会誌-「ZARASU-2002 夏 -ユージュ-」

■ 名士紹介 第二回(後) それは突然やってくる  【剣山 翔】


 さて、「名士録」と史実のかみ合わない人物を、「イレーヌの変」を語りながら取り上げてきた。そして、この次に取り上げる人物は、その事件の影響によって、人生を狂わされた者の紹介である。
 だが、本題に入る前に、中編の後のイレーヌについて語っておきたい。
 「イレーヌの変」の後、三男イー・ハラークが邑宰として即位した。この後、叛乱の傷跡を癒しつつ、つつがなく、それこそ何事もなかったかのように政治運営が行われていた。そして、彼は傷跡を癒しきった後に、役目を終えたかのように没した。354年没の享年64歳。
 その跡を継いだのは嘱望された長男である。ちなみに、長男の他に次男もいたのだが、長男と比較すると見劣ってしまうので、次男は別家を立てることを命じられ、イル家の初代となった。
 余談だが、この兄弟は異母兄弟である。長男の母はすでに亡く、次男の母が夫人あった。だが、ハラークも男、美人がいれば心を奪われるのは仕方のないことである。その美人の登場で、次男の母は寵を失った。では、何故長男なのか。理由は簡単、ハラークが前妻を激しく追慕していたためである。登場した美人、性格まで前妻似であると言えば、わかりやすいだろう。
 話を戻そう。この相続まではよかったのだが、ハラークの長男は折り重なる不幸に見舞われることが、イレーヌにさらなる悲劇をもたらす。
 次男の母の恨みであろうか。まず、即位前の350年、元々体の弱かった長男が病のためにストゥクス川を渡っていってしまっていた。この長男は、体が弱いながらも武術を修め、邑宰になるにふさわしい器量を持っていた男であった。父も将来を嘱望していた。
 彼の子供で残っているのは娘一人。この娘、生まれたときから母のいない状態で育てられていた。母は彼女を生んだ後、肥立ちが悪く、ストゥクス川を渡っている。しかも、この娘は武術に全く興味を示していないため、竜骨棍など触れたことがない。これでは邑宰としての資質はなしである。だが、他に子がない以上は、やむを得ないとして、新邑宰はこの娘に多くの武術指導者がつけた。
 これがまずかった。この娘は責任感が強く、邑宰になるために武術の手ほどきを受けたが、資質がないと断じられたのだが、必死に食らいつきながら学んでいった。それが、彼女の体力を奪い、361年地の月、体の弱ったところへ風邪を召し、そのまま肺炎をこじらせて母や兄を探しに行ってしまったのだ。邑宰はこの時点で47歳、後継を作るにはやや辛い年齢である。
 それでも、邑宰は頑張った。だが結局、子は生まれなかったばかりか、健康を害して執務に影響を出す結果となり、372年に57歳で没する。
 これに困ったのは邑議である。すでに直系の後継者はいない。後継者候補を傍系に求めるしかないのである。そこで白羽の矢が立ったのが、邑宰の甥、イル・ブルークである。このブルーク、竜骨棍を自在に操る男の子で、しかも没した邑宰からそんなに離れていない。彼を養子にして後継とする案が持ち上がった。
 だが、ブルークの妹のクローナも兄に負けない竜骨棍の使い手であったために、事態は混乱。ブルーク派とクローナ派に分かれて、どちらがふさわしいかの論争となった。
 しかし、読者諸氏はご存じの通り、この二人は後継者の座を逃している。後継者の名はイー・ルネカ。今回取り上げる人物は、このイー・ルネカである。
 「イー・ルネカ、独立暦341年、イー・ナグワークの長男としてリビュニアに生まれる。372年にイー家直系が絶えたことを受けて、遠縁であることを理由に呼び寄せられて、後継者となった。だが、398年に57歳で没するまで、邑議の運営に加えてもらうことができなかった」
 この名士録、現在はこうなっているが、本当はもう少し長かったと伝えられている。では、何故削られたのか。大したことではなかったため、削られたのか。はたまた、当時のイレーヌお得意の歴史改竄の賜物なのであろうか。
 だが、解明するために必要な下敷きとなる論文はない。そのため、今回は論文を使わずに伝説と残っている史料を基に事実を明らかにしよう。
 まず、何故、亡き邑宰から一番近いイル家を退けて、「遠縁」の彼が継げたのであろうか。調べてみると、意外なことがわかる。
 このルネカ、祖父は「フィルト家の乱」で暗殺された邑宰の長男となっているのだ。だが、多くの資料には「長男の孫『か』」や「長男の孫『とされている』」、悪意たっぷりの資料には「長男の孫『を自称』」と、疑問符がついているのだ。
 しかし、これは事実である。五王国期中期、リビュニアにおいて、貴人墓地の中で異彩を放つ墓地が発見された。それが、この長男の妻、並びに長男の一族の墓地であった。一時期は「作られた発見」と揶揄されたが、現在では正式な鑑定結果も出ており、事実と認定されている。では、何故、リビュニアに長男の妻の墓があるのか。
 それは、こういう経緯である。「イレーヌの変」の端緒となった邑宰の長男が暗殺された後、その報告は即座に妻の元へ届いた。妻はこれを聞くと、自らに降りかかるであろう災禍を免れるため、幼い子を抱えて邑宰邸を脱したのだ。この幼い子こそがルネカの父ナグワークなのである。母子は脱出に成功したため、叛乱軍はこの妻子を殺し損ねてしまった。
 叛乱軍はこの妻子を追撃せずに見逃しているが、それに関しては重要視していなかった。叛乱軍の主眼は、後継者の殲滅であり、後継者一族郎党皆殺しではなかった。また、孫を取り逃がしている理由だが、このときはまだ歩くことすらかなわない幼子である、これを押し立てて軍権も持っていない水吏長が争いを仕掛けてくるとは考えられなかったためである。政権を奪取した後、死亡の認定をするつもりくらいしか心になかったようだ。
 ともあれ、運良く難を逃れた母子は北の大邑リビュニアへ身を寄せた。リビュニアは平穏な邑であり、イレーヌに差し出すような真似はしないだろうと考えての事であった。だが、悲劇に始まりであったのだ。
 その後、ナグワークは順調に成長した。すでに、「イレーヌの変」は鎮圧されており、ハラークによる治世がうまくいっていたため、妻はこのままナグワークを市井の人間として育てる道を選んだ。だが、出生の秘密は打ち明けていた。
 この後、ナグワークには二人の子宝に恵まれる。一人は取り上げている人物であるルネカ。もう一人はユークという娘である。このユークが美しい女性であったことがこの兄妹に悲劇をもたらす。
 ユークはその美貌故に、多くの男達より好かれた。だが、彼女はそれを退け続けた。そんなある日、こともあろうにリビュニア邑宰家、ウェス家の長男から求婚された。ウェス家の長男、彼の名はウェス・ビューグという。ユークは彼の情熱に動かされ、これを受けることとなる。そして、365年にビューグの父が折れて結婚することとなった。
 だが、この席でビューグの父はナグワークにこう問いかけた。「イーという姓はイレーヌ邑宰家のものであるが、関係がお有りなのか」と。すると、こともあろうにナグワークは言わなくてもいい出生の秘密を打ち明けたものだから悲劇の開演のベルは鳴り、終わるまで幕を閉じられない状況になってしまった。
 さて、それから7年後、イレーヌにおいて後継者問題が持ち上がる。後継者不在を聞いたリビュニア邑宰に即位したビューグは、この情報を手にするなり即座に行動を開始。義父のナグワークにイレーヌ邑宰に就くように説得。だが、ナグワークは高齢を理由に拒否した。そこで、義兄のルネカを説得。ルネカは最初は渋ったものの、ビューグの説得に心動かされて同意した。
 そして、ビューグはルネカと共にイレーヌを訪れる。それは後継者争いをしているイレーヌ邑議には青天の霹靂、それは突然やってきたのである。
 これだけ聞くと、ビューグがイレーヌでの権益を狙っての行動に見えなくもないが、実際は異なる。ビューグの目には、市井で暮らしているナグワークやルネカが哀れに見えたのだ。邑宰になっているはずの彼らを元の位置に戻してやろう、姻族として一肌脱いでやろう、そう思ったに過ぎない。
 しかし、イレーヌ邑議はそう受け取ってくれない。まだ「イレーヌの変」からそんなに経っているわけでもなく、周囲の邑がイレーヌの政権を狙っているのではないか、という猜疑心が邑議を支配していた。ビューグの主観はどうあれ、邑議としては外形から察するにはイレーヌの政権が狙いと見えた。
 だが、分家から養子を取る案は程なく消える。ビューグの推薦は受け入れられることになる。これも突然のことであった。まさに電撃的な後継者決定である。
 この決定、初期段階の研究ではこうなっていた。
 「フィルト家の乱」で殺害された邑宰は長男を嘱望していたため、長男に邑宰を、次男には邸宅を、三男には財産を分与する予定であった。そのため、「長男の子孫を自称した」ルネカが跡を継げたのである。
 だが、その分与方法はナーラダらしからぬ分与方法(均等分与)であり、この仮説を説明できる証拠、史料が続かなかったため、永遠の謎となっていた。
 だが、この結論はイレーヌ自身が示した。その決め手となったのが、伝家の秘宝「象繁石(グーデリア)の首飾り」である。
 象繁石とは希少価値の高い宝石であり、市井の者ではそう易々と、いや、大金持ちの好事家でも手に入りにくい。
 この宝石を使った装飾品をイレーヌは「指輪」と「首飾り」の二つ有していた。
 指輪の方はイレーヌの宝殿に所蔵されている。しかし、首飾りの方は「イレーヌの変」の際に散逸し、行方がわからなくなっていたのである。
 その散逸した「首飾り」と同様の装飾品をルネカが持っていた、イレーヌの歴史書がそれを示したのである。
 この説が発表になってからは、これを証明する史料は次々と発見され、結局これが結論となった。
 この結論こそが、事実である。
 話を戻そう。邑議に現れたルネカが「首飾り」を持っている。これは明らかにイレーヌに関わりがある、と考えざるを得ない。
 イレーヌ宝殿の警備は厳しく、並大抵の泥棒では盗み出せない。しかも、この秘宝は外部に聞こえた宝物ではないため、泥棒も知るわけがない。関わりのない人物では持ち得ない代物である。
 では、どうやってルネカの手に渡ったのだろうか。と言ってみたものの、理由は至極簡単である。この宝物はイレーヌ邑宰位の証明として使われているのである。
 死の床に臨んで長男の父はこの指輪を後継者たる息子に、その妻には首飾りを与えて生涯共に生き、互いに助け合ってイレーヌをもり立ててくれと遺言したのである。その後、長男は暗殺されてしまった。妻はこの首飾りをしたまま、イレーヌを脱したのである。
 この遺言を覚えている者がいたため、邑議はルネカを嘱望された長男の子孫と認めざるを得なかったのである。
 こうして、この首飾りはルネカを邑宰位に導いた。だが、それはルネカにとっては長く辛い後半生の始まりでもあった。
 ルネカの即位を見届けたビューグ、ユーク夫妻は間もなく、帰邑した。残ったのはルネカとその妻子であった。ルネカは邑宰として指揮を執ろうとしたが、なにぶん後ろ盾や信用する人間もいない。心細くなってしまい、泣き言を言い出す始末である。しかも、信用にたる人物を作ろうにも、イレーヌの人々はリビュニアの息がかかったと思いこんでいる。この邑宰など目に入れることはなかった。
 しかも、追い打ちをかけるかのように379年には長男を、381年には長女を失い、子をすべて失った。周囲は「ほれ見たことか。これでまた後継者争いが生じる」と嘆いた。このとき、かつての後継者候補には頑強な子供が育っていた。
 もはや、ルネカに残された立場はなかった。邑宰としての威厳はなく、竜骨棍すら持たせてもらえない。彼は針のむしろに座らされ、息苦しい邑議を見ているだけであった。
 だが、神は彼をこのまま留め置くような真似はしなかった。384年、絶望かと思われていた後継者が誕生したのだ。この玉のような女の子を、彼は残された人生をかけて育てていくことを決意した。
 そして、397年に妻に先立たれると気力を失い、翌年に57歳に病でこの世を去るのである。彼は、「名士録」が語るように一切邑議に口を出すことはなかった。
 だが、彼の死は少しばかり早かったようだ。残された娘は14歳、邑宰にするには心許ない年齢である。しかし、この娘こそがイレーヌを一つにまとめ上げ、この後に続く戦乱から守ったイー・リミイなのである。
 「名士録」は嘘を言ってはいなかった。だが、あまりに簡略すぎ、重要な事実を語っていなかったのである。
 これにも理由がある。
 邑宰に対して実権を与えなかったこと、これは謀反に近い行為である。謀反の記述を「名士録」に残すわけにはいかない。だが、行ってしまっていることは説明を付けなければならない。
 そのために持ち出されたのは、「遠縁」の二文字である。本当の記述は「相続権を失った先邑宰の長兄の孫という遠縁を称しながら、リビュニア邑宰の後援を受けて、後継者になった」である。周囲の人に「リビュニアの計略におちるのを避けた」と力強く示しているのである。
 だが、先の貴人墓地の発見で、遠縁であることは実証された。しかも、この後リビュニアと連合したことがあったため、多くの記述は削除され、「遠縁」のみが残ったのである。
 それにしても、ルネカは完全に周囲に踊らされてしまい、人生を台無しにしてしまった。いくら象繁石が再会の石と言われているとは言え、一方を身につけているイレーヌと再会させなくてもよかったのではないだろうか。運命というものは、時として残酷なものである。
 ルネカが不幸な生涯を送った一方、妹のユークはビューグと睦まじい幸せな生活を送っている。この兄妹の差は一体何なのであろうか。
 さて、「名士録」と史実の不整合についての紹介は終わる。だが、イレーヌの根幹を成した「イレーヌの変」について、もう少し語りたい箇所がある。もう少し、お付き合い願いたい。

■ 名士紹介 第二回(その後) 川は海へ注ぐ  【剣山 翔】


 ここからは後日談となる。イレーヌは内部不安定のまま、戦乱の「諸英伝」時代に突入するのだが、どのように対処したのであろうか。
 ルネカ死後、後継者として遺されたのはイー・リミイ、14歳である。父母の慈愛と教育を一身に受けながらも、しっかりと筋の通った女の子である。
 だが、彼女では邑の運営はできない。どうしても、輔弼する人物が必要である。当然、父親があの状態であったのだから、その輔弼すべき人材はいようはずもない。ルネカの子供など、所詮はリビュニアからの干渉の口実となる絶好の人物としか、邑議は見ていなかった。
 邑議はそこで再び、イル家を持ち出してくる。かつて後継者候補に上ったイル・ブルークの長男、イル・エンダークである。このエンダークは父以上の竜骨棍の使い手であり、その才知を高く評価されている27歳の若者である。
 14歳の小娘と27歳の若者、どう見ても27歳の若者の方が頼りがいがあるし、リビュニアの口実を失わせることができる。一石二鳥である。邑議は一斉にエンダーク支持に回った。
 だが、これが結果的に彼を台頭させることになるのである。彼とは当時外吏長のアモン・カルゲイユである。カルゲイユはこの状況下、逆風凄まじいリミイに接近するのである。
 彼は一族あげて、リミイを輔弼し、「先邑宰の遺言は自らの後継は娘だ、であったはずある。それに背くは、謀反である。フィルトの輩である」とエンダーク派を責め立てる。この熱弁に、邑議はフィルトと同類にされたことで、遺言を覆すことに躊躇い始め、カルゲイユは見事に賭に勝った。彼はこの後でエンダーク派についた邑宰丞を糾弾して引きずりおろし、自らが邑宰丞としてリミイを輔弼するのである。
 そして、400年のナーラダ・ヴィレクのナーラダ王即位となるわけである。
 さて、この後、401年水の月にリミイが軍を率いてウォウル軍に戦争を仕掛けることになるのだが、その前段階としてウォウルを挑発する箇所がある。「諸英伝」を参照すると以下の通りだ。
 「いろいろと無理難題を持って現れたのである。やれ湖底遺跡ティイセニラの神器をよこせとか、帝国最後の都スイモミスクの設計図を見つけてこい、あるいは海の結界を外せ、等々。イレーヌ邑宰はかなりの歴史マニアのようだった」
 当年取って17歳。歴史マニアと言うことは本当のようだが、いくら何でも彼女がここまで要求できるとは思えない。勿体ぶっても仕方がないので答えを言うが、ここに関与したのはイレーヌ水月評議である。挑発の文章を書いたのも、彼女ではなく外吏長が書いたものである。
 この後、ヴィレク王と一戦交えて敗れるわけだが、はてさて、本当にやる気があったのだろうか。後世でもこの戦争についての研究に解答は出ていない。一説には反対派が勝手に挑発してリミイを殺す算段であったとか。それを察したリミイは真面目に戦わず、一騎打ちも手を抜いてあからさまに敗れて、ヴィレク王から討たれるのをかわした、という説まである。真相は今後の研究に託される。
 この後、401年空の月。これを見てピンと来る読者諸氏もいるだろう。そう、このときにイレーヌとリビュニアが合同で「姉妹王国」を建国するのである。なぜ、姉妹なのか。もうおわかりだろう。これはルネカの娘リミイとユークの娘ユミイの連合である。この二人は従姉妹である。しかし、従姉妹王国では情けないので「従」の字を除いてこの名前となったのだ。
 だが、その王国の寿命は短く、402年の風の月には崩壊する。
 この崩壊が、イレーヌの邑宰権強化につながったとは、誰が予想し得たであろうか。
 402年風の月、ウェス家の当主ユミイが暗殺されてしまうと言う、まさに戦乱が色濃く反映された事件が発生し、ウェス家直系一族は滅亡する。
 この後継に、ファーカル・ナヴィスなる若者が立ち、リビュニアをまとめる。このナヴィスはユミイの夫という立場であったため、一応はウェス家直系と言える。そのため、リビュニアはなんとかまとまりを得た。
 そして、翌空の月から一年間に及ぶ「ナーラダ西部一年戦争」が勃発する。
 この一年戦争中、大きな戦いは六回ほどあった。それを列挙するいとまがないため、端折らせてもらうが、この六回の戦いはきれいに三つにわけられる。
 一つはイレーヌ側の勝利で終わった戦い。これが二つある。この戦いにおいては、リミイの奮戦が目立ち、リミイが信頼する部下が多く活躍している。
 一つは痛み分けに終わった戦い。これも二つある。この戦いにおいても、リミイとその部下の奮戦は目立つが、どちらかというと、敵側、つまりリビュニア側の将の活躍の方が目立つ。
 一つはイレーヌ側が敗北、つまりリビュニア側が勝利を収めた戦い。これも二つある。この戦いは原因が全くと言っていいほどリミイやその部下にはない。はっきり言えば、それらの参戦すらない。アモン・カルゲイユの息のかかった将が主導で行った戦争と言える。
 こうしてみてくると、リミイが指揮を執っているか執っていないかで大きな違いが出る。この結果、リミイに将器あり、と印象づけることになる。
 さて、「ナーラダ西部一年戦争」は403年風の月、休戦状態に陥って終結する。両軍とも連戦による疲弊が見られたためであると言われている。
 だが、事件はこの後に起こる。403年空の月、リビュニアでとんでもない事件が発生した。それがファーカル・ナヴィスが暗殺されたというものである。この暗殺にはいろいろな解釈があるが、だいたいは「戦死した兵士の遺族が恨んでの犯行」としている。
 この暗殺劇の後、リビュニアは混乱状態に陥る。すでに邑宰は亡く、ウェス家直系も絶えた。後継者争いは凄惨を極めた。
 このリビュニア大動乱に関して、アモン・カルゲイユはリビュニア奪回の好機として挙兵を進言した。だが、リミイはこれに対して首肯しなかった。
 まだ、「ナーラダ西部一年戦争」の傷が癒えず、併合しても事態を収拾するのに時間をとられ、その隙にウォウルやスィスニアの侵攻を受ければ、対応できない。リミイが拒否した理由である。
 カルゲイユはこれに対し、何度も説得を試みたが、結局は平行線に終わり、邑議にかけられることになった。
 カルゲイユはこれで、自分の進言が通る、そうにらんでいた。邑議はリミイに対してよい感情を抱いていない。ここで失点を犯させ、それを責めれば、かねてからのリミイ引き下ろし計画は現実味を帯びるので、邑議は喜んで自分に賛同する。カルゲイユの考えである。
 だが、現実は異なった。邑議は満場一致でリミイの意見を是とした。
 なぜ、今まで悪感情を抱いてきたリミイの意見に、しかも満場一致で是としたのか。それは、リビュニアの大乱に理由がある。
 邑議の悪感情は、リミイはリビュニアが干渉するための口実であるとらえているところから来ている。それは姉妹王国成立後も変わりはなかった。逆に、これがリビュニアの干渉だととらえて、早い内に姉妹王国に終止符を打ち、リミイを引きずり下ろす、そんな青写真を抱いていた。
 だが、すでにウェス・ユミイは亡く、その夫のファーカル・ナヴィスも亡い。干渉してくる理由が消滅しているのだ。しかも、リビュニアに対してリミイは戦いを挑み、これを大破している。
 さらに言えば、リミイの将器はすでに万人が認めるところである。武術も邑宰として、竜骨棍を持つ者として申し分ないほどまでに成長している。
 以上の理由を以て、邑議がリミイを蹴落とす必要はなくなった。逆に支持した方が、今後のためであるという考えが邑議を占めていた。
 このリビュニア併合の是非を巡る決定で、今までのカルゲイユ上位のイレーヌ政権が逆転し、リミイ上位のイレーヌ政権へと代わる。カルゲイユはここに来て、多くの権益を失い、自らの野望に終止符を打たざるを得なくなった。
 これを以て、先邑宰の悲願であった邑宰の邑議への参画が成ったのである。
 そして、遂にこの河は大海へ注ぐときが来た。
 リミイが相続する際に、イル・エンダークの話をした。終着地はこのエンダークが取り仕切る。
 エンダークは多くの者が推薦してくれたため、後継者になれるものと信じ込んでいた。だが、カルゲイユの鮮やかな手腕でそれは霧散し、彼の誇りはいたく傷つけられた。また、その才知を恐れられ、カルゲイユから蟄居を命じられ、イレーヌのために働くことすらできずにいた。
 だが、多く支持者はまだ、彼を担ぐことを諦めていなかった。それ故に、彼は希望を持って蟄居していた。
 しかし、先に述べた邑宰権強化により、邑議は彼を担ぐことをやめて、邑宰リミイを担ぐ道を選んだ。彼の支持者はどっといなくなってしまったのだ。
 追いつめられた彼は、406年に僅かな支持者と共に反旗を翻す。
 一説にはウォウルの差し金もあったとされている。当然、ウォウルから派遣された兵士はいただろうが、それを以て反旗を使嗾したとは言えないだろう。ウォウルの差し金なら、もっとウォウルに有利な時期に起こさせるだろう。
 追いつめられて、反旗を翻さざるを得なくなった、と言うのが本当のところのようだ。
 だが、「ナーラダ西部一年戦争」で将器を示したリミイに対して戦いを挑む、エンダークに勝ち目はなかった。リミイ指揮の精鋭と、リミイがもっとも信頼している兵吏長ラファル・リュアクーナ率いる兵吏の精鋭の奮闘の前に、叛乱は鎮圧されて、一族は皆殺しにされ、お家断絶となった。
 「イレーヌの変」の副産物とも言えるイル家はここに滅亡したのである。

 以上、「イレーヌの変」から端を発する一連の事件は終息する。「ラファル家の屈辱」から長々と約150年にも渡って、大きな影を落としたのである。
 また、これらはイレーヌの根幹を成したとすでに述べた。この後、イレーヌの民の性格に、この一連の流れは大きく関わった。
 代表的な例としては、イレーヌの謀反についての考え方である。これ以降、謀反とそれに類する行為は何度か行われる。それは、五王国期に入っても変わることはない。
 だが、それらの行為は必ず大事になる。しかも、謀反人を追いつめても、決して降伏などはしない。積極的加担者も、成り行きで加担してしまった者もどんなによい条件で降伏を説かれても、首肯しない。
 理由は「イレーヌの変」について思い出していただければわかると思う。
 謀反人は失敗すれば一族皆殺し、加担者もどんな理由があろうとも一族皆殺し、寝返っても一族皆殺しである。よって、最後まで激烈に抵抗するのである。
 ここで一つ、五王国期のナーラダ=ウォウル王国に伝わる格言を紹介して終わりにしよう。
 「イレーヌを治められぬ王は、王に非ず。ナーラダ王国の王廷すら治められずとも、イレーヌを治めらるれば王なり」

・解説

 ラファル・リュアクーナ
 ラファル・バーヌクの孫娘。父の跡を継ぎ、395年に兵吏長を拝命した。若くして、ラファル家棍法を修め、軍略・統率力においても、イレーヌ内では他の追随を許さなかった。398年の後継者問題では、「自分が口を出せば、血筋(祖先がイー家に勝利していれば、彼女はこの地方の邑宰一族であっただろう)から邑宰を狙っていると疑われる」として中立を宣言した。リミイ即位後、カルゲイユに政権を執られ、邑議から嫌われている邑宰に同情して接近。共に棍法を競う仲となり、絶大な信用を得た。彼女の率いる軍勢は「ナーラダ西部一年戦争」で活躍し、特に従う10騎を「黒騎」と呼ばれ、リビュニア兵から恐れられた。ちなみに、イル・エンダークとの一騎打ちは講談により、広く伝わっている。

・お詫び
 以下の人物が登場しています。
ラソーダ(砂の山様)
ピアザ・ド・ジャッサ(砂の山様)
アモン・カルゲイユ(ダンディ中年様)
ウェス・ユミイ(ダンディ中年様・TSN様・とむ様)
イー・リミイ(玉英様)
 勝手に人生を決めてしまい、まことに申し訳ありません。伏してお詫び申し上げます。

■ 前のページに戻る