。

 そして今また、二人の剣士がぶつかり合おうとした時に、その声は響き渡った。
「それまでだ!!」
 その男は、シュラと同様に清竜殿の門から現れた。後に従える数十名の兵士と共に階段を下りて来る。
 男は横の兵士に何かを言う。すると兵士は男に一礼すると、倒れているライラの方へ走ってきた。そして左腕の止血を始めるのだった。
「将軍、早急に治療をする必要を認めますが!!」
「ならば連れて行け、丁重に運べよ。それからその男も連行しろ!」
 周りには兵士が群がる。
「畜生、ハメやがったなシュラ。オレとタイマン張りやがれ!」
 デュオは兵士達に取り押さえられながら連れて行かれた。
「また、今度な・・・」
 シュラはブランツェ・ヴァシリーを睨み付けていた。
「どういうつもりだ、ヴァシリー。兵達には何があっても出てくるなと申し付けていたはずだが?」
「存じております。しかしながら、閣下の所業は見過ごすわけにはいきませぬ。陛下に御報告申し上げ、その上で御判断を仰ぐのが筋というものに御座いましょう。引っ手繰りなどの軽度の罪人ならば兎も角、あれほどの大罪人はまずは捕らえることが、第一かと」
「我が手で裁くわけにはいかぬか・・・」
「某はそのように考えます」
「良い。貴公の判断が正しかろう」
「恐れ入ります」
 これでよかったのだろうかと、シュラは自問する。
 たぶん自分は、ヴァシリーが止めねばデュオと戦い、勝てばライラ共々息の根を止めていただろう。それを何処かで怖れていたから、ヴァシリーにライラの情報を流した。ヴァシリーならば、どうにかして私を止めるだろうという期待を抱いていたのだ。
「・・・ごめんなさい」
 シュラは夜空を見上げて呟いた。
 月明かりは、厚い雲に覆われて出ていなかった。

■ 死んだ女房の口癖だ

夢幻の彼方に思いを馳せる者達。それに捕らわれてしまった者は、戦いつづけなければならない。愛、憎しみ、苦痛、喜び、生、死、それらの果てに手にできる物とは、一体何であろうか。

(壱)

 水面に小船が降ろされていく。そこには、不気味に黒光りする鎧に身を包み、純白のマントを纏った男の姿がある。そして同じく、鎧に身を包んだ護衛の兵が二人と、礼服の男が一人いた。
 パシャンと水面で音を立て、四人を乗せた小船が降ろされた。
 風はなく、湖面は穏やかであった。
 空には野鳥の群れが、南へ向かって飛んでいる。冬が訪れないうちに暖かい地方へと移動するのだ。
 その日、セルファニア湖上には七隻の軍船があった。
 スィスニアの軍船、夢想、五月雨、空蝉、空海の四隻。そして、イレーヌ=リビュニア姉妹王国の軍船、魎虎、白虎、赤虎の三隻である。
 風の月19日早朝、両国の船は、スィスニアから三日程の距離の水域で合流した。先日の夜には、既にこの水域へスィスニア側は到着していたが、姉妹王国側の予定が若干遅れた。
 季節毎の星の位置を目印にして、船旅は行うのであるが、姉妹王国側は深い霧に悩まされ、その結果、若干の遅れが生じたのである。
 リューンは気を悪くした様子も見せず、自らユミィの船へ出向き、その来訪を歓迎した。当然、自ら出向いた理由は、幾つかある。一つは新造軍船として評判の「王虎」級の内装を見ておきたいという事。そして護衛の兵士の数を確認する事。最後に、自営の船へ招き入れたくなかったからである。
 リューンが、姉妹王国側の旗艦である白虎に出向いている間に、配下のリオン・リオンには、その後のための準備をさせていた。
 悟られぬように小船を出し、離れた場所からナヴィス達、解放軍側に伝令として鳥を放つ。正確な距離は分からなかったが、近くまでは来ている筈である。書簡には行動を起こす時間と場所、そして詳細を記してある。
 その時間になっても何も起こらなければ、リューンはこのまま盟約を結ぶつもりでいた。
 また、スィスニア側の軍船の中では、いつでも戦えるように兵士達も準備をしていた。
「騙まし討ちってか?気が乗らないな、ラーエ」
「仕事は仕事ですぜ、師団長」
「ま、分かっているって」
 1007重装歩兵師団の師団長であるハヤ・カシータは、部下のモンド・ラーエの肩を叩く。
 そして顎で、ある物を指す。
「ああ、あれですかい」
「あんな物、湖上で使う気か」
「かと言って、陸で使わなきゃいけない道理もない」
 二人の見つめる先には、「投石機」がある。それも攻城の際に使う馬鹿でかいやつだ。
 対象が動いているのであれば、命中精度からいっても、投石機があっても意味はない。しかし、対象が止まっているのであれば、十分利用できる。
「動きが止まっている姉妹王国の船に、ドカーンてね」
「そこに俺達が乗り込んでいくわけか」
 戦場では論理も人間性もない。戦場での唯一の人間性は非論理だ。理想を働かせてはならない。何故と問われれば、今の戦争はそうなのだと答える他ないのだ。
「ここは既に、そういう世界だって事か・・・」

(弐)

 スィスニアと姉妹王国の七隻の船が、碇を下ろしている水域から、北東に凡そ7キロ。そこは一昨年の「セルファニア湖の戦い」の中で、最も激しい戦いが繰り広げられた水域だ。ここでヴィレクとリューンは初めて直接に剣を交えた。
 沈んだ船の残骸が、未だに生々しく残っている。船の墓場とも言える水域だ。嵐が来た後などは、その残骸の位置が変わり、場合によってはここを通る船の行く手を遮る事もある。ウォウル王国などによって、それら残骸の撤去作業は少しずつ進められているが、今尚、一般の者達はその危険性のためにこの水域に足を踏み入れることはない。
 そこに、三隻の船は停泊していた。

「どうするんじゃ、ナヴィス!!」
 ファーカル・ナヴィスにマ・リョウが怒鳴る。ここにきて、ナヴィスとリョウにとっては重大な問題が発生していた。
 二人が頭を悩ませているのは、リューンが送ったその書簡に書かれている内容についてである。
 時間や場所、相手の戦力、問題はそのようなことではない。
「・・・あそこには、本当に父上がいるのか」
 ナヴィスとリョウにとっては、最悪の誤算であった。ユミィの護衛に付き従っているのは、ナヴィスの父、ファーカル・バルシールだ。
 リューンはできる限りの情報をナヴィスに与えた。ユミィの乗っている船と艦隊旗艦が別である事、戦力配置から船内の間取り、主な護衛に携わっている将達の名前などだ。
 それが逆に、二人を悩ませることになろうとは、リューンは考えもしなかったに違いない。
『艦隊司令ファーカル・バルシール』
 その文面を見た時、二人は目を疑った。

 どうする・・・どうすればいい。

「・・・退くか」
「それは駄目だ!!!」
 マ・リョウの言葉に、大きく目を見開き、怒鳴ってそれを制した。温厚ないつもの彼の姿からは、想像出来ぬほどの剣幕だった。
「・・・相手はバルシール小父さんじゃぞ。おまんに戦えるのか。親父に剣を向けられるのか」
「・・・リョウ、私は家を飛び出した時に、このような日が来ることを予感していなかったわけじゃない。ただ、それが少し早まって動揺しているだけだよ」
「・・・しかし」
「リョウらしくないな」
 ナヴィスは唐突に腰の剣を抜く。
 そして両手を広げ、天を仰ぎ、彼は吠えるように笑い、叫んだ。
「神は、この私に、世に出て行くための試練をお与えになった。随分と手の込んだ演出ではあるけれどね!!!」
 マ・リョウは、ナヴィスが本当に親子の情を断ち切れるのか、疑念を持っていなかったわけではない。しかし、この機会を逃せば、次の手はない。
 解放軍側は、このような不安を抱えながらも、予定通り計画を進める事とした。

(参)

 この辺りから、姉妹王国の副王、ウェス・ユミィに関する謎が深まっていくことになる。専ら後世で意見が分かれているのは、彼女の生死についてだ。
 最も有力だとされているのが、この時の解放軍の襲撃の際に捕らえられ、ナヴィスがリビュニアの実権を握った後に殺害されたという説。
 そして、リューンがユミィを気に入り、死んだ事にして、そのまま自分の後宮に連れ帰ったという説。もっとも、これは彼の生来の女好きとしての噂と、多くの文化遺産を破壊して史家達に嫌われた代償として、一時期出回ったデマである。何よりも、ユミィの船に乗り込んだのは、スィスニア軍ではなく、ナヴィス達解放軍である。
 それから、乱戦の最中、脱出したものの、リビュニアでいち早く実権を握ったナヴィス達を恐れ、そのまま死ぬまで隠遁し続けたという説。しかし、これも腑に落ちない点がある。ユミィという駒があったからこそ、ナヴィスは実権を握れたのであるから、本末転倒である。実権を握ってから、性根の優しいナヴィスに逃がされたという美談じみた説もあるが、彼がそこまでお人好しだとは、考えられない。何よりもそれは、愚以外の何ものでもないからだ。
 さて、筆者は敢えて、別の説で話を進めていこうと思う。多少、俗っぽい説ではあるが「ガルゲイユ殺害説」を採用する。


 風の月19日、人の刻(午前9時頃と思われる)。リューンの姿は、旗艦「夢想」にあった。ユミィへの接待もそこそこに、一度自分の船へ戻っていたのである。
 バルシールもユミィのいる「白虎」から艦隊旗艦の「魎虎」へと移っていた。リューンの為人の噂は誰しも知っている。少しでも隙を見せれば、そこにつけ込まれる。故にバルシールは、ユミィが彼を船に迎える際には、慎重に徹した。リューンは二人の武官と、一人の文官を伴って乗船してきたが、四人とは言え、バルシールの目利きでは、配下の三人も相当の手錬のようであり、油断はできなかった。軽い食事と雑談で、一刻ほどが過ぎ去り、リューンは自分の船へ戻って行った。
 その後、バルシールもユミィの許を離れたわけであるが、この時、会談中の警備で集中力を使い果たしたのか、彼に多少の気持ちの緩みがあった事は疑いない。
 その水域は、この日、別段特別に深い霧が発生していたわけではない。しかし、発見が遅れ、結果的にその後の戦争の発端となる事件が発生してしまったのは、事実である。気の緩みという言葉だけで片付けてしまうのは、どうかと思うが、他に理由が見つからないので、史実の記録に沿うことにする。


 ナヴィス達リビュニア解放軍の三隻の船を一番初めに発見したのは、ウェス・ユミィの乗船している「白虎」の水兵であった。
 この水域は岩場が多く、水面から顔を出している岩であるものと、最初のうちは誤認していたのであるが、一直線に白虎へ近づいて来ることから、漸く気が付いたのである。
 そして水兵が、バルシールの許へこの事について急ぎ報告しようとした矢先に、巨大な岩は降って来た。
 岩は、スィスニアの四隻の船に積まれている投石機から発射されたものだ。
 数百`の重さの岩が、時速200km以上の速度で白虎を断続的に襲い、破壊していく。巨大軍船もあっという間に航行不能にされた。
 ある者は岩に直撃して肉塊となり、またある者は折れたマストや他の木材の下敷きとなっていった。


 バルシールは軍人だ。何故、スィスニア軍が裏切ったかなどという無駄な思考は一切しなかった。即座に下知し、ユミィを救うために魎虎を白虎へと向かわせた。
 状況が変わり行く中、即座にそれを理解し、置かれている立場で最善を尽くそうとする。スィスニア側には、完全に不利な戦場を作り出された。しかし、バルシールに焦りはない。今までも、幾らでも不利な状況を打開してきた事はあるからだ。
「バルシール様!!」
 少年が、怯えの表情で、バルシールを呼び止める。
「案ずるなシン。お前は女達を連れ、船底の倉庫に隠れていろ。スィスニア兵には指一本触れさせるな、よいな!!」
「は、はい!!」
 ユミィの乗船している「白虎」は、既に自力でこの水域を脱出することは、出来ぬほど破壊されている。もう一隻の護衛艦「赤虎」では、スィスニア軍の二隻の船が横付けして白兵戦が始まっていた。


 リビュニア解放軍の三隻の船は、航行不能の「白虎」を包囲していた。そして、旗艦のリリーマルレーンが体当たりをし、解放軍の兵士達がユミィ捕獲のために乗り込んでいく。
「気焔万丈、爆裂団の猛者共に告ぐ!! シーマの連れて来た新入り共に、手柄を横取りされるな。一人でも多くの敵兵を切り殺し、副王を救うのだ!!!」
 爆裂団を率いるルクア・アヴィの激しい声が響き渡る。
 ナヴィスは暫くの間、自艦にて指揮をとっていたが、いよいよ乱戦の様相を呈してくると、己の中で湧き上がるドス黒い欲求を、抑えこめられなくなっていた。
「行くかの、ナヴィス」
「え?」
 ナヴィスの横で、戦いを傍観しているマ・リョウの問いに、思わず声を挙げる。
「アヴィ達では、副王を殺しかねんからの、行って来い。この船の守りは、シーマ達で十分じゃ。それに、おまんが出て行ったほうが士気は上がるき」
「・・・いいのかい」
「良いも悪いもあるか。顔が行きたいって言っちょる」
「ありがとう」
「但し、絶対におまんは死んではならん。少しでも不利だと思ったら、味方の兵を盾にしてでも、逃げて来い」
「分かったよ、リョウ」


 ナヴィス達がユミィのいる「白虎」へ乗り込んだ頃、バルシールのいる「魎虎」もまた、襲撃を受けていた。「白虎」を救助せんと全速で向かっていたところを、真横からスィスニア軍の「夢想」に突っ込まれたのである。
 既に開戦から一刻が経過していた。
「・・・すべてが後手に回っている、これでは勝てぬ」
 負けだな・・・。
 バルシールは、この言葉を決して口には出さなかったが、確信していた。しかし指揮する者として、懸命に戦う兵達の前で漏らすわけにはいかなかった。
 そして、この戦場で敗北した後の事を考えた上で、自らの目的を変更した。
 もはや、この船での救助活動は不可能となった今、姉妹王国の今後を考え、バルシールの決意した事とは、他ならぬスィスニア王の殺害である。今の彼が置かれている状況で、最も姉妹王国にとって益のある選択であった。


「良い兵達だ」
 そう言ってリューンは、姉妹王国兵の喉に突き刺した太刀を抜く。
 思ったより、戦意が高い。ここまで派手な演出で、してやられれば、動揺して戦いどころではないのが常だ。しかし兵達の目には、動揺の色も、恐怖や怯えといった色も見えない。
 余程、兵達に慕われた者が指揮していることは、想像に難くなかった。
「空蝉が敵艦を拿捕した模様です」
 傍のリオン・リオンが言った。
 彼女の白い肌は、敵を斬った返り血で、紅く化粧されていた。肩で息をしているところをみると、少なからず疲労してきているようだ。
 シュラの配下には、女達が多い。リオン・リオンもその一人である。セルフィアーにおいては、男尊女卑的な差別思想は一般的にはない。しかし、ことスィスニアに限って言えば、リューンが後宮を建築したことによって、女性の相対的地位は低下したとも考えられた。何故ならば、王が男で、それ以外の後宮に住まう者達は女だからだ。もしこれが、王が女で、後宮に連れ込まれたのが男達であれば、全く逆に考えられたことだろう。
 女であるシュラは、リューンや他の八武衆の男達より、当然のことながらその事に対して、重く受け止めていた。
 治世ならば兎も角、乱世の軍閥政治となると、非常に女が生きにくくなる。戦ではどうしても、体力のある男の方が重宝される。結果的に、非力と考えられがちな女は、乱世にあっては、出世できず、国の中核としての働きは望めない。
 だがシュラは、幸運にも王宰の地位にあり、少なくとも権力をもっている。彼女は自分の存命の間に、一人でも多くの女達を国の中核に送り込もうと考え、己の配下にリオン・リオン達を迎えていた。
 だが彼女も、後宮建築は兎も角として、乱世における著しい社会的地位の低下はやむを得ぬものとも考えている。力なき者は、次第に廃他されていくのだ。だからこそ彼女は、一人でも多くの者達を世に出す機会を与えようとしている。実力を示し、周りがそれを認めればよいのだ。
 それだけに、そういう思想の下に従っているシュラの配下達は、己自身に誇りをもって戦っていた。
「何人斬った?」
「十四人でございます」
 リオン・リオンは肩で息を切らしながらも、尚も眼光は鋭い。
「別の太刀に替えておけ」
「はっ」
 十四人斬れば、刃毀れの一つもする。そのまま使えば、いつかは折れる。折れた時が敵と刃を交えている時だとしても、敵は待ってくれない。


 ファーカル・バルシールは、サウス・シンという少年兵と数人の女達、そして信頼する数人の配下を小船で脱出させようとしていた。
「東へ進めば、そこはウォウル領だ。よいかシン。お前は、一刻も早くこの事を本国のラートリー様にお伝えするのだ」
「でも、じゃあバルシール様は!!」
「・・・・・誰かのために生きることができたのならば、その人は・・・・・たぶん幸せなのだそうだ・・・」
「え?」
 バルシールはその大きな手でシンの頭を撫でてやる。
「死んだ女房の口癖だ・・・」
 それが、少年が聞いたバルシールの最後の言葉となった。
 小船は東のウォウル王国へと流されていった。


 ウェス・ユミィを護衛している男、ガウ・ドルドレイはよく戦っていた。ユミィの姿は数人の兵士と共に彼女の部屋にあった。そして、その部屋の前を通る狭い廊下にドルドレイはいる。
 廊下の壁には、人の形をした血の跡が幾つか確認できる。ドルドレイの腕力で繰り出された戦斧を、真正面から受けた兵士の凄惨な死に様を連想させるには、十分な光景だ。
 廊下には解放軍の兵士達の屍が積み重なっている。中にはまだ生きている者もいたかも知れないが、いずれは、仲間と同じになるような状態だろう。
 さすがにそれを見た時、ナヴィスは一瞬だけ吐き気を催した。
「あと一息だってのに、あの野郎が邪魔で部屋に入れねえんだ!」
 ルクア・アヴィは口調荒くナヴィスに言う。目の前で部下達が殺されていく様を見ていたのだから、気が立っていて当たり前だ。
 完全防備の歩く要塞とも言える目の前の男に、行く手を阻まれている。
「・・・アヴィ、関節を狙うんだ」
「言われなくともやっていたぜ」
「違う、そんな長い獲物じゃ駄目だ。短い獲物で狙いを絞り込むんだ」
 そう言ってナヴィスは腰からダガーを抜き、ドルドレイへと走っていく。アヴィは慌ててナヴィスを追いかける。
「忙しい大将だぜ!!」
 走ってくるナヴィスを確認し、仮面の中のドルドレイの表情が緩む。そしてナヴィス目掛けて戦斧を振り下ろす。
 僅かのタイミングでナヴィスはかわすことが出来たが、戦斧を振るった風圧で、頬が切れた。
 そこにアヴィがドルドレイに体当たりをして、一瞬だけ隙が生じた。
 それを見逃さず、すかさず甲冑に覆われていない右膝の関節にダガーを突き刺す。倒れかけたところを、今度は左膝の関節に突き刺した。
 ドルドレイのくぐもった声が仮面の中から聞こえた。たぶんそれが苦痛の声だったのだろうが、よくは分からない。
 足を庇って動きが鈍くなったところに、兵達が群がる。まるで飢えた猟犬のようだ。そういった狂気の色が彼らに見えたのは、解放軍の兵を殺し過ぎたドルドレイ自身の責任だとナヴィスは思った。
 兵達の狂気の声と、ドルドレイのくぐもった声が廊下に響き渡っていたが、それも暫くすると、収まっていった。


 魎虎船上。
「リビュニア兵吏丞ファーカル・バルシール、敵将ナグモ・リューンとの一騎打ちを所望したい。出て来られい!!」
 バルシールの咆哮が、船上で戦う兵達の耳へと届く。この瞬間、両軍の兵達はバルシールに目を奪われた。
「陛下、なりませぬ。数の上で圧倒的に優勢を誇る我らです。何故、陛下自らが一騎打ちなどをされる必要がございましょうか」
「リオン、何故今の余があると思っている。望む戦い、望まぬ戦いをすべて受容れてきたからこそだ。その事実があってこそ、余が余であることを万人が許すことになる」
「ならばこの私が参ります」
「・・・お前ではあの男に勝てない」
「陛下!! お言葉ですが、私とて多少は腕に覚えはございます」
「剣や槍の技量の勝ち負けではない。お前にあの男ほどの、気が吐けるか?」
「気でございますか?」
 場を支配する事は、その人物の「気」の大きさによって決まる。カリスマといってもよい。剣の技量は兎も角、この場はリオンでは役不足だ。「一騎打ち」という戦の特別舞台は、そもそも兵士の士気の向上を第一義と考えられているからである。武勲の前歴の乏しい彼女よりは、己自身が相手をした方が、より効果的であるとリューンは考えていた。
 また、確かにリオンの言う通り、数の上では優勢には違いがなかったが、バルシール直属の兵達は士気が高く、動きに統制がとれていることが、リューンを苛立たせているという事実もあった。


 一方。
 ドルドレイが文字通り死守していた部屋の中には、姉妹王国の副王であるウェス・ユミィと二人の侍女、そして五人の兵士達がいた。
 兵士に挑みかかろうとした者達を、ナヴィスは右手を挙げてそれを制した。
「陛下をお迎えにあがりました。途中、賊軍の妨害に遭い、心ならずも血が流れてしまいましたが、これは私共の本意とするところではございませぬ」
「賊は其の方達であろう」
「何か勘違いをなさっているようです。古今より勝者を賊軍とは申しますまい」
「・・・何者ですか」
「ファーカル・ナヴィスと申します。バルシールの息子ですよ、陛下」
「兵吏丞の?」
「ええ、本当に困りましたよ。貴女の護衛を指揮しているのが、父だとは思いもしませんでしたからね」
「成る程、謀反人で、親不孝者だということが、よく分かりました。そのような者に人々がついていくでしょうか」
「・・・・・よくしゃべる方だ。他人の事より、少しは自分の事を心配した方がよいかと思うのですが・・・・・」
 ナヴィスは「まあ、いい」と呟くと、アヴィ達に自艦へとユミィを連れて行かせた。また、二人の侍女は連れて行くことにしたが、五人の兵達はこの場でナヴィスに首を刎ねられた。侍女はユミィの世話係として使えるが、兵達は無用の長物でしかない。寧ろ事実を知っている分だけ厄介だ。


 ナヴィスが旗艦のリリーマルレーンに戻った頃、その知らせは入った。
 彼は、敵総大将討ち死にの報を聞かされると、ただ頷いただけであった。
 一騎打ちの末の戦死だ。バルシールはリューンに殺された。武人としての生き方にこだわった父親だ。一国の王との手合いの末の死だ。多少は面目が立ったかも知れない。そうナヴィスは思おうとした。
 しかし、いくら理屈で言い聞かせても、自分の心の奥底で湧き上がる感情を殺すことは出来ない。
「リョウ、疲れたので少しだけ休ませて欲しい」
「ああ」
 マ・リョウも力なく返事しただけであった。
 彼のすぐ横を通り過ぎ、自室へとナヴィスは向かった。
 リョウは、幼い頃からバルシールを知っている。リビュニアの外吏へ推挙してくれたのもバルシールだ。その彼が死に、リョウ自身も心中穏やかではない。
「・・・ヒュリィ」
「まっこと、すまんとは思うんじゃけんど・・・暫くあいつのトコにいてやってくれんかの」
「・・・うん・・・いいよ」


 風の月19日、次なる戦いのための前哨戦はこのようにして終焉を迎えた。
 この後、リューンはスィスニアへ戻り、ナヴィスはリビュニアへと戻る。前者は姉妹王国への湖上からの攻勢準備のために、後者はリビュニア邑を掌握するために戻るのである。
 バルシールから後事を託された少年は、ラートリーの許へ向かってはいたが、彼が辿り付くのは、ナヴィスが邑を掌握した後のことになる。

■ 旧恩の情とでも申しましょうか

時が経てば、人は変わる。決して昔のあの頃へとは戻れない。だが、ほんの少しだけ心を通い合わす事くらいは、出来るはずだ。
・・・どうでもいいけど、早くここから俺を出せ。


 見慣れた風景がそこにはあった。家具の置き場所、カーテンの色、部屋の匂い。
 ここは嘗て、清竜殿においてライラが与えられていた部屋である。執務室の隣には、大抵、泊まれるように寝室が設けられていた。
 ライラはベッドで身体を動かした時に違和感を覚えた。それが彼女を現実へと引き戻すこととなった。
「・・・斬られたのだったな」
 左腕の肘から下は無くなっていた。
 傷口には、包帯が巻かれてある。締め付けられるような痛みがそこにはあった。
 右手で摩りながら上体だけを起こす。まだ、軽い眩暈がした。血が足りないのだ。
 デュオとシュラが刃を交えたところ辺りまでは覚えているのだが、そこから先の記憶が落ちている。今の自分の置かれている状況が、どのようにして生み出されたものか考えてみた。デュオが私を助けたのであれば、この清竜殿にいることはまずありえない。ならば殺されず、今この場にいるのは何故か。
 デュオでもシュラでもない別のアクターがいたからだ。
 彼女が導き出した答えは、そのようなものだった。そして、それが正しかったことは、すぐに証明されることとなった。
 部屋の扉が三回ほどノックされる。カチっと、音がした。鍵をかけられていたらしい。扉がゆっくりと開かれる。
 ダボダボの術衣に身を包んだ少女が、幾分緊張した趣で部屋に入ってきた。
  だが、怪我をしたライラを看護していたその少女は、部屋に入って目が覚めた彼女を見るなり、「あっ!!」と、大慌てで飛び出していった。
 遠くでけたたましい音が聞こえる。どうやら廊下で何かにぶつかって転んだらしい。
 廊下の喧騒が鳴り止んだ頃、部屋の前にライラは再び気配を感じた。
 代わって入ってきたのは、ブランツェ・ヴァシリーだ。
「思ったより元気そうだ」
 ヴァシリーが言う。扉を閉め、鍵をかけた。
「皮肉か」
「滅相もない」
 そう言いながら、無遠慮にベッドの横にある椅子に腰を降ろした。
「相変わらず横柄な奴だ」
「こればかりは、いくらライラ様に言われても、直りそうにはありませぬ」
 長く沈黙があった。だが、お互いに心地の悪いものではない。ここに第三者がいれば不思議に感じたであろう。一言も発することなく、ただ時間だけが過ぎていく。


 その沈黙を最初に打ち破ったのは、ヴァシリーの言葉だった。
「何か飲みましょう」
 そう言って、戸棚に置いてある酒瓶とグラスを二人分用意した。
ライラはそれ程、酒を嗜むわけではない。精々付き合い程度だ。しかし、客人を持て成す最低限の礼儀として、常時、部屋には上物の酒などを置いておいた。
「果実酒ですが、よろしいですかな」
 まるで、自分の部屋であるかのように振舞うヴァシリーを見ていて、ライラは漸く気が付いた。
「今は、この部屋をお前が使っているのか」
「そうでなければ、貴女もあの緑色の頭の男同様、今頃牢ですよ」
 調度品の類は変わっていない。元々そういう事には無頓着な男だから、模様替えをする気もなかったのだろう。
 ライラに出されたのは、葡萄酒だ。闇を連想させるような濃い紫色をしている。
 その酒が注がれたグラスを手に取り、何気に口付けようとした。
「無用心です。某が毒を盛っていないとは、限りますまい」
 その言葉を魔に受けたわけではなかったが、ライラは、グラスをベッドの横にある机の上へと置いた。
「私を助けたお前が、今更、この命を取るとは思えないだけだ」
「豪胆な方だ。陛下がいれば某とてここに匿えませなんだ」
「・・・何処へ揉め事を起こしに出向いたのだ」
 リューンが動けば、そこに戦が生まれる。
「流石にそれは、申し上げられませぬ。某は今、あの方に忠誠を誓っております」
「では何故、私を助けた」
 清竜殿西の塔にある鐘の音が聞こえる。丁度昼時であった。窓の外からは官吏達のざわめき声が聞こえ始めた。
「旧恩の情とでも、申しましょうか」
「・・・主に刃向かってでもか。・・・ならば、私と・・・」
 ヴァシリーは真紅のカーテンを開けた。昼の強い日差しが部屋の中に入ってくる。はっきりとした光と影の部分が作り出された。
「この位の」と、ヴァシリーはその大きさを手で示した。
「母に泣きながらしがみつく童達を、この手で殺めました。人の上に立った事がない者が、力を持つと、よくやってしまう事。それが無抵抗な者達の大量虐殺だと、亡き貴女の兄上はおっしゃっておりましたな」
 ライラにはそれがリューンの事なのか、或いはヴァシリーの事を指して言っているのか判別はできなかった。考えようによっては、どちらでもあるのかも知れない。
「だが、結果的に・・・」
「言うな」
 ライラの怒気を孕んだ声が、ヴァシリーの発言を許さない。
 ライアードの虐殺が、多くの日和見を決め込もうとする為政者達に、どのように映ったか。予断を許さぬ強硬な姿勢の前には、為す術もない。かの者達には、それを振り払う力がないのだ。
「人の上に立つのであれば、心に一匹の鬼を飼わねばなりませぬ」
「虐殺は認めぬ。否、認めてはならぬのだ・・・・・。今ならば、まだ間に合う。私と共に・・・」
「貴女には、シュナイダーやヒューバートがいる」
「・・・ヒューバートは・・・・・」
「・・・タトゥーンにいる」
「え・・・」
 そう一言呟くと、ヴァシリーは席を立ってライラに背を向けた。
 ほんの少し、背中が笑ったような気がした。
「・・・・・某の情けも、これが最後と心得られよ」
 退室しようとドアのところまで行く。
 そこで一度だけ振り向いた。
「今宵は次なる戦のために、某を含む八武衆は評定にて、何かと不都合があるやも知れませぬが、その際には先程の侍女を存分に使ってくださいますよう」


 ライラはヴァシリーが退室した後、葡萄酒の入ったグラスを眺めていた。グラスの中の液体は、その奥の風景を映し出してはいない。
 何よりも、怪我人に酒を勧める事自体が面妖極まりない。
 ライラは、グラスを手に取り、中の液体を床に注いだ。
 グラスの中に残ったのは、紐で縛られた布筒である。ライラがその紐を解いてみると、そこに記されてあったのは、清竜殿の見取り図と衛兵の配置であった。


 日も暮れた頃、清竜殿にある牢獄では、野獣のような咆哮が響き渡っていた。
「出せバカヤロー、俺様を一体誰だと思っていやがる!!」
 番をしている二人の兵は溜息をつく。
「これで三日目だぞ」
「・・・元気いいねえ」
「だが、明日にはヴァスチーユ送りだろ」
「ああ、あそこに送られることを考えると、同情もしちまうよなぁ」
 そこに一人の少女がそっと現れた。凡そ牢獄という場にそぐわぬ存在であったが、知らぬ顔ではない。ヴァシリー付きの侍女だ。
 ルセという名の少女であったが、よく牢番の兵達にも夜食の差し入れを持ってきてくれる。気が利く娘で、分け隔てなく接する。そういった事から、オジサン連中からはすこぶる評判がよかった。
「兵隊さんのために、夜食を作ってきました」と言って、ルセは番兵の気を引いた。近くの詰め所に用意してあるということにして、彼女は二人の番兵を案内する。それに入れ替わるようにして、フードに身を包んだライラが牢へと足を踏み入れた。


 コツ、コツと踵を鳴らし歩いてくる。その音をデュオは聞いていた。
 体重は55から58kg、歩くリズムから考えて間違いなく女。しかし、気取った歩き方ではないところからすると、控えめな性格だろうか。布擦れの音もする。朝服に身を包んだ女官ということも考えられる。
 否、違う。そもそも、ここにそんな奴らが来るはずはない。理由がない。囚人虐待を楽しむ女王様気取りの婆ぁでもない限り、ここには来ない。
「・・・頭を抱えて、何を考えている」
 冷たく、ハスキーな声が牢に小さく響き渡る。だが、フードから見える眼差しは、声ほど冷徹な輝きを放っているわけではなかった。
「・・・・・これからの明るい家族計画について、思案していたところだ」
「家族を作る気に漸くなったか」
「・・・なっていない」
「ここに一本の鍵がある。これでここからお前を連れ出そうと思うのだが、どう考える?」
「いいねえ、そいつはサイコーの提案だ」
 格子に顔を突きつけながら、デュオは大きく頷いた。



■ 解体「心」書

ダンディ中年さんのイラスト【ランギヴァラーハ・ライラ】
社会的外向:7 社会的内向:3
アダルトチャイルド:7 フリーチャイルド:3
思考的外向:2 思考的内向:8
現実:7 直感:3 
感情:5 理性:5 

 下級貴族、ランギヴァラーハ家の長女として生を受ける。家族は父、母、兄、そして妹が二人いるが、兄ライル意外は、別の地に住んでいた。ライルがスィスニアへ仕官した後は、彼女自身も兄を追って移り住んだ。少女期、青年期を、父母ではなく、兄と過ごした彼女にとって、その存在は絶対的なものであり、同じ道を進むべく、武官への道を志す。他者の追従を許さぬ成績で、晴れてその道に足を踏み入れるも、そこでスィスニア軍内の堕落振りを目の辺りにするのだった。
 軍内の規律を正し、来るべき戦乱の世に備えんがために、リューンの反乱では彼に従い、政権奪取に貢献するも、その後の「セルファニア湖の戦い」において、兄を失い、それが彼女の精神的外傷となってしまった。
 内向的。しかし、付き合いがよい事は、彼女を慕う多くの人々を見れば明らかである。女である前に主義者であり、主義者である前に戦士であり、戦士である前に、死んだ兄を忘れられない妹である。


【ファーカル・ナヴィス】
社会的外向:10 社内的内向:0 
アダルトチャイルド:7 フリーチャイルド:3
思考的外向:1 思考的内向:9
現実:9 直感:1
感情:4 理性:6

 リビュニア兵吏丞、ファーカル・バルシールの次男として生を受ける。その存在自体は認めるものの、多忙のために父親が帰れぬ家庭に育った。母が死んだ時も、父親が不在であった事から、以前よりも更に自分との距離を置き、憎悪にも似た念を抱くようになる。以来、二人の喧嘩は絶えることはなかった。しかしながら、それは父親に対する愛情の裏返しでもあり、母の死という現実を受容れたくないがための代償行為でもある。彼自身は本来、温和な性格であるが、「父親」という対象が絡んでくると、望む望まぬを関係なく拒否行動を取る。そういった時に、激してしまうのである。リビュニアの独立という考えも、元を辿れば「父親」の存在というものに動機の一端がある。


ダンディ中年さんのイラスト【カリフ・イーマーン・マラーイカ】
社会的外向:7 社会的内向:3
アダルトチャイルド:8 フリーチャイルド:2
思考的外向:2 思考的内向:8
現実:3 直感:7
感情:2 理性:8

 遊牧民の邑、サイダバードの出身で、インダラ大司祭の孫である。名門の出に相応しく、理性的で礼儀正しい。アダルトチャイルドな精神を持ち、極めて内向的な性格。そのために、自由な気質のものに対して、無意識に憧憬の念を抱いており、フリーチャイルドの塊のようなデュオと馬が合うのである。また、育ちが良く、精神的に幼い部分もあるために、醜い現実を受容れることができない面も多い。故に思考が直感的なものになってしまう。
 家族構成は父、母、そして姉が四人、兄が五人。彼女は末っ子であり、常に自分と姉達を比較しながら育ってきたと思われる。周りに比較されてきたわけではないが、自身の中で無意識に秤にかける。そういう生き方をしてきた彼女が、ナーラダ地域にやってきて、最も意識するようになったのが、身体的特徴の違いであった事は、或る意味必然であったと言える。


【カレリア・ロアン】
社会的外向:6 社会的内向:4
アダルトチャイルド:2 フリーチャイルド:8
思考的外向:0 思考的内向:10
現実:9 直感:1
感情:1 理性:9

 ヴェルーダ出身の女流作家で、表裏混在の野心家である。彼女は滅多に本心は明かさない。甘いマスクの裏には、冷徹な女の顔がある。しかし一見、温かい血が全く通っていないような彼女だが、正常な倫理観は持っており、また決して強い女性というわけではない。己自身の力だけで逞しく生きていくシェルセラヴとは違い、ディルという心の支えを必要としている。必要とする時とは、冷徹な女としての重圧に耐えられなくなった時。詰まり、ディルは彼女の癒しの場所でもあり、唯一の甘えられる対象なのである。


   ダンディ中年さんのイラスト【シュラ】
   ダンディ中年さんのイラスト
   「椿屋の主人」  ルイセルク・エリシュ
   ・今回3度も描き直したキャラクター。
    一度目は、一緒に描いていたマラーイカが唯のガングロ女(ゴメンナサイ)になってボツ。
    二度目は、絵として見た時に全くツマラナイもの だったのでボツにした。
    三度目は卑猥すぎて、コリャ見せられん! という事でボツ。結果、この絵に落ち着いた。

    Point 反物が流れていく様。
    元ネタは…。(12年ほど前のサンライズの作品…だと思う)
                 ↓
               自信がない


   ダンディ中年さんのイラスト
   「青春で候」  カリフ・イーマーン・マラーイカ
   ・14歳→悩める年頃 ∴物思いに耽ける少女(笑)
   ・何、肌が褐色じゃないのは変だって? 知らないなぁ。


   ダンディ中年さんのイラスト
   「武王の剣」  ミラ・エリス

【あとがき】

▼あとがきは、誰しも最初に読むものという話を信じて、まず述べたいのは、一日一話くらいのペースで、暇な時間に読んで下さい、という事。理由は、絶対に飽きるから。一定のリズムと雰囲気をもったストーリー展開ならば、読者は共感さえ得られれば、のめり込んでいく事ができるけれども、コイツの場合は、たぶんそれができない・・・はず。リズムも雰囲気も途中で変わるから、思考が変則的になって話にのめり込む事ができない。少なくとも、俺はそうだった。他の人がそうだとは限らないけど。取り敢えず、「一日一話・暇な時」推奨という事で。
▼反省点は腐るほどある。いざこざに皆さんを巻き込んだ事、遊び呆けていた事、その他数え切れぬほどある。
▼また、書き方について反省すべき点を挙げるとすれば、やはり舞台が広く、話の中心に据え置くキャラクターの数が多いという事だ。素人なのだから、舞台を狭くし、キャラクター同士の空間的距離をもっと近くするべきだった。そうすれば、もう少し細かく人間関係を書けたはずだ。或いは逆に、もっと人間関係を簡素化してしまって、グローバルな視点で書くというのも手だけれども、それではキャラクターを作ってもらった意味がない。
▼結局、欲張りすぎたのかな、と思う。ついでに言えば、「照れ」を拭いきれていない。どのようなものを書くにしても、「照れ」は御法度だ。非難されようとも、滅茶苦茶恥ずかしくても、照れずに書かなければ、結局中途半端なものになってしまう。
▼それから、出番の少ない方、ごめんなさい。どうしても、大きな事をやってしまう人物にスポットライトを当ててしまうのが、この手の話です。堪忍して。

▼さて、次回(が、あるとすれば)は、舞台を突然、三年後に移して話を進める予定です。で、エンディングへGO、と。
▼行動方針等を送る必要はありませんが、どうしても何か特別な行動をしたい場合は、この限りではありません。但し、必ずしもそれが反映されるというわけではありませんので、その点はご了承ください。

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