平家物語です。中学だか高校だかで誰もが古文の時間に習ったんじゃないでしょうか。
平家物語は、平安時代終わり、栄華を極めた平家が、源氏に滅ぼされるまでの歴史をもとに作られたおはなしです。日本の歴史上の大きな転換点であるこの時代は、歴史マニアとしては大変興味深いのですが、今回は中身の話をしたいわけじゃありません。
皆さんご存じのとおり、平家物語を語り継いできたのは、琵琶法師です。琵琶法師とは琵琶を持った盲目の僧で、各地をめぐって、平家物語をはじめとする軍記物を語ってきかせていました。
私は目あきですけれども、平家物語といって思い出せるのは、冒頭の文に加えて、
「遠く異朝をとぶらえば、秦の趙高、漢の王莽……」あれ、あと誰だっけ? と、それくらいです。
あなたはどうですか? 全文覚える自信ありますか?
おそらく、ないでしょう。たとえ、それが生活のために必要だったとしても。
しかし琵琶法師たちは、口伝のみで平家物語の膨大なテキストを語りついでいったのです。
彼らは特別記憶力のいい人たちだったのでしょうか?
それとも、視覚を失ったことで、超・記憶力を得たのか?
そうではありません。
彼らが記憶していたのは、平家物語のテキストそのものではなかったといいます。(※)
琵琶法師の語る説話は、決まったパターンの組み合わせで構成されています。
琵琶法師はお坊さんでもあります。彼らの目的の第一は、軍記物などを語ることで仏教の考え方を人々に広めることでした。
琵琶法師が記憶していたのは、誰々がこうしてああして、という物語の枠組みと、人物の特徴、説話における役割です。
そして、それらの要素をどう描写するかに関しては、仏教思想に基づいた、決まったパターンが存在します。
それによって、超・記憶力がなくとも、どんなエピソードも生き生きと語って聞かせることができたのです。
要素の組み合わせによる演出、といえば、短歌における枕詞もそうです。
「たらちねの」といったら「母」と続く。「ひさかたの」は「光」。
決まったパターンさえ覚えれば表現がびしっと決まる、おそるべき必殺技です。
日本にはこういったパターンの蓄積によって、表現力を蓄えてきた歴史があります。
さて、私は絵とか表現に関係する仕事をしています。かっこよく言うと、クリエイターです。
ありもしないものをあると言い張って、それでお金をもらう、すさまじく調子のいいお仕事です。
詳しくないかたがたには無から有を生み出すように見えるかもしれません。
が、しかし、人の夢や萌えの中にしか存在しない、実在しないものを、作品という形に残し人に伝えるために必要なのは、
描写のためのパターンと、それを応用する技術力の習得です。
その本質は千年前の琵琶法師となんら変わりありません。
私はアニメという楽器で物語を唸る琵琶法師です。
萌える描写のパターンを見つけだし、蓄積していくことが、マイ平家物語を生み出していくための、最も確実な方法なのです。
べんべん。
(※注)平家物語については諸説あります。私は研究者じゃないのでこれに関する議論はできません。表現方法の例として、おもしろいと思ったのでこの話を書きました。
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