会誌-「ZARASU-2002 夏 -ルタン-」

■ 超粗筋  【Dandy中年】


 独立暦400年。セルフィアー島北部に文明を築いてきたナーラダ族の一邑、ウォウル。幼き後継者、ナーラダ・ヴィレクは王を名乗り、邑制から王国制への移行を実現した。この事実はセルフィアー全土に波紋を呼び、権力者たちの野心に火を付けた。戦乱の世の到来である。
 ウォウル王国の遥か南には、スィスニアという邑がある。邑宰ルシャナ・シルキーヌは心根の優しい、凡そ野心という言葉からは最も遠い人物であった。しかしながら、臣下の中には、急激な世の移り変わりに危機感を募らせた者や、そういった者達の発言を追風とした武断派の台頭が著しく、そんな中、一人の男が兵吏長として登用された。ナグモ・リューンである。表面的な争いこそ起こさなかったが、スィスニア内には彼が率いる武断派と、保守派の二つの派閥が形成された。ランギヴァラーハ家のライル、ライラの兄妹二人も、それぞれ保守派、武断派へと分かれ、争う事となる。
 スィスニアの東方には、スウィズという邑があった。施術宝器と呼ばれる武器の生産、販売を生業とする商人達が創り上げた邑であり、ライル社という組織の長が統治している。この当時の長は、ライル・ナタケという少女であった。彼女の意を実現するために、若き策士、クラウ・ハデンはウォウル王国に赴き、かの他の内乱を鎮めるなど功を立て、ヴィレクに近づいた。しかしながら、連邑制によるナーラダの統一を考えていたハデンは、飽くまで王国制による統一を主張するヴィレクとは相容れるはずもなく、スウィズ─ウォウル協力関係の確立によるナーラダ地域の統一という夢は、脆くも崩れ去った。
 ちょうどその項スィスニア内では、自らの勢力基盤をつくり、体制を盤石のものとしていたリューンが、主シルキーヌへ反旗を翻し、統治者としての地位を簒奪していた。シルキーヌは辛くもリューンの手から逃れ、ウォウル王国へと身を寄せる事となったが、これが後にウォウル王国への宣戦のロ実の一つとなった。
 リューンは大将軍を名乗り、自らの野心の赴くままに、戦線を拡大させた。また、ライラはリューンに従い、この頃から重く用いられるようになっていた。
 ウォウル王国との協力関係を築くことには失敗したものの、スウィズは隣邑シーランと同盟を結ぶことに成功した。ところがその矢先、リューンの牙はシーランへと向けられる。援軍を派遣したハデンであったが、到着した頃には、既に戦線は移動し、逆にスウィズへの侵攻を許す事となった。この怒涛の進撃により、数日の間で、この地に存在していた二つの邑の歴史は終わりを告げた。また、この時ナタケはウォウルへと落ち延びていたが、間もなくかの地で、人生の幕を下す事となる。当時、民衆の間では暗殺されたという風評が囁かれたが、事実は、施術宝器により気の乱れが発生した事が原因による病に倒れたのであった。これを知ったハデンは失意し、暫くの間、歴史の表舞台からは遠ざかる事となる。
 明けて401年。ウォウル王国とスィスニアは、当時としては史上最大規模の水上戦、『セルファニア湖の戦い』によって激突する。「湖を紅く染めた」と言われるこの戦いによって、両軍とも有能な将兵を数多く失い、痛み分けという形で戦いは終わった。ライラはこの戦いによって、ウォウル側についた兄ライルを失った。
 その後、ヴィレクとリューンは、自勢力の回復に時間を費やすこととなる。この間にナーラダ東部では東邑同盟が成立し、ハデンなどが身を寄せた。また、北西部のイレーヌ、リビュニア間では姉妹王国が誕生。スィスニアも三邑からなるスィスニア王国となり、リューンは武王と名乗った。姉妹王国にはファーカル・ナヴィスという男が台頭し、四つの勢力が麻の如く乱れることとなるのだが、彼の表舞台への登場は、もう少し先の事となる・・・。

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