会誌-「ZARASU-2002 夏 -ユージュ-」
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■ 名士紹介 第二回(中) フィルトの宿願 【剣山 翔】 ここからいよいよ本論となる。「イレーヌの変」その物に関わった人物について触れていく。 この事件の別名は覚えておられるだろうか。そう、「フィルト家の乱」である。今回はその乱に関わった首謀者を取り上げていく。 首謀者の名前はフィルト・ビンケル。まずは早速「名士録」を参照してみよう。 「フィルト・ビンケル、独立暦282年、兵吏長フィルト・アンデックの長男としてイレーヌに生まれる。兵吏に出仕。大過なく務めるが、315年に突如謀反。316年、鎮圧されるにいたって、自害。享年34歳」 まずは「謀反」という言葉に注目していただきたい。これは史実の上では大変な事件である。だが、どう見ても扱いが小さい。後の奸雄ナグモ・リューンの「名士録」では、うだうだと「謀反」について文句が付けられており、膨大な量の筆が尽くされている。読めばわかると思うが、あれははっきり言ってやりすぎである。さすがは勝利者の側に立って書かれた文章ではある。それは置いておいても、それほど「謀反」については筆が尽くされる。 だが、見ていただければわかるがビンケルはその他大勢と同じ扱いになっている。当然、その他大勢と同じ扱いであるためこの記述ではどういう人物なのか、全くわからない。野心家なのか、乗せられただけのお人好しなのか判別はできない。では、ハイナクの時もお世話になった「技の部族」史の大家アリシバ・ルドーンに聞いてみよう。 ルドーンが発表した論文「フィルト家の乱についての一考察」を参照する。すると、ビンケルが謀反に至った理由は意外なところにあることが判明する。 意外なところ、それはビンケルの謀反は遡って、「ラファル家の屈辱」と同時代、つまり、251年に端緒が見られる、ということである。 このとき、当然ビンケルは生まれていない。ここでの登場人物はビンケルの曾祖父フィルト・カートンである。このカートン、邑宰の家宰、つまり、側用人であった。この側用人から一体どうなれば、兵吏長になるビンケルが生まれるというのか。それは、「ラファル家の屈辱」が影響している。 このカートン、邑宰から重用されている、いわゆる寵臣である。しかも、家宰の地位を手に入れるために、多くの人間を陥れているなど、自分の欲しいものは必ず手に入れる、相当な野心家であったようだ。おそらくは、邑宰に近づいたのは、邑宰を超える権勢、いや邑宰の地位すら狙っていたのだろう。 だが、足跡を付けない行動などにより、野心を多くの布に覆い隠し、邑宰に忠義を捧げる忠臣を装っている。細心の注意を払いながら大胆なことを成す、生まれた時代を間違えた男であった。 さて、カートンは自らの野心を満たすため、その立場を利用し、日夜邁進していた。だが、カートンにとって、イー家と鋼鉄の関係であるラファル家は邪魔な存在であった。これを除かねば、軍権を握れないことは愚か、イー家を弱体化させることもできない。 そこで、ある宴会において、ラファル家を貶めようと企図した。それは当時のラファル家当主ジェンクが老齢であるのを知りながら、邑宰に酒の席で余興としての一騎打ちを勧め、ラファル家を貶めようと言うものである。 この計画はうまく進み、ラファル家はイー家と反目し、衰微することとなる。そう、前編で語った一騎打ちを嗾けた者とは彼のことなのである。 しかも、ジェンクが退いたため、兵吏長の地位が空席となった。そこへうまくつけ込んだのがカートンであり、自分の息子ミルキドを巧みに宣伝し、後任に収めてしまったのだ。まさに、言葉巧みとは彼のためにあると思わせる、見事な作戦である。 だが、このカートンは名士録には名を連ねていない。彼の名前は「イレーヌ=リビュニア名士録」に、ほんの数行載っている程度である。この点が「名士録」の欠点と言える。 こうして兵吏長の椅子と軍権を獲得したフィルト家。だが、カートンの寿命はもう尽きていた。カートン死後、当主はミルキドに代わる。 このミルキドも「イレーヌ=リビュニア名士録」にのみ名前のある人物である。しかも、兵吏の仕事は大過なく行ったとあるだけで、他のどの資料を見てもそれ以上のことは何一つ記述がない。それはミルキド死後に当主となった息子のアンデックに関してもである。このアンデックも「イレーヌ=リビュニア名士録」にのみ名前のある人物である。ここでもそれ以上のことは何もなく、ただのビンケルの父で終わっている。 残念ながら、ルドーンの論文を参照するのはここまでである。これ以上は、ルドーンの推測で話が進んでおり、資料とならない。結論は正解なのだが、道程に無理があるのである。 そこで、もっと正確な論文を参照しよう。それは、イレーヌ秘蔵の黎明期末期の歴史家ピアザ・ド・ジャッサ著の「フィルト家の乱についての一考察 ―フィルト家の累代当主を中心に―」という論文である。 ジャッサが言うには、ミルキド、アンデック、ビンケルに至る三人はカートンの抱く野心、イレーヌの実権を握ることを受け継いでいたというのだ。何故そのようなことが言えるのか。 理由はこうである。ミルキドは兵吏長となったため、邑宰邸を出て独立、自らの邸を持った。その際に体裁を整えるために、多くの人間を召し抱えた。だが、その者たちは身体が虚弱なために冷遇されている知恵者や、虚弱な子供しか後継者に持たなかったために冷遇された武人などのイレーヌに不満を抱く分子、もしくは邑宰家に恨みを持つ在野の士であった。この一族が後の謀反を支えるフィルト一党となるのだ。 さらに、アンデックに至っては、自らの配下を埋伏させ、不満分子と化しているラファル家当主ヴァヌカを使嗾したというのだ。この配下の弁舌から、提言する考えにヴァヌカは納得させられたのだ。そう、知恵の足りないヴァヌカが前編で述べたような考えに至ったのは、この配下の助言があったためなのである。 そう、ミルキド、アンデックは謀反に一番重要なことを行っていたのだ。だが、それらの資料は簡単に閲覧できる資料には掲載されていない。だが、ジャッサは見事に言い当てており、裏付け資料も得ていたのである。 それはさておき、アンデックは309年に没するが、既に300年の時点で兵吏長の地位を息子のビンケルに譲っている。ここで初めてビンケルの登場となるのだ。 間もなく、303年からラファル・ハイナクの政治清潔化こと、イー家の取り巻き潰しが行われる。しかし、兵吏長はその標的にならなかった。ここまで、表面上は邑宰家と蜜月で、完全に取り巻きであるフィルト家が、何故標的からはずれたのだろうか。 それは簡単なことである。ハイナクの父ヴァヌカに助言した者、つまりフィルト家の埋伏者の息子がハイナクの側に仕えていたためなのである。そのため、その者の手練手管によりフィルト家は攻撃を免れ、逆にラファル家に対して反体制ならば協力するとまで申し出ることに成功したのだ。 だが、これが裏目に出る。ハイナクはこれを突破口に、兵吏長であるビンケルを責め始めたのだ。しかし、そこはビンケルの狡猾な知恵が上回った。ビンケルは、即座にその埋伏者を殺害、適当な罪状をでっち上げてハイナクに提出して見せたのである。 こうなってはハイナクは責められない。手元に証拠がなくなったため、再び尻尾を出すことを待つ作戦に切り替えた。 さて、ビンケルが責められなくなった間、邑議の有力者は次々と蹴落とされていった。しかし、ハイナクは後任者には目もくれなかったため、それをいいことに、なんとフィルト家一党がこの後を襲い、イレーヌの廷内はフィルト家一色に染まりそうな勢いを見せたのだ。ハイナクは気づいてはいただろうが、気にしてはいなかった。最後にビンケルと一緒に追い出そうと考えていたのかも知れない。 しかし、水吏長を残したところでハイナクは死亡してしまうのだ。これはフィルト家にとって青天の霹靂であった。ビンケルとしては、ハイナクと再対峙するとき、うまく邑宰を使って、ハイナクを叛乱するに追い込み、ハイナクを消し、返す刀で邑宰の権威を削減しようと計画していたのだ。 ビンケルはやむを得ずその計画を諦め、別の案を採用した。完全に邑議を支配できなかったため、邑議を背景にしての邑宰圧迫はできない。よって、暗殺による政権奪取、つまり、邑宰の後継者を不在にして、代理邑宰として政権を制圧、イー家が忘れ去られたときに、代理を取り払って名実ともに政権を握る計略を練った。邑宰も年老いているし、妥当な計略と思ったのだろう。 だが、この作戦には水吏長が邪魔になる。彼は唯一フィルト家の息がかかっていない。そのために、足下をすくおうと、水吏長を攻め立てたが、なかなか水吏長が失敗をしないため、攻めあぐねることとなる。 そんなときであった。水吏長が仕事中に右足を負傷し、しばらく休養をとることになったのだ。まさに、神の助けである。フィルト家にとって最大の敵が自滅した。水吏長代行の水吏丞はフィルト家の相手ではない。 さらに、315年に邑宰が重病に罹り、危篤となったのだ。時節到来である。 もはや、明日をも知れぬ命となった邑宰は、一族を集めた。この時点で邑宰候補者は長男ルナード・次男クルーブ・三男ハラークの三人である。この三人を葬れれば、邑宰後継者は不在となる。 まもなく、邑宰は遺言して没した。と同時に、ビンケルの策動は始まった。 フィルト一党は、今後の相談と称し、邑宰の死を嘆く長男の部屋を訪れ、そこで暗殺した。これで、まず一人。 さらに、と続けたかったのだが、もう二人の息子は既に別の家を建てて住んでおり、邑宰の死を看取った後、兄の慮ってすぐに自邸に引き上げてしまった。これでは、暗殺できない。 ここで速やかな暗殺が不可能となった。これを受けて、ビンケルは暗殺から謀反に切り替え、クルーブの邸を包囲。これを襲って殺害した。これで二人。 だが、神はフィルト家の味方をしなかった。ハラークの邸を包囲しこれを襲ったのだが、ハラークは邸に不在であり、ハラークはおろか、その一族の殺害に失敗したのだ。 次男と同じく、自邸にいるはずのハラークが、何故消えたのか。それは、ハラークは邸を包囲される前に、配下からフィルト家の叛乱を知らされて邸を脱していたのだ。ちなみに、この配下はフィルト家と誼を通じていたが、関係のない人物まで殺し始めたビンケルに愛想を尽かし、密告したのである。 ハラークは邸を脱した後、休養中の水吏長の邸に身を寄せた。 これにより、水吏長は右足の負傷をおしてハラークを擁しての正規軍を決起させ、邑内で大乱となる。 この決起を知ると、ビンケルはここで全ての失敗を悟ったようである。物の本によると、ビンケルはここで一度自害をしようとしたらしい。だが、部下に止められて最後の戦いに踏み切ったようだ。 内乱は一週間に渡って繰り広げられた。この間は、ビンケル軍が軍権を握っていたこともあって、優位に立っていた。だが、叛乱五日目でフィルト家に属していた外吏長シェイクル・バクテナークが寝返ったことで戦況が一変、ラファル・バーヌクの指揮も手伝って、正規軍が勝利を収めた。 ビンケルは失敗を悟ると、軍を解散させ、邸に火を放って自害した。これに応じ、フィルト家の一族は次々と燃える邸に飛び込み、後を追っていった。フィルト家はこの炎と共に滅び、その野心も灰燼に帰したのである。 この後、ハラークが邑宰位に就いて平安を取り戻すのである。 だが、新邑宰の断罪は激しく、フィルト家に荷担した令官以上の者を一族皆殺しとした。見かねた邑宰丞に昇進した水吏長が諫言したが、これを許さず、子供に至るまで死罪に処された。ちなみに、叛乱軍から寝返って戦況を一変させた最大の功労者バクテナークも、「寝返った功績は認めるが、叛乱を阻止できなかった罪は大きい」としてこの断罪を免れることはできなかった。 これで、フィルト・ビンケルの起こした謀反についておわかりのことと思う。だが、こうなると一つ腑に落ちない問題が出てくる。 当然それは今回の名士紹介の目的である、これだけの奸臣がなぜ、数行で片づけられているのかと言うことである。 これには大きな理由がある。賢明な読者諸氏はおわかりと思う。これはイレーヌの恥である。 この叛乱は戦乱期には入る100年も前のことである。どこも平和的に政治が行われており、小競り合いはあるとしても、こんな大乱は400年の中でも五指に満たないくらいしかない。その大乱を調べると、すべて、ある者の専横などの政治運営が芳しくないために発生したものなのである。 政治運営がうまくいかない、これは大邑を治める者たちにとっては無能の烙印を押されたに等しい。そうなれば、族内での地位は低下し、下手をすれば、部族会議(竜老会など)の議題に上り、全会一致で他の邑宰家から養子を取ってその者に政治を委託を命ぜられる事態に見舞われる。これがどういうことを招くのか、これは誰にでもわかる。 イレーヌとしてはそれだけは避けたいのである。事実、独立以来初めての大乱では、邑宰家が他の邑の邑宰家に一時的に政治を委託し、その後もその邑に頭が上がらないまま、没落していったと言うことがあったのだ。 イレーヌ邑宰と邑議は、この大乱をなんとかしなければならない。当初はフィルト家の野心のせいだと罪をすべてなすりつけて邑宰や邑議の責任をもみ消すという考えもあった。だが、そんなことをしては、監督責任を問われる。これでは何のためにもみ消したかわからない。 そのため、これを突如謀反として、ビンケルの感情を重視し、事実をねじ曲げた記述に変えた。勝利側であるハラークなどの正規軍の方にも「父や兄たちを殺されたために逆上し、激烈に抵抗する叛乱軍を大軍を以て鎮圧した」と虚偽の記述を行ったのである。当然、当時の他の名士と目される人物の記述も、この大乱の箇所だけは虚偽の記述をしている。 こうして、ランカル・ヴァウダの編纂に対して、大乱の公開を避けたのである。このとき、ヴァウダは別の問題に巻き込まれており、この問題が取りざたされることはなかった。 さらに、イレーヌの史吏長には密命が下る。これに関する一切の資料を、邑が接収して研究ができないようにしたのである。さすがに燃やすことはしなかったが、以後の「フィルト家の乱」研究は徐々に下火にならざるを得なくなるのである。 とは言え、人の口には戸を立てられない。この大乱はすぐに周囲に噂となったのだが、今度は外吏の方で大乱ではなく謀反だという噂を流し、もみ消しを謀った。これは邑内での戦闘が幸いし、偽の噂の方が流行ってくれた。さらに、この噂を持っての論文に対しては、イレーヌの水月評議(歴史研究発表会)の会員の「噂を以てでは論拠足り得ない」との批判めいた論文の発表を以てこれをかわした。 だが、ここで資料として使っている、ピアザ・ド・ジャッサ著の「フィルト家の乱についての一考察 ―フィルト家の累代当主を中心に―」はその弾圧を免れて存在している。これはここで資料にできるほど正鵠を射た論文であり、イレーヌ史吏が激怒しかねない論文である、燃やされても不思議はない。 では、何故現存しているのか。それは、ジャッサはこれを世間に発表することなく、イレーヌの書庫へ収めたと伝わっているためである。(「イレーヌ史吏会史」より)ジャッサは名声よりも、後世に事実を残す道を重んじたようだ。 ともあれ、このイレーヌの周到な対策の前に、今日まで「フィルト家の乱」は歴史の概説書にすら載らない、マニアックな事件となっていたのである。 しかし、一箇所だけ手落ちがある。それが寝返った外吏長、シェイクル・バクテナークの項目である。「イレーヌ=リビュニア名士録」の彼の項に「バクテナークはビンケルが採用しようとした周辺の小邑に派兵を望む案に対し、『このことを外に漏らすのは、イレーヌの恥を公にするのと同じであり、イレーヌの存続を危うくする』と反対し対立。結局、この案は廃案となるが、説得の仕方がビンケルを叛乱軍として扱っているようにとれたため、主流派との間に深い溝が残った」とある。 他の人物に関しては「小邑の派兵を求める案を提出したが、外吏長シェイクル・バクテナークが『我らだけで事を成せないわけがない』として抵抗」や、「小邑の派兵を求める案に対し賛意を示したが、外吏長シェイクル・バクテナークは『なにを弱気なことを。我らの決意はこの程度だったのか』と反対したことに感銘を受け、翻意した」など、きちんと訂正がなされている。 訂正していない個所は一箇所のみ。そのため、シェイクル・バクテナークの項は多くの人から注目はされたが、裏付けが全くとれないために捨て置かれている。ここに修正を入れないイレーヌ水月評議、何を意図しているのだろうか。 さて、これでイレーヌの根幹となる「イレーヌの変」に関しての「名士録」と事実の不適合を指摘し、その説明を成した。 だが、この「イレーヌの変」以降、イレーヌでは黎明期末期に至るまで、「名士録」に記述に度々事実と適合しない者が現れる。 それは「イレーヌの変」が原因となって、その影響を受けて人生を狂わせた人物である。 次にその人物を取り上げてみたい。 |
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・解説 ラファル・バーヌク ラファル・ハイナクの弟ナクトゥスの息子。ナクトゥスはハイナクの死後、一族の宿願であったイー家打倒を撤回。父や兄の考えが誤っていることに気づいたためである。そして、イー家のために尽くし、フィルト家の乱では兵吏の中ではいち早く、水吏長の正規軍に参加。戦い慣れない即席の兵士達を鼓舞して、フィルト家の精鋭と互角に渡り合った。その活躍で、叛乱鎮圧後に兵吏長に任命された。フィルト家によって没落したラファル家が、フィルト家を踏み台にして出世する、歴史の妙である。とは言え、自らの家にかかった汚名を雪ぐためには、叛乱に加担するわけにも、中立を保つわけにも行かない。そんなことをすれば、汚名はさらに強まる。よって、バーヌクは邑宰側につかざるを得ないわけであった。 イレーヌ水月評議 創設はこのとき。多くの歴史学者まがいの学者を集めて作られた。史吏の監督を受けて、フィルト家の乱対策に追われたが、一段落した300年代後期から、一般の歴史研究を行い始め、史吏の管轄を離れた。ちなみに、姉妹王国成立の際に、リビュニア水月評議と連合して、姉妹王国水月評議、後にナーラダ水月評議へ併合されることになる。 |
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