会誌-「ZARASU-2002 夏 -ユージュ-」

■ 名士紹介 第二回(前) すべての源  【剣山 翔】


 今回の名士紹介、これは「名士録」最大の謎の一つとに数えられる問題について触れたい。
 その問題とは、研究の結果、史実とされたものと「名士録」がかみ合わない、と言うものである。
 一般的に、史実で名を成した人物は、善悪かかわらずに大きく取り上げられる。だが、数ヶ所、その理論に適合しないものがある。扱いが小さかったり、扱っていないものさえあるのだ。
 それを紹介しつつ、事実と照らし合わせて、「名士録」にはない、本当の人物像を紹介したい。

 その舞台は後に「技の部族」として名を馳せることになる民の住む邑、イレーヌ。
 イレーヌで何があったのか。それを知るためには「セルフィアー歴史年表図」を紐解かねばなるまい。
 そこには「独立暦315年 <ナーラダ> イレーヌの変(翌年鎮定)」と言う一行の歴史がある。
 この「イレーヌの変」を「セルフィアー百科事典」で引くと、以下のようになる。
 「イレーヌの変 <事件> 独立暦315年、邑宰丞が邑宰の地位を欲して引き起こした軍事的クーデター。フィルト家の乱とも言われる。クーデターは叛乱軍の内部分裂で失敗、翌年に鎮定される」
 百科事典などのものの説明などと言うものは、どんな事件でも10行に満たないのであまり参考にはならないが、実を言うとこの事件はどの資料を見てもこの程度である。
 しかし、この事件はイレーヌにとっては大きな出来事である。この事件に至る道から、イレーヌの根幹を形成する事件でもある。何故、こんなに扱いが小さいのであろうか。
 しかも、「名士録」でもこの事件に関わった人物の扱いは小さい。これらの謎を、イレーヌの歴史も絡めて、解き明かしていくことにしよう。

 「ラファル・ハイナク、独立暦287年、ラファル・ガヌカの長男としてイレーヌに生まれる。法吏に出仕。法に厳格で、彼の処理する事件事項は非の打ち所のないものであった。庫吏長などの上層部の汚職を暴き、イレーヌ政府の清潔化も行った。303年、若くして法吏長に就任。311年、34歳で急死」
 これが最初に取り上げようとする、ラファル・ハイナクの項目である。後に、黎明期のナーラダ三大法吏(他二名はマブロア・ノーウェアとレティシオ・ミラリス)の一人として描かれる。
 この人物が先の事件とどのような関係があるのか、読者諸氏は疑問のことだと思う。だが、実はこの人物こそが後に取り上げる人物に関係のある者であり、彼の項目には隠されたものがあるので、触れておく。
 その隠されたものを探すために、民間「名士録」の「イレーヌ=リビュニア名士録」を紐解く。すると、以下のように書かれている。
 「ラファル・ハイナクはイレーヌでも一、二を争う竜骨棍武術の名家であるラファル家にありながら、法律に興味を示し…(以下略)」
 ラファル家は、イレーヌ邑宰家イー家と並んで、代々当主が竜骨棍を使う家である。ここから見ても、ラファル家はがちがちの武闘派一家であることがわかる。だが、彼はラファル家では完全に一線を画し、毛色が全く違う。だが、それが隠されたものではない。
 では、別の角度から探ってみよう。
 黎明期末期の歴史学者ラソーダは自身の論文の中で「法に厳格であったことは、法を以て邑民を支配せんと欲した行為に取れる。また、法を根拠に上層部の摘発を起こったことも、法を使い自分の地位を高め、邑宰をしのごうとも考えられる。いささか短絡ではあるが、彼にはイレーヌ邑宰位奪取の野心があったのではないだろうか」(ラソーダ論文集1 「イレーヌ名士考察」より)と彼を評価している。他にも多くの人物がそれを指摘している。ここに、探り当てたい鉱脈が見当たる。
 しかし、ハイナク以前のラファル家の資料を当たると、イー家の下について以降、代々当主はイレーヌの兵吏の一員として忠節を尽くしていることがわかる。史料の一部にも「その忠義、シュリーの下僕が如し」と悪態をつかれているものさえある。
 そのラファル家の当主であるハイナクが、何故ラソーダなどの歴史家が指摘するような野心を持つようになったのであろうか。そもそも、本当に野心など持っていたのであろうか。
 その疑問に関しては、ハイナクの曾祖父ラファル・ジェンクがイー家から受けたラファル家の屈辱まで遡れば、答えは自ずから現れる。
 その「ラファル家の屈辱」とは何なのか。それを紹介しよう。
 先述のように、イレーヌ邑宰家とラファル家の当主は竜骨棍の名手である。この両家の当主が251年にある宴会で宴もたけなわになった頃に、ひょんな事から戦うことになった。
 経緯はこうである。邑宰に酒を献じたある男が、邑宰の武術を褒めちぎりながら、ラファル家の武術とどちらが上かという話題で歓談を始めた。邑宰はラファル家のことを思って、自分こそが上であるとしながらも、断定せずに推定に留めた。と、酒を献じた男は本当にどちらが上なのか、決着をつけてはいかが、と持ちかけた。ここで邑宰は断ったのだが、男は邑宰は老人であるジェンク兵吏長を恐れていると軽くなじったために、邑宰の誇りは傷ついた。そこで邑宰はジェンクとの一騎打ちを提案した。ジェンクはこれを断ったが、邑宰に臆病者呼ばわりされてこちらも誇りを傷つけられ、酒が入っていたことと年をとって気が短くなっていたこともあって、これに応じることとなったのだ。
 イー家とラファル家が棍を交えるのは、独立当初以来の事であった。その二家が久々に戦うとあって、イレーヌ民もこれを一目見ようと集まった。
 双方とも酒が入ってはいたが、棍を握ると武人の目になる。このとき、当主はまだ若く、ジェンクは老いていた。だが、双方は手加減する様子も見せなかった。
 双方は動かない。このまま膠着状態になるかと思われた。しかし、ジェンクは寄る年波にはかなわなかった。若さという有利を以て邑宰が襲いかかる。当然、老いという不利を持つジェンクは反応は出来ても身体がついてこない。一撃目は受け止められたが、十合も交えないうちに劣勢に立たされた。そして、隙をついたイー家当主がジェンクを打ち、勝利を収めたのである。
 ここまではよかった。だが、この後がまずかった。周囲がこの決着に歓声を送る。その歓声が大きくなるに連れ、当主の心に勝利による過剰な高揚がもたらされた。そして当主は思いあまってその場に倒れているジェンクの目前に棍を突き出し、「ラファル家の竜骨棍の技など、児戯だな」と言ったと言われている。
 当然、この発言は邑宰が酒に酔い、気分が高揚したためではあるが、ラファル家の技を児戯と言ってしまった手前、武を尊ぶイレーヌにおいて邑宰に次ぐ使い手が就任する職とされている兵吏長に留めておくことができない。そのため当主はこれより後、やむを得ず、周囲の勧めに従ってジェンクに兵吏長を辞するように暗に促した。当主や邑議としては、これが忠臣への精一杯の心遣いだと思っていたようだが、ジェンクに残ったのは敗北感と屈辱感による心労のみであった。
 しかも、ラファル家棍法が児戯と言われた後、逆襲や雪辱の機会を与えられなかったため、それを払拭できなければ、兵吏長にラファル家の者は就くことができない。自らの処遇と一族の処遇による心労が重なって、翌年水の月にひどい衰弱の後にジェンクは没するのである。
 この後、イレーヌ邑民から見かけ倒しだと嘲笑され、ラファル家は伝統の棍法と共に衰微を余儀なくされる。これが「ラファル家の屈辱」である。
 この後、ハイナクの祖父ラファル・ランカは邑宰家を恨み、目のあたりにしたこの屈辱を子供に伝え、この汚名を雪げと事あるごとに言った。これ以降、ラファル家は雪辱の日を夢見て、日夜鍛錬に明け暮れることとなる。
 だが、ランカは復権と雪辱を遂げずに没すると、この雪辱によからぬものが混じってくる。
 ランカの死後、ハイナクの父であるヴァヌカは、鍛錬に明け暮れていたが、一向に雪辱の機会は巡ってこなかった。すると、ヴァヌカの心の内に、黒いものが生じた。雪辱の機会が与えられないのならば、こちらから雪辱してやればいいのではないか、と言うものである。そう、世間一般で言う叛意が生じたのである。
 このころから、表向きは忠義を装い、裏では叛意を持つようになった。
 この叛意、最初のうちは、邑宰邸に乗り込んで一騎打ちを申し込む、という妥当なものであったが、いつしか、イー家の政権自体をひっくり返してしまおうと言う、イー家打倒へと変わっていった。
 そして、ヴァヌカはそのための方策まで考えていた。それは、自分の息子二人を使い、一人は自分の後継者として兵吏に仕えさせて兵権を掌握する、もう一人は法吏に仕えさせて法によってイー家の取り巻きを除こうと言うものである。
 だが、多くの書籍を当たってみても、失礼だがヴァヌカにこのような方策を考えられるほど頭が回らないように感じられる。
 多くの書物には「彼は武力と統率力に長けてはいたが、幼い頃から勉学を嫌ったため、読み書きするのが精一杯で、ろくに読書もできなかった」とある。体を動かす方が好きな、いわゆるメール族的な存在であったのだ。そのような彼に、このような方策は考えられまい。ここに、何者かの関与があるように見える。
 ともあれ、その父の願いを具現化したのがハイナクである。
 賢明なる読者諸氏はもうわかっているだろう。そう、ハイナクが庫吏長などの汚職を暴いたのは、政治の清潔化のためではなく、ひとえにイー家の取り巻きを除くためであり、法に厳格であったのはラソーダら歴史家の言うとおり「法を以て邑民を支配せんと欲した行為」なのである。
 当然取り巻きを除くのだから、その汚職というものはほんの些細なことであった。その実例を挙げればきりがない。庫吏長は僅少の着服で、さも大金を横領したかのように糾弾されて辞任している。さらに、外吏長に至っては、外吏丞の妻と楽しく歓談し、夜遅くに帰ったことを以て、妻帯しているのもかかわらず、人の妻を横取りしようとするとは不届き千万と糾弾し、外吏丞もろとも辞任に追い込んだ。
 だが、これほど難癖を付けて取り巻きを除いたのもかかわらず、ラファル家の反乱は実行されなかった。理由は自身は303年に法吏長になったのだが、弟のラファル・ナクトゥスが兵吏長になれなかったことにある。確かにナクトゥスは竜骨棍の名手であった。だが、彼が持っていたのはその武力だけであり、統率力など兵吏長に必要な資質を持ち合わせてはいなかったのである。それをイー家に看破され、邑兵尉止まりになってしまったのである。決して多くの歴史家の言うような、イー家が叛意を察知していた、などと言うことはない。
 そうとは知らないハイナクは、徐々に邑民を圧しながら、イー家の取り巻きを除く。そして、弟の出世と好機を待ち続けた。
 しかし、311年にハイナクは夢遂げることなくセルフィアーを去る。この死によって、叛乱によるラファル家の汚名を雪ぐ機会は永遠に失われるわけだが、何故この時期に、イレーヌで疫病もないのに急死したのであろうか。
 多くの歴史家が、この謎に暗殺説を持ち出して解釈していた。ラソーダも「イー家はこの叛意に気づいており、暗殺者を送った」とイー家暗殺説を以て解釈している。多くの歴史家はナクトゥスの邑兵尉据え置きをイー家が叛意を悟っていたとしているため、暗殺説がもっともだとしているようだ。
 だが、先述したとおり、ナクトゥスの据え置きは能力不足のためである。あくまで邑宰家はラファル家の叛意は知らない。故に、暗殺などあり得ない。
 そのように言ったのは時代は下りに下って、五王国期後期の「技の部族」史の大家アリシバ・ルドーンである。彼の論文「ラファル家についての考察」にそれは登場する。
 それによると、311年の急死はちょうどイレーヌ特有の好戦的気質から生まれる「喧嘩祭り」と重なっている。彼はその様子を観ていたところに、彼を見た民衆の不満が一気に吹き出し、見事に巻き込まれた。彼はそんなに武力があるわけではないので、あっという間に私刑状態となり、そのまま重傷を負う。その夜、彼は没したと考えられる。そう、彼は圧制者として民衆に認識され、それがために「喧嘩祭り」に乗じて殺されてしまったと考えられる、としている。
 このルドーンが導き出した答えこそ、この急死の真相である。では、「名士録」に名を連ねることが出来たのであろうか。
 それは、叛意が顕在化していなかったからである。そのため、史吏長は彼のラファル家らしからぬ情けない最後を隠蔽して、と言っても「喧嘩祭り」に巻き込まれて死亡から急死に書き換えただけだが、ナーラダ史吏学会に提出したのである。史吏長はハイナクの行為を良い方に解釈し、功績としたのである。それがために三大法吏に名を連ねるまでになってしまったのである。
 だが、このままだとハイナクが浮かばれないので彼のために名誉挽回しておこう。庫吏長の着服なのだが、実はこの庫吏長は糾弾されるまで、本当に公金の一部を自分の家のために使っていたのである。必要な田畑を無視して親戚の田畑へ灌漑事業、邑の外観が損なわれるとして自宅を含めた邸宅の改築、三男のために他人の土地を買い上げるなどの予算を計上。予算上は「灌漑事業費」「邑内整備費」などの名前ではあったが、どう見ても横領である。ハイナクはこれを完全に調べており、僅少の着服を直接的な契機として責め立てたのである。よって、「名士録」で「庫吏長など」とこの功績が称揚されているのである。
 さて、以上でラファル・ハイナクについては終わるが、このこと、特に「ラファル家の屈辱」とハイナクの上層部糾弾、を覚えていてもらいたい。次に取り上げる人物はこれに大きくかかわっている。

・解説
 喧嘩祭り
 どこかで見たような気がします…だから使いました。なかったら、これを初出にしてください。

 三大法吏
 リクエストがあれば、彼らについても述べます。(現在の設定は「種族:ナーラダ」と名前、マブロアは男、レティシオは女で、レティシオは中邑カデシア(後述する可能性あり)出身であることのみ)

 イー家とラファル家
 独立暦の最初期、イレーヌ(当時小邑)とその近辺にある小邑ラナルが領域問題(近接しすぎていたため、十分な農地が確保できなかった。そのため、どちらか一つに絞るべきであるとする問題)から、邑宰同士が一騎打ちをする形で決着をつけることとなった。イレーヌの邑宰家はイー家、ラナルの邑宰家はラファル家であった。双方、力を尽くして戦った結果、イー家がすんでの差で勝利を収めて、ラナルは併合された。この後、イー家はラファル家を厚遇し、代々兵吏長にし、竜骨棍の所持と継承を認める約束した。それ以来、両家は棍を交えることはなかった。

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